@EmptySeat_
「……じゃあ何、君は僕が何もしなかったら良かったって言う訳? "アレ"でいいんだ。へえ、見る目無いね」
あの日、交わした言葉の意味を。
「別に僕が正しいとは言わないよ。それに君達が不要なわけでも無い」
あの冷えた目の意味を。
「……ただ演出学科はもう要らない、それだけ。じゃあね市村、また明日」
今でもずっと考え続けている。
▶視点 市村将次
夏合宿が始まって数日、学科全体のソワソワとした雰囲気もようやっと落ち着きつつある。特に1年はこのホテルに着いてから終始ソワソワとしていて、相良なんて今にも何処かに飛び出していってしまいそうで。
まあ確かに合宿でこんなレベルのホテルに泊まるだなんて滅多にない事だから、気持ちが全く分からないとは言わないけれど。それでも学校行事の合宿だからね! ある程度は気を引き締めて挑んで貰わなくてはいけない。
特に次は夏公演。一般のお客様を入れ、実際にお金を支払って観劇して頂くのだ。前回以上に完成度の高い舞台を提供出来るようにしなくてはね。
胸に拳を当て、気合いを入れる。本格的に座長として挑む、初めての公演。気合いも入ろうと言うものだった。
午前中には全体での基礎練習、その後各自足りないと思う部分の自由練習。お昼を挟んで、午後から夏公演の練習へと繋がっていく。小ホールのうちの一つを貸切にしていただいて練習をする訳だが、やはりホールに入る度にその規模の大きさを痛感してしまうものだった。こういうホテルに来る経験自体は特別珍しいものでも無かったが、それでもこうも長期というとどうしても珍しい経験へと変わっていく。1年の頃なんかは僕も驚いたものだっけ、となんだか懐かしい心地になった。
ホール内には既に殆どの生徒が集まっている。壁に掛けられた時計を見るも、それはまだ集合時間前で。──それはつまり、やる気十分だってことだ! 笑みを深め、扉を閉じる。大きく息を吸って、僕は全体に声を掛けた。
「うん、揃っているようだね! それじゃあ少し早いけれど、練習を始めてしまおうか!」
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「市村君」
休憩時間。後ろから掛けられた声に振り返ると、そこには篝里がいた。お疲れ様、と差し出されたのはポカリスエットの入った冷たいペットボトルで、どうやら近くの自動販売機に行ったついでに僕の分も買ってきてくれたらしい。こういうのは断るよりも受け取る方が彼は喜ぶから、素直に礼を言ってそれを受け取った。
ひんやりとしたペットボトルがきもちいい。最近は暑くなったからなぁとぼんやりと思いながら、僕は鞄の中にある財布から160円を取り出して篝里に差し出した。苦笑している空気を感じるが、その辺はしっかりとしておきたいのだ。「僕の分も買ってきてくれてありがとうな、篝里」と念を押せば、また苦笑してようやっと受け取ってくれた。
「思ったより元気そうでなによりだよ」
手の中の小銭を少し揺らして、そんな事を篝里が言う。首を傾げてこちらを見ると、「いや最近何となく根を詰め過ぎているような気がしていたからさ」と笑った。杞憂だったらいいんだけどね、と続けられた言葉に少しばかり図星をつかれたような気になる。──正直な話、根を詰めていないと言ったら嘘になるからだ。
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「……ちょっと待ってくれ。君、前までこの量の仕事を一人でこなしてたのか?」
「そうだけど」
初公演明けから改めて引き継ぎをされた座長の仕事。蓋を開けてみれば、それは座長どころか舞台監督の域まで到達していた。
他学科の取りまとめ、照明・音響・大道具及び小道具・特殊効果・出演者の動きの把握及び調整、小道具の安全チェックやスケジュール・予算の管理。各種届も大体御剣が学校側に提出していたようだ。
目眩がするぐらいの仕事量に頭を抱えていると、とりあえず今日はこれだねと一部の冊子を手渡される。
「『海の中の白鳥、水母の骨』──」
「夏公演の脚本だよ。最終調整が終わったからね、キャスティングでもしようかと思って」
脚本として整えられていないらしいそれには手書きで表紙の文字が綴られていて、印刷したてで暖かいその紙をペラリとめくる。
──それは、海の底に沈んだ教室で繰り返される夏の日の話だった。
舞台は教室、登場人物は"君"と"僕"。沈んだ教室の中で2人、今日も夏期講習を受けている。外は海であるはずなのに、いつも当たり前のようにガラリと戸が開き"先生"が姿を表す。日によって違うプリントと日によって違う生徒達に囲まれながら、今日も似たような日々に二人その身体を揺蕩わせている──……
読み終え顔を上げると、御剣がじっとこちらを見ていた。どうやらなにか作業をしていたらしい。手元にある彼女の脚本には、先程よりも随分と書き込みが増えていた。
「どう、読み終わった?」
「うん、読み終えたよ。なんだか御剣作脚本としては随分珍しいジャンルの話な気がしたな。キャラクター一人の心に重きを置いた、涼しげで儚い話だった」
良かったよ、とても素敵だった。感想を述べると、いつものように少しだけ笑みを深める御剣。
「……にしても、キャスティングってこの表紙に手書きで書いてあるこれかい?」
「え? ああ、君の所に間違えてメモをしていたのか……。そうだよ、僕はそのキャスティングで進めたいと思ってる」
「"僕"が蜂谷、"君"が福瀬か……。てっきりこの明るい性格の"君"は灰破が適任かなと思っていたのだけれど」
「いや、"君"は福瀬一稀さ」
強い口調に、驚いて脚本から顔を上げる。何故か御剣は眉をひそめてそのキャスティングメモを見ていて、僕はその表情に息を飲む。
「……大体、アレはそろそろやらかすよ。とんでもない事になる前に早めに叩いておいた方がいい」
「叩いておいた方が──って、一体何をしようっていうんだ君は……」
「僕がするんじゃなくて、福瀬がするの。注意深く見ておいた方がいいよ、彼女。僕も大概だからあんまり人の事を言わない方がいいんだろうけれど、下手したら僕以上に彼女は頭のネジが抜けている」
何をするかの予測がたっているわけじゃ無いんだけれどね。そんな気持ち、理解出来るわけでもないし。そう淡々と言う彼女は、何かを見据えているようだった。まるで予知でも見たかのように、そんなことを言う。
「たしかに福瀬は危なっかしい所があるけれど、そんな危険な事を自らする様な子には思えないけどな……」
じっと、こちらを見つめる目。……やがて諦めたのか、はぁと小さなため息が聞こえた。
「そうだといいね」
御剣はそうしめくくると、まるでこの話はおしまいとでもいうかのように他のキャスティングの話をし始める。それ以上の議論は無駄だと言わんばかりのシャットアウトっぷりに、結局それ以上聞くことは出来ずそのまま流れていくのであった。
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ついでのように思い出したそのエピソードに苦笑する。
「まあそれなりに忙しいけれど、無理はしてないつもりだよ。僕が体調を崩したら他生徒にも迷惑を掛けてしまうしね」
ホール全体に目を向ける。福瀬は僕の丁度対角の方にいて、一心不乱に脚本を読みふけっていた。……やっぱり、そんなに危険な事をする様な子には見えないけどなぁ。キャップを開け、一口。自覚はあまりなかったけれどやはり喉は乾いていたらしい。
「……そうかい? ならいいけれど、君は責任感が強いから。僕で良ければ何でもするから、何かあったら頼っておくれ」
じゃあ、君も困った事があったら僕を頼ってくれよ。喉から出かかった言葉をそっと飲み込んで、「ああ!」と微笑む。──いつだって、僕は君に頼りきりなような気がしていた。
出来ることなら、君が僕の抱えている物を支えてくれているように、僕だって君の抱えているものを支えたいんだ。一度断られたそれを、もう一度蒸し返すのは失礼だと分かっているから言わないし、これ以上踏み込まないけれど。
いつか、僕も頼ってもらえる日が来るんだろうか。分からないけれど、来て欲しいとだけ思った。
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視界が急にホワイトアウトする。目の上に乗せていたタオルが取られ日に晒されたようで、眩しくて目をぱちぱちと瞬かせた。クリアになった視界でもう一度声のした方を見ると、そこには呆れたような目でこちらを見やる御剣三鶴がいる。
「君、練習中に倒れたんだけど記憶ある?」
遠くからは本読み練習をしている声が聞こえる。……どうやら僕の役は南天寺先生が代役を務めているようで、生徒の声に混じって芯の通ったよく通る声がここまで響いてきていた。
記憶は若干混濁していて、はっきりとあるのは休憩時の篝里との会話ぐらいだった。その後はぼんやりとしていて上手くまとまらないというか、思い出せない。
ぐらぐらするし、気持ちが悪い。……そういえば、倒れる寸前に視界が緑にブレた気がする。
「多分熱中症だと思うけれどね。──はい。これ、君の荷物の近くにあったんだけれど市村の飲み物であってる?」
差し出されたのは篝里が買ってきてくれたポカリスエットで、その中身はまだほとんど減っていない。
「もしかして練習始まってからこれしか飲んでなかったりするの? それだったら純粋に自業自得なんだけれど」
──おそらく、そのまさかなのであった。座長業務で手一杯で、自分のメンテナンスが随分と疎かになってしまっていた自覚がある。やってしまった……床に寝そべりながら、ひっそりと頭を抱える。御剣はそれを冷ややかな目で見ていて、それがどうにもこうにも痛かった。
「まあ、気持ちはわかるけれどね。僕もよく忘れて寮で倒れていたし」
自分の事よりも舞台の事に向き合っていたいもの。そう言って、御剣はまっすぐ本読み練習をする役者の卵達を眺める。釣られるように僕も身体を起こしてそちらを見ようとして、「君はまだ寝てろ」と御剣に脇腹をつつかれた。
「大体、その原因は大方仕事量でしょ。元々随分疲れが溜まっていて、最後のひと押しの熱中症にやられた感じなんじゃないの?」
「まあ…多分……」
「なんで篝里に仕事を回さなかったの」
それは、
「え…」
「事務処理は篝里の方が得意でしょ。適材適所でやればいいと思うのだけれど」
……いや、だって、御剣が一人でやっていた仕事を僕が引き継いだのだから、僕がやるべきだと思ったのだ。仕事量が多くても御剣はこなしていたし、御剣はこの上に脚本作業や演出家の仕事まで請け負っていて。──だったら僕だって、座長としての仕事ぐらいは出来なくてはいけない、そう思って。
「あのね、その仕事僕が勝手に引き受けてこなしていたものもあるから正直座長の範囲を超えているんだよ。だから別に無理なら言ってくれれば減らしたし、そもそも君一人でこなす必要もない」
そもそも僕だって睡眠削って死に物狂いで回していたからギリギリ回っていたみたいなものだしね。灰破とか篝里がいなければ病院沙汰だったような事も一度や二度じゃないし。
なんでもない事のようにそう続ける御剣。いや正直それは反省して改善して貰いたいものなのだけれど。
「大体、君はある意味テストケースみたいなものなんだから、きちんと報告してもらわなきゃ僕だって困るんだよ」
「……テストケース?」
「そう、テストケース。僕の仕事を誰かに引き継いだ時、ちゃんと引き継ぐ事が出来るのかのテストケース。僕にはどう足掻いても君達のキャパなんてわからないし」
「──これから僕は卒業する。その時に渡した仕事が多過ぎて、こなせなくて困った! ……とかになっても、その時には僕はいないでしょ」
だから、無理だって言うのも君の仕事なわけだ。……わかるかい? 車椅子から身を乗り出して、どこか悪戯っぽく微笑む御剣。
「君の長所のうちの一つはその人望の厚さだろう? それを自分から潰してどうするのさ」
「──存分にその長所を発揮するといい、座長。それは僕には到底真似の出来ない、君の"才能"なのだから」
練習終了後、ホールを見渡し見慣れた背中を見つけると、一直線にそちらに歩いていく。
「篝里!」名の持ち主が、待ってましたとばかりに振り返って微笑んだ。
「すまない、少し手伝って貰いたいことがあるんだけれど、いいかな!」
「ふふ、君がそう言ってくれるのを待っていたよ。──もちろん、僕に出来ることなら喜んで手伝わせて貰うよ、市村君」