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「夜明けのうた」

全体公開 作文 10 33035文字
2022-06-06 21:37:54

2020.03 ホー+誰か
ホが最速のヒーローを目指すまでの話/初めて飛行する話/プルスウルトラする話/おまけSS
同人誌あります→通販

Posted by @nanameru

27巻に収録の265話までの情報でかいたものです。

「夜間飛行」

ホークス(10)と現公安会長
※ホークスの家族の名前、育成環境を捏造しています
※人が死にます(事故)
===============
 
 
 誰にも言っていないけど、心をひっかき続けるささくれがあった。
 誰にも見つからないようこっそり隠した、たからものの話だ。
 
 
 
 街路樹が並んだゆるやかな坂道を駆けていく。背中のランドセルがかたかたと鳴る。
 近所の人へのあいさつは忘れずに。明るすぎず暗すぎず、あくまで普通に。
 平穏な住宅街のマンションの一室。そこが俺たち家族の家だ。
 
「ただいま、『お母さん』」
「ケイ、おかえりなさい」
 
 俺がリビングに入るなり『お母さん』がこたえた。お母さんのきっちりと後ろに流した髪はきれいな金色で、俺の麦わらみたいな色の髪と似ていなくもない。
 
「おやつ食べたらすぐに出なさい。羽はまとめてあるから」
「はいはーい」
 
 ジャムパンを牛乳で流し込んで、背中に穴のあいた服に着替える。軽いボストンバッグをつかんで部屋を出る。
 
 
 田上 恵(タガミ ケイ)。
 これがいまの俺の名前だ。今年の四月に東京の小学校に転入した時から使っている。
 何回も転校して、そのたび名前を変えてきた。全国あちこち、短い時は半年いないところもあった。誰とも深く関わらず、明るすぎず、暗すぎず。あくまで普通に。印象に残りすぎないように。
 小さいころはおとなたちの言いつけ通り、言われるままにやっていた。だけど今ではその事情を正しく理解している。俺たち『家族』が名前を変えて引っ越しを繰り返すわけを。
 
 地下の駐車場に降りると、ツヤツヤの黒い車が待ち構えていた。見送りに来たお母さんと運転手のおじさんがあいさつを交わすのを横目で見ながら、後部座席に乗り込む。
 今日は何するって言ってたっけ。
 個性訓練はいまは平日は基礎だけだから、そうだ、新しく日本の地理とか地質のことをやるんだ。
 
 車のドアをきっちりしめる。ボストンバッグのファスナーを開け放つと、中からぶわりと赤い色があふれ出す。それはあっという間に俺の背中に集まって、大きな赤い翼になった。
 俺の個性、剛翼。背中から生えた赤い翼、そのかたくしなやかな羽一枚一枚を操れる。
 赤い翼はとにかく目立ってしまうので、学校に行く時はできるだけ取り外して家に置いていっている。雨覆の下に隠れている骨格の部分は残るけど、背中にぴったりくっつけて服を着て抑えればほとんど平らにできる。少しきゅうくつだけど仕方ない。

 そうこうしてる間に黒い車はなめらかに発進した。後ろの席から運転手のおじさんの横顔を眺めながら思い出す。一度、運転手のおじさんが俺をこう呼んだことがある。
 公安の秘蔵っ子。
 なるほど、分かりやすい。それが俺の今のポジションってやつだ。
 
 
 
 五歳のころにヒーロー公安委員会に保護されて、以来俺はヒーローとなるべく教育を受けている。貧しい暮らしから拾い上げられたあとの日々はあっという間で、来年の春には小学六年生だ。
 俺は、将来ヒーローになる。
 驕りでもなんでもなく俺は事実としてこう認識していたし、そのための研鑽を積む環境を与えられていた。
 これは、ひとを助けられる力だから。
 
 
 
 
 
 
 その日は朝から空がのっぺりした灰色で、低いうなり声みたいに風がびゅうびゅう鳴っていた。
 授業中、服の中にぎゅっと畳んでいる翼がなんとなくうずいて、背中をかくフリでこっそり位置を整えようとした、その時だった。授業中はめったに動かない教室の扉が前触れなくからりと動いて、あわてて姿勢を正した。
 やって来た先生と、担任の先生がヒソヒソと話している。クラスのみんなが何事かとざわめくなか、声をかけられたのは俺だった。
 
 ご家族が倒れた。
 そう告げられてすぐに早退が決まり、先生に見守られながら荷物をまとめる。校門前まで迎えに来たいつもの黒い車に慌ただしく乗り込む。ところがだ。後部座席に座っていたのはお母さんだった。
 
「倒れたんじゃなかと!」
「それは建前なの。――あのね、啓悟」
 
 啓悟。久しぶりに呼ばれたほんとうの名前に身構える。
 お母さんは家の中でも外でもずっとまじめな顔をしているけど、今日はひときわまじめだ。車の中で俺たちは神妙な顔で向かいあう。一呼吸おいて、『お母さん』は言った。
 
「あなたのお母様が、亡くなったわ」
 
 その日の昼過ぎには俺とお母さんは飛行機に乗っていた。
 向かうは福岡県、博多。俺が生まれた街だ。
 
 
 
 
 
 俺を産んだ人。
 俺の本当の『母さん』は、いつも何かに振り回されていた人だったと思う。自分を置いていったあの人に、何人ものカレシに、それから自分の個性に。
 
 最後に母さんと会ったのはたしか四ヶ月前、夏休みの時だった。
 半年に一度の面会の日、レストランで一緒に昼ご飯を食べて、俺はできるだけ明るい声で学校であった楽しいことの話をした。
 俺のチキングリルの皿はとっくに空になっていて、母さんのスパゲッティは全然減らないまま、灰皿に煙草の吸殻が増えていく。
 テーブルをはさんで向かい合う俺と母さんの顔は、あまり似ていない。あんたを見てるとあの人を思い出す、と母さんがかすれた声でつぶやいた。あの人。つまり、俺が小さいころに消えた父さんと、俺は似ているらしい。
 
 
 小学校に入る少し前、俺は公安の子になった。
 ちょうど明日、十二月二十八日が十一歳の誕生日ということになっているけど、実のところ正確な歳は分からない。
 生まれた家を離れて、今は公安のそこそこエライ人である『お母さん』と全国を転々としている。
 
 母さんとはいつも小ぎれいなデパートの飲食店なんかで面会していたから、俺が生まれ育った小さなアパートにはずっと行っていない。
 公安がお金の面で支援をしているという話は聞いているけど、母さんが今どこでどんなふうに暮らしているのか俺は知らない。久しぶりに会ってもいつも俺がひとりでしゃべるだけだったから。
 俺の話にあいまいなあいづちをうつ母さんの姿を思い出す。
 ぱっと見は気だるげなのにせわしなく瞬きをしていて、きゃしゃな指先はコツコツとテーブルを叩いて落ち着かない。薄皮一枚下で不安がうずまいているような雰囲気は、一緒に暮らしていた頃と全然変わっていない。
 だから母さんは今もまだあの狭苦しい部屋に住んでいるんだろうと、そんな確信があった。
 
「いっこ聞きたいんだけど」
「何かしら」
 飛行機の隣の席に座る『お母さん』に尋ねる。
「母さんは、まだ昔住んでたアパートにいたの」
「ええ、そうよ」
「そっか」
 
 なんてことないふうに答えて、こっそり下くちびるをかんだ。
 ささくれを引っ張った時みたいに、胸の奥がピリッとひきつれる。
 
 
 誰にも言っていないけれど、あの家に置いてきたものがあった。
 誰にも見つからないようこっそり隠した、たからものが。
 
 
 
 *
 
 
 
 生まれ育った家のことを思い出すのは、のっぺりしたくもり空を見上げる気持ちに似ている。
 繁華街の路地裏にあるアパートは日当たりが悪いせいで昼でもうすら寒く、窓の外からは路上に散らかったごみを狙うカラスのぎゃあぎゃあという鳴き声が四六時中聞こえてきた。
 暗く湿った部屋で、母さんはカレシたちのきげんしだいで振るわれる拳に、そしていつ暴走するかわからない自分の個性におびえていた。俺はそんな母さんの顔色をうかがう日々だった。
 
 母さんとカレシとのいさかいは日常茶飯事だった。
 ある時は、殴られた母さんが鼻血を流すのを見た。母さんの血は服を汚すよりも前にビー玉みたいな小さな粒に固まって、ころころ床を転がっていく。ケガしても部屋が汚れないだけの個性、とカレシが母さんを嗤う。
 ある時は、暗闇の中うずくまった母さんの背中がびきりとゆがむのを見た。あたりに転がった血のかたまりに、命が宿ったみたいに震えてざりざりと床をはいまわる。
 
 母さんは個性をコントロールできていなかった。
 本当は血がすぐに固まるだけの個性じゃなくて、血液を操作できるような個性だったのかもしれない。固まった血が意志と関係なく動き出すのはひどい負担だったらしく、母さんは固まった血が暴れだすたびうめき声をあげた。苦しみからかきむしった肌からまた血があふれ、今度は鋭くとがった矢のような形に固まり、爆発するみたいに弾けて窓を割った。
 
 母さんは喉がつぶれるまで苦しんでも、助けてと言わなかった。
 耐えることが美徳だなんて考えるような、高潔な心を持っていたからじゃない。
 母さんは、諦めていた。
 どん詰まりの境遇に、底辺の暮らしに。自身の得体の知れない個性に、疲れていた。
 
 
 怒鳴り声、金切り声、すすり泣き、うめき声が耳にこびりついて眠れない。
 そんな夜は、布団にすっぽりとくるまって、たからものを抱きしめた。
 母さんが気まぐれに買ってくれたぬいぐるみだ。頭や足の部分にオレンジ色をまとっていて、強く抱きしめるとボオオと炎が燃える音がする。
 これを聞くと、ふしぎと頭の中の騒ぎ声が塗り変わるみたいに静まって、安心して眠れた。
 
 そしてあの日俺は、小さい俺を守ってくれたぬいぐるみを、誰にも見つからないように隠した。
 
 
 
 三歳か四歳のころ背中に赤い翼が生えてからは、母さんの目を盗んで一人で羽を操って遊んでいた。この時はまだ空は飛べなかったけど、羽の一枚一枚を動かせるこの力でなにができるのかあれこれ空想して、実際にやってみるのはまあまあ楽しかった。
 そしてある日、偶然目の前で起こった交通事故から人々を救助したことで、俺はヒーローの卵として発掘された。
 
『何か持って行くものはある?』
 
 母さんの元を離れて、公安のもとでヒーローを目指すことが決まってすぐの頃だ。かっちりとしたスーツを着たおとなが俺にそう尋ねた。生まれ育った家から出るにあたって、例えば服やおもちゃなど、持って行くものはないかと。
 
 真っ先に浮かんだのは、あのぬいぐるみのことだった。
 俺の、俺だけのただ一つのたからもの。
 だけど少しの間考えて、首を横にふった。
 そして俺は、おとなたちと母さんが話しをしている少しのすきを見て、ぬいぐるみを隠した。
 
 押し入れの奥は木の板が張られていて、板の向こうに本当の壁がある。かたく変化させた羽をノコギリのように使って板を切り取り、壁との隙間にそっとぬいぐるみを置く。切り取った板をはめてもぴったり元通りとはいかないけど、押し入れにはがらくたがゴチャゴチャに詰め込まれていたから、こんな切れ目には誰にも気付かないだろう。
 たくさんの羽ですばやくがらくたを押し入れに戻し、ずっとそこで待っていたかのような顔でしれっと部屋の隅に座り込む。
 
 大事なたからものを置いていくのは胸がじくじく痛むようだったけど、二度とここに戻ってこないなんてことはないだろう。母さんだってずっとここで生きてきたんだから。いつか、こっそり取り戻せばいい。
 後ろ髪をひかれる思いを、そう言い聞かせて断ち切った。
 
 今なら分かる。
 あの時の俺は、たからものを手放すことよりも、大事なものを他人に知られてしまうのが怖かった。大事なものは誰にも見せずに隠しておくのが一番いい方法だと思っていた。
 母さんも、カレシも、隣のおばさんも、近所の子も、みんな自分のものを奪われないように必死だったから。それなのに、みんなすきあらば人のものを奪おうとしていたから。
 
 でも俺は、すえた臭いの街、薄暗い部屋を離れていろんな人を見た。たくさんの人と話した。この世界には色んな人がいることを知った。
 何より、俺は空の青を知った。
 あの家に戻りたいとは思わない。だけど、置き去りにした俺のたからものを思うと、どうしようもなく胸の奥がざわめいた。
 
 俺のたからものは、今も押し入れの奥にじっと座っているんだろうか。
 もうぬいぐるみを抱きしめるような歳でもないけれど、できることならもう一度、あの炎の音を聞きたかった。
 
 
 
 *
 
 
 
 
 生まれ育った家があった場所は、ぽっかりと更地になっていた。カラスの鳴き声が響くなか、俺は呆然と立ち尽くす。
 
……亡くなった直接的な原因は個性の暴走。その後火事が起こったの」
 
 いつの間にか隣に立っていた『お母さん』が静かに告げる。息絶えてほどなくしてストーブから出火。古びた木造のアパートはあっという間に燃え上がり、ほとんど焼けてしまった。残ったがれきもすでに撤去されて、今に至るらしい。
 
 みしみしと建物がひしめく繁華街、その真ん中に歯抜けのようにできた空き地に立って上を向いた。見上げた博多の空は、東京と同じ色をしている。
 飛行機に乗る前、空港で聞いた天気予報を思い出す。全国的にくもりのち雨、ところによって初雪になるかもしれません。キャスターの弾んだ声とは反対に、どこまでも続く灰色が重くたれこめている。
 壁が黒く焦げたビルのすきまから湿った風が吹き抜ける。追いかけるように息をいっぱいに吸い込んだけど、昔と変わらない油っぽいにおいがするばかりで、ここで火事があった気配すらもう残っていなかった。
 
 
 
 その後も色々な手続きのため警察や役所をめぐり、宿に到着したのは時計の針がてっぺんを回ったころだった。ホテルの広々としたツインルームで俺とお母さんは向かい合う。
 
「あなたのお母様のご遺体だけど」
 お母さんが切り出したものの、一旦言葉を区切った。ためらうような気配を感じて先をうながす。
「いいよ、話して。大丈夫」
……ご遺体は、損傷が激しくて。検死の結果個性の暴走が死因ということが分かったけど、他殺の可能性も考えられていたくらい。明日は遺骨を受け取りに行くわ」
 
 母さんは、すでに骨になってしまったらしい。肉親である俺との最後のお別れを設ける間もなくそうするくらいなのだから、相当ひどい有様だったのだろうとなんとなく検討がつく。
 
「そっか」
「落ち着いているのね」

 淡々とした答えに、俺の仮のお母さんはぽつりと言った。実の母親の死に動揺を見せない俺をとがめているわけではない。単に事実を確かめているような口ぶりだ。
 
「ふつうはさ、こういうとき悲しんだり泣いたりするんだろうけど」
「あなたくらいの子どもなら、たいていはね」
「分かった、覚えたよ。……母さんは。俺を産んだ母さんは、閉じこもっとった。あの街に、あの家に。一生このままって思い込んで、諦めとったんやないかって思う。だから」
 
 そう言う俺も、もう死んでしまった人のもしもの話を重ねても何も変わらないと諦めている。皮肉な話っていうのは、こういうことを言うんだろう。
 お母さんは俺の言葉を聞いてわずかに眉をよせる。分かりにくいけど、登るためのとっかかりがない壁を前にした時みたいな、途方に暮れた色。
 思えばお母さんは俺と家族として過ごす間、ふとした瞬間にこんな顔をすることがあった。
 
「あなたを子ども扱いできる人なんているのかしら。『お母さん』失格ね。……だからこれは、将来あなたをつかう立場になる者としての言葉」
 
 お母さんは備え付けのソファーにゆっくりと腰を沈め、観念したかのように深く息をついて語りはじめた。
 
 
「私たちがお母様へ金銭的な支援をしていたのは知っているわよね。たとえばこのお金を足がかりにして、きれいな家に引っ越したり、今からでも個性制御の訓練を受けたり。違う生活を送ろうと思えばできたはずだわ。でも彼女はさいごまであの街から離れなかった」
 
 ぽつりぽつりと話すお母さんの横顔は、間接照明のほのかな光を受けて、深い陰を作っていた。
 俺の倍以上の歳を重ねているこの人は、俺の想像が及ばないほど色んなものを見て、経験してきている。そんな人が諦めのにじんだ静かな声色で言う。
 
「諦めている人に助けの手を差し伸べるのは、難しいことだわ」
……分かっとーよ。そういう人たちをみんな助けるために、ヒーローが頑張っとんやろ」
「そうよ。社会の隅々まで、ヒーローという灯火の光が届く世の中にする。それが私たちの仕事」
 
 私たち。言外に、俺もその一員なのだと告げている。
 
「でも今はまだ、遠いわ。歯がゆいことだけど」
「大丈夫、それも分かっとーよ。……話してくれて、ありがとうございます」
 
 
 
 照明を消して真っ暗になったホテルのツインルーム。上層階の大きな窓はさえぎるもののない空を楽しめるはずだが、今は星も月も隠す厚い雲が広がっている。
 俺はコートを着込んで、ブーツのひもをぎゅっと締めた。
 羽を使って音もなく窓を開けるが、十二月の風は思った以上に荒んでいて、びゅるりと鋭い音を立てカーテンを舞い上げた。
 彼女は窓から遠い方のベッドで、こちらに背を向けて眠っている。いや、眠ったふりをしている。
 
 お母さん失格ね。
 そう彼女は言ったけど、子ども向けの甘い嘘を言えない潔癖さを、かといって大人にするように厳しく徹することもできない不器用さを、嫌いにはなれなかった。十歳の子どもがそんな風に思うのは、全然子どもらしくなくて生意気かもしれないけど。
 
 俺と彼女は家族にはなれなかった。親子にしては慈しみが欠けていて、だけど上司と部下というには情がありすぎる。
 彼女がここで目をつむるのは優しさではない。彼女も通ってきたいばらの道を、いずれ歩ませることになる子どもへの猶予期間。先達としての同情なのだろう。
 でも、もし優しさというのものに形があるなら、これは優しさと少し似た形をしているのではないかと思う。だから俺は、彼女の不格好な情に甘えることにした。
 
 この夜俺ははじめて、お母さんの言いつけを破った。
 
 
 
 
 
 窓枠に足をかけて、そのままためらわず外へ体を投げ出す。
 翼をばさりと広げると、ホテルの壁面に巨大な鳥のようなシルエットが浮かび上がる。
 背中の翼は小さいころは自分の肩を暖められるくらいの大きさしかなかったけど、今では両腕を広げた幅よりもずっと大きく成長した。
 赤い翼は上昇気流をつかまえて高く、高く。高く飛び立つ。
 博多を後にして、街から山へ、山から街へ。東に進路をとる。
 
 目指すは東京だ。
 
 
 今にも雪が降りだしそうな曇天の下、無心で飛行する。冷え冷えとした霜月の空気は、飛行中はさらに鋭い槍のように肌をさして体温を奪った。
 空では頼れる人はだれもいない。ただひとりきりだ。
 雑魚羽を服のすきまにつめて風を防ぐ。
 渡り鳥の隊列をまねて、鳥の形に組み上げた羽を先行して飛ばす。
 作り出した風の波に乗って、遠くへ、遠くへ、速く、速く。
 
 
 
 天気予報の通り、空は泣き出した。
 大粒の雨はやがてみぞれに変わり、雪に変わった。
 吹き付ける粒が銃弾のように身体を叩く。たまらずぐんと高度を上げる。分厚い雲を突き抜けて、上へ、ひたすら上へ。
 上空へ向かうほど酸素は薄く、視界がゆがむ。筋肉と内臓がぎりぎりときしむ。
 苦しい。だけど止まれない。
 
 前後左右上下すべてを覆いつくす灰色の幕。どこまでも続くように思えたそれは、唐突に消えた。
 雲を抜けた高天にたどり着いたのだ。
 雲の上はただただ静かで、漆黒の海に星が、月が、さえざえと浮かんでいた。
 あまたの光の粒から北斗七星をみつける。ポラリスの位置を脳に叩き込み、東へ。獅子座のレグルスを目指す。
 
 高空の夜間飛行は、静かなのに騒がしい。
 ただ自分ひとりが風を切る音が、耳にこびりついて離れない。
 
 不意にあの炎の音が聞きたくなった。俺の、俺だけのたからものだった。オレンジ色の焔をまとった、ヒーローを模したぬいぐるみの声。
 
 せめて燃えカスだけでも見つかれば、すっぱり諦められたかもしれない。でもあのアパートがあった場所にはがれきすら残っていなかった。
 もし、知らせを受けてすぐに俺が飛んでいけば。そしたら間に合ったかもしれない。
 がれきを片付けられる前に全部ひっくり返して、それでも見つからないのを確かめたら諦められたかもしれない。
 火事になる前にたからものを失わずに、母さんを助けられたかもしれない。
 もっと早く生まれていれば、母さんが諦めてしまう前に手を差し伸べるヒーローになれていたかもしれない。
 
 たくさんのもしもが脳みそを塗りつぶしてがんがん揺さぶる。
 正面に見すえたはずの東の星がゆがむ。

 真っ暗闇も、寒さも、孤独も、どうしようもない思考をしずめてはくれない。
 
 
 幼い俺は、俺のたからものが炎のヒーロー、エンデヴァーを模したものとは知らなかった。
 だけど、あの炎の音を聞くと不思議と安心して眠れたことを覚えている。抱きしめると胸がじわりと温かくなったことを覚えている。
 ヒーローが何かすら知らなかったのに、俺はヒーローに守られていた。
 
 できることならもう一度、あの炎の音を聞いて眠りたかった。
 
 
 
 やがて、東の空は白みはじめ、灰色の雲が淡い紅色に変わっていく。
 夜空は拭い去られ、目指した東の星を見失ってしまう。
 視界の下に雲海を突き破るような白い三角が現れる。雪をまとった富士山だ。どうやらここは静岡のあたりらしい。
 福岡から東京まで飛行機で一時間半。
 俺は、一晩中必死で飛び続けても、まだ東京にたどり着けなかった。
 
 もっと速く飛びたい。
 飛行機も置き去りにするくらい、速くなりたい。荒唐無稽かもしれないけど願わずにはいられなかった。
 
 もっと速く飛びたい。
 何一つ取りこぼさない、諦めてしまう前に手を取ってあげるような、そんなヒーローになるために。
 
 
 翼を折りたたんで雲の海に飛び込み、しばしの間自由落下に身をまかせる。
 
 一夜の逃避行はこれで終わり。
 ここからは、最速のヒーローになるための時間だ。
 
 俺は朝焼けに染まった街の空に、めいっぱい翼を伸ばした。










「とある日誌」

ホークス(5)と公安職員
※公安の職員たちの日誌、というていの幼少ホークスの話です
※ホークスの個性についてかなりの独自解釈を含みます
※ホークスの家族の名前、育成環境を捏造しています
※鳥が死にます(老衰)
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 12月29日(1日目)

 車両数台がからむ玉突き事故から人々を救出したという「赤い翼の生えた子供」。ご家族との話がまとまり、今後は公安の保護下に置かれることが決まった。今後は職員数名が持ち回りで日誌をつけていく。
 
 以下に判明しているプロフィールを記す。
 名は「タカミ ケイゴ」
 性別、男。
 正確な年令、生年月日は不明。体格から三~五才程度と推測。
 家族、母親・キョウコ。
(不定期に出入りしていた男性は父親ではないとのこと)
 
 背中に鳥の翼に似た一対の赤い翼が生えている。飛行能力はないが、羽は背中から自在に分離し、一枚一枚をケイゴの意思で操作できる。羽というにはかたく、金属に似たしなやかな感触。

 仮に『剛翼(ごうよく)』と名付ける。
 
 

 
 12月30日(2日目)

 昨晩は宿舎の空き部屋に宿泊。当面はここで生活してもらうことになる。ケイゴが寄宿するあいだは宿直を一名増員するよう調節した。各自最新版のシフト表を確認すること。
 朝食後に身体検査、個性検査に向かわせる。ぐずる様子はなく非常に大人しい。
 
 
 

 1月4日(7日目)

 年末年始をはさんで身体検査の結果が届いた。栄養不良による成長障害の症状あり。体格から三~五才程度と予測していたが、五~六才の可能性が高いとのこと。食堂には連携済み、明日からはケイゴに専用の食事を出してもらえることになった。
 個性検査はまだ結果待ち。

 正月の間はレクリエーションルームで軽い運動をするほか、テレビを見て過ごした。自分には子どもがいないので詳しくは分からないが、ケイゴは聞き分けがよすぎて逆に不安になる。
 
 

 
 1月7日(10日目)

 個性検査の結果が出た。
 動物系個性の羽毛はケラチンで形成されている場合が多い。また、翼持ち個性の翼の骨格はカルシウムでできた骨が一般的である。

 だが、ケイゴの翼の羽と骨格は、血液と同じ成分で形成されていると分かった。
 つまりケイゴの個性・剛翼は「鳥類に似た翼が生えている動物系個性」ではなく「血液操作にまつわる個性」である可能性が高い。

 両親の個性については調査中。明日以降はケイゴの現在の能力を調べていく。
 
 

 
 1月8日(11日目)

 ケイゴの母・キョウコに経過報告と調査を兼ねた面会を希望するも、連絡が取れず。

ケイゴの栄養状態をかんがみて、食欲と相談しながらおやつを与える。十時と三時になったら食堂に連れていくこと。
 
 

 
 1月9日(12日目)

 ケイゴは初日よりは宿舎に慣れてきた模様。羽を周囲に漂わせているようすを目撃。ケイゴなりの一人遊びか。しかし人の気配に敏感で、近づくとやめてしまった。
 児童向けの本を与えてみたがひらがなを理解していなかった。読み書きの学習が必要。教材は手配済み。
 

 
 
 1月10日(13日目)

 ケイゴの母・キョウコと連絡がつく。明日、タカミ家にて面談が決定。ケイゴも一時帰宅する。
 
 

 
 1月11日(17日目)

 一時帰宅日。
 
 

 
 1月12日(15日目)

 タカミ家にケイゴを迎えに行った。ケイゴに持って行きたい私物等はないか尋ねてみたが、しばらく考えたのち「ない」との返答。
 今後の予定として剛翼を実際に使用しての検査をしていくことになっていたが、両親の個性についてのレポート待ちのため本日は休みとする。

 今日はよく晴れていたので外で軽い運動をした。同年代の子どもと比べると力が弱い。キャッチボールをするのは初めてとのことだが、すぐコツをつかんだ。たいへん飲み込みが早い。
 
 

 
 1月20日(23日目)

 ケイゴの両親について概略を記す。詳細は別紙レポートを確認されたし。
 
<父親について>
 個性の詳細は不明。タカのような大きな翼を持っていたことがケイゴの母親・キョウコより語られたが、面談ではこれ以上の情報は得られず。今後は独自に調査を進めていく。
 現在は行方不明。ケイゴが三才の頃に家を出て行ったとのこと。なお、タカミは父方の姓。
 
<母親について>
 タカミ キョウコ
 個性『硬血(こうけつ)』(仮称)
 彼女の認識では「体外に流出した血液が早急に固まる」個性。
 だが、ケイゴが「固まった血が勝手に動いたり飛び回るのを見た」とカウンセリングの際に証言している。

 ここからは推測だが、『硬血』は十全に能力を発揮できておらず、本来ならば「流出した血液を自在に凝固できる」「凝固した血液を操作できる」といった血液操作系個性のポテンシャルを秘めていたのではないだろうか。
 
 訓練次第では強個性となった可能性もあるが、キョウコは個性のコントロールができていなかった。普段は凝固能力のみが発動しており、彼女の意に反する形で操作能力の一端が発現したとみられる。
 彼女の生まれ年から推測すると、義務教育のプログラムにすでに個性訓練が組み込まれていた年代だ。たいていの者は学校ので最低限の個性制御を身につけてから社会に出ることになる。

 だが訓練を受ける機会に恵まれなかった場合はどうなるのか。たとえば、学校で指導するには手に余る強個性を持っていたケースだ。こういった場合は学校外部の機関で訓練を受けることもできるが、金銭的事情などで断念するのはしばしばある話だ。
 キョウコが個性制御を身につけられないまま成人し、思うように就労できず社会から脱落していったという物語は想像に難くない。
 
 話を個性の件に戻す。
 ケイゴの「剛翼」は血液をしなやかな羽の形に凝固し、かつそれをしっかりと制御下に置いている状態といえる。
 操作系の個性を存分に発揮するには、空間把握を中心に様々な能力が要求される。あらゆる個性の中で特に総合力を問われる個性と言っていい。未就学児の年令でこれほどまでに使いこなしているのは、非常に稀なケースである。

 翼の形をとっているのは父親の個性の影響だろうか。追加調査とケイゴへのカウンセリングをあわせて情報を精査していく。
 
 
 

 1月29日(1ヶ月目)
「剛翼」の性能についての調査、テストが一通り完了。詳細は別途資料を参照。
 
 特に注目したいのは羽の操作スピードだ。
 検査値では「最高速度時速200キロメートル、ただし時速120キロメートル以上での操作は精度が落ちる」とある。
 だが事故救助の際は時速130キロメートルで走行する車両から、複数の人間を同時に脱出させるという離れ業をやってのけている。
 すなわち、最高速度の時速200キロメートル(あるいはそれは超えるスピード)で飛ばした羽を精密に操作できていた見込みがある。
 当面は救出当時に発揮したこの力を、安定して引き出せるようになることを目標にカリキュラムを組む。
 
 また、保護時は翼を広げた状態で片翼40センチメートル程度だったが、一ヶ月で50センチに成長。羽の総量も増加している。栄養状態および身体の発育に伴って、今後も翼は大きく成長していくと思われる。
 
 なお、ケイゴが今後も宿舎に寄宿することが確定。先月より宿直シフトを一名増員していたが、非常に手がかからないため元に戻して問題なしとの通達あり。
 児童向けの図書などの発注を進める。
 注意事項)衣服、おもちゃを購入の際も事前に申請すること。自費での購入は控えるように!
 
 

 
 2月25日(2ヶ月目)

 ケイゴはカリキュラムに基づいて日々訓練を続けているが、操作精度に関しては特に成長がめざましい。今後は羽を利用した物体運搬などの応用を並行して学習していく。
 
 定例カウンセリングにて母・キョウコの個性『硬血』が暴走した際の詳細が判明。粒状で凝固する場合が多かったが、鋭い矢のような形に変化した時もあったとのこと。
「硬血」には不明点が多いが、その性質を受け継いでいるとみられる「剛翼」が翼の形状をとっているのはやはり父親の個性が由来だろうか。
 
 
 

 4月10日(4ヶ月目)

 ケイゴが人の気配に敏感なのは、羽で空気の振動を感知しているためと分かった。
 今は人が動くのを大まかに感じとることができる程度だが、精度しだいで探知機のような使い方ができるかもしれない。目標が遠距離であったり死角にある場合に羽が操作不可能になってしまう点が課題であったが、この探知能力を応用すればカバーできるだろう。
 
 なお、ひらがなの読み書きは完璧に習得したようだ。職員が勧めた児童向けの本を読んでいることもある。
 保護当時は食が細かったが、最近では平均以上の量を食べている。食べ物の好みを主張しないが、食堂のスタッフいわく鶏肉は食いつきが良いとのこと。
 
 

 
 6月5日(6ヶ月目)

 先々月より開始した視界遮断による振動感知力向上プログラムの経過は順調。目隠しをして、羽から受け取る感覚のみを頼りに羽を操作する訓練だ。
 死角でも羽を操作できるようになり、振動の種類もある程度判別できるようになった。
 
 本日は『剛翼』が鳥の個性とは根本的に異なるという見解について共有する。
 動物特有の器官を持つ個性は、自然とその器官ならではの機能を保持しているのが一般的だ。簡単に言うと、飛行できる鳥の個性なら「飛行できるつくりになっている翼が備わっている」。
 だがケイゴの翼は、飛行できるつくりになっていない。

 ケイゴの剛翼の羽はぱっと見は鳥の羽と同じように見えるが、本来の鳥の羽のように羽毛が絡み合ったものではなく、単純な板状になっていることが検査の結果分かっている。つまり「羽の形をした薄い板を、翼をまねて並べている」状態だ。
 保護直後に飛行能力の有無も検査しているが、この羽の構造では飛行は不可能と判断されていた。
 
 両親の個性から推測すると、ケイゴの剛翼はやはり母親から受け継いだ血液操作・変化個性が本質。父親の個性は血液の変化後の形を制限するものとして受け継がれていると考える。
(制限というと聞こえが悪いが、自由度が高すぎる能力をある程度縛ることで扱いやすい能力にしているという見方もできる。)
 言いかえると、「翼がある」「羽がある」という大まかな枠を用意したのが父の個性。その枠の中のディテールをどう埋めていくかは母由来の能力しだい、といったところか。

 もし、今後ケイゴの意識下にある「羽」「翼」の情報がアップデートされたならばどうだろう。本物の鳥の羽に近い構造のものを作り出せるようになったならば、剛翼は飛行能力を獲得する可能性がある。
 
 

 
 7月12日(7ヶ月目)

 飛行能力獲得に向けたカリキュラムについて。
 当初は鳥類の個性保持者への協力を依頼する予定だったが、条件を満たす者が見つからず廃案となった。
第二案として並行して進めていた生態観察のプランを正式採用。何羽かの鳥を飼育することで羽・翼の構造への理解を深める計画だ。飼育が決定した個体、交渉中の個体については別途資料に記載する。
 
 エンデヴァーの資料映像を閲覧していたところケイゴが珍しく興味を示したので、何をしているのかの説明を交えながら一緒に観た。
 エンデヴァーには一般的には苛烈な印象があるが、こうして資料を閲覧していくと救助、避難、撃退の基本三項目すべてに精通していることが分かる。
個性の圧倒的な火力は言うまでもないが、そのコントロールの驚くほどの繊細さ、個性を使わない確保術も教科書のお手本のようでたいへん素晴らしい。
 
 
 

 8月27日(8ヶ月目)

 父親について調査進展あり。小学校から中学校時代の同級生を中心に、十代の頃の彼を知る者との接触に成功。個性についても何点か判明した。
 
 個性『鷹(たか)』(仮称)
 身の丈ほどの大きな翼を中心に、鳥(特に猛禽類)に似た特徴を持つ。当時の彼は未完成な飛行能力を持っていたと複数名が証言している。
 学生当時の写真が手に入った。ケイゴと顔立ちがよく似ている。
 
 飛行プログラムの進捗について。
 カラス、ハト、文鳥、インコなど複数の鳥を飼育しているが、ケイゴが特に興味を示すのはタカ。
 もとは鷹狩りで活躍していたが老齢のため引退。飼い主の鷹匠に交渉し譲り受けた個体である。このタカはよく人に慣れており、ケイゴがじかに羽に触れている姿も時々見受けられる。

 成果としては、生え代わってきた新しい剛翼に変化のきざしがあった。以前は薄い板状だったが、実際の鳥の羽を再現したつくりに変化してきている。
 これは翼の手触りでも判別できる。従来の羽はつるつると金属に似た質感。新しい羽はふんわりとしたボリュームがある。
 
 
 

 10月17日(10ヶ月目)

 羽の変化が完了した。
 操作精度については以前と同等だが、スピードがやや落ちる。状況に応じて羽のかたさを変化させるなど、改良の余地ありか。羽が柔らかな質感に変化したことで、振動の感知力は向上している。ただし、訓練の休止はしばらく続ける。
 
 先月末の落下事故から二十日が経過した。

 幸い、付き添っていたトレーナーが助けたことで大事には至らなかった。怪我(擦過傷、羽折れ数か所)も完治している。
 同年代の子どもと比べて積極性が低いケイゴだが、以前は性急なほどに飛行訓練に取り組んでいた。だが事故の後はそういった様子が見受けられない。カウンセリングの回数を調節。
 
 訓練を行っていた時間は一般常識や小学校低学年程度の学習、運動にあてている。空き時間はタカと触れ合っているほか、タカを自由に飛ばせそれを地上からじっと眺めているときが多い。
 
 

 
 12月28日(1年目)

 ケイゴが飛行能力を獲得。
 飛行訓練というものは初めは怪我をしない程度の高さから飛び降りて、落ちないようにするところから感覚を掴んでいくものだ。だがケイゴはその段階なしに地上から飛び立った。
 
 タカはここ数日は巣箱でじっとしていることが多く、ケイゴはこのタカの命がそう長くないことを悟っていたようだ。老衰の兆候をみせた生物は、大抵の場合は床で死を迎える。

だが、タカは最期に思い出したかのように飛んだ。

 ケイゴは飛び立つタカの後を追って、助走ののち翼をはためかせた。
 タカの渾身の羽ばたきを写し取ったかのような、見事な飛翔だった。そして命尽きて落下していくタカを空中で抱き留め、静かに着地した。
 
 タカの亡骸は葬儀社に火葬を依頼。遺骨の引き取りは年明けになる。
 
 この日誌をつけはじめてから今日で丁度一年になる。ケイゴの翼はこの一年で倍以上の大きさに成長した。
 夕食の後、ケイゴに小さなケーキが与えられたのは食堂スタッフのささやかな祝いだろう。

 三月中にこの宿舎での寄宿は終了となる。これからは選定した保護者のもとで一般家庭と同等の生活を体験していく予定。

 四月から、ケイゴは小学校に通う。









「火の鳥」

ホークス(24-25)とエンデヴァー(47)
※ホークスの個性についてかなりの独自解釈を含みます。
※ホークスの家族の名前、育成環境を捏造しています
※原作程度の欠損表現があります。(取り返しがつくタイプの欠損です)
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 序
 
『阿蘇山にUFO現る!』
 
 そんなニュースが人々をさざめかせたのはクリスマスイヴのことだった。

 熊本県、阿蘇山。火の国・熊本の名の由来とも言われる雄大な山は、現在も噴煙を上げ活動している日本有数の火山である。
 その阿蘇の上空に、突如オレンジ色の光の玉が現れた。
 SNSには夜闇をただよう光が火口の方へと吸い込まれていく目撃動画が投稿され、地元のニュースではクリスマス前夜の不思議な出来事として話題にのぼった。
 
 翌朝、UFOの正体が明らかになった。UFOは、火の鳥だった。
 
 阿蘇山というのはいくつかの山をまとめた呼び名だ。その中心である中岳(なかだけ)の第一火口に、一羽の鳥が現れたという。
 鳥は、まるで火のような朱色に輝いていた。
 
 中岳第一火口は荒削りなすり鉢のように深くくぼみ、底は「湯だまり」と呼ばれる白みがかったエメラルドグリーンの湖になっている。朱色に輝く鳥が白煙の中でゆっくりと羽ばたき、何をするでもなく火口湖の上にとどまっている様子は、様々な憶測を呼んだ。
 
 だが何よりも、鮮やかなエメラルドグリーンの上で煌々と光るその鳥は、ただ美しかった。
 観光客などにも開放されている火口の淵からでも、火口の底を覗き込めばこの神秘的な光を見物できた。専門家があれこれ口出しするよりも早く、美しい鳥を一目見ようと人々が阿蘇に押し寄せた。


 事態が急変したのはUFOがニュースになってから三日後、二十七日のことだ。
 その日の阿蘇は白くけぶっていた。火口からの煙が異常なほど吹き出していたのだ。
 日の出からほどなくして、火口湖の水位が急激に低下。阿蘇一帯で地鳴りが発生し、地底温度の上昇が観測された。噴火の兆候だ。現代では噴火の予測技術がある程度確立されているとはいえ、これほど急に予兆が現れたことはなかった。特別警報が発令され、阿蘇山全域が封鎖。居住地域の住民は即刻避難を要請された。
 
 正午。
 火口の底のエメラルドグリーンはすっかり干上がり、無骨な岩肌が露出している。噴煙は黒い火山灰に変わり、いよいよ恐れていた事態が起こるかと思われた。
 ところが、中岳は噴火しなかった。その代わり、人々は神代の奇跡がごとき瞬間を目にすることになる。
 火山灰でかげり真っ暗になった火口の上空。
 山の頂に君臨したのは燃え上がる翼を持つ巨大な「火の鳥」だった。
 
 十二月二十八日、未明。
 エンデヴァーとホークスは砂千里ヶ浜に二人きりで降り立った。
 砂千里ヶ浜は中岳火口を北の方角に臨む荒涼とした砂地だ。火口の淵までの距離は五〇〇メートルほどだろうか。これより先は有毒ガスが立ち込めていて容易には近づけない。
 雄大な炎の翼を広げて山上に現れた火の鳥だったが、夜間は噴火口の奥深くで眠りについている。
 日の出とともに、二人の数年越しの共闘が始まる。
 
 氷点下二度の霜夜だった。
 雪こそ降っていないが、暗い茶色の斜面がうねるように続く砂千里ヶ浜は、今日は凍り付いてまだらに白く見えた。火山灰や大小の岩石が積もる月面のような砂地には、噴火に備えたシェルターが点々と設置されている。大きなかまくらを押し潰したような円柱形のシェルターの中で、二人はじっと時を待っていた。
 強化コンクリートの白く分厚い壁はしんと黙り込んでいる。常ならば寒風が吹きすさぶ火口原は、今夜は不気味なほど静かだった。
 ホークスはにわかに立ち上がると、黒いコートを脱ぎ捨てて言った。
 
「時間ですね。じゃあ、一思いにやってください」
 
 
 
 
 
 二
 
 超常解放戦線とのあの決戦から、来春で二年になる。
 エンデヴァーは今でも揺るぎないナンバーワンヒーローとして人々の希望の灯火であり続けた。当時若干十六歳ながら決戦に参加した雄英高校一年たちも、今では三年生だ。エンデヴァーの事務所には来年の四月よりヒーロー・ショートが所属することが決まっている。
 
 ホークスは、決戦からほどなくしてヒーローを引退した。
 
 超常解放戦線の打倒から数ヶ月後の夏のことだった。
 ヒーローたちや所管の省庁が事後処理に追われる中、ホークスのヒーロー引退のニュースが日本じゅうを駆け巡った。かの戦いでも獅子奮迅の活躍をみせたナンバーツーは、まだたったの二十三歳だ。
 突然の報道に「速すぎる男の速すぎる幕引き」と人々は嘆き、活動不可能になるほどの怪我を負ったともうわさされた。
 
 このホークス引退騒動の裏には、彼が二重スパイをしていたという風説を火消しする目的があった。事実、ホークスはヒーロー公安委員会からの依頼を受けて敵連合に潜入していた。いわゆる都合の悪い真実というやつだ。
 潜入にあたって目をつむった悪事もあり、公安ともども清廉潔白な身とは言い難い。
 
 これをわだかまりなく受け入れられるほど、世の中はまだ盤石ではない。
 そう判断した公安委員会は、ホークスに引退の指示をした。真相を調査しようとする者もいたが、公安の根回しにより二重スパイの痕跡はことごとく隠蔽された。当人が姿を消してしまえば追究は更に難しくなる。
 だがこれはホークス本人と公安の一握りの者のみが知る秘密だ。市民はもちろん、エンデヴァーはじめ彼に関わりのあるヒーローたちはこの舞台裏を知るよしもない。
 
 幸いなことかは分からないが、ヒーローという表舞台に立たずともホークスができること、なすべきことはたくさんあった。いつの日かヒーローが暇を持て余す世の中を掴み取るために、ホークスは雌伏する。
 
 かくして、ヒーローとしてのホークスは人々の前から姿を消した。
 
 *
 
「灯台もと暗しだな」
 
 十二月二十七日、午後六時。
 エンデヴァーとホークスが阿蘇に入山した前日、二人はおよそ一年半ぶりに再会した。場所は博多、ウイングヒーローがかつて拠点としてた街だ。
 
「お久しぶりです。エンデヴァーさん」
 
 冬は夜の訪れが早い。夕闇もとうに過ぎ去ったビルの屋上の淵、その男はおもむろに振り返った。
 今年で二十五になるはずだが、鋭くも大きな瞳は相変わらずで若者らしい面差しのままだ。北風が黒いロングコートのすそをばさりと煽る。背中の赤い翼は健在で、むしろ以前より大きさが増しているように見える。
 
 隣県の阿蘇では異変が起こっているというのに、博多の街はふだんと変わらないにぎわいだ。年の瀬の空気にうわついた人々が通りを歩いていくが、頭上にこの地を守っていたヒーローがいることには誰も気付かない。
 エンデヴァーは出入り口の鉄の扉を閉めるなりズンズンと歩を進める。いつも顔にまとわせている炎は消して地味な私服を着ている。だが服の下にはいつも通りヒーロースーツを身に付けているようで、仕立ての良いタートルネックセーターのそでからは特殊繊維のグローブが覗いている。
 
「これは貴様だな」
 
 張りのある声で言ったエンデヴァーは、ポケットから小さな赤い羽を出した。無骨な指先につままれた羽を見て、その送り主はにやりとうなずく。

「その通りです。ちゃんと気づいてくれて安心しました」
 
 二十六日、男はエンデヴァーに向けて暗号を送っていた。朝、エンデヴァーが事務所に出勤すると所長室の机の影に小さな赤い羽が一枚落ちていた。見覚えのありすぎるそれに何らかの意図が隠されていると確信したエンデヴァーは、他の痕跡を探した。
 もう一つは、プライベートの携帯端末に送られてきた差出人不明のメールだった。迷惑メールを装ったそれに記された待ち合わせ場所と時間を読み解き、ここへやって来た。
 
「あの火の鳥のことだろう。貴様がこの羽をよこしたのは鳥が現れるよりもずいぶん速かったが、予見していたのか」
「まあ、見聞が広いもので」
 
 エンデヴァーのかつてと変わらない明解な話しぶりに、男は思わず頬をゆるませた。雄健な肉体と壮烈な炎の印象に反して、ヒーローとして事に当たる際のエンデヴァーはどこまでも冷静だ。だが今は懐かしさにひたる暇はない。
 
「時間がありません。火の鳥について、情報を持ってきました」
 
 翼の男はエンデヴァーに向き直るとよどみなく話しはじめる。

「『火の鳥』の正体は、個性が発現した鳥です。元は鷹匠に飼育されていたタカですが、ある暑い日に燃えるようなオレンジ色の羽毛に変化しました。ですがこれは単なる見た目の変化ではなく、個性発現の副作用でした」
 
 個性を持った動物は数こそ少ないが確かに存在している。たとえば雄英高校の根津校長がそうだ。
 件のタカは個性研究者からの熱烈な要望もあり、研究施設に預けられていた。
 
「ですが、貴重な個性持ち動物のうわさを聞きつけた者が施設に侵入してタカをさらいました。幸いタカは自力で逃げて、阿蘇山にやってきました」
「それで、こうなったわけか」

 エンデヴァーが携帯端末を取り出して、火口上空に巨大な翼を広げる火の鳥の画像を何枚か表示させる。
 
「助かります。俺、現地には行けてないんです。昔ならひとっとびで見て来れたんでしょうけど」
「予想はしていた。だから現地から写真とデータを寄越させておいた」
「さっすが、お見通しですね」
 
 ホークスは軽口を叩きながらも、阿蘇現地の対策本部がまとめた最新の情報を目で追っていく。
 火口に現れた火の鳥は標高1520メートルほどの位置に浮かんでいた、と記されている。火口の淵の標高より少し上空のあたりだ。
 中心に直径5メートルあまりの火の玉があり、左右に巨大な帯に似た炎の翼が生えている。翼の大きさは片翼100メートル。噴火口は東西に400メートル、南北は1100メートルの広大な楕円形をしている。
 そこにすっぽり収まる大きさではあるが、もし火口のすぐ側に立って火の鳥を見上げたならば、きっと空が真っ赤に焼き尽くされたかのような錯覚を覚えるだろう。
 
 二十七日正午にこの巨大な姿となった火の鳥は同日の夕方、日が沈むとともに山上から姿を消した。計測によると現在は噴火口の底、エメラルドグリーンの湖があったところで休眠しているという。翼が消えて中央の火の玉だけの姿になり、じっとしている状態だ。
 
 阿蘇山の全容を写した画像をしげしげと眺める。この遠さからからでも煌々と輝く炎の翼が確認できる。
 さながら神話のような光景だ。
 空は火山灰でかげっていて一見すると夜のようだが、すみに午後二時と文字が入っている。
 
「中央の火の玉、この中にタカ本体がいます。タカの個性は『纏熱(てんねつ)』。熱を吸収して身にまとうことができます」
「となるとこの翼は……マグマか?」
「おおむね正解です。本来はこんなに強力な力じゃないんですが……さらわれた後に個性増強剤を打たれて暴走してると踏んでます」
 
 ホークスは暴走状態にあると思われるタカの能力について解説していく。火の鳥の翼はマグマそのものではなく、個性により吸収された熱が炎に変化したものだ。火口に落下したタカは地の底のマグマの熱を吸収した。それも限界を超える量の熱を。
『纏熱』でまとわれている熱は中央の火の玉の部分のみで、許容量を超えてあふれてしまった熱が炎の翼となって出現している。
 
「夜間に休眠に入ったと書いてあるが、時刻がちょうど日没と一致している。熱の吸収とやらに、日光も関係していないか」
「そこ、俺も気になってました。これは半分予測なんですが、マグマの熱をいっぱいに吸収した所にさらに太陽光をあびて、限界を超えてしまったのかなと」
「十分ありうる。となると、明日の朝にはまた火の鳥が現れるな」
 
 二人は情報を出し合って火の鳥が及ぼす影響について考える。
 最悪なのは、火の鳥が火口に落下した場合だ。そうなるとあの翼のとんでもない熱量が刺激となって、噴火が起こってしまう可能性がきわめて高い。
 自然の力というのは恐ろしいものだ。通る先を一瞬で焦がしつくす火砕流はもちろん、噴火によって巻き上げられた火山灰は時には世界規模の異常気象も引き起こす。
 
 個性増強剤の影響も鬼門だった。タカに使われたのはこのところ警察が取り締まりを強化していたものとみられ、人間に使った場合でも十分に強力なものだ。暴走の規模から判断しても火の鳥の姿になるのはあと一回が限界だろう。
 つまり、リミットは明日だ。
 
「今回の件、俺は対策本部からの招集で来ている。目標は最悪の事態、噴火の阻止だ。希少な個性持ち動物とはいえあのタカの生死は問われないだろう。恐らくだが」
 
 深くえぐれた広大な噴火口は、まるで要塞の堀のように火の鳥への接近をはばんでいる。更に付近には有毒なガスが立ち込めていておりうかつには近寄れない。情報不足もあり、対策本部は二の足を踏んでいる状況だ。
 
「解決するだけなら、タカ本体を撃ち落とすのが最速です。でも……
「そうしたくないのか」
……ヒーローをやめてから、ずっと考えてました」
 
 かつてヒーローだった男は、うつむいて自分の爪先を見つめながらそっと口を開いた。
 
「エンデヴァーさんなら薄々察していたかと思いますが、俺は敵連合との戦いに備えて二重スパイをしてました。大義のためなんて言い方すれば聞こえはいいですが、汚いこともやりました」
 
 瞼を閉じると浮かび上がるのは幼い日の記憶だ。最速のヒーローを目指すようになった、その原点。救えなかった自分のたからものと、母さん。
 そして、飛び方を教えてくれた老いたタカを墜落させまいと、無我夢中で飛んだあの日のこと。
 
「自分でも傲慢だと思いますが――俺はもう、何一つ取りこぼしたくない」
 
 ヒーローの決意表明というには悲痛な、ひとりの人間としての絞り出すような本音だった。夜風にまぎれそうな小さな声を、傍らに立つ炎のヒーローはしっかりと聞き届けた。そしてこう言った。
 
「ならば、それをやれ」
 
 翼の男ははっと面を上げた。奮い立たせる訳ではなく、突き放すのでもない。ただ、やれとエンデヴァーは言う。彼自身がそう在ろうとあがいてきたからこその、実直な物言いだった。
 
 そういうところだ。
 そういう、不器用なくせに諦めが悪いヒーローの背中をずっと見てきて、ずっと憧れてきたのだ。胸の中が輝かしい朝焼けのような色に塗り替えられていく。
 
……エンデヴァーさん」

 男の瞳に剛直な炎が宿ったのを見て、エンデヴァーは微かに唇の端を上げた。
 
 
 
「情報をまとめるとしよう。火口付近はガスが充満している。接近して対応できるヒーローもいるかもしれんが、今から招集するには厳しい」
「俺は炎の翼の撃破がカギになると考えてます。あれは本来なら冷めていてもおかしくない熱がタカの個性でキープされてる状態です。だから、翼を核……中央の火の玉から切り離してやれば、『纏熱』の支配から離れて消える。そうすれば暴走も収まっていくはずです」
「だが片方のみの撃破は危険だ。片翼だけでもあの大きさだ、落下すれば噴火を招くだろう。つまり突破口は、」
 
『遠距離からの両翼同時撃破』
 
 二人の声がぴたりと重なり、顔を見合わせる。
 
――お前の羽を飛ばすのはパワーが足りないか。それに翼のこの大きさ、生半可なものでは翼を切り離す前に燃え尽きてしまう可能性が高い」

 エンデヴァーはあごに手を添えて黙り込む。遠距離かつ熱に耐えうる策を目まぐるしく考え巡らせているのだろう。そこに翼の男が慎重な声色で切り出す。
 
「エンデヴァーさん。投擲、できますよね」
「詳しいな。『見聞が広いから』か」
「そ、ソウデスネ」
 思わぬ一突きに目が泳ぐ。ずっと見てきたから知ってる、なんて言えない。
 
「炎の槍の投擲か。あれなら投擲の地力に炎の推進力を上乗せすれば、五〇〇メートルほどなら射程圏内だろう。だが『纏熱』は熱を吸収する。槍が消えてしまっては元も子もない。それに今回カギとなるのは同時撃破だ。俺は同時に二本は投擲できん」
「なので、俺に考えがあります。ヒーローやめた身で図々しいですが、いいですか」

 翼の男の言葉こそ遠慮がちだが、その瞳はぎらりと光っている。賢しくも強欲な、猛禽の眼だ。
 
「話せ。第一、なんだその翼は。それを見れば貴様が大人しく隠居していた訳でないのは分かる」
 エンデヴァーが翼を横目で見て言う。赤い翼はかつてナンバーツーとして活躍していた頃よりも二回りほど大きく、力強く変化していた。
「お前の図々しさなどとっくに承知している」
 
――ありがとうございます。俺の羽単体ではパワー不足、エンデヴァーさんの炎の槍は吸収されてしまう。つまり、燃え尽きずにあの翼まで届いて、貫けるような槍があればいい」
 
 一息おいて、翼の男は作戦を説明する。
 それを聞いたエンデヴァーはしばし考え込み言った。
 
「良いだろう」
「いいんですか」
「俺とおまえならばやれると判断したまでだ。だがこの策はおまえへの負担が大きい」
「それもちゃんと考えた上でのことです。大丈夫。この程度で倒れるなんて……平和の礎になる気なんて、毛頭ありません」
「ならば、今度は俺からこの言葉を言おう」
 
 エンデヴァーは男の瞳を真正面から見て、告げた。
 
「チームアップの要請だ、ホークス」
 
 *
 
 こうして、厳戒態勢の阿蘇山の対策本部に二人は現れた。
 およそ一年半ぶりに人前に姿を現した元ナンバーツーの姿に本部はどよめいた。降って湧いた打開策には反対意見もあったが、あのエンデヴァーがいけると判断したとあっては口を挟む者はいなかった。
 何より元ナンバーツーの圧倒的な実績がものを言った。ホークスが持つ「最速」の経歴は、いまだ誰にも塗り替えられていない。
 
 舞台は十二月二十八日未明の阿蘇に戻る。
 エンデヴァーとホークスはジープで山道を揺られ、火口の淵から五〇〇メートルほどの地点に送り込まれた。砂と岩の斜面が見渡す限り続く、砂千里ヶ浜だ。火の鳥が目覚める直前までここで待機となる。
 来た道を戻っていくジープを見送り、二人は噴火用の避難シェルターの中で時を待つことにした。
 早朝の山はきんと冷え込む。十分な防寒をしているとはいえ、じっと座っているのは身にこたえる。
 ホークスがひっそり震えていると、エンデヴァーは自身のすぐ隣を指さした。炎の個性を持つ彼はヒーロースーツ姿でも寒くないらしい。今は閉所であるためか顔や肩の炎は消している。
 
「来い」
「え、いいんですか」
「人を何だと思っとるんだ。こんな時くらい、背中なら貸す」
「やった、あったかぁい」
「日の出時刻は午前七時十七分。あと一時間ほど猶予がある。動けるよう身体を温めておけ」
「ありがとうございます。ちょっと、借ります」
 
 エンデヴァーが背中を向けてやると、ホークスはそろりとくっついて暖を取り始める。しばらくもそもそと身動きしていたが、やがて静かになった。規則的な呼吸から察するに浅く眠りはじめたらしい。
 エンデヴァーも瞼を閉じ、決戦に向けてじっと感覚を研ぎ澄ませる。
 
 
 
 
 
 三
 
 炎が燃える音が聞こえる。
 もう二度と聞くことはないと思っていた、俺のたからものの声だ。
 もうぬいぐるみを抱きしめるような歳でもないけれど、思わず腕を伸ばす。ところがたからものは俺の記憶以上に大きくなっていて、腕が回りきらないくらいだ。
 それに、ぬいぐるみなのに不思議なくらい温かい。
 
 
 
……あ」
 冷たい空気が一気にホークスの意識を引き戻す。視界いっぱいのヒーロースーツの背中と、妙にリアルな温もり。もしかして、やってしまったんか。ホークスが無言で悶えていると、気配に反応したらしいエンデヴァーはスッと目を開いた。
 
「起きたか」
「あー、はい」

 ホークスはこっそりとエンデヴァーの表情をうかがう。だが特に普段と変わらない様子だ。もし寝ぼけて背中にしがみついていたとして、それをいじるタイプでもないので真相は闇の中だ。

 ホークスは咳払いをして気を取り直す。携帯端末の時刻を確認すると、午前六時四十五分。日の出まであと三十分ほどだ。ホークスはおもむろに立ち上がり、小雨覆のあたりだけ残して羽のほとんどを外した。コートを脱ぎ捨てて上半身をぴたりと覆う長袖のアンダースーツ姿になると、エンデヴァーにくるりと背中を向けた。
 黒いアンダースーツの背中は広い窓のように翼を出す穴があいている。
 
「そろそろ時間ですね。じゃあ、一思いにやってください」
 
 エンデヴァーは頷くと、ホークスの右翼の付け根に左手を添え、それから右手で翼の根元を握りしめた。
 
「フッ、う……
 エンデヴァーの万力のような握力がホークスの翼をぎちりと捕える。
 ホークスの背中が痛みでびきりと歪む。額には脂汗が浮かび、シェルターの壁につかまった指先がぐっと白んだ。
 
「ふ、あう、ぐッ――!」
 次の瞬間、赤い翼は皮膚の下に埋まっていた骨ごと、ずるりと引き抜かれた。
「ハア、ハア……
「麻酔の具合はどうだ」
「ないよりはマシってとこです。次ッ……反対もお願いします」
「ああ」
 
 翼の持ち主は痛みに耐えながらもあくまで落ち着いた態度で、今度は左の翼を差し出した。エンデヴァーもつとめて冷静に、左翼を同じように引き抜いた。
 
 *
 
 前日、博多にて。
 ホークスが提案したのは、翼の骨をもとにして槍をつくり、それを二人同時に投擲するという策だった。
 
「骨で槍をつくる、だと?」
「はい。それにはまず俺の個性について話す必要があります。俺の剛翼は『鳥っぽい個性』ではありません。血液操作がルーツにある能力です。簡単に言えば、この翼は全部血液からできてます」
「やはりそうか」
「知ってたんですか?」
「見ていれば単なる鳥の個性ではないと分かる。血液が関係しているとは分からんだが」
 
 ホークスは己の個性について説明を続ける。血液操作といえば、雄英高校で教師をしているブラッドヒーロー、ブラドキングの『操血』が有名どころだろう。彼の場合は血液で剣を創り出すなど自在に変化させることができる。
 だがホークスの場合は制限があり、基本的には羽しか作り出せない。
 
「なるほど。それで、どう槍と関係してくる」
「いくつか説明することがあるんですが……まずは翼の骨のことです。俺の翼には雨覆の下あたりに鳥と同じように骨が入ってます。これは普通の骨とは違って、羽と同じように血液を元にできてます」
 
 翼の骨は羽よりもずっと頑丈なつくりで熱にも耐性がある。飛行時の風圧に耐えられるよう、長い時間をかけて硬くしなやかに創ってきた。羽なら燃え尽きてしまう高温でも骨ならば突破できる。
 
「次に、俺の羽はある程度なら硬さや形を変えられます。風切羽を剣のように使ってるのは見たことあるでしょう? ああやって使う時だけ刃物みたいに硬く鋭く変化させてるんです。普段はこの通り、フワフワですよ」
 そう言って自身の翼をなでてみせる。
 
「最後に、硬さや形の変化能力について補足です。ヒーローを引退してから俺は考えてきました。ヒーローとしての俺の在り方もですが、この剛翼で何ができるのか。俺はもう、何一つ取りこぼしたくない。そのためにはどうしたらいいのか」
 
 ホークスはいったん言葉を区切って遠くを見やる。繁華街のきらびやかな光に照らされた夜空のすみには、上限の三日月がぽつりと浮かんでいる。
 
「機動力と超速度、飛行能力は俺の強みです。これをなくすのは考えられない。だったら、基本のスタイルはこのままにパワーを底上げできないか。もっと飛行速度を上げれないか。色々やってみました」
「翼が大きくなったのもその成果か」
「そういうことです。それで、俺は変化能力の強化にも成功しました。こんなふうに」
 
 ホークスは羽を何枚か宙に浮かせた。軽やかな質感の羽は空中で絡み合うとくしゃっと形を崩して、あっという間にツルリとした質感のボールに変化した。それもホークスが指を鳴らすとパッと元の羽に戻る。
 
「ほう」
 エンデヴァーはわずかに目を見開いて感嘆の声をもらした。
「あんまり複雑なのはまだ無理ですが。骨から槍の形に変化させるくらいなら、今の俺だったらできます」
 これで槍の出どころは決まった。
 
「問題になるのは推進力です。地形から見ると、砂千里ヶ浜――火口の南にある砂漠みたいな場所ですね。そのはじっこ、火口にギリギリまで近寄った場所から投擲するのがいいと思います」
 
 それでも火口中心までの距離は三〇〇か四〇〇メートルほどある。エンデヴァーの炎の槍の射程距離を参考にすると、彼の投擲の地力に炎の推進力を上乗せして五〇〇メートル。十分に圏内ではあるが、今回は槍が到達するだけでは足りない。
 翼を切り離すパワーが必要なのだ。
 
「そこでです。俺は羽一枚一枚を操作するのと同じことが骨でもできます。投擲と、エンデヴァーさんの炎の推進力、俺のスピード。三位一体でいきます。この槍なら、燃え尽きずにあの翼まで届いて、貫ける」
「骨の槍に炎をまとわせるというわけか。だが今回の要は両翼同時撃破だ。俺は二本いっぺんには投げれんぞ」
「俺が、投げます」
「ほう?」
「ぶっちゃけ槍の投擲なんて実戦でやったことないです。でも俺は、できないことをできるとは言いません」
 
 ホークスは覚悟の決まった表情でエンデヴァーと向かい合う。
 
「これが俺の最速、最善の策です」
 
 そう、あなたをずっと見ていた俺ならば、できる。あなたと瓜二つの姿勢で、並ぶスピードで、ぴったりのタイミングで。
 
 必ず投げてみせる。
 
 *
 
 シェルターの床には今、翼だったものが二つ並べられている。血液をもとにできているという翼の骨は深い赤色をしている。ホークスはその前に立ち、両手をその上にかざした。
 
 翼の骨は背中に埋まっていた部分も合わせて1.5メートルほどの長さだ。当人が頑丈と豪語するだけあってがっしりと太い。ホークスの腕ほどはあるだろう。鳥の翼骨と同じようにいくつかの関節で曲がったそれが、みるみるうちに寸分の狂いもない直線に引き伸ばされていく。
 やがて鋭い穂先が形作られ、長さ二メートルあまりの端正な槍が完成した。
 できあがった槍がふわりと宙に浮かび、一本はホークスの手に飛び込み、もう一本はエンデヴァーの元に向かう。
 
「見事な朱槍だ」
「お褒めに預かり光栄です」
 
 エンデヴァーは受け取った槍をぐっと握って強度を確かめ、手に馴染ませるようにぐるりと旋回させる。ホークスの背中に翼が生えてから二十余年。あらゆる風に耐えるため練り上げたてきた骨は、強靭な槍と化した。
 
「じゃ、そろそろ行きましょうか」 
「待て。その傷のまま向かうつもりか」
 
 コートを拾い上げて歩き出すホークスをエンデヴァーが呼び止める。翼の骨の根元は肩甲骨に沿うように背中に埋まっていた。それを引っこ抜いたのだ。
 ホークスいわく、時間はかかるが再生可能で致命傷にはならないとのことだが、この後の投擲に備えるため最低限の部分麻酔しかしていなかった。痛くないわけないだろう。
 ホークスのアンダースーツは翼の動きをさまたげないように背中を広く露出しているが、そこは今は血だらけの肌が覗いている。左右の肩甲骨のあたりにぼこりと開いた二つの穴には、赤い血に紛れて分かりにくいが、これまた赤い羽がぴったりと貼り付いている。
 それを見つけたエンデヴァーが鋭くとがめる。
 
「貴様! それで手当したつもりか」
「ええっ、意外と便利なのに」
 
 構わずコートを羽織ろうとするホークスをひっ捕らえ、傷を検分する。
 
「羽を使うにしても圧迫の位置がなっとらん。何故おまえは自分の事となるとこうも……
 はっきりとした物言いをするエンデヴァーにしては珍しく、中途半端に言葉尻が消える。ホークスは続く言葉を尋ねるべきかとちらりと背後を振り返る。だがエンデヴァーはすでに別のことを考えている様子だった。
 
……止血をするにしても刻限が危うい。灼くか」
「やく」
「そうだ。こらえろ」
「え、ちょっと、……――!」
 
 ホークスが止める間もなく背中に分厚い掌が押し当てられ、灼熱が駆け抜ける。ジュッと音がした気がした。それも二連続で。突然すぎて声も出せなかったホークスにの背に、今度はヒヤリとした感覚が走る。
 
「ひゃッ! あ、やけど用の冷却材ですか」
「万一人を巻き込んでしまった時に備えて持ち歩いている。……あと五分、猶予がある。このままじっとしていろ」
 
 背中に冷却材を押し付けてくれているエンデヴァーの声を聞きながら、ホークスは無言でうなずいた。冷却材の下の火傷がじんじんと熱い。彼の掌が、まだそこにある錯覚をしてしまう。
 
 幼い日の自分の心を守ってくれたたからものが炎のヒーローを模したぬいぐるみだったと気付いてからは、ニュースなどで見かけるそのヒーローを自然と気にするようになった。
 その人は大人なのに不器用で諦めが悪くて、子どものくせに小器用で諦観している自分とはまったく対照的だった。こんな人がいるのかと驚いた。理解しがたい生き方と思った。だが、戸惑いともどかしさが胸を焦がす憧憬に変わるまで、そう日はかからなかった。
 
 彼の不屈の背中は、ホークスの道しるべだ。
 
 何一つ取りこぼしたくない、そのために最速のヒーローを目指すと決めた。
 はるか遠い道行きの果てにこの人がいる。
 そう確信して走り抜けてきた日々が、ホークスの心に剛直な芯を通した。
 
 深く根をはった憧れを慎重に隠して、ナンバーツーとして彼の隣に立っていた。あくまでも偉大な先達に向ける敬愛のように、その枠をはみ出ないように。でも今日ばかりはそのカモフラージュがはがれてしまいそうで、ホークスのよく回る舌はすっかり固まってしまった。
 
 
 
 エンデヴァーは目の前のふわふわした麦わら色の髪のつむじを見おろしながら、ホークスの言葉を思い出す。
 
『ぶっちゃけ槍の投擲なんて実戦でやったことないです。でも俺は、できないことをできるとは言いません』
 
 この若者は自分と同じように投げてみせると言った。そのための方法も聞いているが、翼を引き抜いた傷は深く、体力の消耗も激しい。厳しい戦いになる。
 だがこの男は何一つ取りこぼしたくないと子どものような声色で言った。
 それが、ホークスというヒーローの芯なのだろう。
 
 飄々とした態度を崩さないこの男が、時折妙に切実な目で己の背中を見ていることなど、とっくに気付いていた。
 背中に目はついてないが、無言の声を悟れずして何がヒーローか。
 
 ずっと己を見てきたであろうこの男に更に何か与えてやろうとするならば、言葉しかあるまい。あえて言葉にすることの大切さは、自分が壊した家族と向き合う過程で学んだ。
 背中を押すような大層なことは言えない。エンデヴァーは自身のこれまでの経験、苦汁、辛酸、努力の記憶をたぐり寄せ、慎重に言葉を編む。
 
……ホークス。おまえは何事にもそつのない奴だと思っていた。だがおまえは『最速』に至るまで、途方もない鍛錬を積み重ねてきたのだろう。この槍を手にして改めて分かった。己を深く理解している者が最後にぶつかるのは、己の限界だ。おまえは表舞台を退いてからの一年半で、それを超えた」
 
 ホークスの背中がかすかに震えるのを掌に感じる。届いている。
 確信して、駄目押しの一言を添えた。
 
「更に超えてみせろ」
 
――やってみせますよ!」
 背中に押しつけていた掌を離すと、ホークスは振り向いて笑った。
 彼がエンデヴァーに初めて見せる満面の笑みだった。
 
 シェルターを出て火口に向かって並んで歩く。霧が立ち込める静かな斜面を進み、火口の淵にたどり着く。
 地面を深くえぐり取ったような断崖の噴火口。今はガスが満ちていて見えないその底に、タカは眠っている。
 
 間もなく夜が明ける。東の空に太陽のきらめきがにじみ始めたならば、目の前にはじきに巨大な火の鳥が現れるだろう。
 
 かくして、神話の退治伝説がごとき決戦の幕が上がった。
 だがこれは屠るのではない。救うための戦いだ。







 四
 
 天が燃えている。そう思った。
 
 エンデヴァーとホークスが立つ噴火口の右手、東の空が紫から薄紅へと変わっていく。
 朝日が山の端からきらりと射し込んだ瞬間、変化は始まった。
 
 暗くけぶる火口の底が揺らめく。
 氷点下の空気が瞬く間に消え去る。
 次の瞬間。
 大地を震わせながら、火の鳥は目を覚ました。
 
「でっか……
 ホークスが思わず声をもらす。火の鳥の迫力は想像以上だった。
 
 二人が陣取る火口の淵から火の鳥が浮かぶ火口中央まで300から400メートルある。これだけの距離でも、圧倒的な熱気が肌をチリチリと焦がした。
 二人の位置から火の鳥に対峙するとやや見上げる形になる。紅蓮と朱色に揺らめく炎の翼は、視界をほとんど塗りつぶすほどだ。
 
 落ち着いた様子で火の鳥を観察するエンデヴァーはいつも通り顔に炎をまとっていたが、この後の段取りのために肩や腰には炎を灯していない。
 ホークスはロングコートを羽織り、背後にあまたの羽を引き連れている。赤い羽をぐるりと円盤のように並べて浮かべた姿は、羽根を広げた孔雀のようでもあった。二人の手にはそれぞれ朱槍が握られている。

 ホークスはコートを脱ぎ捨て黒いアンダースーツ姿になると、右手に耐火グローブをつけた。
「行きましょう」
 
 エンデヴァーが頷く。右手に携えた槍の石突をズンと地面に打ち付けると、一瞬で炎を槍にまとわせた。
 ホークスは槍を捧げるように持ち、エンデヴァーのそれに近付ける。穂先と穂先を合わせると、ホークスの槍にも炎が宿った。
 
 二人は十メートルほど距離をあけて並び立つ。エンデヴァーは向かって右、ホークスは左の翼を狙い撃つ。
 エンデヴァーはホークスにくるりと背を向けた。炎をまとっていない身体は躍動するような肉体がよく見える。
 
「準備はいいな。俺の技量、存分に使え」
「はい。あなたと瓜二つの姿勢で、あなたと並ぶスピードで、ぴったりのタイミングで投げてみせます」
 
 そう言うホークスの身体に赤い羽が次々に貼り付いていく。背筋の隆起に腕の内側、肩のカーブに関節に脚の腱。剛翼をテーピングや筋力補助代わりに使おうというのだ。
 
「俺ならできる。だって、あなたをずっと見ていたから」
 
 大地の鳴動にかき消されないよう張り上げたホークスの声に、エンデヴァーは背中越しにきっぱりと答えた。
 
「知っている」
 
 天空から火の粉が降り注ぐ。火の鳥が悲鳴のような爆炎をあげる。
 地の底から響き渡る地鳴りが鬨の声だ。
 これから、永遠のような一瞬がはじまる。
 
 
 
 開始の言葉はなかった。
 
 エンデヴァーは黙ったまま右手で槍を高く掲げる。照準器のように左手を構え、炎の翼の付け根を見据える。ホークスはスウと目を細めて彼と同じ体勢をとった。
 
 ホークスはたった十メートル向こうに立つ遠い背中を見つめる。
 
 俺とエンデヴァーさんは隔たっている。
 俺が彼と同じことをなすには経験が足りない、膂力が足りない、火力が足りない、執着が足りない。彼の四十余年の厚みに俺は追いつけない。
 それを剛翼で埋める。身体に添わせた幾枚もの羽で補う。剛翼で身体を強引にしならせエネルギーを溜め軋む骨を支え豪速で押し出す。
 
 俺とエンデヴァーさんは乖離している。
 身長が違う、歩幅が違う、個性が違う。体格差から生じるズレを、立ち位置から生じるズレを瞬時に計算しろ。瞬時に調整しろ。
 膨大な情報処理に脳みそが過熱する。どぷりと鼻血が流れ出す。だが一ミリも退く気はない。一ミリもズレさせない。
 
 十メートル向こうの背中が焔のようにゆらめく。
 細胞の隅々まで気迫が満ちるのを、鷹の眼は逃さず捕えた。
 
 静かに滑り出すよう地を駆ける。
 槍を掲げる右腕がぐんと隆起する。
 次の瞬間、鞭のようにしなる身体が槍を撃ち出した。
 疾風よりも速く槍は駆ける。最速を超えて、炎の尾をひいて宙を裂く。
 
 二人の槍は、見事に炎の翼を貫いた。
 
 
 
 
 
 結
 
 二条の平行線がまっすぐに空を走る。
 ふたつの閃光が同時にはじける。
 翼の根元に空いた大穴がたちまち広がって、中央の火の玉から切り離される。
 
『纏熱』の支配から逃れた炎の翼は蜃気楼のようにゆらめき、やがてゆっくりと散っていった。
 灼熱の海を通り抜けた二振りの槍はあたりの煙を散らし、そして役目を終えたかのように燃え尽きた。
 
 頭上には雲ひとつない夜明けの空が広がっていた。
 紫から薄紅へ、薄紅から朱へ。昇る日が夜を塗り替えていく。
 
 だが、まだ終わっていない。
 
 ホークスは右手をかざして東から射す朝日をさえぎる。
 暁光が照らす火口の中心、そこには火の玉がぽつんと浮かんでいた。直径五メートルほどだった火の玉は、今は一メートルほどに縮んでいる。この中に火の鳥の正体であるタカがいる。
 よく見ると炎の膜は繭のようになっており、うずくまる鳥のシルエットをくるんでいる。
 ホークスは固唾をのんで見守る。
 
 やがて炎の繭はじわじわと薄れ、ぱちんと火の粉を散らしたのを最後にシャボン玉のように消えた。その中から朱色の羽毛をしたタカが現れた。
 命を燃やし尽くしかねない個性の暴走から無事生き延びたのだ。
 だがこのままでは墜落してしまう。
 ホークスが残った羽を鋭く飛ばそうとするが、エンデヴァーが制止した。
 
「待て、見ていろ」
――――!」
 
 重力に従って落下するかに見えたタカは、次の瞬間、ほころぶように翼を広げた。羽の一枚一枚をぐんと伸ばし、舞い上がっていく。
 
「ああ、よかった」
 
 朱色の翼は暁の空に輝く明星のようにはばたく。
 ホークスはほっと息をつき、しばらく好きに飛ばせてやろうと目を細めた。なにしろ、久しぶりの自由な空だ。
 
「ホークス。復帰はいつになる」
 
 エンデヴァーがふと問いかける。その視線ははるか遠く空の果てを見ている。
 
「おまえは平和の礎になる気などないと言ったな」
「もちろんです」
 
……ならば、また駆けあがって来い」
 ヒーローが暇を持て余す世の中を、共に手に入れるために。
 
 翼を失った男の身を案ずるよりも、先の未来の話をする。どんな時も決して歩みを止めない彼らしい言葉だ。
 
「必ず戻ってきます。少し時間はかかりますが」
 
 駆けあがって来いなんて言われずとも、ホークスはずっと彼を道しるべに飛んできた。来いと言われて、行かないわけがないだろう。
 
「だからエンデヴァーさん。俺を、見ていてください」
 
 夜明けが世界に満ちていく。
 新しい明日を連れてくる。
 やわらかい彩光に包まれて、ホークスは晴れやかに笑った。
 
 



(了)

→おまけSS



「満点の星の下」

‪おまけペーパーに載せていたSS

=======

 石くれだらけの斜面を走るジープにがたごと揺られている。窓の外を流れていく空は黒く重く、星一つ見えなかった。
 
 俺とエンデヴァーさんは後部座席に並んで腰かけている。一年半ぶりの再会だ、俺は今まで通りのホークスとしてあれこれ喋って場を取り持つつもりでいた。だけど、隣にじりじりとした温度がある。ただそれだけで用意していた言葉は、胸に満ちた懐かしさに全部とけてしまった。
 俺は黙って窓の外の空を眺めていた。顔を近づけたガラスはひやりとした気配をまとって、息がかかっただけで簡単に白く曇った。
 
「貴様ももう二十五になるのか」
 不意につぶやく声がして振り向く。
「俺の歳、知ってたんですか」
「その位知っている。それに貴様は娘と同い歳だ」
 
 それで、と納得したが同時に驚きもした。エンデヴァーさんが俺の前で娘さんについて話すのは初めてだった。わき上がるなにかにつられて、つい口走る。
 
「実は今日が誕生日で。ちょうどさっき二十五歳になりました。俺の誕生日、初めて空飛んだ日なんです」
 
 言ってしまってからしまったと口をつぐむ。彼は小さい頃からずっと見てきた相手だが、ヒーローとしてきちんと関わったのはわずか数ヶ月だ。短くも濃い日々ではあったけど、互いにこういった私的なことを話すことはなかった。祝いをねだるみたく宙に浮いてしまった言葉をどう始末しようかと、そわつく。
 その時エンデヴァーさんが口を開いた。
 
「そうか、初めて飛んだ日が。良い偶然もあったものだな」
 
 祝いというには淡泊でぎこちない、だけどこの人にしてはずいぶん柔らかな声色がじわりと染み込んでくる。俺の本当の誕生日は分からないから初めて飛んだ日を誕生日にしたという意味だったのだが、勘違いさせてしまったらしい。でも、今はもうこれで十分だ。
 
 普段よりなだらかな眉間を、わずかに緩む口元を目に焼き付ける。暗い所でも碧の瞳は直刃のような光を絶やさないのだと知った。
 この瞳の先にある景色と同じものが見られたらいい。だから、もっとあなたと話がしたい。
 わき上がるなにかの正体は、これだ。
 
 にわかにジープが速度を緩める。作戦の待機地点に到着したのだ。車を降りて霜の降りた斜面を踏みしめ歩く。
 
 夜闇と火山灰に覆われた空はひときわ暗い。だけど俺は雲を抜けた先にある空を、月を、星々を知っている。
 夜空の逃避行に繁華街の油の臭い、老いたタカの滑らかな羽毛に炎をまとったぬいぐるみ。ここに飛んで来るまでに見たものの美しい寂しさ、やるせない優しさ、切ない温かさをいつか少しでも話せる日が来るといい。赤茶けた砂地に遠く長く連なるわだちを顧みて思った。
 
 十二月二十ハ日、午前五時。
 夜明けまであともう少し。


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