@DSSmafia
地を這いし仇花が。
血を啜りし仇花が。
今宵、天に浮かびし雲へ根を伸ばす。
その渇水を満たすために、尽きること無き潤いへ根を張るために。
東南アジア某国領。
司法すらも犯罪者の手に落ちた悪逆と背徳の楽園、現代に蘇りしソドム。
法と秩序が壊滅し、二大犯罪組織に実効支配されし暴力の島こそがガトー・アイランド。
北と南で支配者が分かれた島の西にそれは立地する。否、立地していた、と呼ぶのは正確か。
広大な庭は庭師の手を離れ、我が物顔で咲き誇るは名も知れぬ雑草。敷地の中央には焼け落ちて崩落し、興盛を夢想することすら困難な骸を晒す建物だった瓦礫が散乱する。司法が陥落した島に正常な倫理観を備えた消防士がいる訳もなく、放置された現場からは金目の物だけが的確に強奪されている。
かつてガトー・アイランドに於いて第三勢力を名乗るにたる量と質を備え、首魁の死を切欠に磨り潰された組織。ホワイトロリータ。
その主要な拠点の一つにして、首魁のショコラ・ルマンドの死した地に一人の少女が足を運ぶ。
「……」
憂いを帯びた瞳で跡地を見つめる少女は喪服を思わせる黒衣のワンピースを着用し、手には遺品が南国の乾燥した光を浴びて鈍く輝いていた。
波の音が鼓膜を揺さぶり、人気のない静寂を際立たせる。
海に近い立地故か、潮風が島中に充満した血の匂いを引き連れて鼻腔をくすぐった。
既に金品の大半は奪い尽くされた後。少女がビデオ越しに存在を公言した隠し財産も、この地には存在しない。
わざわざ価値のない土地に足を運ぶ暇がある程、島民は暇ではないのだ。
少女の扇動した言葉によって。少女が掲げた撒き餌によって。
「祖父よ。地獄の底より暫しの間、お待ち下さい。
すぐに数多の化生をお送りしましょう」
葬送の念を込め、言葉に呪詛を混ぜる。
黙祷し、哀悼の意を捧げる姿こそ典型的な遺族のそれである。が、マフィアの首魁を送るにはただの遺品や花では到底物足りぬ。
故に、故にこそ。
「全てのマフィアに死を。これはこの島に流された血の叫び」
少女の呪いは波風に乗り、島中を駆け巡ることだろう。
マッシュのドン・ポルチーニへ。
バンブー・チルドレンのMs.バンブーへ。
或いは彼ら彼女らに屈した公的権力へ。
更には彼ら彼女らが呼び寄せた外部のマフィアへ。
今もなお島に居座り、祖父の築き上げた物を貪り喰らう獣ども全てを屠るまで、少女の呪いは巡り続ける。
「……」
少女に程近い茂みが波風に揺れ、青葉を擦り合わせた。
直後。
日の光に照らされ、影が迫る。背を向け、今もなお祖父の死した地を見つめる少女との距離を詰める。
手に持つは血に錆び、刃毀れの目立つ戦斧。木製の柄には幾重にもガムテープによる保修が加えられているものの、こと少女の頭をかち割るに於いて支障はなかろう。
音を殺した足捌きは通過した後に遅れて雑草を揺らし、衣服の擦れさえも掻き消す。
そして跳躍。
戦斧の切先を天へと伸ばし、刃の腹に少女の背を映し出す。
刃を振り下ろす段階になってなお、少女に気づく素振りはない。
殺った。
確信を以って振るわれた剣筋は、少女の頭部に触れる寸前で不自然に軌道を変え、地面を穿つ。
「ッ……?」
「おや」
何も慌てることはないと。突然の下手人を前にして、少女は悠々と振り返る。
一方、下手人は振り返る少女に対し、左手で慌てて顔を隠して飛び退く。それでも咄嗟の行為故か、宝石を思わせる青の瞳が指の隙間から覗けた。
何者か。少女が問い詰めようと口を開く寸前に、下手人の低い体躯から鮮血の如き赤い霧が噴き出し、跡地の光景を覆い隠す。瓦礫も、鬱蒼と生い茂る雑草も、雲一つない晴天でさえも。
「無駄なことを」
しかして、少女の周囲数メートルの範囲のみは例外。
彼女を穢すことはたとえ霧でさえも許さぬとばかりに、球状に形成された聖域は血霧の侵入を妨げる。もしくは元々展開されていた聖域が、血霧によって視覚化されたというのが正確か。
「血霧が……!」
「魔石エリーゼはあらゆる災厄を回避する……それはたとえ、魔人能力であろうとも例外ではない。そうでなければ、私は今頃この地で祖父と眠っている所ですから」
「ッ……」
下手人が漏らした動揺の声は幼く、ともすれば変声期すら迎えていないのではないかと少女──アルフォート・ルマンドに思わせた。
ホワイトロリータ滅亡に前後し、島から堅気は姿を消している。そして孫娘として少なからず命を狙われる立場にあった少女が、実際に刃を振り下ろされるまで気づけなかった隠遁術。
偶然の産物であろう訳がない。
アルフォートは血霧へ向け、声を上げる。
「何故ここに来ることが分かりました?」
「……」
下手人が逡巡したのは数秒にも満たぬ一瞬。
「石のお守りが本当なら、お墓参りもするだろうって思ってね。
だからおじいさんが死んだって場所を聞いて、後は来た人を殺し続ければお姉さんもいずれ来るかなって」
血の匂いは潮風が運んだのではなく、跡地周辺で殺害した死体を雑に処置したため充満していたのか。
ある種の合点がいったと目蓋を閉じ、そして鋭利に研ぎ澄ます。
祖父の、そしてホワイトロリータの墓場を土足で踏み荒らし、挙句屍を無造作に捨て置くなど言語道断。安らかなる眠りさえも妨げるのならば、一切の呵責が働くことはない。
表情としての変化にこそ乏しいものの、アルフォートは語気に確かな憤怒を交えて口を開く。
「マッシュとバンブーの両者が全員、素直に応じるとは始めから思っていません。直接簒奪する不逞の輩がいることも当然想定しています」
「難しいこと言ってるけど、つまりは意味がないってこと?
そんなのやってみないと分からないじゃん。それにどうせ、ジルが一番多く殺せる。だから先にちょうだいよ、その石」
「匹夫め」
思慮分別も弁えず、血気に逸るばかりの獣。
教養を学ぶ機会すら得られなかったのか。ジルと名乗る下手人を端的な言葉で罵り、アルフォートは左手を頭上に掲げる。
マフィアが与える情など、非情ただ一つ。
少女は躊躇なく掲げた腕を振り下ろし──
「これはこれは失礼しましたぁぁぁ!!!!」
少女の眼前に割り込む形で、男性が素早く滑り込んできた。
膝と両手を地面につけ、額を擦りつける。アルフォートには所縁のない国の作法故に小首を傾げるばかりだが、相手の言葉と圧される程の謝意は肌に深く突き刺さった。
極東に於いて古来から伝わる最上位の謝罪作法、土下座。
突然割り込んできた男性は、顔を上げる暇さえも惜しんで言葉を紡ぐ。
「本当に、本っ当に申し訳ございませんッ。ウチの大将がとんだご無礼を働きましたッ。死体につきましては後日部下に回収させますんでどうかッ、どうかドン・ポルチーニ様にはご内密にッ!!!」
「えぇ、あぁ……まず、いったい貴方は誰でしょうか……?」
血霧越しにも窺える質のいいスーツ以外の特徴が分からないことには、アルフォートも男性の処遇を決めることも叶わない。精々が堅気ではないという、島の現状に於いては意味の乏しい前提条件程度。
少女の問いが通じたのか、男性は顔を上げて自己紹介へと続ける。
「はいッ。私めはミニマルファミリー当主のニセモ・ノーでございますッ」
「ニセモ……あぁ、あの贋作と詐欺で稼いでいる」
「お耳に届いているとは恐悦至極ッ。いや、本当に申し訳ございませんッ。ですが、どうかお慈悲の程をッ。ご不満があるのでしたら私めが集めたスーツを全て献上しますからァッ!!!」
「あー……」
興が削がれた。
ニセモの圧に当てられたのか、アルフォート自身も驚く程に先程までの凝縮した殺意が霧散している。振り上げた左腕も、今では着地の時を待ち侘びて所在無さげに指を丸める始末。
結局、左腕は本来の役目を果たすことなく気怠げに下された。
それは彼女の意志が翻意したも同然。告げられた言葉もまた、どこか投げやりな印象を聞く者に与える。
「次はないと肝に銘じて下さい。無論、先のジルと名乗った下手人が暴走した結果でも私は容赦しませんことよ」
「ハハァーッ。委細承知で御座いますッ。ほら、ジルの旦那、帰りますよッ!」
「えぇ、やだー! ジルもあの石が欲しいのッ!」
「だったら、さっさと他の獲物でも狩って下さいよッ。こちとら人員も大概なんだからなッ!!!」
「ちぇー」
どちらが上なのか検討もつかない会話を繰り広げ、ニセモの姿が血霧の奥へと消えていく。遅れて、血霧自体も徐々に濃度を薄めていき、やがて元の景観を取り戻した。
アルフォートはニセモが消えた先へと視線を向ける。も、彼も下手人の姿も見当たらない。
「良かったのですか、お嬢様」
万が一に備えて敷地外に待機していた執事が背後より問いかける。魔人能力発動直後に駆け寄らなかったのは、単なる霧程度で魔石エリーゼの加護を突破することなど不可能という余裕からか。
執事の意図に理解があるのか、アルフォートは遅行への叱責もなく言葉を紡ぐ。
「別にいいわ。あの狂犬振りではすぐに骸を晒すことでしょう。
それに……私達の手札を晒すのに適した時は、今ではないわ」
「馬鹿。本当に馬鹿、どうしようもなく馬鹿ッ」
「そんなに馬鹿馬鹿言わなくてもいいじゃんー!」
本場イタリア製のしなやか生地と柔らかな芯地を併せ持つ上質なスーツに身を包む男性、ニセモが側に立って歩く幼子へ怒声を浴びせる。
過敏な人には虐待を連想させてもおかしくない光景だが、仮に指摘されれば彼は全霊を以って否定するだろう。
誤解だ、本当に可哀そうなのは自分だ、と。
「だってあの石は本物だよ。アレがあればどれだけ殺しても誰もジルを傷つけられないんだよ、ジルだってアレ欲しいもん!」
小柄な体躯には過ぎた紺のスーツを引き摺り、右手には大柄な手袋を装着。白髪を乱れさせた天然パーマの下には宝石を思わせる青の瞳。
物騒でありつつも微笑ましさが勝る言葉遣いも重なり、抗議の意で掲げられた右手に刀身を錆させた戦斧が無ければ、彼女を暗殺者と断定するのは不可能に近いだろう。
そして同時に、戦斧に巻かれたガムテープも合わせ、得物を見た者は一転して彼女の殺害経験に警戒の色を示す。長年に渡って使用されてきた得物特有の、言葉に出来ない説得力がそうさせるのだ。
「欲しいもんじゃねぇよ。だったら素直にバンブーの大将首を並べろって伝えたでしょうがッ」
彼女を雇い、ガトー・アイランドに招き入れたのはニセモ率いるミニマルファミリーである。
特殊詐欺とブランド品の海賊版、そしてニセモ自身の魔人能力を主な収入源としていたファミリーが、アルフォートの宣言を機に始まる抗争での地位向上を目指した戦略。それが戦力の外注による補強であった。
元々マッシュの末席に収まる程度、五〇人にも満たぬ規模では打てる手立てにも乏しいのが実情。それに彼らのシノギは武力を必須としない類のもの、暴力担当を外に求めるのは自然な流れであった。
誤算があったとすれば、それは白髪の幼子──ジル・アンデルセンが彼らの手に負える人物ではなかったという点。
『ジーっとしてるなんてやだ、退屈』
待機を命じ、方針の違いから彼女と軽い口論を繰り広げた結果。一五人もの人員が斧の錆となった。拳銃の扱いを覚えた一五人が、である。
そして事務所の一角を血に染めた彼女が行ったのが、件のアルフォート襲撃。
無軌道極まりなく、人員の補填に当てさえあればニセモも早々に彼女を切り捨てていた。が、そうもいかない現実がファミリー総出でジルのサポートに回らざるを得ない現状を構築してしまっている。
これではどちらが当主か分かったものではないと、内心で愚痴を零すとジルが口を開く。
「ねぇニセモ?」
「なんですかい、ジルの旦那?」
「簡単に首を集める方法が浮かんだんだけど、いい?」
「絶対に聞きたくねぇ」
「何か理由をつけてマッシュの偉い人呼んでよ。そこをジルがスパーン! って首を落とすの」
「聞きたくねぇって言いましたよね?!」
万力で胃を締め付けるにも似た、重く深い痛みをニセモは感じていた。