@EmptySeat_
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ページをめくる。紙を留めただけの小冊子は薄くペラペラとしていて、つい2枚まとめてめくれてしまう。それを丁寧に戻して、再度読み進めようとした。
「……、……」
文字が、目を滑る。上手く集中出来なくて、結局ほとんど読み終わらないままにパタンとページを閉じた。そのまま、脱力するように机に顔を伏せる。
「……はぁ」
よくない傾向だと思う。ぐるぐると余計なことを考えてしまって、何も手につかなくて、……そんなことをしている余裕はないってわかっているはずなのに。
ふと、卓上のコルクボードに目を向ける。雑誌のスクラップやプロマイドを綺麗にまとめたそこには憧れのあの人が映っていて、また目尻がじわりと熱くなるのを感じた。
『まあ、僕の事はいいんだよ。もう終わった事だしね。自業自得だ、それ以上でもそれ以下でもない』
そう言って笑った彼女の姿を思い出す。どこかさっぱりとしたその声に、微塵の後悔も不満も怒りも悲しみも見えなくて、それがなんだか酷く悲しかったのを今でも鮮明に覚えている。
世界一の、憧れの人だった。この学園を志した理由だった。眩しく光り輝く太陽のようなあの人を支えられたら、もっと輝かせられたら、そう思ってこの学園に来たはずだった。
太陽が二度と昇らない日が来るなんて、思いもせずに。
「……はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜!」
再度、机に顔を伏せる。どうしても切り替わりそうにない心が、これからどうしたらいいんだろうと揺らめく不安を煽るようだった。
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▶視点 海月光
5月11日。初公演練習開始日。本読み練習から始まったそれは、正直に言えば散々な有様だった。
「『僕も連れてってくれないか、旅人さん』!」
「相良、ただ読むな。棒読みになってる」
「うわーーーーーっ! ごめん!」
「次、海月でしょ。早く読んで」
「え、あ、あ……!? ご、ごめんなさい……!! え、えと、……『いいよ、一緒に行こう』」
読む事に手いっぱいになっている現状と、まだ出来ていない演劇プラン。いつもだったらできていることも、散漫な意識の中ではうまくできなくて。混乱は伝染し、不安は蔓延し、新一年生たちはそのほとんどがパニックに陥っていた。
演出家である三鶴先輩に突っ込まれる度に、慌てて答えたり、詰まったり、方向性のズレた返答をする私達。それを上級生の皆さんがなんとかフォローしてくださって、ボロボロながらに一通り本読み稽古を終えることが出来た。……出来た、けど。
三鶴先輩のあきれた目が私たちに突き刺さる。
「……あのね、君達、本当にやる気あるの?」
「脚本は先週から渡してあっただろう。ちゃんと読み込んだ? 役作りはした? 僕のところにも他の先輩のところにも来た様子はないようだし、そんなに自分の演技プランに自信があるのかと思っていたのだけれど、ふたを開けてみればこの程度?」
「別に最初からうまくやれなんて言わないよ。演劇初心者も居ると聞いているからね。でも、『覚えていない』『自分のセリフがわからない』……そんなもの、初心者云々以上に君たちの心の問題だろ」
「……いやまあ、原因は多少なりとも理解することはできるよ。僕と一切目を合わせようとしないものね、君達。
直前にこんな状態になって動揺させたのは確かに悪いとは思うけれども、僕だってただの役者のうちの一人に過ぎないんだよ。不慮の事故で舞台を降りることだって当然ありうることでしょ、その程度で動揺してどうするの」
ため息が一つ、静かな空間に落ちる。
「明日、もう一度本読み稽古を行う。その時までにきちんと読み込んでくるように。一人で出来ないと思うなら教師なり先輩なりを捕まえて教えを乞うといい。次は無いよ、やる気があるならちゃんとやれ、以上」
車椅子のブレーキが外れる音、そしてタイヤがまわり出し、緩やかに教室内を動き出す。それを柔らかな動きで制したのは市村将次先輩だった。
「御剣、どこへ行くつもりだい?」帰る支度を始める三鶴先輩に、声を掛ける市村先輩。
「僕がいたら集中できていないんじゃあ仕方ないだろ。後は座長である市村が指導をしてやるといい。僕は席を外すよ」
どこか慣れきったようなその声はなんだか恐ろしい程いつも通りで、前にもこんなことがあったんだろうかなんて邪推してしまう。天才・御剣三鶴が邪魔な状況、要らない状況。そんなものに慣れてしまうだなんて私には想像もつかなくて、ただ疑問だけが空中に浮かんで消えた。
三鶴先輩が出て言ってしまって、静まり返る稽古場。
「あー……、……すまないね、君達。悪い奴じゃないんだが、少し語気が強くて。決して君達を傷つけたい訳でも、嫌いな訳でもないんだよ。彼女は最高の舞台を作りたいだけなんだ」
あまり気にしすぎないようにね、そう言って市村先輩は安心させる様に笑った。
「それに僕も最初の方はそんなものだったよ。御剣にそれはそれはいろいろと指摘してもらってね……どれも痛かったけど、それが今に活きている」
「たくさん聞いてくれ。たくさん相談してくれ。些細なことでも、なんでも頼ってくれて構わない。──僕達は、同じ舞台を作り上げる仲間なんだから」
「じゃあ改めてもう一度、通しで本読みをしてみようか。今度はゆっくり、わからないところは積極的に聞きながらやってみよう」
市村先輩の号令の声に、私は改めて脚本冊子を開く。読み合わせが始まってもなお、心に刺さったままの小骨は取れそうになかった。
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▷1
──舞台は、とある満ち足りた国。
そこは何不自由ない国だった。朝もなく、昼もなく、夕暮れもなく、夜もない。
ただ同じ時間が過ぎ去る国だった。
人々は気が向いた時に仕事に行き、気が向いた時に眠りにつく。作物は枯れることはなく、だが一定以上増えることもない。故に貧困になることはなく、裕福になることもなかった。
ただただ静かに人々が息をする国だった。
そこに住むアステルという少年がその国に訪れていた旅人と出会う事で、物語は始まる。旅人は好奇心旺盛なアステルに様々な事を話して聞かせた。南の国で出会った暖かくて眩しい"太陽"の話、東の国で出会った優しく辺りを包む"月"の話。どこまでも深く沈む"夜"の話、どこまでも晴れやかに澄んだ"昼"の話。富める国、病める国。
まるでおとぎ話のようなそれらは、アステルにはひどく魅力的に見えた。変化の乏しいこの国は彼にはなんだか刺激が足りなくて、随分退屈だったのだ。
次第にアステルは旅に出たいと思うようになり、旅人と共に旅に出る事を決意する──。
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昼休み、私は学生食堂に来ていた。寮暮らしな関係上、昼休みはお弁当というよりはこういった食堂利用がどうしても多くなる。今日のメニューを遠目で眺めながら、券売機の列に並んだ。
午前中の本読み練習からずっと、──ううん、三鶴さんが怪我をしたあの日からずっと心がふわふわとしていて、いろんなものに身が入らないでいる。せっかくもらった初公演の主役という役割も、なんだか未だに実感が湧かなくて。私じゃなくて、適役の子がもっといるんじゃないかって、そう思ってしまう。
ううん、せっかく選んでもらったんだもん。そんなことを思うだなんて、みんなに対して失礼だよね。わかってはいるのだ、わかっては、いるのだけれど。
「あーーーーーーーーー!!!」
どんどんと沈みゆく思考を、一瞬で吹き飛ばしたのがその声だった。びっくりして顔を上げると、そこには同期の二人がいた。
「阿良々くん、遥ちゃん」
「やっほーみつっち!」
「海月さん、お疲れ様です……!」
二人は既に食事の乗ったトレイを持っていて、席に向かうところのようだった。「みつっちも一緒に食べよーよ! あっちで席取ってるし!」刺された指の先を見ると、そこには同じく同期の光本才治君がいた。目が合うとひらひらと手を振ってくれたので、反射でおもわず振り返す。
「ど?」首をかしげて笑う彼に、「じゃあ、えっと、ご一緒させてください……!」と返したのだった。
「にしても、今日はめちゃくちゃ怒られたな~~~……」
一足先に食べ終わった阿良々くんが、思い出したかのようにそう呻いて机に突っ伏した。
「見た~? 三鶴っち先輩の怖い顔。『棒読み』! 『脚本をちゃんと追って』! 『そこ、どういうつもりで読んだの』!!!」
「うっ、私も言われましたね……。ちょっと感情移入が難しくて、いまいち入り込めないまま本読み練習が始まってしまったので……」
「えっ、そんな! 遥ちゃんは一年生の中でも言われてなかったほうだと思うよ……! 私も集中できてなくて、何度も飛んじゃったなぁ……」
思わず三人で沈んでしまう。どれも正しく事実なのだけれど、だからこそ三鶴さんの最後の言葉は本当に痛かった。
──「別に最初からうまくやれなんて言わないよ。演劇初心者も居ると聞いているからね。でも、『覚えていない』『自分のセリフがどこかわからない』……そんなもの、初心者云々以上に君たちの心の問題だろ」
そう、これは私たちの心の問題なのだ。いつもだったら出来ていたことなのに、むしろ役作りは得意な部類であるはずなのに、ずっと心が不安定で、集中できなくて。
せっかく重要な役をもらったのに。憧れた三鶴さんが選んでくれて、期待されて、その役を授かったはずなのに。うれしいはず、なのに。
目の前で車椅子に座り、演出家に徹する彼女を、うまく受け入れることが出来なくて。
思わずうつむいて、ぐっと眉を寄せる。どうしたらいいのかわからなくて、心臓がギュッと締め付けられるような気持ちになった。
「ふむ」すると、先程まで自由気ままにゆっくりと食事をしていた才治くんが顔を上げる。食事を終えたのか箸をトレイにスッと治めると、首を傾げ会話に入ってきた。
「なんだか元気がないね、みんな。……そういう時はこの僕を見るといい! 美しすぎて疲労も飛ぶだろう!」
先ほどまでの会話を、特別ちゃんとは聞いてはいなかったらしい。それでもにこ!と輝かんばかりの笑顔を向け励まそうとしてくれている様子に、虚を突かれる私たち。やがて、遥ちゃんがふふっと噴き出した。
「そ、そうですね。……落ち込んでばかりいても、仕方ないのかも」
「え~めちゃくちゃ笑うじゃん遥。でもそうだよな~! 落ち込んでるより、すっげ~頑張って練習して、いい舞台作ってみつるっち先輩をギャフンと言わせて~かも!」
空気が一瞬で変わっていく、ほどけていく。その様子をぼんやりと眺めていると、三人がぱっとこちらを振り返った。
「なあなあ、どうせだしさ、今から残りの休み時間、屋上で一緒に練習しね!? ちょうど4人いるしさ!」
正直まだ割り切れてはいないのだ。車椅子を見るたびに、きっとまだショックを受けてしまう。──世界一の、憧れの人だった。この学園を志した理由だった。眩しく光り輝く太陽のようなあの人を支えられたら、もっと輝かせられたら、そう思ってこの学園に来たはずだった。
けれど、そう。落ち込んでいても何も始まらないのだ。彼女達のように、立ち上がって、練習して、うまくなって、そしてあなたに最高の景色を見せられたら。
太陽の光がなければ月は輝けない。けれど、決して太陽は落ち切ってはいないのだ。演出家として、脚本家として、いまだ舞台のそばにいる。あなたの輝きは、まだそこにある。
『待っていては何も起こらない、行動しなくては何も変えられないよ』
旅人のセリフが、心の中で反芻される。その言葉に背中を押されたように、私はこくりとうなずいた。
「はい、がんばります……!」