@DSSmafia
ドゥクォンは、ガワイを除き、日の光が白い時に酒を飲んではならない。
ドゥクォンは、マヌングで知ったことをみだりに漏らしてはならない。
ドゥクォンは、アヌッを私欲のために用いてはならない。
ドゥクォンは、ケジャハタに立ち向かわねばならない。
ドゥクォンは、プラウの平穏を守らねばならない。
これがドゥクォンのアトゥランである。
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カードにルーレット、スロットにバカラ。
およそ有名どころのならば大抵の賭博が揃った遊興場。
マッシュファミリー直轄のカジノ「アポロ」。
島の血と悪徳がはびこる様子とは隔絶された、ここは独自の掟が支配する異世界だ。
薬物、暴力、違法物品取引、売春、島外の様々なシノギでかき集められた血生臭い金が、この場所に積み上げられる。
動く金の額も、島外のカジノとは桁が違う。
さらに、賭ける者の性質も、島外の観光客とは格の違う「悪」ばかり。
そんな鉄火場で、それでもこの場が「掟」を守ることができるのは――
「イカサマだ!!!!」
ポーカーのテーブルから叫び声が響いた。
場に戦慄が走る。
じゃらり。
この空間で、禁忌を犯した愚かしさに対して? それもある。
じゃらり。じゃらり。
このカジノでの愚行は、管理者たるマッシュファミリーのメンツに唾吐く恐ろしい好意だから? それもある。
じゃらり。じゃらり。じゃらり。
「ヘャヘヤッ! イケ、イケないネェ! お客さァン! ウチ、ウチで、サマがどうのたァ……それ、それは良いデハないデスねェ! ヘャヘヘッ! ヒグッ」
だが、常連客の多くが恐れたのは、その、金属が擦れる音の主の存在。
磨かれた床を、錆びた鎖を引きずって歩く、酒とドラッグの匂いをまとった男。
ワインの瓶を片手に、男が行く。
瓶を握る左手に、錫の鎖が縛るように絡みつく。
このカジノの管理を任されている、マッシュファミリーの一員。
本名は誰もしらない。通称、“賭場守り”アンジン。
浅黒い肌とげっそりと痩せた身体が、不似合いな黒スーツに収まっている。
何より異常なのは、その全身を縛る、錫、銅、鉄、鋼、鉛の鎖。
まるで囚人のような姿で、男はポーカーテーブルに立った。
「アンジンの旦那! こい、コイツが! サマァ決めやがったンだ!」
「違う違う違う! ど、どどどうしようもなく今日はツイてやがったンだよう! そういう日ってのはあるだろ? ただのやっかみだ!!」
「ふざけンなよ! ツキでクラブのキングが2枚に増えるわけねーだろ!」
ポーカーテーブルでは、常連客2人が互いにつかみ合いで喚き合っている。
告発者の手札はスリーカード。
被告発者の手札はロイヤルストレートフラッシュ。
どちらの手にも、クラブのキングが含まれている。
このテーブルのポーカーは、一般的なルールに従い、ワンセット52枚のトランプのみを使用する。つまり、この状態は、他からカードを持ち込んだイカサマの結果に他ならない。
そして、ロイヤルストレートフラッシュが発生する確率は、0.01%にも満たない。
どちらがイカサマをしたかは、火を見るよりも明らかだ。
「ヘヘヤッ!」
アンジンは配下に二人を取り押さえさせると、手にした鞄から小瓶と注射を取り出し、震える手で自分の腕に小瓶の中身を注入した。
「イイ……アアアア……」
アンジンの瞳孔が開き、口元から涎が垂れる。
薬物が全身を巡り脳に幻覚を見せる。
「――ヘャッ! ヘヤッ! ヘヘャッ!! マヌングが! 告げデスタ! 犯人は――アナタデスダ!」
焚火。家伝の秘薬。
ガワイの賑わい。マヌングの法悦。アヌッとの交感。
ケジャハタに抗うため、プラウの守り手たるための術。
断片と化した何かが多幸感の渦の中で泡のように弾け飛び、伝統的なマヌングと似ても似つかぬ精度で狂った脳に正解を流し込む。
銅の鎖が、責めるように軋む。
「――”ドサ・ランタイ”」
掲げられた手からは、震えが消えていた。
まるで判決を言い渡す裁判官のように、アンジンの、銅の鎖で縛られた右手が、イカサマを行った男を指し示す。
即ち、ポーカーテーブルで対面を告発したもの。
スリーカードの手であがった男を。
「へ?」
瞬間、男の全身が鎖で縛られた。
虚空から生み出されたそれは、鉄球などの重りを伴わないにも関わらず、彼に身動きを許さない。
「な、なンで!? なんで俺なんだよ!!! 俺は……!」
口から泡を飛ばして叫ぶ男に、アンジンはまるで喰いつくような距離まで近づいて顔を覗き込んで、にたり、と笑った。
「ア、ア、アンタァ……恐怖したデスねェ?」
また禁断症状で震えだした指で、アンジンは男を縛る鎖を撫でた。
自身を重く縛る鉄の鎖と、その強さ重さを比べるように。
アンジンの魔人能力「ドサ・ランタイ」。
その名は、この島でかつて使われていた言葉で、「罪の鎖」を意味する語である。
その効果は、罪の具象化。
対象が内に秘めた罪悪感が強いほど、アンジンの鎖は強く対象を束縛する。
肉体のみならず、魂をも苛む、罪咎の鎖。
それこそが、このカジノの掟を荒くれどもに遵守させる強制力だった。
アンジンは、ロイヤルストレートフラッシュを引き当てた男を一瞥した。
彼の脚には、細く小さな鎖が弱弱しく絡みついている。
この場に金を積む悪党ならば誰もが抱える、些細な罪悪感だ。
つまり、少なくともこの場で「マッシュ」として裁くべき相手ではないということ。
「ヘヘ、ヘャヘヤッ! いけないデスなァ。ア、ア、あんたみたいな心で、マフィアなんてさァ……」
アンジンは、鎖の重みに耐えかねて床に転がった男を見下ろした。
男を縛っているのは、イカサマをしたという事実に対する良心の呵責ではないだろう。
ただ、この場のルールを決めているマッシュファミリーという暴力への恐怖。
マッシュファミリーを広義の意味で裏切ったという罪悪感だ。
それでも、そういうものを持ち合わせているだけ、この島ではマシとも言える。
この島には、この鎖では縛れない悪も多い。
だから、アンジンは、“賭場守り”なのである。
真の悪に立ち向かわず、悪の下で、悪の掟を遵守させる走狗。
鋼の鎖に繋がれた、飼い犬。それが今の彼だ。
イカサマ師の手首に手錠をかけ、配下に連行させる。
始末はマッシュファミリーの専門部署が行う。アンジンの管轄外だ。
命を取られることはないだろう。ああいう小心者はまだ使い道がある。金を生む。
脅して借金漬けにして、あるいは――アンジンと同じように、薬漬けにして首輪をつけて飼うといったところが、妥当な結末か。
それも、どうでもいい。
意味があるのは、一人のバカを捕まえたことで、また、純度の高い試供品が優先的にアンジンに回されるということ。
酒の支給も増えるはずだ。
アンジンに酒の味はわからないが、度数が高いのはいい。
ガワイで振舞われるプラウの芋酒とは違う、もっと透明で凶悪な酩酊だ。
精度の高いマヌングに、高次の酩酊は不可欠だ。
けれど――どうして自分は、マヌングなど、求めたのだったか。
五感では足りない、それ以上の知覚を、知恵を、求めてしまったのか。
何か、理由があった。義務があった。責務があった。
その、はずだった。けれど。
薬物とアルコールの酩酊が、その目的意識をも塗りつぶしていく。
その全てをどうでもいいものとして、泡のように消していく。
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じゃらり。じゃらり。じゃらり。
体を引きずるようにして、アンジンは自室へと歩を進める。
全身を五つの鎖が重く縛り付ける。
錫の鎖が、酩酊を咎める。
銅の鎖が、軽挙を縛める。
鉄の鎖が、傲慢を罰する。
鋼の鎖が、惰弱を糾する。
鉛の鎖が、忘却を責める。
『――アンジンの奴、また、ホールでトリップしやがって』
『やめとけ、アレでもドンのお気に入りだ』
『原住民の裏切者だろ? ドンも物好きだよな』
『どうせ何年もしないうちに廃人さ』
マヌングを聞いた後の五感は、鋭敏に研ぎ澄まされる。
カジノのスタッフたちは、自分たちの陰口がアンジン本人に聞かれているとは思わないだろう。
アンジンは怒らない。悲しまない。その全てがどうでもいい。
ただ、酒と薬品のもたらす酩酊の方が、自分にとっての現実だからだ。
かつて、手段であったはずの酩酊が、今は、目的となっていた。
カジノの所長室の前を通りかかった瞬間、鋭敏化したアンジンの聴覚は、閉じた扉の向こうで再生されている、ビデオレターの音声を捉えた。
「――『マッシュ』の皆さま。私の祖父は……我ら『ホワイトロリータ』は、『バンブー・チルドレン』のカビの生えたしがらみにより、いわれなき汚名を着せられ潰されました。どうか、彼らを完膚なきまでに叩き潰していただきたいのです。私に対価として差し出せるものは決して多くはありませんが、『バンブー・チルドレン』の幹部の首を最も多く並べた方には祖父の遺産と――」
その声に聞き覚えはない。
だが、
「「――『ホワイトロリータ』に伝わる『あらゆる災厄を避ける石』を差し上げます」」
その言葉に、まるで脚を縛られるようにして、アンジンは、歩みを止めた。
どくん、と心臓が跳ねる。
バッドトリップにも似た鼓動の異常。
全身を熱が渦巻き、汗がべったりと背中を濡らす。
アンジンは、震える腕で所長室のドアを薄く開け、中を覗き込んだ。
部屋の奥、大画面のディスプレイの中では、見知らぬ女が朗々と演説をしている。
そして、その胸には。
見覚えのある、光を帯びた石があった。
それは、ガトー・アイランドとマフィアたちが名づける前の、この島の至宝。
代々、島を守る、精霊遣いが継承してきたもの。
流れ落ちる汗が、荒い呼吸が循環させる酸素が、代謝を促進し、意識から薬物とアルコールの酩酊を薄くしていく。
何より、男にとって重要な意味を持つ、画面の中の石の輝きが、男に残されたひとかけらの理性を刺激し、賦活していた。
あの石は、奪われたものだ。
あれだけではない。
この島は、奪われたものだ。
己の尊厳は、奪われたものだ。
どれも、マフィアなどの、ものでは、ない。
じゃらり。じゃらり。じゃらり。
鎖の音が、意識を研ぎ澄ませていく。
泡のように爆ぜていた、大切なものが、輪郭を取り戻していく。
酒と薬に溶かされたものを、思い出していく。
鉛の鎖に、ヒビが入る。
ごとり、と、地面に、鎖が一つ切れて転がった。
何をしている。
どうして、自分は、こんなところで。
マフィアの、走狗など、しているというのか。
魔人能力とは、個の精神性を体現して現実の物理法則を捻じ曲げる。
ならば、対象の罪悪感を鎖として束縛する己の認識とは何か。
それは、掟をこそ遵守させる、精霊遣いの継承者としての、意志ではなかったか。
腕が震える。
やせ細った腕を見る。
薬と酒に侵され、鎖に縛られた枝のような腕を見る。
「ヘヘ、ヘャヘヤッ!」
笑いが漏れる。
情けなさと、愚かしさに、笑うことしかできない。
周囲からは、トリップしたジャンキーが、迷妄に哄笑しているように見えているのだろう。
できるか?
男は自問する。
自分は、マッシュファミリーの走狗。
その立場を演じたまま、全てを出し抜いて、島の尊厳を――あの石を取り戻せるか?
薬物と酒に侵されたこの精神で、今のこの意識すら、油断すれば陶酔と酩酊に溶けてしまいそうな状態で?
戦士としての鍛錬も、精霊遣いとしての修練も怠ってきた体たらくで?
本当にできるのか?
否。その問いに意味はない。
精霊遣いは、ガワイを除き、日の光が白い時に酒を飲んではならない。
精霊遣いは、マヌングで知ったことをみだりに漏らしてはならない。
精霊遣いは、アヌッを私欲のために用いてはならない。
精霊遣いは、ケジャハタに立ち向かわねばならない。
精霊遣いは、この島の平穏を守らねばならない。
これが、走狗となり果てても己を縛る、精霊遣いの掟であるのだから。