@EmptySeat_
▶視点 海月光
扉を開けた途端、透き通る様な青が眩しくて私は目を細める。屋上なんて来るのは初めてだったけれど、普段から解放されているようでその扉は簡単に開いた。
阿良々くんが1番に奥へ駆けていき、才治くんがそれについて行く。遅れて私と遥ちゃんが入って、校舎に続く扉をぱたんと閉じた。2人に合流しようと歩き始めた彼女に置いてかれないように私も後ろを追う。
「よ〜し! じゃあまず読み合わせ?だっけ? あれからやってこ〜!」
塔屋から向かって真っ直ぐフェンス付近。屋上の一角に座り込み、脚本を開く。ていうかさ〜、と話を切り出したのは阿良々くん。
「オレこの話、イマイチよくわかってないんだよなー……」
苦笑する遥ちゃん。私も釣られたように苦笑する──その裏で、本当は思い当たることがひとつだけあった。
これまで三鶴さんの作る舞台を沢山見てきたからこそわかること。
彼女の脚本は大概の場合、緻密なギミックで構成されている。どんな端役の発言にも何かしらの意味があり、それらがいくつものキーとなり、物語が紡がれていく。まるで数学の方程式のような計算づくの構成、それが御剣三鶴の脚本だ。
しかし逆に言えば、キャラクターが人間らしくない、というのも彼女の脚本の特徴なのだ。
物語に出てくる全ての感情が、ギミック以上の意味を持たない。脚本の段階ではキャラクターは生きておらず、機会の部品のように構成されている。『息を吹き込むのは全て役者の仕事だ』。そう言わんばかりの、役者の実力次第では大滑りするタイプの脚本。
しかも阿良々くんは演劇未経験者だと聞いている。何もかもが初めての状態で、この脚本は些か無茶が過ぎるのかもしれなかった。
私だってそうだ、与えられた役をどうこなして行けばいいのか──、
「ねえ、なにしてるの」
「! 福瀬先輩」
遥ちゃんが声を上げる。振り返ると、いつの間にか後ろには福瀬先輩が立っていた。
福瀬先輩は私達の手元にある脚本を覗き込むと、「練習?」と首を傾げ隣にストンと座る。びっくりして固まっていると、彼女はそれを気にした様子もなく私の脚本をペラペラとめくり眺め始めた。
じ、自由な人だなぁ……。されるがままに呆然としていると、対面にいた阿良々くんが騒ぎ出した。
「いつきっち先輩じゃん〜! 気づかなかった! 何しに来たの〜?」
なんか用でもあった?と首を傾げる彼に、ううんと目を向けないままに返事をする福瀬先輩。
「散歩してただけ。そうしたら何かやってるのが見えたから、気になって」
「読み合わせ?」再度首を傾げた福瀬先輩は私達の手元に目を落とす。
「あ、そうです……! さっき、沢山怒られてしまったので……」
「みんなで練習をしようと思って」と続ける遥ちゃんに、ふうんと生返事を返す福瀬先輩。目はずっと私の手元にある脚本に落ちていて、どうやらある一点を凝視しているようだった。
……そんなに見るようなもの、あったっけ? 心の中で首を傾げながら、その視線の先へと目を向けていく。ページはいつの間にか1ページの登場人物一覧にまで戻っており、彼女はそこに挟まっているメモを読んでいる──、と気づいた所でようやっと手が動いた。メモを手で隠し、脚本を慌てて閉じる。福瀬先輩の不服そうな目線がこちらに向いているのがわかったが、それからもスッと目を逸らした。
「光、なんで隠すの」
まだ読んでる途中だったのに、と不平不満を訴える声にそっと頭を抱える。──処分、忘れてた……!
「こ、これはあの、ボツというか、ちょっと考えてみただけの、遊びだったと言いますか……」
「ボツ……? なんでボツにするの、それ、光の役作りメモでしょ」
そう、そのメモに描かれていたのはやや過度に肉付けした「光の旅路」のキャラクター達の設定だった。
元々、三鶴さんの脚本に登場するキャラクターが淡白な事は知っていた。この学園では脚本を配布したり売ったりはしていないらしいが、彼女の所属する劇団である劇団オパールでは時折彼女が書いた脚本が売られている。
初めて見た時には驚いた。あの魅力的な役達が役者の役作りに一任して出来たものだとは思わなかったからだ。しかし破綻せず作り上げられた唯一無二の舞台は恐ろしく完成されたもので。脚本を片手にどうしたらそんなものが出来上がるのかと思ったものだった。
だから、色をつけようと思ったのだ。息を吹き込んで、人生を紡いで、命を注ぐ。物語の大きな流れを見つめて、そこで生きる人の感情の動きをゆっくりと落とし込んでいく。
落とし込んで、馴染ませようとして──上手く落とし切れなかった。
感情を持った役達が、暴走してしまったのだ。セリフとの乖離。このキャラクターだったらこう動きそう、という動きがどんどん物語のそれから外れていく。作り込み過ぎたキャラクター達は、いつの間にかギミックとして機能せず自由に自分の人生を生きてしまったのだ。
だから、だから──……。
「だから、ボツなんです……」
困った様に眉を下げる。読み合わせで中途半端な役作りのまま挑んだ原因の一つにこれがあった。三鶴さんの現状に動揺したというのももちろんそうなのだけれど、私の中で息をし始めてしまったそのキャラクター達が上手く離れてくれなくて。新しく練り直す、という事が出来なくなってしまっていた。
福瀬先輩の読めない目が私を見つめていた。どうしたらいいかわからなくて、沈黙を返すことしかできない。ゆっくりと膝に下がる視線と思考。しばしの沈黙後、また私の脚本に手を伸ばす彼女を私は止めなかった。メモが抜き取られる。
「でも、旅人は生きてるんだよ」
ふと、福瀬先輩の静かな声が聞こえて、私は顔を上げた。福瀬先輩の目はただメモに集中している。ただその声は、どこか真剣に響いた。
「紙の中で、ちゃんと生きてる」
「生きてる人が思い通りにならないのなんて、当然でしょ」
「行こう」手を伸ばされて、反射で手を伸ばす。引き上げられ、つられるがままに屋上を後にする。後ろから同級生3人の声が聞こえたけれど、引く手が止まる事はなかった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「……おや、君が直接尋ねてくるだなんて珍しいね、福瀬」
連れられた先 ── 第一会議室には、ぐったりとした様子の倉坂先生と、少し不機嫌そうな三鶴先輩がいた。まあその空気も私達が入って来た瞬間に霧散したのだが。
「後ろに居るのは──、海月?」
「ははは、はい!」
慌てて返事を返す。みっともなくひっくりかえってしまった声が恥ずかしくて、顔に熱が集まっていくのを感じていた。
──こ、心の準備が出来てない!
いつもは心の準備を十分にしてから授業に望んでいたので何とかなっていたが、唐突な邂逅で頭がパニックに陥っていた。だって、目も合わせられないぐらい大ファンなのだ……! いつもは遠くから眺めたり、客席から応援したり、そればっかりだったから、まだ、耐性が…………!!
「御剣三鶴、」
脳内で大パニックになっていると、三鶴さんを呼ぶ福瀬先輩の声と共に再度ぐいと腕が引かれ前に押し出される。
えっ。硬直する私、不思議そうな顔の三鶴さん。謎に包まれた空気の中、それでも福瀬先輩はマイペースに言葉を紡いでいく。
「台詞や展開を変える時は要相談、でしょ。だから、連れて来た」
「……ああ、なるほどね」
何やら通じ合った様子の三鶴さんと福瀬先輩の間で取り残される私。
それじゃあ、がんばれ。そう言い残し、結局福瀬先輩はどこかにいってしまった。1対1。助けを求めて当たりを見渡すが、そこには机に伏せた状態で寝入る倉坂先生しかいなかった。
半泣きになりながらも恐る恐る目の前の人物へ顔を向けると、三鶴さんは手元にあった書類を綺麗に片付けてこちらに向き直っている。
「まあ、立ち話もなんだしそこに座りなよ」
そうして、唐突な二者面談が幕を開けたのである。
「……とりあえず、福瀬がここに連れて来た理由から説明しようか。どうせろくに説明もされないまま連れてこられたんだろう」
「は、はい……」
椅子に座り、少しパニックから回復してきた私は三鶴さんの言葉にこくりと頷いた。何となく説明っぽいものはしてくれたけれど、言葉のピースがどうにも足りなくて上手く理解出来なかったのだ。
「福瀬は感覚派だからね。何かと説明が疎かになりがちだ」
「演技においてもそう。彼女はその類稀なるアウトプット力で"生きた人間を作り出す"タイプの役者だ。その役を演じるのではなく、その役に成りきるんだ」
「だからね、時折脚本との齟齬が発生するんだよ。脚本に生きる"人"の解像度が低いとね」
しかも大方の場合、彼女の作り出した"人間"の精度の方が高いんだ。困った事にね、そう言って彼女は大して困っても居なさそうな顔をして笑った。
「大体、僕が作る脚本はそういう"隙間"をわざと作っているのだけれど──ある意味では、彼女が1番その隙間を活用している役者とも言える」
「ただそのニュアンスの違いに僕が気づかず、演出との齟齬が発生しても困るからね。演技プランの変更や、セリフ変更をする場合は僕に一報を入れろと言っていたんだ」
だからつまりはそういう相談なんだろう? とりあえずは話してご覧よ。そう急かす彼女に背中を押されたように、私はゆっくりと口を開いた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「……これはまあ、随分と広範囲だね」
そりゃあそうだ、メモに描いていたのは何も自分の役である旅人だけではない。
物語として成立するように、綺麗に整うように。魅力的なキャラクターになるように、愛されるように、好かれるように。関係を洗い出し、感情をまとめ、ついでに役者一人一人が共感しやすいように共通項を見つけ、そこを繋ぎ合わせるように、全体的な構成まで触れてしまっている。A4の紙1枚にぎっしりと詰められたそれは、脚本を読んだ後の熱に浮かされたような様子で、ちょっと頭が痛くなるような賜物で。
憧れの人にそれを見られているということが恥ずかしくて、思わず目線を落としスカートの裾を弄る。……ああ、やっぱりちゃんと捨てておけばこんな事には……! そんな事を思っても今更仕方ないけれど。
「……ふうん」
読み終わったらしい彼女の声に顔を上げると、そこにはどこか楽しそうに笑う御剣三鶴が居た。
「目はつけていたけれど、ここまでちゃんと出来るとは思わなかったな。……うん、うん、……及第点、と言った所か」
言われている意味がわからなくて、キョトンとしてしまう。そんな私を見て、三鶴さんは楽しそうにまた笑った。
「はい、これ」
渡されたのは、見覚えのある1冊のノート。……え? 思考が追いついて、やっと私は悲鳴を上げた。
「……え、え……?!あ?!読ん……?!」
──わたしの、創作ノート! 慌てて胸に掻き抱いて、バッと三鶴さんの方を見る。三鶴さんは「中々面白かったよ」と目を細めて笑っている。──み、三鶴さんに読まれたって事……!? 中身を思い出し、どんどん顔が赤くなっていく。心の中で頭を抱え、私は項垂れる。三鶴さんはそれを面白そうに見ていた。
「海月」
「は、はぃ……」
恥ずかしくて、どうしようもなくて、声が霞んで消えていく。やってしまった、最近ないと思ってたんだ、どこで落としたんだろう……! でも聞けない、怖くて!
──爆弾は唐突だった。
「君、この脚本を書き直してみないかい」
……え?
思わず、顔を上げる。先程の面白がるような目線は既に消えていて、いつの間にかそこには演出家・御剣三鶴がいた。──その目に視線が吸い付いて離れない。いつものように不敵な笑みを浮かべた彼女は、私の返事を待っていた。
「このメモを参考に、この脚本を書き直してきて欲しい。締切は2週間後。ただし、途中経過を1週間時点で僕に見せに来ること」
「おそらく、海月ならこの条件でも書き直せるだろう」
思考が追いつかない。──私が、この脚本を書き直す?
「君たち一年は慣れていない。舞台にも、僕の脚本にもね。──特に相良や光本はわかりやすくキャラクターが立っていた方がのびのびと演じられるだろう。」
あの二人に必要なのは思考や表現の幅ではなくわかりやすさだろうしね、と彼女は続ける。
「……もちろん、無茶を言っているのは百も承知だ。けれどね、僕は君の描き出したキャラクター性こそ初公演成功の鍵だと思っているのさ」
「まあ正直ここで台本が変わるのはあまりにも賭けだ。──ただ、僕は勝てる賭けだと思う」
三鶴先輩は、私の答えを待っている。
その評価に、その瞳に。