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魂廻り

全体公開 メガテン 3 10019文字
2022-06-19 20:25:08

ラフム戦直後〜翌日の話
痛々しい表現があります

Posted by @fengli25

アオ主
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 他人を抱きしめた記憶はそう残っていない。
 幼い時分はどうだったか定かでないが、物心ついた頃から相当の人見知りだったと家族から聞いているし、友人も、恋人だってろくに作った覚えがない。代わりに分厚いハードカバーの本を何冊も抱きかかえて居心地の良い場所を探し回るような、そんな経験ばかりが子供時代を占めていた。
 そういったわけで。ナホビノという超常の力を手にし、はからずしも高校の同級生と非日常の世界、ダアトを駆け回ることになった少年は、崖をひとっとびしたり、瓦礫が散乱する悪路を抜けたりしたときに抱きかかえた経験から、もしかしたら初めて他人の体温を覚えたのかもしれなかった。
 秩序による世界維持を掲げるベテルの信念に僅かでも傾いていたのは、後にも先にもこの時期だけだっただろう。
 
 助けられると信じていた。全員には手が届かなくても、最低でも腕の中にいる同級生の望みは叶えてやりたいと思っていた。友だちを助けたいってずっと言ってたんだ。
 俺だって、力になりたかった。
 
 奮闘むなしく悪魔に乗っ取られた「友だち」に刺し貫かれた少年と同級生は命を落とし、何故か少年だけが生き返った。それからの出来事ははっきりと覚えている。おそらく、少年にとって一生の傷になるだろう。
 呆然と立ち尽くす、その身体を抱きしめる。鳩尾に右手の指先を当て、異形の剣を突き立てる。傷口から血の代わりに無数の赤い光がこぼれ落ちる。かすかに聞こえた「ありがとう」が、耳にこびりついて離れない。
 
 共にダアトを駆け回った同級生は、狂気と正気の狭間にゆれた友だちは、どこにでもいるような女の子だった。
 
 +++
 
 少年は己の掌を見つめながら「わからない」と呟いた。答えが出ない、とも。
 既にその場を後にしていた学友らは「強くなりたい」と訴えていた。己の弱さに打ち勝ちたい、大切な友人や家族を守れるようになりたい、もう二度と、あのような「悲劇」を繰り返さないためにも。ひたすらにひたむきな彼らの言葉を反芻しても、少年の喉から確たる答えが転がり出てくることはなく、ただ掌を軽く握り、そして広げる。
 
 いよいよ昼の月が薄れていき、冷たさを乗せた風があたりを吹き抜ける。雲の隙間から太陽が覗く午後。寮の屋上は寒々としている。今までじっと手すりを握りしめていた少年の掌には薄赤色の痕が残っていた。
 傍らに佇む神造魔人アオガミは、その掌から様々な情報を読み取る。体表面温度25.5、平常時より2.5℃程低く、外気温と冷却された鉄柵を握っていた影響によるものと推測、折り畳まれた指先を揃え、開き、また握る。データとの照合、一致を確認。
 
「少年、先ほどから戦闘時の動作を繰り返しているように見受けられる」
 
 動きがぴたりと止まった。揃えられた指先のまま、そこに青白く輝く刃があるかのように胸元で掲げられ、少年はそっと息を吐く。
 まだあの感触が残っている。人を刺し貫いて殺したときの、泡のような感触が。
 
「今、人間を斬ったときと、悪魔を斬ったときの感覚がどう違うのか、思い返していた」
……
「少しでも違っていたら、もうすこし前向きになれたかもしれないな。太宰たちみたいに」
「すまない、少年。神造魔人である私は、人間の君を治療するに不適合だ。その感覚を取り除くことは出来ない」
 
 別に何とかしてほしいとは言ってないよ、そう返す少年は、見渡す限りのビル群と高速道路を眺めていた。胸元の手は降ろされ、もう片方の二の腕を抱える仕草は普段からよく見かけるものだ。合一している際には取らない姿勢に素性があらわれている。
 ただ、今より強くなったとして。彼に倣い、アオガミの視線も同じ景色へと向けられる。
 
「俺が助けたかった女の子はもういないのに、何の意味があるんだろうって、考える」
 
 くしゅん。突然の小さな破裂音に振り向いたアオガミをよそに、軽く頭を振った少年は「もう帰るよ」とあっけらかんに告げた。今の今まで彼を取り巻いていた閉塞感は形を潜め、つとめて平静に、普段のように振る舞おうとする自身への協力を求めてくる。そんな声色だった。
 
 彼は己を隠すことに長けている。アオガミと合一している時が顕著だが、こうして一個の人間として活動している間も、自らの意思というものを他人に見せたがろうとしない。
 まるであらかじめ記された台詞を誦じるかのように、言葉を交わし、肯定し、否定して、けれどそこに意思はない。相手の望みに合わせる時もあれば、特に理由はなく反抗する場面も見せる。だがそこに意図はない。たった三日程度の交流しか得ていないアオガミから見て、彼はそういった少年だった。
 だからこそ、アオガミは決して言及しなかったが「答えが出ない」とこぼした彼に驚いてさえいた。その場限りの結論を良しとせず、どの選択肢にも寄り添わない。今までの彼には見られなかった傾向だ。彼自身、己の変化に気づいているのか否か、定かではないが、先の会話から推測するに学友の死による影響がよほど大きかったと見られる。とはいえ、どちらにせよアオガミが指摘すべき事柄ではなかった。

 アオガミはベテルの神造魔人、ナホビノとなった少年を内外からサポートすることが最優先の任務だ。たとえどのような選択肢を指し示したとしても、もしくは選ばなかったとしても、最後まで支えることは約束できる。
 ただ、その手を取って、彼の望む答えまで導けるような存在にはなれないというだけの。ただそれだけの話で。

 おそらく、目の前の少年が最も欲しているのは、そういった存在だった。
 
 +++
 
 屋内に繋がる外付き階段へと向かう少年のあとにアオガミが続き、更に階段をいくつか降りる。すっかり人気のなくなってしまった廊下を渡る。普段の放課後であれば角を曲がるたびに誰かと鉢合わせる程の人口密度だというのに、人影ひとつ、どこにも見当たらない。二人分の足音が屋内に響く。
 誰かが消し忘れたのか、談話室のテレビから聞こえてくる明日の天気予報を背後に、生徒たちの居住区画に足を踏み入れたところで少年は振り返った。
 
……まさか、部屋まで着いてくるつもり?」
「その通りだが、何か問題があるのだろうか」
 
 嫌な予感がしていたんだよなぁ、と内心頭を抱えた少年はアオガミの顔から爪先までを検分する。目立ちすぎる。誰の目にも入らなかったとしても、自分の視界に置いておくにはあまりにも……日常に馴染まなさすぎる。
 未だに状況の理解がいまいち追いついていない様子のアオガミは「現在確認したところ君と同室の生徒は学校閉鎖に伴い帰省している、また近くにある生体反応の殆どは私的スペースより発生していることから、神造魔人を視認できる生徒と遭遇する可能性は限りなく低いと判断」と分析してみせたものの、問題はそこじゃない。

 一昨日ダアトから帰ってきたばかりのときは研究所から出てこなかっただろ、とか。学生二人いるだけで狭苦しい部屋に見上げんばかりの大男を入れろだなんて正気か、とか。言ってやりたいことが諸々喉から出かかっていたが、問題の神造魔人がどうして? 何故? と訴えかけてくる視線があまりにも、そう。
 
「面倒だ」
「少年、そう言わずに説明を頼む」
……じゃあ聞くけど、ここまで着いてきて、更に俺の部屋にまで押しかけようとする理由は?」
「浄増寺の結界が破壊された現状において単独行動は推奨できない。気が向かないようだが、受け入れてほしい」
「そう言うと思った」
 
 任務を最優先する、物理的にカタブツの神造魔人相手だ。久方ぶりの一人部屋に、不謹慎だと百も承知とは言えど、ひそかに心躍っていた高校三年生の落胆を察するには無理があるだろう。もともと幼い頃から「何を考えているのか分からない」と言われ続け、とっくに慣れてしまったこともある。少年は充分承知していた。
 いつダアトから入りこんできた悪魔に襲われるか分からない状況で、替えの効かない片割れを護衛するアオガミの判断は間違っていない、それは分かっている。砂漠の一山も越えられないような貧弱な身体でどうこうできる問題でない以上、戦力を担っているアオガミの同行を無碍にできる立場になど最初から立っているわけがない。分かっている。
 それでも、三年もの期間を過ごしてきた居住スペースにアオガミが踏み入ったその瞬間。少年の胸のうちを染めた感覚は、間違いなく不快そのものだった。
 
 もう何週間も帰っていなかったような気さえしてくる。革靴からスリッパに履き替えた少年は、久しぶりの自室をざっと見渡した。
 アオガミの言ったとおり同室の彼はもちろん、彼の私物もほとんど残っていなかったが、少年がベッドに投げ出していた上下セットの寝間着や、何冊も積み重ねた枕元の文庫本、部屋の隅に寄せておいた砂だらけの学生服は今朝出て行ったときのままだ。テーブルに置いてあった飲みかけのペットボトルも片付けられていない。今の室温ならギリギリ飲めたかもしれないが、そんな気分にはなれなかった。

 まっすぐ吸い寄せられるようにベッドへ向かい、そのまま顔ごと飛びこむ。埃が立つからやめろ、なんて文句は飛んでこない。誰もいない。ブラインド越しの窓から首都高を走る車の音だけ聞こえてくる。一人きりの部屋。
 それからしばらく、じっとしてみたものの、不意に横向きへ寝転がった少年は「新たな同居人」へと視線を移した。驚いたことにアオガミは未だ入口のすぐそばにいるようで、視界のほんの端っこに映りこんだ見慣れた白がなければ、何処に消えてしまったのだろうかと探しに出ていただろう。
 こっちに来ないのか、と聞いてみる。腕を組み、何か考えていた様子のアオガミは少年の問いかけを受けて「失念していた」と答えた。
 
「足裏を拭うための、布を携帯すべきだった。すまないが廃棄予定のタオルはあるだろうか」
 
 しばらく間を置いてから、目の前の神造魔人にも土足の概念があった事実に、ようやく気がつく。同時に靴を脱げばいいだけの話では済まないことも、あらかた予想がついた。相手は後頭部からつま先まで人肌には程遠い機械的なスーツを纏った存在だ。靴どころか、足首から下ごと取り外せても不思議ではない。
 少年としては自分のベッド周りが無事なら他が泥まみれになろうが一向に構わないのだが、同室の彼が……もしも帰ってきたときに……どんな反応を見せるのか想像したら、そうも言っていられなくなった。ベッド下の収納スペースならタオルがしまってある。一枚手渡せば足りるだろう。
 抗い難いシーツの誘惑から身を引き剥がそうとして視界が揺らぐ。あぁこれは無理だ、と再び突っ伏した。怪訝そうなアオガミの声が飛ぶ。
 
「少年?」
「悪い、ちょっと動けそうにない」
「身体に不調があるのか」
「すごくねむい」
 
 もっと言ってしまえば死ぬほど眠い。ここまで表現するとアオガミが深刻に受け止めかねないため、とっさに言い換えた。結果として部屋に踏み入ろうとしていた動きが止まったので、少年の判断は間違っていなかったのだろう。
 心身共に着々と疲労を積み重ねきった今、ベッドに横たわった時点で耐え難い睡魔に襲われたこの結果は必然だったのだ。気怠そうな動作で尻ポケットからスマートフォンを取り出す。
 
「三十分経ったら起きる」
 
 そう告げて、手元から投げ出した機器をベッド近くの棚に置く余裕すらなかったらしく。寝息が聞こえるようになるまで大した時間はかからなかった。
 
 +++
 
 それから二時間。とっくに日が沈んだあとの室内は暗がりに飲まれ、ブラインドの隙間から差しこむ月明かりと、アオガミ自身の機体に走る亀裂から漏れ出る赤い光以外に光源はない。

 アオガミは変わらず扉の前に立ち続け、片や少年はベッドに横たわったまま、寝息も静かに眠り続けている。先の宣言通り就寝から三十分きっかりに鳴り響いたアラームに反応したまではよかったものの、何事もなかったかのようにスマートフォンに指を乗せて、音を止めて、そのまま寝入ってしまったのだ。
 少年、と呼びかけても返ってきたのは唸り声のみ。室内に立ち入る許可を得ていない以上、アオガミに出来ることは何もなく、ただ部屋の主が起きるまで待ち続け、かれこれ二時間。
 幸い、立ち位置も視界も機能的にさほど問題はなかったので、神造魔人としての判断基準は少年の疲労回復を優先させていた。睡眠の他に食事の必要性も認識していたが、周囲の生体反応が目立って動く素振りを見せていないことから、食堂が開放される時刻にはまだ余裕があると判断する。機を見て再度声をかければ問題ないだろう。
 そう考えていた矢先の出来事だった。
 
 ごく僅かな、ともすれば感知範囲から外れていてもおかしくない程の些細な変化だった。鼻先を掠めるようにして察知した気配を前にアオガミは目を見開く。間髪入れずに室内へと足を踏み入れ、敷かれたカーペットも構わずに駆け寄った先に予測していた光景があった。
 変化は少年の右手指先にあらわれていた。赤く輝くマガツヒの光が肉体を解くようにして放出されている。その光が徐々に輝きを強めている様を認めたアオガミは、すぐさま横たわる身体を抱き起こした。紙のように軽い。いくら華奢な肉体とはいえ、この軽さは異常だった。
 
 存在そのものが消えかけている。
 
 突然の異常事態を前にしてアオガミの視線は少年の胸元へと移る。片手でボタンを外し、学生服とシャツを開いた下には薄い肉体が鎮座していた。マガツヒの光こそ認められないが、指先より明らかに色が薄くなっている。向こう側が透けて見えるほどに。
 想起させるのは数時間前に「殺された」あの一件だ。アオガミの至らなさにより敵の触腕を捌ききれず、刺し貫かれた箇所がちょうど鳩尾付近だったと記憶している。聖女の命と引き換えに塞がったはずの傷が、今になってマガツヒを放出する傷痕になるとは。
 このままではあのときのように、ただ死を迎えいれるその瞬間を待つようになる。アオガミに何も異常が起きていないことが不可解といえたが、同時に腑に落ちる差異でもあった。
 彼は人間だ。いくらナホビノの片割れといえど、腕に抱く少年はか弱く脆い、アオガミが守るべき人間に他ならない。このような事態を招いてしまった根源は、ただひたすらに、その認識が足りていなかったことだ。己に憤りを覚えるほどの抜け落ちだった。
 
 異常事態は重なるものだ。
 ひとまずナホビノに戻れば、知恵を司る少年の傷痕をいったん引き受け、ベテル日本支部に救援要請を送ってから治療するまでの時間を稼げると判断した。しかし通信回路を開き、少年の手を取ってから即座に察知する。お互いの繋がりが途切れてしまっている。あまりにも異様な状況に、流石のアオガミも動揺した。
 確かにこの少年が魂であると身体が訴えているのに、いくら手を握っても意識と肉体が混ざり合わず、二つから一つになれない。あの悪魔の触腕にはナホビノの繋がりを断ち切る力があったというのか?

 いよいよマガツヒの光が色濃くなり、指先に留まらず肩から胸、喉元まで広がっていく。もう時間がない。鳩尾の傷痕が淡く輝いたとき、咄嗟に手を差し伸べたのは零れ落ちる何かを受け止めようとしていたのか。鳩尾から腹にかけて、縦に伸びる切れ込みに触れた瞬間、無骨な指先がずぶりと沈んだ。
 
「ぐっ……ぁ?」
 
 何も反応を示さなかった少年がはじめて呻き声を漏らす。間もなく開いた瞳から意識の光をちらつかせたものの、その色は赤く染まっていた。
 対するアオガミは指先から伝わる感触に身をこわばらせていた。確かに、繋がりが途切れているのであれば、対処法として他に考えつく手段はない。実行した履歴は残っていないが、言うなればこの身に眠る本能が手順を指し示している。ただし相手が人間で、己は神造魔人。この二対から「何が生まれるというのか」
 
……アオガミ? なにやって」
………
 
 人間の名前を呼ぶ。普段呼びかけている「少年」といった単語ではなく、縄印学園高等科の在籍学生データから参照した、彼が生まれたときに名付けられた名前をアオガミは口に出した。
 変化は劇的だった。
 呼びかけられた少年の肉体から希薄さが消え、放出されていたマガツヒの色が薄くなり、同時に、腕にかかる重さも増した。常の状態には程遠いといえど死の一歩手前からは回避できたようだ。そして悲鳴が一つ。
 
「いッ!?」
「すまない。もう暫く痛むだろうが耐えてくれ。他に方法がない」
 
 少年の身体をいったん腕から下ろし、衣服を検分したが目当ての布は見つからず、近くにあった枕のカバーを取り外すことで代用した。細長く絞ったカバーを口に噛ませてから、もう一度抱え直す。それから、アオガミは沈んだ指先を左に回した。今度はくぐもった悲鳴が上がる。
 
「んッ、ング、ゥ!? ァ、ま、まって、やめ」
「口を閉じてくれ。舌まで噛んでしまう」
「ふっ、ざけんなテメェ!」
………
「あ、グ……!」
 
 堪えきれない痛みの訴えを退け、指先が半周する頃にはいよいよ少年の肢体が痙攣し、抱えている腕から逃れようとする。しかしアオガミの体躯に抑えられてからは満足に身動きが取れなくなった。
 空を掻きむしる手が装甲へとかかる。何度引っ掻いたところで下にあるかもわからない皮膚までは届かないのだが、代わりにとばかりに少年の指先から血が滲み、赤い線がいく筋も伸びていった。

 ようやく一回り巡ってからは更に酷かった。
 やっと引き抜かれ、痛みが遠ざかったかと思えば指どころか掌ごと深く沈められた激痛は相当のものだったようだ。鼻水混じりの悲鳴が途切れることはなく、かろうじて動く踵を何度もベッドに叩きつけ、掻きむしる動作は沈められた掌を腕ごと引き抜こうと足掻くものに変わっていた。
 少年が暴れるたびにアオガミの抱えこむ力は強くなり、骨が軋むような音まで加わって。時折「しぬ!」に近い音らしき呻き声が上がったが、まさに体内を掻き回されている少年にしてみれば冗談で済む状況ではなかった。
 
 肘まで沈ませたアオガミの腕が前触れもなく引き抜かれる。
 同時に、鳩尾から黒い何かが飛び出した。水音を立てて床に落ちた何かは、頭上に輝く青い光球にその身を晒し、声を発する暇もなく振り下ろされた雷に一片も残さず焼き尽くされ、束の間の一生を終えた。
 
 か細く荒い呼吸だけが暗がりの部屋に聞こえてくる。うっすらと少年を染める赤の出どころが、己の身体に走る亀裂からの光と認識しただけでもアオガミにとっては救いだった。涙をこぼすその瞳も、魔の赤から人の灰に戻っている。
 念のためナホビノに戻るべく、少年に声をかけたところ力任せに突き飛ばされた。もちろんアオガミは微動だにせず、逆に突き飛ばした側の、見るからに手首を痛めた様子の表情が歪む。
 
「くっ……なんだよ今の! 死ぬかと! 思っ、ゲッホ、おぇ……
 
 急に捲し立てたのがいけなかったのだろう。何度も咳こむ少年の背中をさすりつつ、口元から落ちた枕カバーで胃液を受け止める。何も食べていなかったことが幸いしてか吐瀉物は認められなかったが、胃痙攣が起きる可能性もある。
 やはり一旦ナホビノに戻った方がいい。そう判断したアオガミは謝罪も兼ねて切り出した。
 
「本当にすまなかった。少年、ナホビノに戻る気は」
「ッ、くたばれ!!」
「そうか……なら、落ち着いてからで構わない。君は死に瀕していた。私が介入する前から危機的状況にあったのだ」
 
 どういった経緯でここまでの騒動に発展したのか説明を受けるうちに、毛の逆立ったネコを思わせる警戒ぶりを見せていた少年は、肩の力を抜き、脱力した様子でアオガミにもたれかかるまでに落ち着いていった。ただでさえ少ない体力が底をつきかけていたとも取れる。

 皺だらけの学生服とシャツを脱がし、ベッドの隅に寄せられていた衣服を引き寄せながらタオルのありかを確認する。そういえば無遠慮に踏みいった行為の謝罪も済んでいなかった。装甲を引っ掻いたときにできた指先の傷も、見るからに痛々しい。
 アオガミからの声に「別にいいよ……それぐらい」とだけ答えた少年は見るからに上の空だった。汗でぐっしょり濡れた肌着も替えて、取り出したタオルで身体中の水滴をあらかた拭き取り、下着に手をかけたところで腕を叩かれた。そこまでしなくていい、と小さく注意される。
 
「とりあえず、ナホビノは明日に回して……今日はもう、疲れた。夕飯もシャワーも明日でいい」
「了解した。ただ、ラフムが君に残した傷は想定していた以上に深刻であると推測。今後は就寝時を含め、東京でも君をサポートしよう」
「ラフム……?」
「どうした、少年」
 
 かの悪魔が刺し貫いたという傷痕付近をなぞった少年は、目を伏せてから「あの子だった」と呟いた。
 
「殺したときに聞いた声だった。ラフムなんかじゃない、俺の中にいたのは……
 
 そこから先はハッキリとした言葉まで追いつかなかったようだ。意識の限界だったのだろう。落ちるように眠った少年は、アオガミの腕の中で深い夢を見る。汗で張りついた前髪を撫でつけると、目尻に溜まっていた雫がひとつ、耐えきれず流れていった。
 
 +++
 
 翌日、縄印大学医科学研究所にて。
 一晩経ってもアオガミから痛い目にあわされた記憶はそう簡単に忘れられず、普段より気持ち距離を取って研究所まで出向くことになった。何故か周りからの視線が妙に集まってきて、すこぶる居心地が悪い。
 悪いことは重なるものだ。記憶はもちろん身体も昨夜の出来事をしっかり覚えていたようで、全身かけての筋肉痛に苛まれ、おまけに喉までカッスカスに掠れている。最悪のコンディションだった。普段から億劫だった会話にも気持ち距離を取って、極力誰とも話さず、少年は目的地へと直行した。

 先に着いていた学友たち……太宰、敦田の二人に軽く挨拶を済ませる。ろくに話そうとしない少年を特に不審がったのが太宰だったが、傍らの神造魔人に訊ねても「私から言えることはない」の一点張りだった。逆に敦田は何かを感じとった様子で、あまり聞いてやるなと太宰を制した。その表情には苦々しいものが込められている。太宰も「そっか……ごめんな」とだけ残し、少年の肩を叩いて先に行ってしまった……必要以上に心配をかけているような気がしたが、彼は特に何も指摘しなかった。面倒だったので。
 だが、少年の判断は間違っていた。二人の疑問はまもなく解消される。集合場所で待ち構えていた彼らの上司、越水長官の一声によって。
 
………アオガミ、彼と目合ったのか」
 
 少年を見るや否や、ただでさえ線ができかけている眉間の皺をさらに深く刻んだ越水の問いかけに対し、反応は様々だった。
「目合い」の意味を理解してしまい固まる少年、そんな彼を思わず凝視する敦田、よく分かっていない太宰、そして当のアオガミは。
 
「否定する。神造魔人に目合いの機能は搭載されていない。だが、昨夜に少年と私の繋がりが切断される異常事態が発生したため、応急措置として擬似的行為を実行した。おそらくその影響と推測」
「ほう。当時の記録は」
「日本支部職員に映像データを提出済」
「わかった。ならこれ以上言うことはない……それに、彼に悪いことをしてしまったようだ」
 
 越水の視線の先へと振り返ったアオガミは、耳まで真っ赤に染まった少年と対面する。寒々しい照明により人間の目では判別し難い違いでも、アオガミの目なら見分けられる。
 彼の前髪がうっすらと青く色づいていること。こちらを睨んでいる瞳の中に黄金が混ざっていること。赤の気配は一切感じられずとも、二つとも人間であれば持ち得ない魔の色、アオガミの色だ。
 引き結ばれていた唇が戦慄く。
 
「な、何、勝手に、録画して、しかも人に渡しているんだ!! 聞いてなゲッホゲッホうえっ」
 
 うっわスッゲーガラガラ声、と咳こむ少年を覗きこんだ太宰と、無言で飴とハンカチを差し出した敦田と並んだ少年は改めて息を整え、アオガミの向こう脛あたりを思いっきり蹴っ飛ばした。
 たとえ痛むのは自分のつま先だったとしても、そうせずにはいられなかったのだった。


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