@nanameru
もくじ
2≫「葉桜とスニーカー」同級生if/20.05.29
3≫「夏のひと」不倫 花を枯らす炎司/20.06.26
4≫「引き分けにしよう」離れがたい朝/20.07.14
5≫「あなたとあゆむ」夜の散歩/20.07.14
6≫「夏来たるらし」夏を待つ炎司/20.07.19
7≫「夏来たるらし・続」夏を迎えるホー/2021.07.30
8≫「拝啓、盛夏の候」お盆ネタ/20.08.15
9≫「業火を植える」同じ夢を見る幼少炎司/20.08.26
10≫「拝火を棄つ」炎司が嘔吐する/20.12.08
11≫「I CQ」ホーと冬と孤独/21.07.30
「葉桜とスニーカー」
ホー炎/二人が同級生の時空です
もし二人が同世代だったらこういう金銭感覚に端を発したディスコミュニケーションが発生しそうだな…という話
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葉桜のトンネルが真っ白いシャツに緑色のかげを落としていた。
この制服を着るようになって二度目の、轟とこうして気安く話す仲になってからははじめての初夏だ。
少し前を歩く轟の背中がまぶしくて、思わず目を細める。おなじ制服のはずなのに、彼のシャツは俺のとは全然違って見える。一日身につけていたはずなのにちっともくたびれていなくて、襟なんて風に吹かれる度ぴしりと音が鳴りそうだ。しみひとつない白は木漏れ日を受けとめてちかちか光っていた。
道が二つに分かれて、じゃあまた明日、と言おうとした時だった。ぐるんと振り向いた轟と目が合う。妙に改まった顔をして、なにごとだろう。むすっとした顔で突き出されたその手には、学校指定の鞄のほかにもう一つ持っていた手さげかばんが握られている。
「鷹見、これ」
俺に受け取れということらしい。何か貸していたものがあったかと首をかしげて中を改めると、なんとか両手に乗っかるくらいの大きさの箱がある。有名なスポーツブランドのロゴがかいてある、その中身は。
「これ……」
頭によぎるのは、何週間か前の休み時間の他愛ないやりとりだ。
回し読みのストリートファッションの雑誌をぺらぺらめくる俺と、前の席で次の授業の準備をしている轟。ふと轟が振り向いて、ちらりと雑誌に視線を落とす。
『鷹見はこういう格好するのか』
『んー、かっこいいとは思うけど。ちょっと手が出ないかな』
似合いそうなのにな、とふいうちで言われて少し舞い上がってしまった。そのとき雑誌で見たぴかぴかの赤いスニーカーが、今ここにある。
「もしかして、俺に、プレゼントってやつ?」
「鷹見に履いて欲しいと思った。だから」
普段から一文字に引き結ばれた唇は今日はいつも以上にまっすぐで、下からじっとのぞき込んだ瞳はぷいっとそらされてしまった。
どくどくうるさい心臓を押さえつけるように、箱を抱える。
「ホントにいいの? すごく、嬉しい」
ありがとう、まじでかっこいい、今度履いてくる、ぺらぺら話す声は震えていないだろうか。喋れば喋るほど、ぐんぐん空に上がってく気球みたいに言葉ばかりが膨らんで、ほんものの俺は地面に置き去りのままだ。
「じゃあ俺、これからバイトだから」
「ああ」
そういった轟の顔は今まで見たどの顔よりもやわらかで、たとえば数学の授業で完璧な解答をしてみせた時なんかよりもずっといい顔をしていた。
駆け込んだ公園のベンチでスニーカーに足をつっこむ。鮮やかな赤が目を刺す。急いで通した靴紐はぐちゃぐちゃで、でもこの定価三万いくらかのプレゼントは俺の足にぴったりだった。
憐れまれてる、そんなわけはない。
いつもよりむすっとした顔は照れ隠しだって分かるし、ストリートっぽいブランドの店内で少し浮いてる姿だって見てきたみたいに目に浮かぶ。足のサイズだって、轟の足は俺より三センチもでかいなんて話したのを覚えていてくれたから。
ほんとうに、俺に履いてほしくて、俺が喜ぶと思ってくれたんだ。こんなにうれしいことはない、それなのに。
ぐっと拳を握って爪先を睨みつける。
俺たちの足元には、深い深い溝がある。それは俺だけに見えていて、轟には見えていない。ずっと気付かなくてもよかったのに、真っ暗なそれに気付いてしまった。
まっすぐな背中に振り向いて欲しくていっぱい話しかけた。初めはうるさそうにされたけど少しずつこたえてくれるようになって、毎日が待ち遠しかった。四角い爪や俺の頭の上から降ってくる声。考え事をしてるとどんどん前に出てくる下唇や、作り物みたいな頬に色がやどる瞬間。
近くにいられるというだけで世界のぜんぶが鮮やかに見えた。まぶしすぎて目をそらしたくなるのをこらえて、目に焼き付けてきた。
十六年、生きてきた中で一番まぶしいと思った、だけど。
「こんなことまで照らさなくていいのにな」
「夏のひと」
ホー炎/不倫
花を枯らすエンデヴァー
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テーブルに花を飾った。
花瓶なんて気の利いたもの持っていないから、水を入れたグラスに挿しただけ。殺風景なこの部屋に彩りを添えたかった、わけではない。
それを俺の向かいに座ったエンデヴァーさんが見ている。
エンデヴァーさんが、轟炎司が入院中の奥方にとある花を贈っていると知ったのは、何ヶ月か前のことだった。彼の私的な事情を嗅ぎ回るつもりはなかった。ただ、見聞の広さゆえ偶然知ってしまった。
俺は時折セーフハウスにエンデヴァーさんを招き、抱いた。欲の解消のためだけの関係は互いにとって都合がよかった。つまり、何度肌を合わせても俺は彼の心に触れられない。
要するに、欲が出てしまったのだ。ただの轟炎司の手ざわりを、わずかでいいから知りたくなってしまった。
そんなわけで、花を飾った。
秋の空のような深い青がすらりと伸びた茎に鈴のようにくっついている。花の名は、りんどうというらしい。
「俺は、花を枯らす」
グラスのなかでうつむいている花を見て、エンデヴァーさんは言った。彼は察した。俺が知ってしまったという事を。
「この花を……妻に贈っているが、自身で届けたことはない」
か弱いものをすくい上げるように、そっと花を手に取る。すると、花は手のひらの上で瞬く間に萎れてしまった。
向かい合う彼の顔をじっと覗き込む。そこには悲しみも痛みもない。エンデヴァーは、花を枯らす。乾いた事実があるだけだった。
たかが花では轟炎司の手ざわりを知ることは叶わない。けれど、彼が歩む道の景色がぼんやりと見えた気がした。それを俺が知っているものにたとえるならば、きっと、太陽の近くを飛ぶのに似ている。
「満足したか、ホークス」
「いいえ、ちっとも」
俺は乾いた唇に触れ、彼はそれを受け入れた。
「引き分けにしよう」
ホー炎/初夏の朝チュン
離れがたく思う炎司
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からり、と窓を開ける音で目が覚めた。
かすかな光が差し込んで、部屋の白い壁紙をうす青く染める。一仕事を終えた赤い羽がくるりと戻って来る。
羽の主、昨夜俺の身体をあばいたこの男は図々しくもひとの上に乗り上げて、胸を枕にしてじっとうつ伏せている。この程度の重みは屁とも思わない。だが降り落とすのははばかられた。
汗はすっかり乾ききって、熱の名残もとうに去っている。静かに息を吸うと、さらりとした空気が肺を満たした。
夜の間に地表はすっかり熱を放ち切ったらしい。心地よく冷えた風がカーテンを揺らす。
窓の向こうには、朝が待ち構えている。
早く、出かけなければ。
一時間のロードワーク、朝食を摂り、身支度、情報収取、定時連絡。なすべきことは山ほどある。
夏布団の中ひとかたまりの何かであることをやめて、出かけなければ。
二人とも目覚めているのに朝の挨拶もなければ身じろぎもしない。じっと黙り込んだまま、二人ともどちらかが先に動き出すのを待ちわびていた。
ほどなくして、顎の下をくすぐっていた稲穂色のつむじがゆるりと面を上げた。
先に諦めたのはこいつの方だった。
これ見よがしに口を大きく開いて、俺の二の腕にがぷりと咬みつく。そして、名残惜しげにゆっくりと離された唇が告げる。
「おはようございます」
こうして俺達は、ひとかたまりから一人と一人に戻る。咬み跡を衣服の下にきっちりしまい、それぞれの朝へと出かけていく。
昇る陽をあびて飛び立っていく輪郭を、地上から見遣り思う。
今日のところはお前が先に一人に戻った。
ならば、次は俺が先に諦めてやろう。
「あなたとあゆむ」
ホー炎/夏の夜の散歩
一緒に歩くふたり
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夜の住宅街、あなたの後ろをついて歩く。
あなたが通った跡は夏の匂いがするなんて言ったら、妄想逞しいと笑われるだろうか。
ぽつぽつと、離れて置かれた街灯のひかりだけが頼りだった。黒いTシャツの広い背中が暗がりのなかを進んでいく。白線で区切られた歩道はふたり並ぶには狭いから、エンデヴァーさんの後ろを歩いている。
夏の匂いがしたと、そう思ったのだ。
空に向かってぐんぐん背を伸ばしていく草木の青臭さ、かき氷のシロップの鼻にへばり付くような甘み、人々の熱気が夕立に溶けていく清涼。
夏の匂いにも色々ある。だけど俺にとってのそれは、炎天を飛ぶときの風のにおいだ。
たとえば八月の午後二時、かんかん照りの太陽の下を飛行する。汗が流れ出したそばから乾いて、粘膜もひりつくように乾いていて、鼻の奥が焦げてしまうんじゃないかってくらい乾いたにおいに混ざってほんの少し塩の味がする。
あなたの後ろを歩いていると、そんな匂いがする。真夜中に真昼の風が薫るだけでこんな浮き立った心地になるなんて、どうやったら伝えられるだろう。
振り返らない背中を見つめながらゆっくりと歩いていく。片手にひっかけたコンビニのレジ袋がかさかさ鳴り、中の缶ビールがとぷんと波打つ。
ふたりきりの晩酌の終わりを惜しんで買いに出かけようとねだった、悪あがきの二本だ。ぬるくなる前に帰らないと、それなのにどうにも足が進まない。
理由は分かってる。本当は晩酌が終わるのが惜しいんじゃなくて、もう少しだけあなたといたい。あなたの後ろの夏の匂いにもう少しだけひたっていたい。
まもなく零時を迎える道はしんとして、腕時計の秒針の音まで聞こえてきそうだった。街灯がかすかにうなる音。どこかの庭木が風に揺れる音。
あなたのスニーカーがアスファルトの砂利を踏む音と、俺のサンダルが小石を蹴る音。
ああ、そうか。
いつもだったらズンズン進んでいくあなたのことだ。付かず離れず前をゆく背中が、答えだった。俺から言葉はなくとも、あなたがこちらを見ずとも、伝わっていた。
ふたりの足音が重なる。あなたとの一日の終わりを惜しみながら、あなたと歩いている。
思う存分、ゆっくり帰って、それから一緒にぬるい缶ビールを飲もう。
「夏来たるらし」
ホー炎/夏を待つ炎司
轟邸庭先にて
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雨の気配をたたえた雲が空一面を覆っている。今はぐずるのをこらえているが、連日の降雨で庭の地面はしっとりと濡れていた。
ホークスが「ちょっと寄ります」と連絡をよこした、約束の時間までまもなくだった。縁側から空を仰ぐ。雲の切れ目を探すもどこにも青色は見当たらない。梅雨明けは当分先らしいと思った矢先。
薄灰色を突き破って、赤が降ってきた。
「時間ぴったりです」
鮮やかな翼を広げて庭先に着地した男は、得意げに笑った。
移動の合間に寄ったというホークスはまめまめしく手土産をよこして、近況を話しながら手のひらでパタパタと自身をあおいでいる。
ふと、香ばしいようなにおいがすると気付く。太陽の下で干した布団に似たにおい。その主は、ホークスだ。
縁側に腰かけ一息つく横顔を盗み見ると、まろやかな頬の輪郭に汗がつたっている。一粒、二粒、顎先から次々に滴り落ちる。走っていて、立ち止まった瞬間に汗が止まらなくなるようなものだろうか。待っていろと一言告げて、冷たい茶とハンカチを持ってくる。
「ありがとうございます……今日は上の方を飛んできたので」
そう言われて、なるほどと合点した。上空で太陽をいっぱいに浴びてきたのだろう。梅雨の庭に似つかわしくない乾いたにおいは、このためか。
ふわふわと隣で揺れる髪がまとう香りをひっそりと吸い込んでみると、まだ見ぬ夏の庭の幻がよぎる。
抜けるような青空と、じりじりと地を焦がす陽。負けじと咲く鮮やかな花々。
まるで、こいつが一足先に夏を連れてきたようだ。
「雲の上は、もう夏なのか」
ぽつりと呟くと、ホークスはハンカチで汗を拭う手を止めて目を丸くした。
程なくして発つ準備を済ませたホークスは、残った茶を飲み干し礼を言う。
「ごちそうさまです。ハンカチもありがとうございました」
「持っていけ。この後も使うだろう」
「じゃあお言葉に甘えて。また、返しにきます」
ハンカチはくれてやるつもりだったが。そう告げようとして、少し逡巡する。
「……ああ、いつでもいい。また来い」
そうして夏を連れてきた男は、赤い翼を広げて再び空へ飛び立っていった。
次に会う時はこの庭にも夏が訪れているだろうか。
夏になれば、ノウゼンカズラが咲く。あの空に昇るように盛る赤い花を、お前は知っているか。
いつでもいいが、なるだけ近いうちに、来るといい。
「夏来たるらし・続」
夏のホー炎 数年後平和時空
同人誌用に書き下ろした分
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梅雨のじんわり絡みつくような湿気が去ると、たちまち太陽の季節がやってくる。
入道雲が天に昇るようにもくもくとそびえる、からりと晴れた午後のことだった。
エンデヴァーさんの家を訪れると、あいさつもそこそこに大きな布のかたまりを渡された。太陽をいっぱいに浴びてそれ自体がふんわりとしたぬくもりを宿したものの正体は、干したての布団だ。
青々と草木が茂る轟邸の中庭にはどっしりとした物干し台が設置され、布団が何枚かかけられている。太陽の光を受けとめた白い布地がまぶしい。何枚か客用に備えているものを、こうやって季節の変わり目に干す習慣とのことだ。
到着した時に取り入れる頃合いだったようで、
「ちょうどいい所に来たな、ホークス」
と庭先に出ていたエンデヴァーさんに呼び止められて今に至る。
エンデヴァーさんが物干し台からはがした布団を縁側まで運び、俺はそれを受け取って隣り合った座敷まで運ぶ。それなりの重さのある布団を抱えて、縁側と座敷を行ったり来たりする。
畳の上に折りたたんだ布団をぽすんと重ね、白い小山を見下ろしてふうと一息つく。
これといった用事がなくともエンデヴァーさんの家にふらりと立ち寄る間柄になって、もう何年か経つ。はじめのうちは物珍しく感じた純和風の内装もずいぶん見慣れた。
剛翼に運ばせればあっという間に片付くのにわざわざ手渡してくるのは、何か意味があるのか、それとも単に気を抜いているのか。
近ごろのエンデヴァーさんは、俺の前で時々このようなたわむれじみた行動をする。それは以前は公人の鎧の下に隠していた部分なのだと思う。彼のそういった面を目にするたび、俺はなんだか落ち着かない気分になってしまう。
彼の鎧のうちがわは、想像していたよりもずっとみずみずしい感触がする。
俺は決してそんなことはしないけれど、ここを何か鋭いもので突けば簡単に血を噴くだろう。触れがたいところを目の当たりにしている戸惑い。ともすれば弱みになりうる部分をこんなに晒して、とたしなめたくなる気持ち。
それでもやはり、むずがゆい喜びが勝る。
そわそわとする俺の様子を認めたエンデヴァーさんがふっと笑う。最後の一枚を俺に手渡し、なぜだか得意げに言った。
「太陽のにおいがするだろう」
太陽のにおい。
そう呼ばれるものがあることは知っているが、今まであまり意識したことがなかった。
言われるまま抱えた布団にあご先を埋めて息を吸い込んでみる。すると、香ばしいような、あたたかさが胸に満ちて広がっていくような不思議なにおいがふわりと香った。
早めの夕食をご馳走になり、おのおの少憩の時を過ごす。
エンデヴァーさんは座卓の向かい側でもくもくと新聞を読んでいて、俺は何をするでもなく中庭を眺めている。取り込んだ布団を一時的に置いていたこの部屋は、引戸を開け放てば広い中庭を一望できる。
夕暮れ時が近付いて、庭にさす日はずいぶんやわらいできた。庭には夏らしくとりどりの花の色が散っている。すらりと背をのばす薄桃色のタチアオイ。しぼんで丸まった朝顔の青さ。
ひときわ目をひくのは、塀に絡みつくようにこんもりと茂るノウゼンカズラだった。
梅雨時から真夏にかけて、オレンジや赤の鮮やかな花を咲かせる低木だ。
漢名は、凌霄花。
空をしのぐ花とはよく言ったものだ、と数年前の夏にエンデヴァーさんが教えてくれたのを覚えている。
思えばあの頃の自分はおしゃべりな鳥のようで、今のように静かに共にいるだけの過ごし方もあるなんて思ってもいなかった。
言葉を交わすごとに心が跳ねる時間は、どこまでも飛んでいけそうな高鳴りをくれる。だけど、穏やかな無音のひとときも、もちろん悪くない。
扇風機の首振りが波のように背の羽根をそよがせる。座卓に置かれた麦茶のグラスの中、溶けた氷がからんと鳴る。エンデヴァーさんが新聞紙をめくる音。
腹が満ちたせいで体がじんわりと温かい。そして、すぐそこに彼の息づかいがある安心感。少しずつ心地よい気だるさが迫ってくる。
ゆるゆると落ちかかるまぶたの向こう、夢うつつの中に、ノウゼンカズラと入道雲が競うように青い空を昇るまぼろしを見た。
気がつくと、畳の上に横たわっていた。
外の明るさはあまり変わっていないから、意識を飛ばしていたのは少しの間だけのようだ。頭の下に枕がわりの半分に折られた座布団があるけれど、自分でやった覚えはない。
横になったままそろりと首を動かすと、すぐ横にあぐらをかくがっしりとした脚が見えた。いつの間にかエンデヴァーさんが隣に来ていたらしい。それで、頭の下の座布団も彼のしわざかと腑に落ちた。俺が船をこいでいる様子を見かねてそっと寝かせてくれたのだろう。
こんなに存在感のある人が移動してきても気付かないなんて、俺も相当抜けている。触れがたいところを易々と預けてくれるエンデヴァーさんのことを責められない。
「……俺たち、お互い様ですね」
「何のことだ、いきなり」
寝ぼけているとでも思ったのだろう。大きな手が降ってきて、まだ眠っておけと言わんばかりに額とまぶたの上に被せられる。
閉じたまぶたの向こうに夕暮れのやわらかな光と、エンデヴァーさんの手のひらの熱さと、乾いた感触がある。
俺はされるがままま、もうしばらくこの静けさに甘えることにした。
もう一度眠りの世界に旅立つべく、ゆっくりと息をする。
その瞬間、覚えのあるにおいがふわりとよぎる。香ばしいような、あたたかさが胸に満ちて広がっていくような不思議なにおい。
あなたの手のひらは太陽の香りがするのだと、知った夏だった。
「拝啓、盛夏の候」
ホー炎/ひまわり畑で待ち合わせ
すこしふしぎ
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夏の盛りを集めたような一面の黄色に降り立つ。さんさんと照る太陽のもとで咲き誇る花々は、簡単に俺の背丈を飲み込んだ。
前後左右すべてを埋めつくすひまわり畑の真ん中で、俺は懐かしい人の訪れを待つ。
「久しいな、ホークス。息災か」
ふいに後ろから声がかけられる。振り向くと、待ち人がそこにたたずんでいた。
ひまわりに負けないくらいの背丈に、前に会った時と同じ真っ白なTシャツ。赤い髪は日光を受けて焔を宿したかのようにゆらめいている。
「お久しぶりです、炎司さん。俺は元気にやってますよ」
風がざわざわと葉を揺らし吹き抜ける。どこか遠くで蝉が鳴いている。
向かい合った炎司さんの肩のむこうには青い空と、ひまわりの群れが連なっている。黄色い地平線を背負ってるみたいだ。一年ぶりのこの光景がまぶしくて、思わず目を細めた。
「この時期になると思い出します。炎司さん、植物育てるの苦手でしたよね。きちんと調べて世話してるのに枯れてしまうって」
「そんなこと言ったか」
「言いましたって。俺、忘れませんからね。それで、近頃こう思うんです。草花に限らずあなたの周りの生命は、みんな呼吸を速めるんじゃないかって。夏に向かって駆け足するみたいに、生き急ぐんです」
「俺の個性の性質上そういったことも起こるという話か、成る程。……だが、お前はそうなるなよ」
「ご心配なく、あなたより長生きするって決めたんで。まあ、見ててくださいよ」
それじゃあまた、と別れを告げばさりと羽ばたいた。眼下に夏の盛りを集めたような一面の黄色が広がる。だけど、俺たちがいたあたりだけが乾いた色合いに変わっていた。
葉はくしゃりと枯れてぶら下がり、凛と太陽を見上げていた花はこうべを垂れるようにうつむいている。
一足先に夏を終えたひまわりたち。
それは、ここにあなたがいた証拠だと思うのだ。
空から見下ろしたひまわり畑のどこにも人影はない。
俺の歳があなたの歳に追い付く、ひとつ前の夏の話だ。
「業火を植える」
怖い話(?)をしてくれる炎司(+ホークス)
すこしふしぎ
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夏といえば怪談だと?
俺がその手の話を好む手合いに見えるのか、ホークス? まあ、この世ならざるものの実在を証明できない以上肯定も否定もせんが。
フン。たまの戯れも悪くないか。お前が望むような怪談らしいものではないが――ひとつ、話をしてやろう。
俺は生まれた時から強大な火力を手にしていたわけではない。はじめは『宿火』と呼んでいた、穏やかな火を身のうちに飼っているだけの個性だった。
だが俺はある日をきっかけに燃え盛る業火を手にした。
お前は同じ夢を繰り返し見ることはあるか。
夢というのは、少しなからず現実のできごとが帰結するものだ。だから、繰り返し見る夢には必ず意味がある。
幼い頃、何度も同じ夢を見た。
夢の中で俺は横たわっている。うつらうつらしていると、誰かが俺に火種を飲ませる。そう、火種だ。
指先で火をつまんで、まるで果物か何かのように、次々に飲み込ませてくる。ただそれだけの夢だ。
夢の意味を考えようにも、手がかりらしい手がかりはなかった。しいて言えば火種を運ぶ華奢な手に見覚えがあるような気がした、それくらいか。
だが当時の俺はほとんど家から出たことがなかった。それが鍵だ。夢とはいえ、まったく知らないものは現せまい。
やがて、眠れぬ夜はだだっ広い屋敷の中をひそかに探索するようになった。夢の意味を紐解くために、どこかに手がかりがあると信じて。
ある夜、俺はついに手がかりを発見した。
屋敷の片隅にある小さな庭に立つ華奢な人影。住み込みの女中の一人だ。そいつの手は、夢に現れる火種を運ぶ手とおなじ形をしていた。
近寄って何をしているのかと問うと、女中は夢みるようにうっそりと微笑んでこう言った。
花を、植えているのです。
女の瞳は、翡翠のような蒼い炎のような色をしていた。俺の瞳と、よく似た色だ。
月のない静かな晩だった。
深い闇のなか目を凝らし庭を見ると、ひとつ、おかしな点に気付いた。
今は夏の盛り、鮮やかな花々が咲き乱れる季節だ。ちょうど今朝、中庭で朝顔がまるい花をつけているのを見た覚えもある。
しかしこの小さな庭は、緑が生い茂るばかりだ。
女は花を植えていると言ったが、花はひとつも見当たらない。
ちかくでみてもいいか。
幼い俺が問うと、女は快く受け入れた。ここは彼女が特別に任されている庭なんだと、誇らしげに言う。
俺は庭に足を踏み入れた。その瞬間、俺は夢の意味を理解した。
俺は、この庭なのだと。
つまり、女は庭に種を、俺に火種を植えて続けていたのだ。この瞬間、女が俺に植え続けていた火種がついに花開いた。
俺と庭が重なった途端、庭はあかく染まった。
赤、朱、茜、緋、橙、紅。
暗闇の中あかい花々が、太陽の力を借りることなく一気に咲き乱れる。
同時に、宿火が俺の胎を突き破った。
火柱がごうと迸る。視界がすべて渦巻くあかに染まる。花は咲いたそばから灼けて消えていく。
遠のく意識の向こうで、炎にまかれ狂喜する女の笑い声が聞こえた。
こうして俺は、この身に業火を宿した。
どうだ。幽霊も妖怪も出んが、なかなか不可解な話じゃないか。
……おい、何だその顔は。こんな話を真に受けるな、最初に戯れと言ったはずだ。
次はお前の番だぞホークス。
見聞が広い、だったか。怪談噺の二つ三つくらいお手のものだろう。さっさと聞かせてみせろ。
「拝火を棄つ」
ハイエンド戦後のホークス→炎
炎司が吐瀉する
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「――そうですか、良かった。俺もこれから病院に向かいます。では」
電話を切って息をつく。とんでもない一日だった。予定外に現れた新型脳無、市街地での激戦。乱入してきた荼毘を追って言葉を交え、今はこうしてひとり路地裏を歩いている。
エンデヴァーさんは無事に病院に搬送され、リカバリーガールの到着を待っているそうだ。
足元にはすっかり夕闇に飲み込まれたアスファルトが横たわっている。真っ黒な地面を見て思い出すのは、脳無の撃破現場から荼毘が去った後、地面にうずくまったエンデヴァーさんの姿だ。
「ッぐ、ゔ、」
血まみれのヒーロースーツをまとう背中が、ビクンと波打つ。大きな手がぱっと口元を覆う。顔の傷を抑えていた布が落ちる。喉の奥からあふれ出す呻き声をしまい込もうとふうふうと息を荒げている。
「エンデヴァーさんっ」
「寄るな、ホ……クス」
傍に膝をつくも鋭い拒絶が飛んでくる。構わず背中をさすってやると身体がぶるりと震え、そしてぐっと硬直した。
「がっ、おぉお゙、ッぶ、ゲえェエ……」
彼の口からごぼ、と溢れ出したもの。それは、赤く光っていた。大きな掌でも受け止めきれず指の隙間からぼたぼたと落ち、アスファルトを高温で溶かした。どろりとした粘性の液体は、一体どういった仕組みなのか普通の吐瀉物とはまったく違っている。
炎を泥にとかしたような物体。溶岩に似たまばゆい赤が、まぶたに焼きついて離れない。
人智を超えた原初の畏敬が、そこにあった。業火を身のうちに飼っている彼が、たまらなく崇高なもののように見えてしまって身震いする。
彼は触れがたい熱の塊みたいだ。だけど俺はできるなら、これからも彼に寄り添いたいと思う。
ならばこんな気持ちは、信仰に似た念はもういらない。
なぜなら俺は、あの人の背中の形を知った。彼のあるがままの背中を押したのだから。
まぶたの裏の残り火を散らすように、俺はそっと目を閉じた。
「I CQ」
ホークスと冬と孤独について
同人誌用に書き下ろした話
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寒さは孤独を粒立たせると、だれかが言っていた。
初めて聞いたときはつかみ所なく思ったその言葉の意味を、ホークスは今まさに肌で感じていた。
赤い双翼をばさりと広げてホークスは夜更けの空を飛行している。頭上にはずっしりと重たげな雲がたちこめて、あと少し気温が下がれば初雪がはらはら舞うことだろう。
日ごとに真冬へと突き進む十二月。尖りゆく寒さは空の只中で風を切っていると来ればなおさら身にしみる。ヒーロースーツの体温維持機能のおかげで凍えることはないが、寒くないわけではない。飛ぶほどに身体の節々がこわばり、翼と髪は水分を含み重くなる。顔面の皮膚が冷たい風に弾かれてひきつる。
ひとりきりで空に浮かんでいるとき、とりわけ呼吸さえ凍りつきそうなこんな寒い夜には、自分は孤立していると。どこのだれとも、何とも繋がっていないのだと、ホークスは思い出すのだった。
やがて、進行方向の地上に一つ二つ、小さな光の粒が現れた。点々と散る光の粒は少しずつ集まって、大きなかたまりになる。ホークスはそのかたまり目がけてするすると高度を下げた。真っ暗な地上に現れた輝かしい光の集まりは、眠らない街の明かりだ。
背の高いビルが集うその街のなかに、ひときわ高くそびえる鉄塔がある。テレビ放送などの電波を送信する施設、電波塔だ。時間帯によってはきらびやかにライトアップされているこの鉄塔も、深夜零時をとうに過ぎた今では赤い航空障害灯がいくつか灯されているのみになっている。都会の真ん中で息をひそめるように立っているその塔のてっぺんで、ホークスはしばらく羽を休めることにした。
無骨にも優美にも見える骨組みの端にとんと降り立つ。翼をぶるりと震わせてまとわりついた氷の粒を落とす。髪の水分も大雑把に払って、ようやく人心地つく。翼をたたんでゆっくりと呼吸を整えると、吹きさらしから解放された身体が少しずつ落ち着いていく。
鉄塔のてっぺんからビル街の明かりを見下ろしながら、両耳に装着しているヘッドフォンのスイッチをいじる。この装備は多機能な通信機器であり、警察やサイドキックとの通話に使うほか、テレビやラジオ、無線通信などの音声を受信できる。元々は情報収集のために付けたこの機能を、ホークスは息抜きの時間に時々使っていた。
チャンネルを合わせ、あたりをただよう電波をつかまえる。すると、ホークスの耳元でたくさんの音がいっせいに鳴りだした。
色とりどりの音楽を流すヒットチャート。
バラエティ番組のにぎやかな笑い声。
それから、眼下に広がる街から発せられるさざめき。人々の息遣い。
波のように押し寄せる声の数々。その中に雑音混じりの途切れがちな音が混ざる。
――ハロー、CQ、CQ。こちら×××。聞こえますか。
おや、とホークスが目を見張る。CQというのは主にアマチュア無線通信の世界で使われるあいさつで、「だれか応答してください」と呼びかける言葉だ。携帯電話がすっかり普及した今、あえて無線を使う者はなかなかめずらしい。ホークスはひっそりと頬をゆるませた。
昔から、何からもぽつんと切り離されたような感覚がまとわりついて仕方ない夜は、こんなふうに街を見下ろしてたくさんの声に耳を傾けた。
だれかに語りかける声というものは、ぬくもりに似ているとホークスは思う。
こうしているとかたくこわばった身体の表面がやわらかな羽毛で撫でられるように、なめらかに均されていく。当然、孤独がぜんぶ拭い去られることはない。けれど、だれかの声を聞くことは、だれかに呼びかけているのは自分ひとりではないと身をもって知ることだ。それは身体をめぐる血にぬくもりをひとしずく垂らしたような、ほのかな安心を与えてくれるのだった。
今日も人々は夜を越えるべくいくつもの明かりを灯している。その夜間光の高くに、ざあっと風が吹く。凛と冴えた風は体のすみずみを吹き抜けて、いのちを吹き込むように羽根のぜんぶを震わせた。ホークスは風の流れにまかせて、赤い翼をばさりと広げた。
頭上を覆っていた分厚い雲が流れ、切れ間からしんと澄みわたった夜空が姿を現す。深い藍色の帳にはあまたの星がきらきらと散りばめられている。
星々はまばゆい街の上にあっても輝きを失わず、むしろと燦然と瞬く。地上の光から連なるように、はるか遠く、ずっと高くへと続いていく。
ホークスは目を細めて、かなたに光る星を見上げた。
また飛んでいけると、そう思った。