@DSSmafia
知らない土地に来たときは、聞くべき三つの値段がある。
一つは一番安い外食の値段。
二つは女を買うときの値段。
三つは人を殺すときの値段。
命は地球より重い、という言葉があるものの現実はそうではない。
司法の場においても、殺人罪の刑罰がひと一人分の命の重さとなる。
だが、この島ではもっとわかりやすい。
人の命を奪う暴力を金で買うことが出来る。
その時に支払われた金額が、その人間の値段にすり替わる。
野性的な暴力、それを扱う職業……それを担う者がいる。
「ねぇ……」
ある日の夜。
少し、汗ばむ日だった。
「嫁入り前なのに大胆だねぇ」
肌を重ねようとする人間が二人。
ジャラジャラとピアスやら手首に巻いたアクセサリーを鳴らす者……プッカが相手の上に覆いかぶさろうとした、その時であった。
「か……は、っ……!」
ぐ、と首が横に引かれる。
踏ん張ろうとするものの、たまらず体がソファを乗り越えて床に落ちていく。
首に巻かれたものに触れる……糸だ。
赤い、赤い、糸。
糸と首の間に指を差し込もうとするものの、ぐっぐっと体を引かれる度に糸が食い込む。
ゆっくりと空気を入れるために開けた窓の方に体が引きずられて行く。
「しま……っ……」
赤い血の雫が首に浮かぶ。
背から冷たい汗が噴き出る。
このままでは、まずい。
首が切れるか、窓から体が放り出されてしまうかだ。
「姦通(ピアッサー)……!」
自分の首にかかった糸めがけて手を振るう。
まるで蚊でも潰すかのように、糸ごと手が床を叩く。
パチン。
そんな音がして、糸が武骨な針のようなもので床に縫い付けられていた。
本体の行う攻撃によって針を刺す。
あらゆるものを貫通する魔人能力だ。
針を刺したことで糸が切れたらしく、泣き別れになった糸の片側が窓の方へと引かれている。
しかしそれを眺めている暇はない。
急がなければ。
喉に巻きついた残りの糸を取り去って、息を整える。
「ちょ……ちょっとなによこれ……!」
「あぁ、ごめんけ。ホント、なんでもないさ。ホントホント。あー……なんか、もうそういうムードでもないね?」
この期に及んでも能天気な言葉が口から出る。
舐めているわけではない。
身に染みているのにそんなことを言ってしまう病なのだ。
今夜のようなことが今まで何度あったか、きっと片手の指で足りないだろうから。
「あー……どうしようかな。とりあえず逃げる?」
「に、逃げるに決まってるわよ!」
乱れた服もそのままに、ソファに身を預けていた女が跳ね起きる。
いま自分の目の前で起きたことの意味は分かっている、だが信じたく無い気持ちもある。
自分に手を出した相手が誰なのかを知った時から、心のどこかにあった懸念。
プッカという人物について知れば、必ず知ることになる人物。
アポロ。
桃色髪の鬼。
嫉妬の火で宇宙まで飛べる人間。
「あぁ待って」
「待つって何を! 今この場でデリバリーでも取るっていうの!?」
「そうじゃないんだ……ただ……」
「もういい! あんたが今日なら大丈夫だっていうから誘いに乗ったのに!」
足早に入口のドアに手をかける。
プッカがそれを止めようとしていたというのも知らずに。
「ひっ……!」
ドアノブに触れた手、それに絡みつくのは赤い糸。
ドアノブを貫通し、女の手すら貫通して喉へと向かっていく。
「プッカ……」
「いや、ボクは止めようとしたよ?」
助けを求めるような視線を無視して、プッカはそう言った。
もしも彼女が自分の言葉を遮らなければ、きっとその助けに応じていただろう。
そうならなかったのは単純にもう気が移ってしまったからだ。
気が付けば、女は首にかかった糸に引かれてドアノブに顔を押し付けるような体勢になっていた。
きぃ、と女の体ごとドアが外側に開く。
「プッカ」
アポロの右手の小指から、赤い糸が伸びていた。
そして手には獲物のカランビットナイフ。
綺麗に染めたらしい桃色の髪……しかし根元から元の黒い髪が顔を出す。
そのアンバランスな色合いが酷く似合っていた。
長く伸びた髪、いつも付けているチョーカー、羽織ったオーバーサイズ気味の上着。
上気した頬と、興奮した目。
そして。
「プッカぁ……!」
愛を紡ぐ唇。
「やぁ、元気? アポロ。ボクを探してきたのかな?」
「なんでこんな所にいるの?」
「キミの仕事はもっと長引くと思ってた」
「早く会いたかったのに」
会話になっていないようで、二人の間では繋がる言語。
お互いにお互いの意志を確認し合う。
アポロの手に握られたカランビットナイフを見ないフリして、息をするように言葉を吐く。
「……その子、死にそうだけど?」
糸で首をくくられた女に視線を向ける。
プッカは分かっている。
ここでアポロに寄り添う様なことを言えば、相手は機嫌を悪くする。
都合が悪くなった時ばかりと怒られるのだ。
だから、今ここで言うべきは当たり障りのないことか、状況的に言って不思議じゃあないことのはず。
「死んじゃえば?」
アポロはなんてことない事のように言う。
わざとらしく『えいえいおー』と拳を何度も突き上げて、その度に女の足がビクビクと跳ねていた。
誘われている。
助けるべきか否か、一瞬の思考。
選択─────静観。
「ま、生きてればいずれ死ぬしね。それが今だっただけか……」
「そう」
それは
「プッカもだけどね」
大きく一歩踏み込む。
アポロの間合いの中にプッカが入ってしまった。
それは明確な出遅れだった。
「!」
「あはぁ……っ!」
姿勢を低くし、三日月のようなそのナイフを腹に向かって突き出さられる。
痛みと熱がプッカの腹に生まれる。
とはいえ、刺さったのは先端だけだ。
手首を押さえるように手を下ろし、アポロの手に針を刺した。
手を貫通した針から流れる赤い血。
しかし、そんなものは気にも止めない。
「なんでそんなに気が多いかなぁ!」
「はっはっはっ」
笑っている。
お互いに、心の底から。
己の存在と価値観、それを示さなければこの島では生きていけない。
肥大した自我が今ぶつかっている。
折れれば相手に食われる。
その死線こそがたまらない快感なのだ。
「ねぇ、アタシが気付いてないって思った? ねぇねぇねぇ!」
「ボクの尻尾をやっと掴めたって思ったんだろう? 仕事を早く済ませてまでボクのところに飛び込んできてさぁ!」
早い。
口は動くものの、プッカはかなり必死であった。
お互いにお互いの能力は分かっている。
となると、後は騙し合いと地力の勝負だ。
分かっている。
この勝負は分が悪い。
アポロはこの島で殺し屋として生計を立てている。
そのうえ、自分を庇護するためにかなりの無茶をした。
「バンブー・チルドレン」も「マッシュ」もこちらから何かしなければ手を出しては来ない。
利害の天秤を両立させた腕がある。
本来、アポロは一人で生きていけるだろう。
だがそうしないのはプッカという個人に対する執着にも近い愛を持っているからだ。
「……ッ!」
アポロの蹴りがプッカの腹を叩き、勢いのままソファに体を預ける。
「ほらほらほら! 死んじゃうよプッカ!」
「……死ぬときはベッドって決めてるよ!」
自身の首を狩るように振られるナイフ。
その刃をかわして一撃を狙う……が、間合いが足りない。
掌底がアポロの胸を打つものの、針が出ない。
プッカの能力は接触で発動する。
しかしそれは一定以上の力で叩くことが発動条件だ。
叩く力が強いほど針は太く長くなる。
腕が伸び切っているうえに体勢も不完全。
完璧ではない。
「あはははははは!」
「……声、低くなってるよ」
体をかがめ、ゆらゆらと上半身を揺らして的を絞らせない動き。
カランビットナイフを扱う武術、シラットの心得。
その他にも多くの武術を学び、それを実戦向きに改造している。
だからこそ、アポロは生き続けている。
「……」
勝目はある。
プッカは長くアポロといて気付いた。
『アポロは殺しの絶対領域を持っている』
野球選手が得意なコースを持つように、棋士が得意な戦法を持つように、アポロは得意な殺し方がある。
三十センチの距離から一歩、跳ぶように左のステップイン、四十五度の角度で下からアッパー気味に放つストレート。
相手の喉笛に刃を突き刺して、そのまま体ごと旋回して喉を切り裂く。
死に際の顔を見つつ血を顔に浴びない殺し方。
アポロは標的を殺す際、よくこの形に持っていく。
だから、きっと自分にもそれを使う。
その形を自発的に作り、対処する。
「ほら、おいで。抱きしめてあげよう」
ソファを乗り越え、間合いを調整。
誘う。
その気配を悟られないように。
「もう、プッカったら……」
ステップイン。
来た。
プッカは備える。
下から上に向かう攻撃、それに合わせて攻撃を打ち込む。
「あ……?」
手が、上がらない。
「アタシのこと、たくさん見ててくれてありがとー」
死の覚悟。
走馬灯すら見えそうな超集中の世界の中で見えたもの。
自身の手から伸びた、赤い糸。
繋がる先はアポロの右足。
糸に引っ張られて動きが阻害された。
いつの間に繋がれていた?
ソファに向かって蹴られた時? いや、ならば糸の存在を認知できてもおかしくはない。
プッカは知らない。
アポロは自身の殺しの絶対領域を理解していることを。
そして、それが自分の殺しを邪魔することがあってはならないと考えていることも。
だから相手の策を利用したうえで、プラスワンの策で殺しの絶対領域を完成させた。
「愛してるよ」
喉に広がる熱。
「ねぇ、起きて。プッカ」
「……」
「ねぇってばー。もう怒ってないからー」
「……」
倒れたプッカを見下ろして、そんなことを言う。
「ほんとに?」
「やっぱり死んだふりしてたー」
目を閉じながらへらへらと笑うプッカ。
いつものやり取りの空気が二人の間に戻ってくる。
殺しを日常に置けば、殺しの後にだって愛が宿る。
「ところで、ボク死んだ?」
「刺したけどすぐ縫ったよ?」
「え、それで何とかなったの?」
「えらいでしょ?」
プッカの喉を触るアポロ。
凹凸の感触がプッカにも伝わって、確かに縫合がなされたのが分かる。
いつのまにそんな技術を取得したのか。
そんなことはもうどうでもよかった。
自分が生きているという事実があればこの島では十分だ。
死んだと思った命を拾えていることがたまらなくうれしいのだ。
「でもあとでお医者さん行こうね」
「キミがしてくれたんなら、十分だろう?」
「やーん、セカンドオピニオンですー」
キミがファーストなんだ、とは言わなかった。
確かにアポロはプッカのファーストだ。
このファーストはレディファーストと同じファーストである。
……彼は男だが。
浮気をして今回のように暴力で蹂躙されて、何度もわからされて実感する。
アポロの持つ愛と、それに応じる自分の愛。
自分の全てを飲み干すように示されるアポロの愛。
自分の全てを吐き出すように示されるプッカの愛。
お互いがそれに納得し、お互いのやりたいようにやる。
そのうえで分かりあって愛し合っている。
重ねた言葉と体の数だけ深みにはまってしまった。
「まぁ、いいか。行こう」
「うん。ゴーゴー……あ、そうだプッカ」
「なに?」
「聞いた? あの『魔石エリーゼ』の話」
「あぁ、バンブー・チルドレンとマッシュに二枚舌外交したんだろう?」
くすくすと二人の笑いが重なる。
「あれ、貰っちゃわない?」
「マジ?」
「その石をピアスにしたらプッカに似合うと思う!」
「奇遇だね、ボクはアレをアンクレットにしたらアポロに似合うと思ってたんだ!」
「アタシたち考えること一緒!」
「愛し合ってるから通じ合うのさ!」
二人の唇と影が重なる。
「アタシが殺すから、プッカは情報収集よろしくね」
「あぁ、もちろん」
「愛してるわダーリン」
「愛してるよハニー」
組織の面子や安寧などは犬に食わせてやればいい。
アポロもプッカも、お互いがいればそれでいい。
この愛と欲望に満ちた衝動が島に満たされてばいい。
世界に二人以外の何が必要なのだろうか。
この尊い感情を前にすれば、すべてが生贄になっても構わないのだ。