X以外のSNSでの投稿にはPrivatter+がおすすめです

難しい人

全体公開 1 16 2825文字
2022-07-30 07:57:15

西田と兄さんが冴島の話をしている


「親父は、冴島の叔父貴の他の兄弟のことどう思っていらっしゃるんですか」

 扉を一枚隔てて、少し音量を落としたジュウジュウと肉の焼ける音と、途切れることのない賑やかな声が響いてくる。
 馴染みの焼肉屋の一角。個室として設えられたそこで、自分の親父――カタギ風に言うならば上司にあたる人と、面と向かって座っている。見る者が見れば萎縮しそうな光景であるし、自分も目の前の人物に気圧されることは多々あるが、こうして二人きりで食事をすることは一度や二度ではない。少なくとも他の組員よりは上手くやれている、と思う。
 正面に座って網の上の肉を弄くり回しては俺の皿に適当にぽいぽい投げ込んでいた親父は、今は片方だけの目を細めて、怪訝そうな顔でこちらを覗き込んでいる。並の人間であれば半殺しを覚悟するかもしれない顔つきであるが、これもやはり慣れたもので、少なくとも殴りかかるような機嫌ではないはずだ。あまりびくびくし過ぎても親父の機嫌を損ねる。あえて平然とした素振りで肉と米を一緒に口へと運んだ。

「お前、たまーに意味わからんこと聞きよるなあ」
「そうですかね……

 なんとも言えない顔つきのまま口を開いた親父は、返答ともとれるようなとれないような言葉を吐き出した。質問した自分としてはあまり変わったことを聞いたように思っていなかったが、そう言われると自信がなくなってくる。「答えたくなければ、大丈夫ですので」と言うと、「別にええけど」と返ってきた。今日はちょっと機嫌が良さそうだ。
「まあ、聞いたことはあるけどな」
 それだけ言って、目線を斜め上に向けて閉口する。言葉を探しているようだ。言いあぐねているというよりは、ピンと来ていないらしい。
「他の兄弟分……みたいなのって、嫌……だったりしないんですか」
 ぼんやりとした質問にイライラし始めた様子だったので、説明を付け足す。さすがにこのようなことをはっきり聞くのは躊躇ったが、主旨を理解できた親父は得心がいったのか、若干すっきりした顔に変わる。そしてすぐに「アホくさ」とでも言いたげな表情を浮かべた。よく動く表情筋だ。意外にわかりやすい、と思うことが結構ある。

「西田お前……俺がそない小さい男に見えとったんか? アホらし」

 怒りよりは興が削がれたという風体だ。親父に認められていたい自分としては、こういう突き放したような顔が一番心に来る。若干のダメージを負いながら「そういうわけではないんですが……」と絞り出せば、眉間に皺を寄せたまま親父が手元のビールを一口煽った。
「親父にとってはたった一人の兄弟分じゃないですか……何か思うところくらいはあるのかな、と」
 苦しい言い訳のように言葉を繋げると、自分を貶めるような意味の質問でないことを納得したのか、ぎゅっと絞られていた眉間が少し緩んだ。理不尽な行動の多い親父だが、落ち着いて話すときには敏い面がよく表れると思う。
「思うところも何も、アイツ元々そういう奴やで」
 親父は網の端で黒焦げになっていたホルモンを拾って躊躇いなく口に運ぶ。親父に黒焦げを食わせてしまったことを焦る俺と裏腹に、「うま」と小さく声をあげて咀嚼している。
「懐に入れたが最後、何がなんでも面倒見るっちゅー正真正銘のアホやねん。馬鹿正直で絶対曲げへんしな」
 愚痴る口調ではあるものの、遠くを見る目線には慈しむような丸さを含んでいる。おセンチな親父を見ているときにはいつも、なんと声をかけたらいいかわからない。押し黙って烏龍茶を流し込むことで続きを促す。
「兄弟作ることがアイツの幸せなんやったらそれが一番ええ。俺に与えられん幸せを他の兄弟分が持っとるんやったら、そいつと一緒におった方がええねん。俺はアイツに、なーんもできひんかったからな」
 言葉だけ聞けば自嘲気味なのに、目の前の人はいっそ爽やかなほど屈託なく笑みを浮かべて頬杖をつく。自分の予想する感情と実際に受ける印象が乖離してきた。桐生の叔父貴に「読めない」と評される親父は、他の人よりも長めに供をしている自分を以てしても、やはり読めないと思う。
…………
「アイツの幸せのためにちいとばかり手助けしたろ思てるけど、俺にできるもんも限られとるしな。アイツはもっと良い思いせなあかんねん」
 「わかるか?」とダメ押ししてきた親父を、どういう顔で迎えればいいかわからない。もちろん返答も見つかっておらず、烏龍茶が減るばかりだ。そんな自分を気にもしていない親父はメニューを開いてデザート欄などを見ている。多分今日の締めはオレンジシャーベットか。
 正直に言うと、親父の言い分には納得がいっていない。親父と冴島の叔父貴の間にあったことは噂程度の情報しか知らないが、冴島の叔父貴にとってのこの人は、もっと大きな存在で、もっと自惚れてもいいほどに、替えのきかない兄弟であるはずだ。叔父貴とは短い付き合いの自分でもそう思うのだ、もっと長くお互いを知っている親父が、そのことを察せないとは思えない。
 子供じみているほどに傍若無人で威風堂々と振る舞う割には、親父にはあまり独占欲のようなものが感じられない。好きなものはとことん追いかけるほど執着するくせに、自分の手から離れることそのものには昏い感情を見せない。潔いと言ってしまえばそれまでだが、読めないちぐはぐさが、側近(と勝手に思っている)としての自分をやきもきさせる。もっと理解できれば、もっと的確にサポートできるだろうに。彼自身も意識していないような、得ることを放棄したような小さな幸福をその手に握らせることもできるかもしれないのに。

「お前、アイツにいらんこと言うなよ」

 いつの間にか正面を向いていた隻眼が、凪いだ水面のごとき怜悧な視線を投げつけてくる。まるでこちらの心情を読んでいるようなタイミングで、虚を突かれた心臓がぎゅっと縮まった。しかし、研ぎ澄まされた無表情がさっと鳴りを潜め、ばつが悪そうな苦笑が顔を覗かせる。

「これ以上大事にされたないねん」

 思わず「はあ」と声が漏れて、それきりこの話題は終わりになった様子だ。親父は二つのメニューの間で指を往復させながらお決まりの歌を口ずさんでいる。
 最後に告げた言葉とその表情の意味は測りかねている。瞳の奥に少しの怯えと後悔が揺らめいていたのも、読めないのに明け透けな態度も。まだまだ補佐として未熟であることを痛感したが、冴島の叔父貴に告げ口して殴られる役割は、やはり自分にしかできないことだろうと思うのだ。そのときに浮かぶ顔によって理解を深めることもまた、自分にとってはきっと必要だ。この人に不要であったとしても。

 最後にメニュー上で止まった指はティラミスを指していた。店員を呼びつけて「宇治金時氷ひとつ頼むわ」と注文する親父を見ながら、やっぱり理解なんてできないかもしれないな……と思った。


投稿にいいねする


© 2026 Privatter All Rights Reserved.