@EmptySeat_
練習に付き合ってくれてありがとう。ペコリと一つ礼をして、彼女は会議室を去っていった。時刻は午後十七時を過ぎようとしており、そろそろ夕食の時間になる。僕も片付けをして向かわなければなと思いつつも、体は動かずにいた。
先程までの練習を思い出す。福瀬の「君」はどんどん完成度を高めていた。福瀬の声のトーンが変わる。いつもどこか人間味のないその動きに、人間味が後付けされていく。
「付き合ってくれてありがとう」
──福瀬一稀であるはずの日常まで侵食されていく。
それは一種の才能だ。御剣三鶴を、他の役者を糧にして、咀嚼して、自分のものにしてしまう。そうして舞台上で、誰よりも輝く役者になるのだろう。・・・・・・御剣三鶴のように、その才能を持って。
僕は、ああはなれない。
羨ましいという感情はもちろんある。悔しいという感情だって、当たり前のように備わっている。しかしその悔しさを表に出して喚くことが出来ないのは、昔からの教育の賜物なのかもしれなかった。
感情的になることはみっともないことだ。夢を見るのは愚か者のすることだ。堅実に努力を積み重ね、良い職につくことこそが素晴らしいことだ。
呪いのように積み重なった言葉を振り払ってここにきたはずだった。夢を見るために、演劇に人生を捧げる為に、ここにきたはずで。
それなのに、今更家族の言葉が強く思い出されるのはどうしてなんだろう。
▶︎視点 市村将次
何だか戻る気になれなくて、近くの椅子に腰掛ける。夕食の時間は十八時、それまでに戻ればいいだけの話だ。だからそれまではここですこし考え込む事にした。
一人の時間というのは貴重だ、それは座長という役目を担ってからより強く感じている。心を強く保つ為には己と向き合い強い考えを持つことが一番なのに、それが出来ていない自分は座長として不安定なのかもしれなかった。これではいけないとは思う、いい加減に心の整理をつける必要があるとも思う。
自分はどうしたいのか。これからどうなりたいのか。
・・・・・・きっと、役者にはなれない。それはこの学園へ来て嫌というほど思い知った事だ。花御のように舞台を華やかに彩ることはできない。篝里のように主役を完璧に支えるバイプレーヤーにはなれない。此花のように何度叩き潰されても折れない強い闘志を持つことはできない。御剣のような、圧倒的な主役には、なれない。──僕が優等生以上になることは、ない。
「・・・・・・御剣は、どこまでを見越してこのキャスティングにしたんだろうな?」
自嘲に近い笑い声が口から漏れた。脚本のページを捲る。捲って、捲って、捲った先。そこには僕の役『友人』の見せ場である、あるシーンが描かれていた。
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▶︎視点 此花初音
てっきり自室に閉じこもって作業でもしていると思ったのだが、想定を反してそこに三鶴はいなかった。夕食の時間になったので連れて行ってやろうかと思ったのだけれど、当人がいないんじゃあ仕方ない。どうせ電話しても出ないだろうしなぁ。どうするか・・・・・・・と考え掛けて、そういえば作業用に会議室を借りたのだと三鶴が言っていたのを思い出した。もしかしたらそっちにいるのかもしれない。
やれやれ、一応そっちにも行ってみるか。居なかったらもう諦めよう。もしかしたら他のやつといるのかもしれないし。
記憶を頼りに会議室へ向かう。廊下は驚くほど静かで、だからこそ──その声がよく聞こえた。
ドアが少し空いている。本当は防音なんだろうけど、そのせいで中の音がよく聞こえた。
『夢ばかり見ていられたらよかったのにな。そうしたら、おれたちと、おまえ。ずっと一緒なのに』
心臓が強く軋む。思わず足を止めて、聞き入った。
『何で聞こえないふりをするんだよ。わからないふりを続けるんだよ』
──ああ、痛いな。心臓が痛い。
『・・・・・・・なあ、俺に最後まで言わせるつもり?』
あの時は物分かりがいい顔をして頷いたけど。お前がそう選んだならって引いたけど。
やっぱりお前とずっと舞台に立っていたいよ、将次。喜びも、悲しみも、悔しさも、辛さも。全部共有するのはお前がいいのに。
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𓆝 ˜˷
気がついたら、僕は教室の中にいた。外はまるで海に沈んだかのように水で覆われている。窓を開けたら水がざぶんと教室になだれこんで、たちまち水で一杯になってしまうのだろうか? わからないのは怖くて開けたことなんてないからだ。
一日はチャイムの音で始まる。意識がゆっくりと浮上して、気がつくと隣には君がいて、友人がいて、先生がいて。今日も当たり前のように夏期講習が始まるのだ。
来年には受験が差し迫っている夏なはずで、君も友人も将来はどうしたいだのこうしたいだのと言う。この異常事態には僕しか気づいていないようで、でもそれを指摘することでうまれる何かが怖くて、今日も当たり前のように夏期講習を始めている。
「将来、何がしたい? これからどうしたい?」
「俺はやりたいことがたくさんあるんだ。その為にも、ちゃんといい大学に入りたいと思ってる」
「アタシは普通に近くの大学かなぁ。やりたいこととかも特に見つからないし、それより大学ライフを満喫したいかも」
「僕は──・・・・・・」
なんだったっけ。
「・・・・・・・こんな、穏やかな日々が続いたらいいな」
「なんだそれ」
「そんなこと言ってたら受験戦争負けちゃうぞ〜」
なんて。
「・・・・・・・俺、やっぱ進学やめるわ。夏期講習も、もう来ない」
「アタシ、どうしたらいいんだろ。未来とか将来とか全然見えてないの。・・・・・・・前はバカにして笑ったけどさ、本当はアタシもそう思うよ。こんな穏やかな日々が続いたらいい」
「でも、そんなの許されるわけないじゃんね」
「違和感ははっきりと口に出すべきです。停滞は悪いことではありませんが、現実逃避ばかりではいけませんよ」
「自分の心に嘘をつくことは、自分を削ることに等しいのですから。目を逸らし続けることは、ひどく胆力のいることです」
「・・・・・・・ねえ、貴方には何が見えていますか?」
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▶︎視点 市村将次
『なあ、頼むから目を覚ませって! いい加減に、優しい夢から目覚めてくれ!』
──ストップ! 御剣の声がはっきり聞こえた気がして、僕は思わず演技を止めた。あたりを見渡しても本人がいないのは、止められる自覚があるぐらいはっきりとミスをしたとわかったから脳内で彼女の声が再生されただけだからなんだろう。ふうと息を吐き、近くの椅子に雪崩れ込む。
『友人』は熱血漢の少年だ。かなり感情的で、ストレートにはっきりと物事を口にする。福瀬演じる『君』程ではないけれど、それでも怒鳴ったり泣いたりと忙しい。
君の演技は表面的だな、市村。──御剣の指摘は、いつだってひどく鋭い。わかってるんだけれど、染み付いたものっていうのはなかなか剥がれやしなくて。かなり難航している、というのが正直な進捗であった。
ふと思い出して、近くに放り投げていたスマートフォンを引き寄せ、録音ボタンをオフにする。そして再生ボタンをオンにして、自分の演技を聞き返してみる。
一人で練習をする際は、録音をして聞き返すようにしている。やるだけでは意味がない、その結果を検討して反省することこそが練習の大事なところなのだ。
聞き返しながら、脚本を開く。筆箱からペンを取り出して、気になるところを書き出していく。ここは感情の乗り方がいまいち、ここは未だに納得のいく演技が見つかっていないから曖昧に演じてしまった。ここのニュアンス、僕はこう思っていたけれど、もしかしたらこうだったかもしれない。あとで御剣に相談してみよう──・・・・・・・。
脚本が書き込みで埋まっていく。努力の証みたいで、僕はこれが結構好きだった。僕みたいな凡人でも、積み重ねた努力は本物だ。彼女たちみたいに最短距離で進むことはできないけれど、ゆっくりでもそれでもいつかそこにたどり着けたら。
そうしたらどんなに・・・・・・・。
『夢ばかり見て要られたらよかったのにな。そうしたら、おれたちと、おまえ。ずっと一緒なのに』
『なあ、頼むから目を覚ませって! いい加減に、優しい夢から目覚めてくれ!』
──そう、優しい夢を見てばかりもいられないのだ。
時計を見る時間はもうすぐ十八時になろうとしていて、慌てて荷物をまとめる。流石に座長が時間に遅れるなんてことはあってはいけない気がする。・・・・・・・いや御剣は舞台に関係のないイベントには結構遅れていたけど、それはそれ、これはこれだ。
ドアを開けようとドアノブに手をかけると、どうやらそれは開いていたようで勢い良く外側に開いた。
「うぉっ!?」
驚いたような声と、慌てて飛び退く誰かの姿。廊下に出ると、そこには此花が壁に張り付いていた。
「こ、此花? 驚いたな、こんなところでどうしたんだ」
「いや、あの、・・・・・・・盗み聞くつもりじゃなかったんだけど!」
しどろもどろに弁解する姿がおかしくて、笑いが込み上げてくる。「な、なんだよ〜! ごめんって、ちゃんと謝ってるだろ!?」恥ずかしそうに怒る姿に「すまない」と謝りながら少し笑って気にしていないことを伝える。ただ、聞いていたのなら廊下じゃなくて中で聞けばよかったのに、と少し思っただけで。
「ところで、何でこんなところに? 会議室には僕以外誰もいないよ」
「え? ああいや、三鶴を探しにきただけだよ。アイツ結構簡単に食事抜こうとするし、目をつけておいた方がいいかと思って」
「あぁ・・・・・・・。確か鍵を借りる時には部屋にいると言っていたけれど、その口ぶりだといなかったのかな? だとすると僕にもわからないな・・・・・・・」
「まあ見つからないもんは仕方ないしな。ここにいなかったら諦めるって決めてたからちょうどいいや、一緒に行こうぜ」
「ああ」
静かな廊下に2人分の足跡が響く。食事時だからか人はほとんど見られず、閑散としていた。窓から差し込む赤は、眩しく僕らを照らしている。
今日はどんなことをしただとか、明日はなんの練習をするだとか、そういう他愛もない話をしていると、ふと隣がひどく静かなことに気がついた。此花はギュッと眉をひそめて、どこか納得いっていないような顔でこちらを見ている。
「此花?」
「さっき聞いててさ、思った。……やっぱり、私は将次に舞台に立っていて欲しいよ」
「……」
「向いてなくても、縋りついてでも舞台に立っていて欲しかったよ」
「……此花」
「……でもこれは私の思いで私の考えだから、押し付けるのは、やめる。将次がちゃんと考えた上でそう決めたんだってことも、わかってる……」
「……」
「これはただ、さっきの将次の演技を見て、……ライバルとして、寂しくなっただけだ……」
入学してから、二人で切磋琢磨してやってきたのだ。才能の差に絶望しようと、へこたれようと、時に喧嘩しながら、話し合いながら、ここまでやってきたのだ。名残惜しいという気持ちは、当然こっちにだってある。
ただ、市村将次はここが引き時だった。──それだけだったのだ。
「……何も僕は演劇から離れる訳じゃない。前も言っただろう? 僕は演劇が好きだし、僕はその中で僕の出来ることを探すだけさ」
御剣学園で演劇の世界の厳しさを知っても、絶対的な『才能』という存在を知っても、自分が優等生以上の存在になれないと知っても。
それでも、演劇を愛しているのだから。
「……ッそれでも! 俺は役者の"市村将次"と居たかった!」
それは、なんというか。
「……ありがとう、此花」
役者冥利に尽きる、と言うやつなのだろう。そう思った。