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あずあらSSまとめ②

全体公開 14143文字
2022-06-01 23:52:40

あずあら 2021年4月4日投稿

Posted by @saeki_f

共有物(冷蔵庫)


「荒船は自炊したいタイプ?」
 大学入学を目前に控えた三月、荒船と東は家電量販店で冷蔵庫を探していた。春から一緒に住むことを決め、荒船の生活に必要なものを揃えている。家電は大体東のものを使うのだが、冷蔵庫だけは小さすぎるということで買い換えることにしたのだ。
「できるだけしたいですね。食事もトレーニングの一環ですし」
 ほとんど自炊しない一人暮らしから、食べ盛りな上にストイックな男子学生との二人暮らしになるのだ。東の生活スタイルも変わらざるを得ないだろう。
 家族用とまではいかないが、中型サイズのものを物色する。
「どんなのがいいかな」
「冷凍室が大きいやつがいいんじゃないですか? 東さんよく家空けるし」
……できるだけ帰って来ようとは思ってるよ」
 共同生活を始める前から諦められているのが悲しい。これを機に雑になっていた私生活を改めようとは東も思っていた。なにせ恋人と同棲するのは初めてのことだ。
「まあ俺もシフト増えますし、大きくて困ることはないでしょう」
 話しながらも荒船は次々と冷凍庫のドアを開けては閉め、値段を確認していく。家電は東が支払うことになっているので値段は気にしなくていいのだが、そういうわけにもいかないらしい。
「そういえば、料理はできるのか?」
「人並み? 特別うまいものは作れませんけど、生活するには困らないくらいだと思いますよ。ネットで調べりゃ大抵のことはなんとかなりますから」
 東もその程度だ。料理は嫌いではないのだが、一人暮らしを始めて早々に自炊を諦めたのであまり上達しない。お互い、今後に期待といったところだろう。
「俺もちょっと練習しようかな」
「え、料理する気あったんですか?」
「荒船が家に居るならな」
 一人だとわざわざ毎週買い物をしたり使いきれるか分からない調味料を揃えたりするのは手間だが、置いておけば消費してくれる誰かが家に居るというのは大きい。東が自炊を諦めた理由の大部分は、買ってきた食材を使いきれないという点にあった。
 かつての彼女が料理してくれたこともあったが、一般人相手ではボーダーの活動への理解度が違う。色々と苦い思い出はあるものの、荒船ならばそんな心配も無さそうだ。もちろんそれをあえて口に出すような真似はしない。

 製氷機の要不要、ドアの開き方、色などを吟味した結果、やはり大きめの冷凍室が備えられたシルバーの冷凍庫に決定した。機能はシンプルな分、値段も大したことはない。配送の手配をして買い物を終えた。
「楽しみにしてますよ、東さんの料理」
「ハードル上げないで待ってて」
 初めて買った共有物に新生活への期待も高まる。あれが新居に届いて使い始める時のことを想像すると顔が勝手ににやついてしまって、東は密かに口元を隠した。
 浮かれた気分のまま、二人は次の買い物に向かう。

笑ってみせて(酔っ払い)

『東さん、今から飲み会来ませんか?』
 当真から届いたメッセージに東は首を傾げた。今夜、当真らは同級生で集まって飲み会をしている。荒船がそう言っていたので当然知っているが、誘われる理由は全く分からない。
『同級生飲みの邪魔しちゃ悪いだろ』
 別に予定があるわけではないが、七歳下の集まりに一人で飛び込むほど東は陽気なタイプではない。
『いいんですか? 今来ないと後悔すると思いますよ』
 即座に届いたメッセージにどきりとした。まさか荒船が酔って暴れたりなどしていないだろうか。心配でそわそわし始めたところに一枚の画像が送られてくる。
……マジか」
 思わず声が漏れ、次の瞬間には家の鍵と上着を掴んでいた。

「あ、来た。東さーん」
 ざわつく居酒屋、店員に案内してもらった先で当真が手を振る。既に飲み会はかなり盛り上がっていて、東の方を見たのは近くに座っている加賀美と蔵内くらいだった。
「荒船は……
「あっちの席」
 同級生がほぼ全員集まってかなりの人数だ。廊下に近い当真のほぼ対角線上、部屋の奥に荒船が座っている。東が来たことにはまだ気付いていないようだ。
「連絡ありがとな。画像が来てびっくりした」
「いやー、オレらも驚いてたんすよ」
 なあ、と当真は首を「そちら」に向ける。視線の先に居る荒船は、普段の凛々しさからは考えられないほど柔和な笑顔を浮かべていた。隣の村上と並んで、その一角だけ飲み会らしからぬ穏やかな空間である。
「まさか荒船があんな風になるなんて……
「東さんでも初めて見るとか相当レアだな」
「今日は特に機嫌良いみたいですよ」
「半崎くんがテストで良い点とった時よりいい笑顔だわ」
 口々に感想を述べながら荒船を観察していると、流石に本人も刺さる視線に気付いた。にこにこと手を振るが、東を認識した途端に動きが固まる。
「あれ、戻っちゃった」
「東さん呼ぶって言ってねえからな」
「言ってないの!?」
 せっかくの珍しい表情が消えた上、荒船は気まずそうにそっぽを向いてしまった。その様子が気になって東は荒船が座っている方に移動し、それに気付いた村上が気を遣って当真達の方へ席を移す。荒船が縋るように引き止めようとしたが、やんわりと断られていた。

 空いた席に腰を下ろすと酒が入った同級生らがはやしたてたが、荒船は冷静さを取り戻そうと必死だ。
「東さん、なんで居るんですか」
「当真に呼ばれた。荒船が可愛いことになってるって聞いて」
「あの野郎……
 荒船は渋面を作るがどことなく普段より険しさが薄い。顔に力が入っていないのだろうか。
「なあ、さっきみたいに笑って」
「無理です。ダメです」
「なんで?」
 顔を覗きこもうとしたら両手で顔を覆い隠してしまう。成人したというのにこの仕草の可愛さは年上の恋人によく効いた。
「東さんの前では格好つけたいんで……
 非常に小さな声だったが東にはちゃんと聞こえた。いよいよキャパシティを超え、顔を覆う両手を剥がそうと試みる。
「やめ、やめろって」
「もう一回笑ってくれるまでやめない」
 酒のせいだけでなく赤くなった顔で必死に抵抗する姿でさえ愛しくて、東は珍しく悪ノリして荒船を追い詰めた。

……家でやってくれないかなあ」
 犬飼の呟きが二人に届くことはないのだった。

弟子の心配(惚気話・荒船)

「荒船は、東さんのどこが好きなんだ?」
 荒船が本部に来ていた村上と二人で食事に行ったところ、そんな質問が飛び出した。村上らしからぬ質問に荒船は他の誰かの差し金かと構えたが、どうもそうではないようだ。
「あ、もちろん東さんの良いところは俺も知ってる。優しいし、頭もいいし、荒船を大事にしてくれると思う。でもそれは外野の意見だから、荒船から見てどうなのかなって」
 荒船は東との話をあまりしない。本部の同級生ですら聞けないのだから、普段は鈴鳴に居る村上に入る情報など皆無に等しかった。村上はただ単に、急に年上の男と付き合うことになったと聞いて荒船を気にかけているのだ。そういうことなら話は別である。信頼できる弟子だからこそ荒船は口を開いた。
「んー……俺の意思を尊重してくれるとことか、本部では一切特別扱いしないとことか」
「あ、それは良いんだな」
「当然だろ。この前も危うく頭撃ち抜かれそうになったぜ」
 恋人だからと勝負で手を抜かれるなど荒船が最も嫌うところだ。むしろ心理を読まれ、隠れている時に狙われる回数が増えたくらいだった。
 その他の場面でも特に一緒に行動することは多くない。せいぜい一緒に帰るか、時間が合った時に食事をする程度。傍から見れば弟子を始めとした他の隊員の方がよく一緒に確認されるくらいだ。それもこれも二人がドライなのではなく、荒船の意向に沿っているらしい。
「それと、自分で何でもできるくせに俺がやってやるとすげえ喜ぶのが可愛い」
「例えば?」
「この前はお好み焼きを焼いてやった」
 それは荒船が焼きたいだけでは……と村上は思ったが、口には出さないでおいた。それで東も喜んだようだし、双方楽しいならそれで十分だ。
「逆に嫌なところは無いのか?」
「あー、俺の世話焼こうとしてくるのはちょっとうぜえ」
 大抵のことは自分でできる故に、荒船は子供扱いされるのを嫌う。七歳も差があれば仕方ないような気もするが、東のそれは子供扱いというよりも。
「荒船に甘えてほしいんだろ」
「でもあの人隙あらば奢ろうとしてくるぞ。勝手に会計済ませとくのはマジでどうかと思う」
 一緒に外食する機会が他の隊員より段違いに多いのだろう。払う払わせないの衝突は一度や二度ではなさそうだ。年上だからと言われてもちゃんと自分で払いたい気持ちは村上にも少し分かる。
「でもそれだけなんだな、嫌いなところ。上手くいってるなら良かった」
「まあ色々あるけど、上手くいってるのはやっぱアレだな……
「アレ?」
 村上が首を傾げる。荒船は言い出しにくそうにもごもごと考えていたが、紅い顔と小さな声で呟いた。
「東さん、俺のことめちゃくちゃ好きだからな」
 照れながらも幸せそうな師匠を見て、弟子は彼らの心配など二度としてやるまいと思うのだった。

傾いた天秤(惚気話・東)

「東さん、一緒にメシ食いませんか」
「ああ、いいよ」
 思えば当真の誘いを軽々しく受けてしまったのが迂闊だった。

 席とってあるんで、と連れて行かれた先には穂刈、犬飼、そして半崎が既に座っていた。この時点では珍しい組み合わせだとしか思っておらず、特に警戒心は抱いていない。
 それぞれ食事を摂りながら雑談する。このメンバーだと狙撃手関連の話題が多く、各自繋がりの深い荒船にスポットが当たることもしばしばあった。というか、誘導されていたのだ。
「ところで東さん、荒船のことちゃんと好きなんですか?」
 犬飼の言葉でようやく自分が嵌められたと気付いた。ここは東にこれを聞くために用意されていた席だ。彼らから何か疑われているようだが、荒船からは付き合いに関して無闇に喋るなと言われている手前どう答えたものか。周りを固められて逃げることもできそうにない。論戦なら東に負ける要素は無いが、荒船が絡むと一気に弱体化する。
……荒船に何か聞いた?」
「いやいや、オレらが聞いたのは付き合うことになったって話だけ」
「話してるところも見ないから、本当に付き合ってるのかなって」
 にこにこと言葉で追い詰めてくる二人もまあまあ怖いが、それより遥かに恐ろしいのは黙って東を見ている荒船隊の隊員だ。せめて何か言ってほしい。
 ちなみに首謀者は穂刈と半崎、当真は東を捕まえる係、犬飼は野次馬である。
「付き合ってはいるけど、無闇に喋るなって言われてるからなあ」
 荒船が何も言っていないのなら東が勝手に言うべきではないのでは。東が躊躇う様子を見せると、穂刈が口を開いた。
「心配なんですよ、オレ達は」
 言葉にやたらと重みがあり、東の肩にずしりと乗る。
「隊長を何かに利用したり、圧力かけたりしてるわけじゃないですよね?」
「俺のイメージどうなってるんだ……?」
 穂刈も半崎も弟子でないにせよ悪い印象を持たれているわけではないと思っていたのだが、今の二人が東を見る目は疑いの色が濃い。
 怪訝な視線を送る二人とたじろぐ東の間に当真が割って入った。
「まー東さんがいい人だとは思ってますけど、自分とこの隊長が急に成人男性と付き合うって聞いたコイツらの気持ちも察してやってほしいんですよね」
 東も自分だったらと想像してみる。頼りになる未成年の隊長が何の前触れも無く七歳上の同性と付き合うと言い出したら、確かに何かあったのかと心配になるだろう。プライベートな話であるだけに本人にも聞きづらそうだ。
「急な話で悪かった。でも俺はちゃんと荒船が好きだし、そこは疑わないでほしい」
「じゃあ具体的にどこが好きか聞いていいですか!」
 こういうところで切り込むのは野次馬の役目である。彼らに話すと後で荒船に怒られるかもしれないが、この際仕方がない。
「すごく格好良いところかな。真面目で誠実だから芯がしっかりあるし、時々俺もときめくくらい男前なこと言うんだよ。大人びてるけど年相応に笑うギャップも良い。あと口調が荒いのは可愛いよな。好きだって自覚してから顔も綺麗だと気付いたし、知れば知るほど好きになるというか」
 語る東は至って真剣で、実に幸せそうだ。四人とも話を聞いて東が荒船をどれだけ好きかは理解できたが、今度は逆に東が愛されているのか心配になってきた。ちゃんと釣り合いは取れているのだろうか。
 つらつらと話すと止まらなくなる。東はまだまだ話せるが、そろそろまずい気がして一度ブレーキを踏んだ。
「まだ話した方がいい?」
「いや……疑ってすみませんでした……
 他人に喋ってしまえば四人も荒船に怒られるのだろうが、言いふらす気にもならないほどお腹いっぱいなのだった。

全てあなたのもの(吸血鬼)

「出張?」
「ああ。隣の国の支部で会議がある」
 日没間際、泊まり荷物の支度をしながら荒船はそう答えた。こう見えて百五十年以上は生きている。吸血鬼としては若いが、働く年齢としては十分すぎるほどだ。
「今時、会議くらいオンラインでできるじゃないか」
「会議だけで終わるわけねえだろ。向こうでしかできねえ仕事もあるんだよ」
 この家から国境は近い。吸血鬼の翼を使えばあっという間だ。今日の夜に出発して、明日の夜が明けるまでに帰ってくる。不在にするのも大した時間ではない。
「それを俺に言わなかったのは、連れて行かないから?」
「分かってんじゃねえか」
 もとより荒船は東に家のことを任せるつもりでいた。家を空けるとなると一泊でもそれなりの準備が必要だが、東を置いておけば何の不便もない。
「俺も連れて行って」
「駄目だ。たかが一泊だし、東さん連れて飛び回りたくねえ」
 人間より力があるからといっても、重いものは重い。僕ならば出張先で連れ歩いても文句は言われないだろうが、東には東の仕事もある。荒船に付いて行きたがるのは目に見えていたのでギリギリまで黙っていたのだ。
「なら食事はどうするんだ」
……
 問題はこれだった。荒船が困っているのは血の調達先が無いことではない。この従順な僕は、主人が自分以外の者から血を飲むのをひどく嫌う。
 何を言おうと所詮は僕。荒船がそれに従う必要は無いし、本気で命令すれば何でも言う通りに行動する。しかし荒船はひたすらに東の意思を優先していた。
「もしかして、他の誰かに貰うつもりかな」
 元人間の僕にもかかわらず、東は百歳以上も上の荒船を圧倒することがあった。東の腕に絡めとられてその目に見つめられると、どんな頼みも聞いてやりたくなる。荒船はなんと厄介な人間を僕にしてしまったのだろう。
「帰ってから、飲む」
 致し方なかったこととはいえ、自分の血を与えた存在だ。愛着も愛情もある。結局のところ、荒船は東に甘いのだ。
「丸一日飲まず食わずでいるつもりか? 長距離飛ぶのに」
「人間の燃費と一緒にするなよ。一日二日くらい余裕だ」
 東は東で、荒船が自分以外からは血を飲まないと信じて疑わない。そこには誰も入り込む余地のない信頼がある。
「そう。じゃあしっかり飲んでから行かないとな」
 東はそう言って荒船を強く抱き寄せた。その首筋は荒船のためにいつも晒されている。まだ食事を摂っていない吸血鬼にとっては非常に美味しそうな首元だ。
「貧血になるくらい飲んでやろうか」
「いいよ。荒船が欲しいなら」
 荒船の言葉は冗談交じりだが、東の方は冗談ではない。どれだけ東が上手く荒船を手玉に取ったところで、根本的には従者なのだ。東は荒船のためであれば何だって差し出す。そういう生物だ。
 無防備な首に荒船が牙を立てる。東は嬉しそうに口元を歪めた。

ゲームをしよう(年齢逆転)

 逃げ切れるはずだった。今シーズンが終われば前線からは引退する予定で、残りはあとほんの数試合。直接戦う機会は一回か、運が良くて二回だけ。その機会が今日だ。今日さえ乗り切れば終わりだったのだが、残念ながらその希望は儚く散った。

 そもそも荒船は専門の狙撃手ではない。だが東はなぜか荒船に興味を持ち、何かある度に話しかけてくる。少し観察すればその理由も簡単に分かる程度に、荒船は大人だった。
 事の発端は前のランク戦シーズンが始まった頃だった。
「荒船さん、連絡先教えてくれませんか」
「支給端末で連絡できるだろ?」
 そう言うと東はあからさまに顔をしかめて、そういう意味じゃないと目で訴えてきた。そんなことは荒船も分かっている。わざとやっているから東も怒るのだろう。
「下心がある奴に個人の連絡先は教えねえよ」
 だから、荒船もはっきり言い切った。諦めの悪い相手には結局こうするのが一番効果的なのだ。
「どうしてですか」
「お前なあ……もし逆の立場だったら高校生と付き合えるか?」
……まだ高校生なので分かりません」
 東は賢い。だがまだ若い。分かっていないフリがバレバレだ。ならば荒船としては大人しく引き下がってほしいものだが、それができないのが若さなのだろう。荒船にも気持ちは分からないでもない。
「じゃあ、チャンスをやるよ。お前が俺をベイルアウトさせられたら、個人の連絡先を教える」
 ルールは簡単。チームランク戦で荒船が東のポイントとして落とされれば条件クリアだ。東もそれで納得し、以前にも増して真剣にランク戦に取り組むようになった。

 この時点で荒船は次のシーズン終了と同時に戦闘員を引退すると決めていたが、東には伝えていなかった。東がそれを知る頃には手遅れになっている寸法だ。期限の話をしなかったのもわざとである。ずるいと言われようが荒船は東を諦めさせるつもりであり、逃げ切る自信もあった。上手くいくはずだったのだ。

 だが、東は荒船の想像より遥かに優秀だったらしい。
「約束、守ってくださいね」
 反省会が終わって解散した後、東はわざわざ荒船の部屋に来て嬉しそうにそう言った。普段は滅多にそんな笑顔を見せないというのに。
 それでも約束は約束。荒船は仕方なく個人用の端末を取り出して画面を見せた。
「ほらよ。ったく、前シーズンから腕上げすぎだろ」
「練習したので」
 ベイルアウトするまで、荒船は東がどこから撃ってきたのかも分からなかった。絶対にここしかないという場所とタイミング。狙撃手としては完敗だと感じた。
「あと少しだったんだがなあ」
 東の腕も、荒船の動きも、このシーズンも。本当にギリギリのところで噛み合ってしまった。荒船の見立てが甘かったといえばそれまでだが、東の執念も相当だ。
「まさか、逃げ切れると思ってたんですか?」
「は?」
「連絡先がダメでも、俺は荒船さんを諦めませんでしたよ」
 東は薄い笑みを浮かべながら荒船にじりじりと近付いていく。
「というか、連絡先くらいで満足するような人間じゃないです」
 荒船が身の危険を感じた時には、既に背後は壁のみだった。残念なことに東は荒船より背が高く、あっという間に追い詰められる。
「また連絡しますね」
 楽しそうなその表情は高校生そのものだというのに、その目の奥は計り知れない。荒船はようやく自分の認識の間違いに気付いた。これは最初から、荒船がいつ落ちるかのゲームだったのだ。

別世界の人(モブが出張る話)

 二月も終わりに差し掛かったとある登校日、荒船は放課後に同じクラスの女子から呼び出された。こんなあからさまな状況で、何を言われるか分からないほど鈍感ではない。
「私、荒船のこと好きなんだよね」
 荒船には既に恋人が居る。だがその相手は学校外の人物で、年も離れており、ついでに男だ。彼女が把握しようもない。
 常識的に考えれば即座に断るべきだろう。しかし、迫る卒業の二文字が荒船を慎重にさせた。
「返事……次の登校日まで待ってもらっていいか」

 荒船も、別に彼女と付き合うつもりはない。荒船の恋人は東だけであり、東を蔑ろにするつもりもない。問題は別のところにある。
 彼女は女子の中では仲が良い方だ。同じ委員会で、割と話も合う。良い友達だと荒船も思っている。だからこそ、その場で断るのは憚られた。年上の男と付き合っているだなんて、流石にショックが大きいのではないかという計算が働いた。
 告白してきたのは荒船達がもうすぐ卒業するからだろう。荒船とは別の大学に行くことが決まっているのだし、伝えるだけ伝えてすっきりしたかったという可能性も考えられる。いずれにせよ、お互いに色んな意味で昂っている頭を冷やす期間が必要だと思ったのだ。

 そして迎えた次の登校日、今度は荒船が彼女を呼び出した。
「悪いけど、お前とは付き合えない」
「うん、なんかそんな気がした。保留にされた時点で」
 彼女の反応は意外にもあっさりとしていた。無論、残念に思っていないはずがない。彼女の態度はありがたくもあったが、申し訳なさは拭いきれなかった。
「理由は……聞いてもいいのかな」
 聞かれれば正直に答えようと荒船は決めていた。それが彼女に対する精一杯の誠意だ。
「付き合ってる人が居る」
「そっか。それってボーダーの人?」
「ああ」
 やっぱり、と彼女は納得したような顔をする。校内の誰かならばどこかで噂にもなるだろうが、ボーダーは一般市民にとってほとんど謎の組織だ。彼女からすれば、何も感じ取れなくて当然ということだろう。
 だが次の言葉で荒船は目を剥く羽目になる。
「男の人だったりして」
「⁉」
「うそ、当たり? あーでも、ちょっと分かるかも」
 彼女はそれ以上何も追及しなかった。わだかまりが小さくなり、すっきりとした顔で笑う。付き合うことはできないが、彼女のような人から好きになってもらえたのは純粋に嬉しかった。
 荒船はなんとなく、彼女とは今後も良い友達でいられそうな気がした。

「荒船、同級生の女の子に告白されたらしいな」
……東さんの情報網どうなってんですか?」
 後日、東からいきなり切り出され、荒船は驚きを通り越して呆れてしまった。荒船は誰にも言っていないはずなのだが。知られたくないことばかりなぜか東の耳に入ってしまうのだから厄介だ。
「しかも一回保留にしたって聞いて、俺がどれだけ焦ったか分かる?」
「ちゃんと断りましたよ。近い友達だったから慎重になっただけで」
 ボーダーだけが荒船の世界の全てではない。そんなことは東も分かっているし、東にだってボーダーの外にコミュニティがある。自分の恋人が近しい人を大切にできる人間であるのは喜ばしくもあり、同時に寂しさを感じてしまった。東は荒船のこととなると驚くほど余裕がなくなる。
「お前がそういう奴だって分かってるけど、あまり不安にさせないでくれ」
 そもそもこの一件が東の耳に届いているところがおかしいのだが、荒船は反論しないでおいた。東が今求めているのはそんな正論ではないのだから。
「大丈夫ですよ。俺の恋人は東さんだけですから」

優先事項(ラブラブ)

「荒船さん、東さんって今日は本部に来てますか?」
「ああ、来てるぞ。会議って言ってたから、急ぎなら会議室の前で張っとけ」
「ありがとうございます!」
 これはボーダー本部内で時々見られる光景だ。東と荒船が付き合っていることは大体の隊員が知るところであり、東の現在地が分からない場合の情報源として利用されている。
 本人は至って穏やかな人物だが、十代の隊員と年が離れていることや元A級一位の肩書きが原因で気安く話しかけられないと感じる隊員は多い。
 荒船は荒船で年下から怖いと思われることも多いのだが、話せば面倒見のいい兄貴肌だ。それに何より、東の予定を誰より詳しく把握している。
 東本人に連絡がつかない場合もままあるため、総合的に考えて荒船に聞くのが楽で手っ取り早いと皆が学習していった結果が現状である。
「今日も便利屋やってるねえ」
「便利屋ってなんだよ」
「東さんのスケジュール連絡係」
 隣に座っていた犬飼がやれやれと溜息を吐いた。
「もうカレンダーに全部書き込んでボーダー皆に共有したら?」
「東さんにもプライバシーがあんだろ」
「でも恋人なのに、空いた時間を他の人で埋めさせちゃって虚しくならない?」
 聞き分けが良いというよりも、必要だと思っているからそうしているだけだ。しかし、犬飼の言葉は荒船の胸に刺さった。自分の手で恋人の時間を他人に使わせている。もちろん会議や指導は大事だが、そこまで重要でないものも詰め込んでしまってはいないか。荒船はふと振り返った。

 翌日。犬飼の言葉が引っかかっていたこともあり、荒船は無性に東の顔が見たくなった。そろそろ任務から戻る頃だろう。東隊の部屋の前まで行くと、案の定いま戻ってきたところだった。
「荒船、どうしたんだ?」
 恋人の顔を見て顔色が明るくなり、それだけでも荒船の心が軽くなる。東は奥寺と小荒井を先に部屋に戻して立ち止まった。あわよくばデートの約束でも。そう思って荒船が口を開きかけた瞬間、後ろからの声に全てリセットされてしまう。
「おーい、東さん」
 振り向いた先には、任務から戻ったばかりらしい諏訪の姿があった。うきうきと小走りで近付いてくる時点で用件はおおよそ予想できる。
「今から空いてるよな? 打とうぜ。冬島さんと太刀川にも声掛けてあるし」
 諏訪が誘っているのは無論麻雀だろう。東がしばらく麻雀に参加していないことは荒船も知っている。そろそろ行きたくなってくる頃だろうとも予想はつく。だが。
「空いてねえよ」
「え?」
「ああ?」
 諏訪の言う通り、今日の夜に東の予定は無い。いや、無かったという方が正確だろう。
「今日は俺のだ」
 そう言って荒船は東の腕を掴んだ。いつも散々人に譲っているのだ。荒船だって恋人の時間が欲しい。そんな思いを乗せた視線で恋人を睨む。まさか諏訪の誘いに乗るつもりかと。
 あの荒船が、人前で独占欲を剥き出しにしている。そんな珍しい姿を見ては東も応えないわけにはいかなかった。
「そういうことだから、悪いな」
 麻雀と恋人、天秤にかければどうしたって後者に傾く。東だって荒船との時間が足りなかったのだ。そんな二人を見せつけられて、舌打ちせずにはいられないのが諏訪である。
「チッ……おサノを入れるか」
「未成年に夜更かしさせるなよ」
 アンタもな、と吐き捨ててから諏訪は二人に背を向けたのだった。

掌の上(裏社会)

「俺アンタを捕まえに来たんだけど、なんでこんなことになってんだ?」
「いやあ、タイミングが悪かったな」
 荒船は特殊部隊の一員として、このマフィアの重鎮である東春秋を捕らえにここへ来ている。アジトを突き止め、仲間と共に突入したところまでは良かったのだが、突如別のギャングが盛大に乗り込んできた。現場は混乱を極め、荒船は撤退中に仲間とはぐれた……というか、この男が混乱に乗じて荒船だけを攫ったのだ。手錠を奪われて逆に拘束され、今は何故か東の隣に座らされている。
(他の皆は無事に退避できてりゃいいが……
 もちろん全員武装はしているが、三つ巴になる想定はしていない。そもそも二日後に抗争相手が殴り込みをかけるという情報を得たから、その前に捕えようと考えて今日を選んだのだ。この状態では逮捕も何もあったものではない。せっかく拠点を突き止めたのに、また一からやり直しだ。
「まあ、お茶でも飲んでゆっくりしていけよ」
「人をお茶に誘いたいなら、まず銃弾が飛んでこねえ場所を選べよ」
 手錠のかかった両手は後ろに回されていて、鍵は東のポケットの中。決して強がれる状況ではないが、東に敵意が無いことは知っていた。
「そう言うな。お前のために良い茶葉を手に入れたんだ」
 まだ壊れていないローテーブルの上には、喧騒に似つかわしくないティーセットが置かれている。荒船のためと言う割にティーカップは一つしかない。東がそこにポットの中身を注ぐと、確かに良い香りがした。ここが埃と硝煙の匂いに満ちていなければ最高だったのだが。
 少し冷ましてから東がカップに口を付けた。いい趣味してやがると荒船が心中で悪態をついていると、その顔が急に近付いてくる。
「⁉」
 以前からやけに荒船に絡んでくる男だった。しかしいきなりキスをされるとは流石に思わないだろう。荒船は顔を上向かせられ、上から温かい液体を口移しされる。意味が分からなくて暴れだしたくなるが、それを許す相手ではない。流れ込んでくるお茶の味など分かるわけがなかった。
「何、すんだ、てめえ……!」
 少し気管に入り、荒船は噎せながら東を睨む。東は涼しい顔をしたまま、荒船の質問には答えない。
「俺は、この街を平和にしたいと思ってるんだよ」
「あ?」
 マフィアの台詞ではないが、その目は妙に真剣だ。
「だからまだ捕まるわけにはいかなくてな。でもそんな遠くには逃げないから心配しなくていい」
 それは自分を捕らえようとしている相手というよりも、大切な恋人に対しての言葉に聞こえた。生憎、荒船は東の恋人ではないのだが。そんなことを考えていると、下から爆破音が聞こえて部屋が小さく揺れた。
「そろそろ時間切れかな。お前も手ぶらでは帰れないだろうから、アジトを見つけたご褒美に良い物をあげよう。地下の隠し扉を調べてごらん」
「は⁉」
「じゃあな。次はもう少し良い場所を選ぶよ」
 東はそう言うと手錠の鍵と紙の切れ端を荒船のポケットにねじ込み、ついでに頬にキスをしてから離れる。窓から出て行った東の気配はすぐに消えてしまった。
 ほどなくして全ての銃声が止み、一息おいてから集団の足音が聞こえる。仲間が戻ってきてようやく荒船は手錠を外してもらえた。

 言われた通りにするのは癪だったが、確かに手ぶらでは帰れないので荒船らは隠し扉を探し、そこから金庫を持ち帰る。暗証番号は荒船のポケットの紙切れに書いてあった。中身は重要書類だらけだったが、一つだけ新しい手紙が混ざっている。なんとなしにそれを開いてみると、荒船の怒りが即座に沸点まで到達した。
(あのクソ野郎……!)
 たまたま開いたのが荒船でよかったと心底思う。それは東から荒船に宛てたラブレターだった。

子供であっても(喧嘩)

 東が大学から本部に到着すると中は妙にざわついていた。そして不思議なことに、東に気付くと気まずそうに視線を逸らす隊員が多数。身に覚えはないが、異様な雰囲気に耐えかねてその内の一人を捕まえた。
「やけに騒がしいけど、何かあったのか?」
「ええと、その……荒船さんが、不審者に刺されたって」
 結果的に言えば、その話は一部正確ではなかった。話の途中で走り出すからそんな勘違いをするのだ。自隊の部屋で寛いでいた荒船を発見した時、東は心臓が止まるかと思った。

 不審者は荒船が本部に向かうところを尾行していたらしい。荒船も途中で気付き、立ち入り禁止区域に入る手前で警告した。すると相手は急にナイフで切りつけてきたのだが、荒船は既に換装していたので傷ひとつ負っていない。流石に放置するわけにいかず、本部と警察に連絡して犯人は連行、荒船も少し前に事情聴取から戻ってきたばかりだ。
 事が終わってから話はボーダー内に広まった。その過程で省略されたり間違って伝わったりした部分があり、東の耳には「荒船が刺された」という情報のみが届いてしまったのだ。
「無事でよかった……犯人に面識は?」
「警察の話だと、二週間前くらいに俺が行ったレンタルショップの店員らしいです」
 犯人はボーダーに否定的な活動をしていた。荒船を狙ったのはたまたま会員カードで名前を知り、正隊員リストで同じ名前を見つけたからだそうだ。
 二週間前。その言葉を聞いて東は固まった。そこから尾行に至るまでの間、犯人が何もしていなかったとは思えない。
「じゃあ、結構前から目を付けられてたってことか?」
「みたいですね。確かにここ一週間くらい視線感じてましたし」
 東は言葉も失ってしまった。一週間も誰かに見られていると感じていながら、少なくとも東にはそれを一切知らせていない。荒船の無事が判明した今、東の意識は連絡が無かったことに向いた。
……どうしてその時点で教えてくれなかったんだ」
「教えてたら何か変わったとは思えませんけど」
 荒船は視線の意図までは気付かなかったし、ここ一週間ほど東は忙しそうにしていた。相談したところで様子見になった可能性は高い。だが東はそうは思っていないようだ。
「俺は頼りにならないか」
「んなこと言ってねえだろ。東さんには関係ねえから巻き込みたくなかっただけだ」
 食い下がる東に荒船が苛立ち始め、口調が荒くなってきた。今この話は必要か。そんな意図が滲み出ている。
「それでも、相談くらいしてほしかった」
「どこにそんな暇があったんだよ。ここ最近メッセージ送っても夜にならねえと読んでなかったじゃねえか」
「時間くらいどうとでも作るさ!」
 会えない時間が長かった分、苛立ちも上積みされる。こんな喧嘩をしたかったわけではないのに感情が止まらなかった。頼られたい時に選択肢から外される自分にも腹が立つ。
「心配だって言えば何でも話してもらえると思うなよ。過保護にされんのは好きじゃねえって知ってんだろ」
「!」
 荒船は何もできない子供ではないし、自分が何をできないかはよく理解している。大人にだってできないことがあるのも知っている。
 今回の件は荒船ができる中で最善の対処だっただろう。本当はそこを評価して本人の無事を喜ぶのが大人の対応というものだ。しかし恋人の危機と聞いて、東は根本的な所で冷静さを欠いていたのだと思う。
「何を聞いてきたのか知らねえけど、慌てすぎなんだよ。頭冷やしてきてくれ。今は……あんまり顔見たくねえ」
 拒絶の言葉を聞いて東の勢いが削がれた。
……ごめん」
 そう言うと東は大人しく部屋を出ていった。足音が遠ざかり、荒船は深く溜息を吐く。言い過ぎてしまったと荒船も思ってはいるのだ。傷付けたかったわけではないが、ただでさえ敵意を向けられてささくれだっていた心に東の我儘を受け止める余裕は無かった。
 感情的にはなったが、荒船も東もじきに頭が冷えるだろう。一人の時間はとても長く感じられた。


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