@EmptySeat_
自分の才能の限界なんて、とうの昔に知っていた。いつだって、僕達の前にはあの絶対不動の天才がいたから。
「いや、僕には無理だよ」
あの高みに登ることは不可能だとわかっている。僕みたいな凡人では、あんな風に演じる事は出来ないんだと知っている。
「……でも君なら出来るかもしれないね。僕には無い強い闘志を持っているから」
「君になら……ってなんで突き放すようなこと言うんだよ、なんで普段鈍くて何言ってもケロッとしてる癖に弱気なんだよ……」
普段、滅多に泣かない此花の涙を見た。吠える声に嗚咽が混じって、こぼれ落ちそうになるそれを眉間に皺を寄せて堪える。
「成した時に誰と喜びを分かち合えばいいんだよ…………、……私は、将次がいい」
ぐす、と鼻をすする音が聞こえる。
此花と僕では、きっと立っている位置が違うんだ。此花は常に舞台の中に居て、僕は常に舞台の外に居た。
「僕は君たちと同じところに行けないかもしれないけど、それでも喜ぶさ! だって、僕らは同じ舞台を作り上げる運命共同体だろ?」
励ますように笑って、睨まれる。
「俺は……ッ! ……将次がいいって言ってるだろばか! 何勝手に諦めてるんだよ、舞台に上がるつもりがないならなんでお前はこの学科に来たんだよ……!!」
──そんなもの、たった一つに決まっていた。
「……君の隣にはいられないかもしれない。
でも、僕は劇場の何処かで君の活躍を見守ってるよ。それが舞台袖か舞台裏か、はたまた観客席か。それはまだ、分からないけれどね」
▶視点 市村将次
鍵盤の上に指を走らせる。軽快で楽しげなメロディに、段々気分も上向きになっていく。踊るように、跳ねるように。広々とした空間に、音が満ちていく──……。
「ねえ」
驚きのままに指を鍵盤に打ち付けて、ピアノからはジャーン!と酷い音が響く。しまったと思いつつ振り向くと、そこには福瀬の姿があった。足音もしなかったし、扉を開ける音も聞こえなかった気がする。
いつの間に…と呆然としていると、再度「ねえ」と声を掛けられて慌てて声を返した。
「ふ、福瀬……。驚いたな、いつから聞いていたんだい?」
「今弾いてたの、なんの曲?」
僕からの言葉は聞いていたのかいないのか。質問に質問で返されて、驚きつつも素直に答えることにした。福瀬の瞳はずっとピアノに釘付けで、こちらには目もくれない。……一体何が彼女の好奇心を引いたのだろう?
「アンネン・ポルカさ」
「アンネン、ポルカ……」
噛み締めるように、何かを思い出すように、福瀬はゆっくりと復唱する。
「そう。ウィーンの音楽家、ヨハン・シュトラウス2世によって1852年に作られた作品だよ。オーストラリア皇帝のフェルディナンド1世の皇妃マリア・アンナに捧げられたとされているね」
「……わかった、思い出した。『こうもり』の人だ」
雰囲気が何かに近い気がして、考えてた。ありがとう。引っ掛かりが取れたかのように、福瀬はパッと顔を上げる。──『こうもり』。それは、この間(と言っても半年以上前の話ではあるんだが)二人で観劇したオペレッタの題名だった。
オペレッタとは歌と踊りのある歌劇の事。基本的に喜劇を扱う事が多い事から、日本では『喜歌劇』なんて呼ばれたりもするものである。僕はこのオペレッタが好きでよく見に行くのだが、時折話してみたい後輩を誘うようにしているのだ。単純に面白いものを共有したいという欲求もあるのだが、どちらかと言えば仲良くなりたいという思いも大きい。この劇を見てどんな感想を抱くのか、どんなふうに考えるのか。そういう所から、少しずつ知っていきたくて。
納得したのか、はたまた自分の中で区切りがついたのか。小さな声で鼻歌を歌いながら、彼女はぼんやりとピアノを眺めている。その曲は正しく先程話題に上がった『こうもり』の劇中歌で、その精度の高さに感嘆の音を吐いた。
「すごいな、覚えたのか?」
「? うん」
当たり前のように頷く彼女。インターネットか何かで調べて聞き込みでもしたのかと思ったのだがどうやらそうではないようで、「ちゃんと聞いて、覚えた」という言葉が返ってくる。……それは、あの場で聞いて一発で覚えたということだろうか。それならばとんでもない記憶力だ、と改めて感嘆する。
そういえば、脚本の覚えも彼女は特に早かった気がする。一番に飲み込んで、一番にものにして、いつの間にかその役になっていることがほとんどだった。
演じているのではなく、その役になっている。公演期間の間彼女本人にまでその役が滲むほどに、それになっている。……そこまでいくと少し、危うさを感じるような気もするけれど。
「そういえば、福瀬はなんでここに? 今日は合同練習のない日だけれど……」
そう、ここは小ホール。今日はここでイベントがあるらしく、1日休みということになっている。僕は最終チェックとして忘れ物がないか確認していて、たまたま見かけたピアノについ触りたくなって少しだけ弾いていただけだったのだ。合宿期間中はピアノに全く触れていないこともあって、運指がややもたついてしまったのが残念なところだ。
「練習、ないの?」
「え、知らなかったのかい? 今日は小ホールが使えないから休みだよ」
「……聞いてなかった、かも」
首を傾げる福瀬。確かにその手には脚本と筆記用具、タオルとペットボトルが握られていて、練習をする気が満々だったのが伺えた。
そっかと少しだけ落ち込んだ様子の彼女に、少しだけ考える。僕も最近座長の仕事で手一杯になっていて、あまり練習に力を入れることが出来ていなかったし。練習の気分で来たその気持ちを切り替えるのが難しい事は僕にもわかるし。
「じゃあ、良ければ僕と個人練習でもするかい?」
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所変わって、会議室。ここは元々御剣がオーナーさんに頼んで用意してもらった部屋で、主に会議や書類作成などの作業をする際に使用されている。誰かの部屋に集合してやればいいのではとも思ったのだけれど、御剣曰くそれは「面倒」との事だった。御剣から鍵を借り、中に入る。長机の上には整った状態で書類が保管されていて、また篝里が整理してくれたのかなとぼんやり思った。たしか昨日は御剣がここで作業をしていて、書類が散らかっているはずだったからである。
ドアを開け中を勧めると、こくりと頷いて入ってくる福瀬。中央に長机がある分やや手狭だが、たった二人だし読み合わせぐらいなら十分だろう。福瀬は特に中を見渡すでもなく脚本を開くと、何処からする?と言わんばかりに首を傾げた。
気が早いと言うべきか、その意気や良しと言うべきか。まあ後者かなと笑みを深め、僕も脚本を開く。今は丁度立ち稽古が始まっていて、昨日はたしか──……
「ここ」
差し込まれた指に、顔を上げる。いつもは気だるげに伏せられた目が大きく見開かれ、爛々と輝いていた。
「"君"と"友人"の掛け合いがある。ここから、やりたい」
空気が変わる。雰囲気が変わる。……それ自体は珍しいことではない。こういうタイプの役者は他にもこの学科に存在する──のだけれど。
「……ああ、そうだね。そこからやろうか」
その変わったはずの雰囲気を、僕は何故かよく知っている気がした。
『あ〜! こんな日々がずっと続けばいいのにね。ねえ、そう思わない?』
『ずっとは困るな。俺、大学進学したいし』
『え〜!? 私は別に大学なんて行きたくないけどな……』
『じゃあ何の為に夏期講習に来てるんだ?』
『いやそれは、……受験の為だけどさぁ』
そうじゃないでしょー!と叫ぶ彼女に、普段の福瀬一稀はまるで見えない。少しわがままで、自由気ままで、すこし寂しがり屋な"君"そのものだ。
『そうじゃないって……じゃあ何だよ?』
『いやだからさぁ、……なんていうか』
小さな間。──そう、こういう細かな"演技"そのものの癖に、見覚えがある。……何故、そして何処で? 演じながらも、頭の片隅では思考が展開されていく──……
『……ただ、こうやってさ? みんなで勉強して、馬鹿やって、騒いで、……そういう時間がずっと続けばいいなって、そう思っただけ』
「……御剣?」
『ハ?』
役のまま怪訝そうな顔をする福瀬に、慌てて『なんでもない』と笑う。『何だよぉ、変な奴だな〜』とへらりと笑い返すそれは、
御剣三鶴の演技そのものだった。
よく見てきたから知っている。よく聞いてきたから知っている。いつだってスポットライトを浴びて誰もの視線を奪うそれを、ずっと見てきたから。
参考にして、とかいうレベルじゃない。この演技は、そもそも間に御剣三鶴が挟まれている。福瀬一稀が"君"を演じているのではなく、福瀬一稀は御剣三鶴の演じる"君"を演じているのだ。
御剣三鶴そのものではない。あの強烈なまでの求心性がある訳では無い。──けれど、
『だってみんな進路違うし、離れ離れになっちゃうじゃない! 君だって、たしか国公立に行くんだっけ?』
『そうだけど』
『無理ー! 私国公立なんて行けないもん! ……は〜ぁ、たしかアイツとも進路違うしさぁ、ちょっと寂しがるぐらい良いじゃん?』
その癖は、その間のとり方は、その誇張の仕方は。まるでコピーをしたかのように、それを再生しているかのように、よく似ていて。
気の所為では無いはずだ。気の所為だと思えるほど、僕は伊達に御剣三鶴を見ていない。
それに御剣だけじゃない、節々には他の生徒が垣間見えるような気もするのだ。蜂谷の優しげな話し方、灰破の人との関わり方、烏星のきっぱりとした話し方。他にも、1年、3年、一緒に観劇した劇のあの役──……。
ただ、
──福瀬一稀だけが、まるで最初から無かったみたいに見つからない。
「……」
『ねえ、ちょっと?』
御剣の言葉を、今更ながらに思い出していた。
──「注意深く見ておいた方がいいよ、彼女。僕も大概だからあんまり人の事を言わない方がいいんだろうけれど、下手したら僕以上に彼女は頭のネジが抜けている」
『おーい』
……"福瀬一稀"は一体どこにいる?