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ジャックマリヤ プロローグSS

全体公開 プロフィール・プロローグ 5265文字
2022-06-11 21:51:59
Posted by @DSSmafia

 私は雨が好きなので、蜘蛛を見つけたら必ず殺すようにしている。


 ◇  /  ◆


 木造の扉を叩くと、鉄鍋をひっくり返したような激しい物音が返ってきた。
 来訪者が客ではなく、“彼女”だと察したのだろう。

 女は返事を待たず、客のいない大衆食堂の扉を蹴り破った。
 東南アジア特有の熱と湿気で膨張した木材が、不揃いの破片となって床を転がる。

「ッ……“ジャックマリヤ”の旦那、へへ」

 脂汗を掻いた大柄なアジア人の店主が、愛想笑いで侵入者を迎える。
 ジャックマリヤと呼ばれたスーツ姿の女は、臙脂色の紅を差した唇から、艶のある溜め息を溢した。

「蜘蛛というのは厄介な生き物だ。他人の家に労せず棲み着いて、勝手に糸を織り始める。己が居候の分際だとまるで弁えていない」

 東洋人が異国に渡って始める稼業は、仕立て屋か飯処だと言われている。
 真偽は定かではないが、事実としてこのガトー・アイランドにもアジア料理の店は多い。
 法の及ばぬ土地ならば好き放題に稼げると、暗がりの街灯に群がってくる。

「景気が良さそうだな、チンク。店を畳むように言ったはずだが、よく仔牛一等丸々買い付ける予算があったものだ」

 ジャックマリヤの声には、檸檬のような冷たさがある。
 甘さのない淡々とした響きで、闇に生きる女とは思えぬほどに澄んでいる。
 しかし、それを聞いた店主は、飢えた虎の唸り声を浴びたかのように縮み上がった。

「そんな、滅相も……

 愛想笑いを一瞥して、ジャックマリヤは手近な椅子に腰掛けた。
 すらり、と足を伸ばして組むと、懐から紙タバコを取り出して、視界の端でもう一度店主を睨む。

……酷い臭いだ」
「えっ、そうですかい?」

 呆れるほどの愚鈍さだ。

「どうやら先月の“お願い”は、“わかりにくかった”らしい。傷つけないように優しい言葉を選んだのが逆効果だった」
「旦那、あのですね」
「いや、待て。もう一度、私に説明のチャンスをくれ。さて、どこから話したものか」
「こちらも、ご相談が」

 店主の言葉を待たず、ジャックマリヤは続ける。

…………そうだ。隣人とは上手くやっているか?」
「え、は」
「向かいはドイツ人の経営するビアホールだ。発酵キャベツと塩漬け肉を蒸したのが美味くてな。私もよく週末には世話になる」

 と、おどおどした態度の店主が、そこでやや自慢げに胸を張った。

「え、ええ。そりゃもう。先日も、新鮮なミズダコが入ったんでね。差し入れてきたところです」
……大通りの裏にはサウジアラビアの古物商。通り一帯の顔役だ」
「真っ先に挨拶に向かいましたよ。二十五年物の紹興酒も手土産に」
…………斜向かいの店は」
「ネパール人の香辛料専門店ですね、店の前を通ると刺激的な香りがなんとも芳しい。ちょうどこの仔牛を処理したら、良いところをお裾分けしようと……ほら、アジア人の好で」

 よくやっているでしょう、と言わんばかりの得意げな笑みを見ていられず、堪らず眉間を押さえた。
 艶のある前髪が滑り落ちて、その表情を覆う。

「貴様らが隣人をまるで理解していない、というのはよく分かった」
「そうでしょうとも!  は、 」

 背もたれに深く体重を預け、天を仰ぐ。
 まもなく、パァン、と立て続けに火薬の弾ける高い音が響いた。

「その豚包丁で耳の垢を丁寧に刮いでよく聞け、チンチョン」

 底冷えする、深海のように昏い声。

「このストリートにアジア人の料理屋がただの一軒もないのは、何故だ?」
「それっ、それ、は」
「その通り、ドン・ポルチーニの直営するジャパニーズ・クィジーンの居酒屋がど真ん中にあるからだ。カレーもキムチもラーメンも一通り揃っている。彼らの文化は素晴らしい。分かるか、お前にも理解できるように共通語で喋っている。同じ極東でこうも違いが出るものか?」

 おそるおそる、店主が視線を向ける。

 ジャックマリヤの手には、いつのまにか拳銃が握られていた。
 銃口からは、硝煙が立ち上っている。
 射線の先は、店主のどてっ腹――――の、わずかに下。
 先程まで捌いていた仔牛の肉に、三発分の貫通孔。

 銃口は、まだ店主を睨んでいる。

…………だが、ドン・ポルチーニは寛容だ」

 はく、と息を呑む音。
 ようやく状況を認識したらしい。やはり、呆れるほどの愚鈍さだ。

「貴様らが“友人”たちと足並みを揃え、細々と生計を立てる程度に慎ましやかにやっていくなら」

 生娘の悲鳴じみて、店主が喉を鳴らす。
 意に介さず、ジャックマリヤは言葉を続ける。

「それを逐一咎めはしない。だが、その“友人”たちから苦情が何件も寄せられている。毎朝よくわからない薬液を振りまいて大通りを悪臭で満たし、用水路には未処理の肉片や残飯を平気で…………

 ごとり、と、何かが音を立てて床に落ちた。

 言葉を止めて、ジャックマリヤは視線を落とす。
 床に落ちたのは、拳銃だ。先程まで、店主を睨みつけていたはずの。

…………………

 顔を顰める。
 慣れない拳銃を使ったからか、指先に妙な痺れがある。

「お、お言葉を返すようですがね、旦那」

 いや、違う。
 利き腕の指だけではない。その反対の手指、いや足の爪先からも。
 毒虫に刺されたような熱を伴う痺れが、じんわりとやってくる。

「他所のシマってこたぁ、分かってんです」

 のそり、と狙いすましたかのように、店主が歩み出てきた。

 恰幅の良い体格、熊のような膂力を備えた肉の太さだ。
 包丁を握りしめる丸太のような腕には血管が浮いており、

 その切っ先がゆっくりと、ジャックマリヤに向けられた。

「けど、私らだって引くわけにゃいかんのです」
…………

 ジャックマリヤがそれを退けなかったのは、刃に臆したわけでも、店主の言い分に耳を貸したわけでもない。手足の痺れに次いで、奇妙な酩酊感が思考を奪う。

「“香木”ってんですよ。とはいえ、表の市場で見かける“お線香”とはワケが違う」

 するり、と、無遠慮な刃の先端が、彼女の服に忍び込む。
 肌を傷つけることなく隙間を縫うと、スーツの留め紐のみが断ち切られた。
 ふつり、と解き放たれた布が重力に負け、絹のように白い生肌が露わになる。

 店主は……いや、その“男”は、舌なめずりをするように、その姿をつま先からてっぺんまで値踏みした。

 中性的なブロンドのショートボブ。
 きっちりとタイを結わえた男物の高級スーツ。
 柳のように細くしなやかな腰。
 女性らしさを称えた流線的なシルエット。

「ウチらの“幇”もね、ここいらの利権にいっちょ噛みしたいと、そう思っているわけで……いや、なにも戦争仕掛けにきたンじゃねェ。少ぉお〜し、この街の一角で商売させてくれりゃあ、それで」

 くゎん、と視界が揺れる。
 店主の輪郭が崩れ、やがて波紋が広がるように世界が歪む。

「おっと……へへ、だいぶお気に召していただけたようで」

 下卑た笑い声が輪唱する。
 厨房の裏に、もう二人ほど潜んでいたらしい。

 らしい、というのは、推測ということだ。
 床を舐めるように倒れ込んだ視界が、それを確認することはなかった。
 ごとん、と頭蓋に重たい音が響く。

「“お愉しみ”ン時にゃ、女のケツからブチ込んでもいい。“使い捨て”ンなっちまうが……と、アンタには刺激が強かったかな」

 ずちゅ、と、血と脂で汚れたキッチンシューズが、ジャックマリヤの剥き出しの腹部を優しく蹴り転がす。

「地元の組とわざわざ事を荒立てたかねンだ。どころか、その幹部に手ェ出したとあっちゃ、命が幾つあっても足りねェ。だから、アンタはこの店には来なかった、ってのはどうだ?」

 仰向けの視界に、三人の男が逆さまにこちらを覗き込んでいる。
 いずれも似たような体格だ。力比べでは敵わない。

「“宣誓処女”だなんだって、東欧のクソ田舎から出てきた未通娘ってことだろ。白人の若い女には好事家が良い値を付ける」

 うち二人の男が、女の手足を押さえこむ。
 頭上に、ぎらり、と骨断ち包丁。

「愉しむのに手足は要らねェ、穴が残ってりゃ……と思ったが、そんな上等な肉を仕入れて客にだけに食わせるのも勿体ねェな。シェフの特権ってことで、俺たちもちょいと味見をすふぁ、ボッ」


 そして、一筋の赤い線が奔った。


 不自然に口を噤んだ店主に、二人の店員が不思議そうに視線を向け――――まもなく、その顔が泣き叫ぶ赤子のように歪む。

「本当に…………本当に、めでたい頭をしているな。だが、得心がいった」

 くつくつと、床に転がされたままの女が肩を揺らす。
 嘲笑でも威嚇でもない。
 心の底から、怯える男たちの阿呆さが愉快で仕方なかった。

「数だけは多い華僑連中の末端ともなれば、“教育”が行き届かずお粗末になるのも仕方がない。だが、同じ穴の狢なら遠慮は要らんな」

 既に、店主は息をしていなかった。

 いや、言葉の綾だ。生きているのか、と問えば、答えは是だ。
 だが、まもなく己の血によって窒息して絶命に至る。
 店主の喉を食い破って口蓋に忍び込んだ“それ”は、音もなく頭蓋をぐちゃぐちゃに掻き混ぜて、落ち窪んだ眼窩から這い出るように、ずるり、と姿を現した。

「ところで、先程のは名案だ」


 血の悪魔。


 他に、形容のしようがなかった。
 真っ赤なシルエットは鳥の骨格標本に近い。
 だが、よく目を凝らせばヒトの上半身のようでもある。
 肘から先は尺骨の代わりに、蟷螂の鎌のような弧を描いた鋭い爪。

「私はこの店には来なかった。ドン・ポルチーニは多忙なお方だ、心労を増やしたくはない」

 赤子の拳ほどの“ちいさな悪魔”が、ぞろぞろと店長の顔の“穴”から滑り落ちてくる。
 二匹、三匹、とんで八匹。
 十を越えた辺りで、男たちはその数を数えることの無意味さを悟った。

「代わりに、不幸な暴走トラックを手配しよう。ガソリン満タン、もう半刻ほどでこの店に突っ込んでくる。今月一番の大火事だ、人間と牛の死体の見分けもつかん」


 それまでは――――

 そうだな、この香木とやら――――
 確か、ケツの穴にブチ込むのが良い、んだったな?


 淡々とした調子を崩さなかった女の声に、初めて狂喜の色が乗った。
 “宣誓処女”の誓いによって、性行為は禁じられている。
 だが、男どもが怯えながら命惜しさにまぐわうショーは、いくらかの無聊の慰めになる。

……小ぶりだな。臭いも酷い。まあ、私が食らうわけではないが」

 ジャックマリヤは男の一人にしなだれかかると、慣れた手付きでベルトの金具を外し、その股座を弄り始めた。


◇  /  ◆


 轟々と燃え盛る木造の店を背に、私は煙草の煙を吸い込んだ。
 建材が湿気ていたのか、それとも得体の知れない大陸の品でも扱っていたのか。
 鼻を覆いたくなるような悪臭が、通り一面に広がっている。

「刺激的な格好ですね、カポ。目のやり場に困っちまう」
「女扱いするな、殺すぞ。景気はどうだ?」

 迎えの車を待っていると、向かいのビアホールの店主が挨拶にやってきた。

「最悪ですよ。なにせ、店の正面に生ゴミ処理場が出来ちまったんだ」
「吐瀉物の臭いを肴にする物好きもいないからな」
「ええ、まったくそのとおりで」

 ビアホールの店主は、よく冷えたビールの瓶を手渡してきた。
 気の利く男だ。
 私はそれを受け取って、代わりに100ドル紙幣を何枚か握らせた。

「カポ、こんなに」
「詫びだ。対応が遅れてすまなかった」
「そんな……シュラハトプラッテは仕込み中ですが、カリーヴルストの試作が出来たところです」
…………確か、“カレー風味の腸詰め”だったな?」
「悪臭に負けないように、キツめの味付けで」
「頂こう」

 扉を潜ると、煉瓦作りの広間の中央で、若いスタッフたちが賄いを食べている最中だった。
 立ち上がって挨拶しようとするのを手で制して、彼らの目の届かない厨房の裏へと潜っていく。

 私は、このガトー・アイランドという住処を気に入っている。

 故郷の豊かな草原とは比べるべくもない。
 だが、この島には悪徳と引き換えの自由がある。混沌のうちに調和がある。
 故に、その庭に入り込んだ害虫は駆除しなければならない。
 それがマフィアの務め、私の使命だ。

 目下の懸念対象は、『ホワイトロリータ』の残した一粒種。
 悪食の女郎蜘蛛、アルフォート・ルマンド。

 彼女の引き起こしたクソッタレな厄介事を片付け、厄除けの魔石を取り上げたのち――――

 死ぬよりも惨たらしく、その尊厳を奪わねばなるまい。


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