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Lost Diara/世界滅亡日記6-2

全体公開 Lost Diara 14224文字
2022-09-29 22:21:26

ジノとリヴィウィエラがわちゃわちゃする話ですが痴女がいます。こちらは全年齢版です。



「今日は少し、やらなければならないことがあるんだ」
 朝食を済ませたところで、リヴィウィエラが思い出したように口を開いた。水を飲んでいたジノは器を置いて、なんだろうかと軽く瞬く。
「用事があるのか?」
「ああ。出来れば早めに済ませておきたい。それで、君はどうするかと思って。好きに過ごしてもらって構わないんだが、ここには何もないから退屈だろうし……
 思案するようにリヴィウィエラは言う。そうか、とジノも頷いた。考えるまでもなく当然のことだ。この世界で何もやることがない自分とは違い、リヴィウィエラには忙しい日もあるだろう。
「どこかに出かけるのか?」
「そうだな。……君が外に出るのが嫌でなければ、一緒に行くか?」
「えっ、いいのか? 仕事があるんだろ?」
「ああ、でも、待つだけでそれほど忙しくするわけではないから。……まあ、行ったところで、楽しくはないかもしれないが」
 ぽつぽつと話しながら、リヴィウィエラは僅かに目を伏せた。静かな声音は淡々としているけれども、どうやら本人はあまり乗り気ではないらしい。内心で頷きながら、ジノはテーブルの上で手を組んだ。どこの世界でも、仕事とはそういうものなのだろう。
「俺は、どのみちやることはないからなあ。リヴィウィエラが構わないなら、一緒に行きたいけど」
 一人でいてもあれこれ考え込んでしまうだけだし、退屈を紛らわすにもここには何もない。好きに出歩いて構わないならそうしたいところだが、あまり歓迎されないこともわかっていた。それならリヴィウィエラにくっついていた方がまだマシというものだろう。会話も出来るし外にも出かけられる。仕事があるという、彼にとっては邪魔なだけかもしれないが。
 素直にそう答えると、予想に反してリヴィウィエラは僅かに肩の力を抜いたように見えた。
「そうか。なら、そうしよう。……そうだな、君を、連れて行きたい場所もあるし」
「連れて行きたい場所?」
「うん。でも、それは後でだ。先にやらなければならないことを済ませよう」
 会話もそこそこに、リヴィウィエラは立ち上がるとテーブルの上にあった果物の皮や殻をまとめて布に包んだ。あれらはどうするのだろう、と以前から疑問だったのだが、本人曰く後で土に埋めるらしい。
「もう出られるか?」
「ああ、大丈夫。行こうか」
 着の身着のままで生活しているので、元より持ち歩く荷物などあるわけもない。今朝はゆっくり過ごしてしまったから、窓から見えるぼんやりとした太陽も次第に高い位置に移動しつつあった。早足で部屋の外に向かうリヴィウィエラを追って、ジノも立ち上がる。


 ***

 例の『門』を使った移動にも、少しずつ慣れてきたような気がする。初めに感じたほどの目眩や気分の悪さはなくなってきたが、やはり一瞬のうちに移動が完了しているという不思議には一向に慣れる気はしなかった。いつかは当たり前に感じるようになるのだろうか。そうなる前には、自分の世界に帰りたいところだが。
……なんか、この辺りはまた、全然違った感じの場所だなあ」
 光る『門』を出てからすぐに、ジノは周りの光景を見回して軽く息をついた。例によって地上にはまた以前と同じ、何もない光景が広がるばかりだと思っていたのだが。
「今まで君を連れて行った場所よりも、ずっと遠くに来たからな。ほら、ここからはサーヴァの山も見えないだろう」
「あ、……そういえば、そうだな」
 言われてみれば、これまで訪れた場所からは必ずあの不思議な山が見えていたのに、今いる場所からはそれらしきものは見えなかった。広大な平野なのだろうか、遠くには青く霞む山脈の影がぼんやりと浮かんでいる。そうした自然の風景自体は、他の場所とそう変わりはないようだ。
 ジノが一番驚いたのは、平野の真ん中を突っ切るようにして延びている大きな道だった。それもただ踏み固められて出来た道ではなく、石を敷いて舗装されている。明らかに人工的に整備されたものだ。蛇行することもなく真っ直ぐなその道を視線で辿ると、巨大な建造物の影が遠くに見える。
 リヴィウィエラが山脈の方を指差しながら、ジノに語りかける。
「ここからもっと北に行った先に、とても大きな湖があったんだ」
「湖?」
「ああ。それもあって近くには早くからヒトが住んでいた。ただしその湖は冬には凍ってしまうから、湖から出た河に沿ってヒトも分かれて暮らすようになった。彼等は気候のよいところを選んで集落を作り、そのいくつかが発展して大きな集団になっていった」
「へえ……
 やはり豊富な水源のあるところにこそ、大規模な居住地が出来るものらしい。住む土地を自由に選べるのであれば、それも当然のことだろう。ジノが頷くと、リヴィウィエラは今度は舗装された道に視線を落とした。それから、道の先にある物々しい建造物を再び指差す。
「ヒトの大きな集団は、いくつかは栄え、いくつかは滅び、多くがまとまっては分かれることを繰り返した。……ここもそのひとつだ。世界に不死者が蔓延るずっと以前から、この地にはひとつの国があった。他の国よりもいくらか大きくて、住むヒトも多かったな。だからこうしてわざわざ、道を作ったりしていたんだ」
……なるほど。じゃあこの道の先に行くと、その国の領地に入るってことになるのかな」
 長い道の先にある建造物は、壁か、或いは巨大な門のように見える。この世界では集落の境が壁で区切られているのが一般的なようだから、大きな街になるほどその境界は強固になっていくのだろう。どれほど栄えていたのか、興味がないと言えば嘘になるが……
「気になるなら、行ってみるか?」
「えっ、いいのか?」
 提案に驚いて振り返ると、リヴィウィエラはなんでもないことのように頷いた。
「もう誰もいないから、捕まってしまったりはしないし大丈夫だ。君が楽しめるかどうかはわからないが、街の形はそれなりに残っているだろうし」
「そうなのか。それなら、ちょっと近くまで行ってみたいかな」
「なら、そうしよう。……わたしもこの辺りまで来るのは久しぶりだ。なくなる前に見ておきたい」
 リヴィウィエラがすっと片手を差し出してくる。いつの間にか、一緒に歩く時には手を繋ぐのが当たり前になってしまったらしい。若干面映く感じながらも、思わず口元を緩めてジノはその手を取った。しっかりと握られた手を引かれるように、石畳の道に沿って歩いていく。
 足元にある石は、道に敷くくらいだから、元々はずっと硬い石だったのだろう。今となっては辛うじて形を留めているといった有り様で、体重をかける度にパリパリと音を立てて崩れていってしまう。凍った水面を歩いているような錯覚に陥るほどだ。リヴィウィエラはなるべく体重をかけずに歩く術を心得ているようで、真っ直ぐに道路の真ん中を進んでいく。
 道なりにしばらく歩き、やがて眼前に現れたのは、大きな石を高く積んで作られた巨大な門だった。罅割れ、だいぶ朽ちてしまってはいるが、在りし日の重厚感を想像するのには十分な名残がある。門の両脇からは街を取り囲んでいるのだろう壁が、左右にずっと延びていた。ただしそのところどころが、人為的に破壊されたように崩壊しているのが少し気に掛かる。
「壁が壊れてる。ここも罅が酷いから、崩れたのかな」
「ああ……いや、あれは、壊されたんだ。ここは大きな国だったが、最後には、他の国に滅ぼされてしまったから」
……そうか、戦争か」
 リヴィウィエラに手を引かれるままに、門を抜けて街の中へと入る。外壁に近い辺りの建造物には、確かに破壊の跡が見て取れた。ただしそれらは、戦争によるものと言うにはそれほど致命的には思われない。家屋の壁や屋根は壊されているが、いずれも形を留めているものばかりだ。尤もこの世界の文明レベルを想像する限り、これでも十分な被害ではあるのだろうが。
「大量破壊兵器とかは、なさそうだもんな……
「何がだ?」
 ぽつりと呟いた言葉に、一歩先を行っていたリヴィウィエラが振り返る。慌ててジノは顔の前で手を振った。独り言に反応されると、なんだかとても照れ臭い。
「な、なんでもないよ。ただ、戦争があったって割にはそんなに壊れてはいないなと思って」
「それはそうだろう、住処を巡っての戦いだったんだ。街を破壊して、住めなくなっては意味がない」
……街をそのまま奪うのが目的だったってことか?」
「そうだ。何しろこの街を……いや、国を滅ぼしたのは、アリューラ達だからな」
 静かな声でそう言って、リヴィウィエラはふと空を見上げた。突然出てきた単語にジノは思わず息を詰める。何か言葉を返そうとするより早く、リヴィウィエラの目が再びジノを見つめた。
「ところで、わたしはそろそろやるべきことをしなければならないから、行こうと思うんだが……君はどうする、トール」
「え、……あ、ああ、そうか。仕事があるんだったよな。そうだな……せっかくだから、もう少し見て回りたい気もするんだけど」
 もう誰も住んでいない廃墟と化した街に、見て楽しいものがあるとも思えない。だが、不思議とどこか惹かれるものがあるのも確かだった。見知らぬ場所を当てもなく歩き回ってみたいという、子供の頃には叶えられなかった願望が蘇ってきたのかもしれない。
 そう素直に答えると、リヴィウィエラは特に表情を変えることもなく頷いた。
「わかった。それなら、君はここにいるといい。後でまた迎えに来る。ただし、街の外には出ないでくれ。それから、無闇にその辺りのものに触らないように」
……いいのか?」
「そうしたいんだろう? 構わない。ただ、くれぐれも気をつけて。得体の知れないものを見たらすぐ逃げるようにしてくれ」
 小さな子供に言い含めるように注意事項を重ねられて、ジノは眉を下げながら頷いた。きゅ、と握られた手を同じように握り返すと、納得したのかリヴィウィエラの手がするりと離れる。
「では、また後で」
 小さな声でそう呟くと、リヴィウィエラはジノから一歩離れてとん、と片足で軽く地面を蹴った。途端、彼の背中に生えていた小さな一対の羽がぶわりと広がり、巻き起こった光の粒子が一瞬のうちに全身を覆い隠す。
 ジノが反射的に閉じた目を開いた時には、もうそこにリヴィウィエラの姿はなかった。僅かに残った粒子がキラキラと空気に溶けて消える。ほう、と思わず溜め息をついてしまった。いつも驚いていたり混乱しているばかりだったから、リヴィウィエラが姿を消すのをきちんと見るのは初めてだったかもしれない。それでなくともジノが目を回して以来、二人で移動する時には『門』を使うようになっていたので。
「綺麗なもんだな。……いいなあ、あれ。酔わずにいられるんだったら、便利だよな」
 瞬間移動、テレポーテーション、そういった類いのものだろうか。超能力、とかつて呼ばれたものは残念ながら、実在したとしてもそれほど強力なものには成り得ないというのが現在の一般的な認識だ。精々が物を少し動かしたり、勘が鋭かったりする程度。それだってあるとないとでは違うのだろうが、必要になることは滅多にない。物は手で動かせばいいのだし、感覚を鋭くしたいのなら脳を少しいじればいいのだから。
 だがこの世界でリヴィウィエラやレゼが見せるものは、それらとは一線を画している。フィクションであれば魔法、とでも呼んだ方がいいのだろうか。とはいえもちろん、ここは現実だ。いいな、と素直に羨む気持ちが出てきたというのは、ジノがこの現実に慣れ始めたことの証拠かもしれない。
 それはともかく、と、ジノは首を上向けると改めて周囲にある石造りの建物を見た。朽ちてしまってはいるが、往時の面影を未だに残したその街並みは、廃墟と言うよりも遺跡に近い雰囲気がある。門から続く大きな道は街の中央に向かって延びているようだった。とりあえずは素直に、道を辿って歩いてみることにする。
……なんか、残念だな。本当にただの観光だったら、もっと素直に楽しめたんだろうけど」
 幼い頃、ベッドから出られないジノの唯一の娯楽は本を読むことだった。映像記録もあったけれども、自分のペースで進められる書物の方が性に合っていたのだ。一時期は本当に、内容を問わず本を読んでいた覚えがある。
 その中でも気に入っていたのが、古代の文明や遺跡に関するものだった。もし無事に大人になったら、考古学者になりたいと夢見たこともある。その夢は結局叶わなかったし、自由に旅行にすら行けないような身分になってしまったが、未知なる過去に憧れる気持ちは今でも変わりはなかった。
 パキパキと軽い音を立てながら、ジノは街の中心に向かって歩を進めていった。通りにある家の軒下には、当時使われていたものだろうか、雑多な道具がそのまま積み重ねられて残されている。道具も、家も、街を飾るあらゆるものが、白茶けて罅割れているのはやはり他の場所と同じだった。何気なく、ジノは懐からリンクスを取り出して目の前に翳してみた。強化金属で出来たカバーにはまだ小さな罅が入っており、元に戻るような様子は見られない。
 劣化には強い素材のはずだ。それがほんの少し地面の上に落としていただけで、こんな風になってしまうなんて。改めて考えると、理解の範疇を超えた現象だった。
……なんで、罅割れなんだろうな」
 この世界はいずれ滅ぶのだという。これが、その前兆なのだろうか。罅割れた建物は少しの衝撃で粉々に砕けてしまった。そのうち全てが罅に覆われて、色を失くして、砕けて消えてしまうのだろうか。街も大地も、山も空も……いつかはレゼや、リヴィウィエラも?
……っ」
 強く頭を振って、瞬時に浮かんだイメージを思考から振り払う。考えたくないことは、考えないようにするべきだ。毎回毎回任務の前にしつこく言われることだった。負のイメージは悪い出来事を引き寄せる。科学的思考だとは言えないが、体感としてそれは正しいとジノは思っていた。最悪を想定するべきではあるが、やたらに想像するべきではない。
 ふう、と大きく息をつき、落とさないようにリンクスをしっかりと内ポケットに収める。気を取り直して、ジノは道路の真ん中に立つと辺りを眺め回した。街の入り口付近には壊れた建物も多かったが、道を進むにつれて人為的な破壊の痕跡は少なくなってきている。
 人の気配は絶えているのに、生活感が残ったままなのが、ジノに奇妙な感慨を抱かせた。確かにここで暮らしていた人々がいたのだ。彼らは一体どうなったのだろう。戦争で滅んだ国だとリヴィウィエラは言っていた。それは元々の住民から街を奪う為の争いであり……襲ったのはアリューラ、不死者だと。
 歩みを再開する。道路は街の中央に続いており、前方を見ると少し離れた場所に、他の家屋よりもずっと大きな建物があった。ただしその建物は他のどこよりも損傷が酷いように見える。どうやら意図して、集中的に攻撃を加えられたようだ。
「ああいうのはたぶん、王宮とか、行政府の建物だよな……ほとんど残骸だ」
 辛うじて形は残っているが、壁も屋根も壊れて今にも
崩れてしまいそうだ。戦争で滅んだ国の、おそらく中枢であろう建物。敵対者に徹底的に破壊されたとしても、何もおかしなことはない。近くまで行ってみたい気もするが、損傷の具合から考えると、あまり近付くのは危険だろう。
 行けるところまで、と決めて、ジノは更に歩き続ける。やがて辿り着いたのは、街の中心と思われる広大な広場だった。例の残骸と化した建物は、広場を見下ろす高台に位置している。下から見上げるだけに留めて、ジノは広場をぐるりと見回した。
 公園のような場所だったのだろうか。あるいは、市場や娯楽の為の場所だったかもしれない。かつて存在していたであろう賑わいは、今はもう何も感じられない。石畳も、建物も、何もかもが白く罅割れ朽ちている。
……? なんだ、あれ……
 そんな光景の中に、ふと異質なものを見つけてジノは首を傾げた。広場の周囲をぐるりと取り囲むように、四角い石の塊が並べられている。随分と大きなものだった。人間一人くらいなら、乗ってもびくともしないだろう。上面には丸く窪みがあって、何かを設置することが出来るようになっているようだった。
「台座……か? 何か、飾るためのものかな」
 彫刻なり、銅像なり、置けそうなものはいくらでも思いつくが……それにしては、どうにも台座部分が大きすぎる。それにどうしてこんな風に、いくつも並べる必要があるのだろう。考えたところでわかるはずもないが、ジノはもう一度首を捻る。リヴィウィエラに聞けば知っているだろうか、と考えたところで……突然、ぞわりと背筋に悪寒が走った。
……ッ!?」
 弾かれたように背後を振り返る。きりきりと音を立てて、義眼が周囲を忙しなく検索した。今、誰かがこちらを見ていた気がする。はっきりと、睨め付けるような視線を感じたのだが……そこには、誰もいなかった。
 気のせいだろうか。けれども確かに、視線のようなものは感じていた。ふと、再び台座に目を向けて、何気なくジノはそこから遠ざかった。何を考えたわけでもない、無意識の行動だった。だが、その時。
――それのことが、気になるのか?」
 突然聞こえた言葉を脳が理解するより早く、背を揺さぶるような衝撃と共に体がぐらりと揺れた。反射的に踏鞴を踏むジノの思考に、再び言葉が割り込んでくる。
「知りたいのなら、どれ、見せてやろう。わらわの貴重な記憶じゃ、有り難く思えよ」
 誰かが喋っている、とは辛うじて理解出来たが、脳髄が不快に揺らいでそれどころではない。倒れ込んだりしないようにと膝に力を入れ、ジノは強く目を閉じて眩暈に耐えた。そうしている間にもくるくると、耳の奥で知らない笑い声がする。――知らないはずだ。いや、だが、どこかでこの声を、聞いたことがあるような。
 黄色い、爬虫類を思わせる眼がじっとこちらを見ている。突如としてそんな幻覚に襲われ、生唾を飲み込んだジノはどうにか目をこじ開けようと額に力を込める。何が起きているのかはわからない。だが、この状況は異常だ。すぐにでもここから離れなければ。そう判断し、一歩踏み出した足を、目の前に広がる光景が地面に強く縫い止める。
……え、」
 辛そうに細められていた目が、一瞬のうちに大きく見開かれた。は、と胸の奥から収まり切らない吐息が押し出される。先程までの、白茶けた廃墟の広場がどこにもない。地面も、道も、建物もその屋根も、まるで往時の姿を取り戻したかのように、色鮮やかに眼前に広がっていた。
「な、……なんだ、これ……
 思わず溢れた言葉は、しかしジノ自身の耳にもほとんど聞こえなかった。一瞬のうちに息を吹き返した広場は、歓声と怒号に包まれていたからだ。ジノは呆然と、居並ぶ群衆の背中を見つめた。人間だ。あれほど彼らの姿を求めていたというのに、あまりにも異様な状況に、全く身動きが取れない。
 広場に集まった人々は、口々に何かを叫んでいた。何を言っているのかは全くわからない。未知の言語で叫ばれる言葉が、けれども好意的なものでないことは肌で感じられる。
「これは、娯楽の記憶じゃ」
 混乱の極みにある頭の奥に、また同じ声が聞こえてきた。警戒すべきものだと頭ではわかっているが、言葉が理解出来るというだけで、図らずも僅かな安堵を覚えてしまう。
……ッ、誰だ!」
 振り払うように、ジノは鋭く誰何の声を上げた。どくどくと、心臓が嫌なリズムで波打っている。声は一拍の後、またくるくると喉を鳴らして嗤った。辺りを見回しても、声の主と思しき姿はどこにもない。
 広場には四方八方から人々が集まっているようだった。ジノのすぐ側を駆け抜けていく者もあったが、誰一人としてこちらには見向きもしない。彼らの目的は明白だった。
 群衆の取り囲む先には、ジノが見た例の朽ちた台座があるはずだった。恐らくその台座の上にかつて存在していたのが、今目の前にある木組みの柱なのだろう。奇妙なほどに背の高い柱を垣間見て、ジノは反射的に片手で口元を覆った。すぐに視線を外し、顔を伏せたところで、愉しげに笑う声が言葉を紡ぐ。
「愉快であろう、ヒト共も皆興奮冷めやらぬ。善き哉善き哉、これはわらわも気に入りの記憶だ」
「っ何が、……っ、くそ、なんだよ、これ……!」
「そう熱り立つな。気になるようであったから、見せてやっているのだぞ?」
 声が嗤うのと同時に、先程と同じように目の前がまたぐにゃりと歪んだ。まるでカメラで撮られた映像を操作しているかのように、ピントのぶれた光景が上方からの俯瞰視点に切り替わる。
 だからだろうか、奇妙に現実感を損なわれた景色はまるで作り物のようだった。まともに直視したダメージが思ったより少なかったのは、そのおかげかもしれない。それでもジノは強く眉を顰め、腕で口元を覆って顔を背けた。作り物では有り得ない、歓声と怒号が谺している。
……っ、なんで、こんなこと……
「言ったであろ、これは娯楽。縛られておるのは罪人で、ここは今、処刑場じゃ。……どんな罪を犯したのかまでは、はて……覚えてはおらぬな」
……処刑、って。でも、だって、あんな……
 視界に嫌でも入る光景を、振り払うようにこめかみを押さえた。鈍い音が響く度に、群衆の上げる声は一際大きくなっていく。
 石打ち刑とでも言うのだろうか。台座の上にある柱には、それぞれに人間が縛り付けられていた。一様にぐったりとしている彼らに向かって、何かを叫びながら周囲にいる人々が大きな石を投げている。一体どれくらい続いているのだろう、罪人たちの体は赤黒い痣と裂かれた傷に覆われて目も当てられない。一体いつまで続くのだろう。死刑だと言うなら一思いに殺せばいいのに、何故このような、残酷な。
「理由など、わらわは知らぬ。ヒトはヒトを痛めつけ、殺すのが好きなのじゃ。それが罪人であり、自らが正しいとなれば尚更。そしてわらわは、その様を見るのが楽しみでならぬ」
 ジノは強く喉を詰まらせ、歯を食い縛った。勢いよく顔を上げ、隙なく周囲に視線を投げる。
「どこだ、出て来い! 何のつもりだ、こんなもの――
「おや、これでは気に入らなんだか。贅沢な異物よの。……ならば、」
 背後を振り返ったジノの頭の後ろで、ぱちんと何かが弾けるような音がした。誰かが指を鳴らした音だ。姿は見えないのに何故だかそう感じた直後、何度目かの視界の歪みが襲ってくる。
「ッ、くそ……!」
 またか、と舌打ちしたその時、映像が入れ替わるように目の前がブラックアウトした。瞬きの間の暗闇をやり過ごしたジノの眼前に、再び同じ広場が映し出される。
 今度は先程とは打って変わって、辺りは酷く静かだった。死の臭いも群衆の熱狂も、どこにもないように思われる。だが、この広場が処刑場であることに変わりはないようだった。すぐに異常な光景に気づき、ジノは背筋を凍らせる。
 気づけば広場をぐるりと囲むように、例の台座と木組みの柱が建てられていた。そのひとつひとつに、やはり罪人であるのだろうか、人間が縛り付けられている。先程と違うのは、今そこにいる人々が杭のようなもので両手足を直接打ちつけられているということだ。しかも彼らは、見た目こそ酷く痛めつけられているが、まだしっかりと生きていた。聞くに堪えない呻き声が広場全体を覆っている。
……今度は、何なんだよ」
 誰にともなく呟く。するとすぐ至近距離、耳元の辺りで、くるくる嗤う女の声が聞こえてきた。咄嗟に振り払った腕は虚しく空を切る。声ばかりが聞こえて、女の実体はどこにも存在しない。
「これは些か近しい記憶じゃ、わらわも覚えておる。……そうさな、ひとつ、昔話をしてやろう」
「昔話、だって……? っ、ふざけるな、そんなことに付き合うつもりは」
「良いではないか。最早滅ぶだけの世界で、何をそう急くことがある? ……不死者共のことはもう知っておろう。これは、奴等に纏わる話じゃ」
 届かないとしても、噛み付いてやろうと用意していた言葉は、女の話に一瞬出鼻を挫かれてしまった。その隙を突いて、愉しそうに嗤う女がつらつらと昔語りを始める。それは概ねこんな話だった。


 かつてこの地にあった国は強大な王を戴いていた。代々の王は厳格さで知られていたが、新たに立った王は正義と愛を信条とする穏やかな人柄だったという。
 その頃世界では不死者の噂が俄かに起こり始めた矢先だった。王は穏やかな人柄だったが、他に漏れず不死というものに大きな関心を持っていた。不死は感染するものだと知った王は早速国に多くの不死者を招き、要職を与えて自らの近辺に住まわせた。無論目的は自分自身が不死となることだった。
 だが王の目論みは失敗に終わった。最初は彼の寵姫が不死に感染した。やがて忠臣が、使用人が、そして彼の息子たちが次々に不死者へと変わっていったのに、王自身はいつまで経ってもその『恩恵』に与れなかった。王は次第に苛立ち、不安を覚え、不死となった者たちを疎ましがるようになった。そしてその憤りは王に重い病が発覚した時に、とうとう限界を迎えてしまった。
 王は国中にいる不死者を捕らえ、処刑しようとした。勿論自らの愛した女や、忠臣や、使用人や、息子たちも例外ではない。だが不死者は死なないからこそ不死者なのだ。身内にすら陰惨な処刑を繰り返す王に恐れをなし、次第に人々は広場に近づかなくなった。その為にこの処刑場には、死なないまま責め苦に苛まれる不死者たちが永遠に縛り付けられることになった。


――やがて王は病で死んだが、今となっても誰もこの不死者共を救おうとはせぬ。……っくく、愉快なことじゃ。貴様には、それが何故かわかるか?」
……何故、って……
「恐れか、はたまた王と同じく、不死になれなんだ者たちの羨望と怨嗟故か。まあ、そんなことはどうでもよい、大事なのは……
 言葉の途中で、ふと女の声が途切れた。なんだ、とジノが聞き返すより早く、近くに存在していた気配が消え失せる。
 くるくる、と耳の後ろの辺りで喉を鳴らす音がした。姿は見えないと理解していたけれども、反射的にジノはそちらへと視線を向ける。
……――え、」
 ぶわりと、風に靡く赤い髪が夕日を弾いて大きく広がった。逆光になり、距離も少し遠いのではっきりとは見えないが、あれは……
……レゼ?」
 見覚えのある横顔に、思わず名を呟いた。やけに冷たく、固い表情を浮かべている。完璧な笑顔の印象が強いので一瞬別人かと思ったが、やはりどう見てもレゼだ。思わず声をかけようと、口を開く。だが。
――……っ!?」
 声が出ない。予想外のことに、ジノは慌てて喉を押さえた。何度試しても、ひゅうひゅうと掠れた音が漏れるばかりで、声を出すことが全く出来ない。
 どうして、と焦るジノの視界の端で、広場の中心に立っていたレゼがゆっくりと足を踏み出した。視線が引きつけられて、彼女の動きから目が離せない。どくどくと、焦りと困惑で心臓がうるさく動く。一体、何がどうなっている?
 レゼは静かな歩みで、広場に並べられている台座のひとつに近づいた。拘束されているのは、女だろうか。痩せ細り、髪も服もぼろぼろで、痙攣するように震えている。
 見るも哀れなその女を真っ直ぐに見据え、レゼが口を開いた。何と言ったのかは、周囲の人々と同じでやはりわからない。言葉を受けてか、女がびくりと大きく体を震わせた。聞くに堪えない泣き声が響く。女の泣き声に呼応するように、広場に嘆きと嗚咽が広がっていった。
 もう一度、レゼが何かを語りかける。言葉の意味はわからないが、その声はゆっくりと言い聞かせるような調子だった。女は身を震わせながら、掠れた声で何事かを言い返す。二人の間で何度か言葉が交わされ、やがて、女は項垂れるように体の力を抜いた。ジノの目には彼女が、頷いた、ように見えた。
 どくり、と心臓が妙な風に跳ねる。女に向かって、レゼもまた大きく頷いた。それから広場をぐるりと見回し、強い声を上げる。嘆きの声は一層強まったが、やがて少しずつ啜り泣きに変わっていった。レゼが女に向き直る。
 いつの間にかその手には、大きな剣が握られていた。古めかしい、歴史書や博物資料でしか見たことのないようなその武器が、一切の迷いなく振り上げられる。切っ先がぎらりと夕日の色を反射した。刃の潰されていない、作り物では有り得ない、その輝き。
 目を逸らすことも出来ず、ジノはその光景を見ているしかなかった。レゼの振り上げた刃が、過たず女の細い首を刎ねる。無機質なボールのように宙を舞ったその首は、どさりと重い音を立てて広場の地面に転がった。
 そしてその首と、台座の上に残された体が音もなく崩れ落ちる。――ジノは己の目を疑った。崩れ落ちたのだ、確かにその体は、まるで泥か砂であったかのように、ぐしゃりと潰れて形を失った。どうして、と疑問が混乱に拍車を掛ける。あれで死んだのだろうか、あの女は。不死者は、死なないから不死者なのではなかったのか?
 女の首を刎ねた剣を、レゼが慣れた様子で軽く振った。そしてその足で、女の隣にあった台座の元へ向かう。そこには老人と思わしき男が縛りつけられていた。その男とも、レゼは静かに言葉を交わし……首を刎ねる。同じ現象がここでも起きていた。斬られた途端に、それまで確かに形を保っていた男の体が崩れて、土塊のようなものだけが台座に残される。
 レゼの行動には一切の迷いがないようだった。順番に、何の躊躇いもなく、台座に縛られた不死者たちに声をかけては首を落として、彼らを土塊に変えていく。中には長く問答を重ねている様子もあったが、結果は変わらなかった。ジノが何も考えられずにいるうちに――そう長くはない時間のうちに――広場に拘束されていた不死者たちは一人残らず泥の塊に変わっていた。
 誰もいなくなった広場で、レゼはしばらく立ち尽くしていた。ジノからは、その背中しか見えない。やがて台座の上に残った不死者だったものは、乾いた砂のようにさらさらと辺りに散らばっていく。それを見届けていたのだろうか、レゼは最後にもう一度広場を見渡した後、音もなくその場から消え失せた。
 無人になった広場で、どくどくとうるさく鳴る心臓の音だけが耳につく。ジノは石畳に立ったまま、上手く思考を働かせられずにいた。突然見せられた光景の情報量が多すぎて、全く整理がつかない。この国でかつて起きていたこと、レゼのしたこと、死なないはずの不死者のこと――考えようとすると、耳の奥でざわざわと血の流れる音がして、うるさくて仕方がない。
「つまらん女じゃ。シェルル・リヴァには正義というものがない」
 その一切を撥ねつけるように、溜め息混じりの言葉が背後から再び聞こえてきた。慌てて振り返ったジノの眼前に、蛇のような黄色い目が迫る。体を強張らせるジノを見て、蛇の目がにやりといやらしく細められた。
――ッ! 誰だ!」
 背後に飛び退り、目の前の相手から距離を取る。ようやく声が出せたことに安堵すると同時に、警戒心も相まって心臓が更にうるさくなる。誰何するまでもなく、それが今まで散々声をかけてきた女であることは理解していた。形のなかった女は今になってようやく姿を現す気になったらしい。指先で長い髪をくるくると弄びながら、喉を鳴らして笑う。
「正義であり、秩序でもあるが……まァ、偉大なる父の法を理解出来る器ではないか。何にせよ、つまらんことじゃ。もうあんなモノしか、ここには残っておらんからなぁ」
……誰だ、お前は」
 訳の分からないことを口にする女を鋭く睨みつける。知らない女だった。背が低く、一見すると人間のようだったが、腰からずるりと伸びた長い尾がそうではないことを示している。蛇、あるいは蜥蜴のような、爬虫類じみた尾だ。その尾と、長い髪とを体に纏わせているばかりで、ほとんど裸であるように見えた。
「おや、名乗ったではないか。……ああ、あの時は形が違ったかもしれんな」
……かたち?」
「わらわにとっては、器などただの殻に過ぎぬが……貴様のようなモノにとっては、どうだ? やはり見目良いものの方が愉しめるだろう」
「は、……? 何を……、ッ!?」
 戸惑いに眉を顰めた瞬間、突然強い力で胸を突かれた。激痛に思わず息を詰めながらも、ジノは足を踏ん張って体を支えようとする。だが、今度はやはり強い力で上から体を押さえつけられた。周囲の重力が急に増したかのような感覚に、堪え切れずに膝をつく。
「な、……っ!」
 ぎしぎしと、軋むほどに体が重い。それでもどうにか顔を上げると、目の前に女が立っていた。蛇のような目がにたりと細められ、身を屈めた女がジノの鼻先まで顔を寄せてくる。ぞわりと背筋が粟立ったが、動くことが出来ない。何の温度も匂いもない吐息が、唇に微かに触れていく。
「世界が滅ぶ様は、甘美なものじゃ。わらわにとってはこれ以上ない娯楽でもある。……だが、なァ。些か、そこへ至るには退屈なものよ。何の刺激も娯楽もなく待つには、この世界はあまりにもつまらん」
 女の指先がジノの顔に触れ、輪郭を伝って喉へ下りていく。その爪の先がくっ、と襟元に引っ掛かったかと思うと、まるで紙でも裂くようにいとも簡単に衣服が破られた。信じられない光景にジノが目を瞠る。有り得ない、防刃素材で作られた隊服は、ナイフを直接突き立てても切るのが難しいのに。
「くそっ、どういう……、何のつもりだ、触るな!」
「ふ、おぼこいことを言うな。言ったであろう。わらわは退屈しておるのだ。この世界に残っているものは、もはや不死者か死に逃ればかり。そんなものを食って何が愉しい?」
 晒された胸元に女の爪が触れる。ふと、蛇のような目がジノの肌を見てほんの僅かに見開かれた。すぐにぐにゃりと、瞼が撓む。くつくつと喉を鳴らして女が笑う。
「奇怪な体を持っておるな、異物。相容れぬ、歪な、継ぎ接ぎの……なんとまあ醜いこと」
……ッ、だったら、触るな。退けよ!」
「案ずるな、わらわは奇妙なものが好みじゃ。貴様も、シェルル・リヴァに囚われて退屈だろう。あれらは正義を持たず、愛を嘯く。貴様に何も与えはしまい。そうだろう?」
 女の笑顔が愉しげに歪む。咄嗟に何か言おうとしたが、いつの間にか、再びジノの喉は声を発することが出来なくなっていた。体を縛める力はますます強くなり、腕の一本も動かすことが出来ない。
「父の法は揺らがぬ。どうせ全ては滅ぶのだ。であればその時まで、わらわの無興を慰めよ。貴様にとっても悪い話ではあるまい。なァ、異物よ」



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