@dika_bal
■1/思い出
雫が全身を濡らす。体が重い。
自分自身をかき抱く。強く強く……このまま小さく折りたたまれて消えてしまえと思うほどに強く。
濃い土のニオイ。鼓膜を割かんとする雷鳴。灰色の視界。
声、声、声……──悲鳴。
かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が滑った
「後ろの正面、だあれ……ふ、ふふ、あははっ…──早く会いに来てよ」
⚖第3話 妬み嫉みのコラープス

■2/車内(無45班)
後部座席でちょこんと座っているフルフェイスヘルメットの後輩。顔は見えないが頭を落とし、若干落ち込んでいるのがわかる。
バックミラーでそれをちらりと確認した柚葉は「及川さん?」と声をかけた。
「は、はい!」
「何かあった?」
「あ、その……この事件…」
及川がもごもごと言葉を濁す。無理もない。被害者の死因が『落雷』に関係するのだ。彼女の異能力とも関わりは深い。
「……わかってはいたんですが…自分の異能力は…やっぱり危険で、人に害があるんだなって……」
柚葉が助手席の荒船を横目で見ると、荒船も柚葉を見ていた。荒船は小さく頷くと、視線を後部座席の及川へと移す。
「及川、異能力で人を殺したことはあるか?」
「な、ないですっ! そんなこと、したことない、です!!」
唐突な荒船の問いかけに驚き、及川は顔を上げる。
「それでいい。お前は自身の異能力が強力であることをきちんと理解している。己の過ちでもないことにあまり感情移入するべきではない」
「荒船さんの言う通りですよ。関連性の近しい異能力だからって、及川さんが犯人なわけでもないですし」
「お前はお前の力を、正しいと思うように使えばいい」
「俺たち無能力者 ですけど、及川さんのこと精一杯サポートしたいと思ってますから!」
2人が自分に気を遣ってくれていることをありありと感じ、及川は恐縮する。それと同時にありがたくもあった。
GRIMOIREの中で一番の新人で、経験も乏しいお荷物みたいな自分を、この人達は仲間として、チームとして扱ってくれるのだ。
散々怒鳴られ、見限られ、諦められてきた自分と向き合ってくれる。彼らには父や母と同じ温かみを感じていた。
「……ありがとうございます」
この時ばかりはヘルメットがあってよかったと思う。
及川は眉を下げながら心底穏やかに、ただの少女のように微笑んだ。
◆
車内で確認するようにと渡された資料には、事実だけがひたすら並べられていた。
連続殺人であると判明しているだけで8人。判断保留で14人。
被害者の主な死因は『落雷の直撃』をきっかけとするものであった。
人が生涯で雷に当たる確率は100万分の1と言われている。ただの偶然と片付けるには無理のある違和感のある死。
しかもそれらはここ最近の急ペースで上がった被害によって、事故から事件へと格上げされた。
1ヶ月の内に8人も雷が直撃すれば事件となり、事件となれば捜査が入り、続いて芋づる式に違和感は浮上していく。それが判断保留の14人だ。
そして一番の違和感は、その被害者全員が元々中学校のクラスメイトであった事実がある、ということだった。
8人の被害者の共通点を探っている内に、過去の死亡事故にも共通点を持つ人物たちが浮上していったのだ。
最初は14年前。不幸な事故。それから13年前、12年前……1年に1人ずつ。
1クラス分、途中転校や休学を含めた25人中22人。その22人全てが落雷の直撃をきっかけに死亡しているのだ。
そんな奇妙な25名中、残る3名の中に見知った名前が並べられていた。
『木端 香(転校)』と。
■3/回想
「木端くん、少しいいですか?」
局長に声をかけられた木端は一も二もなく「はい」と返事をする。
ここではなんだから、と局長と共にオフィスを出て建物内にある小さなバルコニー部分に出た。周囲に人がいないことを軽く確認してから局長は木端へ1枚の封筒を差し出す。
それを受け取って見れば、表の宛名には『木端 香』の名前。差出人の名前を確認するが、封筒の裏には何も書かれていない。
「これは?」
「GRIMOIRE宛に直接届いたものです。不審物だと困るので、勝手ではありますが中を検閲させてもらいました」
「それは…問題ないです。当然だとも思いますし」
「木端くんにも確認すべきだと思うのでお渡ししているのですが、中は結構ショッキングなものなので、それだけは先にお伝えしときます」
「……どういうことでしょう?」
「木端くん宛の私信と、人間の死体の写真が入ってました」
サッと血の気が引く。急いで中を確認すると局長の言葉通り、1枚の紙と写真が入っていた。
写真は成人女性が倒れているもので、その顔から首にかけての皮膚には樹状の目立つ疵痕が痛々しく浮かび上がっている。
雨の中で撮影されたもののようで、その体も地面の土も濡れていた。
木端はその写真から濃い土のニオイがするようにすら感じる。……それほどまでに嫌な写真で、思わず眉間に皺が寄る。
同封されている丁寧に折られた紙を開けば、写真の物々しさとは裏腹に ふわりと薔薇の香りがした。
真っ白な便箋の中央には『あなたの罪の檻で待ってる』と美しい手書きのペン字が並んでいるのみだった。
「この事件、どうにも木端くんが関わらざるを得ないと判断しました。くれぐれも注意してください」
「……ありがとうございます。肝に銘じます」
唇を噛みしめる。どこまでも嫌な気持ちが胸をじわじわ侵食していった。
しかし、わかってしまう。どうしてもわかってしまう。きっとそうなのだと、嫌でもわかる。
『逃げられるわけもないのだから。』

■4/小雨
2つの車両が目的地に到着する頃には雨が降り始めた。傘をさすかどうか人によっては判断しかねるくらいの小雨。
長時間のドライブを終え、合流する2班はまず最初に本部へと報告を入れる。
あちらはあちらで別件のため動いており、今頃潜入捜査に行っている無27班は大丈夫だろうかなどの雑談が、無線のやり取りをしている者の後ろで小さく繰り広げられていた。
「27班さんは実力のある先輩方ばかりなので…きっとすぐにでも事件を解決されるんではないでしょうか…!」
「でも、衝突も強そうですよね~。物理的に喧嘩とかしてないといいですけど!」
丹所の言葉に及川は「でもでも…!」と燃々焼や桐野、大鷹が如何に凄いかをポツポツと弱々しくも訴えかける。
「あのバカが問題起こさなければ、真面目な人たちが何とかするでしょ」
珍しく美杜が口を挟んだ。彼女は眉間に皺を寄せ、湿気で少し重く感じる髪をさらりとかき上げる。
しかめっ面の美杜を見て、柚葉が「18班もいるから大丈夫だよ」と微笑んだ。
「あそこにも不安な人間がいるじゃない」
「あ~、鈴丸先輩ですか? 美杜さんいっつもスキンシップ はたき落としてますしね!」
「当然でしょ。あんな不誠実の塊」
「じゃあ俺との握手はどうですか?」
にっこり笑顔のまま丹所が手を差し出す。
その手を眉を寄せながら見つめ、美杜はうぐぐ…と小さく呻きながらぷいっと視線を逸らした。
「目的不明だから嫌よ」
「あはは、残念」
丹所は行き場をなくした手をぎゅっと握って、その拳を美杜の目線の高さまで持ってくる。
何だろうかと無意識にそれを視線で追う美杜。丹所がパッと手を開くと、そこには個包装の飴が乗っていた。
呆気にとられる美杜の手にその飴を握らせ「出勤中に頂いた物なんですが、美杜さんにあげます」と丹所は変わらずにこにこ笑う。
「いらないわよ!」「まぁまぁ…」などの応酬の合間、柚葉が思い出したように口を開いた。
「鈴丸さんといえば、いっ…鳳条さんから聞いたんだけど、弟さんがいるらしいよ」
「鈴丸さんってお兄さんなんですね…。なるほど、納得です。とても面倒見のいい方ですから…!」
「うんうん、鈴丸さんって所作もスマートだしカッコいいよね」
「鳳条さんも…」「不寝喰さんも…」と続けて和気あいあいと純粋な尊敬や憧憬で会話を膨らませる柚葉と及川。
「貴方達…その辺で変な壺とか買わされてこないでよね」
丹所に押し切られた美杜は、緩すぎる雰囲気の柚葉と及川をジト目気味に見つめ、ボソリと忠告を口にする。
2人は「壺?」と小首を傾げ、丹所は「壺ならうちに結構あるから欲しいならあげるよ」と笑った。
……美杜は目を閉じて深く息を吐いた。
■5/出迎え
じめっとまとわりつくような空気の中に漂う湿った土のニオイ。ただのペトリコールだ。化学で表される。
木端は空から降る雨粒を見上げ、言い様のない喉の乾きのようなものを感じた。
いやそれは、焼け付くような、ヒリヒリと酷く引きつられているような、まるで強く強く叫んだ後みたいな、そんな奇妙な痛みにも似た感覚だった。
……香りというものは存外記憶との結び付きが強いもので、己が思っている以上にそれらは深く心を抉るものだ。
例えば、両親が殺された現場の鉄錆みたいな血のニオイ、取り返しがつかないのにいつもと同じ硝煙のニオイ、死に向かうだけの人間がいる病室の甘いニオイ……。
いついかなる時もどこかで覚えのあるニオイを感じれば、記憶はじわじわと本人の思考を奪っていく。
それが強い記憶であればあるほどそうであり、人は記憶という名の檻へと捕らえられるのだ。
木端にとっての雨のニオイも心を圧迫する記憶のトリガーである。壊死してもう何か感じることもない右足のつま先がじくじく痛むような気さえしていた。
「木端さん」
耳元で声がして、思わず後ずさる。声の主──丹所の方を見れば、屈んだままの体勢で小首を傾げて微笑む。
「大丈夫ですか?」
柔らかな彼の声音に呑んだ息が喉から下へと自然に消えていった。
いつの間にやら美杜も木端の傍にいて、肩が触れるほどの距離で寄り添ってくれている。
「……ありがとう」と口からすんなり出た。後輩に恵まれたなと、己の幸運にも感謝した。
強く目を閉じ、そして開く。灰色がかっていた景色にようやく色がついたようにも思える。
小さく深呼吸してしっかり頭を切り替える。自分のやることを見失ってはいけない。どこでだってしっかりやるだけだ。
「ここからは班別の行動としよう。うちは最新の現場を当たる、45班は…」
「その必要はないわ」
耳馴染みのない声に一同は声の方へ振り向く。
小雨の中、傘もささずに女性が1人立っていた。

比較的自然の多いこの辺には似つかわしくない派手でタイトな服に身を包み、スリットから長い脚を惜しげもなく晒している。ひと目で美しい見目だと言える整った容貌をしていた。
しかし、その人間からは得体の知れない恐ろしさも感じる。まだ新人である及川や美杜でさえも感じるほどの歪み。犯罪者を前にした時に感じる言い様のない不明瞭な邪気。
「おかえり、香ちゃん」
彼女はただまっすぐに木端を見つめている。まるで他は眼中にないと言っているかのように。
木端は目の前の女を己の記憶の中からさらう。
自分の名前を知っていること、届いた手紙の内容、被害者となった元クラスメイトたち、残された3人……。点と点が結びつき、過去の……中学生の頃の光景が過った。
「……天野 さん?」
彼女は肯定する代わりに微笑んだ。心底嬉しそうに、慈しむように、華が咲くように微笑む。
「香ちゃん、覚えてるかしら。私は正直名前も覚えていないのだけど、『最後の1人』よ」
空気がピリつく。この時点でこの場にいる全員が察する。
状況も詳細も、木端との会話の意味もほぼほぼわからないが、それがわからないほど鈍感な思考は持ち合わせていなかった。彼女が今回の被疑者なのだと強く確信する。
……最後の1人、木端と目の前の彼女以外に残ったもう1人。資料に記されていた25名中に残った1人。
木端の記憶がフラッシュバックする。優しく微笑み、自分が逃げ出すその日までただひたすらに心配してくれた優しい女の子。
「──満田 光 はどこ」
木端の問いを無視して天野は言葉を続ける。
「お手紙は届いたかしら? 本当は待っているつもりだったのだけど、私どうしてもいてもたってもいられなくて。あなたに会いたかったの、すぐにでも」
『あなたの罪の檻で待ってる』──ギリ…と木端が奥歯を噛みしめる。
冷静な思考をする暇さえなく、木端はその場を飛び出した。
「木端さん…!」
咄嗟に及川が木端の腕に手を伸ばしたが、ハッとしてすぐにその手を引っ込める。
未だ人に触れる覚悟が持てていない。自分の不甲斐なさに、申し訳ない気持ちが胸中をぐるぐるかき混ぜる。
「及川!!」
「─っ! すみま…」
「そのまま追ってくれ! 木端さんが1人にならないように…!」
怒号が飛んでくるかと身構えたが、今は以前とは違うのだ、そんなことあるはずもない。
荒船の指示に「はい!」としっかり返事して、及川は木端の後を追って走り出した。
「あはっ、香ちゃんってば、私と一緒でせっかちさんね」
「柚葉、丹所、警戒!」
荒船、柚葉、丹所はそれぞれ拳銃や警棒を構える。
相手は異能力者だろう、拳銃程度で牽制だけでもできれば御の字だ。
数の上では有利であるが、相手の異能力が正確に把握できていない以上、何があるかは全くの未知数。
「美杜!」
「わかってる…っ!」
この場で唯一の異能力者であるが、後輩を最前に出すわけにはいかない。荒船が天野と真っ先に対峙する。
現残弾数は5発。隣の美杜は警戒を強め、姿勢を低めに保つ。
「凡愚に何ができるわけ? いくら集まったところで、無能が私をどうにかできると思っているのかしら」
面白い冗談ね、と目の前の女は笑った。空気がピリピリと細かく振動しているような気すらする。
「じゃあ、蹂躙でも始めましょうか。お前たちの首を持っていったら、香ちゃんはどんな顔をしてくれるかしら。あはっ、楽しみ!」
空から稲妻が落ちる。激しい明滅。鋭い雷鳴。彼女の数歩先の地面が抉り取られる。
白い手袋に包まれた指を口元へやりながら、強い殺意を隠すことなく狩人は笑った。
■6/蹂躙
轟く雷が容赦なく降り注ぎ、足元を揺らがす。衝撃で地面は抉れ、ひび割れ、見るも無惨に隆起し、不安定な足場は状況を更に不利にしていく。まさしく、命の危機を強く感じる状況と化した。
避けるだけでも相当の神経を使うのに、一方の異能力者はまるでこちらを弄んでいるかのようだ。
むやみに発砲などしても、その何倍もある質量の雷で撃ち落とされ、近接戦に持ち込もうにも落雷で近づくことは困難。
「──ッ!」

美杜が手を振りかざす。多量の血液が散布されると、それらは氷柱となり、天野の動きを制限する。
「あはは、何かを触媒にする限られた異能力使いは大変ね」
次々立ち上る柱を躱す天野。身体能力も判断力も高く、相手にするには厄介だ。
こちらも瞬時に状況を判断し、動かなければ間違いなくただでは済まない。ぶっつけ本番であるが、訓練や想定通りに展開される戦闘などあるはずもない。
仲間の動きをよく見て、どうすれば適切なのか考え続ける。思考を、動きを止めてはいけない。
柚葉と丹所がそれぞれ走り出す。その動きに合わせて美杜が再度氷柱を繰り出していく。挟み込むように、死角に入るように走る。
氷柱の影から飛び出し、柚葉が相手へ警棒を振るった。勿論直撃するなんて思っていない。少しでも隙が生まれればそれでいい。
遠慮なく持てる限りの全力で振り切ると、それはあっさり躱されて氷柱へと激突した。
振動で手が痺れる。衝撃に合わせて警棒を握り直し、往復するように2撃目を振るうと、天野の背後から丹所が飛びかかった。
完全に挟んだ!と思ったが、後ろに目でもついているのかと疑う反応速度で、天野が背後の丹所に向かって手をかざす。
落雷が来るかと焦り、柚葉は近場の氷柱を三角跳びの要領で足場にして天野に蹴りかかった。攻撃の優先度をこちらに向けさせるため距離を詰める。
しかし丹所への落雷はなく、天野は柚葉の蹴りを片手のみでいなすと、丹所の方に向けていたもう片手が裏拳として飛んできた。
(フェイク…っ?!)
そう思った瞬間には柚葉の側頭部に拳が入る。痛みと共に視界が歪む。脳が揺れる感覚。目の奥が熱い。
「柚葉くん!!」
丹所の声が聞こえるが、声の輪郭がぼやけている。
歪む視界の中、天野の姿を探す。
彼女は丹所の警棒を蹴り上げてふっ飛ばした後、柚葉の様に近くの氷柱を蹴り、勢いをつけて2人から距離を取った。
丹所がすぐさま柚葉に駆け寄る。柚葉は殴られたこめかみ付近を押さえて、何とか踏みとどまるが、まだ視界が正常に戻らない。
「下がって─…ッ!!」
美杜は震える手を無理やり上げて、天野へ氷のツブテを発する。
その指先はすでに紫化が進んでおり、酷く冷えているだろうことは容易に察せられた。
丹所は柚葉を支え、態勢を整えるためにも天野から更に距離を取る。美杜のフォローを無駄にするわけにはいかない。
後輩2人が下がるのを目視し、荒船は構えたままの銃の照準を淡々と天野へと定める。
何のためにあの日から訓練を積んできたか。あの日から1日だって欠かしたことはなかった。躊躇はない。
(──引ける)

その気持ちとは裏腹に、二の腕がゾッと粟立つ。息が詰まる。詰まるくらいなら止める。無意識に躊躇う己を封じる。呼吸も余計な感情も全てせき止めて、腕の揺れをなくす。
荒船の銃口が天野を捉えた。引き金にかけた指を引こうとしたその時、天野と目があう。こちらの動きを予期しているかのようだ。
(速度で負けている…しかし多少の負傷と引き換えにでも ここは踏み込むしかない──っ!)
いつの間にか見える景色がスローに流れていた。落ちていく雨粒1つ1つも見えるようだ。頭は冴えている。──いける…っ!
しかし一瞬の稲光で目の前が白むと、視界の隅から影が飛び出してきた。
長くて美しいブロンド。いつも柔らかに揺れているのに、雨に濡れてコートや腕にまとわりついている。
射撃線上に飛び出してきた美杜は荒船に手を伸ばした。
──瞬間、冷えた頭に"あの時"の光景が重なる。
咄嗟に荒船は銃を下げて、美杜が伸ばした手を片手で掴むと、乱暴だがそのまま引っ張り、己の後方へと放り出した。
勢いのまま美杜が地面に投げ出され、その反動で荒船は反転してしまい天野へ背中を晒すことに。
彼女──美杜は、荒船が刺し違えてでも天野へ攻撃を行うつもりであることがわかったのだろう。
かばうつもりだったのだろうが、そうはいかない。そんなことがあってはいけない。荒船は後輩の無事を優先した。
全ては瞬きの間に過ぎ去る。美杜が地面の泥をかぶると同時に、細い落雷が荒船の背中を直撃した。
「ッ……ぐ、がァ……──」
喉を絞るような呻き声。荒船が片膝をつく。鼻から血が垂れて、地面にぱたぱたと小さな赤い雫が落ちた。
「荒船さんっ!!」「荒船先輩!」
柚葉と丹所が駆け出そうとするが、それを払うように天野が腕を振るうと、稲妻が3連続で2人の足元を掠めて、車のヘッドライトやテールランプの光跡みたいに稲光の筋が線を描く。それは規制線のようだった。
「……んー…?」
振った手をぐーぱーと握っては開き、手のひらを怪訝に見つめる天野。
「まぁ、いっか……」と形だけの納得を口からこぼして、膝をつく荒船の元へ歩み寄る。
顎を少し上げ、地面と接する荒船を上から見下し、続けて容赦なく腹へ蹴りを入れた。
「カ、ハッ…」
みぞおちを正確に蹴られ、背が丸まる。強い痛みが胸まで広がっていくが、恐らく内臓まではやられていない。まだいける。
「よかったわね、たまたま出力が弱いので。九死に一生スペシャルかしら? 自慢してもいいわよ」
つまらなそうにそう言った後「はぁ…」と天野が何でもない普通のため息を吐いたところで、ボソリと「飽きた」と呟きをもらした。
雨と戦闘で荒れた地面をダンスのステップを踏むように軽やかにトントンと跳ねて、優雅に一度くるりと回る。
「少しは楽しかったけど、私、友達と待ち合わせをしているから、もう行くわ」
「っ! 待ちなさい──!!」
美杜がよろよろと立ち上がるが、息も上がっており、手先の震えを無理やり押さえ込むようにコートの裾を握りしめている。
天野は美杜からの制止の言葉など耳に入ってもいない様子で、鼻歌交じりにまた軽やかにトントンと跳ねて、その場から消えていった。
■7/繋ぐ
静寂の中、雨の音だけが響いていた。
降り注ぐ雫が全身を濡らし、体温を奪っていく。口の中を切ったのか、唇の端から滲む血と鼻血を荒船は手の甲で拭った。
体は痛むが、骨も内臓も今のところ問題はないと思われる。問題は背中部分だが……。
何とか立ち上がると、軽い衝撃に襲われる。……美杜だ。
「…っ、貴方、どうして…どうしてあんなこと……っ!」
美杜は震える手で荒船のシャツの裾を引っ掴み、悲痛な表情で睨み上げてくる。

「投げてしまってすまない。怪我は?」
「違う! 私を庇ったことよ!」
「……美杜こそ俺を庇おうとしただろう」
自分の服を掴んでいる美杜の手にそっと手を重ねる。手袋越しにでもわかるほど、その手は冷え切っており、ガタガタと震えていた。
荒船はできるだけ丁寧に美杜の手をさすってやる。
「負担をかけてすまなかった。しかし自らを危険にさらすようなことは今後控えてくれ。今のような、対異能力者相手に異能力者が1人しかいない場合は尚更だ。それに…仲間が傷つく姿は、こたえる」
「そんなの私だって──!」
同じだ、と口にすることは憚られて、美杜はぐっと言葉を飲み込んだ。
焼き付いて消えない、こんな思い これ以上増やしたくもない。
限界がきたのか美杜の膝がガクリと抜けた。
ふっと頽れる前に後ろから丹所が美杜の腰に手を回し、それを支えてやる。
丹所と一緒に合流する柚葉は、自身の顔を滴る水を袖で拭ってから荒船を見上げた。
「美杜さん、荒船さん」
「柚葉、丹所…無事か?」
「問題ないです。まだ動けます」
そう言う柚葉の側頭部に荒船は手を伸ばす。思い切り殴られたであろう部分を撫で、様子を見ながら「よかった」と呟いた。
「すみません、美杜さんを車内に戻しますね。体、これ以上冷えるとつらいと思いますし」
「あぁ、任せる。それから本部に報告を入れてくれ」
了解です、と丹所は当たり前のように美杜を抱え上げた。
「自分で歩ける」といつもより弱々しい抵抗を見せる美杜に「まぁまぁ」と穏やかに声をかけながら、それらの文句を聞き流していく。
その姿を見ながら、荒船は先程の光景を思い出していた。いや、正確に言えば『勝手に思い出される光景』が見えていた。
射撃線上に飛び込んできた美杜。あの時と一緒だった。──同僚 を撃ってしまったあの時と。
自分の判断がコンマ1秒でも速ければ、もっと技術があれば、後悔は尽きることがない。
──荒船は過去に、自身の誤射で同僚を喪った。
消えることのない過去だ。戒めるべき鎖だ。ずっと後悔が、自責の念が彼の胸の中を占めている。
もう二度と誰も傷つけないように、これ以上後悔の波にさらわれないように、彼はひたすらに努力をした。
懲戒処分後、他の人間にどう扱われようと全て静かに飲み込み、否定も肯定もせず、ただひたすらに己を鍛えた。
己を罰するように、己を鼓舞するように、己を責めるように、己を肯定できるように、そこから一歩でも踏み出すために、彼は足掻き続けていた。
あれからまだ現場で撃つことができていない。訓練では問題ないが、現場の土壇場で銃を構えるとどうしてもよぎるのだ、あの光景が。気持ちの上では踏ん切りをつけているはずなのに、引き金を引くに至れていない。
認めたくはないが、酷く粟立つのだ。それが恐怖からくるものなのかはわからないが、いくら訓練しようが鍛え上げようが、現に今日だってそうだった。引くことはできなかった。
もう無理なのだろうか。ここから抜け出すことも、進むことも叶わぬのならば、もう自分は──……。
荒船は顔を下げて己の手を見つめていた。
その手を強く掴まれ、ハッと顔を上げると柚葉と目が合った。
瑞々しい新緑のような色をした柚葉の瞳は、灰色の雨の中でも輝く若葉のような温かみを宿している。
「荒船さん、無茶を承知で進言させてください」
「……なんだ」
「及川さんと木端さんのところへ行ってあげてください」
「………………。」

すぐに言葉が出てこなかった。
それでも柚葉は言葉を続ける。
「俺じゃ役不足です。きっと最前線に出たって役に立つことは少ない…。でも荒船さんなら2人の助けになると思うんです」
「…俺は」
自然に顔が下がりかけたが、柚葉の瞳から目を離せなかった。
その力強い瞳からは全幅の信頼すらも感じる。純粋で真っ直ぐな、目が覚めるほどの若緑。
「俺知ってます、荒船さんがいつだって周りのために頑張ってくれてること。俺みたいな最低限の訓練をしただけの人間じゃなくて、常に人を助けようと自分を鍛えている人間だって。荒船さんだから、荒船さんなら、及川さんの力になれると思うんです! 応援と救護班を待って必ず追いつきます。美杜さんのことも任せてください」
「柚葉…」
掴まれている手が熱い。まるで力を分けられているかのようだ。
「及川さんを、木端さんを、お願いします」
確かな声で彼に託された。
荒船 正太郎はしっかりと頷く。
「任された」
■8/進め
「じゃあ、俺は足 任されます~」
いつの間にやらそばに立っていた丹所は車のキーがついたキーホルダーを人差し指でくるくる回している。
「本部への報告と応援要請完了しました~。あと、今から走ってなんて無茶はさせられないし、できないと思いますので、ね」
──というのが先程までのやり取り。
45班の方の車を借りて、丹所はエンジンをかける。まぁ、同型の捜査車両だ。扱う上で困ることはない。
36班の車両に貧血で寝落ちた美杜と留守居に柚葉を残し、何かあればすぐに専用の固有無線で連絡を飛ばしてほしいとの旨は伝えた。
「丹所、2人と被疑者の居場所について心当たりはあるのか?」
「いいえ、全くありませんね!」
バックミラーの角度を少し弄って、丹所は笑う。
「…どうやって追いつくつもりだ?」
「そりゃまぁ……」
丹所が口を開いている途中で蛍光緑の強い光が遠くで激しく瞬いた。
「……教えて下さいね、とは言ってたんですが、随分派手なサインになっちゃいましたね」
丹所は独り言をこぼしながら苦笑する。
「及川か」
「そう、みたい、ですねっ!」
車を急発進させ、勢いよく右折した。雨に濡れた道路がギュルギュル音を上げ、タイヤを滑らせドリフトしていく。
「た、丹所、サイレン…!」
「適当にお願いします。あと……」
スピードを更に上げて、素早くハンドルを切る。
「喋んない方がいいですよ、舌噛みますので」

整備されていない道へ侵入し、砂利と段差で車が跳ねた。両サイドには木々が鬱蒼と茂っており、道幅は限られている。
そんな中、持てる限りの技術で丹所は進んでいった。カーブをギリギリで曲がり、とんでもないショートカットで車を飛ばす。
何故ぶつけないのか不思議なほどドッタンバッタンしている車内、荒船は心の中で柚葉の安全運転を恋しがっていた。
■9/アマノカゴメ
私、とっても優秀なの。
幼い頃から才女だと褒めそやされて生きてきた。大抵のことは何でもできた。敬われるほどの異能力も持っていた。少し微笑めば天使だとみんな喜んだ。
私は選ばれた、特別な、格別の、格段の、特段の、凡愚共とは一線を画した存在なの。
──そんな私が唯一気にかけてあげたあの子。
私と同じ異能力者のくせに、誰にでもヘラヘラ笑ってて、つまらない凡愚の相手ばかりして、己を磨こうともしない愚かな子。
いつも彼女を眺めていた。普通の人間みたいな喜怒哀楽しか浮かべないつまらない顔。
どうして私を見ないのだろう。何故? どうして?
……いいえ、私にわからないことなんてあるはずもないわ。私が彼女をもっと『知ってあげれば』いいのだ。
彼女の顔をつまらなくしてあげましょう。私だけが染めてあげられる顔にしてあげましょう。
私が大好きな雨の日をあなたも大好きにしてあげる。
私が、あなたは特別な人間だということを教えてあげる。
私が、あなたはいかに愚かな生き様をしているのか示してあげる。
だって、私とあなたは選ばれた存在で、唯一『友達』と足り得るかもしれない存在でしょう。
だから、私があなたに全部教えてあげる。あなたの愚鈍さ、過ち、正しい評価。優しい私があなたに教えてあげるわ。
それはほんの少しの労力。秒速単位の雷を電気伝導度の高そうな場所に連続してぶつけてやる。
それだけで弱々しい自然はすぐに崩れていく。崩壊。決壊。陥落。形あるものが崩れ行くさまは儚くて美しい。
ねぇ、私のメッセージ伝わった? 地を通して送るあなたへの気持ち 。
特別を特別としない、畏れられず人と共に在る、私への共感を示さない愚鈍、妬みも嫉みも引っ括めて私は『愛』としてあげる。だから受け取ってね。
素敵な雨の日、たくさんの雷鳴、響く地響き、無能な悲鳴。
それから、あなたの儚い お顔。あぁ、なんて素敵なの。
世界はすぐ一変する。
誰もが指をさし、彼女を『特別 』だと『特異 』だと見る目を変えた。
私、あなたがみんなと違う存在であることを明らかにできて、とてもとても胸のすく思い。
大好きよ。私の素敵なお友達。
ずっと、ずっと、あなたのその素敵なお顔を、私が守ってあげるわ。
いつまでも、どこに行こうとも、さいごには私のところに帰っておいで。私が迎えてあげるわ。
──お互いに敬い、愛し、分かち合いましょう。
10/山道
雨も相まって視界が悪い。フルフェイスのヘルメットの中、及川の息は上がっていた。
でも足を止めるわけにはいかず、ぬかるみに足を取られながらも必死に前を追う。
小さな背中がギリギリ視界に入ったり外れたり……目的地もわからないまま走っていた。彼女はどこを目指しているのだろう。
追っているうち、やがて不自然に開けた場所に出てきた。開発途中のような、木々もなく山もなだらかに削られている空間。
都会育ちの及川にはあまり縁のない自然の多い中、更に木端は先へと進む。何かを探しているようで、しきりに辺りを見渡していた。
あの時の会話から察するに、資料にもあった 木端さんとあの被疑者以外の生き残りである『満田 光』を探しているのではないかと及川は思った。でも何故こんなところに? それに手紙とは?
「…っ、光ちゃん…?!」
木端が焦って駆け出す。雑多に生えた草むらの影から、人の足が投げ出されているのを見つけたのだ。
早く救助してこの場を離れなければ、と駆けつけた木端が目にしたのは、文字通り"投げ出された足"だった。
ぐにゃりと視界が歪む。目の前に落ちている"これ"は何?
太ももの上部から焼き切られたように断面が大きく破損した人間の足。誰の? 女性だ。何のために? どうして? わざと置かれている。じゃあこれって、これって……?
『香ちゃん! 私、絶対香ちゃんの味方だから。誰が何を言おうと、私は香ちゃんのこと守るよ』
幼さの残る中学生の女の子がフラッシュバックした。
ヒュッ、ヒュッ…と喉が鳴る。吸っているのか吐いているのかもわからない。呼吸が苦しい。
木端が膝から頽れると、慌てて及川が駆け寄ってくる。
いつも大人の余裕を見せる、優しくて頼りになる先輩の憔悴した様子に及川は焦った。
自分なんかに何ができるのか、どんな言葉をかけることができるのか。こんな時、柚葉さんだったら、荒船さんだったら…そんな考えがぐるぐる巡る。
安心させるように肩を抱くことも、慰めるように背中を撫でることもできない。この手は何ができる。
いつだってずっと自信がない。触れたら傷つけてしまうかもしれない、そればかりが先に立つ。
自分の異能力を持て余し、役に立ちたいと思ってもこれを使いこなすこともできず、ずっと怖がって、怯えて、言い訳して、保身して……。
『木端さんが1人にならないように』って言われたのに、こんなの1人にしているのと一緒だ。
私は私が尊敬する大好きな先輩の傍に寄り添うことすらできていない。
「ごめんなさい。待ったかしら?」
頭上から声が降ってきた。小高い崖上から斜面を滑って天野が降りてくる。
何故この人がここにいるのだろうか。あちらは4人で相手していたはずだ。天野がここにいるということはあっちはどうなったのだろうか。ほぼ無傷でピンピンした様子の天野に及川はたじろぐ。
「ちょっと遊んであげるつもりがしぶとくて……嫌になっちゃうわ」
天野は及川の存在を完全に無視したまま木端へと話しかける。
「あぁ、それ。本当は香ちゃんの前でぶっ殺してやろうと思ったんだけど、ちょっと面倒くさい子でね。癇に障ることしか言わないから、うざったくてついやっちゃった。あ、他の部位も見る? 真っ黒になっちゃってギリギリ人間の形してるだけの炭みたいになっちゃってるけど。その足はね、逃げられないように先にぶった切っといたやつなんだけど…」
「…んで」
「ん?」
「…な、んで…こんな……、」
弱々しい木端の言葉に天野は笑う。心底嬉しそうに嗤う。
「あなたのせいよ」
「…え?」
「みんなが死んだのはあなたのせい。あの日、あの土砂崩れが起きたのも、今こうやって元クラスメイトが全員死んじゃったのも、全部あなたのせい。あなたが何も気付かないから、あなたが逃げちゃったから、あなたがそうやってのうのうとまだ生きてるから、だからあなたのせいで、みんな死んじゃったの」

筋の通らない暴論をまくし立ててくる。しかし彼女はそれが真実であると、当然のことであるというような様子でつらつら語る。心底己が正しいのだと思っている。
平気で、親切心みたいに人を刺してくる人間がいるだなんて。こんなにも恐ろしい悪意を目にしたのは初めてで、及川の背筋に嫌な汗がつたった。
「…いや……そんな、私……私は……」
たくさんの声が聞こえてくる。そうだ、以前もそうだった。
『お前のせいじゃないのか』『原因はきみじゃないのか』『お前がやったのか』『化け物』『お前が殺したんだ』『あんたがみんなを殺したんだ』
「私……私…っ」

耳を塞いだって聞こえてくる。叱責、非難、怒号、暴言……数多の声が過去から襲いかかってくる。
(……やっぱり、私のせいで…)
正常な判断を失う木端の心は脆く、無数の責め苦に蹂躙されていく。
どうしてみんな死んでしまったのに自分は生きているのだろう。自分は何のために生きているのだろう。自分は生きていていいのだろうか。みんな死んだのに。みんな死んだのに生きていて許されるのだろうか。自分のせいで、みんな、死んでしまった、のに……。
雫が全身を濡らす。体が重い。
あの時と同じく自分自身をかき抱く。強く強く……このまま小さく折りたたまれて消えてしまえと思うほどに強く。
濃い土のニオイ。自分を責める数多の声。灰色の視界。
「ごめんなさい…! ごめんなさいっ!! 私が、私のせいで…!!」
木端の悲鳴。瞳から涙がこぼれた。雨の雫とともに頬を流れ落ちる。
それを見て天野は声を上げて嗤う。ひどく楽しげに、愛おしげに、心豊かに歓喜の声を震わせた。
雨が降り注ぐ。平等にこの場にいるものへと雫が落ちる。
空気が重たくて、体を動かすことも億劫だ。足も地面に根付いたみたいに固まっている。
でも、それでも……
「……やめて、ください…っ!」
木端と天野の直線上に及川が立ちはだかった。
今この場で、木端の盾になれるのは自分だけなんだ。
何もできなくても、それでも、誰かの役に立ちたいことも誰かを守りたいのも、自分の本当の気持ちなんだ。
フルフェイスのヘルメット越しに天野の顔を見つめる。
彼女は初めて及川を認識したのか、ようやく目が合ったかのように思った。しかしそれは、部屋の中に虫が入り込んだのを見つけた時のような、捨て損ねたゴミを見るような、人を人とも思っていないような目で、吐き捨てるように一言放った。
「は?」
■11/及川 鈴子
生まれてからずっと危険物みたいな扱いをされていた。
強すぎる異能力を持ち、それを完全に制御しきることもできず、自身も周囲も私の異能力に振り回された。
関わる全ての人間に迷惑をかける自分を肯定することができず、自分勝手な言葉で両親を傷つけたこともある。
『こんな事なら生まれてこなければよかった』『こんな私も、異能力も、大っ嫌い…!!』と。
そんな私を母は叱ってくれた。危険な私を恐れることなく、諭してくれた。
異能力じゃなくても、言葉だけで人を傷つけてしまうのだって知った。言葉は時に、異能力なんかよりよっぽど人を傷つけるのだと教わった。
私は無能力者 の両親から、人として本当に大切なものは何なのかをたくさん教えてもらった。
私が腐らず歩み続けられたのは、触れれば傷つけるばかりの自分に、たくさんの愛情を持って接してくれた両親のおかげだ。
だから私は、家族を愛している。何をおいても大切にしたい、かけがえのない存在だ。
警察官になったのも父と母のため。"化け物の親"を"人の役に立つ警察官の親"にしたかったのだ。
でも、正義感なんて立派なものは普通の人間くらいしか持ち合わせておらず、結局異能力を持て余す未熟者で、警察官になった後も私はずっとお荷物だった。
ずっと自信がない。自分には何もできないって、どこかで線を引いていた。
役に立ちたいって気持ちも、誰かを守りたいって気持ちも本物だけど、でも私なんかって踏み出せない。
そんな私にGRIMOIREの皆さんは優しく接してくれた。期待をかけてくれた。応えられなくても、次があるって待ってくれた。
こんな駄目な私を信頼してくれた。
普通とは違う私に真っ直ぐ向き合ってくれる明るくて優しい先輩。
どんなに失敗しても呆れることなく寄り添ってくれる私の中で一番強くて誠実な先輩。
家族以外でこんなにあたたかい気持ちを感じたのは初めてで……私は初めて家族以外でこんなに信頼したいと思う人たちを得たんです。
尊敬するGRIMOIREの皆さんの役に立ちたい、期待に応えたい、認められたい!
私は仲間を守るために、立ち向かっていかなければいけない。
◆
「邪魔よ、雑魚。私と香ちゃんの間に入っていいと思ってんの?」
先程までの上機嫌はどこにいったのか、天野は冷めた表情で及川を見ていた。
破綻しているような、理解し難い感情を抱えた彼女に及川は若干の恐怖を感じるが、それでもその場を退くわけにはいかない。
『誰であろうと鈴子を悪く言うのは許せないの……それがたとえ、鈴子でも』
言葉は凶器にもなる。言葉は人を傷つける。だからこそ、心無い言葉を発してはいけない。
──これは両親が私に教えてくれたこと。
「木端さんを貶めるような発言を、やめてください…!」
「あはっ、貶めるぅ? 私、本当のことしか言わないわ」
「…あ、あなたの言っていることは間違っています! 何もかも木端さんのせいだと…そんなわけ、ないです。あなたが人を殺めているんです。それは全てあなたの罪で、あなたの責任、ですっ!」
『一緒の世界で、一緒に立とう。異能力者も無能力者 も関係ない、"君"だからできることを一緒に探そうよ』
どんな人にも別け隔てなく、手を差し伸べてくれる。私はこの言葉に泣きたくなるほどの希望を見た。
──これは優しい先輩が示してくれたこと。
私は異能力以外何の取り柄もなくて、むしろ異能力ですら欠点になっているような人間で……。
それでも"私は"、私のできうる全てを尽くして、尊敬する皆さんを、仲間を守りたいんだって、そう思えた。
天野が一歩踏み込む。縮地かと見紛う程のスピード。とんでもない身体能力。
「話にならない」
彼女が手をかざすと、強い稲光が走った。
──来る!
及川は落雷に対し、自身の雷をぶつけて払い飛ばす。バチバチと空気が揺れて弾け、稲妻は天野を掠ってその後方の地面を吹き飛ばした。
『お前はお前の力を、正しいと思うように使えばいい』
兄のように頼ってもらえると嬉しい、そう言ってくれる人が私に任せてくれたのだ。
──これは一番信頼する先輩が託してくれたこと。
「……ははっ、あはは…………おい愚鈍、ぶち殺すぞ」
憎悪と殺意の入り混じった目に射抜かれる。心臓を握られたみたいに胸が痛い。苦しい。
それでも、やらなきゃ。私が、私の力で戦うんだ。
細い雷が矢のように次々と降り注ぐ。木端にまで被害がいくことを懸念し、及川は自身の電撃で簡易的な盾を作りつつ、天野へ向かっていく。
接近戦も、その心持ちも、基礎も応用も、みんなが付き合ってくれた。どんな訓練だって、私に向き合ってくれた。
雷と雷がぶつかりあう。激しい光が辺り一帯を照らし、空気を揺らす。
いつまでもお荷物でいたくない。みんなと一緒に進んでいきたい。私もGRIMOIREの一員だって、仲間だって胸を張って誇りたい。
自分なんてって思って自信のない私を、私も変えてあげたい!
『異能力の使用で1番いけないのは自信が無くなってしまう事だからね』
いつだって見守ってくれて応援してくれる。そして、信じて背中を押してくれる。この信頼に応えたい。
──これは私が理想とする先輩が教えてくれたこと。
「──私は、できる…! やるんだっ!!」
瞬間、彼女の電撃が渦を巻き、凄まじい質量を持ってその手へと集まっていく。
どうなったっていい、私は私の全力をもって、私の大切な人たちを守るんだ!
蛍光緑の光がスパークして弾け、同時に彼女のトレードマークでもあったフルフェイスのヘルメットが音を立てて割れ散る。
信念の宿る強い瞳が、そこにはあった。
⚖第3話 妬み嫉みのコラープス 了