X以外のSNSでの投稿にはPrivatter+がおすすめです
Xフォロワー限定公開・リスト限定公開の停止について

【ちるつば】眩しさを追って【連載まとめ】

全体公開 1 22163文字
2022-08-20 01:13:13

翼と壱流がサシ飲みをするところから始まるお話です。ユニットメンバーを巻き込んだりしながら、二人が自分の気持ちに向き合ったり、気づいたりしていきます。視点は壱流→翼→翼→壱流→壱流、という順番で変わっていきます。
週一連載をしていたちるつばをまとめて加筆修正をおこないました。毎週付き合ってくれた方、本当にありがとうございました。最後のページにあとがきを追加してあるので、見て頂けると嬉しいです!

同じ目線で
 たまにはサシで飲もうぜ、なんて翼に言われたのは一昨日の昼間だった。
 早朝からの仕事を終えて寮に帰ったら、いかにも今起きたという顔をした翼が、コーヒーを片手にQUELLの共有ルームのソファに身を沈めていた。どうやら、里津花が仕事で出てしまったから朝食に英知を頼ったようだ。それだけなら蹴っ飛ばして追い出しても良かったのだけれど、前日の仕事が早朝から深夜までだったことを知っていたから文句は言わないでやることにした。そんな流れで俺や英知にとっては昼食、翼にとっては朝食という些か奇妙な食卓についたのだ。そんな話の中で酒の話になったことがきっかけだった。
 あれよあれよという間に飲みのセッティングをされて、次の日には店の場所と時間が送られてきた。なんという手際の良さ。しかもその日の仕事場から徒歩で十分ほどの場所を指定された。気が利きすぎていて気持ち悪いとLINEを返したら、文句のスタンプが送られてきたからたぶん偶然ではないのだろう。

「壱流ー、お前一杯目何にする?」

 数日間の目まぐるしい記憶を思い返していれば、翼がメニューに目を落としたまま言った。思考が引き戻されて、思わず周りを見渡す。指定された店はチェーンではあるものの高価格帯に分類される全席個室の居酒屋で、柊羽や英知に料理がおいしいと聞いた記憶があった。芸能人御用達らしい。

「なにがあんの?」
「結構なんでもあるぞ。サワーもカクテルも日本酒もある」

 手渡されたメニューをぱらぱらとめくると一冊全てがドリンクメニューで、わからない酒の名前に頭が混乱する。わかってはいたけれど価格帯は結構高めだ。たぶん翼は奢る気なんだろうけれど、それはなんだか悔しいからちゃんと自分の分は払おうと決めてからもう一度メニューを眺める。特に焼酎の量が多くて、芋焼酎だの麦焼酎だのの違いがわからない。

「コークハイにする」

 結局飲んだことのあるものを選んで思わず息をついた。翼が笑いながらタッチパネルを操作する。まぁ一杯目だし、気になったやつは後で飲んでみればいいや。

「あ、お前辛いやついける?」

 それより料理だとタッチパネルを覗き込めば、不意に顔を上げた翼と目が合う。目線がかちりと音を立てたような気がして、一瞬心臓が跳ねた。翼が不思議そうな顔で首を傾げる。

「おーい」
「ん、あー、ある程度はいける……?」
「何で疑問形なんだよ」

 翼が小さく肩を震わせた。なんとなく、と返せば手羽先のスパイスが注文に足される。そのまま画面をスクロールし始めたから、そんなに変じゃなかったのだろう。思わず小さく息を吐きだした。なんでこんなことで動揺しているんだろう。高い店で、いつもと違う距離感だからだろうか。まぁ何が理由だとしても絶対に知られたくないのだけれど。かっこ悪いし。

「んー、とりあえずこんなもんか」

 タッチパネルを眺めた翼が満足そうに頷く。見せて、という前に差し出された画面には一杯目の酒と、すぐに出てくるつまみから時間のかかる串焼き、揚げ物がずらりと並んでいた。

……多くね?」
「いけるでしょ。頑張れ成長期」
「おいこら」

 じとりと見つめてみてもどこ吹く風。まあいけるけど。成長期だし、腹減ってるし。
 気持ちの籠っていないため息を吐き出しながら送信を押して数分待てば、個室の扉がコンコンと叩かれた。俺の前にコークハイ、翼の前には白のグラスワインが置かれる。お通しの煮物と、枝豆と鶏のサラダを置くと慌ただしく店員は去って行った。

「じゃ、かんぱーい」
「か、かんぱーい」

 待ってましたというように翼がグラスを掲げる。そこそこの厚みがあるハイボール用のグラスは薄いワイングラスとぶつけるのが少し怖い。恐る恐るグラスで音を鳴らすと、翼が「初々しいねぇ」なんて可笑しそうに笑った。

「おっさんみたいだぞ、それ」
「おっさんじゃなくてお兄さんだっつの。ま、正直、壱流と飲める日が来るとはなー、とは思ってるけど」
「やっぱおっさんだろ。つーか、成人してからもう二年経ってるからな」

 そう口にすれば、二年かー、なんて翼が言葉を反芻する。初めて飲んだ時は美味しさがわからなかったアルコールも今はそこそこ美味しく飲むし、共演者から飲み会の誘いを受けることだって増えた。大勢の飲み会以外で翼と飲むことが無かったのは、ひとえにSolidsの忙しさが理由だ。特に深夜ラジオだの生放送だのの収録が多いから、夜に時間を合わせることができない。俺たちだって忙しさは負けてないと思うけれど、クリーンなイメージが強いのか、深夜枠の仕事はあまり回されることがなかった。

「まぁファンからしたら、お前らはいつまでも可愛い弟キャラだもんなぁ」
「お前らとか、柊羽とか英知が子ども扱いするからだろ」
「あはは、悪い悪い。でも、可愛いことは変えらんないからさ」

 真面目ぶった顔を作る翼を睨みつける。するとにやにやと笑うものだから、腹立たしくて思わずグラスの中身を呷った。氷が大量に入ったグラスの中身はあっという間に空になる。タッチパネルを操作して次のドリンクを探していると、翼が枝豆をつまみながら作った声で心配そうな声を上げた。

「そんなにペース上げて大丈夫? 水、頼んどけば?」
……いらない!」

 自分でもわかるくらい不満そうな声が口をつく。これだから子ども扱いされるのだ、ということはわかっているけれど 、むかつくものはむかつくのだから仕方がないだろう。そもそも、一杯目で心配をされるほど酒に弱くはない。
 そりゃ、六つも年下だっていうのはわかってるけど。俺だって、十六歳の後輩がいたら思わず世話を焼いてしまうとは思うけれど。俺だって成長してるのだ。いつまでも出会ったときと同じじゃない。

「ガキ扱い、すんなよな」

 零れた言葉は、ノックを忘れて扉を開けた店員の声でかき消されてしまった。



「おーい、壱流、大丈夫か?」
……うるせー」

 何杯目かもわからない焼酎のグラスに壱流が口を付ける。その目はぼんやりとしていて、顔はほのかに赤い。酔うと眠くなるタイプだと英知から聞いているから、たぶん相当に酔っているのだろう。酒に慣れた俺だってだいぶほろ酔いなのに、同じぐらいのペースで飲んでいるのだから当然だ。

「水、ちゃんと飲めよ」
「いらねえ」
「飲まないと夜中グロッキーで大変だぞ」

 ちなみに志季はそれで一回締切落とした。そう付け足すと、危険を察知したのか氷が解けて水滴に浸ってしまったグラスに壱流が手を伸ばす。その様子にほっと胸を撫でおろした。冷静に考えて、明日壱流が二日酔いにでもなったら柊羽と英知が怖い。あと壱星とか大も怖い。どう考えても全員に責められる状況しか思い浮かばなくて苦笑いが零れた。

「お前、ほーんと可愛がられてんなぁ」
「うわ、なんだよ。やめろって!」

 さらさらの黒髪に手を伸ばすと、壱流が驚いたように肩を震わせた。酔いのせいか、いつもの反抗だって元気がない。観念したようにされるがままになった壱流が息をついた。

「ガキだと思ってんじゃねーよ……
「んー? 別にもうガキだとは思ってないけどね」

 キューティクルを堪能しながら返せば、壱流が瞳をぱちぱちと瞬かせる。
 実際、もう子供だと侮っているつもりはなかった。というか最初から侮ったりはしていない。ポーズというか、見栄で先輩面をしていたのはまぁ許して欲しいところだ。

「俺だって、お前に背中掴まれないようにいつも必死だよ」

 言葉がするりと口から落ちていく。あんまり言ってやるつもりはなかったのだけれど、せっかくの酒の席だ。酔いに任せて少しくらい本音で話したって構わないだろう。随分前に頼んだモヒートに口を付けると、さっきまで眠そうだった癖に、壱流がこちらをじっと見ているものだから思わず笑ってしまった。

「背も伸びたしな?」
……あと一センチ、絶対今年中に伸ばしてやる」
「はは、頑張れ頑張れ」

 軽く返事を返せば、むっとした瞳がこちらをねめつける。この顔は出会ったときから変わっていないななんて考えて、なんだか懐かしくなった。毎年身長を伸ばしている壱流には、そろそろ追い抜かれてしまうかもしれない。それは少しだけ悔しいけれど、身長なんて望んで伸ばせるものでもない――と考えられるようになったのも年を重ねたからだろうか。Solidsを始めたころなんかは志季を追い抜けないことを悔しく思っていた気もする。今は、それよりも違う所で認めさせてやりたいと思うようになった。悪い変化ではないと思うけれど、向上心は忘れることなかれ、だ。

「お前に学ぶこともたくさん、だな」

 グラスに口をつければ、ライムの皮が唇に当たる。飲み切ってしまったかとパネルを操作して次のドリンクを注文した。あらかた片付いているつまみを見回して、追加するかと一瞬悩んだけれど、壱流も眠そうだしそろそろお開きだろう。少しだけ残ったままの枝豆に手を伸ばすと、個室のドアが叩かれる。ワインは注ぐだけだから、注文してから届けられるまでが早い。

「俺だって――

 運ばれてきた白ワインに口を付けていると、壱流がぽつりと言葉を零した。飲んどけと言ったお冷は飲み干されている。食事だってしっかり食べていたし、この分なら二日酔いは大丈夫だろうとこっそり胸を撫でおろした。

「まだ、お前に学ぶこと、ばっかりだ」

 眠いんだか悔しいんだかわからない、伏せられた瞳に思わず黙り込んでしまう。いつものように茶化してしまえばいいのかもしれないけど、なんとなく、それをしたくないと思った。

「お前、ライブとか、舞台とか、ファンの前だといつもかっけーし、取材でもかっけーことばっかり言うし。トークだと俺のフォローまでするし」
「ちょ、おい壱流サン?」

 言うや否や、壱流が俺のグラスを搔っ攫う。半分ほどになっていた透明な液体を飲み干されて、思わず口を挟んだ。行動もだけれど、いつも素直じゃない壱流に素直な感想を言われると破壊力が違う。茶化さないでいることができなかった。

「でも、陰でめちゃくちゃレッスンしてるのが、一番かっけーと思う」
「おい話聞けよ!?」

 これだから酔っ払いは、なんて、Solidsにだけは言われたくないであろう言葉をすんでのところで飲み込んだ。酔う頻度が高いからわかる。こういう時、酔っぱらいは何を言ったって聞きやしないのだ。

「なあ、翼」
「な、んだよ」

 伏せらせていた瞳が上げられて、まっすぐに俺を射抜く。サファイアの中に、イメージのあった幼さは残っていなくて、思わず唾を飲み込んだ。ごくり、と、やけに音が大きく聞こえる。

――好きだ」

………………へ、」

 落とされた言葉を理解する前に、壱流がこて、と頭を落とす。さっきまで焼酎を飲んでいたのに、急にワインでちゃんぽんするから、なんて場違いな感想に脳みそが逃げたがって仕方ない。

……え、は?」

 それでも、そこそこに酒が強くてとっても慣れている俺の頭は、告げられた言葉の意味をアルコールに逃がすことができなくて。ぶわりと頬に熱が集まっていく感触に、思わず息を吐きだす。目の前の真っ黒な頭は、言い逃げ上等とでも言うように、呼吸に合わせて上下していた。

「い、や。どうするんだよ、コレ……

 さっき、背が伸びたという話をしたばかりだろうに。身長が変わらない奴を運ぶのは骨が折れるというか、ほとんど不可能だ。けれどこんな顔、英知や柊羽に見せたくない、というかこの状況を見せるのが怖すぎる。

……こういう時に頼れるのは」

 夜中に寝ていないことの方が多い、酔っ払いのスペシャリストだな、なんて考えて、俺はしばらくしまったままにしていたスマホに手を伸ばした。


寝ても覚めても
 窓から差し込む陽射しが眩しくて俺は目を覚ました。プライベートで飲んだ翌日には珍しく体調は良好、酔いは一滴も残っていない。念のため昨日のことを思い出す。昨日は結局タクシーを使って寮まで帰ってきた。タクシーは志季が呼んでおいてくれて、というか志季がタクシーで来たから運転手さんに待ってもらって、それに乗った。志季と飲んだわけじゃないのに呼んだ理由は――

「う、わぁ……

 ぶわ、と薄もやがかっていた意識が覚醒していく。起きた直後なのに体温が急上昇して顔が熱くなった。酔いが残ってたかななんてぼやいてみるけど、そんな理由じゃないことは自分が一番わかっている。
 志季を呼んだ理由は、一緒に飲んでた壱流が寝てしまったから。それだけなら起こすとか起きるまで待つとかいう選択肢もあったのだけれど、そのときの俺は酔いばかりでない理由で頭が回っていないかった。腹立たしいことに志季を頼ってしまう程度には。そりゃ、あんなことあったら、頭回んなくなるでしょ。
 酒の席で女の子に告白されたことは数あれど、直後に寝落ちしてしまったなんてのは初めてだ。というか、あれは告白だったのか? 何か言い方を間違えただけかもしれない。いいやきっとそう。

「あいつ、覚えてんのかな」

 飲みに行く前に壱流の酔ったときの癖は一通り英知から聞いている(というか勝手に話された)けど、酔い潰れたときの話は聞いていない。まぁ英知がつぶれるまで酔わせるわけないよね。というか、ちゃんと寮まで帰したとはいっても、寝こけるまで飲ませてしまった俺にお咎めがくるんではなかろうか。絶対零度の視線を思い出して背筋が震える。先ほどまでの温度差で風邪を引きそうだ。

……とりあえず、起きるかぁ」

 ため息とともにそう決意して体を起こす。やっぱり腹立たしいくらい体調は良い。頭ん中はぐちゃぐちゃなのに。そんなことを思いながら共有ルームに行ってみれば、部屋中に香ばしいコーヒーの香りが漂っていた。

「お、大ちゃんおはよー。コーヒー淹れてんの?」
「はよ。さっきまで志季がいたから一緒に飲んでた」
「あいつあの後徹夜したのかよ……

 昨晩予想通り起きていた我らがプロデューサーは、壱流をQUELLまで届けた後当たり前のように作業部屋に帰っていった。もちろん寝間着などではなく普段着。そろそろキツイ年なんじゃないの? なんて突っ込みは世話をさせた手前さすがに口には出せなかった。

「お前、昨日壱流と飲みに行ってたんだって?」

 マグカップがダイニングテーブルに置かれる。めずらしく雑談してくれるようだ。内容は、俺を悩ませている事象そのものだからあんまり好ましくないのだけれど。

「ん? あーそう。志季から聞いた?」
「足に使われたって嘆いてたぞ」

 大がため息とともに肩を竦める。そして「ハニーに他の男との足にされた」なんて似てないモノマネ。思わず吹き出すと、呆れた顔が俺を見つめる。あ、この顔は俺が壱流をつぶしたと思ってるな?

「志季を足に使ったのはほんとだけど、別に壱流をつぶしたわけじゃないからな」
「寝たのはつぶれたのと一緒だろ。お前らの基準で考えんな」

 じとりとした視線にぐうの音も出なくなる。いつもSolids飲みで真っ先に寝落ちている大が言うならばそうかもしれない。と言っても、なんだかあたりが強いのはその辺が理由ではなさそうだ。

……大ちゃん、もしかして羨ましい?」
「俺と飲む方が安全だぞって、あとで言いに行こうとは思ってる」

 ふい、と逸らされた視線に思わずにやにやと笑みが零れる。大も双子を可愛がっているのは知っていたけれど予想以上のようだ。俺たちの中では弟扱いばかりだからかもしれない。
 なんてところまで考えて、不意に弟扱い、というワードが頭に引っかかる。

「大ちゃんさぁ」

 コーヒーを飲みながら次の収録曲の歌詞を眺める大をじっと見つめる。怪訝そうな瞳がうるさいと無言で訴えてきた。

「酔ったら俺にデレデレになったりする?」
「は?」

 大の表情が露骨にドン引きした表情に変わる。うん、そりゃそうだよね、言い方間違えたわ。

「んーと、酔ったときいつも言わないこと言ったりとか」
「まぁ、それなりには」
「言い方わかんなくなって、変な言葉のチョイスになったりとか?」
……無くはないな」

 大が考え込むように宙を見つめる。無くはない。限りなく否定に近い気がしなくもないけれど、大は俺に対してツンデレなのでこれは本音を隠したツンだということにする。

「だよな! うん、そういうこともあるっしょ!」
「なんだよ朝から喧しい……

 なんとなく納得いった気分になって立ち上がれば、大がうっとおしそうにつぶやいた。うんうん、やっぱり大は俺に対してツンデレだよね。

「大ちゃん、今日は仕事夕方だけ?」
「昼からボーカルレッスン」
「あー収録近いもんねぇ」

 大の手にある新譜のことを考えてため息をつく。わくわくする曲であることは間違いないのだけれど、今回もやっぱり鬼畜仕様だった。俺もレッスン入れようかなぁ。昨日は飲むことが分かっていたから夕方の仕事までフリーにしていたけれど、酔いも残っていないしなにか予定を入れるのも悪くないだろう。
 そう思って、レッスン室が空いていないかとスマホで調べていれば、共有ルームの扉がコンコン、と叩かれた。

「? どーぞー」

 Solidsのメンバーであればここをノックするなんてことはまずない。マネージャーである灰月も同様だ。と考えれば、来客はこの寮に住んでいる他のユニットのメンバー……

……ん?」

 そこまで考えて、ふと嫌な予感がする。

「お邪魔しまーす……。あ、翼」

 けれど時すでに遅し。ガチャリと音を立てて扉を開けたのは、絶賛俺の頭を悩ませている最中の壱流だった。



 眠い目を擦りながらSolidsの共有ルームの扉を開けると、鮮やかな金髪がびくりと肩を揺らすのが目に入った。声を掛けると、「俺すぐレッスンだから!」なんて誰も聞いてないことを言い置いて横をすり抜ける。止める暇もなく行ってしまったものだから、取り残された俺は呆けるほかにできることがなくなってしまった。

「えーと……
「はよ、壱流。気分悪かったりしないか?」
「おはよう……ああ、うん、ちょっと眠いくらいだけど」

 楽譜を片手にコーヒーを飲んでいる大が、俺に座るよう促す。大の正面に座りながら、翼のあの様子はなんなんだろうかと心の中で首を傾げた。

「昨日、翼と飲んでたんだろ?」
「ん、そう。帰る前に寝ちまって、連れて帰ってきてもらったって壱星から聞いたから」
「一言言いに来たと」

 その言い方だと文句を言いに来たようなニュアンスだな。まぁ間違ってはいないから、俺は一つ頷いて見せる。大が、「翼が悪かったな」なんて申し訳なさそうな顔を作った。

「え、いや別に翼に飲まされたわけじゃねーよ!?」
「そうなのか……?」
「本気で疑ってたのかよ」

 大が驚いたように瞳を瞬かせる。思わず肩を落としながら、どれだけユニット内での評判が悪いんだと息をついた。

「翼、俺が来た途端どっか行っちまったけど、本当にレッスン?」
「あー……嘘ではないんだが」

 気になっていたことを問いかけると、大が困ったように眉を下げた。こういう様子は、壱星や柊羽と似ているなとぼんやり考える。答えられるけど、相手のためになにも言いたくないときの顔。もっとも、壱星の逡巡はもう慣れでわかるし、逆に柊羽が本気で隠そうとしたことは全くわからないから、大はわかりやすくて助かる。

「壱流、どうやって帰ってきたか覚えてるか?」
「えーと、翼が志季に連絡して、連れて帰ってきてもらったって……

 言いながら、それでは志季にもお礼を言わなければと思い至る。

「志季はいま徹夜明けで爆睡してるから、気にしなくていいぞ」
「志季、徹夜しながら迎えに来てくれたのか……

 夜遅いのはあまり得意じゃないから徹夜にはあまり馴染みがないのだけれど、大学の卒論で最近の壱星が毎日遅いから、大変なんだなってことはわかる。英知もAD時代はよく徹夜していたと遠い目で言っていた。今度改めてお礼を言いに行かなければと心に刻む。

――じゃなくて! あいつ、なんか様子変じゃね?」
「あー……

 話を戻すと、再び大が困った顔を作る。さっきの翼は、明らかに様子がおかしかった。入ってきた俺の方を一度も見なかったし、声を掛けたら遮るように言って出ていってしまったし、すれ違った耳が少しだけ赤かったような気もする。まだ酔いが残っているのを知られたくなかったとか? だけど、本当に酔いが残っているのならそもそも部屋から出てこないだろうとも思う。
 もしかして、酔って俺が何かしてしまったのだろうかと考えを巡らせていれば、ひとつ息をついた大が意を決したように口を開いた。

「志季が言うには、迎えに行ったときのあいつは、今まで見たことがないくらいに顔が赤かった、らしい」
「え。……それって、めちゃくちゃ酔ってたってことかよ?」

 俺の記憶がある限りだと、別に酔ってる様子も顔が赤くなっている様子もなかった気がするけど。でも途中から正直記憶がない。もしかして俺が飲ませたとか……

「いや。あいつ、別に酔っても顔赤くならないんだよ」

 どくり。心臓がひとつ音を立てる。ため息とともに告げられた言葉に、思わず思考が停止した。アルコールで顔色が変わることがなくて、体調が悪いわけでもなくて、それでも顔を赤くする理由は俺には思い浮かばない。壱星なら色々考えつくかもしれないけれど。それなのに、鼓動が変な音を立てる理由はなんだろう。

「そういえば俺、寝る前に色々言ったよーな……?」

 頭に霞がかかったように、詳細な記憶はない。でも、なんだか気分が良くなって、いつもは言わないような言葉をたくさん並べたような。ていうかなんで気分を良くしたんだっけ。アルコールのせいだけではないような気がして仕方ない。

「ついでに、翼は変なとこで照れのスイッチが入るし、照れるとすぐ赤くなる」

 普段は褒められ慣れてんのにな、なんて大がぼやいた。流石は幼馴染だ、翼のことをよくわかっている。頭の片隅に過った悔しいなんて言葉は、今は見ないふりをすることにしよう。考えすぎたってキャパオーバーでまとまらないことくらいちゃんと自覚している。
 それにしたって話が見えてこないと眉を顰めていれば、大が俺を見つめて肩を竦めた。

「あいつに弟扱いされんのは、お互い大変だよな」

 弟扱い。確かに言い得て妙だ。俺よりもよっぽど長く近くにいる大がそう言うんだから、たぶん翼は俺のことを弟みたいに思っているのだろう。それでまわりからもそう見えてる。そりゃ、6歳も年下だし、出会った頃は15のガキだったし。子ども扱いしてしまう気持ちもわからないでもない。

――けど、もうガキ扱いは御免だっつの」

 ごつん。脱力しながら頭を机に落とすと、子気味の良い音が響いた。悔しい。もう20歳も超えたし身長だってあと1センチで並べるのに。って、こんなこと昨日もいつかのインタビューの日も言った気がする。これだけ言っても、というか、一つしか年の変わらない大だって弟扱いじゃ、俺が対等に認めてもらえる日なんて来ないんじゃないか。近づいたと思っていた距離を一気に遠く感じて、自信がどこか遠くに飛んでいきそうになった。

「壱流、」
「なに……?」

 大の言葉に顔を上げると、驚いたような瞳が俺を見つめていた。なにか驚くようなことはあっただろうかと首を傾げれば、大が小さく笑う。

「いや、なんだよ!」

 不審な様子に突っ込みを入れると、大が掌を頭に乗せてくる。がしがしと頭を撫でる手は昨日の翼よりも一回りくらい大きくて、自分の掌を思い浮かべるとなんだか負けた気になってしまった。それでも反抗する気にならないのは、大にしては珍しい行動だからか、翼と違ってからかう様子がないからか。考えて、どっちも違うなと心の中で首を振る。

「事務所のレッスン室」
「え?」

 脈絡もなく俺の頭を撫でていた大が、不意に口を開く。

「夕方から収録だから、ボーカルレッスン行くって。なんか言いたいことあるんだろ?」

 大がどこか嬉しそうに口の端を上げる。言いたいこと。そう言われるとたくさんの感情が霧散していって、言葉にできるかどうか、一瞬自信がなくなる。けれど。

――おう!」

 ひとつだけ、絶対に言いたいことがある。それを思い出して、俺は立ち上がりながら大きく頷いた。


宣戦布告
……どこにもいねぇじゃん!」

 最後のレッスン室を覗き込んで、思いっきり肩を落とす。言われた通りに事務所のレッスン室全部を覗いたけれど、翼の姿はそのどこにもなかった。大が嘘をついたとは思わないから、タイミングが合わなかったか、翼が嘘をついたか――

「や、そんなことはしないか」

 プライドの高い男のことを考えて息をつく。翼が自分の努力を偽るわけがないことくらい俺にだってわかっている。努力してないように見せることはあっても、努力してるように見せることは無い。なんでもそつなくこなすフリをして、実際はとんでもなく努力を重ねている。奥井翼と言うのはそういう男なのだ。
 思った以上に自分が翼を尊敬していることに気が付いてなんだか気恥ずかしくなる。こういうの、改めて考えるとなんかむず痒いよなぁ……
 しかし、ここにいないとすれば翼はどこにいるのだろう。どこか別の場所でレッスンをしているのか、急な仕事が入ったか。前者はいくつか心当たりのスタジオもあるけれど、後者ならば見つけ出すことは困難極まりないだろう。

「壱流?」

 思わずうなっていれば聞き慣れた声が耳に飛び込んでくる。

「壱星、と、柊羽と、……志季!」
「なんだ、急にテンションが高いな」

 事務所の奥から連れ立ってきた三人に驚いていると、志季が不思議そうに首を傾げた。

「あ、えーと。昨日は、ありがとう、ゴザイマシタ……

 頭を下げながら思わず片言になってしまう。普段から可愛がってもらっているとはいえ、酔っている姿を見られたのは素直に恥ずかしい。 

「ああ。いや、こっちこそ翼が悪いことをしたな。まさかそこまで飲ませるとは」
「いや! 別に翼に飲まされたんじゃねえよ!」

 眉を下げた志季に、反射的に言葉を返す。 迎えに来てもらって、気まで使われたらたまったもんじゃない。それに、なんだか、また自分が小さな子ども扱いをされているようで、――翼の隣に立つには相応しくないと言われているようで、悔しかった。
 突然言い返した俺に、三人が驚いたように目を瞬かせる。ああ、これこそガキっぽい反応だったかもしれない。小さく後悔が頭を過った。

「壱流」

 真っ先に声を発したのは壱星だった。じいっと俺を見つめる瞳の中に、狼狽える自分が映り込む。返す言葉を探していれば、壱星がふっと表情を緩めた。

「ねぇ柊羽、あの話、先に壱流にもしておいたら?」
「あの話……?」

 壱星の言葉に、柊羽は一瞬面食らったような顔をしたものの、すぐに「ああ、次のライブのことか」と頷く。志季まで「たしかに、早めに言うに越したことは無いな」なんてわかった顔をしていて、俺は話に置いて行かれたまま呆けてしまった。

「ちょ、おい、なんの話だよ!」
「ああ悪い。次のライブなんだが、SolidsとQUELLの合同ライブにすることにしたんだ」

 苦笑いを浮かべた柊羽が、気を取り直したように言った。合同ライブ、と言葉を繰り返す。まぁ、そんなに頻繁にやってるわけじゃないけど、これまでにも何回か行ってきた試みだ。それをわざわざ改まって言うというのは、何か理由があるのだろうか。

「なんか、新しいことすんの?」
「そうだ。察しがいいな」
「何回もやってるんだから、流石にわかるって」

 柊羽の言葉に思わずため息をつく。英知もそうだけれど、二人は壱星と俺のことを子ども扱いしすぎだ。

「実は、この前のデュエットシリーズに振りを入れて、ステージで披露しようという話になってな」
「今日は、一番忙しい志季さんとスケジュール合わせをしてたんだ」

 壱星が手帳を開いてスケジュールを見せてくる。記されたライブの日程は確かにそこまで余裕があるものではなくて、新曲、しかもはじめての相手とのデュエットをというのならば少し焦らなければいけなかった。

「ってことは、俺は」
「ああ、翼と日程の調整をしてほしいんだが……

 志季が小さく言いよどむ。なんというタイミングだろう。良いのか悪いのかはわからないけれど。

……いま、翼を探してるんだけどさぁ」
「見つからないんでしょ?」

 ため息まじりに言葉を零せば、壱星が俺の言葉を引き継いだ。さすがは壱星、俺のことはお見通しらしい。頷いて見せれば壱星が小さく笑った。

「あの、志季さん」
「なんだ?」
「翼さんにも、このこと連絡してもらえないでしょうか。打ち合わせは今日、あくまで、仕事として」

 丁寧な言い方ながら、壱星がすらすらと要求を並べる。いったいどういうことだ、と首を傾げていれば、同じように思案顔をしていた志季が、ああと理解したように頷いた。

「それなら、少し焚きつけてやってもいいな。……壱流、今日このあとは仕事はあるのか?」
「ない、けど」

 なんだか志季の表情がいきいきしている気がする。こういうときはあまり碌なものではないと、以前柊羽がぼやいていたのを思い出して身が固くなった。

「おい志季、話の行先が見えないんだが」

 俺と同じく置いてけぼりになりかけている柊羽が声を上げた。便乗して必死にコクコクと頷いて見せる。志季の悪乗りに良い思い出がないのか、少し当たりが強い気がした。壱星もそれを感じ取ったのか、柊羽の袖を小さく引くと、「大丈夫だから」と宥めている。

「壱流、今日18時にここのレッスン室に集合だ。動ける格好と、翼を負かしてやるという覚悟を持って来い」
「へ、……お、おう」

 力強く言い切られた言葉に、思わず拳を握って返事をしてしまう。なにで負かすのか、打ち合わせではないのかというツッコミは雰囲気に流されて言えないままだった。

「まったく……志季のやつ、いったいなにを企んでるんだ」

 俺の返事に満足そうに頷き、電話をかけ始めてしまった背中に柊羽が苦言を呈する。俺もいまいち話が読めない。

「だからね、壱流、柊羽」

 顔を見合わせて困っている俺と柊羽に、囁くような言葉が飛び込んでくる。見ると、壱星が満足そうに笑っていて、そういえば話の元凶は壱星だったことを思い出す。頭が良い壱星が考えることはときどき俺でもついていけなくなることがあるけれど、この笑顔はどこか楽しそうというか、愉快そうと言うか、……あまり良い予感がしないものだった。でもさ、とりあえず。

――仕事なら、翼さんは絶対逃げられない、ってことだよ」

 その言い方は不穏すぎやしないか、壱星?



 事務所から少し離れたレッスン室を借りて声出しを行っていれば、不意にスマホが志季からのメッセージを表示した。レッスンとはいってもいきなりの予定で先生は捕まらなかったから、部屋の中には俺ひとり。少し考えて、まぁちょうどいい休憩時間だと連絡に返事を返すことにした。大事な仕事の連絡かもしれないしね。

「なになに~? 『今日18時 事務所内レッスン室でライブ新曲の打ち合わせ 動ける服装で』……。あいつ、オーディションの募集要項送ってるつもりなの?」

 どう考えてもLINEで行われるメッセージにはそぐわない事務的な内容に、こういうとこ変わんねえよなとため息をつく。もう慣れたし、わかるからいいけどさ。

「にしても、動ける服装か」

 メッセージにスタンプを返しながら、ちらりと持ち出した荷物を見る。最低限の財布とスマホ、それに変装用の帽子と眼鏡だけだった。レッスンと言っても、ボーカルレッスンのつもりだったから、動ける服装は持っていない。打ち合わせ前、夕方の仕事だってラジオ収録だし。今の時間なら一度寮にもどって取ってくるのが最良なんだろうけど、それはなんか、なんというか。

……捕まりそう、だよなぁ」

 今朝、共有ルームにやってきた壱流から逃げた自分を思い出して頭を抱える。先ほど大から、壱流が探してたという連絡が入ったばっかりだった。そりゃ、あんなに不自然な様子だったら壱流だって気にするだろう。俺でも飲んだ相手が次の日ああだったら気になって探すに決まっていた。
 けど、それでも、今の状態で寮に戻って壱流と話ができるかというと、ちょっと自信がないのだ。さっきは酒のせいだと割り切ったけど、結局顔を見たら狼狽えてしまった。次に顔を合わせてもあれじゃあ年上のかっこがつかない。壱流を子供だとか、侮っているとかはなくても先輩としてのプライドは意地でも保ちたい。……そう。これは、奥井翼としての意地だった。
 ちらりと備え付けられた時計を見る。部屋を借りてる時間はあと1時間ほど。その後ラジオ収録までは3時間ほどの猶予があるから、新しく服を買いに行く時間はあった。思うように声が出なければ延長しようかとも思ったけれど、今のところ声の調子は良好そのもの。ラジオ収録だってばっちりの自信がある。

「よし、もうちょい頑張るか!」

 頭の中でこれからの予定を立てながら、鬼畜仕様の譜面を攻略するために大きく息を吸った。仕事に本気で取り組んでいれば、この状態も良くなるだろう。記憶が鮮明なうちは駄目でも、案外さまざまなものは時間が解決する。それまで壱流には悪いけど、少し距離をとっておけば元通りだ。

***

「元通りの、はず、……だったんだけどなぁ」
「なにしけた面してんだよ、翼」

 夕方のラジオ収録を終えて指定のレッスン室に向かえば、そこには既に先客――壱流が、レッスン着で準備運動をしていた。打ち合わせって聞いてたんだけど? とは言わない。志季のことだ、新曲の振り入れくらいはするだろうと予想はしていた。でもそれがソロでもユニット曲でもないとは思わないじゃん。

……次のライブの新曲って、デュエットのことだったわけ?」

 しけた面って、意味わかってる? とからかいそうになった口を押さえてそう言えば、壱流がこくりと頷いた。

「おう。俺も昼間急に聞いた。次は合同ライブだってさ」
「まじか。志季のやつ、報連相ができないのも大概にしろよ……

 リーダーの突拍子もない行動に苦言を呈していれば、壱流が「それは柊羽もちょっとあるかも」と神妙な顔をつくる。部屋の中に妙な空気が流れて、お互いにため息をついていれば、はっとした様子で壱流が声を上げた。

「ってそうじゃなくて!」

 何かを思い出したようにこちらに向かってる来る壱流に、思わず目を瞬かせる。

「朝、なんで逃げたんだよ、翼」
……あー、それ、聞いちゃう?」

 今にも胸倉を掴んできそうな様子に思わず目を逸らす。 冷や汗がつぅ、と背中に流れたような気がした。

「昨日俺寝たまま連れて帰ってきてもらったって聞いたし、お礼言おうと思ったらお前逃げちまうし。わけわかんねぇ」

 けれど、壱流は胸倉をつかんでくることも噛みついてくることもなくて、あくまで冷静に、胸のうちを明かしてくる。その様子に、ああ大人になっちゃったんだなって。わからない、と、自分の弱いところを晒すことのできる壱流は、俺なんかよりもよっぽど大人なのかもしれないとぼんやり考える。そんな様子で来られたら、こっちだって誠実に向かい合うしかないじゃないか。

……壱流、お前さ、昨日のことどれだけ覚えてんの?」
「へ? えーと、飲んでて、途中で眠くなって。……あ、なんか翼がむかついて飲んでワイン貰った記憶はある」
「あげたんじゃなくて奪ったんだよ」

 思わずツッコミを入れれば、壱流がけろっとした顔で「同じじゃん」なんて首を傾げた。この末っ子気質め……
 に、してもだ。この様子だと、壱流はあの、告白まがいの(まがいの、ということにさせてほしい)言葉をすっぽり記憶から落としているということだろう。

「はーーー……お前、マジで覚えてなかったんだな」
「え、何、俺なんかしたの!?」

 力が抜けてしゃがみ込めば、壱流が狼狽え始めて思わず笑いが込み上げてくる。二十歳そこらなんだから酒の失敗のひとつやふたつ、とは思うけれど、記憶を、それもあんな衝撃的な言葉を落っことすのはだいぶ危ないような。

「お前、酒の飲みすぎには気を付けろよ」
「いやだから何したんだよ!」

 教えろよ、とわめく壱流に、大人なんだし教えてやれば、と心の中の冷静な部分が囁いてくる。なんか気恥ずかしいけど、それが大人としての正しい対応だろう。誰彼構わずにあんな様子を晒しては、芸能人として少し問題だ。成人したんだからスキャンダルにすっぱ抜かれたって言い訳は通用しない。けれど。

――俺と勝負して、勝ったら教えてやるよ」

 自分でもよくわかるくらいに、意地の悪い声が出る。たぶん、すごく悪い顔をしているという自覚もあった。
 ちゃんと酒の飲み方を教えてやるのが、大人として、芸能人の先輩としての、正しい対応なのはわかっている。それでも、壱流のあの言動が、他の誰かに向けられると思うと、なんだかむかついてしまう自分も確かにいて。対等な関係で、それからあの言葉の真意を聞きたいと思ってしまった。

……上等! 後悔すんなよな!!」

 壱流が口の端を吊り上げて吠える。やる気に満ちた様子に、思わず気圧されそうになるのを隠しながら、「着替えてくるから待ってろ」と声を掛けて、俺は密かに気を引き締めた。


きらめきを掌に掴むまで
「確かに、動ける服装と連絡はしたが……

 ガチャ、と扉を開けた志季が、部屋の中を見て眉間に皺を寄せる。「動いていろとは言っていないだろう」というぼやきと共に、皺の寄った眉間をぐりぐりと押した。頭が痛い、と言わんばかりの仕草だ。失礼な奴。
 なんて、声に出す元気は今の俺にはなかった。何故なら息は切れてるし、床に大の字になって立ち上がる気になれないから。志季の背後から部屋を覗き込んだ柊羽がぎょっとした表情をするのを、瞳がぼんやりと捉えた。たぶん、隣でうつぶせになったまま動かない壱流を見て驚いているんだろう。

「お前たちはなにをやっていたんだ」
「なにって、ダンスバトル、的な?」

 息を整えながら志季の質問に答えてやれば、再び頭が痛いと言いたげな目線が飛んでくる。悪かったって。

「どうしてそんなになるまでダンスをしていたんだ?」
「んーと……あれ、なんでだっけ」

 レッスン室を出てすぐの自販機で買ってきたと思われるスポーツドリンクを柊羽が手渡してくる。有難くいただきながら、こうなった経緯を思い出そうとするけれど、ダンスの記憶が強すぎて思い出せない。希望を込めて隣を見ると、同じようにペットボトルを受け取った壱流は話を聞く様子もなく喉に液体を流し込んでいた。

「おーい、あんま一気に飲むと体に悪いぞ」
「水分補給しねえと、無理!」
「それは、そうだなぁ」

 たぶんこのペットボトルを一本まるまる流し込んだって、出ていった塩分とか水分は補いきれないだろう。それくらい激しく動いた自覚があった。6歳も年下の相手に情けない、とはもう思わない。俺と壱流は、既にまったくもって対等だ。
 そこまで考えて、壱流が勝ったら昨日の酒の席での顛末を教えると言ったことを思い出す。とはいっても勝敗はついていない。ダンスを始めてすぐ、お互いに踊っていたらジャッジをする人間がいないことには気づいたけれど、そこで手足を止めてしまっては負けも同然。お互いに、体力が尽きるまで手を変え品を変え、曲も変えて踊り続けてしまった。
 それじゃあさて、俺が言われた言葉を壱流に教えてやる必要はあるのか。そう考えてちらりと横を伺えば、壱流はまだ疲労困憊の様子で水分補給をしてるから、たぶん始める前のことなんて頭からすっぽ抜けている。

「はぁ……とりあえずお前ら、着替えて来い。その恰好で風邪を引かれても困る」

 だったら、まだ言ってやらなくてもいいか。そう結論付けたところで、志季がため息とともに今後の方針を決定した。

「ほーい。行こうぜ」
「おー……

 半分ほど飲み切ったペットボトルを持ったまま立ち上がる。壱流に声を掛けるとのっそりと立ち上がった。いつも勢いよく動いている姿ばかり見ているから、なんだか新鮮で面白かった。手に握られたペットボトルはほとんど空で、腹壊すぞなんて苦笑いが零れる。

「なぁー翼、」
「ん?」

 しばらく沈黙のまま廊下を歩いていると、壱流がぽつりと言葉を零す。振り向くと、さっきまでの疲れ切った姿はもうなくて、代わりに真っすぐな瞳が俺を見つめていた。
 まるで、昨日の夜と同じ。そう思ったらぶわりと熱がぶりかえす心地がする。せっかく踊ってすっきりして、汗も引いてきたというのに。

「教えてくんねえの?」
「決着つかなかっただろ」

 そう言うと、壱流がむっと口を尖らせた。返事をするように肩を竦めた、のが悪かったのかもしれない。

……んだよ、それ」

 俺を睨みつけた壱流がぐっと俺の肩を押す。大して強い力ではなかったけれど、疲れ切っていた俺の足をよろめかせるには充分で、俺は廊下の壁へと背中を付けた。

「いち、」
「いつまで、子ども扱いすんだよ!」

 俺を逃がさない、とでも言いたいように、壱流の両手が背を付けた壁へと押し付けられる。 距離が、近い。

「お、おい壱流――
「背も伸びたし成人もした。ダンスだって、お前より上手く、は、ないかもしれねえけど、……負けないくらいは上手くなった! なにが駄目なんだよ、翼!」

 ほとんどゼロ距離から投げかけられて、ぐっと言葉を詰まらせる。背が伸びたとは思ってたけど、いつの間にかこんなにも近い。データで1センチしか差がないことはわかっていた。さっきも踊りながら、手や足の長さの違いがないから、ちょっとした伸びや細かい角度で完成度に違いを付けなければと躍起になった。
 けれど、額がぶつかりそうなくらいに近くのサファイアを前に、そんなことは考えられなくて。

「お、まえさぁ。……それ、そういうのは、反則だろ」
「は?」

 思わず頭を抱えてへたりこんでしまう。俺の様子に焦ったような壱流の声が聞こえるけど、誓ってわざとじゃない。早鐘を鳴らす心臓に耐えきれなくなったのは責められることじゃないだろう、たぶん。

「おま、いきなりどうしたんだよ」

 ため息をついて熱を逃がそうとするけれど、逃がせた熱よりも体の内側から湧き上がってくる方がよっぽど多い。さっきのダンスで過去最高レベルに汗をかいたと思ったけれど、今の方が熱いような気がしてならなかった。汗になって出ていかない熱は、体の内に詰め込まれたままでやり場に困る。
 ああもう認めるよ。この感情は、成長した後輩に対する感慨でも、弟分に対するものでもない。そういう言葉で誤魔化せるものでは、なくなってしまった。

「おい、翼?」

 黙り込んでしまった俺を壱流が心配そうにのぞき込んだ。認めたからこそ壱流のこんな様子は腹立たしい。そんな気分のまま心の赴くままに壱流の頬を両手でつかむ。あ、案外柔らかい。

「な、んだよ――
「ライブで、」

 驚いて瞳を瞬かせている壱流に、にっと口の端を上げて見せる。

「認めさせてみろよ。そしたら昨日のことも教えてやるし、子ども扱いだってやめてやる」

 本当はもう子ども扱いなんてしているつもりはないけれど。小さな嘘を隠してそう言えば壱流の瞳に闘争心が宿る。瞳がぎらりと輝いたような気がした。

「言ったな?」
「おう」
「もうはぐらかすのはナシだぞ」
「もちろん」
「よっしゃ!」

 壱流がガッツポーズを作る。単純な様子に苦笑いをしていると、壱流が俺に向かってすっと手を伸ばした。

「んじゃ、早く着替えて打ち合わせ戻ろうぜ」

 蛍光灯が逆光になって壱流を照らし出す。嬉しそうに笑う姿に、眩しい、なんて思ってしまった。

……だな」

 差し出された手に掴まって立ち上がる。蛍光灯で眩しいなら、ライブの照明を浴びたらどれだけ強く輝くのだろう。更衣室へ急ぐ壱流の背を追いながら、俺はふとそんなことを考えた。



 サイリウムの海が、きらきらと輝いている。

 黄色と赤色が一面に広がって、その中にぽつり、ぽつりと、ステージ上にいないメンバーを応援する色。それだって、俺の大切な家族たちを応援する色だから、嬉しくないはずはなくて。もちろん自分たちの色だって嬉しくて。どきどきと鼓動がテンポを上げていく。気分が高揚していくのが感じられた。

――!』

 曲が短い間奏に入ると、金色が視界の端を横切った。一歩前に出た翼は、当然のファンサービスとでも言うようにうちわを探しては様々な仕草をする。俺はそう言うの得意じゃないから、と考えてダンスで応戦することを決めた。ジャケット衣装に合わせて久しぶりに着た懐かしい衣装がふわりと揺れる。たった八小節の短い時間では上出来と言える歓声が沸いて、思わず口の端を上げた。

 インカムマイクに触れて、次の歌詞を口に乗せたとき、不意に見覚えのない色が客席にひとつ灯る。オレンジ色だった。俺たちの中の誰のメンバーカラーでもなくて、事務所の合同ライブとかじゃないと目にしない色。もちろん物販のサインライトにその色はないから、わざわざどこかで探してきたのだろう。この曲のためだけに、俺たちのために。
 そう考えたら居ても立ってもいられなくなって、思わず駆け出してしまった。ゲネとは違う俺の行動に、翼がこちらを向いてぱちりと瞳を瞬かせる。肩を掴んで、オレンジ色のサインライトを指させば、その金色が、ひと際大きく見開かれた。俺を振り返った翼が弾けるように目を細める。照明を補助するスモークの粒子が、やけにきらきらと輝いて見えた。オレンジ色の照明を反射して、金の瞳が存在を主張する。ああ、やっぱり眩しいなぁなんて、思わず目を細めた。

 負けだと感じたわけでも、悔しく思ったわけでもなくて。俺はこの一瞬、ステージの上で輝くこの男に、ただただ目を奪われた。

***

 なぁ、翼。と口を開けば、前を歩いていた金髪がふわりと揺れる。俺を映した金の瞳は、微かにステージの高揚を残してきらめいていた。

――好きだ」

 すとんと、心のうちにそんな言葉が収まる。収まった言葉をそのまま口に出してみれば、翼がぴたりと足を止めた。はくはくと音の出ないまま形の良い唇が動く。そんな様子を眺めながら、あ、俺って翼のこと好きだったんだ。なんて他人事みたいに考えた。
 確かに、そう考えるとなにもかもしっくりくるのだ。好きな人に子供扱いされたら悔しいし、隣に立てるくらいになりたいと思う。恋愛として誰かを好きなった経験は今までの俺にはなかったけれど、きっと間違っていない、よな? 心の中で頼りになる兄に問いかけてみると、笑顔で親指を上に向けていたからたぶん大丈夫。というか、打ち合わせのときから壱星は俺の気持ちに気づいていたのかもしれないな。

「おっ、まえ、さぁ……

 大きなため息とともに、翼が突然しゃがみ込んだ。こんなこと、前にもあったような――

「って、あ! そうじゃん約束! 教えろよ翼!」

 デジャブを覚える光景に思わず声を上げる。ライブに向けてのレッスンですっかり忘れていたけれど、翼と飲みに行った日のことをちゃんと教えてもらうと約束をしていたはずだ。
 問い詰めれば、翼がぱっと顔を上げる。心なしか、頬が紅潮しているように見えるのはライブの余韻だろうか。

「だから、それだよ、そ、れ!」
「は?」

 やけくそのように叫ぶ翼に、思わず疑問符が零れる。翼があんまり大きな声で言うものだから、横を通りかかった志季が小さく「……発作か?」と首を傾げていた。

……それ、って?」
「だから! ……『好きだ』って ! お前あの日も、酔ってそう言って、その直後に寝たんだよ!」
「え、」

 心臓がどきりと音を立てる。なんだそれ知らない。いいや、寝こけて記憶がなくなったんだから知らないのは当たり前なのかもしれないけど、いやそれでも。

……マジ?」
「マジだよ」

 じとりと俺を睨みつける金色が、今まで見たことのない色をしている。もしかしたらあの日一度見た色だったのかもしれないけど、忘れてしまうなんてもったいないことをした、なんて場違いなことを頭の隅で考える。じわじわと頬に熱が集まってくるのが感じられて、頭を抱えそうになった。
 同時に、小さな期待が胸の内に生まれる。告白したのを忘れて、次の日けろっとした顔をしていた俺を見た、翼の様子は変だった。それはもう、今までに見たことのない様子で。でも、それは俺を気持ち悪がってるとか、嫌いになったとか、そういうのではなかった――と思う。都合が良すぎる、気がしないでもないけれど。

……じゃあさぁ、翼」
「なに?」

 ぶす、とした表情でぶっきらぼうな返事が返ってくる。怒ったような様子を作っているけれど、その目元が色づいているのが隠しきれていないから怖くはない。

「返事は?」

 ほとんど確信と等しかった。だって、そんな酷い告白モドキをした俺と、ずっと変わらずに接し続けてくれたのだ。それを疑うほど、俺は思慮深くない。思わず口許が緩むのを感じながら翼を見つめると、翼は金色をゆっくりと瞬かせた。

――保留」

…………、は?」

 返された返事を処理するのに、少し時間がかかった。たっぷり間を開けた俺に、翼が満足そうに笑って立ち上がる。タイミングを計ったように、スタッフが「アンコールの準備お願いします!」と声を張り上げた。

「ほら壱流、早く行くぞ」
「え、ちょ、おい! 今そういう返事の流れじゃなかっただろ!」

 すたすたと歩きだした翼の後を慌てて追う。立ち上がった瞬間の肩回りが軽くて、言われたとおりアンコールの直前であったことを思い出す。いや、でも、やっぱそう言う流れじゃなかったよな!?

……俺はさ、場に流されてやるほど、安い男じゃないんだよね」

 暗転した舞台袖にたどり着くと翼が小さく言葉を零した。ともすれば、客席のアンコールにかき消されて聞き零してしまいそうな小さな声。けれど至近距離で呟かれたそれは確かに俺の耳に飛び込んできて、おまけに俺の心臓を早鐘に変えた。
 安い男じゃない、なんて、そんなこと、お前をずっと追いかけてきた俺はよーく知ってる。
 って売り言葉に買い言葉をぶつけるのは、なんだかガキっぽいから、ぐっと飲み込んだ。代わりに金の髪ごと翼の頬をわしづかむ。こつんと額をぶつければ翼が瞳を見開くから、なんだか溜飲が下がる思いがした。

……明日、休みだろ」

 ん、と翼が小さく言葉を返してくる。今はライブの真っ最中だし、数歩先には何よりも大切な俺たちのファンと、仲間たちが待ってるから、だから、今日のところは見逃してやる。

「迎えにいくから、首洗って待ってろよ」

 だけど次は絶対、逃がしてなんかやらない。
 そんな思いで言葉を投げかければ、見開かれた瞳が、すっと細められた。

――待ってる」

 手のひらから金糸がすり抜ける。ステージの方に、軽やかに向き直った翼がにっと口の端を上げた。その仕草に呼応するように、ステージが暗闇に包まれる。

「行こうぜ」
……おう!」

 ファンのサインライトと、微かな蓄光だけが頼りの世界。不安と期待が入り混じった世界へ向き直る。見れば、逆袖から入っていた仲間たちは既に配置についている。
 夢追い人へ。そんな祈りが込められた最後の曲を届けるために、俺たちはステージへと足を踏み出した。


あとがき

ここまで読んで頂き、ありがとうございます!
ちるつばが書けてめーーーっちゃ大満足です! フォロワーさんとお話してて「やったろ!」なった試みでしたが、完走できて一安心しています。ちるつば、6歳差1センチ差すっごい美味しいと思います……子供だと思ってた後輩に背中引っ掴まれてその目線が自分と同じだった気持ちはどうだ奥井翼……という気分です。そういうふたりがすき。新たなCOLORがすごくすき。曲調もすごく好きだけど、柊羽さんの祈りがぐぐぐって込められてる感じがめちゃくちゃ好きです(軽く曲解かもしれないけど)
今回のお話自体は、最初だけ決まってて割と見切り発車してしまいました。だから走り切れていますごくほっとしてます。ラスト2週のプロットに、「とりあえず頑張ってくっつけて」と書いてあるのを見つけたときは流石に過去の自分にキレそうになりましたが、なんとかなった。よかった。ちなみに連載時、全体のタイトルが決まっていなかったんですが、4ページ目のお話のタイトルがしっくり来たので、しれっと全体タイトルにしちゃいました。
個人的に、壱流がラスト、翼に翻弄されるだけではなく、そのほっぺを引っ掴むところが書けたのがおきにいりです。色んな原稿がひと段落したら、次の日のお話も書きたいなぁと思います。そろそろ観念するんだよ奥井翼。
さて、「あとがきは深夜」という謎のこだわりに則ってここまで書いてきたんですが、流石に自分語りが過ぎるのでこの辺でやめます!今の時間は午前一時です。普段よりは早い。
ここまで読んでくださった方、連載期間に読んでくださった方、本当に本当にありがとうございます! またどこかでお会いできれば嬉しいです!

のぶゆき


投稿にいいねする


© 2026 Privatter All Rights Reserved.