@DSSmafia
302と刻印されたドアがある他には何もない玄関口。
黒いスーツとボルサリーノ帽の男は黒い手袋を嵌めた手で、ノブを回してマンションの一室に入る。
「首尾はどうだ、ケン」
低い声色。
だが、見た目から想像されるほど冷たいものでは決してない。
「びっくりした、フランキーの兄貴ですか。驚かさねぇでくださいよ」
声をかけられた角刈りにアロハシャツの男――ケンジが、椅子の上でひっくり返りそうになっていた。
取り落したタバコがひび割れたフローリングの上を転がる。
この部屋は、人が住むにはあまりにも無味乾燥過ぎた。
椅子とテーブルが数脚ある他は、何もない。
この部屋は誰かが住むためのものではないのだ。
「駄目です、兄貴。こいつ、口を割らねえ」
ケンジが床に落ちたタバコを拾いながら目線で示した先には、椅子に縛り付けられ血みどろになった男。
足元には血の染みついた棍棒。
男はジョニー・シセロという。
マフィア組織「ドリトス」の構成員 。
「さんざんボスのシマぁ荒らしてくれやがって」
ケンジが青筋を立てる。
ジョニーを抹殺することなど彼らフェデリコ・ファミリーにとっては児戯。
だが、それだけでは矛は収まらないのが面子というもの。
ケンジ、そしてフランキーの所属するフェデリコ・ファミリーは、ルカ・フェデリコを頭とする「マッシュ」の二次団体。
ルカ もまた巨大組織の中枢を担う幹部 であれば、フェデリコ・ファミリーの汚名はすなわちマッシュの汚名。
そして構成員一人の判断で、他組織の縄張りを侵犯することなど、あろうはずがない。
故に、指示を出した者を突き止め、適切に報復しなければ面子は立たないのだ。
「こうなりゃ腕の一本でもぶった斬って……」
「待て、ケン」
怒りのあまり長ドスを抜こうとする若いケンジを、フランキーが手で制する。
それまで頭を垂れ、死んだようにじっとしていたジョニーの眉がぴくりと動く。
「俺がやろう」
◆◆◆
ジョニー身体はテーブルの上で仰向けに縛り付けられていた。
丁字の形に連結されたテーブルに沿うような形で広げられた腕さえも。
「こんなことをしても無駄だ。俺は何も知らない」
ジョニーはケンジに繰り返した言葉を、フランキーにも投げかけた。
テーブルの周りをゆっくりと歩いていたフランキーは足を止める。
「ケン」
「はい」
ケンジは部屋の隅で姿勢を正していた。
フランキーの視線は、ジョニーに向けられたままだ。
「こいつは俺たちのシマに手を出した屑といえど、仲間を売らない気概を持っているんだ」
スーツのポケットからティアドロップ型のサングラスを取り出してかけた。
表情からも、声色からもフランキーの感情を推し量ることができなくなった。
「そういう意味ではこの男も、ひとかどのマフィアということだ。こいつは死を恐れていない」
ジョニーはかつて感じたことのない不気味さを感じた。
額から頬にかけて、血の混じった脂汗が伝う。
「さて、俺からもう一度聞こう」
見えないはずの黒いレンズの奥から、おぞましい何かが感じられた。
「我々フェデリコ・ファミリーのシマを荒らすよう、指示を出したのは誰だ」
「……あんたらが気に食わないから俺が勝手にやったことだ……」
それでも、自分の"上"だけは売るまいとする矜持を肚の底から引きずり出し、喉を震わせて反抗した。
「そうかね」
フランキーはその反抗を、抑揚を感じさせない一言で事も無げに受け止めた。
「ところで」
その間もフランキーの視線はジョニーから外れることはなかった。
そして、スーツの懐に手を入れた。
刹那、ジョニーは鉛玉を食らう覚悟をした。
自分を椅子から引きずり下ろしてテーブルに縛り付けるとき、フランキーのスーツの懐からショルダーホルスターに収められた銃が見ていたのだ。
「お前さん、箪笥の角に小指をぶつけたことはあるか」
衝撃。
ありえざるほどの痛み、そして熱がジョニーの右手に走る。
しかしアルミ合金の口腔から放たれるはずの、獣の咆哮は耳に届かない。
聞こえるのは苦痛のあまり絶叫するジョニー自身の声にならない声のみ。
一瞬の出来事だった。
フランキーは目にも止まらぬ速度で45口径を取り出し、銃把でジョニーの右手小指を叩き潰していた。
発揮されたその恐るべき膂力と速度は、明らかに魔人のそれ。
鉛玉とは違う予想外の責め苦――覚悟もなく唐突に襲い掛かったそれは、ジョニーに尋常ならざる苦痛を与える。
ジョニーの指はつけ根から千切れかけ、わずかな皮と肉だけでぶら下がっていた。
だが、フランキーは悶えるジョニーに何の反応も示さず手に持った45口径を再び振り上げる。
「……よ、よせ」
ジョニーはそんなことを口走るつもりはなかった。
恐れを見せようとなどと、これっぽっちも。
だが、その目に映るフランキーは嗜虐心も怒りもない。
ただ目的を果たすためだけに、圧倒的な暴力を振るう機械 のように見えた。
黒いレンズはフランキーの持つ人間味を一切透過しない。
本能的に呼び起こされた恐怖が、ジョニーにそう口にさせたのだ。
「よせ?」
一旦は振り下ろした45口径を下す。
だがフランキーの黒いレンズは逸れることなくジョニーを捉え続けていた。
「まだ19本残っているのにか?」
ジョニーは目を瞑り、大きく息を吐きだした。
そして己の運命を察し、そして呪った。
決して死なせてはもらえない。
すぐに吐いてすぐに死ぬか、それか、吐くまで死と苦痛の境界を投与され続けるか。
吐けば同じファミリーの仲間を売ることになり、マフィアとしての名誉と矜持は永遠に失われる。
それでも、耐えられる未来がジョニーには見えなかった。
「そ、そうか……いま、いま分かった」
今更のように、亡きドリトスの兄貴分の言葉が脳裏に浮かぶ――もしフェデリコの魔人に出会ったら、絶対に逃げろ、と。
無理だ。
その隙すらなかった。逃げることなど最初からできなかった。
「……あんたがあの、音に聞こえし"銀の矢 "の……」
続きを口にするより早く、ジョニーの眼に絶望が宿った。
脇に控えてじっとしていたケンジから見ても明らかだった。
闇が一人の男の心を覆いつくし希望の光を食らいつくすさまを、フランキーは無感情にただ見下ろす。
恐怖と諦念に支配されたジョニーは、ゆっくりと口を開き喉を震わせる。
浮き輪の空気漏れのようなか細い声で、シマの襲撃計画に関与した幹部の名前を二人吐いた。
「そうか」
フランキーは真偽を問いただすような無粋はしなかった。
その代わり、ポケットからベアリングボールつまみ上げた。
そして迷うことなく眉間へ。
フランキーの魔人能力――「銀の矢」。
ベアリングボールはジョニーの頭蓋に吸い込まれていった。
そこに何も存在しないかのように。
脳幹を破壊されたジョニーは、即死した。
何らかの感情を抱く間もなかった。
少なくとも、苦痛に対する無用の恐怖は味わわずに済んだと言えた。
◆◆◆
フランキーとケンジはエントランスを通過、寂れたマンションを後にした。
「ケン、腹減ったな」
「ウッス」
路肩に止めていた防弾仕様のセダンのドアを開け、殺しなどなかったかのように言ってのける。
「そろそろ幹部会に行ってるボスの迎えだ。終わったら飯行くか」
「ウス、兄貴。お供します」
それでもケンジは素直な返事を返す。
極東のマフィア組織を追い出され、行くあてもなく流れ着いてフェデリコ・ファミリーに拾われたこの若い男は、数年を経てフランキー付の舎弟になっていた。
実直さゆえにあまり要領が良いとは言えないが、フランキーは異国からやってきたケンジをなぜか気に入っていた。
「後始末はよろしくな」
「了解です、兄貴。お気を付けて」
車の運転席に乗り込む兄貴分を、ケンジは角刈り頭を少しばかり下げて見送った。
フランキーはアクセルを踏みながら窓から左手を出してそれに応えた。
◆◆◆
指定の場所で待っていると、数十秒もせず後部座席のドアが開く。
乗り込んできたのは白いスーツに黒いシャツの男。
マッシュの幹部にして、フェデリコ・ファミリーのボス、ルカ・フェデリコ。
「お疲れ様でした、ボス」
フランキーが長きに渡って忠を尽くしてきた男。
「ちょっと回ってくれ」
ルカが後部座席で指をくるくる回すのを、フランキーはバックミラーで捉える。
車がゆっくりと走り出す。
二人だけに通じる合図。
背中を預け合ってきた者同士の阿吽の呼吸。
フランキーはバックミラーに再度目をやり、皺の刻まれたルカの顔を見る。
いつになく表情が重い。
実のところ、送迎に指名された時から何かを感じ取っていた。
ただの送迎であれば殺し屋 のフランキーではなく、他の構成員で事足りる。
つまり、何らかの"仕事"があるということだ。
「動画ファイルだ。幹部会で共有された」
路地を抜け、大きな通りに入った所でルカはフランキーにフラッシュメモリを手渡してきた。
受け取った手でダッシュボードのコンソールに接続し、パネル操作でメモリ内のデータにアクセスする。
「これは」
画面の中で大写しになり、鷹揚な仕草で演説をぶつ女性。
ルカもフランキーもよく知る人間だった。
「『ホワイトロリータ』の……」
「ああ、生き残りのお嬢様だ。このデータが本部に送られてきた」
「『バンブー・チルドレン』の幹部首を取った者が、引き換えに遺産と例の『災厄を避ける石』を得られる、と。胡散臭いですね」
「ああ。問題は次よ」
パネルを操作して次のファイルを選択する。
もう一つも動画ファイル――しかも、ほぼ同じ内容。
大きく違う点と言えば 褒賞の条件は「『バンブー・チルドレン』の幹部首ではなく「『マッシュ』の幹部首」という点だ。
「こっちはうちの電算班 が傍受 した。奴が言うにはデータは何の暗号化もされていなかったとよ。つまり、明日には島中が大騒ぎだ」
「どうしますか」
ルカはすぐには答えなかった。
葉巻の端をシガーカッターで切って口に咥え、目を瞑った。
危機に陥っていることは間違いない。組織も、家族も、それに何より、マッシュの幹部である自分自身も。
だが、それ以上に忘れてはならないものがあった。
「ニューヨークを……俺たちの『誓い』か……」
「俺はずっと覚えてますよ、ボス」
バックミラー越しに、フランキーの視線がルカに突き刺さる。
思い出されるは数十年前のニューヨークの路地。
行き場を失ったストリート・チルドレンのフランキーを救い出し、自分に忠誠を誓う殺し屋として取り立てたのがルカだった。
出会ったその日、初めての"仕事"の後で交わした主従の誓いは今でも二人の魂に刻まれている。
『我らがニューヨークを支配するファミリーに』
二人は確かにストリートから裏社会をのし上がった。
圧倒的な殺しの腕を持つフランキー、抜け目ない計画性とそれをやり遂げる実行力を持つルカ。
しかし一方で、マフィアという仕組みそのものの陰りも確かなものになっていた。
冷戦終結、組織犯罪に対する規制強化、FBIによるマフィアの大量検挙。
時代の大きなうねりは、一人のボスと一人の殺し屋にはどうすることもできなかった。
いつしかフェデリコ・ファミリーも地盤を失い、ニューヨークには居られなくなった。
やむなくシマをガトー・アイランドに移し、外様の幹部として『マッシュ』に身を寄せるようになり、今に至る。
「そうだな、これはチャンスだ。俺は、逃げねえぞ」
そこまで言って、マッチで葉巻に火をつける。
自分で口にした言葉ごと、煙を大きく吸い込んだ。
ルカの脳が流れを得た水車のように回転を始める。
この混沌とした抗争で名を上げることができれば、ぱっとしなかったマッシュ内の地位や発言権は確実に強まる。
更にもし、魔石エリーゼとルマンドの遺産を分捕ることができれば、それを元手として一足飛びに再びニューヨークに乗り込むこともできるだろう。
無論、アルフォート・ルマンドの罠にかかるつもりはない。どこまで彼女の提示した無慈悲な遊戯に付き合ってやるか。
バンブー・チルドレンや他組織、マッシュのほかの幹部はどう動くか。探りを入れ、あらゆる事象を考慮して動かねばならない。
"勝利条件"も流動的なものになるだろう。
――死中に活あり。
ルカはそこまで考えて、瞑っていた目を開く。
今この状況を利用して、ファミリーの未来を変える。変えなければならない。
それだけは確かなことだ。
ゆえにルカは宣言する。最強の猟犬、そして友へ。
「――行くぞフランキー、"仕事"の時間だ」