@DSSmafia
【プロローグ】
死すべき者は、死してなお、死を憂う。
恋焦がれて、ただ生きる者、死してようやく芽生える。
「あーうーあー」
どこかで何かが産声をあげた。
この島にあまねく張り巡らされた下水道。洗い流されたありとあらゆる穢れがここを通って海に帰っていく。そのねっとりとした汚水の中を、小さな卵のような細胞か何かの集合体がぷかぷかと浮き沈んでいる。
それらの集合はにわかに人の姿となり、やがて皺くちゃな老婆の姿へと変化した。そして、その筋張った腕を伸ばして下水の縁へと手をかける。
「ぽ、ぽ、ら゛ら゛」
空気の抜けるような音が老婆の喉元で鳴った。
老婆はもがきながらも下水流から這い出ると、天を仰ぎ見てまるで人とは思えぬような雄たけびをあげた。老婆は四つん這いのまま一頻り跳ね回ると、そのまま横たわり動かなくなった。
どれほどの時間が経ったであろうか。いつの間にか老婆の周囲に鼠が群がり始めていた。それらが一斉に老婆へと襲いかかると、老婆に抗うだけの力はなかった。のたうち回る老婆に対して鼠の群れは容赦無かった。
老婆の全身は瞬く間に自身の血肉で赤く染まり、その臓腑は原形ととどめずに食い漁られていく。
老婆はしばらくは喉元から声にならない音を鳴らしていたが、やがて全身をわずかに痙攣させると完全にこと切れた。
この島の地下水道で起こったこれらの出来事は、誰もこのことを知らないという点で言えば、起こっていないのと変わらない。
しかし、今となれば、この島に住む住民の誰もが、このことを知っておくべきだったかもしれない。
【エピローグ】
エリス・ルマンドと私が呼ぶ少女。
今日も彼女は私の部屋に来て、具合が悪そうにベッドに横たわる。
どうやら実感を伴わない記憶が、彼女の脳を混乱させているようだった。
「頭が痛い」
彼女はいつものように苦悶の表情を浮かべて私に訴える。
私以外にその症状を緩和させる術がないことを彼女も既に熟知している。
「いいだろう。今回は上客だからな」
私は彼女の手を取ると、その白い腕に注射器を差した。中の薬剤がゆっくりと彼女の中に入っていく。彼女は安堵した表情で静かに目を閉じる。
この薬はとても入手の難しい代物であり、商売上得ることとなったツテがなければ、とても良心的な金額で回してもらうことなどできない。
この薬の恐ろしい点はその依存性の高さだが、一度でも使用させれば、もはや私に従うほかなくなるため、そこは私にとっては都合がいい。
「死にたい」
薬のおかげで幾分楽になっただろうに、彼女は少し調子がよくなるとすぐに自死を口にする。
エリス・ルマンド――。
そう名付けたのは私であるが、元々あったある噂にあやかったというだけである。彼女たちの本当の名前など、私が知る由もない。道端に転がっていたところを拾ってやった。ただそれだけだった。もちろん、これを意図して拾ったわけでもない。拾って仕立てた数ある商品の一つという認識しかなかった。しかも採算もとれないうちに死なれたという意味では、不本意な結果に終わったことは覚えている。
ところが、死んだはずの彼女と瓜二つの存在が、再び目の前に現れた。
二人目の彼女は、それから数ヶ月後に最初の彼女と全く同じ場所にいた。裏路地のさらに奥、ごみ捨て場の向かいにあるマンホールの側。見た目に傷はないのに、苦しそうに呻いていた。それも前と同じ。少し違う点があるとすれば、見た目は最初の彼女よりも少し幼く見えた。
私はすぐさま彼女に声をかけ、自分の館へと持ち帰った。そして、彼女が前の彼女の記憶を継承しているのを確信した。
私は彼女にできる限りのことをしたが、彼女は徐々に衰弱し、数か月後にはまた息を引き取った。
だが、私にはある予感があった。あのマンホール。あそこに行けば、また彼女に会えるような気がしたのだ。
だが、何日待っても彼女は現れない。そうこう待つうちに、私は彼女の倒れていたマンホールの向こうに秘密がある気がしていた。
マンホールの蓋を開いた瞬間、すさまじい臭気が鼻をつき、私は中に入るのをやめた。
しかしながら、諦めきれなかった私は、何とか別の方法で中の様子を探ることにした。そうして知りえたことは、私にとっては衝撃としか言いようがなかった。
彼女はこの世界に唯一の一人だが、彼女が死ぬと新たな彼女が生まれてくる。その彼女が死ねば、また次の彼女が……。それを永遠と繰り返しているというのだ。しかも、彼女は生まれてすぐに鼠の群れに襲われる。彼女を襲う鼠の群れも彼女が生まれたタイミングでどこからともなく現れ、彼女を襲う。そして、彼女は死に至る。地下奥底の下水道で、誰にも知られることなく繰り返される生と死。神の御姿を象ったとされる人の姿でありながら、このような宿命を背負わされる等、どれほどの罪をその身に宿して彼女たちは存在するというのか。
しかし、神も無慈悲ではない。そのような存在であっても一筋の希望は与えてくれるのだろう。彼女たちのほとんどは、鼠の群れに食い殺されるが、たまに運よく逃れ、地上へ這い出てくる個体がいる。私が出会った彼女たちは、そのような神の御目こぼしを得た個体であったのだろう。
そんな彼女たちに、憐れみと興味を抱いた私は、以後、彼女たちを保護し、彼女たちが死ぬまで面倒を見ることにした。
あの日から五年が経った今、目の前にいる彼女は数えてちょうど三十人目になる。なぜ、五年しか経っていないのに三十人目になるのかと言えば、どれほど運が良くても、彼女たちは必ず鼠の群れに臓器をいくつかやられており、それが元でたとえ鼠から逃れたとしても、彼女たちの命は非常に短かった。
せっかく拾った命なのだがら大切にすれば良い。しかしながら、残念なことに彼女たちは、例外なく希死念慮を持っており、私に願う最大の幸福は安らかな死だった。
彼女たちが一様に死を望む原因を聞いてみたところ、どうやら前の個体から引き継いできた記憶が、現個体の記憶と混濁することに原因があるようだった。
彼女たちは常に偏頭痛に苛まれている。おそらく実感を伴わない膨大な記憶が脳に強い負荷を与えており、それがストレスとなって偏頭痛という形で肉体的に現れているのではないかと思われる。それだけなら痛み止めで何とかなるであろうが、最悪なのは、積み上げられた死の記憶と痛みとの事らしい。繰り返されてきた死と痛みの記憶が、些細なきっかけでフラッシュバックしてしまう。それは夢の中でも悪夢という形で現れることから、まともな睡眠は一度も取れていないようで、極度の睡眠不足が彼女たちに希死念慮を抱かせているのだろう。付け加えるなら、短命の要因としてその点も挙げられるだろう。
「もう終わらせたい……」
そう言って彼女は、私の胸元に携えてあるピストルを指さす。
「殺して」
彼女はまるで祈るように私をみる。
その様がまるで神にひたすら祈る信徒の様に見えて、私はおかしくて思わず笑ってしまった。
「ふふ、何を言ってるんだい」
「痛くて、怖くて、自分じゃ死ねない……」
この台詞を聞くのも何回目だろうか。
「昨日もそんなお願いしたね。前の前の前の……君も。この台詞だってもう何回聞いたか! 何度聞いても答えは知ってるんだろ?」
「……そう」
目の前の少女はうな垂れている。
私が知る限り、彼女は既に14回自殺を試みている。私が彼女を見つける以前も含めれば、その数はもう数えきれないほどと言っていいだろう。
しかし、それらは一度も成功したことがない。彼女は死の痛みを恐れている。だから、自分で最後の引き金が引けない。
今まで引き継いできた膨大な自死の記憶は、彼女に死への恐怖を確実に刻んでいったと言える。最初の頃こそ、うまく死ねただろう。だが、自死を繰り返すうちに、それらに伴う苦痛に対する後悔の念が、彼女に自死を躊躇わせてしまう。
「なぁに、君が生を恐れることはない。今の君が死んでも、また次の君が苦しみを背負うだけさ。どうせ同じことの繰り返しなら、君がここで死ぬ意味はなんだ?」
彼女は押し黙る。
「はぁ、ほぼ不死に近い存在として生まれていながら、何とももったいない」
私はつい深くため息をついた。
私の目指す理想の不死者とは彼女はほど遠い。いや限りなく不死に近い存在ではあるのだが、そう呼びたくない自分がいるのだ。それはあくまで彼女という現象が「不死性」を帯びているというだけで、彼女という個体単位でみれば、彼女という個体は間違いなく死んでおり、不死者などと同列になどとてもできるものでは無い。
この現象を端的に言うなら、単に記憶を継承した別の個体が、特定の場所・状況下で自然発生しているというだけに過ぎない。
これで記憶を完全に継承しているのなら、不死者と呼んでもいいだろうが、彼女たちが継承する記憶は歯抜けもいいところなのだ。死と痛みの記憶が強すぎて、他の引き継いだ記憶はどれも断片的で実感を一切伴わない。それでいて、一番忘れるべき「苦痛」についての記憶は、まるで自分自身が体験したかのように、鮮明に覚えているということなのだから、先ほどの不死者という表現を彼女たちに使うことを私は好まない。
しかも、呆れたことにだ。彼女達は毎回、毎回、発見時には既に鼠どもに臓腑を貪られた状態で見つかる。必ずだ。これが滑稽と言わずして何というのか。
つまり、私が言いたいのは、彼女たちは私が理想とする不死者とは程遠い存在だということだ。言うなれば彼女たちは、ただの亡霊でしかない。生まれる前に既に死んでいるのだから死なない。言い換えるならば「既死者」とでも表現するべき、死を恐れ生に疲れた死にたがりだ。
鼠どもに臓腑を食い破られるその痛みと音で産声を上げ、鼠どもから命からがら助かったとしても、以前の個体が経験した死の記憶に押しつぶされて希死念慮に苛まれる。これを未来永劫繰り返す生き地獄の何とも哀れなことか。
彼女たちは繰り返される死から逃れることはできず、ただただ消費されるためだけに存在する豚と変わらない。その点で言えば、我が館に在籍する商品たちは、彼女と比べればまだ人間らしい扱いを受けているかもしれない。
以上のように、彼女たちは私が求める「不死の存在」とは、あまりにかけ離れてはいる。だが、まぁ、暇つぶしとしては非常に興味深いものがあるのは認めざるを得ない。
唯一、私が彼女たちに憧れる点があるとするなら、見た目こそ、すり傷一つなく綺麗に取り繕う修復力についてだけだ。彼女たちは短命であるが、その素肌は非常にきめ細かく美しい。とても鼠に群がられ臓腑を食われていたとは思えない。その点だけとってみれば、まさに人外の存在。素晴らしい。だが、残念なことに、彼女たちは非常に短命だ。見た目こそ傷一つなく綺麗に修復しているが、一度傷つけられた臓器を再生する力はないようで、その傷ひとつない肌を割いて解剖してみれば、臓器はぼろぼろで人間なら生きているのが不思議なほどであった。その生命力についても、まさしく人外の存在だから当然といえばそうだ。当然、臓器がぼろぼろなのだから苦しくはあるようだが、不思議とそこは大きな痛みもないようで、こうして記憶には苛まれつつも目の前にいる。とはいえ、今まで見てきた個体と比較するに、目の前の彼女の命も、もって後二、三箇月であろう。彼女が死ねば、また次の彼女を探すだけ。
何せ替えはいくらでも利くのだ。お客さまの中には、そういう過激な嗜好の方もおられるので、商売という意味でも彼女の存在は非常に良い。
さて、ここまで見てくれたあなたは私は何者かと疑問に思ったことだろう。だが、私はここでは名乗らないでおこう。何せ私はあくまで傍観者の立場にすぎないからね。
【月下】
ジーク・エリザベート。
君はこの娼館の主人。僕はここの売りもの。
君の目に留まり、僕はエリス・ルマンドの調査と回収、そして世話を任された。
マフィアの抗争で両親が死んだ時、この娼館を引き継ぐよう言ったのは僕だったね。そう、当時の君は、まだ医者を志すまだ青臭い若者だったよ。
それが何を踏み外して僕なんかに憧れたのかな。
僕は君のすぐ側にいるのに、君は僕に興味がない。
ああ、君の中の僕は、あの頃からずっと変わらぬ姿をしてるんだね。
ああ、哀れなジーク・エリザベート。僕の主人。
君が禁忌を犯さぬよう、僕は君を見ているよ。
親愛なる僕、テレサ・ブラッドより。