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小ネタまとめメギド編

全体公開 メギド72 23747文字
2022-07-05 21:33:53

だいたいプルソン関連
最後のお話のみ文字数多め(所持メギドが少なかった頃に書いたネタのため矛盾多々あり)

Posted by @fengli25

【飴玉とプルソン】

 背中越しに漂ってくる柑橘類の香りと、目の前の少年は、どこかちぐはぐで。喉から出るはずだった一声を詰まらせたロノウェは、居住まいを正し、咳をした。人気の少ないホールでは思った以上に音が響く。

「あれ、ロノウェさん」

 椅子の背もたれに寄りかかりながら、振り向いたプルソンの口元に白い棒が揺れていた。ゆらゆらと。より際立った芳香がレモンのそれだと、ようやく分かったとき、白い噛み合わせの隙間から見えたのは黄色い飴細工のようだった。
 ロノウェは人よりお行儀の良い性格をしていたので。

「まだ食事まで時間があるだろう。行儀が悪いぞ」
「むっ」

 自然と、小さな子供を叱るように口を開いてしまっていた。もちろん二人はそう年も離れていなかったため、急に子供扱いされたプルソンは鼻白み、頬をもごもごと蠢かせた。
 何か言い返そうとしているのか。しかし、いつものプルソンのように大きく口を開こうものなら、途端に支えを失った飴玉がころりと床へ落ちてしまうだろう。彼は重々承知していた。身体と背もたれに挟まれていた腕を引っこ抜き、白い棒をつまみ出す。れぇ、と垂れる糸をくるくる器用に巻き取りあげた飴玉はネクタルの実よりだいぶ小ぶりだった。

「仕方ないじゃないですか」

 口腔内に自由を得たプルソンはさも当然のように弁明する。

「食べてないとお腹が空くんですよ。二食じゃ、とても足りないんです」
「ここにいれば三食はありつけるじゃないか」
「三食でも足りないんですよ」
「それなら量を増やしてもらえばいい。育ち盛りならいくらでも食べられるだろう。甘いものばかりだと、身体に良くない」
「そういうことじゃなくて……

 ロノウェさん、面倒くさい絡み方してきますね。言葉を交わすごとに低下していったらしい機嫌と共に、顎がつくほどまでに背もたれに寄りかかったプルソンに、再び「行儀が悪い」と叱責を飛ばした。うう、と小さく唸ったプルソンは背筋を伸ばす。と、同時に懐を探ったかと思うと、取り出した指先につままれていたのは、真新しい棒付きの飴玉だった。

「ちょっと食べてみてください」

 今度はロノウェが面食らった。まさかの共犯狙いか、と思い至るよりはやく、常に身につけている籠手越しではない柔らかな掌に、棒付き飴玉が一つ、握られていた。ツンと鼻を抜けるレモンの香りが目に染みる。思わずついたため息でさえ、酸いを纏っているようだった。

「この流れで、俺が食べると思ってるのかい」
「一番手っ取り早いんですよ。それ、甘くないし」
「えっ」

 弾かれたように目の前の飴玉をまじまじと見つめる。いかにも砂糖で出来ていそうな、ざらついた金色に、レモンの香り。これで甘くないというなら嘘ではないか。そっと口に含んでみる。無だった。

「なんなんだこれは……
「ユフィールさんから貰った気晴らし用の飴玉です。俺、甘いのそんなに好きじゃないんで」
「だからといっても限度があるだろう……なんだか、心の底から物悲しくなる味だ」
「そこまで言います?」

 いつの間にか再び口に含んでいたのか、もごもごと膨らんだ頬から、かたいものを噛み砕いたような音がいくつも響いた。

「お腹が空くんですよ」

 唇からすっと白い棒が抜ける。

「何か入れていないと気持ちが悪くて、どうしようもなくて。このあたりが冷たくなるんだ」

 背もたれ越しに動かした手は、おそらく腹のどこかをさすっているのだろう。ユフィールの名前が出た時点で察せられたことだ。彼女がメギド医療に携わる人物である以上、プルソンに与えられた飴玉は、他が想像するよりも深刻にその身体が欲する代物なのだ。ロノウェはたった今、すすめられたとはいえ飴玉を食んだことに罪の意識を覚え始めていた。
 ちょっと、ロノウェさん。摘んでいた棒の感触が取り払われる。

「もう食べないなら貰っちゃいますよ」

 言うや否や、周りの空気ごと覆うようにして、プルソンの口内に飴玉が収まっていった。レモンの残滓だけが記憶に新しい。覚えるだけの味もなく、ただこんなものを食べなければならない少年の身の上が、悲痛だった。からころと音が転がる。どこかおどけた口調で彼はこう言った。

「本音を言うなら、熱湯と一緒にぐいっと飲んでしまいたいんですよ。昔はそういうのが好きだったんです」
……初耳だな」
「でもお湯をもらってくるタイミングが難しいんですよね。ただ温めてもらうのも、なんだか悪いし」
「それなら……生姜をすり下ろしてみたらどうだろうか。身体の芯から温まるし、目的に沿っているんじゃないか?」
………しょうが?」

 なんですかそれ。呆気にとられた様子に思わずロノウェは笑った。同時に、心のどこかで安堵すらしていた。
 あの柑橘類の香りを拾ったときから、どこか遠くにあった少年が、ようやく戻ってきた。そんな気がしてならなかったからだ。

「初めてなら試してみようじゃないか。俺も飲みたくなってきたよ」
「ええー、さっきまでお説教してたくせに」
「飲み物は別腹だ」
「ずるいですよそれ!俺だけ怒られ損じゃないですか!」

 共にホールを後にする。残されたのは匂いばかりで、それもいつしか消えていった。


【洗濯物とプルソン】

 しまった、とアモンは毒づいた。ベッドの下からはみ出した布切れは、まごうことなく見覚えのあるもので。それもそのはず、アモンの自室にあるものなら、自前の持ち物以外であるはずがないのだ。彼は自分のテリトリーに他人を入れたがらない。極度の人嫌い、の筈だったのだ。
 そんな奴が、洗濯当番に渡し忘れた靴下を見つけて、慌てて水場へ向かおうだなんて。窓から覗く太陽はてっぺんへと差し掛かっている。今日は絶好の洗濯日和だ。

 アジト常在組は、それぞれ部屋を充てがわれるかわりに、敷地内で必要とされる家事の大部分を請け負うことになっている。いつしか決まっていた暗黙のルールだ。アモンもまた、常在組の一人だった。
 炊事洗濯掃除その他諸々、得手不得手をある程度考慮して回される家事当番をこなしていくうちに、いつのまにか、アモンの中に何かが芽生えたのだろうか。他人の部屋に貯めこまれた洗濯物をあらかた回収することに、自嘲じみた忌避感を覚えなくなっていた。洗い立てのシーツを、その部屋の住人に手渡すとき、余計な警戒心を抱かなくなっていた。
 随分と腑抜けちまったものだ。彼は変化に聡い少年だったので、家事を任されるようになってからしばらく経った時点で「新たな環境で生きるための仕事」と認識し直し、下手に人慣れしないよう境界線を引いた。
 いわく、個人的な報酬は貰わない。回ってきた当番以上の仕事はしない。お菓子を貰っても突っ返す。頭を撫でられても振り払う。抱きつかれても……挙げていくだけで気が重くなる項目ばかりだ。どうもアモンぐらいの年齢で家事をこなす姿を見せると、年長者の関心を寄せつけてしまうようで。だからこそ、境界線を引かざるを得なかったのかもしれない。卵が先か鶏が先か、人慣れしないように身を引きたかったのか、人慣れしきった現状にうんざりしていたのか。考えたところで、結論は出ないだろう。

 水場から肉を炊いたときの香ばしい匂いがただよってくる。炊事と洗濯を同時にこなしたがるのはアミーの性分だ。即時決断即行動を体現する彼女に家事当番が回ったときにはお馴染みの光景となる。服の汚れを落とすために湯を沸かすなら、隣にもう一つ鍋を置いてスープを作れば一石二鳥、お得でしょ、とのことらしい。
 アモンとしては石鹸と食材の匂いが混じって鼻がバカになるので、アミーが当番の日はなるべく水場に近寄らないようにしていた。彼女が当番と事前に聞いていたからこそ、昨夜のうちに脱ぎ捨てた服を全部洗濯カゴに押し込んできたというのに、まさか靴下がベッドの下に隠れていたとは。今日はついていない。

「あちゃー!もうお洗濯ほとんど終わっちゃったのよね。追加で沸かすから、ちょっとそこ立ってて!」

 ついてないついでに、来て早々これだ。そこ、とはどこのことか。
 アミーの指示を受けたものの、靴下を一足手に持っただけのアモンに居場所は無く、他の炊事当番にぶつからないよう石床と土間の境に突っ立つ他なかった。何もできない時間はアモンが苦手とするものだ。何もしないより、ずっと気分を悪くさせる。特に、働いているヴィータの後ろ姿をじっと眺めているしかない一時は、今となってはどうでもいい過去を想起させるようで、いっそ苦痛さえ感じられた。思わず舌打ちする。
 不快感が聞こえていたか定かではないが、そう経たないうちにアミーから薬缶を手渡された。吹き出し口から湯気がもくもくと立ち上っている。沸かしたてなのだろう。素肌に触れないよう心持ち身体から距離を置きながら腕を下ろした。

「洗い桶は勝手口のそばに置いてあるわ。今はプルソンが洗濯物を干してるところだから、ついでに洗ってきちゃいなさいな」
「今日の当番に俺は入ってないぜ」
「そう言うならプルソンにお任せしちゃっていいわ。でも、お湯ぐらいは運べるでしょ?さぁ行った行った!」
……はいはい、分かったよ」

 半ば予想していた展開だけあって、アモンの準備は万端だった。いつも身につけている手袋は部屋に置いてきてある。土間に降り立ったついでに脱いだ靴は隅に寄せて、戸棚に置かれていた作業用のタオルをベルトの隙間に挟みこむ。ああは言ったが、自分で出し忘れた靴下だ。洗うにも一人でやるのが道理だろう。アモンはさっさと勝手口から外に出て行った。

 雲ひとつない快晴の空だ。開けた中庭にてんてんと置かれた石畳を、ひとつひとつ、素足で踏み締める。少し遠くから草刈りの音が聞こえる。アリトンか、それともベヒモスか。夜になればまた洗濯物が増えるだろう。遠ざかる音を背中に受けながら壁に立てかけられていた洗い桶を拾い上げ、また一つ石畳を渡っていく。
 視線の向こうに立っていたプルソンは、ぴんと張られた紐にシーツをかけていた。足元の籠は見たところ空のようだったので、アミーの言ったとおり、ほとんど片付いた頃だったのだろう。いくつものシーツが風に揺れている。
 合わせた手を軽くはたいてから、乱れていた前髪に指を通したところで近づいてくるアモンに気がついたらしい。おーい、と手を上げたところで、わかりやすく口角がひくついた。

「まだ洗濯物があるのかって思ったよ。靴下一枚で助かった」
「いいよ、これぐらい俺がやるからアンタは休んでな」

 手持ちの洗濯桶をひっくり返したところに腰掛けたプルソンは、あからさまにホッとした様子で笑っていた。見渡してみればなるほど、ざっと三十枚ほどのシーツと、下着やら上着やらの衣類が並んでいる様が目に入る。毎度のこととは言え、アジトに滞在する人数が増えれば増えるほど、家事当番の負担も大きくなる。アミーのように外に住居を構えているメンバーにも分担してもらって、やっとの仕事量だ。
 ふと近くの壁際に目を向けると、隣り合って寝こけているブエルとクロケルがいた。疲労困憊、といった有様だ。

「朝からずっと干していたんだ。始めは他にもいたんだけど、昼の準備で抜けちゃってからは三人しかいなくて、結構大変だった」
「ご苦労なこった。で、あの二人は間抜け顔で眠っちまった訳か」
「そう言うなよ、まだ小さいんだから」
「アンタとそう変わらないだろ」

 クロケルはともかくブエルは十四かそこらと聞いている。二年の差なんてあっという間だ。あれが小さな子どもと言うなら、アンタも同じようなものだろう、と混ぜっ返す。無論、あいつらを子供扱いするな、といった意図を込めた一言だ。通じてるかどうかは、怪しいものだが。
 靴下を湯に潜らせるたびに指が真っ赤に染まる。汚れを落とすには熱湯が一番だ。そう、教えられたのはいつのことだったか。アモンの身体にはいくつも火傷の痕がある。教えられたときに出来たものは特に酷く、今でも雨が降ると時折引きつって痛むことがあった。本当に、ついてない。今日はどうでもいいことばかり思い出す。

「今日は風が気持ちいいな」

 プルソンの一声に顔を上げる。赤くなった指先を靴下ごと引き上げて、その場に立ち上がる。シーツの海の向こうから吹いてくる風は、帽子が飛ばない程度の、熱を奪うには物足りないそよ風で、アモンはそっと目を細めた。

「それ、終わったら戻ろうか。二人を起こさなきゃいけないし」
……あぁ、頑張れよ」
「アミーさんに会ったら、干し終わったって伝えてもらえると助かる。起こすまで少し時間がかかるかもしれないからさ」
………
「アモン?」

 洗濯バサミで紐にくくりつけた靴下を後にして、帰ることもできた。アミーに伝言を残して部屋に戻ることもできた。
 アモンは、ふうと息をついてから洗濯桶を抱え上げた。

「水を捨ててくる。桶持ったままじゃ手が塞がるだろ……それぐらい、俺が持ってやるよ」

 返事を待たずして排水路へと向かう。背中越しに「ありがとなー!」とかかってきた馬鹿でかい声を振り払ってから、桶を空にし、来た方を見上げる。天高く雲一つない、どこまでも青い空が広がっていた。


【見張り番のプルソン】

 アジトと外を繋ぐポータルをプルソンはじっと見つめていた。備え付けの椅子に腰掛けた彼の手には、愛用の大槍が握られている。来訪者があるたびに、味方か、それ以外かを区別し、外敵であれば即排除する。いわゆる見張り当番を朝から任されていたのだ。
 普段であれば、昼過ぎには他の当番と交代する手筈だったのだが、いかんせんアジト内に人気が少なすぎた。皆忙しいのだ。他の常在組も外の仕事に駆り出されれば暫くは戻ってこないし、中の仕事は他にたくさんあるし、特に用事もないプルソンにお鉢が回ってきたのは、必然の流れといえた。むしろ彼自身、ここにいることを望んだのが、主な理由だった。
 さきほど昼食に、と肉をたっぷり詰めこんで蒸しあげたパンを持ってきたアミーが「代わろうか?」と、声をかけたときも、プルソンはその場から動こうとしなかった。他の人の当番を邪魔しては悪いし、見張りは大事な仕事だから。任されたなら最後までやりたい。少年の頑なな姿勢を前に連れ出そうという気は特になかったアミーは、それなら、と編み籠を手渡した。
 ハンカチが入っているから、当番が終わったら洗濯に出すこと。そこらに放り出さないこと。それじゃ、がんばってね。

……おいしいな」

 もごもごと頬張る間、去っていったアミーの他に来訪者はなく、プルソンは一人だった。口元の食べカスをつまんでは指先ごと食んでいく。他に誰もいないので、手についた肉汁を舐めたとしても咎められはしない。油分で潤った唇に何度か舌を往復させて、ふぅ、と息を吐いた。
 くちた腹のあたりをそっとさする。微かに膨らんだ鳩尾から下腹まで、つい先ほど飲みこんだ肉が、滞りなく収められているのだろう。ふと服越しに腹の肉をつまんでみる。柔らかい。腹筋のふの字もないほど、無性に悲しくなってくる柔らかさだった。

(これでも鍛えているのに)

 ついこの間まで普通の学生だったことを顧みれば、たとえば生粋の戦士であるロノウェや、体格から差があるラウムの、岩のような腹筋を手に入れるに時間がかかるのは彼自身承知の上だ。とはいえ、この柔らかさはどうにも心許ない。ただでさえ自分は他のメギドより、あらゆる意味で「弱い」のだから。

(もっと頑張らないと足手まといになってしまう……)

 見張りは大切な仕事だ。何事もなければ、ただ過ぎていく時間に耐えなければならない、大変な仕事だ。手に持った大槍を抱きかかえたプルソンは、より強く、朱色の柄を握りしめた。

 同じ姿勢を取り続けたからか背中がだいぶ強張ってきた頃、ポータルに来訪者があった。並んだ赤髪と金髪、モラクスとシャックスの帰還だ。あとからウェパルも顔を出す。他の大人たちによって先に帰された三人は、王都に出向いていたと言う。
 向こうで何をしていたのかプルソンに知る由はなかったが、きっと今後に関わる大切な何かだったのだろう。
 近々、軍団の大部分がアジトを留守にする。今日のように一日やそこらでない長期間の遠征だ。今のところ誰が配置されるのか具体的な人員は知らされていないが、プルソンはふと、不安に駆られる回数が増えていることを自覚していた。

 もし必要とされなかったら。使われなかったら。そのとき、どう振る舞えばいいのだろう。

 とつぜん頬に何かが当たった。視線を上げると目の前にシャックスの、満面の笑みが広がっていた。引っかかったー、とはしゃぐ様子に放心したのち、どっと気怠さが押し寄せてくる。身体の不調はない。心が重い。思わずついたため息は、いつもより大げさだった。

……その様子じゃ、朝からそこにいたんでしょ」

 横からウェパルの声がかかる。

「疲れてるならちゃんと休んで。倒れられても困るわ」

 プルソンはほとんど反射的に、そんなことはない、と反論しかけた。たった数時間で消耗するような仕事ではないと、言いきろうとして「さっさと行く」無情にも遮られる。

「あんたと同じように、休もうとしない奴が他にもいるのよ……何度も言わせないで」

 見張りなら代わってあげるから。ていうか、それがルールでしょ。
 しっしっ、と追い払われるような形でポータルを後にしたプルソンは、モラクスやシャックスと顔を見合わせた。
 そんなに疲れて見えるのだろうか。

「そりゃあ、もうすぐ日が沈むし、ずっと見張り番だったんだろ?疲れて当然じゃね?」
「プルプル、いつもより張り合いがないない!椅子に根っこ下ろしちゃった?」

 この言われようである。目の前の二人に気づかれるのであれば、顔に分かりやすく出てしまっているのかもしれない。となれば、今日のところは早く寝てしまった方がいいのだろう。他のメギドに見咎められたくはない。
 と決心したものの、帰り道からそのままポータル近くの自室へ戻る前に、アミーから預かっていた編み籠とハンカチを返すべく水場へ向かうことにした。部屋に持ち帰って洗濯に出し忘れたら事が事だ。

 一人ホールを横切るプルソンの耳に誰かの寝息が通り過ぎていく。果たしてそこにいたのはソロモンとハーゲンティだった。思わぬ面々にプルソンは少なからず驚いた。てっきり外に出ていると思っていたのだ。
 二人してソファにもたれかかり、寝入ってるところに毛布がかけられている。穏やかな寝顔だ。ソロモンの目元にクマが浮かんでいるところを除けば。

 ソファで囲むように置かれたテーブルの上には、針と布が乱雑に散らばっている。ソロモンが裁縫する姿はよく見かけていたが、どうやらハーゲンティも同好の士だったらしい。何か夢を見ているのか時折あがる不明瞭な笑い声が不気味だったが、血色はすこぶる良い。二人揃って針作業に没頭していたわけではないのだろう。

 プルソンは何度か二人の寝顔を見比べてから、その場を離れることにした。胸元からずり落ちていた毛布をかけ直し、起こさないように、あくびを噛み締める。

「おやすみなさい」

 また明日、頑張りますから。
 去っていったあとのホールに寝息だけ残る。日もだいぶ落ちて、薄暗くなりつつあった。夜の予感だ。
 再び日が昇るまでには、だいぶかかるだろう。


【カーテン越しのプルソン】
 ※内臓を痛めつける描写があります

「は〜い、みなさん。秋の健康診断ですよ〜」

 我らがアジトの専属医師ユフィールの一声により、ホールでそれぞれの時間を過ごしていたある者は歓声を上げ、ある者は難色を示し、はたまたある者は逃亡を試みたがブネに首根っこを引っ掴まれていた。

「テメェ何しやがんだッ!!」
「毎回逃げているオマエが悪い。ちっとは大人しくしてな」
「っざけんな!!今ここでぶっころァ……?」

 そのある者はフラウロスの他にいなかったが、即座に逃げ出そうとする彼をブネが捕まえたのは意外だった。アジト発足以来、毎月行われてきた健康診断に参加しないメギドは少ないながらも存在する。アジトに滞在するなら誰であっても必ず受けなければならないが、一歩出てしまえば追う者はいない。発案者のユフィールでさえ「仕方ないですね」の一言だけで済ませてしまうのだ。受けさせようとするだけ無駄な労力である。
 件の彼はいつも通り暴れようとして、不意に振り上げた腕を下ろした。むしろ落とした、と表現するべきだろうか。何も言わなくなったフラウロスの急変ぶりに集まった視線は、自然と彼の足元でブヨブヨ動く何かへと下りていった。霊魂ムース。触れるだけで眠りをもたらす不定形型の幻獣だ。アジト内に幻獣が出現したとなれば蜂の巣をつついたかのような大騒ぎになるのだが、フラウロスを眠らせたソレは光とともに、跡形もなく消え去った。この光景には一同見覚えがある。誰かがオーブを通して霊魂ムースを召喚し、行使したのだ。

「荒っぽいやり方でごめんよ」

 ブネの背後からひょっこりと顔を出したのはバルバトスだった。

「今回の健康診断は軍団に属するメンバー全員が対象者なんだ。フラウロス……彼は絶対に逃げ出そうとするからね。ほんのちょっぴりオーブの力を借りたというわけさ」

 ウィンクしてみせたバルバトスにブーイングがあがる。突然の強制参加に抗議する声がほとんどで、悲しいかな、フラウロスの対応への言及は皆無だった。日頃の行いが如実に現れた結果である。
 事の成り行きをホールの壁際から見守っていたロノウェの傍で、シトリーがそっと呟いた。

「つまり、これはソロモン王のお触れなのね」

 オーブ使用時はフォトンを消費する。軍団に所属する者なら誰でも知っている常識だ。フラウロスを眠らせたのがバルバトスの判断だったとしても、超常の力を生み出すフォトンを供給できた者は、ソロモン王をおいて他にいない。ロノウェは勿論のこと、おそらくホールにいた全員が言葉に出さずとも理解していた。理解しておいて、黙っているのだ。
 あのソロモンが召喚したメギドを力でねじ伏せた。

「妙なことにならないといいのだけど」

 胸騒ぎがするわ。踵を返したシトリーに「どこへ」と声をかける。

「鎧を脱ぎに行くのよ。このままじゃ、お医者様に迷惑がかかるでしょ?」
「よ、鎧を?」
「それじゃ、またあとでね」

 遠ざかるシトリーの背中はほとんどが肌色で占められていた。鎧を、脱ぐ。あの申し訳程度の軽装備と布で構成された鎧の何を脱ぐというのだろうか。浮かんだ想像図を慌てて振り払ったロノウェは耳まで真っ赤になっていた。


 廊下の片隅で、ロノウェは一枚のメモを握りしめていた。赤インクで押印されている他に文章らしきものが見当たらない、シンプルな内容だ。再検査。何かしらの項目で、生まれて初めて、ロノウェは健康診断に落っこちた。
 意外と心に来るものだな……。健康赤丸優良児と自負していたような気もするロノウェに、でかでかと突きつけられた再検査の三文字は、それなりの攻撃力を発揮していた。

「あれ!ロノウェの兄貴!そんなに落ち込んで何かありましたかい?」

 ハーゲンティのはしゃぎっぷりがより心に突き刺さる。道に落ちているものを食べても健康花マル浮浪児を毎回更新しているだけあって、今回も余裕のよっちゃんだったらしい。むしろ特別にと袋包みの飴ちゃんを貰ってご機嫌な様子だ。からころ舐めて、膨らんだ頰の溌剌さ。心に痛い。ロノウェは少し自分を追い詰めていた。

「あーっ!もしかしてー、再検査、ってやつですかい!?ロノウェの兄貴も悪くなるところがあったんだね!」
「俺をなんだと思ってるんだい……
「んーと?すっごく頑丈な……肉盾?」
「流石に怒るぞ」
「またまたぁ、そんな冗談言っちゃって……ほんとに怒ってる?あたい、言いすぎた?」

 雨にうたれた子犬のような素振りですり寄ってきたところを、頭を軽く撫で返してやる。ぽんぽんと指を置けば花咲くような笑顔を浮かべるのだから、つくづく天真爛漫な子どもである。
 再検査の日時は追って伝えられる。全員の健康診断が終わったあとになるだろうから、明日の午後には呼ばれるだろう。ハーゲンティと別れてから、ふと視線を上げれば大柄な胸板が迫っていた。ラウムだ。

「ちゃんと目の前を確認しとけコラァ!ぶつかったら転んじまうだろうが!」

 その手にはメモ用紙が一枚。まさか。

「キミも再検査なのか……?」
「なっ、なんで知ってやがんだテメェ!他人のプライバシーを覗き見……して……?」

 暴力的な威圧はなりを潜め、そそくさとお互いのメモ用紙を見せあえば、でかでかと顔を突き合わせる赤インクの同じ文言。まさかのまさか。二人揃ってユフィール直々の診断結果を頂戴していたのだった。

 +++

 それから時は流れて翌日の午後。ロノウェの予想通り、再検査の呼び出しがあった。淡い暖色で構成された診察室に入り、簡単な問診を受けてからベッドへ横たわるよう促される。

「服はそのままで大丈夫ですからね〜。触ったときに痛いところがあったら、教えてくださいね」

 主に腹のあたりを撫でたり押したり摩ったり。そこまでは問題なかったのだが、いくら「触りますよ」と声をかけられたとしても、股間すれすれの下腹まで押さえられては流石のロノウェも狼狽の色を隠せなかった。今日はいつもの鎧姿と違って、亜麻色のシャツとベルトでくくったズボンといった装いだ。よほど無防備な格好だった。さすがに、これは、ちょっと、まずい。部屋に置いてきた自慢の鎧を、脳内で丹念に磨き上げることで、なんとか、意識をそらそうと努力する。こんなところで健康赤丸優良児ぶりを発揮されても困るのだ。どうせなら最初の健康診断で思う存分猛威を振るってもらいたかった。いけない。思考が暴れん坊になっている。

「はい、終わりましたよ〜」

 ガチガチに固まってしまった身体を、段階を置いて緩めながら、起こしていく。まずは手首。それから脇を少しだけ広げて。肩に力を入れて。あとはもう腹筋の力を借りればいつも通りだ。片足を引き寄せたロノウェは思わず顔を手で覆った。

「元気そうでよかったですね」
「すみません……
「気にすることないですよ〜誰でも同じですから〜」

 ベッドから離れたユフィールは診察机へと向かい、椅子に腰かけた。無理やり気を取り直したロノウェは後にならって患者側の丸椅子に座る。向き合ったところでカルテに何かを書きこんでいたユフィールがペンを置き、ロノウェへ診断結果を告げた。いわく、内臓の一部が腫れている、とのことだった。

「ロノウェさんで言うと、お腹の、この辺りですね。今後の日常生活に支障をきたすものではありませんが、経過観察中ということで〜。これから一週間はお休みしてくださいね」
「一週間もですか!?」
「ソロモンさんには伝えておきますので大丈夫ですよ〜」
「そ、そんなに、酷いのか……
「ですから経過観察なので〜。急激な運動や、不慮の怪我などで起こりうるリスクを避けるためのお休み、なんですよ〜。酷くなるかどうかは、ロノウェさん次第ですね」

 思ったよりも重大な結果におののくロノウェにユフィールの容赦ない物言いが飛んでくる。戦闘厳禁、鍛錬もダメ、健康的な食生活を心がけること諸々を言い聞かせられたロノウェが気づいた時には、一週間分の処方箋を手に診察室前の廊下に立っていた。お大事に、と背後から声が届く。ロノウェは途方に暮れた。
 これから先、どうしよう。


 あくる日の朝、ロノウェは反省室にこもっていた。新鮮な反省ネタを得たので日々の生活について黙々と反省していたのだが、どうも落ち着かない。ふと腹のあたりに手を当てる。この中が腫れて、膿んでいるのだろうか。今までの度重なる戦闘の中で、臓腑まで響く一撃を食らった回数などいちいち覚えてはいない。それどころか、あと少し治療が遅れていたら死んでいたかもしれない傷さえあった。何回もあった。鎧をぱかりと開いたら肉の洪水がどっと溢れ出したことも……数えきれない。ロノウェは己を盾としていた。思えば肉盾と言われて否定できる自分ではなかったのだ。まさに真実、その通りなのだから。

 これ以上反省室にいても上手く反省できないと悟ったロノウェは、廊下に出た。あとは鎧を磨いて、朝食をとって、それから、何もすることがない。実に困ったことに、たとえ一日限りだったとしても、ロノウェには休みを満喫する才能が絶望するほどなかった。話し相手を探すにも皆それぞれに用事がある。そもそも自分の都合で他人を振り回すのはよくない、とロノウェは考えていた。つくづくどうしようもない才能ゼロ加減だった。

「無趣味はこういう時に困るな……

 鎧を磨いて、朝食をとりながら、ロノウェは思案を凝らしていた。この後の予定は何もない。戦闘と鍛錬を封じられただけで、ここまで八方塞がりになるとは思ってもみなかった。ドロドロのスープをパンで掬いながら黙々と食べ進める。地獄のように真っ赤な色合いにしては、辛くもなく、かといって甘くもない、さわやかな酸味をほんのり残した不思議な味のスープだ。淡白な味わいの豆やネギが沢山入っているので腹持ちも良い。添えられたパンとあわせて食べればサクサクとした食感からしっとりめの味わいまで楽しめてお得感がある。今日の朝食は当たりだったようだ。ここまで考えて、また一口齧る。

 そうだ、料理してみるか。

 思い立ったが吉日。底に残った一滴まで掬い取った皿を片付けたロノウェは、アジト内の図書室へ向かうことにした。


 図書室を根城としているアンドロマリウスから料理本の書架を教えてもらい、何冊か中身を確認してから、良さげな一冊を手にとった。ここには閲覧するための机が何台か置いてある。書架からほど近い場所に腰を落ち着けると、しばらくしてアンドロマリウスがそっと声をかけてきた。

「ロノウェさん、ここに来るのは珍しいですね……?」
「あぁ、ちょっと料理を覚えたくてね。俺でも作れそうなものを探しているんだ」
「へぇー騎士さんって、もっと本能的にご飯を作るものと思ってました。グワーって」

 要領を得ない擬音とともに、広げた両手を上げていく動作は勢いづいた炎を思わせた。高火力と本能、おおかたストラスを思い描いていたのだろう。国家に仕える彼女のような騎士とはまた別のロノウェが、本能的に料理をしたらどうなるか。想像するだけで台所の後始末が面倒なことになりそうだったので、心うちに却下しておいた。料理のりの字もロクに知らない自分にとって、台所に立つなどと、夢のまた夢の話だ。
 パラパラと頁をめくっていったところで、一枚の挿絵に目を奪われ、指が止まった。小さく枠で囲まれた飾り切りの欄だ。鳥の羽根先よりも細かい線で、一切れのリンゴが鮮やかに描かれている。隣で覗きこんでいたアンドロマリウスから柔らかな歓声が上がった。

「これ、ウサギさんの形ですね。懐かしいなぁ」
「幼い頃に何度か見たことがあるよ。こういう風に切っていたのか」
「えっ!ロノウェさんもお腹が痛くなったときウサギさんリンゴを作ってもらっていたんですか?」
「かもしれないね。ベッドに座りながら食べていたような覚えはあるから……そうだな、とても懐かしい」
「ですね〜、久しぶりに食べたくなっちゃいました。ウァラクさんにお願いすれば作ってもらえるかな……
「よし。これにしよう」
「えっ?」

 持参していたペンと紙を手元に置くと、血相を変えたアンドロマリウスが机に両手をついた。いわく、落書き防止のため図書室に筆記類の持ち込みは禁止されている、内容が気になるならこの場で覚えてほしい、とのことだった。
 何度か目を通せばちゃんと覚えます、と言って譲らないアンドロマリウスに押された形のロノウェは、何度か目を通した上で、台所で切ってから図書室に戻り、再び台所に出向く往復を何度か繰り返した。ちゃんと読んだのか不思議そうに確認されたときは少しばかり世の理不尽さを味わったが、三十分ほどかけて、それなりに形になったウサギさんリンゴを拵えることに成功した。初めてにしては、上々だろう。
 完成品を前に「おぉー」と見惚れて小さく拍手したアンドロマリウスは、ふと小首を傾げた。

「誰かお腹を痛めた人がいるんですか?」
「ちょっと体調を崩した奴がいたんだ。そろそろ顔を見たくなってきたからね。朝食にいなかったから、まだ療養中だと思う」
「えーと……今朝いなかったのは……

「プルソンだよ。もしかしたら、いまごろ腹を空かせているかもしれないな」


 ユフィールの診察室は入ってすぐの問診スペースと、奥まったところの療養スペースでカーテンを境に区切られている。健康診断が始まったのは一昨日のことだったから、それより前に倒れたプルソンは療養スペースのベッドでずっと寝ていたのだろう。物音一つ聞こえなかったので少々心配にはなったが、隙を見てユフィールに訊ねてみたら、ぐっすり眠っているようだと教えてくれた。彼は常日頃からとても元気な奴だったから、アジトにいて何日も会っていないと、少しだけ、寂しさを覚える。ロノウェが数ある料理のうち、ただ切っただけのリンゴに目を止めたのは、会いにいく口実になるのではないか、と思い立ったのがためだった。皿ごと入れて布をかけたバスケットを手に診療室へ出向くと、幸いなことにユフィールが部屋に入っていくところを見つけ、声をかけることができた。

「プルソンのお見舞いに来ました。リンゴを切ったので、彼に渡したいのですが」

 ロノウェに気づいたユフィールはふわりと表情を綻ばせた。あらあらありがとうございます、といつもの緩やかな語尾の礼に、一瞬心に引っかかった何かが溶けていく。一拍、わずかだが、こちらを見た時の彼女の瞳が、驚いていたような。

「突然声をかけられたのでびっくりしました〜。プルソンさん宛の贈り物なら、私から渡しておきますね〜」
「その、出来れば俺から渡してもいいでしょうか?」
「あらあら、仲良しさんなんですね〜。うーん……ちょっと体調を確認してきますので、ここで待っていてくださいね」

 閉じられた診療室の扉の前で、ロノウェは立っている。相手がこちらに気づいていないのに声をかけたのは不味かったか。一瞬の判断が生死を分ける戦場はともかく、こういった場では次から気をつけよう。プチ反省会を開いていたロノウェの耳に、軽やかに跳ねるスリッパの音が聞こえてきた。彼女独特の足音だ。そっと開けられた扉の向こうには笑顔のユフィールがいた。

「十五分の面会なら大丈夫そうです〜」
「ありがとうございます」
「まだ身体がだるいそうなので、何かあったら呼んでくださいね」
「そうなんですか……注意します」

 遮るカーテンの隙間に挟まれたプルソンは、枕を背もたれにして壁を見ていた。他に何もないから見ている、といった様子だった。水色の患者服を纏った彼はあまりにも、静かで、ロノウェは言葉を失った。
 間に入ったユフィールがカーテン越しに声をかける。どうぞ、と返ってきた声はいつも通りのプルソンだったのに、垣間見えた彼の静けさは、なんだったのだろう。内に宿った疑念を抱えながら、ロノウェは布地の境目を潜り抜けた。

「ロノウェさん!お久しぶりです!」

 少し乗り出してから、ふぅと息を吐くように背もたれへと沈みこむ。一連の僅かな動作から察せられるところ、プルソンの体力は、ここ数日の療養でだいぶ消耗しているようだった。疑念が一回り膨らむ。

「まだ数日しか経ってないだろ。ほら、お見舞いにリンゴを持ってきたぞ」
「リンゴですか?えっと、ナイフあったかな……
「切ったやつだ」
「えっ!珍しく気が利いてますね!?」
「珍しくは余計だよ。そんなに数は剥いてないから、食べられる分は食べてくれ」

 バスケットに入れていた皿をベッド横の棚に置くと、表情を明るくしてから、一転困惑めいた視線がロノウェに向けられた。

「これ……まさかロノウェさんが……?」
「そうだよ。よく分かったな」

 分かるほど上手く出来ていたのだろうか。

「だっていかにも不器用感が凄くて」

 前言撤回。おほん、とわざとらしく咳をたてたロノウェは隅におかれていた丸椅子を運び、ベッド横に置いた。早速リンゴを食べ始めたプルソンを眺めながら腰かける。

「どうかな」
「美味しいですよ!夕飯までもう少しかかるそうなんで、助かりました」
「この時間はたしかにキツイかもしれないな。不器用な見た目だけど味はいいぞ」
「ちょっとしょっぱいのも懐かしいですね」

 しゃくしゃくと食べ進めていくプルソンは、少しだけやつれているようにも見えた。ヴィータは数日動けなくなるだけで、ここまで憔悴するものなのだろうか。シトリーから聞いた経緯が蘇る。

 彼が倒れたと知って、ロノウェはひどく動揺した。手傷を負ったならまだしも、腹を抱えてうずくまったまま、動けなくなったらしい。その場に同行していたのはソロモン王を始めとして、シトリー、フォルネウス、サキュバス、ベレトと聞いていた。場のフォトンをかき集めてフォルネウスとサキュバスが持つ癒しの力を施してはみたものの、何の効果もなく、いよいよ失神寸前まで追い詰められていた……らしい。いっそ死ぬ間際に身体中のフォトン丸ごと取り替えた方がいいのでは、と提案したのはベレトだったか。しかしサキュバスの力でほぼ似たような効果が得られるので、意味がない。いたずらに命を危険に晒すだけだ、とフォルネウスが諭した。「ならばどうするというのだ!このままでは、コイツは死ぬぞ!」混乱が極まっていく中で、急遽召喚されたのがユフィールだった。

「彼女の手腕は見事だったわ。私たちじゃ、手も足も出なかったところを、ものの数分で処置したのよ。倒れた彼の顔色も、だいぶ落ち着いていた。本当に……安心したわ」
……原因は」
「目下調査中とのことよ。治癒を受け付けない状態異常ならあるけど、腹痛以外は何も消耗していなかった。つまり彼は全快していたの。おかしいでしょ?だから面会謝絶、絶対安静、結果が出るまであの出来事は内密に」
「それは、俺に話して問題ないのですか?」
「いいのよ。倒れたことそのものは周知しても構わないそうだし。それより、そばにいてあげて」

 あの子と貴方、仲良しだったでしょ。

「他のみんなはどうしてますか?」
「あ、あぁ……何事もないよ。毎月恒例の健康診断があったぐらいだ」

 プルソンの声に意識が呼び戻される。最後の一切れを平らげたところで、美味しかったです、と渡された皿を、そのままバスケットの中に仕舞いながら話を続けた。

「実は検査に引っかかってしまってね。大したことはないらしいんだが、一週間は安静にと」
「何が引っかかったんですか!?」

 突然、腕を掴まれた。手に持ったバスケットごと引き寄せられ、ベッドの彼と対面する。必死の形相でこちらを睨んでいる。何をもってプルソンの激昂を引き出したのかロノウェには分からず、ただ明らかに肩で息をし、冷や汗を流している彼の体調に気が向いてしまっていた。

「プルソン」
「プルソンさん、急に動いたらダメですよ〜」

 割って入ってきたユフィールの声とともに、掴まれていた腕から圧迫感が抜けていく。そのまま支えられるようにしてベッドに沈んでいった身体を見送って、ようやくバスケットを棚に置けるようになった。

「プルソン、体調は」

 ロノウェさん、と女の声が飛ぶ。ユフィールは静かに首を振ってこう告げた。

「時間より少し早いですけれど、今のプルソンさんは安静状態ではありません。申し訳ありませんが退室願います」
「わ、分かった……

 常よりハッキリと突きつけられた拒絶を前に、退散する他の道は、ロノウェになかった。背中越しに聞こえてくる嗚咽や鼻を啜るような音が気になって、どうしても気になって仕方なかったが、診察室を後にした。廊下に一人、立ち尽くす。何か。何か取り返しのつかないことが、起きてしまった気がする。


 一週間後、ロノウェは戦線に復帰した。同時期にプルソンも戻ってきたらしい、と噂を聞いた。他に再検査を言い渡された面子は未だ経過観察中らしく、廊下で出くわしたラウムの他に、フェニックス、デカラビアが該当したらしい。次に復帰する予定が分かっているのは三人のうち後者二人、もう一週間かかるとのことだった。

 あの健康診断、何かおかしかったよな。わざわざ反省室に来てまで話題を持ち出してきたのはレラジェだ。足元に広がる無数の蛇が、彼女へ賛同するように頷く。つい先ほどまで大幻獣討伐に奮闘していたためか、未だメギドの力が抜けきっていないようで、普段の姿に戻るまでもう暫く時間がかかるそうだ。エンブリオを摂取したものは、皆こうなる。何かしら異形の姿を手に入れる。表に見えるか、見えないかの違いがあるだけで。

「聞いたよ、プルソンが体調不良でぶっ倒れたって。それからすぐに健康診断があって、全員強制参加だろ?タイミングが合いすぎだって」
「そうなんだよな……考えられるとすれば、ユフィールはプルソンと同じような症状が他に出ていないか確認したかった」
「だよな」
「今のところ倒れたメギドは誰もいない」
「うん」
「だが再検査になったメギドはいる。どういった基準なんだろう」
「オマエはどうだったんだよ」
「内臓の一部が腫れていたそうだ」

 レラジェは信じられない、といった顔を見せてから、即座に天を仰いだ。それじゃん!腹痛の兆候以外に何があるんだよ!ロノウェは続ける。

「他の再検査組もそうとは限らないだろ。俺だけだったのかもしれない」
「答えあわせはお預けってことか。じゃあ私はいいよ、ロノウェは何が気になるんだ?」
……原因かな。プルソンの不調が健康診断の理由なら、行うに至った原因が気になる。一人が倒れたからといって、外に出ていた奴まで呼び戻すのは妙じゃないか」

 何かしらの病に侵されていたとしたら、他のメギドにも多かれ少なかれ症状が出てくる筈だが、プルソンだけ進行が急激すぎる。突然倒れて動けなくなるなんて、相当のことだぞ。

……内臓の腫れ、今はどうなってるんだ?」

 途中から自分に言い聞かせるように呟いていたらしい。頬杖をついて聞いていたレラジェの問いかけでようやく我に帰ったロノウェは、鎧の上から腹部を摩った。

「ユフィールさんによると腫れは殆どなくなってるらしい。他より定期検診の割合は増やすが、戦線復帰しても問題ないとの判断だった」
「それはよかった。よかったついでに……オマエ何歳だ」
「えっ、十八だと思う」
「曖昧だなぁ。それじゃラウムは?」
………何歳だろう。聞いたことがないな」

 ロノウェは問い返す。いったい何の話だい?

「知っている限りだと、フェニックスとデカラビアは十八歳なんだ」
「えっ」
「オマエも十八歳。ラウムはお互い知らない。でも、ここまで揃っていると偶然とは思えない」
「なんでデカラビアの年齢を知っているんだキミは」
「本人が話してたんだよ!」

「つまりさ、今回の関係者には共通点があるかもしれないってこと。私はアジトに常在していないから、復帰組に聞いておくなら自分でやるんだぞ」

 +++

 体良く押し付けられた感じが無くもなかったが、ロノウェは根気よく律儀に調査を続けた。一週間後に復帰したフェニックスとデカラビアに再検査内容を確認したところ、二人とも内臓の一部が腫れていたため、つまりロノウェと同じ結果だった。ただデカラビアの答えはどうも謎かけのように要領を得ず、確信には至らなかったので頭の中のチェック項目には仮印を記すに留まってしまった。フェニックスのように分かりやすく簡潔に、そして何より素直に話してくれれば、こちらも楽なのだが。
 さらに一週間後、復帰早々溜まりに溜まったボランティア精神が暴発しそうとのことで、いの一番にポータルへ駆け出したラウムを鉄壁の一人スクラムで押し留め、再検査内容を聞き出すことに成功した。あやうく転ぶどころか弾き飛ばされポータルへホールインするところだったが、伊達に盾役を引き受けているわけではない。たとえフォトンが無くても耐える。これがロノウェの真骨頂だ。
 確認したところ、ラウムも同じ結果だった。ただ、腫れ具合が少し酷かったので観察期間が長引いていたらしい。

「自分じゃ何も感じないのによ、身体ン中がガタついてるって言われるのは、あんまり良い気分じゃねえぜ。事実だから無碍にも出来ねぇしよ。ていうかテメェ!テメェこそ身体大丈夫かコラァ!」
「俺は問題ないよ。もうすっかり治っていると太鼓判をもらったから」
「そいつはめでてぇなァ!だったらもう俺のジャマすんじゃねーぞコラ!お大事にするんだぞコラァ!」
「ありがとう。キミもお大事に……あ、そうだ」
「今度は何だコラァ!」
「失礼ながら年はいくつだろうか」
「あ!?十八歳だッ!テメェと同じ年齢だ!二度と忘れんじゃねーぞ!!」

 一呼吸でまくし立て終わったかと思うと、吹き荒れる暴風のごとく去っていった。彼の精神で救われるヴィータがまた増えると思えば、喜んでこの門出を祝福してやりたい。そう感慨深くなったロノウェなのだった。


 その日、久しぶりにプルソンと組んだロノウェは、王都から何本か伸びる水路周りの幻獣退治に向かっていた。同行していたのはソロモン王を始めとして、ウェパル、シャックス、そしてユフィール。本来であればロノウェのポジションにはガープが入る筈だったそうだが、水路ごと地面を陥没させる程の凶暴な攻撃力を持っていると情報が入ったので、急遽ロノウェが抜擢された。他の面子もロノウェであれば、と了承したらしい。ここまで期待されたなら、何が何でも皆を守らなければ、と気合を入れ直した横で、自分のことのように喜んでいるプルソンがいた。

「流石ですね!俺も頑張ってみせますよ!」
「あぁ、キミの一撃。期待しているよ」
「はい!」

 道中、荒らされた水路に群がっていた幻獣をその都度駆除していく。王都から辿っていくにつれて、破壊の規模が大きくなっているのは、誰の目にも明らかだった。元凶を取り除き次第、派遣しておいたアジト第二実働部隊の行動範囲を広げ、復興作業を支援しなければ、王都内は溢れ出した汚水に見舞われるだろう。

「これはー、プルプルがおっきくなってドーンドーンって掘り返したらよさそうよさそう!」
……バカなの?掘り返す前に地面ごと沈んでしまうでしょ。土台から壊されているのよ。場所によっては、私たちですら危ないわ」
「えぇー!?モンモンどうしよどうしよ!」
「建築については俺たちより王都の騎士団がずっと詳しい。どう直すか指示を仰ぐとして、土砂をどかすときは飛べるメギドにお願いする場面もあるだろうな……シャックスとか」
「えええーー!?」
「いいわね、それ。候補に入れておいて」
「あたしの意見ガン無視ですと!?ひどいひどい!!」

 いつもの三人の会話は飛ぶように弾む。そして建設的だ。フォトンをたっぷり含むヴィータが大勢いる王都から離れた場所に元凶がいること、おそらく出現したとされる位置からその場を動いていないこと、あぶれた幻獣たちが水路をたどって王都を目指し、移動時の衝撃で副次的な破壊活動が行われていること。
 こういった場面で、自分とソロモン、そして最初期から行動を共にしていたメギドたちとの経験の差をロノウェは実感する。誰かを守るだけでは戦いにならない。守ったあと、どのように援助し、立て直すかまで考えなければならない。自分はまだまだ未熟だ。戒めの声に黙するより前に、前方の背中越しから小さな呟きが聞こえた。

「みんなの足を引っ張らないようにしなきゃ……

 プルソンだ。彼も周りとの違いを意識しているのだ。共感が芽生えたところで、ウェパルが鋭く叫ぶ。

「いたわ!あのデカブツ!」

 水路ごと崩落した中心に巨躯が埋まっている。あのような幻獣がいったいどこから、どうやって出現したか未だもって謎だが、敵の足元から道中退治してきた幻獣が湧き出ている様子が見えた。もしかするとこれは、噂の超幻獣に近い相手かもしれない。剣を握った手に力がこもる。ソロモンが翳した左手で、指輪を構えた。号令をかける。

「いくぞみんな!」

 +++

 力を失った幻獣はドロドロの液体になって地面に散らばっていった。核らしき目玉はメギド体プルソンの鉄拳でヒビが入っている。もう動き出すことはないだろう。
 水路から海に変なものが混じると嫌だから、の一言でフォトンを所望したウェパルによって、幻獣の残骸は巨大なあぶくとなり、圧縮され、飛ばされた先の大地へと染み込んでいった。大地への害はいいのだろうか。循環するから問題ない、といった理屈ありきだろうか。剣を握りすぎて少し痺れた指をひらひらと振る。今回はロノウェを選んで正解だった。あの場面で攻撃を無効化できていなかったら前衛から崩れていただろう。自分が仲間の助けになった、と実感したロノウェだったが、いまいち喜びを噛み締められずにいた。プルソンが気がかりだったのだ。
 あの幻獣の目玉……切った感触からして、そう固いものではなかった。ウェパルかシャックスのメギド体でトドメを刺していれば粉々に砕け散っていただろう。それはプルソンも同じだ。本来の実力であれば、あのように形が残る筈はない。

「プルソン、ちょっといいか」
「なん、ですか」

 呼びかけてみたところ微かに反応が鈍かった。少し意識しないと気づかないほどの、何かの異常が、彼の身に起きている。ロノウェの声かけに反応し、誰よりも早く動いたのがユフィールだった。

「プルソンさん、お腹を見せてください」
「ま、まだ早いから、ちが……
「言いましたよね。二回目があるかもしれないって。前と同じ痛みなら、処置しなければ貴方は死んでしまいます」
………どうしてだよ……なんで……ッ」

 ここまで来ると他の同行者も異常に気づいていた。しかし訳知り顔で事の成り行きを見守っている周りの中で、ロノウェだけが蚊帳の外だった。二人の会話が頭に入ってこない。何が起きているのかも分からない。ただ、この光景には「聞き覚え」があった。

「せっかく強くなったのに………ちくしょう……ちくしょう………!!」

 あの時、診察室で、この嗚咽と鼻を啜る音を真正面から聞いていたら。彼の悔しさでぐちゃぐちゃになった顔と手のひらから溢れる涙を見ていたら。自分は上手く戦えなくなっていただろう。そんな確信があった。


 アジトに帰ったあと、診察室に連れていかれたプルソンを見送り、それぞれ引き継ぎを終えてからソロモンの自室に案内された。このまま何事もなければ、プルソンが話すまで待つつもりだったけれど、結局ロノウェまで傷つけてしまった。ごめん。そう謝られたロノウェは一言「わかった」とだけ返した。たとえ相手がソロモンだったとしても遠慮するような内容ではない。ロノウェは、知らされなければならなかった。プルソンに何が起きて、何が終わってしまったのか。

 +++

 エンブリオってあるよな。ソロモンが切り出す。アレはメギドの成長を促す胚なんだけど、詳しい調査はまだ進んでいない。ただメギドの身体はアレを要求する。みんなを強くするためにも、この軍団には必要なものだと思っていたんだ……プルソンに、あんなことが起きるまでは、そう思ってた。

 シトリーから、ロノウェにだけはあの時のことを話したって聞いてる。この軍団に本格的な医療従事者は、今のところユフィールしかいなかったから、どのメギドの力でもプルソンの腹痛が治らなかった時、彼女を召喚したんだ。あのあとサレオスやヴィネにも見てもらったんだけどさ、どうしてもダメで……プルソンの中には、エンブリオが宿っている。ちょうど下腹の、このあたり。ユフィールは、あれを「子宮」と呼んでいた。

 そう、子宮。俺は詳しく知らなかったんだけど、赤ちゃんをお腹の中で育てるときに容れ物として使う臓器、って説明してもらったよ。多くの女の人が持っているものなんだ。だから、プルソンの中にあるアレは、本来あっていいものじゃない………ごめん。女の人は一定周期で股から血を排出するんだ。月経といって、子宮の内側から剥がれた内臓が血として外に出る仕組みなんだけど、プルソンには排出できる器官が備わっていない。ずっと中で溜まってしまうそうなんだ。もともとエンブリオで出来ているものだから、仕組みを真似するだけで、循環を促す機能が付いていないのかもしれない。溜まったらどうなるか。腐って、しまうんだ。お腹の内側から腐って死んでしまうって……言ってた……

 +++

 ごめんな、一気に話してしまって。上手く説明出来ていたか、正直、自信がない。不安げに語るソロモンの両目は潤み、今にも滴り落ちそうだった。ロノウェとしても、いくつも拾いきれなかった自覚はあったが、肝心の部分は無理やり理解した。プルソンの内側にある紛い物の臓器が一定周期で血を流し、腐り、いずれ本人を死に至らしめること。そしてそれがエンブリオで出来ていること。薄々勘付いていたことだが、手繰る糸が見えてきてしまった。事実ならば。自分たちの内臓が腫れていたのは。

 +++

 エンブリオを摂取することで自滅してしまうようじゃ本末転倒だ。すぐに健康診断をみんなに受けさせたよ。そうしたらプルソン以外に兆候が見られたのは、ラウム、フェニックス、デカラビア、ロノウェ。この四人だった。発症する法則については俺たちの推測でしかないけど、プルソンを軸に考えると「十代後半」の「男性」かつ「転生メギド」じゃないかと思う。同じ年齢のアンドロマリウスやストラスに兆候は見られなかったし、エンブリオを摂取していたアモンは十三歳で、何も宿っていなかった。次に年齢が近かったのはグラシャだったけど、結果は変わらなかった。プルソンは……たぶん、エンブリオにとって一番条件が良かったんだと思う。もし俺がメギドでエンブリオを取り込んでいたら、もっと酷い症状が出ていたかもしれないけど、ここではプルソンだった。だから歳が離れているロノウェたちへの影響は少なかったのかもしれない……まだこれからどうなるか分からないから、みんなには話していないし、定期的な検査は続ける。だけど……どうしてこんなことになってしまったんだろう……謝っても謝りきれないよ……

 +++

「ソロモン」

 いよいよ泣き崩れそうなソロモンの肩に手を置いて支えてやる。彼は一連の案件を、全て自らの咎として認識しているのだろう。他のメギドが彼にそんなことはないと訴えたとしても、抱え込んでしまうのがソロモンという少年だ。おそらくユフィール以外に、フラウロスに健康診断を受けさせたブネとバルバトスは事情を知っている。プルソンが二回目に倒れたときの反応からウェパルとシャックスも。もしかしたらマルコシアスやガープ、不死者たちも把握済みかもしれない。
 この軍団の情報伝達は最初期メンバーで共有が止まりがちだ。全体に関わる内容であればその場においての適任者を通じて下へと流れていくが、個人的な事情の場合、今のように堰き止められる。自分のことについてむやみやたらに広められるのは良い気分じゃない。だから間違っているとも思わない。
 ただプルソンの一件について何も知らされなかったのは、無性に悔しかった。

「プルソンを助ける方法は既に見つけた、と思っていいのかな」
「あぁ。アレごと取り除いてしまえばいい。身体の一部になっているから状態異常にはならないけれど、物理的に消すなら後遺症も残らないそうだ」
………けれど、それでは済まなかった」

 悲愴な表情を浮かべたソロモンは、ロノウェから視線を逸らし、そのまま項垂れてしまった。

「ソロモン、大丈夫かい」
「ごめん……エンブリオを取り除くということは……メギドとして取り戻した力も、無くなるってことなんだ」

 エンブリオを摂取する機会は二回。身体に異形が現れるのは二回目の摂取時に該当する。ならば最初に取り除いてから、確かに会得した筈のものが無くなっていた身体を見た彼の絶望はいかほどのものだったのか。プルソンは着込んだ服の下に異形を隠していた。彼が何を失ったのか、ロノウェには分からない。この先ずっと聞くことすらないだろう。
 プルソンは一晩のうちに回復した。そして永遠に失ってしまった。


 ロノウェが切ったリンゴは日に日にウサギらしく整えられていった。何事も繰り返して上手くなるものだ。彼が倒れてから一週間、毎日リンゴを切って見舞いに行けば、回数としても充分足りる。
 プルソンの容体が落ち着いてから初めて診療室を訪ねたとき、ソロモンから聞いた話を簡潔に伝えた。事情を知る者としてそばにいたかったからだ。結果、再び泣かせてしまいユフィールから強制退室宣言を食らってしまったが、次の日には拒絶されることもなく部屋に入ることができた。受け入れられたのだ。
 リンゴを頬張りながら、明日には退院、晴れて復帰となるプルソンはこう語った。

「弱くなったなら弱くなったなりに、俺に出来ることをしようと思います。俺たちで世界を救いたい気持ちは変わってませんから!」

 あっけらかんとした笑顔に「その通りだな」と返したロノウェは、きっと上手く笑えていた。共に世界を救おう。俺たちなら絶対、出来る筈だ。


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