@dika_bal
※本話は暴力的表現や災害に関する内容を含みますのでご注意ください。
■1/ぶつかる
「──私は、できる…! やるんだっ!!」
及川の電撃が渦を巻き、凄まじい質量を持ってその手へと集まっていく。
蛍光緑の光がスパークして弾け、同時に彼女のトレードマークでもあったフルフェイスのヘルメットが音を立てて割れ散り、及川の顔が露わとなった。
信念の瞳と憎悪の瞳が真正面にぶつかり合う。
電撃の渦を纏った及川の拳をドストレートにぶち込めば、天野の落雷の檻に阻まれ、接触の瞬間 暴力並の激しい光が周囲を照らす。
「黙れ、愚蒙 ──っ!!」
真っ白な閃光の中、喉の奥底から発せられているような天野の真っ黒な怒りの叫びが響く。
「てめぇもぶち死ぬまでぶち殺してやる!!」
⚖第4話 限界のビヨンド

■2/死闘
それはもはや人間の戦いではなかった。見るものが見れば言われるだろう……『化け物』と。
異能力と異能力のぶつかりあい、それは通常の人間の能力から大きく外れた常識外。
しかし、誰にどう思われようとも何を言われようと、今ここで戦わなければいけない理由がある。
仲間を守るために及川 鈴子は、昨日までの己を超えていく。
落雷が次々に及川へと襲いかかった。
生まれつき雷に耐性がある及川であろうと、衝撃と威力の暴力には肉体をやられる。
ただの雷だったそれらはそのうちに、鋸の刃のような形状を成し、天野の意のままに降りそそいでいた。命の危機などなければ光の矢のような眩く美しい光景にも見えただろうが、そんな余裕なんか一切ない。
電圧と勢いのみで応戦する及川だが、今まで異能力をフルで使用したこともないため、体と想定が追いつかず攻めきれないのも事実。
一方 天野は一切の躊躇もなく、巧みに確かな殺意を突きつけてくる。方向性は違えど、彼女にも確固たる意思があった。
走る稲妻はその勢いを増し続け、躱したと思ったそれが通った道、急激に膨張する空気圧によって及川の体は意図せずふっ飛ばされる。
「──っあ!」
よろけたところに休む間もなく攻撃の手が重ねられていく。ギリギリ働く反射神経で走り躱すも、ブーツで泥に足を取られる。
都会育ちの及川と自然の中の相性は控えめに言っても最悪だ。あまりにも土慣れしていない。
しかしそんなこと言い訳にするわけにもいかない。必死に考える。どうすれば、この状況を好転させることができるのか。
必死に走って、避けて、手の先から電磁加速砲めいた電撃を撃ち返す。
上位の、才能が強すぎる異能力者同士の戦い。僅かな油断すら許されない命のやり取り。怖くても歯を食いしばった。気持ちで負けたら全てが終わる。
「ハッ、口だけだったのかしら?」
カラカラ嗤う天野が手を翳すと再度の落雷。それを後方に飛んで躱すが、少し飛んだ間に天野が急激に距離を詰める。
戦い続けて理解 る、とんでもない異能力者だ。己の能力や身体の使い方を熟知している。
未だ全力で戦うというものを、まだ曖昧にしか理解できていない自分とは違う。経験、場数の差。
「ぐっ…!!」
咄嗟に放電し、身を守ろうとするもそれより早く天野の拳が及川の腹へとめり込んだ。
「──ガッ、はっ…ぁ……ッ!」
横隔膜に衝撃が加わり、呼吸が詰まる。着地の足を踏ん張り損ねて、及川はぬかるんだ地面へとスライディングするかの如く倒れ伏した。
「雑魚が」
倒れた及川の腹を天野が思い切り踏みつける。肋骨の下部が嫌な音を立てた。
それと同時に痛みが走る。今まで感じたこともないような物理的な痛み。痛い痛いと頭の中が痛みで支配される。
及川の腹に足を置いたまま、天野は及川の顔を見下ろしていた。花壇の花でも見ているかのような穏やかな微笑み。
────恐怖が侵食する。
■3/踏み出す
その閃光は離れていてもはっきり見えた。
山中を走る車の先では、数多の稲妻と電撃の応酬が繰り広げられている。
荒船の胸中はざらついていた。この先で確実に及川が、後輩が命を賭して戦っているのがわかったのだから。
『及川さんを、木端さんを、お願いします』
──確かな声が耳に蘇る。
荒船は両手をぐっと握り込む。託された想い をしっかり掴むように。
「荒船先輩、前方2時!」
運転席の丹所が声を上げる。すぐさま言われた方向へ目を向ければ、まだ少し距離はあるが人影を捕らえた。
だがしかし、その光景は最悪なものだ。倒れた及川の体を被疑者が踏みつけている。
荒船が窓を開けた。あちらとの距離は…500mないくらい。
「丹所! 一気に近付けるか?」
ハンドルを握る丹所が目だけ素早く動かして周囲の状況を確認する。
「結構無茶しますけど、それでも良ければ!」
「頼む」
その言葉の後、荒船は開けた窓から身を乗り出し、車両上部へと登ろうとする。
「…無茶しますねぇ」
「いやいや待ってくださいっス。無茶しますね、で済ますことじゃないっス」
後部座席から手が伸びてきて、荒船の服を掴んだ。
車両には丹所と荒船以外乗っている覚えはない。ギョッとして確認すれば、ここに居るはずのない人物がそこに居た。
「野焼……」
「お聞きになりたいことはわかるんスけど、今は時間がないんでしょう? あそこでいいんスよね?」
野焼は窓の外、被疑者たちの影を見やり、荒船に手を差し出す。
「そちらから掴んでくださいっス。飛ばすっス」
荒船が野焼の手を掴んだ瞬間、荒船の姿が揺らめいて消えた。
◆
それは文字通り瞬く間だった。
目を開ければ対象との距離は30mないほどであった。まさに瞬間移動。
荒船は思考する間もなく拳銃を構えた。この隙は一瞬のものだ。逃せない。
指の先が冷たい、冷えた手…己を心配して庇った後輩の顔がちらついた。
大丈夫。大丈夫だ。もう、泣かせたりなんかしない。
今度こそ、仲間を守るため、救うため、自分で無意識に引いた境界を──超える。
天野がゆったりとした動作で首をもたげ、唐突に現れた荒船の方へと顔を向けた。
目が合う前に荒船はトリガーを引く。冷たくなった指先で、そのトリガーを引いた。
発砲、衝撃、そしていつもと同じ硝煙のニオイ。訓練で行う同じ動作、"引き金を引く"ということはどんな結果の前も、変わらない。
人を殺すのも生かすのも、同じ動作の後の結果だ。殺すのも生かすのも同じなのだ。引き金を引くという行為は変わらない。
だが、変わらないはずなのに、確かに違っている。──今、あの日を超える。超えていく。
他人の命の責任を、荒船はこれからも背負っていく。もう引き金を引くことを迷わない。見えるものは全て救いたいのだから。
グリップをしっかり握り直し、まっすぐに目標を見据え、再度引き金を引いた。

1発目、被疑者右大腿部命中。
2発目、被疑者右大腿部命中。
3発目、命中せず
2発の弾丸を受けてもなお、天野は片足のみで飛び、後退する。
3発目が地面にめり込んだのを目で追ってから、続いて荒船の方へと怒りでぐつぐつに煮えきった瞳を向けた。
「次から次に虫けら共が……」
天野の右足からドクドクと鮮血が流れていく。両手のロンググローブを脱いで素早く裂き、それで右足の応急手当を早急に行う。
判断も手際も的確過ぎる。あらゆる優秀を体現するような女だ。……性根を除けば。
それを呆然と見ているわけにはいかない。荒船は再度銃を構え、躊躇なく撃った。
しかし天野は応急手当を行いながらもその弾丸を足をずらすのみで避ける。尋常ならざる動体視力。
そして忌々しげに響く天野のでかい舌打ち。
「女性の準備を待てない男はモテないわよ。痴れ者が」
「業務に必要はない」
「ハァ?! どうしてこう…」
「及川! 大丈夫か?!」
「ちょっと! 私が話してんのよ!!」
「及川!」
「何なのこの朴念仁!!!」
荒船の呼びかけに及川の返事はない。
天野から視線を外すわけにはいかず、荒船は睨み合いを続けたまま再度及川の名前を呼んだ。
「及川!!」
返事の代わりに、バチンっとゴムが切れたような低くて大きな音がした。
その音を皮切りに、バチバチと電気がショートしているみたいな音が続く。バチバチと火花が飛んでいるみたいな音。
尋常じゃないだろうその音に視線を移せば、腹を押さえながら座り込み、苦痛に顔を歪める及川自身から絶え間なく電撃が放出されていた。
恐怖・痛み・不安……様々な感情から異能力の制御が危うくなってしまっているのだろう。及川は漏れ出る電撃を止めようともせず、荒い呼吸に肩を上下させていた。
■4/別の朝日
繁華街は朝日に照らされている。
現場となっているビルの中では主に無27班が暴れまわり、そのサポートを無18班が行っていた。
先行していた桐野と燃々焼のため、大鷹を中心に制圧のようなこの大捕物が始まった。
元々こういった押収系の現場に慣れている鳳条や業務に忠実で薬物関係にも詳しい不寝喰は率先してサポートとして働いている。
そんな中、鈴丸は刺すように眩しい朝日に目を細めつつ、大捕物の結末を眺めていた。
ビルから連れ出され、警察車両に次々と乗せられていく人々。……罪を犯した人々。
言われた仕事はきちんとこなした。現場の状況も終わりに近づいている。鈴丸は無表情でその"終わり"の様を見つめていた。人々の"終わり"に向かう姿。
「……お前」
嫌悪を含んだ声が耳に入る。視線だけそちらへ向けると、元同じ班の同僚がいた。
鈴丸はその顔を見て興味なさげに視線を外す。その様子が男の癇に障った。
「いいご身分だな! どうせお前、異動先でも…」
男が悪意ある言葉を投げかけながら鈴丸へ腕を伸ばすが、それは遮られる。
「うちの人に何かご用ですかイ?」
不寝喰が男の手首を掴み、ゆったりと見つめる。ふんわりした雰囲気に反して掴んでいる手の力は強かった。

男は不快を露わにしながら不寝喰を睨みつけるが、不寝喰は一歩も引く気はない。ただ男を見つめている。
「チッ……」
堂々とした舌打ちと共に腕を振り払われた。「そんなのを庇ったこと、後悔しろ」なんて捨て台詞を残して男は足早に立ち去る。
その背中に不寝喰は「ありゃ~、怖いこと言ってるよ」と苦笑いした。そして鈴丸はそんな不寝喰を苦々しく見つめていた。
不寝喰は鈴丸を見やる。いつもと違う苦々しい顔がちょっと意外で、何を考えているのかはわからないけど、その顔がひどく人間味溢れていて、不寝喰は笑ってしまった。
「……不寝喰チャンが何で笑ってるのかわかんないでしょ?」
「……………。」
「不寝喰チャンもキミがどうしてそんな顔してるかわかんないから、おあいこなのです。にひひ」
不寝喰は鈴丸の胸ポケットに棒付きキャンディをねじ込んで、背中をポンポンと軽く叩いた。
「皆にはアタシが言っとくから、今日は早く帰っていいですよ。って言っても、もう朝なんだけどネ」
ちょっとは休んでくださいな、って不寝喰は笑って鈴丸の背中を押し、ひらひらと手を振った。
◆
騒がしい会話のさなか、ふと燃々焼は立ち止まる。
何故か急に一人の後輩の姿を思い出した。いつも鍛錬についてくる物好き。
別段何かが気になったわけでもないのだが、ただ急に共に修練場にいた姿が浮かんだのだった。
隣で瞑想していた姿。最近はだいぶマシになったが、最初の頃はよく集中を切らせていた。
朝焼けの空を見上げる燃々焼。空は雲も少なく、今日も晴れるだろうことがわかる。
「……切らすなよ」

ポツリと一言もらして、先行く桐野と大鷹の方へと再び歩を進める。
ただの気まぐれだ。燃々焼はフッと息を吐くようにほんの少しだけ口角を上げて目を閉じた。
燃々焼が遅れていることに気が付いた大鷹は「また勝手に離れて…大体チームプレイが基本の…」と小言を次々に口からこぼしていく。
「あーあ、大鷹止まんないよ?」と桐野が燃々焼を見れば、「うっさいのぅ。きさんが何とかしい、黙らすくらいできんのか」と我関せずといった態度の燃々焼。
「お前ら、聞いてるのか?!」
「あ、ごめん。聞いてなかった」
「聞くわけなかやろ。ちっとは静かにしい」
口喧嘩の時間は続いていく。
◆
薄暗い病院の中、馴染みの看護師に見なかったことにしてもらって面会時間外の病室の方へと足を進める。
朝も早くまだ静かだ。人々の気配はするが、建物は静寂に包まれている。カツン──カツン──ブーツの足音だけが響いていた。
病室のドアを開けると、強い花の香りがする。まるで覆い隠すようにいつもその香りは強い。
モニターの明かり、規則正しい電子音、大量の管が繋がっている様子、動くことのないベッドの上の人。何も変わらない。
「…………。」
彼──鈴丸 誓はベッドの上の人を見下ろす。無言でただ見下ろしている。
不寝喰にねじ込まれた棒付きキャンディをサイドテーブルの上に置こうとして…………やめた。
いつも見舞い品だと……それを受け取る側だったはずなのだと、そう思って様々置いていくばかりなのに、どうしてか今日はいつも通りそうできなかった。
お前がその場にいれば渡されていたであろうと思う。自分じゃなくてお前が、お前の方が、相応しいのだと……いつもそう思う。
でもそれと同時に、どうしてお前ばかりと未だに思う。どうして俺じゃなくてお前ばかりが選ばれるのか。
「……俺は…」
胸が苦しかった。この苦しみが何なのかはわからない。
ずっとそうだ、わからない。お前が居ても居なくても、ずっと苦しい。

「お前ならわかるんだろうな……祈 」
応えることもない弟 を見下ろしながら、鈴丸は唇を噛み締めた。
規則正しい電子音だけが変わらず響いている。
■5/木端 香
その日は雨だった。
土砂降りに雷、ひどい天気だった。
それでも、いつもと変わらない1日だと思っていた。
──18年前、その嵐の日にこの場所で土砂崩れが発生した。
私が異能力を使いこなせず、異能力に対して無知であり過ぎたせいだ。
地属性の『植物や鉱石、地質に由来するものと感覚を共有する』異能力。
小さな地震に震えてくしゃみをしたり、草花を揺らしたり…地味で小さな力だと思っていた。
でもその日、私の世界の全ては一変した。
大きな雷が落ちたと思った途端、唐突に大きなエネルギーが身体を巡った。頭も身体も強すぎる力に耐えきれず、それをどうにか止めようとパニックになった。
体の中に知らない力が無理やり入ってくる。溢れて爆発しちゃいそうなほど。怖くて怖くて仕方なかった。
入ってこないで! 知らない! 私を蹂躙しないで!
恐怖でぐちゃぐちゃになりながら、己の内で暴れるエネルギーを無理やり押さえつける。
とまれとまれとまれ、止まって、とまって!!!とまって!!!!!!!!
必死だった。何が何だかわからなくなるほどに。
そう、私は私が何をやったのか……わからない。
気が付けば、町は土砂に飲み込まれていた。
私の周りも土砂やそれに乗って流れてきただろう倒壊した家屋の一部がめちゃくちゃに散らばってて……
濃い土のニオイ。鼓膜を割かんとする雷鳴。灰色の視界。
声、声、声……──悲鳴。
雨が降る。土砂降りだ。凍えるほどに冷たい。
目の前のこれは、私のせい? 私が異能力を制御できなかったばかりに? 私が、めちゃくちゃにしたの?
周囲の惨状に、取り返しのつかない現状に、恐怖と不安と焦りが胸の中でごちゃ混ぜになる。
雨が降る。土砂降りだ。凍えるほどに冷たい。
何もできず座り込んだままの私。右足が痛むけど、その痛みも段々遠のいていく。
責めるみたいに雷がいくつも落ちて、まるでそれは私の罪の証みたいで、檻のように見えた。
その後、誰も彼もが落ち着く間もなく一つの噂が持ち上がる。
最初はただの小さな噂、でも段々大きくなっていく。小さな町はそれが事実なのではないかと思い始める。
異能力者・木端 香がこの件の原因ではないのだろうかと。
しかし、この事象の全貌は明かされることはなかった。
地盤の緩み、不幸な事故、自然災害と処理される。
それでも焼き付いて離れない。痛ましい光景、土砂降りの雨、無力な己の手、悲痛に歪む人々の顔、責める声を上げる人々の目。
全部、全部私のせいなのに、私はこの町から逃げ出した。逃げたところでこの罪がなくなるわけでもないのに。
そう、"逃げられるわけもないのだから。"
■6/集え
「野焼くん、異能力者だったんですね」
同期なのに初めて知りましたよ、と丹所は笑う。
しかし一方の野焼は、ぜーはーと息を乱しており、いつもの青白い顔が更に白くなっている。
「…大丈夫ですか?」
「……っス。はぁ……能力使うとこうだから、だからあんま…使えないんスよ。それに何か……調子悪いみたいっスし」
「お大事にと言いたいところなんですが、揺れますので吐かないように頑張ってください」
「それは……厳しいっスね」
と言ったところで車が大きく揺れて、野焼は重力に逆らえず後部座席で抵抗する間もなく、シートに倒れる。
「そろそろ着くんですけど、応援の方どうなってます?」
「うぷ……自分が先行って形でお願いされただけなんで、他もすぐ到着すると思うっスよ。医療班の方も一緒に連れてきましたし」
「便利ですね、瞬間移動系?って言うんですかね?」
「使用制限…限界はあるっスけど。状況的にも緊急性高いってことで。だって今やりあってんの、Sランクでしょうに」
◆
丹所の運転する車が現着すると、そこは地獄絵図だった。
雷と雷のぶつかり合い。ぶつかり合って散り散りになった電撃が空気を高速で走り抜ける。
当たればひとたまりもないだろうことは想像に易い。
無能力者 が関われる戦闘の域を超えていることくらいはわかった。
「…これやばいっスね」
「どのくらいですか?」
「白鳥先輩が満面の笑みで挨拶するくらい」
「…なるほど?」
丹所は現場の状況を車内から見回す。天野、及川の立ち位置……荒船の居場所、それから木端……。
「野焼くん、無線で現状の連絡入れといてください。俺はちょっと出てきます」
「え?! この中 出てくのはさすがに自殺行為っスよ!」
「ん~、でも」
車両のドアに手をかけて、丹所はいつも通りに笑う。
「仲間が大変な時には行かなきゃですよ」
丹所はひょいっと外に出ると一目散に走り出す。その後姿を見ながら、野焼は小さくため息をついた。
「……とんでもない課っスね」
◆
雨が降っている。バチバチと電気の走る音と落雷が地面を抉っている微かな振動。だいぶハードな現場だ。
それでも、彼──丹所 暖人は自分にできることならなんでもやろうと、突っ込んで行くのだ。
「木端さん!」
小さくなって震えている先輩。ぱっと見の外傷はないようなので、ひとまず息をついた。
「木端さん、大丈夫ですか? わかります? 丹所です」
震える肩に手を触れると、ビクリと木端が顔を上げる。
「丹所くん……、私は……」
瞳が揺れていた。不安と恐怖に染まった顔。
丹所はしゃがみこんで、木端と視線を合わせる。まっすぐに見つめた。
肩をポンポンと優しく撫でながら、丹所は目を細める。何も言わずにただそうやっていた。
その目を見ていると、先程まで頭の中で浮かんでいた真っ黒な目が、責めてくる目が、薄れていった。それらの恐ろしい目と対極みたいな柔く温かな瞳。
「……木端さんっ!」
続いて走り込んできたのは美杜だった。応援も到着したのだろう。
美杜も心配そうに木端の傍で膝を折る。多少顔色が悪く、まだ本調子でないことは見て取れた。
「…大丈夫。必ず、守るから」
真っ直ぐに美しい宝石のような瞳が見つめてくる。キラキラと煌く、灰色の視界でもはっきりと色づいた深紅の瞳。
「貴方が私を守りたいと言ってくれた言葉を私も返す。…私も貴方を守るから」
後輩たちの瞳に、憧れのあの人を思い起こされた。
泣きじゃくるあの日の木端を優しく抱きしめながら「君が生きていて良かった」と言葉を尽くしてくれた警察官。
人々が責め立てる中、ただただ自分がそこにいることを認めてくれて、優しさを与えてくれた人。
──私は……私は何のために……警察官となったのか……。
後輩たちは木端の前に揃い立つ。目の前では未だ雷獣の戦の如き戦場が広がっている。
流れ弾のような電撃を美杜が血で払うと、蒸発するみたいにじゅわっと消えていった。

「私は…彼女、及川さんの方に行く」
「じゃあ俺は荒船先輩回収して、応援に合流ってことで」
「別に、私1人でどちらも回収できる」
「まぁ、そう言わずに。チームじゃないですか」
「……今回は任せるけど、勘違いしないで、信用してるわけじゃないから」
「信用してもらえるように頑張りま~す」
「怪我したら承知しない」
「それは互いに言えることですね。ダメですよ、無茶したら」
「必要があればやるだけ。貴方に何か言われる筋合いはない」
「はぁい、わかりました。何かあれば勝手にお手伝いしまーす」
丹所は勝手に歩き出す。美杜は「ちょっと!」と少し語気を強めてその後を追った。
◆
木端は己の手を見つめる。
無力で何もできないが、何かを守りたいと、そう強く思っていた。
でも、結局どこまでも消えない罪に足を取られ、守るどころか守られるような有様だ。
目の前では後輩が、同僚が、仲間たちが戦っている。
それなのに自分はどうなのだ。翻弄され、持てる力を使わず、怠り、惰り、無様に蹲って嘆いているばかり。
逃げられるはずもないと、ずっとわかっていたはずだ。
どこでだってやるだけだと、ずっと思っていたはずだ。
また同じになるわけにはいかない。
これは私の罪滅ぼしで、人を守りたくて、誰かの幸せを守りたくて、後輩の尊敬や信頼に応えたくて……。
罪とともに壊れた右足を引きずりながら、木端は立ち上がる。
「頑張る後輩をカバーするのが私たち先輩だ……私の仕事……」
雨に濡れた服が、髪が、身体が重たい。
一歩、また一歩進めば、ぬかるんだ地面にヒールがめり込む。
全てが自分を引き留めようとする枷のようにも感じた。
■7/相対
足を負傷し、動けなくなったとはいえ天野は未だ驚異的だった。
怪我の具合から消耗戦と言っても過言ではないかと思うが、彼女にはこの場にいる全員を皆殺しにして逃亡できるほどのポテンシャルすら感じる。どこまでもとんでもない存在だ。
「異能力を制御できないような間抜けと、消耗の激しい使い捨てだけで私の相手ができるとでも思っているのかしら?」
嘲り笑う天野の笑い声だけが及川の耳にぼんやり入ってきた。
不安で胸が押しつぶされているみたいに苦しい。怖い。踏まれたところがひどく痛む。怖い。どんどん力が溢れてくる。怖い。誰かを傷つけてしまうかも。怖い。誰かが傷ついてしまうかも。怖い。自分が、殺されてしまうかも。怖い。怖い。怖い。怖い。
恐怖が侵食する。何も考えられなくなっていく。怖くて怖くて仕方がない。
感じたことのない痛みや脅威や本物の殺意。全てが恐怖の増長でしかなかった。
「っ、落ち着いて……!」
天野を相手取りながら、美杜は必死に及川へと呼びかける。
しかし彼女自身の異能力で近づくことはままならない。悔しさに唇を噛み締めつつ丹所の方を確認すれば、荒船を回収して応援の救護班と合流できている様子を視界の端に捉える。
美杜は内心安堵した。
だが、そんな余裕もない。雷光にハッとして血液を固めて壁を作るものの、落下から急カーブで迫ってくる稲妻は壁ごと美杜を吹っ飛ばす。
「────っ、ぐ!」
地面に倒れて転がる美杜の姿を見て、天野が鼻で笑う。
「よそ見なんて随分余裕なのね」
「…………」
「やだ怖い、そんなに睨まなくてもいいじゃない。美人を見たら笑顔を向けるものよ」
美杜は口の中に入った泥を軽く吐き出し、改めて天野を睨みつけた。
そんなやり取りの横から荷電粒子砲ばりの直線の電撃が天野めがけて放たれる。
「どいつもこいつも話の途中に」と天野が眉を寄せて、稲妻をそれにぶつけると数秒の拮抗後、小規模な爆発が起こり、爆風が周囲へと衝撃を伝えた。
「おい愚図ッ!! てめぇはそんなに早死にしてぇのか!!」
ビリビリした殺気が美杜にまで伝わってくる。歯が震えるのを奥歯を噛み締めて抑えた。
「だ、れも、殺さない、でっ!!」
及川が2撃目を無茶苦茶な威力で撃ち出す。天野がまた舌打ちして、動かない足を引きずって立ち上がりながら、大きな稲妻を自身の前に落とし、そのとんでもビーム砲を防いた。再度爆風が周囲を揺らす。
「全員殺すわよ」
「…、……っ、ぁあ…ぅ」
天野はあっさりそう言い切った。当然であるかのように。
それが及川には理解ができない。全然全くわからない。自分は何と対峙しているのだ。
「及川さん、落ち着きなさい…っ!」
泥だらけの美杜が立ち上がる。
数の有利は変わらないし、相手の体力にも限界はある。それでもなお天野を脅威に感じるのは、彼女自身の揺るぎない化け物みたいな自己肯定によるものなのだろう。彼女は自分が正しいと一切の迷いもなく信じている。
状況を冷静に見ており何とかできるだろうと思っている美杜ですら、天野のその恐ろしいまでの自信に不安を感じざるを得ない。
「あら」
天野が視線を移す。思わずつられて目を動かせば、そこには木端が立っていた。苦しげに、何かに耐えているかのように、彼女は立っていた。
「香ちゃん、遊んでくれる気になったのかしら?」
「……遊びでは、ない」
「そう……でも、それにしてはあなた、また至極つまらない顔になってるわね」
口元に手をあてながら、天野が笑う。
「また町ごと飲み込めば、いい顔に戻ってくれるかしら?」
「っ!!」
「異能力って素敵よね。私、あなたの力と私の力の巡り合わせって、運命だと思うの。だって、私は私の力を使ってあなたにたくさん伝えることができるんだもの」
「……君」
木端のすぐ横に雷が落ちた。地面を通じてビリビリとその力が伝わってくる。
「もう一度、あの日をやれば、あなたは私に素敵な顔を見せてくれる?」
「あれは、君がきっかけで…?」
「あの日は、たくさん、伝わったかしら?」
嬉しそうに、花のように可憐に、天野が笑む。まるで愛の告白のようにも見えるが、伝わってくる本質は『憎悪』そのものだった。
「全部飲み込んで、全員殺してあげる」
空が鳴動する。空気が揺れる。
その場の全員が天野を止めなければと動くが、それよりも早く天野の稲妻がおびただしい数降ってきた。
まだこんな余力があるのかと絶望するほどの圧倒的能力。
それでも木端は植物を伸ばし、天野の捕縛を試みる。緑の蔦は次々と落雷の餌食となっていくが、その中で木端は天野めがけて走り込んでいく。いくら消し去られようと、どんどん緑を伸ばして、木端は進む。
わざと当てていないのかというくらい落雷は木端のギリギリを掠めていて、木端は歯を食いしばる。遊ばれているのだ。
そのうち木端のすぐ背後に雷が落ちる。その雷は鋸刃のような鋭利さで木端の髪を切り落とし、右足の下腿部 を切り落とした。

瞬間、急に軽くなる。重くなっていた髪と少々不自由になっていた右足が切り離され、一瞬浮いたのかと思うほどに軽くなった。
勢いのまま踏み出した右足だが、着地部分がないためバランスを崩して、木端は地面へ滑り込む。
それでもなお、天野へ緑を伸ばした。蔦が天野の足元を絡めるその瞬間、
「もう遅い」
彼女はまた笑った。
■8/限界突破
いくつもの雷鳴が重なって耳をつんざく。大量の雷が同じ場所へと落ちて地面を揺らしたかと思うと、更に地鳴りが襲ってきた。
倒れ込んだ木端の身体には大量のエネルギーが渦を巻き始め、完全にあの日とシンクロする。
あの日わからなかった真実を今、己が身で再度思い知った。
──山が鳴動する。
地鳴りが段々と大きくなり、山々から多量の土砂が滑り落ちてきた。それは絶望的な光景。
誰かが大きく「退避──!!!」と声を上げるが、もう間に合わない。
間に合わない……ではない。間に合わせるのだ。
あの日を繰り返してはいけない。もう二度と、失わせない、守るのだ…!
木端は己の内に巡るエネルギーに集中する。
膨大なそれを制御すべく、全神経を注いで流動的で形ないものの形を形成する。
痛みも恐怖も不安も吹っ飛ばす。
"守りたい"
その想いだけが木端を動かした。

襲いかかってくる土砂が自然法則を無視した動きで木端の方へと集まり始める。
それらは集まり形を成し、どんどんと膨れ上がっていく。
流れ落ちる全ての土砂が木端の元へと集まり終わる頃には、その土砂の塊は1つの大きな人形 を成していた。
全高20メートルは超えているだろう巨体はぼんやりと佇んでいる。
木端自身もまさかこんなものが出来上がるとは思っておらず面食らってしまった。
「あ……あぁ……やっぱり……」
天野はそれを恍惚の表情で見上げる。
「やっぱりあなたも特別なのね、香ちゃん!」
興奮した様子で息を荒げながら天野が歓喜と狂気の声を上げる。
「ますます徹底的に、奪って踏みにじって、この世全ての絶望を持って死んでもらわなきゃ!」
爆発音かと思う雷鳴を轟かせ、特大の雷をそのゴーレムの頂点から浴びせさせた。
巨体に電気が巡り、どろりと一部が崩れ始める。
木端は天野の悪意を見据えつつ、血の気の失せている体を無理やり動かして、ゴーレムにまずは美杜を掬い上げさせ、救護班たちの元へと運んでやる。
「君がどうして私なんかに固執するのかは、理解できないのだが……君が人を脅かそうというのなら、私は君には絶対に負けはしない、絶対に屈したりなんかしない!!」
「あははっ、最低なお返事ね。どこまでも愚かで、反吐が出る。愛しくって嫌になっちゃうわ」
落雷を大きな腕で薙ぎ払うように受けると、泥の塊がぼたぼたと溶けるように落ちていく。
「及川くん!!」
木端の声に及川が顔を上げる。未だその体からはバチバチと制御できない電撃が溢れていた。
「すまないが、手伝ってくれ。私もそろそろ限界だ」
「わ、わた、し……」
「君ならできるさ!」
木端が歯を見せて笑う。その顔は血の気が引ききっており、紙みたいに真っ白かった。
ぎりっと奥歯を噛みしめる。結局こんなに迷惑をかけているのに、それでもまだなお信じてくれる人がいる。
この人はいつだって見守って応援してくれる。そして、信じて背中を押してくれる。
私は、この信頼に今度こそ応えたい──!
今ある最大限、全力を。
再び及川の手に蛍光緑の光の電撃が、凄まじい質量を持って集まっていく。
今この状況で立っていることすら常軌を逸しているだろう天野はそれを睨みつけた。
「またお前は私と香ちゃんの邪魔をするのね……」と静かに呟き、彼女も空気を震わせる。
バチバチと互いの周囲に火花みたいな電気が散り、空気が渦巻く。
「雑魚が!! お前の身の程を知らしめて、今度こそふっ飛ばしてぶち殺してやる!!」
「今度こそ、応え…たい! 自分ができると、示し、ます……!!」
互いから激しい光の帯が高速で走り、ぶつかり合う。
2人の中間で競り合う電気の膨大なエネルギーに爆風が吹き荒れる。轟々と吹き荒ぶ竜巻みたいな風にすべての音はかき消される。
互いの叫びも、電撃の揺らぎも、音が遠のいていった。
全力を、己が持てる全ての力を放出する。苦しさに歪む顔で相手を見据え、力を込めた。
指先から焼けるように熱が上ってくる。全力がこんなに苦しいものだと初めて知った。
負けられない! みんなを、仲間を、私を信じてくれた人を、助けたい!!
「───────────っ!!!!」
しっかりと目を開く。叫びは全てかき消えていくが、放たれる電撃の密度が更に増す。
拮抗していたぶつかり合いを飲み込んで、及川の電撃が真っ直ぐ飛んでいく。
天野はありえないものを見るかのように喚き散らすが、その声もかき消えた。
そして及川の電撃が彼女を周辺もろとも吹き飛ばし、衝撃に地面が激しく揺れる。
終幕は人間離れした派手さに引かれた。
■9/大丈夫
木端の落とされた足は処置が早かったため元通りとなった。異能力の便利さを痛感する。
しかしながら、過去に負った傷の完治はできないため、相変わらず右足の壊死した部分はそのままだ。
応援の医療班が早くに到着していなかったらと思うとゾッとする。
結構無茶してくれたらしい野焼にGRIMOIREメンバーは頭を下げるのだった。
荒船と美杜の治療の間、丹所は1人で先程まで戦場と化していたそこへと歩み寄る。
そこには未だ及川が立ち尽くしていた。
「及川さん」
声をかけると及川がビクリと肩を震わせる。
彼女の体は電気を帯び、バチバチとスパークし続けていた。
「及川さんも治療しないとですよ。立てますか?」
近づいてくる丹所に及川は悲鳴を上げる。
「と、まって、ください! 近づかないで!ください!」
首を傾げる丹所。一応言われた通り止まって見せる。
「自分、今…制御できなくて、だから、傷つけちゃいます! 近づいちゃ、ダメ、です!」
「んー……」
丹所はじっと及川を見つめる。
そして至って普通に笑う。
「大丈夫大丈夫」
「な、え、な?! 何も! 大丈夫じゃ、ない、です!!」
わたわたと慌てふためく及川に歩み寄ると、ポンと頭に手を置いた。
「ほら、大丈夫だった」
感電させるかと思ったが、いつの間にか体から放出されている電気が消えていた。
そのまま丹所は及川の頭を抱き寄せる。
「大丈夫大丈夫」
優しい声音で、ゆっくりと頭を撫でた。

その声に及川の張り詰めていた何かがプツンと切れて、途端涙腺が緩んで涙が溢れてくる。
泣きじゃくる及川が落ち着くまで丹所は寄り添っていた。
◆
「あらー、随分派手にやったのね」
「薬師寺さん!?」
医療班の手伝いに慌ただしくしていた柚葉が驚いて声を上げる。
「状況報告は追々ってことで…被疑者は?」
「あっちです。でも危ないですよ……」
「まぁまぁ、お姉さんにお任せ」
そういうと薬師寺はすたすたと歩き、異能力制限付きの手錠をの掛かった天野の前にしゃがみ込む。
「手足どっちも手錠されるなんてレアなお姉さんね。うちの鬼畜なメンバーがごめんなさい」
「黙れ凡愚」
拘束されているにも関わらず、天野は手錠の掛かった足で蹴りを繰り出す…が、薬師寺はそれをすんなり避けて、サインペンほどの大きさの筒を彼女の首筋に押し付けた。
同時に天野の意識が飛んで倒れ込む。
「やんちゃなお嬢さんね。折角の綺麗なお顔も台無しだわ」
何事もなかったかのように、薬師寺が天野を担ぎ上げる。
「や、薬師寺さん、何したんですか…?」
恐る恐る柚葉が尋ねると、薬師寺は先程押し当てた筒を指でくるくる回しながら「対異能力者用の…麻酔みたいなもの。針が特殊で刺された感覚もないって優れものなの。ちなみに開発者は私」とにっこり笑う。
「すごいです! あ、じゃなくて…被疑者、どうするんですか?」
「あ、こっち? 先に回収してきてほしいって上からの指示でね。手柄の横取りとかじゃないので、安心していいよ?」
「いえいえ、そういう心配はないんですが、薬師寺さんだけで…ですか?」
「いや、ちゃんと護送用のメンバーと車両で来てるから」
薬師寺が指す方には警察省の名前の入った黒いバンがとまっていた。
「そうだったんですね、お気をつけて」
「うん、ありがとう。他のメンツにもよろしく言っといて。あと、みんなお大事にって」
そう言って、薬師寺は被疑者を担いだまま、黒いバンへと乗り込んでいく。
柚葉はその様子を見送った。
■10/エピローグ
ある程度の治療を終えて、動けるようになったメンバーたち。
身体の治療は済んだものの、疲労感はとんでもない。
いつの間にか雨は止んでいて、朝日がだいぶ上までのぼっている。
長かった恐ろしい事件の幕を1つ引けたのかもしれない。
「及川くん」
「……木端さん」
「……………。」
木端がじっと及川を見つめる。
あわわ…と及川は恐縮するように体を縮める。
「そんな可愛い顔をしていたんだな」
「か、かわっ?!」
そんなことないです!!と全力でブンブンと手を横に振り、及川が思い切り否定する。
その様子が微笑ましくて、木端はまた笑ってしまった。
ひとしきり笑った後、木端は優しげな瞳を及川に向ける。
「……助けてくれて、ありがとう」
その言葉に、及川はまた泣きそうになるが、ぐっと堪えて口を開く。
「信じてくださって、ありがとうございました」
そして及川は深々と頭を下げる。
「こちらこそだよ」
木端は少し躊躇うようにその頭を撫でた。触られることをとても苦手としている彼女が嫌がるかもしれないと心配したのだ。
及川は少し驚いた様子だったが、黙ってそれを受け入れた。小さく「大丈夫…」と呟きながら。
「お互い、もっと励まなくてはな」
「は、はい…! あの、今後も、どうかご指導いただければ……と」
「あぁ、一緒に頑張っていこう。一緒に、自信を持っていこう」
限界の先には、今までにない景色が広がっている。
だって、まだ見たことのないものしかないのだから。
どこでだって、やれるだけのことを、やるだけだ。
今日の空は、台風一過のような青空だった。

⚖第4話 限界のビヨンド 了