「君の傍にいたいから」、「Judgement」の二つのシナリオを経た後の龍巳クリフのお話です。
もにゃさんから久方菜乃花ちゃんを、朔芽さんから一条蛍司くんをお借りしています。
@nariheiheTRPG
夕日が、河川敷の坂から見えるビル群に沈んでいく。
今まで何とも思わない景色だったけど、自分の命も、いつかああやってゆっくり沈んでいくんだろうか。それとも、最後に大暴れして爆発してしまうんだろうか。
坂に座って夕陽を眺めながら、赤い髪をした男の子は胸の中でそんなことを考える。
「ジャーム……っていうの、初めて見たね」
男の子の隣に一緒に座るダークブラウンの髪をした女の子が、呟くように男の子へ話しかける。
「そうだなぁ」
「私たちも、いつかああなっちゃうのかな」
「……」
なりたくないな、と男の子は胸の中で思う。
今、世の中の色々な人を助けるための訓練をUGNで頑張っている。
頑張って頑張って、頑張った先がああなってしまう未来なのだとしたら、不安になる。どんな気持ちでいたらいいのか分からなくなる。
「なんで必死に訓練してるんだろう、俺たち」
「怖い?」
夕日に向けていた顔を横に向けて、女の子の顔を見る。多分、自分は不安そうな顔をしてると思う。目の前の女の子も真っすぐこっちを見つめているものの、その目はいつも通り穏やかな力強さはあんまり感じられない。自分と同じように不安なんだろうと思った。
「だって、いつかあんな化け物になるんだろ? じゃあ、今なんでこうして生きてるんだろ」
今、何のためにここでこうしているんだろう。未来があんな風に決まってるなら、今やってることは何になるんだろう。
「多分、それは自分が決める事なんだと思うな」
「え?」
「私たちじゃなくても、オーヴァードじゃない普通の人たちでも、みんな自分で決めるんじゃないかな?」
身体を揺らしながらそんなことを呟くのを眺める。
どんな人も、自分で自分の生き方を決める。なら、自分が今悩んでいることは、そんなに特別な事じゃないんだろうか。
「先生が、勉強は生きていく選択肢を広げるためにするんだって言ってたよ」
「いきなり何の話だよ?」
「だから、私たちがやってる訓練も、どう生きていくのか決められるようにするためにしてるんじゃないかなってこと!」
そう言うと、女の子は勢いよく立ち上がって数歩坂を下った。振り返って男の子を見ると、丁度目線の高さが同じになった。
「そういうの、"在り方"って言うんだって」
「"在り方"……」
座ったまま男の子は呟く。必ずいつか終わりがあったとしても、どう生きてきたかの"在り方"は残る……。
それが見つかったら、こんなに迷わないんだろうか。未来を不安に思わないんだろうか。
「奈落花はもうそれ、見つけたのか?」
「うーん……まだ」
女の子は眉尻を下げて笑う。
「でも、守りたいものは、あるよ」
「守りたいもの?」
「うん、私、笑った顔が好きなんだ」
そういうと、女の子は自分の口の端に指を当てて持ち上げた。
「だからね、たくさんの人の笑顔を守りたい。もちろんクリフのも、私のも」
「ちゃんと見つけられたら、奈落花は怖くなくなるのか?」
「分かんないよ。そんなの」
そういうと女の子は、うーんと唸りながら少し首をひねった。
「じゃあ、ちゃんと不安にならないように、約束させてくれる?」
「約束?」
「うん、クリフと約束すれば怖くなくなると思う。だから小指、出して?」
坂道の下側で女の子は立ったまま、小指を差し出してきた。男の子も言われるままに、坂道の上側で座ったままそれに自分の指を絡める。
「私は最後まで、クリフに恥ずかしくないような自分の"在り方"を探して、証明していきます」
「なんだよ、その約束」
呆気にとられた男の子が伏し目がちになる。女の子は指を離さないまま、穏やかな笑顔を向けてくる。
穏やかだけど、その目にはさっきまでの不安さはない。日の差さない日常の裏側でもしっかりと根を張っているように、力強い。
「なんだろね。でも、もう怖くないよ。クリフに恥ずかしくないようにって、クリフと約束したから」
「もう怖くないのか? 不安じゃないのか?」
「うん!」
「じゃあ……」
男の子が顔を上げて、女の子の顔をまっすぐ見つめる。
「俺も約束する。奈落花に恥ずかしくないような"在り方"を証明してく」
必ずいつか訪れる終わりの時まで、自分が歩いてきた軌跡を目の前の女の子に誇れるように。
女の子はちょっと驚いたような顔をした後、手を後ろに回してはにかんだ。
「えへへ、ありがと。約束しちゃったね」
「守れよ、約束」
「そっちこそ」
女の子は照れたように笑うと「じゃあね!」と言ってから走って坂を下って行った。
それを坂の上で座って見送る男の子は胸に手を当てる。そこには、確かに迷いや不安はほとんどなくなっていた。
――――――――――――――――――
「菜乃花、明日か明後日の土日、どっちか予定空いてるか?」
週末のとあるUGN支部、訓練終わりの帰り際にて、赤髪を短髪にまとめた青年、龍巳クリフが隣を歩く少女に声をかけた。
声をかけられた少女、久方菜乃花はいきなりの事に目をパチパチとしばたたかせながらも素直に口を開く。
「えっ? どっちも空いてるよ?」
一体どうしたのだろうという考えを表すかのように、菜乃花はクリフの顔を見上げつつ首を傾げて先を促した。
「そうか、じゃあ明日ちょっと出かけないか?」
「良いけど……なにか任務でも受けたの?」
疑問がまた疑問を呼び、菜乃花は今度は反対側に首を傾ける。
菜乃花がクリフを引っ張り回す事はたびたびあっても、クリフから菜乃花を呼び出す時は決まって任務や事務的な用事を引き受けた場合だけだった。
今回もそういう類の話だろうと考え、菜乃花は用件を聞き出そうとする。
「いや……今回はそういうのじゃない。ただのプライベート」
「えっ? えっ? 何か用事?」
自分がいなければならないクリフのプライベートとは何だろう。嬉しくはあるものの、内容がとても気になる。
それに対してクリフは曖昧な表情をしながら天を仰いだ。
「あー、特にどこ行くかとかは具体的に決めてない。適当に街中ブラつくだけのつもりだけど、どっか行きたいとこあるか?」
「……」
「菜乃花?」
「本当にただのお出かけってこと!?」
「だからそう言ってるだろ……」
少しの間硬直していた菜乃花が弾かれたように大声を出す。
それに対してクリフはいつものようにジトリと少し咎めるような眼を向けた。
とはいえ、これも二人のいつものやり取りであり、そこに気まずさなどはない。
「だってクリフくんがそんな誘ってくれることなんて全然なかったから!」
「嫌なら別に来なくても――」
「行く行く! 行くよ! 絶対行く!」
クリフの声を遮って、ブンブンと腕を上下に振りながら菜乃花が割り込む。
菜乃花がハイテンションで絡みにいっても、拒絶はしないもののいつも乗り気にはならないクリフだ。
せっかく向こうから何か遊び事を持ちかけてくれたこの機会は絶対に逃したくはなかった。
菜乃花がいつもより三割増しに明るい笑顔をキラキラとさせているのを傍目に見つつ、クリフはいつも通りに話を続ける。
「そうか。じゃあ明日、12時に駅前でいいか? 昼飯も待ち合わせた後に食うぞ」
「うん! 分かった!」
元気よく頷いた菜乃花は、突然できた休日の楽しみに上機嫌に鼻歌を歌いながらクリフの隣を歩き出す。
どういう風の吹き回しかは分からないが、普段素っ気ない方のクリフからのいきなりのお誘いだ。
今まで向こうから誘って貰えるなどとは考えられなかった。嫌われているとは全く思っていなかったが、それでも誘ってもらえたことは素直に嬉しい。
そんなところに、新しい人物から声がかかった。
「あっ! せんぱーい! 今から帰り?」
歩く先から同年代の少年が大声で駆け寄ってくる。同じUGN支部の後輩である一条蛍司だった。
大型犬のような人懐っこい笑顔を浮かべて二人の前で立ち止まる。
それに対してクリフは軽く手を挙げて応えた。
「おう、蛍司か」
「あ、蛍司くん! 蛍司くんも帰り?」
「うん! って、なんかすごい機嫌良さそうだね」
周囲に花びらでも舞っているかのような菜乃花の満面の笑みに、蛍司は当然ながらの疑問を口にした。
「えへへー、クリフくんに明日お出かけしようって誘われたんだ」
「へぇー……えっ!? 明日遊びに行くの!? それなら俺も行きたい!」
キラキラとした顔が二つに増える。クリフの後輩はどちらも本当に無邪気だった。
菜乃花はそのままの笑顔でクリフを見上げる。クリフを外出に引っ張り出す時は大体蛍司と二人がかりだ。遊びに誘うならいつものように蛍司が連れ立っても問題はないだろう。
なので二つ返事でクリフは了承するだろうと予想してその言葉を待っていたのだが、当の本人は少し考え事をするかのように上を見上げた後、蛍司の頭に手を乗せた。
「あー、悪い。明日は菜乃花と二人で行かせてくれ」
予想外の回答に菜乃花だけでなく蛍司も固まってしまう。
そんな状態の二人を残して、クリフは『じゃあな』と言い残すと支部から出て行ってしまった。
誰も見えなくなった支部の出入り口を眺めながら、菜乃花は一体どういうつもりなのだろうと首を傾げた。
なんとなく、何か考えがあるのだろうということは分かるが、それを読み取れる程クリフの様子がいつもと違う訳ではない。
「遊びにいくなら蛍司くんもいた方が楽しいと思うのに……」
「……デートだ」
「えっ」
ボソリと呟いた蛍司の言葉に、菜乃花は虚を突かれたような声を上げた。
その瞬間まで全く頭になかった、しかし女の子としてどこかで憧れていたワードがいきなり出現してきて、混乱したような声を出す。
「で、ででっで、デート!?」
「そうだよ! 女の子誘って三人目の俺は拒否って二人でって!」
「ち、ちちち違うよ!?」
動揺のあまり手を左右に振り回して意味もなく否定してしまう。
「違うの!?」
「えっ!? わ、分かんない!」
「いやデートだよ! 俺も志希と二人で出かける事あるけどそれデートだもん!」
力説する蛍司に、うぐっ、と菜乃花は言葉に詰まる。考えてみれば確かにこのシチュエーションは菜乃花が考えるデートそのものだった。
そもそも自分はどうしてこんなに必死に否定しようとしているのか。
混乱する頭を必死に落ち着けようと、ワタワタと動かしていた両手の人差し指をこめかみに持っていく。
クリフがデートという目的で誘ってきたりするだろうかと菜乃花は考える。それも、いつも通り顔色一つ変えずにだ。
……やってきそうな気がするし、やらなそうな気もしてきた。
「わ、わ、私どうすればいいかな!?」
結局混乱が収まるような答えを得られず、縋るように菜乃花は蛍司に聞いてみる。
「どうもこうも、普通に遊んで楽しめばいいんじゃない?」
「それじゃいつも通りじゃない!?」
「いつも通りでもデートはそういうもんだよ! 志希とならどこ行っても楽しいから、それでいいの!」
「そ、そういうもの……?」
「そういうもん! デートは楽しめたもん勝ち!」
蛍司は『頑張って!』と親指を立てる。UGNとしては後輩でも、恋愛の圧倒的先輩がそこにはいた。
――――――――――――――――――
土曜日の昼前、菜乃花は緊張した様子で駅前に続く道を歩いていた。
昨日の今日であまりにもいきなりの事だったので、どういった格好で行けばいいのか最後まで分からず、結局いつもの私服で家を出てきた。
駅前広場まで着くと、そわそわと周りを見回す。彼はもう先に来ているだろうか。
少し首を動かしただけで、目的の人物は見つかった。大衆の中に紛れていても、あの鮮やかな赤い髪は目立つ。
時計台に背を預けて周囲を見るクリフは、上はジャケットを着て、下はスラックス。見慣れたいつもの服装だった。
そのことに少し安堵して、小走りに駆け寄る。クリフも菜乃花に気付くと時計台から背を離して向き合った。
クリフは手を挙げて軽く挨拶をしてくる。
「よっ」
「こ、こんにちは!」
「え? あぁ、こんにちは……?」
緊張気味の菜乃花の挨拶に、クリフは少し困惑したように返事をする。
「どうした?」
目の前のクリフがどこまでもいつも通りの自然体で聞いてきて、菜乃花は少し拍子抜けしてしまう。
本当に何の他意もなく、自分を遊びに誘っただけなのだろうか。
それはそれで嬉しい事だとは感じつつも、変に緊張していた自分が少し恥ずかしく思えてしまう。
「ううん! なんでもない、だいじょうぶだよ!」
慌てて菜乃花は取り繕う。クリフが自然体なお陰で、自分もいつも通りの振る舞いができそうだった。
「そうか、まぁいいか。とりあえず、昼飯食いに行こう」
「うんっ!」
いつもの調子で元気良く頷き、クリフと並んで歩く。
せっかくの休日だ。思いっきり楽しんでやろうと、菜乃花は密かに握りこぶしを作った。
『デートは楽しめたもん勝ち!』
(多分デートじゃないけど!!)
昨日言われた蛍司の言葉に頭を振って否定する菜乃花に、クリフはまた怪訝な目線を向けた。
――――――――――――――――――
「普通だ……!」
「ん?」
昼食のために入ったのは、駅前の何の変哲もないファミレスだった。気取ったところも何もない、普通にご飯を食べる場所。
菜乃花が触れた恋愛物のデートの中で出てきたようなお洒落なレストランとは似ても似つかない。
思わず漏れた菜乃花の独り言に、メニュー表に視線を落としていたクリフが顔を上げる。
「普通じゃないとこの方が良いのか? つってもそんなとこ俺は知らないけど……」
「い、いやいや普通で良いから! 普通が良いから!」
スマホを取り出して何やら調べようとし出したクリフへ両手を前に出して静止する。
どうやら、向こうも本当にデートだとは思っていないように感じる。一気に肩の力を抜くことができたような気がした。
菜乃花もメニュー表を手に取り開いた。お腹が減ってきているのもあって、慣れ親しんだ料理の数々がとても美味しそうに見える。
他愛ない話をしながら頼むものを決めて店員を呼ぶと、すぐにオーダーを取りに来てくれた。
「クリフくん、今日は街中ブラブラするって言ってたよね?」
「あぁ、そのつもりだけど」
「じゃあこのヘルシーランチセット小盛りください!」
「おい、それ大分量少なそうだけど良いのか?」
「だって、街で食べたい物見つけた時にお腹いっぱいだったらやだもん!」
普段の調子を取り戻した菜乃花が元気よく答える。これからの散策を全力で楽しもうという気概がクリフにも伝わってきて、少し口元が緩んだ。
「あぁ、そういうことか」
「だからクリフくんもほどほどにしておいてね」
「俺も買い食い前提なのか……。俺はハンバーグランチセットと、そうだな……カフェオレで」
「ほ、ほどほどにって言ったのに……!」
「これくらいじゃ大して腹は膨れねぇよ」
事も無げにそう言い放つクリフに対して、菜乃花は「男の子……!」と良く分からないリアクションを返していた。
――――――――――――――――――
「んー♪ 甘くて美味しいー」
「まじで即座に他の物食いだすとは……」
ファミレスで昼食を食べ終わった二人は、そのまま梯子をする勢いですぐ近くにあるクレープ屋へ足を運んでいた。
店の前にある屋外の席に向かい合うように座って、菜乃花は満足そうに手に持ったクレープを頬張っている。
ちなみにクリフも買わされた。菜乃花がいちごクリームとチョコアーモンドで迷った末、片方クリフに買わせて分けてもらう手段に出ていた。
当初の緊張などどこ吹く風で、すでにクリフは菜乃花に振り回され気味である。
「クリフくんもこっち食べる? 私が貰ってばかりだと悪いし」
「いや、こんな甘いもん一個分もいらない……。半分ありゃ十分だから、むしろ俺のをもっと食っていいぞ」
「ほんと!? やったぁありがとう!」
そう言うや否や、菜乃花は身を乗り出してまだクリフが口を付けていないクレープにかぶり付いた。
「こっちも美味しいなー!」
「……」
幸せそうにキラキラとした笑顔を浮かべる菜乃花を、クリフは無言でじっと見つめる。
まるでこちらの反応をじっくりと観察するようなその眼差しに、菜乃花はどぎまぎとしてしまう。
「ど、どうかした?」
「ん?」
「そのー、あんまり食べてるところずっと見られると恥ずかしいというか……」
俯き加減になってチラチラと様子を窺ってくる菜乃花に、クリフは「あぁ」という生返事と共に視線を逸らした。
「まぁそうだよな。悪い、ちょっと考え事してた」
「考えごと……?」
自分の顔をそんなにまじまじと見てするような考え事とはなんだろうと菜乃花は首を傾げる。
そのまま自分の手にあるクレープをもう一口頬張り、飲み込んだあたりで、勢いよく顔を跳ね上げた。
「もしかしてこんなに食べたら太るって思ってた!? 太らないもん! お昼少なめにしたし、食べた分ちゃんと動くし!!」
「へ? いや、違う、そうじゃない」
「じゃあ食べてる時の顔がそんなに緩んでたとか!?」
「違うって! 菜乃花がどうとかじゃねぇから!」
詰め寄ってくる菜乃花にクリフはたまらず声を大きくして押し返す。
座りなおした菜乃花はまだ「むむむ」と唸りながら納得いかない様子である。
クリフはそれを見て「あー、ったく」と後頭部を掻いてまた口を開いた。
「見てたのは悪かったって。こっちの事情だから忘れてくれ」
「……失礼なこと考えてないんだったら、忘れます」
「是非ともそうしてくれ」
クリフが自分の持っているクレープを菜乃花に差し出すと、すぐにそれに食い付いて美味しそうに口を動かす。その笑顔を見る限り、一瞬で機嫌は直ったようでクリフは密かに安堵した。
――――――――――――――――――
「わー! このカチューシャ可愛い!」
ショッピングモール内にある小物屋が目に入ると、菜乃花はクリフを引っ張りこんで商品を見て回っていた。
その中で陳列されているカチューシャの一つ、細かい意匠が施されたクリーム色のものを手に取った菜乃花は、自分の頭に軽く宛がってクリフに振り向く。
「クリフくん! どう?」
「ん? そうだな、髪色とほとんど同じだからまず目立たないな」
「うーん、そっかー……」
思ったような反応が得られず、少ししょんぼりとしてカチューシャを持った手を降ろすが、すぐに名案を思い付いたとばかりにパッと顔が明るくなる。
「クリフくん、ちょっとしゃがんでみて!」
「え、なんで?」
「いいからいいから!」
肩に手を置いて軽く下に押されるままに、クリフは膝を折って姿勢を下げていく。
そして、その頭頂が菜乃花の肩あたりまで降りてきたところで、カチューシャを持っていた手が素早く動いた。
「えいっ!」
掛け声が終わるころには、そのクリーム色のカチューシャはクリフの頭に収まっていた。
それを見て、菜乃花は「わぁっ!」と歓声を上げながら手を合わせる。
「やっぱりクリフくんに着けても似合うよ! 買っちゃわない!?」
「……」
無言のクリフを見て、菜乃花は「あっ」と声を上げた。
そういえば以前、とあるマスコットキャラクターを模したネズミの耳付きのカチューシャを不意打ちで被せ、クリフの機嫌を損ねてしまったことを思い出す。
もしかしたらやり過ぎてしまったかも知れない。そんな不安に駆られながら、菜乃花は恐る恐るクリフの様子を窺う。
そんな視線の先で、立ち上がったクリフはゆっくりと頭からカチューシャを取り外した。
「女物だろうがこれ。いくら似合うとか言われても意味ないっての」
そう言ってカチューシャを陳列棚の上に戻す。その目は、多少じとりとした物ではあるが、別に機嫌を損ねたようではなさそうだった。
そのことに安堵した菜乃花をよそに、クリフは商品を戻した後も棚の上へ目線を動かしていた。
やがて先ほどのカチューシャとは色違いの、澄んだ空色のものを手に取ると、菜乃花の頭の上に被せる。
いきなりの事で反応できないこちらを眺めるクリフの口元が、ほんの少しだけ緩んだのが見て取れた。
「買うならこういうのにしとけ」
「あ……うん、分かった……」
頭のカチューシャを手に取り、菜乃花は素直にレジに向かって歩き出す。
菜乃花の言葉に短い返事をかえして、クリフは隣を歩く。その横顔を見上げながら、菜乃花は最近少しだけ感じていたクリフの変化をこの場で実感していた。
(クリフくん、やっぱり最近少し優しくなった……?)
いや、クリフは元々優しくて真面目な男の子だ。
ただそれに加えて、このところ態度だったり、言葉の端々だったりが、以前と比べて少しだけ柔らかくなったような気がしていた。
普段から一緒に居ないと分からない程度の変化ではあったが、今のやりとりでより強く実感した。
彼が少し変わったのはいつからだろう。確か、少し前に霧谷支部長に頼まれて『特別監獄』というところに応援に行ったあたりからだ。
その時に、何かあったのだろうか?
そこで知り合ったらしい雨宮雪代という綺麗な人にはこの前会ったし仲良くなったけれど、もしかしたらあの人が関係していたりするのだろうか?
「ねぇ、クリフくん」
「ん? どうかしたか?」
「……ううん、やっぱり何でもない」
思わず口を開いたものの、どう聞けばいいかも分からないし、それを聞いたところでどうしようもないと思い直して頭を横に振る。
気にはなるものの、少し聞きたくない。そんな相反する感情がそこにはあった。
「……そんな残念そうな顔されてもカチューシャは着けないぞ、絶対」
「そうじゃないよ!」
――――――――――――――――――
色々な店を巡り、あっという間に時刻は夕暮れ時になっていた。今入店している通り脇にあったゲームセンターが、おそらく今日最後の行き先になるだろう。
4階建ての大きな建物のようで、今は2階のUFOキャッチャーなどの景品付き筐体が立ち並ぶプライズゾーンに足を運んでいた。
その中の一つ、ゆるキャラのような小さいぬいぐるみが散乱しているUFOキャッチャーの前で菜乃花は足を止めた。
「あっ、これ可愛い!」
「可愛いか?」
「可愛いよ!」
微妙な顔をするクリフに、菜乃花が反論する。菜乃花はムッとした表情のまま、UFOキャッチャーの筐体を指さした。
「クリフくんやってみて! 私やったことないから!」
「俺だってやったことないぞ」
「でもクリフくんならできる! たぶん!」
「まぁ、別にやってみる分にはいいか」
なんだかんだでクリフも興味があるらしい。真剣な様子で百円玉を取り出して、筐体に投入した。
ゲーム内容はアームを横移動と縦移動をさせると、あとは自動でアームが下がり、景品を引き上げて隅に空いた穴の上まで運んでくるオーソドックスなタイプだ。
クリフは慎重に横移動させるボタンを押し続け、ここだと思ったタイミングで離す。続いて同じように縦移動のボタンで奥へ移動させ、目測で目当てのぬいぐるみの上にアームを持っていく。
「わぁ……!」
初めて間近に見る菜乃花にはアームが開いて下がって行く光景だけで新鮮だった。
クリフが操作しているというだけで、目の前のアームはしっかりとぬいぐるみを捕らえ、穴まで運んでくる予感がした。
しかし。
「あっ……」
「……」
降りて行ったアームの先は全く見当違いのところへ着地し、閉じる過程でもぬいぐるみ本体にもそのタグにも引っかからず無慈悲に上がっていく。
アームの根元、本体部分の端で少しだけ潰されてまた元に戻るぬいぐるみが哀愁を誘った。
「……そういえばクリフくん、こういう細かいのって苦手だって言ってたっけ」
「……支部の訓練に取り入れれば、これくらい楽にできるようになる」
「どんな訓練!?」
――――――――――――――――――
「それでね、今の先生すっごく厳しくって。宿題もたくさんあるし、この前任務で休んだら追加で出されちゃったし!」
「それはまぁ、俺もよくあるな。仕方ないと割り切ってるけど」
並んで他愛ない話をしながら、昼に待ち合わせた駅前広場まで歩いていく。
その菜乃花の手には小さいゆるキャラのマスコットが握られていた。クリフがUFOキャッチャーに惨敗した後、菜乃花が挑戦してあっさり獲得したものだった。
「……ねぇ、クリフくん」
唐突に、菜乃花が深刻な声で名前を呼んできた。思わずクリフの顔も引き締まる。
「……どうした?」
「宿題、本当にやらないとだめかな?」
上目遣いで聞く菜乃花の表情からは、本気度合いが伝わってくる。
「……俺がやらなくて良いって言ったらやらないのか?」
「うん」
クリフは菜乃花の脳天にチョップをお見舞いした。菜乃花は「あぅっ」と呻いて両手で頭の天辺を押さえる。
ほとんど力が入っていなかったお陰でほとんど痛みはなかったものの、恨めし気に口を曲げてクリフを見上げた。
「俺がやらなくて良いって言ってもやれ」
「でも、クリフくんがやんなくて良いって言ったら、本当にやらなくて良いんじゃないかって気がしてくるし」
「それは流石に俺になんでも委ねすぎだろ……」
「クリフくんが何でもできそうなのが悪いと思う」
酷い責任転嫁もあったものだとクリフは呆れたような顔になった。
「お前の中で俺はどうなってんだ。それに、菜乃花にできて俺にできないこともたくさんあるだろ?」
「例えば?」
「それ」
菜乃花の手にあるぬいぐるみを指さす。まさにそれは今クリフが言った事の証拠物品だった。
両手でぬいぐるみを持って見つめてみる。中々実感する機会がないが、確かにクリフは本人が言っている通り、細かい操作だったり動作だったりは苦手なようだった。
「そっか、クリフくんはこれを取ろうとして取れなかったんだね」
「まぁ、そういうこと」
「ねぇ、クリフくん」
再び真剣な声を出した菜乃花が、クリフの方を向いて自分の顔の前までぬいぐるみを持ち上げた。
「これ、欲しい? いる?」
「お前がやれって言うからやっただけで欲しかったんじゃねぇ!」
「あはははっ」
話をしている内に、時計台の前まで戻ってきていた。菜乃花は立ち止まると、隣を歩くクリフへくるりと向き直る。
もうすぐ日没の時間だ。あと半刻ほどであたりは暗くなってしまうだろう。
「今日はここまでだね」
「あぁ、そうだな。暗くなる前に帰れそうか?」
「うん、そんなに遠くないから大丈夫!」
手を後ろに組んで笑いかける。その表情から、今日という休日を満喫できたことが十分に伝わってくる。
「昨日はいきなり誘われてちょっとびっくりしちゃったけど、すっごい楽しかった! ありがと、クリフくん!」
「あぁ、悪かったな、いきなり付き合わせて」
「そんなことないよ! というか、また誘ってね!」
「ん? まぁ、いいけど――」
「絶対だよ!」
言い終わる前にずいっと詰め寄る。クリフは少し後ずさりながら「分かった分かった」と軽く押し返した。
「それじゃ、また支部でな」
「うん、またね!」
元気よく応えた菜乃花は、そのまま帰路につき歩いていく。角を曲がり見えなくなるまで、クリフはその場でその後ろ姿を見送った。
人もまばらになった駅前広場で、クリフは立ち尽くす。その視線の先は、もう菜乃花が消えていった曲がり角とは別の場所を見ているように見えた。
やがてポツリと、零れ落ちたように一言呟く。
「うん、やっぱり、似てない」
確認するような声色と共に、自らも踵を返して自分の家へと歩を進め出す。その歩調は、心なしか軽いように見える。
(菜乃花と、奈落花は違う)
当たり前の事実。それでも、今日初めて心の底から認めることができた事実が、胸の奥に引っかかっていた最後のひとかけらを剝がし落としていく。
我ながら、女々しくて少し情けなくなる。ああして日常の中にいる菜乃花を、その所作や言動を改めてしっかりと認識しないと、自分の中で決着を付けようとしていた未練の最後の一抹を消し去ることができないとは。
今日こうして菜乃花と過ごしたのは、かつての幼馴染と菜乃花の二つの存在を、はっきりと区別するため。
菜乃花に、かつての奈落花を、どこか朧気ながら重ねてしまっていた自分と完全に決別するためだった。
『特別監獄』での一連の騒動の中で、奈落花の最期の笑顔に対する、自分なりの答えを得ることができた後、今まで狭窄していた自分の中の視野が広がったように感じていた。
正直、今までは少しは似ていると思って、勝手に面影を重ねていた菜乃花と奈落花は、こうして改めて考えてみればほとんど似ていない。
二人ともよく笑うが、奈落花は穏やかに、静かに笑う。菜乃花は爛漫に、元気一杯に笑う。
胸の内に芯を持ち、力強く踏みしめて進んでいく前向きさと、周りを巻き込みながら明るく、盛り上げながら一緒に進んでいく前向きさ。
……後ろから背中を押すように、自分を前に進ませていた奈落花。前に立ってぐいぐいとあちこちに振り回しながら、無理やりにでも自分を前に進ませる菜乃花。
近いようでいて、全く似ていない。それなのに無理やり菜乃花にかつての幼馴染の影を重ねていたのは、間違いなく自分が自分の過去と決別できていないからに他ならなかった。
菜乃花を菜乃花として見ていなかった訳ではない。それでも、菜乃花のその気質を"菜乃花"と完全に結び付けて捉えられていたかと言われると自信がなかった。
『特別監獄』を出てから、自分の過去とは決着を付けなけらばならないと、ずっとそう思っていた。
その決心の最後の一押しができたのは、あの監獄で出会った少女……雨宮のお陰だ。
彼女は自分の目の前で、彼女の過去と向き合い、失いかけていたものを取り戻す様を見せてくれた。
凍土のまま止まった時間を、また動かし始めて春を呼び寄せられるということを証明してくれた。
自分にはおそらく、過去と向き合って取り戻せるものはもう無いだろう。
それでも、止まったままの時計の針を動かして前に進むことはできるはずだ。
何より、彼女に過去と向き合えと言った当の自分が、奈落花のことから目を逸らし続けたままでは格好がつかない。
雨宮は立派に、それができると証明してくれた。なら、今度は自分の番だ。
そうと決めれば、あとは気持ちの問題だった。それでも、完全にこの感情を昇華するまでに少し時間がかかってしまったが。
だが、もうそのようなことはない。『特別監獄』での経験と、今日改めて菜乃花の色々な日常の側面を見て、これまでずっと胸の途中でつっかえて燻っていたわだかまりは、今や綺麗に腹落ちして体の奥の方で静かに眠っている。
今はもう、あの日見た破壊の奔流に飲まれた笑顔の記憶を、本当の意味で"過去のもの"として受け入れることができる。
今日見た菜乃花の溌溂とした笑顔を、本当の意味で"今のもの"として捉えることができる。
明日からの自分と菜乃花は、今日までと表面上は何も変わらないだろう。けれど自分の中では、過去の影を取っ払っての菜乃花との関係が始まる。
その付き合いの先がどうなるかは分からないが、今までよりは確実に良いものになるだろうと確信できた。
帰宅して夕食をとり、入浴を終え、その他色々な寝支度を整えて後は寝るだけとなる。今日はすっきりと寝ることができそうだった。
しかし、もうベッドに横たわりでもしようかと思った矢先に、机の上に置いた携帯端末が音を発して着信を知らせる。
画面を見ると、蛍司からの通話着信だった。こんな時間に何の用だろうかと首を傾げながらも画面をタップして通話に応じる。
「はい、もしもし」
『あ、せんぱい! 今日どうだった?』
いきなり本題に入りに来たのにも関わらず、主語がないせいで要領を得ない。
相変わらずの後輩に眉間に指をやりながら、まず質問の意味を解明するところから始めた。
「どうって、何が?」
『何がもなにも、今日のおでかけ!』
「菜乃花との? いや、別にどうとも無かったけど。普通だったと思うんだが……」
『えっ、デートだったのに!?』
「……は?」
想定外の単語が端末から飛び出してきて、一瞬思考が停止してしまう。デートとは、あのデートのことだろうか?
「な、何言ってんだ。デートじゃないだろ」
『いやデートでしょ! 俺も一緒に行きたいって言ったの断って二人で行ったんだもん!』
「いや、それは事情があって……」
『事情があってもデートはデートでしょ!』
楽しそうな様子ですごい勢いでデートをごり押ししてくる蛍司に、クリフは思わず頭を抱える。
本当にそんなつもりはなかったし、菜乃花からしても……多分……そう思ってはいなかったはずだ。今日の様子を見る限りは。
「お前がどう思うかじゃなくて俺たちがどう思うかじゃないのか!?」
『じゃあせんぱい、俺がお休みに志希と二人で街へお出かけしにいったらどう思う?』
「……」
デートである。百パーセント一点の曇りもなくデートであると断定するだろう。
その二人が自分と菜乃花になっただけなので、確かにデートだと思われたとしても……。
いや待て待てとクリフは頭を振った。蛍司の術中にはまりそうになってはいけない。何もすべてが同じと言う訳ではないのだ。
「俺と菜乃花はお前と志希みたいな関係じゃないだろ」
『別に友達同士とかでもデートっていうよ?』
「そうかもしれないけど……」
捻り出した反論もあっさりと蛍司に潰されてしまう。まさか蛍司にここまで論戦で圧倒されるとは……。
頭を抱え続けるクリフに、蛍司が追い打ちをかける。
『せんぱい、菜乃花ちゃんとデートしたって思われるの嫌なの?』
「いや、そういう訳じゃないんだけど……」
ただ、今日奈乃花と出かけたことがデートであるという事実を認識させられて、どういう反応をしたらいいのか分からないだけだ。
「なんつーか、いきなりで考えが纏まらないだけだ」
『へぇー、せんぱいこう言うの慣れてそうだったからちょっと意外』
「なんでそんな偏見持ってんだよお前は」
『だってイケメンでかっこよくてハンサムだし!』
「全部大体同じ意味じゃねえか。それにデートとかしたことねぇし」
『俺は何回もしたことあるよ!』
「知ってるよ!」
『やった! せんぱいに勝った!』
「うるせぇよ! もう切るぞ!」
『あ、ちょっと! まだ本題は――』
言いかける蛍司を無視して画面の切断ボタンをタップする。嵐のような時間が過ぎ去り、部屋に静寂が戻ってきた。
「デート、ねぇ……」
部屋の電気を消し、ベッドの上に横たわってぼそりと呟く。
蛍司に言った通り、そう思われることが嫌なわけではない。ただ、そのことを考えると酷くむず痒くなり落ち着かない。どう捉えたらいいのか分からなくなる。
この感情をはっきりと定義付けするには、まだ時間がかかりそうだった。
「あー、くっそ……」
せっかく今日はすっきりと寝ることができそうだと思っていたのに、余計な考えに意識が取られる。
どうやら後輩のせいで寝付くまで時間がかかるようになってしまったようだった。
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「クリフくん! 次はいつ遊びに行く?」
「……あー、まぁ……そうだな……とりあえず、保留で」
「絶対だよって言ったのに!」
終わり