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蔵水SSまとめ①

全体公開 13945文字
2022-06-02 09:40:06

蔵水 2021年11月5日投稿

Posted by @saeki_f

来月まで待ってて(バレンタイン)

 二月十四日のボーダー本部は人口密度が高くなる。招集をかけられてはいないが適当に理由をつけて来た者、世話になった人にお礼をしたい者、仲の良い隊員と会う約束をしている者。
 一方の水上はそのいずれにも属さない。生駒隊の任務が入っているのでいつも通り本部に来て、ああ今日はそういう日だったと気付く始末だった。

「はあ~、任務があって逆によかったわ。この空気に耐えられる気がせえへん」
 任務を終えて隊室で寛いでいると、生駒が伸びをしながらそう零した。本部内はどこかそわそわとして、いつもより空気が甘酸っぱい。
「イコさんもさっき加古さんから貰てたやないですか」
「あれはA級の女性陣から各隊に渡しとるんや。水上の分もあるで」
「おっ、そらありがたいですね」
 生駒から渡されたのは、水上も知っているメーカーのチョコレートだった。男女関係なく正隊員全員に渡しているそうだが、これはA級の財力あってのことだろう。
「義理だと分かってても嬉しいもんやなあ」
 水上が貰ったのはこのA級からのものと、朝に細井から貰ったものの二つだけ。別に期待もしていなければバレンタインであることさえ忘れていた身だが、生駒の言う通り貰えるだけでも嬉しいものだ。

 今日はこれで解散となった。他に用事も無いため、水上も早々に帰路に就く。
(用意するの忘れとっても怒らんやろうけど……がっかりするやろか)
 バレンタインを思い出してからずっと、水上は恋人に何と言おうか考えている。そもそも二人とも男性であり、チョコレートを渡すという発想が薄かった。だが恋人であるのも事実で、渡せるものなら渡しておきたかった気持ちも今更ながらある。
 なんにせよ忘れてしまったものは仕方がない。今日は相手が本部に居るかも分からないので、帰るという結論に至ったのだが。

「水上!」
 本部を出ようとしたところで水上を呼び止めたのは例の恋人だったのである。後ろめたさもあり、つい体を強張らせた。
「蔵っち……
「会えてよかった。渡したいものがあるんだ」
 今日このタイミングでそんなことを言われるとドキリとしてしまう。まだ言い訳も心の準備もできていない。
「これを王子から預かってて」
 手渡されたのは古文の教科書。金曜日に王子に貸して、そのまま持って帰られてしまったのを思い出した。拍子抜けするやら安心するやらで、水上の肩の力も抜ける。
「おおきに……って、なんで蔵っちがこんなことしてんねん。自分で返しに来いや」
「いや、俺が王子に頼んだんだ。代わりに行かせてくれって」
 そこで水上はようやく、蔵内が紙袋を持っていることに気付いた。思いがけず視野が狭くなっていたらしい。教科書を返すのはただの口実なのだ。
「よかったら、受け取ってくれないか」
 蔵内が差し出した袋には、小さいながらも高級感のある箱が入っている。水上は初めて見たが、これが本命用というやつだろう。
「えっ……ええの?」
「用意するか迷ったんだが、やっぱり渡したかったからな」
 性別のことや雑念は一旦横に置いて、蔵内は水上に渡したい気持ちを選び取ったのだ。その事実だけで水上の心は花が咲きそうなほど舞い上がった。
 貰えるだけでも嬉しいが、好きな人から貰うのはまた別次元だと身を以て理解する。チョコレートに乗せる気持ちは人それぞれあれど、それを「伝える」ことの重要性を知るバレンタインとなった。

「俺すっかり忘れててん。来月ちゃんとお返しさせてもらうわ」
「気にしなくていいのに……でも楽しみにしてるよ」
 今度は決して忘れないよう、水上の一ヶ月後のスケジュールに予定が書き込まれた。

正反対(正直者×嘘つき)

「アステロイドと言ったらアステロイドが出るんだが、どうすればいい?」
「は?」
 蔵内の真剣な表情に対して、水上は間の抜けた声しか上げられなかった。
「いや当たり前やん。何言うとんの?」
「水上は口で言ったのと別の弾を撃てるだろう? 真似しようと思って訓練室で何度か試してみたんだが、どうしても撃てなくて」
「ああ、そういうこと」
 言い分を聞いてやっと意味を理解した。それを水上に言ってくる理由も。
 昨日のB級ランク戦、水上は密かに温めていた「口で言うのとは別の弾」を初めて披露し、射手界隈でちょっとした盛り上がりを見せていた。蔵内はそれをもろに喰らった筆頭である。
「うーん、確かに蔵っちには向いてへんかもなあ」
「向いていないというのは?」
「蔵っちは正直者やん。ああいうのは頭で考えながら口だけ別のこと言えるような、ひねくれ者の小技やねん」
「そうなのか……
 それを聞くと蔵内は残念そうな顔になった。できることを増やしたい気持ちは水上にも分かるが、おそらく蔵内には難しいだろう。真面目で正直な人間には本当に向かない芸当だ。
 しかしそれで切り捨ててしまうのもどうかと思ったので、水上はフォローを入れておく。
「しかもアレ、ボーダーのネーミングやから近界民には効果無いしな。使えるんはランク戦だけやで」
 訓練では使えるが実践では使えないということは水上も承知の上だった。ランク戦を勝ち上がるためだけの技術だ。褒められるほどのものではない。
 説明を聞いた蔵内は、残念ではあるものの納得はしたという反応を見せる。しかし話はそこで終わらなかった。
「水上はひねくれ者なのか?」
「それツッコむ?」
「突っ込む」
 水上にとってそれは改めて確認するまでもないことだ。嘘つきでひねくれていて、ノリは良いが簡単に本心を見せない。友達との関係が悪いわけではないのだが、他人からもそういう性格だと見られていると認識している。蔵内がそう思っていなかったのが不思議なくらいだ。
「そらそうやろ。ハッタリとかよう使うし。真面目で素直な蔵っちとは正反対やな」
……水上は俺をそんな風に思ってたんだな」
「?」
 そう言う蔵内は何かを考えているようで、言葉の真意を掴みかねた。ついでに言えば感動屋なところも水上とは逆だ。
「でも俺は、水上がそこまでひねくれてると思ったことはなかったよ」
 言われて水上もふと考えた。不思議に思ったからではなく、水上にも思い当たる節があったからだ。蔵内と話をする時だけはなぜか毒気が抜けるというか、リラックスしているような気がする。
「ああ……確かに蔵っちとおる時はあんま肩肘張っとらん気ぃするわ」
 蔵内は誠実で、嘘をついたりしないという信頼がある。それが水上のガードを緩めているのかもしれない。いや、水上だけでなく他の誰もがそう感じているから生徒会長なんて肩書を持っているのだろう。水上の持ちえない美徳だ。
「つまり、気を許しているってことか?」
「まあ、そういうことやな」
「それは水上にとって特別か?」
「おっ……おう、せやな」
 蔵内はそれを聞くと嬉しそうに笑う。改めて言われると照れるものだが、肯定せざるを得ない。つい頷いてしまうのも相手が蔵内だからだろう。認めてしまうと意識してしまう。少なくとも今、水上にとって蔵内は「ただの友達」から「特別な友達」にカテゴライズされた。
 狙ってやっているわけではないのだろう。だからこそ蔵内の言葉は水上に刺さりやすい。この感情がどう変化していくのか、この時の水上はまだ知らなかった。

おいしそう(狼)

 水上が蔵内と一緒に帰ろうと王子隊の部屋へ向かうと、ちょうど部屋から出てくる隊員と鉢合わせた。
「荒船やん。王子か蔵っちに用事か?」
「ああ。会長にトリオン弾の仕様について質問してた」
 蔵内はトリオン弾の仕組みについて詳しい。戦闘センスに関しては二宮や出水が突出しているが、理論的な話をするなら間違いなく彼だ。荒船が木崎を目標にしていることは水上もなんとなく知っていたし、どんな話をしていたのか概ね想像がつくのだが。
「それはエンジニアに聞いた方がええんちゃう?」
「会長に聞きたかったんだよ」
「自分らホンマ蔵っちのこと好きやなあ」
 六頴館に通う生徒は蔵内に対する信頼が非常に厚い。目の前の同級生もその例に漏れず、何かある度に相談しているようだ。尊敬される生徒会長だということは校外の人間でもよく分かった。ただ成績優秀なだけではこうはいかない。
「まあ、会長は紳士だからな」
「紳士……
 荒船の言葉を呑み込む前に、水上は少し考えるポーズを取った。
「なんだ、恋人の前では違うのか?」
「いやいや、確かにぴったりな言葉やなあて思ってん」

 確かに蔵内は優しい。しかしそれだけではない。他の人が知らないのも仕方のないことではあるが。
「ん……ぅ」
「は、あ」
 風呂上りの湿った唇は長いキスによって塞がれていた。蔵内が退屈しないようにと点けておいたテレビから何か声が聞こえるが、何を言っているかは聞き取れない。手探りでリモコンを見つけ出し、電源を落とした。
(今日、するつもりやな)
 水上もすっかりその気分になっていた。別に蔵内を家に呼んだ時がいつもこうなのではない。男子高校生らしく夜中まで遊んで昼過ぎまで寝ることもあれば、次の朝のことを考えて計画的に過ごすこともある。どちらかの気分が乗らなければ無理強いはしないのが思いやりというもの。だが今のところ、どちらかが誘ってもう片方が断ったことはあまり無い。
「水上、いいか?」
「髪……まだ乾いとらんのやけど」
「そうだな。でも待てない」
 基本的に優しい蔵内だが、この時だけは狼だ。背中を引き寄せる腕は少しばかり強引で、水上は待たせてしまったことを小さく詫びた。
 同級生も家族も隊員も、蔵内のこんな顔はきっと想像したことさえないだろう。誰も知らない、自分だけの男。そう思うと自然と水上の口元が歪む。
「どうした?」
「優越感に浸っとっただけ」
「?」
「紳士な蔵っちが今こんな顔もできるなんて、誰も知らんやろ」
 思ったことを率直に伝えるのは水上の柄ではないのに、つい勢いで零してしまった。そうさせるだけの安心感が蔵内にはある。
 蔵内は一瞬だけ不思議そうにしていたが、すぐに柔らかく笑った。
「それを言うなら、水上もじゃないか?」
「え、俺なんか変な顔しとる?」
……おいしそうな顔」
 そう言って舌なめずりする蔵内の顔を、水上はしばらく忘れられそうにない。

少しだけ(嫉妬心)

 インターホンが鳴った。今日は蔵内が遊びに来ている。久し振りのデートだ。他に来客の心当たりは無いが、水上は玄関へ向かった。
「水上、マリオちゃんの実家から差し入れや」
 扉を開けるといきなりそれである。袋を差し出す生駒の隣に、なぜか隠岐も立っていた。
「なんでイコさんと隠岐が?」
「今日はマリオ出かけるんで、箱ごと渡されて配っとくように言われたんですよ」
 言われてみればそうだった気がする。受け取った袋の中には何種類か野菜が入っていた。こうして差し入れを隊のメンバーで分け合うのはよくあることで、水上もよく同じことをする。
「ところで今からウチでゲームせえへん? 海来とるし、あと一人で四人揃うんやけど」
「いやいやいや、蔵っち来とんの見えてます?」
「あっホンマや! こらお邪魔しました~」
 蔵内は奥から玄関の様子を窺っていて、二人は目が合うや否や挨拶もそこそこに退散していった。

「すまんな蔵っち。うちの隊やかましいやろ」
「仲が良くていいじゃないか」
 生駒隊を眺める蔵内は、大抵孫を見る祖父のような表情をしている。ただ今日はその笑顔に僅かな翳りが見えた。
「でも、生駒隊の皆が羨ましいな」
「羨ましい? どこが?」
「用事が無くても一緒に居られるし、すぐ会いに行けるだろう?」
 水上は蔵内の言葉を咀嚼する。これは水上に対する言葉だ。用事が無くても一緒に居たい、すぐに会いに行きたい。裏返せばそういうことだろう。
「え、ヤキモチ? めずらし」
……俺もそう思う。二人で過ごせるのが久し振りなせいかな」
 蔵内は大人びていて物分かりが良く、我が儘など言わない。それが一般的な蔵内に対する認識であるし、実際ほとんどその通りだ。しかし水上の前でだけは少しだけ違う。そんなところは年相応で、水上としてはどこか安心する部分でもある。
「ああ、そういえば」
 デートの頻度を決めているわけでもなく、気付けば前回からは随分と日が空いてしまった。今日は蔵内の方から家に遊びに行きたいと言い出したのだ。
「先週もその前も、隊の皆で集まったらしいな」
「あー、それはイコさんの誕生日会と準備で」
「平日もあまり会えなかったし」
「か、課題が多かってん……
 水上は事実を言っているだけなのに、言い訳をしている気分になってくる。意図的ではないにせよ、確かにここ最近は他のことを優先していた自覚があった。
……いや、誰よりも優先してくれなんて言うつもりはないんだ。ただ本当に少しだけ……寂しかったから」
 恥ずかしくなってきたのか、蔵内は口元を手で覆って視線を落とした。可愛らしい嫉妬心に水上も思わず頬を緩める。生駒たちには悪いが、今日は恋人が最優先だ。
「はあ~、蔵っちはずるいな~」
「?」
 蔵内がこんな風に気を許して小さな我が儘を言う相手は、きっと水上だけだろう。そういうところがずるいのだ。
 水上は感情に衝き動かされるまま、蔵内の肩に頭を乗せた。

邪魔しないで(独占欲)

 水上がラウンジに入ると、蔵内が犬飼と荒船に捕まっていた。二人で待ち合わせをしてこれから買い物に行く予定なのだが。
「すまん、待たせてもうた。ほれ蔵っち返して」
「やだー! この問題解き終わるまで行かないで会長!」
「俺もまだ会長に聞きたいことがある」
 犬飼も荒船も引き下がる様子を見せないどころか、両側から蔵内の腕に縋る。三人で宿題をしていたらしい。
「オイ、先に約束しとったんは俺の方やぞ」
「え~? 会長は皆の会長でしょ」
「そうだぞ。お前ばっかり独占して」
 二人が独占禁止法違反だなどと野次を飛ばす中、蔵内は申し訳なさそうに腕を解いて立ち上がった。
「悪いが、約束の時間なんだ。また学校で」


「蔵っちはモテモテやな」
「ありがたいことに」
「少しは否定せえ」
 本人も自覚するほど明らかな事実だ。六頴館の二人は水上の言うことを聞かないくせに、蔵内の言葉ならばすぐに従う。普段の行いの違いだとは思うが、この恋人は些か好かれる範囲が広すぎる。水上としてはやや複雑だ。
「でも別に残ってもよかったんやで。約束はしとったけど別に大した用とちゃうし」
「大丈夫だよ。二人とも学校で会えるけど、水上とは会えないから」
 そんな話をしながら本部の建物を出る。周囲に人影はほぼ無かったが、二人の左手から歩いてくる人物が居た。
(あ)
 隠岐が声を上げるほんの少し前に、蔵内の方が隠岐に気付く。隠岐はちょうど手を振ろうとしていたが、視線がぶつかって一瞬だけ動きが止まった。
 蔵内は顔をほとんど前に向けたまま視線のみを隠岐の方に流し、人差し指を当てながら唇だけで話しかける。
(ダメだよ)
 その横顔があまりに美しくて、隠岐は思わず足を止めた。蔵内のあんな顔は見たことがない。
(うわあ、アレは近寄ったらアカンやつや)
 あれは二人の時間を邪魔するなという意味だろう。蔵内に気圧され、隠岐は口を閉じ手を下げる。
 蔵内は視線を前に戻したが、その手は隠岐に見せつけるように水上の手を捕らえた。
「え、どしたん?」
「たまにはいいだろう? 駅までだから」
……しゃーないなあ」
 周りの人間は水上が蔵内を独占していると思っているが、蔵内が水上を独占しているのだ。同じように見えて実は全く違う。おまけに、水上の方はその自覚が無い。
 水上は隠岐に気付かなかったようだ。蔵内がほぼ完全に視界を塞いでいたせいだが、二人の立ち位置が反対だったらどうなっていたのだろう。隠岐としてはあまり想像したくない。あの優しく真面目な生徒会長が執着心を抱くなど、並大抵のことではないのだ。
(先輩、えらい人に好かれてもうたなあ……でも先輩も割とめんどいところあるし、結局お似合いなんかなあ)
 偏っているように見えて、意外と釣り合っている二人だと思う。周りに迷惑をかけているわけでもないのだから、わざわざ口を挿むことではない。
 離れていく後姿を眺めながら、隠岐は短く溜息を吐いた。

今ここに居るだけで(勝利)

「どうしたんだ、険しい顔して」
「蔵っち」
 顔を上げた水上は、蔵内に気付くと眉間の皺など無かったかのように表情を明るくする。
「この一局、なかなか先が読めへんのや」
 そう言って手元の端末を蔵内の方に向けた。将棋の中継を見ていたらしい。
「ああ、なら邪魔したな。悪い」
「いや、大丈夫やで。ついさっき一手進んだばっかりや」
 思考の邪魔にならないかと蔵内が心配するものの、水上はどうぞと隣の席を勧めた。自惚れかもしれないが、蔵内は水上から随分と気を許されていると感じる。
「水上は将棋でプロを目指してたって言ってたよな」
「そういや蔵っちには言うたなあ。中学くらいまでの話やけど」
……どうしてそれを辞めて、ボーダーに来たんだ?」
 今聞くべき話か迷った。そもそも視聴の邪魔になるし、改まった場でもない。蔵内にしては少し軽はずみな質問だ。しかし今、それを聞いてみたいと思ったのだ。
 地元から遠く離れた土地にまで来て、将棋と何の関係もない活動をしている。しかし将棋に対する愛着はいまだしっかりと水上の中に存在しているように見えた。ならばなぜと問わずにはいられない。
「俺は多分、そこまで勝つことにこだわらんタイプやと思ったんや」
 突然のプライベートな質問にも水上は嫌な顔をせず、手元の画面に視線を向けた。
「もちろん勝つんは嬉しいで。でも負けても悔しくて眠れへんようなことはなかったんや。プロになるなら勝たなあかんけど、それが義務になるんなら向いてへんかもしれんて考えとった。そんな頃に近界民が来たんや」
 四年前の大規模侵攻。当時水上は三門市に居なかったが、そのニュースは日本どころか世界中に伝わった。ボーダーという組織が表舞台に立った日でもある。
「アレには勝たなアカンやろ。そう思ったんが自分にとっては結構な衝撃やった。そんでボーダーっちゅうやつに興味が湧いてなあ」
「確かに、隊員募集も始めてたしな」
「三門は遠いなあ思てたら、向こうからスカウトに来るやん? 試験も通ったし、ええ機会やったんや」
 水上はさらりと言った。将棋を嫌いになったわけではなく、近界民の襲来という大きな流れに身を任せたのだろう。それはとても。
「なんというか、水上らしいな」
「せやろか?」
 自分に向いていること、向いていないこと、そしてやるべきこと。水上はいつも何かに囚われることなく判断を下している。
「ああ。格好いいと思う」
 蔵内はふと、自分が三門市に生まれていなかったらボーダーに入っただろうかと考える。仮定の話にあまり意味は無い。しかし蔵内にはできなかったかもしれない決断をしたこの友人が、とても格好よく見えた。
「まあ結果的にも来てよかったと思とるで。ここはおもろい人がようさんおるし、蔵っちにも会えたし」
「ふふ、ありがとう」
 そんな風に笑う蔵内は知らないだろうが、水上が個人の事情をここまで詳しく話したのは蔵内だけだった。それだけ信頼に足る相手を見つけられたというのも、水上にとって大きな収穫なのだ。
「さ、蔵っちの質問には答えたし、ついでに一緒に見てってや」
「将棋はあまり詳しくないぞ」
「何事も勉強やで。俺と打つ時に役に立つかもしれんやろ」
「それが目的か……?」
 いくらハンデをつけられても将棋で水上に勝てる相手は今のボーダーに存在しない。それでも水上は楽しそうに人を誘う。彼が今を楽しんでいるなら、これ以上蔵内が気にすることは何もない。

おとぎ話のような(昼寝)

 日曜の午後、水上は蔵内と一緒に家で課題をしていた。無論勉強だけをするために家に呼んだわけではないのだが、二人とも面倒なことを先に片付けるタイプなのだ。一緒に居る時間が増えるならそれでいい。
「くぁ~……
 ある程度進めたところで、水上から堪えきれない欠伸が漏れる。あ、と気付いた時には既に半笑いの蔵内が水上の方を見ていた。
「眠いのか?」
「あー、今朝やたら早うに目が覚めて」
 今日は二度寝する気にならず、そのまま起きて家の掃除などをしていた。本当はそれだけではなく、蔵内が家に来ると思うと楽しみで昨夜は寝つきが悪かったのだが、流石にそこまで口に出せるほど水上は素直ではない。
「なら休憩しよう。ちょっと寝た方がいいんじゃないか」
 普段の水上ならば人が来ている時に眠ったりはしない。しかし頭脳労働をしたせいもあって、今の眠気はあまりにも抗いがたい。加えて、このまま眠い頭で課題を進めるよりも、仮眠してリフレッシュした方が効率は上がりそうだ。
「ほなお言葉に甘えて、十五分だけ」
 どうせ寝るなら快適な方が疲れも取れるだろうと、水上はベッドで横になった。重い頭を枕に乗せるだけで自然と瞼が落ちてくる。
「分かった。十五分経ったら起こすよ」
 その言葉を最後に、水上の耳には何も届かなくなった。

 何かが触れる感覚で意識が浮上する。正体は分からないが、感触が残っているのはどうやら唇のようだ。
……本当に起きた」
「?」
 蔵内の言っている意味が分からなかった。だが状況から分かることもある。蔵内の顔はやけに近く、唇の感触は妙にリアルだ。そこから導かれる答えなんて一つしかない。
「蔵っち……今チューした?」
 返事は来ないが、顔が赤くなっているのが答えだろう。しかも先ほどの言葉と合わせて考えると、どうやら蔵内は水上を起こすためにキスをしてみたようだ。
 そんなおとぎ話の王子様みたいなことをするわけがないと思考が止まりそうになるが、本当にそんな真似を、この恋人はやってのけたらしい。寝起きのぼんやりした頭では普段ほどの情報を処理できず、ただただ驚くばかり。
「自分、そんなキザなことするタイプやった?」
「言わないでくれ。我ながら恥ずかしいことをしたとは思ってるんだ」
 蔵内が顔を隠して離れてしまうものだから、水上も上体を半分起こして距離を詰める。恥ずかしいと思いながらも試してみたかったのだろう。恋人の可愛い一面を見て、水上のテンションが上がる。だいぶ目も覚めてきた。
「蔵っち」
……
 まだこちらを向いてくれないので、水上は悪戯っぽく笑いながら蔵内の服を掴む。
「あんま分からんかったから、もっかい」
 それを聞いた蔵内はついに振り向き、どこか安心したような表情に変わった。これは自分の行動が受け入れられたことに対する安堵だ。この恋人は周囲が思うよりずっと表情豊かで、意外と分かりやすい。
……水上も大概じゃないか」
 そう言いつつ、蔵内は水上の頬に手を伸ばした。

Have a good day.(蔵内誕生日)

『誕生日おめでとう』
 九月三日。水上は日付が変わるのを待って蔵内にメッセージを送った。わざわざこのタイミングにこだわる必要もなかったが、後回しにしてメッセージが読まれる前に直接会うことになるような事態は避けたい。
 さて寝るかと携帯を枕元へ投げた拍子に画面が光る。意外なほど早い返信だ。蔵内は早起きなのでもう寝ているものだと思っていたのだが。
『ありがとう 覚えててくれたんだな』
 季節の行事は忘れがちな水上も、大事な恋人の誕生日は忘れない。ちゃんとプレゼントも用意してある。明日、本部に行ったら渡すつもりだ。

 しかし、事は思うように運ばなかった。
(なんでや、全然会えん)
 お互いにシフトは入っていないし、決まった予定も無い。それなのに、水上が王子隊の部屋を訪れると蔵内は個人ランク戦ブースだと言われ、そちらに向かえばギャラリーからしばらく対戦が詰まっていると言われ、時間を置いて再訪すると既に居なくなっていた。隊室に置いていく手もあるが、こればかりは直接渡したい。
 約束していたわけではないにせよ、意図的に会おうとしているのにこれほどすれ違うことがあるだろうか。それもよりによって今日。水上は少し日頃の行いを改める必要性を感じる。
(まあ、次に会えた時でええか)
 今日は王子隊のメンバーで食事に行くと聞いている。そろそろ本部を出る時間ではないだろうか。プレゼントは生ものではないのだし、持っていればいつでも渡せる。常に持ち歩くのは多少嵩張るがこの際仕方がない。なるべく早く渡そうと、水上は紙袋を大事に持ち帰った。

 その日の夜、水上が家で寛いでいると急に電話がかかってきた。わざわざ音声通話をする機会など滅多に無いので不思議には思ったが、画面に表示された「蔵内」の名前を見て急いで応答する。
『もしもし、急にすまない。もう帰ってるか?』
「おん。ちょうどヒマしてたところや」
『良かった。その……実は今、水上の家のすぐ前に居るんだ』
「え⁉」
 いきなり何を言い出すのかと、水上は半信半疑でベランダに出て下を見た。するとこちらを見上げて嬉しそうに手を振る蔵内を目が合う。
「ちょっ……とりあえず玄関開けるわ」
 もはや必要なくなった通話を切り、しばらくするとインターホンが鳴った。それを待ち構えて即座に扉を開く。
「本当に悪い、こんな時間に」
「それはええけど……どないしたん?」
「食事会の店がこの近くだったから、つい」
 水上はしばらく呆気にとられた後、ひとまず蔵内を家の中に入れた。腰を落ち着けたところで、直接顔を合わせた時の第一声を間違えたことに気付く。
「せや、蔵っち。誕生日おめでとう」
「ありがとう。メッセージでも祝ってもらったのに」
「直接言いたかってん。あと、これも」
 そう言って水上は鞄から紙袋を取り出した。思いがけず今日中に渡せてとてもラッキーだ。
「プレゼントまで? ありがとう、嬉しいよ」
「今日はこれ渡したくて蔵っちのこと探し回っとったんやで」
 蔵内の素直な感謝が気恥ずかしく、つい話を逸らしてしまった。
「そんな、いつでもよかったのに……でも、そうか。俺も同じだな」
「何が?」
「俺も、どうしても今日中に水上の顔が見たかったから。電話してよかったよ」
 その言葉で水上も理解した。今日この日が何より特別で、一番大事な相手に会いたいと感じたからこその行動。そういうところは少しだけ似ている。
 ここで恋人を相手に照れ隠しをしても仕方がない。蔵内のように純粋な言葉が口から出るわけではないので、水上はにやりと笑って恋人の手に指を絡めた。
「ところで蔵っち、明日は休みやんな?」

その日が来ても(如何ともしがたい蔵水)

 二人分の重みでベッドが軋んだ。何度やっても慣れるものではなく、水上は小さく呻きながら寝返りを打つ。薄い闇の中で蔵内と目が合った。
「どこか痛む?」
「いや、大丈夫や」
 体は痛くない。痛むのはいつだって心の方だ。
 二人は恋人同士ではない。キスもそれ以上のこともするが、どちらからも付き合おうと申し込んではいない。その一方で、世間一般の言う爛れた関係というわけでもなかった。
 お互いにお互いが好きで、そういうことをしたいと思っているし、ちゃんと意思の疎通は取れているのだ。ただ、恋人になることだけができないでいた。
「どうしたら俺だけを見てくれる?」
 蔵内の口から出たのは、この熱っぽい空気に似つかわしくない言葉だった。
「蔵っちだけを選ぶんは無理や。俺はボーダー隊員やもん」
 このやり取りをするのは何度目だろう。皆まで言わずとも、蔵内は水上の考えを全て理解している。分かっていても聞かずにはいられなかっただけだ。
 ボーダーの隊員である以上、自分の全てを一人に捧げることはできない。今の水上が最も優先しなければならないのは生駒隊であり、もしその生駒隊が解散したとしても活動は続く。近界民が存在し、こちらに攻撃を仕掛けてくる限り。
「そう言う蔵っちかて、俺のもんになる気は無いんやろ」
「それは……
 蔵内も同じだ。水上の全てが欲しいと思いながら、自分の全てを差し出すことはできない。今この瞬間も、もし片方に召集の指令が下れば躊躇なくもう一人を部屋に置き去りにする。そういう関係でなければならない。
 生活とボーダーを綺麗に切り離して考えられれば良かったのだろうが、残念ながら二人とも今は生活の中にボーダーの活動が組み込まれてしまっていた。市民の生活はもちろん、ボーダーの活動は自分の生活を守るためでもあるのだ。
「俺も譲れへんし、どっちかがボーダー辞めるまではどうしようもないわ。蔵っちも分かっとるやろ」
 水上は諦めたように笑った。こうしていられるだけでも充分だなんて物分かりの良いことは言えない。しかしこれがギリギリのラインなのだ。他にどうしようもなく、二人とも身動きが取れなくなっている。
「水上はもし一般の人から告白されたら、その人と付き合うのか」
……どうやろな。そうなるかもしれん」
 蔵内は悲しそうに眉尻を下げたが、実際のところは分からない。お互いにそうするのが妥当だとは思っている。
 二人の気持ちはおそらく釣り合っているはずだ。ただ蔵内の方がそれを表に出す機会が多いらしい。水上は本心を隠すのが上手いだけで、同じようなことは何度も考えた。蔵内の手を掴めないのに、彼の方から離れていくのは嫌だなんて我儘だ。本当にその時が来たとして、蔵内を困らせたくはない。しかし。
「けど、今はそんな気にはならへんなあ」
 水上は蔵内の髪に指を差し込んだ。まだ体の中には熱が残っていて、触れたところからじわじわと広がっていく。堪えきれずに二人の唇が重なった。
 これは単なる誤魔化しで、問題の先送りをしているに過ぎない。それでも蔵内は誤魔化されたふりをしてくれる。そういうところも全部含めて、水上は蔵内が好きだった。

歌に乗せて(ラブソング)

 水上は、ラブソングに共感する人の気持ちが分からなかった。
 歌の中で恋人たちは急に会いたくなったり、不安になったり、ときには世界に感謝したりもする。曲を好きになることはあっても歌詞は今ひとつピンとこなくて、一人で首を傾げていた。
 人種や時代や音楽ジャンルを超えて、恋の歌は世界中に溢れている。思えば古今和歌集の時代からそうだった。それほど人類の理解を得やすい感覚なのだ――本来は。
 無論そういった感情があることは理解しているが、共感には至らなかった。将棋ばかりしていたせいかもしれないが、水上にとっては恋愛よりも将棋の方が楽しかったのだから仕方ない。

 それがまさか、突然理解できる日が訪れるなんて思わなかった。
「最近よく音楽番組見てるな」
「あー、ちょっと気になるグループがおって」
 夕食後に片付けながらテレビを見ていると蔵内から鋭い一言が放たれ、水上は思わず誤魔化してしまう。
 蔵内と付き合い始めてからというもの、まるで世界の扉を開いたかのようにあらゆる歌詞を理解し始めた。共感できなかったのは単に経験が足りなかったからで、斜に構えていた以前の自分が恥ずかしい。もちろん完全に共感できるものばかりではないが、分かると分からないでは雲泥の差だ。
 音楽番組を選んでいたのは色んな歌詞を見てみたかったからで、特に気になる歌手は居ない。だが誤魔化してしまった手前は誰かを選ぶ必要があった。
「今喋っとる人らやねんけど」
「ああ、俺も結構好きだよ」
 そう言われると水上もなんだかそのグループに好感を持ってしまう。なんと単純なのだろう。しかし実際のところ、過去に見た彼らのパフォーマンスは元々水上も好きな部類ではあった。
「今日新曲が出たばかりなんだ。ドラマのタイアップもあって」
 ほら、と蔵内が指さすと、ちょうどパフォーマンスの準備に移っていく。そのまま待っているとすぐに曲が始まった。
 前奏なしで歌に入る。これもやはり恋の歌だ。最近の流行は失恋の歌だが、歌詞は明るく前向きだった。想いが通じた瞬間の感動や、何かあった時にすぐ話したくなる気持ちを少し捻くれた言葉で綴る。初めて聞く曲なのに、それは水上の胸にすとんと納まった。バンドのサウンドも心地良い。
「かっこええなあ」
 曲が終わると思わず声が出ていた。これは本格的にこのグループを追ってしまいそうだ。
「水上がポップスに興味あったのはちょっと意外だな」
「俺かて音楽くらい聴くわ。まあ意識するようになったんは最近やけど」
 蔵内は水上の言葉を深追いしなかった。代わりに、共通の好きなものを見つけた嬉しさを前面に出した笑顔で携帯の画面を見せる。
「お薦めの曲があるから、聴いてみてくれないか」
「おお、そらありがたいわ」
 蔵内から教えてもらった曲のタイトルは、水上の携帯のメモに大切に保管された。

 後日、ふと時間が空いたタイミングで水上は蔵内から教わった曲のことを思い出す。サブスクリプションの中に入っているといつでも聴けると思って、つい後回しにしてしまっていた。
 検索すればすぐに現れる。さっそく再生すると、どこか聴いたことのあるメロディーが流れた。しばらく聴き続けて何かの番組の月間テーマソングだったと気付く。意識していないと歌詞までは耳に残らないもので、水上はすぐに歌詞を表示した。
 男性の片思いの曲だ。友達のままでいい気持ちと、相手の特別になりたい気持ちがせめぎ合う。切なさと期待が混ざった複雑な感情が乗った歌は、水上の心を少しばかりざわつかせた。
 一曲聴き終えた後、蔵内がこの曲を水上に薦めた理由を考える。まさかとは思うが、これは蔵内が水上に片思いしていた時に聴いていた曲だったりするのだろうか。
(いやまさか……考えすぎやろ)


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