@EmptySeat_
▶視点 灰破沙里
扉の前で深呼吸を1つ。2拍置き、ようやっと手を伸ばし扉を3回ノックした。部屋の主を静かな廊下で待つこの時間がなぜだか恐ろしいのは、あの日を思い出してしまうからだろうか。
「空いているから入っておいで」
中から聞こえてきた声に、いつの間にか張っていた気を緩める。──大丈夫、大丈夫。ミツルセンパイは、ちゃんとここに居る。ドアノブに手をかけてゆっくりと回し、内側に開く。
ミツルセンパイの部屋に入るのはかなり久々な気がした。日課である朝食同席では部屋の中にまでは入っていなかったし、最近何かと忙しくて(ミツルセンパイも忙しそうだったし)勉強をしに来ることもほとんどなかったから。
「シツレイしまーす……ってあれ、なんだかすごくスッキリしましたね、お部屋」
床に積まれていた本、部屋のほとんどを締めていたはずの本棚や資料たち。それらがごっそりと姿を消していた。動線にあって少し邪魔だった大きなクローゼットも、いつの間にか窓際に追いやられている。
ミツルセンパイはそのクローゼットの隣にある机の所にいた。近づき「おはようございます」と話し掛けると、彼女もまた顔を上げてこちらを見て「おはよう、灰破」と笑う。
紙の散らばり具合を見るに、起きてから始めた作業という感じはしなくて、なんとなくまた寝ずにやってたのかなぁと思った。
「篝里と初音がね。その状態だと車椅子で動けないだろうからって片付けてくれたのさ」
とんとん、と紙をまとめながらミツルセンパイはそんな風に言った。
「おかげで部屋から物がとんと無くなった。ただ片付けるのが面倒でそのままになっていただけだから、特別困りはしないけれど」
元の部屋を思い出す。たしかに車椅子が通るだけのスペースは無さそうだ──と、きょろきょろと辺りを見渡していると、ふといつもあったアレがないことに気がついた。
小さな折りたたみ机と座布団が、無くなってしまっている。それはいつの間にか実装されていた客人向けのものであり、ミツルセンパイの部屋で勉強をする時私はいつもそれを使っていた。
……ミツルセンパイが机で作業する中、課題をやるあの時間が結構好きだったんだけどな〜。まあ、たしかに車椅子の高さじゃあ、あの折りたたみ机は使いようがないのは確かだけれど。
ミツルセンパイが怪我をしてから、この学科は一変した。今まで当たり前だったことが当たり前じゃなくなって、改めて"御剣三鶴"という空いた穴の大きさを知ることになる。
初公演──ミツルセンパイの居ない、初めての公演。そんなものは誰もが未経験で、正直学科内には不安が立ち込めていた。1年生だけじゃなくて、これは2年も3年もそう。誰もがセンパイが抜ける事を想定していなかったから。
小さな変化に、どうもざわざわと過剰に心が揺れ動いてしまって、いて。
「……ぱ……、灰破?」
意識が浮上する。そこには怪訝そうな顔をしたミツルセンパイがいて、慌てて返事を返した。
「何? まだ眠いの?」
「いや、……アハハ、そういうワケじゃないんですけど、」
ただ、物思いにふけってしまっていただけで。いつの間にか机の上は綺麗に整頓されていて、身支度も済んでいるようだった。
「じゃーそろそろ行きましょっか、食堂。階段とかの移動時間もありますし」
そう言って車椅子の後ろを陣取れば、続きを特に言及する気もないのか「そうだね、いこうか」といつも通りの返事が返って来る。その日常感になんだかほっとしたのは、私だけの秘密である。
公演まであと1ヶ月。緩やかに、時は進んでいく。
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