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ムスク プロローグSS

全体公開 プロフィール・プロローグ 6357文字
2022-06-11 21:36:36
Posted by @DSSmafia

 薄暗い地下室の中でくぐもった水音が呻く。リズミカルに、それでいて暴力的な肉と肉が打ち合う音が響き、荒くなったふたつの呼気が混ざり合っていた。
 部屋の中は甘ったるい香水を煮詰めて尚濃くなったようなめまいがするほどの濃い女の匂いで満たされている。
 巨躯の男が、下卑た笑顔を浮かべながら一心不乱に腰を振っていた。
 痩躯の女が、男の右腕から生えた大きな蟹の爪・・・・・・に今にも折れそうな首を挟まれながら責め苦に喘いでいた。
 ふたりの接合部から滴った透明な液体は激しく滴り、シーツに飛び散る。
 そして染みを作る前に乳白色の珠になって固形化し、からからと音を立てて床に転がった。

 太平洋に浮かぶガトー・アイランドの北部の中心部は、夜が深まれば深まるほど輝きを増す。
 そこはこの十年で急激に栄えた繁華街であった。中でも色窓通りと呼ばれる娼館街は海外からも客がやって来るほど良質な商品・・が並び、官能的な艶姿を通行人に見せつける。どこからともなく漂う薫香がその通りの始まりであり、匂いに誘われたが最後、誰もが甘美な夢に堕ちていく。
 その坂道の最奥部。
 ひっそりと、それでいて威厳すら漂うモザイクタイルの館は佇んでいた。常に上客で予約が満たされカーテンの閉ざされた高級娼館、否、大規模犯罪組織「マッシュ」の根城のひとつである。
 この界隈シマを取り仕切る「マッシュ」の幹部のひとり・潮招チャオツァオは今日の勝利に酔うように館の地下へ赴くと自分の情婦であり商売シノギの一角である女を責め立てていた。

 ◇  /  ◇

「オラッ! もっと悦べ!」
 俺――潮招は右腕を変形させた巨大な蟹の爪で女の首を痣ができるほどの強さで挟み、乱暴に腰を打ち据える。
 青みを帯びた巨大な蟹の爪――貪食餌食シザーハンズ・レクイエム」のところどころには赤い血痕が飛び散っており、それはまさしく今日の戦果の証明だった。

 始まりは数日前、ある女からの声明だった。
 「ホワイトロリータ」の生き残りであった。哀願を湛えた惨めな女は遺産と石ころをちらつかせながら、苔むした「バンブー・チルドレン」の首をせびってきた。
 ボスは石ころに関心を見せたようだったが、俺の興味はもっぱら遺産へと向いてた。
 「ホワイトロリータ」の遺産。解体されたその木っ端マフィアの拠点に残っていた財産は少なく、海外の銀行へ逃がしたとも考えられなかった。噂によればかの組織が溜め込んでいた金銭はこのガトー・アイランドの勢力図を塗り替えてしまうほど莫大だと言われ、俺たちは血眼になってその在り処を探っていた。
 そこへ転がり込んできたのが、今は亡き「ホワイトロリータ」のボス小蟻の孫娘、幸運の寵児とすら謳われた女からのビデオレターだったのだ。
 敵を殺せばいいというのがまずわかりやすくていい。何よりそれは俺にぴったりの仕事・・・・・・・・・だから気分が良かった。

 俺は元々大陸から渡ってきた華僑マフィアの用心棒をやっていた。
 つまらない仕事だった。巨大組織の末端も末端、俺の魔人能力にビビっちまった本拠地の連中に僻地へ飛ばされ暴れることもできず、新天地の品定めのためやってきた雑魚どもを守るよう指示されていた。何の旨味もない仕事だったが、華僑マフィアに借金のあった俺は逆らうこともできず唯々諾々とたまにの殺しのために爪を鳴らしていた。
 そんな俺に声をかけてきたのが「マッシュ」であった。「マッシュ」は魔人能力保持者を重用し、俺みたいなの強ェー奴を探し求めていた。
 胸が高鳴った。爪が疼いた。
 だから雑魚どもの首をちょん切り、視察に訪れた幹部たちの首を「マッシュ」本部の前に並べ、俺はこの組織に忠誠を誓った。その日から俺は「マッシュ」の一員になった。組織の敵をぶち殺す日々は実に痛快だった。
 今日なんかは、まさしく組織「マッシュ」に買われた力を存分に発揮できたと思う。
 「バンブー・チルドレン」の幹部含む17人の首を獲ってやった。ビビって漏らしてたガキに首を乗せた車のハンドルを握らせるとそのまま「バンブー・チルドレン」の拠点へツッコむよう脅しをかけた。遠くから聞こえる建物が壊れる音と人間の悲鳴を耳にしたときなんかは気持ち良すぎだろってくらい昂った。残った首から下は養殖場の生け簀に放り込んで餌にしてやった。
 今日の俺は上手くしてやった。

 暴力は楽しい。
 そして暴力で昂った日は女を虐めるに持ってこいだった。
「んぅ……ぐっ、ふっ、あぅっ♡」
「いいぞ♡ 泣け♡♡ 喚け♡♡ 出すもん出しやがれ、オラッ♡♡♡♡」
 俺が組織「マッシュ」に入った日に記念品として授かったのが、この女だ。
 到底娼館街にいるような身なりはしていない女だった。痩せぎすで抱くには肉が物足りない。媚びもしないし話に花を咲かせる学も向上心もない。
 しかしその体質だけが異様で価値があった。
 この女――ムスクはその名の通り甘ったるい香りをまき散らし、体内から無限に媚薬じみた分泌物を生み出す、金を産む鶏だった。
 涙は水晶玉のように固く粒になって散らばり、血は石榴石と見まごう赤黒い結晶になり、愛液は真珠のように連なるほど転がった。それは一粒一粒に中毒性を持つから人の人生をじわじわと狂わすだけの魔力を帯び、価値は高まり続けている。
 その上ムスクは加虐で悦びやがるから手に負えない。幹部となりムスクから麝香ジャコウもどきを搾り取る係になった俺は嗜虐心を満たすことを許されてしまったのだ。
「気持ちいいなら♡♡ 証明して見せろ♡♡♡♡」
 窒息か切断かのギリギリの際を責めながら、ベッドに突き刺した爪の間でムスクを躍らせた。擦れた首筋には血が滲み、ぱらぱらと赤い破片が白いシーツの上に飛び散っている。ズンと突き上げれば肢体が跳ね、汗が蒸発して一層濃く女の香りが部屋を満たす。
 「可哀想な小鹿ヘブンズノート――天上の香りだか、天国までブッ飛べる麻薬だか知らないが、そう名付けられたムスクの魔人能力はこの夜の街にぴったりだ。否、夜の街でしか生きられないだろう。涙を滲ませ唾液を垂らしながら苦し気に細い足をばたつかせる姿は、どうしようもなく惨めで、憐れで、無様だ。
「うっ……がぁっ……
「あん?♡♡♡♡ 言いたいことがあるならはっきり言え♡♡♡♡♡♡」
 哀願を帯びた痴態を見て、ふとあのビデオレターの女を想った。
 あの女は見た目も良ければ肉付きも良かった。それはさぞかし抱き甲斐があるだろう。
「ちゃお……つぁお、さまぁ……♡」
 ムスクが酸素の足りない飽和した表情で、俺の頭を抱こうと両手を伸ばしてくる。
 それに応えるように爪を少し緩め、顔を寄せながら、考える。あのいかにも生娘じみた女をこいつの媚薬でシャブ漬けにするのはどうだろうか? アヘ顔晒しながら腰を振る女を俺の情婦に加えるのだ。なんと愉快なことだろう。
 何より敗者の生き様としてまさに相応しいのではないだろうか。
 そんなことを考えていた時。
――潮招さま♡」
 ちくり、と。
 右側の首筋に違和感が走った。

 俺は咄嗟にムスクをベッドから突き飛ばし、天井を、そして窓を見た。何もない。誰もいない。
 ならば。
……げほ、げほっ……壁に叩きつけるなんて、酷いじゃないですか……♡」
 ゆらりとムスクが木戸を背に立ち上がる。
 その左手には切っ先の折れた小さなナイフが握られていた。
「てめぇっ!♡♡♡♡♡♡♡♡」
「あ、はっ♡」
 左手で刺された首筋を撫でる。幸い出血はほとんど無いようで、手に血すらつかなかった。
 問題は。
……ムスクぅ、誰の差し金でこんなことしやがった?♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡ 命乞いをすれば許してやるからぁ、言ってみろぉ♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡」
 ムスクはこんな狡猾なことを考えられる頭を持っちゃいねえ♡ あるとすれば他の幹部か、それともボスか♡♡
 どくんどくんと次第に、それでいて妙に高鳴っていく心音が耳にうるさく響くのを煩わしく思いながら、俺はムスクへ向けて爪を向けて挟みかかる♡♡♡♡
「誰って」
 爪がムスクの胴を正確に切断できる角度で捉えた刹那♡♡♡♡♡♡
「あたしはずっと前から、いつかこうする気でいましたよ……♡」
「はぁんっ?♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡――
 心臓がずくんと跳ねて、そして♡♡♡♡♡♡♡♡
 俺は疼く胸の痛みを押さえながら前のめりに倒れ込み、意識を手放した♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡……――

 ◇  /  ×

 そして音を立てて倒れ込んだ潮招を睥睨へいげいしながら、あたしはカウントを止めた。
 32秒。それがあたしの「可哀想な小鹿ヘブンズノート」のナイフ1cm分がこの巨体の血液に溶けて全身を駆け巡り、心の臓をおかしくできるまでの時間なのだと深く心に刻み込む。
 ――前に老爺を相手にしたとき、心臓発作でそのままそいつは死んだのだ。媚薬は血流を良くするが、度が過ぎれば心の臓を壊してしまうのだと潮招が教えてくれた。
 だからあたしはその日から、少しずつ自慰で集めた体液を固め、爪やすりで研ぎ、媚薬でできたあたしだけの武器を作っていたのだ。
 おもむろに素足で潮招の頭を蹴る。覗き見ればその瞳孔が開き切ってるのがわかる。
 しかしまだ浅く呼吸が続いている。心臓だって適切な処置をしたり、運が良ければ再び動き始めてしまうんじゃないだろうか。あたしはそれが怖くてごくりと唾を飲み込んだ。

 だから、あたしは。

 潮招の右腕を引っ張ると、なんとか体を動かし蟹のはさみの間に首を浮かせて挟み込み、全体重をかけて爪の先を押し込んだ。
 まず肉を潰す感触が手を伝い、次にごりごりと骨に爪のギザギザが食い込んでいく不快な振動が身体を這った。この男は死に瀕して尚私を犯そうというのだろうか。耳障りな音が恐ろしくて、早く死ね、早く死ねと念じながら一糸纏わぬ身体を上下させ続けた。
 ごとり、と。ようやく首が落ちて血が広がった。それを見てあたしはようやく安心し、ぽろぽろと涙を零しながら俯いた。
 暴力は、怖い。

 潮招の首をシーツで包むと、大事に抱え、あたしは急いで着替えて裏口から外へ逃げた。
 色窓通りに面していないこちら側は濃紺の闇に包まれ、満天の星空が迎えてくれる。故郷の空より少なく遠い星ではあるが、澄んだ空気と共にそれが待っていてくれたことが嬉しくて、あたしは一歩宵闇に踏み出した。
 駆け出す。
 悪路は険しく、草木はあたしの手足を切り裂いたけど、すぐに元通りになる傷なんてどうでも良かった。あたしには一目散に目指したいところがあったからだ。
 あの日、あたしは潮招の情婦として、潮招にもたれかかりながら一緒にホールでビデオレターを見た。
 映っている女の子の言っていることは正直よくわからなかった。悲しそうだったのだけはわかる。だけれど問題はそこではない。
 映像が途切れる間際のほんの一瞬、それまで悲しみで歪んでいたその子の口元がわずかに微笑んだのを見てしまったのだ。
 あたしは、それを知っている。男たちがあたしでイキ狂って果てる前に、あたしの口元に勝手に浮かぶ微笑みだ。あたしはそれを知らない。正体がわからない。売られてきて愛がわからないあたしには喜びも嬉しさも無縁のものだ。それなのに浮かぶものの正体は一体何なのだろう。

 だから、あたしは。

 ――あの女の子だったら知っている気がするのだ。あたしと同じものを持っているだろうあの子なら知っているはずなのだ。この浮かぶものの正体を。
「あたしは……それが知りたい」
 あの子に、会って。

 物陰に隠れて繁華街の方へシーツの塊を投げると、数分後そちらの方角から悲鳴が上がった。颯爽と雑踏に紛れて明るい街並みを、まるで偽物の昼みたいな通りの中を悠々と歩きながらあたしは考える。
 あの子に会うためにはやはりマフィアを殺さなければいけないだろう。「マッシュ」も、「バンブー・チルドレン」も等しく、公平に。
 どこまで戦えるだろう。どこまでれるだろう。
 体液ならいくらでも使おう。考えられる使い方全てを試して。
 そこまで考えて、自分は潮招を殺せると思っていなかったのだと気づく。あいつを殺すところまでしか考えていなくて、そのあとどう生き延びるかを計算に入れてなかった。
 でも、まあ、いい。
 ふと、夜香花というあだ名でも呼ばれていたことを思い出す。あたしの本当の名前が含まれた言葉だから嫌いにはなれないが、意味するところは夜でしか咲けない憐れな女くらいだろう。
 夜でしか生きられない女と言うならしたたかに刺してやろう。
 あたしの武器ナイフは、あと5cm。


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