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ディカイオスの天秤 第6話

全体公開 18602文字
2022-11-04 17:49:35

第6話 最後のチャンス

Posted by @dika_bal

※本話は暴力的・非倫理的表現を含みますので注意ください。



■1/ステージ

「100万から始めます。現在100万、年少の中でも注目の個体です」
会場からパドルが上がる。120、150数字が増していく。
そんな眩しく照らされたステージを舞台袖から見つめる少女が1人。不安からか親指の爪をガリガリと噛んでしまっている。
不意に少女の肩が優しく抱かれる。見上げると柔和な微笑みを携えた男が見下ろしていた。
その男は膝をつき、少女と目線を同じくすると緊張で冷え切った少女の両手を大事に優しく包み込む。
「大丈夫、自信を持って。ステージの上では愛らしく笑いなさい」
「でも先生
少女が不安の声をもらすと、『先生』と呼ばれたその男は少女の手を優しくさすってやる。
「大丈夫、たくさん学んだでしょう? 良い人に買われれば貴方もようやく1人の人間になれるのです。今、何者でもない貴方はこのチャンスを掴まなければなりません」
表情は柔和そのものだが、少女を見つめる男の目は残酷なほど冷え切っていた。
少女は身震いする。そうだ、孤児の自分には何もないのだ。『先生』から学んだ通り、自分に価値をつけて成り上がって買い手を食い潰して、そうやって成功する以外もう道はない。
少女の目に志気の色が戻ったことを見て、先生は満足そうに頷く。
「さぁ、もうすぐ出番ですよ。ステージの上では悔いのないように」
そうして小さな背を押し、見送りの言葉をかけた。
「これが、貴方の人とり得る最後のチャンスなのだから」



⚖第6話 最後のチャンス




■2/ハンマープライス

世界には悪意を持つ人間が存在していることを知っている。
M2の調査で潜入した時にも感じたが、どうしてこの世にはこんなにも腐った人間 ものが存在するのだろうか。
会場には正装した者からラフな服装まで多種多様な人間がおり、その誰もが人身売買というオークションに興じていた。
「さぁ、続きましてご紹介しますのは10番の少女。髪も瞳も黒で純ヒノモトらしい見目でございます。あらゆるものの瞬間記憶が可能な異能力を保持しておりますが、記憶が持続する期間は1週間。使い方は所持者次第となります」
ステージ上では10代の少年少女が進行によって入れ代わり立ち代わり。リザーブ価格に満たない子供は引っ込められ、落札された子供は書類のやり取りの後にウィナーへ。

ここで買われた子供たちの末路は様々だ。
使い捨ての駒のように扱われる者もいれば、単純な性欲処理や異常性癖の捌け口に使用されたり。異能力を持つ子供であれば異能力の遺伝的継承を盲信する者によって種や巣にされたり。普通の家族のように過ごせる者もいれば、買い主を食い潰して成り上がる者……
『ここにいる子供たちは皆 孤児です。親権者が殺された・亡くなった、捨てられた・売られた事情は各々ございますが、皆 もう行き場のない者共です。彼ら彼女らが明日を生きるためには素晴らしきお客様方からの"ご支援"を賜る他ございません。どうか、未だ何者でもないこの者たちに最後のチャンスを』
オークショニアの前口上は、まるでここで行われていることは善行であるかの如く語られるが、全くのお門違いだ。
通常の孤児支援は売買など行う訳がない。然るべき施設にて生活の支援を受け、然るべき教育を受け、自立することが"普通"なのである。

家族のいない孤独を、苦しみを、ましてや喪う悲しみを誰がわかるというのだろうか。
目の前で平然と行われている命の売買に桐野は眉を顰める。
「胸糞悪りぃ……

桐野の吐き捨てるような呟きを黙ったまま受け取り、大鷹は桐野の背を撫ぜた。
両親を失った彼の孤独を完全に理解することはできない。目の前の光景に彼が何を感じているのかを考えるだけで大鷹の胸は苦しくなった。
「ハッ、悪党のやるこつが胸糞悪かんは当然やろ」
鼻で笑う燃々焼は、いつもどおりサイドテーブルへお構いなしに足を投げ出したままソファに行儀悪く収まっている。
「燃々焼、足」
「よかったな、考ゆっまでもなか。れっきとした悪党やろもん」
大鷹の注意も耳に入れず、燃々焼は口角を上げる。
その様子に、聞こえるようわざと大きく舌打ちする大鷹。構わず燃々焼は目の前に広がる悪行の現場を見つめていた。
「さっさ燃やし尽くすしゃあ ええ」
……そうですね」
燃々焼と桐野を見て、大鷹は小さく息を吐く。
「戻るぞ。今回は残るなんて許さないからな」
「だそうだよ、燃々焼さん」
「てせ」
「めんどくさがるな」
よく意味わかったね、大鷹」



■3/ゴエティア

人口1000人に満たない離島。盛んな開発により人気の観光リゾート地の1つとなっている。
そんな中にあるのが孤児院『ゴエティア』だ。
施設内にある学校にて一般家庭の子供と同等の教育を受け、放課後や休日には近隣の観光施設のボランティアを行い社会性を育んでいる。
親のいない身の上がハンデとならないような人間性の成長を目指して──等と綺麗事が並び尽くしたようなパンフレットの内容とは乖離したところにゴエティアは存在した。

「人身売買ですか?」
出発の2日前、直近までの捜査資料をまとめながら及川が不安げに眉を下げた。
テキパキとファイルを仕分けしている木端は手を止めることなく苦々しく頷く。
「まだ疑惑の段階だが、ほぼほぼ黒だろう。施設から子供が出されるルートも、一部の子供が手続きもなく消えていたり、不可解な点が多すぎる」
……この様子なら最悪のケースも想定すべきね」
パラパラと資料を捲り、目だけで文字を追う美杜が重たい言葉を口よりこぼす。
「最悪のケース?」と更に不安の色を濃くする及川を一瞥し、美杜は少しだけ言葉を選んだ。
「この施設、常に子供が72人いるの。出た行った分補充しているみたいに。書面なんかで出入りのわかっている子はいいけど、いつの間にか消されている子供は……どこに行っているのかしらね」
「本当に最悪だが、死体が出てくることも覚悟した方がいい」
美杜と木端の言葉に及川は押し黙る。
そんな及川の頭をポンポンと撫でて、木端は開かれたままの資料に目をやった。
「ゴエティア……何を考えてこんな施設名をつけているんだか……
悪趣味だな、と木端が独りつ。

『ゴエティア』
とある魔導書の一部で、72人の悪魔を呼び出して様々な願望を叶える手順を記したもの。
果たして、この施設はどのような願望を叶えようというのだろうか。



■4/出発

「離島までは船移動になるから、体調崩した人はすぐに薬師寺さんにまで報告を入れるよ~に!」
小型船舶に乗り込みながら、薬師寺がガイドの如く元気に声をかける。
それに対して、丹所・柚葉・及川が修学旅行の学生か如く「はーい」と返事した。
「はい、そこ~。積み込みちゃんと手伝って~」
様々道具が詰め込まれているだろうプラスチックのコンテナを抱えながら、鈴丸が修学旅行返事三人衆をビシッと指差す。
しかし、そんな鈴丸の肩を鳳条が軽く叩く。
「鈴丸さんが一度に複数持てばいいんですよ?」
「未環子~! 鳳条さんがいじめる~!」
「おー、ヨシヨシ。頑張って持ちましょうね」
ヨシヨシとは言うが、不寝喰はケラケラと笑いながらさっさと荷を運び込んでいく。
「ちゃんとヨシヨシして~!」と鈴丸が不寝喰の後を追う。
その賑やかな様子を見ながら「手伝います」と丹所と柚葉も18班の後に続いた。

「及川くん、船は大丈夫かい?」
「あ、実は初めてで……
そう思って、と薬師寺は及川へ錠剤を渡す。
「酔い止めだ。今のうちに飲んでおくといいよ」
「ありがとうございます!」
お水もどうぞと渡され、及川はそれを服用する。
薬師寺は「それでも酔ったらすぐ言うんだよ?」と残して「他にも酔い止めいる子~!」とパタパタ駆けていった。
そんな薬師寺と入れ替わるように荒船が及川の元へ。
「及川、船に乗るのが初めてなのか?」
「あ、荒船さん。はい、お恥ずかしながら
「船の後方は避けた方がいい。それから進行方向に対して背を向けないように」
なるほど色々あるのですね、と及川は真面目にうんうん頷いている。
「それと……
何か言いかけ、荒船は視線を動かす。及川はそれに倣って目を動かすと、言い合いしている27班が目に入った。
「話をしていた方が気が紛れて酔いにくいらしい」
「な、なるほど」
27班の様子に苦笑いを浮かべる及川。そんな及川の横からぴょこっと柚葉が飛び出す。
「じゃあ、俺たちも何かお喋りしながら行こう」
「退屈な話をしないよう頑張ります!」
「あはは、スベる話でもいいよ」

……全く。旅行じゃないのに、騒がしい」
周囲を見渡して美杜が呆れたようにため息をついた。
「仕方ないさ。全メンバーで移動なんてないからな」
「局長はお留守番ですけどねぇ」
お土産は何がいいかな~とウキウキする丹所に美杜は更にため息を重ねる。
「よ~し! それじゃあ出発しましょうか!」
船の状況確認を終え、丹所がエンジンをかける。趣味で船舶の免許を取得しているらしく、今回の運転は丹所に任せることとなっていた。
「安全運転で頼むよ」と木端が少々心配しつつ、「全員に報せてくる」と木端と美杜が操舵室から離れる。
ヒラヒラと手を振って2人を見送って、丹所は伸びをして前方を遠くまで見渡した。
……うん、天気荒れそう」
遠くの暗雲は晴れるだろうか、それとも雨をもたらすのか。
わかりはしないが進む他ないのだった。



■5/敵

時折の大きな揺れはご愛嬌。
2時間半の船旅を味わい、若干の疲労感を拭えぬまま一行は事前に搬入していた車両に荷物を移す。
出発前は見事に晴れていた天気も、今ではどんよりしている。いつ雨が降ってくるかもわからないので、手早く班ごとに今後の方針を振り分けていく。
売買会場へと潜入予定の27班(燃々焼・桐野・大鷹)は面が割れると問題があるかもしれないということで、荷物を拠点へと運び入れる担当となり、45班(及川・柚葉・荒船)は資料と実際の建物の位置関係などが相違ないか周辺のパトロールへ。
残った18班(鈴丸・不寝喰・鳳条)と36班(木端・美杜・丹所)で、施設が正しく運営されているのか環境に問題がないかなど公的機関がチェックを行う視察名目でゴエティアへの直撃を行うこととなった。

ゴエティアは事前資料にある通り、小高い丘の上にあった。
白を基調とした教会のような印象を受ける建物。
レンガ造りの塀で囲まれており、敷地内は綺麗に整備されている。花壇の花々も色とりどりに揺れており、一見するととてもきちんとした施設だ。人身売買が行われているような恐ろしい施設とは思えないし、思いようもない。
玄関前で掃除をしていた男性が手にしていた長箒を立てかけ、敷地内に入ってきた面々を出迎える。
「こんにちは、視察の方々でしょうか?」

柔和な笑みに穏やかな声音。どことなく安心感を感じる男性だ。
「はい、ANIMAから参りました。担当代表の鳳条です、本日はよろしくお願いいたします」
元々捜査二課に所属していた鳳条が表立つ。詐欺や汚職、不正融資などの企業犯罪の捜査・取締りを行っていたのだから、こういった場面に適した人材と言って過言ではない。
「ゴエティアの代表を務めております聖架輪 ムカシ ひじりかわ むかしと申します。こちらこそ本日はよろしくお願いいたします」
丁寧に深々と礼をするのに合わせて鳳条も丁寧にお辞儀を返す。
やり取りを見ていた後ろの丹所は、隣の美杜にこっそりと「大人って感じですね」と耳打ちすると、静かにするようにといったように軽く肘で小突かれ睨まれた。
「早速ご案内しますね。どうぞ中へ」
聖架輪 ひじりかわがステンドグラスが埋め込まれた玄関の綺麗な扉を開けると、まだ幼さが若干残る白いシスター服の少女とばったり出くわす。
「あせ、先生、すみません」
「いえ、ちょうどよかったです。視察の方々がいらしたのでご挨拶をお願いします」
少女は「はい」と素直に返事すると一行の方へ向き直り、ぺこりとお辞儀する。
「ようこそゴエティアへ。私は……
にこやかに自己紹介を始めた彼女は一点を見つめて固まる。みるみるうちに彼女の顔は青くなり、そして次第にその顔ははっきりした憎悪の色に染まっていく。
大股気味に歩き出し、彼女は視線の先へと向かう。ぴたりと──鈴丸誓の目の前で止まった。

「人殺しっ!!!」

少女の叫びと同時に平手が飛んだ。

鈴丸はそれを避けることもなく平然と受け入れる。よくはわからないが、殴られること自体は平気なようで、何事もなかったかの如く少女を見下ろした。その目に何の感情もない。
少女はその目にギリっと歯噛みし、踵を返して施設内へと走り逃げていってしまった。
何が起こったのか呆気にとられる聖架輪 ひじりかわはワンテンポ遅れて、走り去る少女の背中に「ツキナさん!」と名を呼びかけた。当然少女が──ツキナが止まるはずもなく、そのまま走り去ってしまう。
ツキナの背が見えなくなってから、聖架輪 ひじりかわは慌てて鈴丸の方へと向き直り「申し訳ございません」と謝罪した。
頭を下げる聖架輪 ひじりかわをしばし見つめ、鈴丸はいつもの表情に戻し「大丈夫ですよ」と微笑んだ。
「急にこんな失礼を……何か勘違いが……
「いや、勘違いじゃないかもしれないのでいいですよ」
何を言っているんだとヘラヘラした鈴丸を見ている中で、鳳条と不寝喰だけが静かに目を伏せた。
とにかく手当てを、と聖架輪 ひじりかわは鈴丸を優先的に招き入れながら、他の面々も引き連れてゴエティアの建物内部へと入ることとなった。

外観通り建物内も清潔感があり温かい印象を受ける。たまにすれ違う子供たちも礼儀正しく挨拶をしてくるし、その辺の学校よりもよっぽど行き届いているように感じた。
一行はまず応接室に通される。聖架輪 ひじりかわは鈴丸の治療を行おうとするのだが、鈴丸はそれを「怪我というほどでもないので大丈夫ですよ」とにこやかに断った。
その裏で、鳳条は不寝喰へ静かに耳打ちをする。木端はその様子を目ざとく見つけ、聖架輪 ひじりかわたちの様子を見つつ、そっと鳳条たちへと近づいた。
「戻るのなら足にうちの丹所をつけるが」
「ありがたいです。不寝喰さん、お願いします」
不寝喰はコクリと頷く。木端が目配せすると丹所はそれをすぐに察知して、ニコニコと黙ったまま木端の元へとやってきた。
「不寝喰くんを送ってやってくれ」
「了解です。戻ってきた方がいいですか?」
「状況によりけりだな。連絡を入れるよ」
返事の代わりにニコッと笑いかけると、丹所は不寝喰を連れてそそくさと部屋から退出した。
……誓のというより、先程の少女についてですか?」
「えぇ、物騒なことを仰ってましたからね」
鳳条と木端は壁際で聖架輪 ひじりかわと鈴丸のやり取りを見ながら視線も合わさず小さく会話する。
「私達にも共有されますか?」
「必要となれば」
木端はバレないように小さく息を吐く。
「大丈夫。問題はありません、今のところは」
鳳条はそう呟くと、木端を残して聖架輪 ひじりかわたちの元へと戻っていった。
……今のところはか」
腕を組み、壁にもたれながら木端はもう一度小さく息を吐いた。



■6/ツキナ

私のおうちは、お父さんとお母さんと妹と私の4人家族。4人家族、だった。
ある日お父さんが逮捕されて、うちはおかしくなっちゃった。
何が何だかわからないうちにお父さんは殺人犯になって、おうちに帰ってこれなくなった。
最後にお父さんに会ったのは透明な板を挟んだ小さな部屋。
久しぶりに見たお父さんは別人みたいに痩せてて、顔色が悪くて、今にも死んじゃいそうで怖かった。
お父さんは泣きながら謝ってた。でも違うって、やってないって、エンザイなんだって、ハメられたのだって、泣きながら話してた。お母さんも泣いてた。妹も泣いてた。私も、泣いてた。
お父さんがやってない罪を認めさせられた、ジハクをキョウヨウされた、スズマルチカイに……と、そこまで喚き散らして控えてた担当刑務官に取り押さえられて無理やり退出させられた。
これが、お父さんを見た最後。

唐突に家族を失った私達の地獄はここから始まった。

連日押し寄せるマスコミ。誰かもわからない他人からの誹謗中傷。
テレビをつければお父さんは殺人犯で、ネットを見ればお父さんは極悪人で、そして私達家族も悪者だった。
私も妹も学校に行けなくなった。殺人犯の娘、極悪人の家族、何を知っているかもわからない他人たちからそう揶揄され、人として扱われなくなった。恰好のサンドバッグとなった。学校に一切の居場所がなくなり、私達姉妹は家にいる他なかった。
しかし家にいればインターホンが度々鳴らされ、そのうちにお母さんがインターホンの音を切った。電話線も、コンセントも、家にある電化製品全てが止まった。
そうなると次は窓に石を投げられた。大きな音がして窓が割れた。人の嗤い声がした。
段々立ち上がる気力もなくなった。
お母さんが倒れた。お腹が空いた。うるさい。もう割れる窓もない。寒い。苦しい。怖い。妹が泣いている。私はもう泣けなくなった。動きたくない。暗い。今日は何日?お父さんはいつ帰ってくる?今は、いつ終わる?
何か食べ物がないかって気力を振り絞ってリビングに行くと、リビングのドアが開かなくなってた。
一生懸命ガチャガチャして、妹と一緒に押してようやく開けると、リビングのドアノブでお母さんが首を吊っていた。
動かなくなったお母さんを呆然と見ていると、突然妹が叫びだす。わけのわからない言語が口から垂れ流れていく。
私はどうしようもなくてそれをただ呆然と見ていた。
妹の異能力で部屋の中の物が飛び交っている。妹は泣き叫んでいる。私はただ見ている。
妹を中心に飛び回っていた物たちは次々妹に突き刺さっていく。ボールペン、はさみ、お箸、フォーク、ナイフ、包丁。刺さらないものはぶつかって床に落ちて、尖ったものはみんな妹の体に刺さって、針山みたいになってた。
私はどうしようもなくてそれをただ呆然と見ていた。

家の中でただ1人、私はどうしようもなくてただ呆然と立ち尽くしていた。

そこからの記憶は曖昧だけど、ゴエティアにきてから私はようやく人の形に戻った。
先生はいつも優しく接してくれて、一緒に寝食を共にする仲間たちは温かかった。
私、もうどこにも行きたくなかった。もう一歩も動きたくなかった。
ゴエティアから外に出ることを拒否した。一生先生の傍で先生の役に立って生きることを選んだ。
先生は私がそう選択したことを否定せず、私は先生の特別なお手伝いをすることになった。
切って繋げて、世話して、記録して、混ぜて、分けて、大変だけど私は一生懸命務めた。私の有用性を示し続けなければ、私も混ぜ物にされるのはわかりきったことだったし。

そんなお仕事をしているとお得意様と何人も会うことになる。
その中の1人はとても気さくで私にも優しくしてくれて、たまに内緒だよとお菓子をくれたり。その人のことを段々と好きになった。優しくて親しく頭を撫でてくれるその人を、少しだけお母さんと重ねてた。
数ヶ月に一度だけ来てくれるその人は、ある日「お父さんを悪者にした人を教えてあげる」と1枚の写真をくれた。
「これがスズマルチカイだよ。キミのお父さんを悪者にして、キミたち家族も悪者にした人」
写真の中の人は、笑っていた。
「もしもキミが復讐をしたいと思うのなら、とっておきをプレゼントするよ」
近いうちキミの前にスズマルチカイは現れるよ、とその人は言って私にプレゼントを残していった。

そうして本当にスズマルチカイは私の前に現れた。



■7/状況報告

18班と36班で行った視察は問題なかった。
現在いる子供たち一人ひとりと話をしたり、施設内を見て回ったり、帳簿を提出してもらったりとしたが、目立った不審点は出てこなかった。
18・36班が戻るのと入れ違いくらいで27班はチャリティーオークションなるイベントへと向かう。
しばらくすると45班も戻り、軽く報告を交わしながら調書をまとめ始めた。
「あれ? 不寝喰さんと鳳条さんは?」
柚葉がキョロキョロと見渡している。27班は出ているから、薬師寺を入れて10人居るはずの室内には8人の姿しかない。
「俺を仲間外れにして逢引きしてるんだよ」
「逢引き?!?!?」
一心兄さんが?!と驚く柚葉に「そんなわけないでしょ」と美杜が冷たく言い放つ。
「鳳条さんと不寝喰くんは少々別件だ。すぐ戻るよ」
木端が説明すると柚葉は胸をなでおろし「ビックリしたぁ」とホッと息をついた。
「でも仲間外れは本当ですよね!」
「丹所くん!」
余計なことは言わない!と丹所の背をバシッと叩く木端。

「あ……あの鈴丸さん、ほっぺ どうしたんですか?」
おずおずと尋ねてくる及川に言われて鈴丸は「あぁ~」と頬を撫でる。
「女の子にぶたれちゃった」
「ナンパでもされてたんですか?!」
「勤務時間中だからさすがにそんなことしないよ?!」
「あ、ああ! そ、そうですよね、すみません!!」
勢いよく頭を下げる及川のつむじを鈴丸が人差し指でツンツンして「俺のこと何だと思ってるの?」と悲しげに呟けば、及川は更に勢いよく鈴丸から距離を取った。あまりの速さに呆気にとられていると、何故か及川と鈴丸の間に荒船が割って入ってくる。
「す、すみません、急に触られたから勢い余って……」とまだ触られることに抵抗があるらしく、及川がもごもご言っていた。
荒船は割って入ったまま特に何も言わない。ただ、及川にいらぬちょっかいを出すなという圧だけは感じたので、鈴丸は軽く両手を上げて降参のポーズを見せる。

「また何をしたんですか? 鈴丸さん」
いつの間にか背後にいた鳳条が鈴丸の耳元で囁く。ギョッとし、鈴丸は耳をおさえてその場にしゃがんで背後を確認すると、にこやかな鳳条と目が合った。
鈴丸は露骨に嫌そうな顔をして「何もしてませ~ん」と再び軽く両手を上げて降参のポーズを見せた。
「27班まだ戻ってないのかな?」
「見ての通りよ」
不機嫌そうな美杜の様子に不寝喰はへらりと笑って「飴チャンいるかい?」と返事も聞かずに腕組みしている美杜の腕の隙間に棒付きキャンディーを差し入れた。
「ちょっと!」と美杜が再び声を荒らげたところで唐突に扉が開いて、少々頭を下げながら長身の男が部屋へと入ってくる。
そして長身の男──桐野は「真っ黒でした」と開口一番そう口にした。

桐野に続き、大鷹・燃々焼も戻ってきて、27班は近くの席に座ると話を続ける。
「黒も黒。普通に人身売買してましたよ、どういう神経してるんだか」
やれやれといった感じに足を組みながら桐野が言葉を吐き捨てる。
「桐野の言う通り、オークションで人が出てきた。会場内で少しカメラ回しといたから確認してください」
大鷹はチップを木端へと受け渡した。
「ゴエティアの方はどうだったんですか」
「表面上問題は一切なかった。まぁ、表面上過ぎてわからんが」
木端は受け取ったチップを薬師寺の方へと回す。
「私はチップの中身の映像解析に入ろうと思うから、本部への連絡は任せちゃって大丈夫?」
「はい、薬師寺さんはそちらをお願いします」
「おっけー。じゃあ後はよろよろ~」
薬師寺は隣の部屋へと移動していく。
「まずは局長への報告。それから港の封鎖の手配。誰も出さないように」
木端がそう言うと鳳条が「報告は木端さんと大鷹さんにお願いしていいでしょうか?」と言ってきた。
「えぇ、もちろん。鳳条さんは?」
「18班は少し話があるので、別室借りますね」
…………はい。じゃあ港の封鎖は45班で回ってくれ」
「了解した。海保の担当へまず連絡を取ろう」
荒船が促し、柚葉と及川も移動を始める。
「燃々焼、桐野、どっちも待機だからな」
「だってさ、燃々焼さん。俺たち信用ないね」
「せからしか」
燃々焼が不機嫌をあらわに土足のまま机に足を乗せれば、いつものように大鷹がその足を叩いた。
そんな様子を無視しながら鳳条は「もしも動くことがあればすぐ報せてください」そうにこやかに言い、鈴丸の首根っこをひっ捕まえて引きずっていく。
木端はそれらを見ながら、大丈夫だろうかと呆れ顔になった。



■8/無18班

紗良木 さらぎという名前に聞き覚えはありますか?」
鈴丸を部屋に放り込んで、部屋の扉を後手で閉めると同時に鳳条が聞いてきた。
「さらぎ?」と鈴丸は考える素振りを見せるのだが、その答えを口にする前に鳳条は話を続ける。
「貴方が殺人犯に仕立て上げて無実の人間ですがまぁ、そのような人間はたくさんいるようなので、覚えていないのも無理はないでしょう」
…………………。」
鈴丸は表情を消して鳳条を見やる。その後ろで不寝喰が心配そうな表情を浮かべていた。
「ゴエティアのシスターさん、名前を紗良木ツキナ さらぎ つきなさんと仰るそうです。貴方が殺人犯にした人間の娘さんです。父親は無期懲役、母親と妹は自殺、親戚には拒否され、宛もなくゴエティアまで流れ着いてしまったのでしょう」
「そう、ですか」
「鈴丸さん、話をしましょう。私はただ、貴方という人間を知りたいのです。記録された貴方でもなく、他者から聞く貴方でもなく、貴方自身から貴方を知りたいのです」
記録が、報告書がどう書かれていようが、誰が何と言おうが、鳳条はそれらだけで鈴丸誓という人間を判断しない。
先入観というものは真実を濁す。物の存在は多角的であり、一方方向のみを見たってそれ自体を到底理解できたりはしない。
だからこそ、彼は真実 ほんとうが知りたいのだ。ただ純粋に自分の目の前にある物・事象・人間を理解したいのだ。それは彼の純潔たる信条によるものなのだ。
「そろそろお話いただいてもいいでしょう?」
「あはは、怖いなぁ」
「怖いなんて、別にとって食いはしませんよ」
生真面目で面倒くさくて貪欲で執念深い。鳳条は真っ直ぐに立っている。
その姿が鈴丸をひたすらに苛立たせる。苛つく。でも苛ついているのは"自分自身に"だ。
「鳳条さんが面白がる話はできないかもです。俺はつまらない人間だから」
自身を見つめる鳳条の赤い瞳が危険信号のようだと鈴丸は思った。しかし、これ以上踏み込まれたくないのは、止まってほしいと思っているのは自分だ。

わかるはずもない。わかられてたまるものか。否定されてたまるか。
いつも、いつだって奪われて、許されない。



■9/鈴丸 誓

己と瓜二つなくせに、己より優れている人間が常に隣にいたら、劣っている人間はどうなると思う?

双子の弟── いのりは天才だった。
水を手足の延長のように自在に操り、制御していた。幼い頃からずっと称賛され続けていた。
一方同じ異能力を有している自分はどうだ。常に比べられ、弟を持ち上げるための踏み台にされ続ける。
弟が天狗になって、力に胡座をかいて、増長してくれたのならまだ救われていたのかもしれない。
弟は才能に秀でているだけでなく、素晴らしき正義感の持ち主だった。弱い立場の人間に寄り添い、誰に対しても平等で、明るく屈託ない、そんな優しい子だった。
必死に努力して、見返してやろうと足掻く俺にすら弟は優しく手を差し伸べてくる。
その度に痛感させられる、どうしても弟に勝つことができないのだと。
血反吐を吐いて努力しようが、異能力の能力ランクが追いつこうが、何をやったって、どうやったって、評価されるのも、人々の輪の中心にいるのも、愛されるのも全部全部全部あいつ。

もう、どうしようもなかった。
この激しい嫉妬心を抱いている限り、弟には追いつけないのだ。
努力のできる天才に対してどんな戦略を練ろうがどう対抗しようが、浅ましい自分が浮き彫りになるだけで余計に惨めになってしまう。
いっそのこと出来損ないだと捨てられたらどんなに楽だっただろうか。
弟ほど飛び抜けていないにしろ、努力の結果下手に優秀になってしまった自分は出来損ないとも言い難く、天才だとも評されない。いつの間にか俺は自分自身で自分を追い込んでいってしまったのだ。ただのバカでいられたのならば、暗澹たる気持ちを抱くこともなかった。
……こんなにも俺を最低にした弟を心から憎むことができなかったのは、俺自身が祈の優しさが本物だということを誰よりも知っていたからだ。
もう、どうしようもなかった。

そんなどうしようもない俺だからこそできることがあった。
証拠のでっち上げ、不正取引、自白の強要──事件解決を円滑に進めるための汚れ仕事だ。
この世は法だけで解決できないことが数多に存在する。目には目を、犯罪には犯罪を。決して人に話すことはできないが、これは必要悪であり、俺が誇りを持って行える正義でもあった。
大多数が正義だとするものとカタチは異なるにしろ、その正義で裁ききれない悪を捕らえるためには必要なものだった。
人を思いやる心を是とし、嘘や誰かを傷つけることをできない弟にはできない、自分だけの正義。これが鈴丸 誓の正義の形だと鈴丸 誓は信じている。

それなのに、誰も彼もが鈴丸 誓を悪だと言う。
正義だとわかりやすい光ばかりを称賛し、それ以外を悪だと切り捨てる。
どうして正義が複数あってはいけないんだ。どうして弟ばかりが肯定されて俺は否定される。
誰も彼もが否定する。誰も彼もが弟を選ぶ。

そしていらないところでも弟は選ばれた。
俺が犯人にでっち上げて獄中死した遺族が俺と間違えて祈を襲ったのだ。
弟は昏睡状態のまま目覚めることなく、今もずっと病院で過ごしている。
ざまぁみろと思うことはできなかった。俺のせいで選ばれたはずの人間が、選択肢にすらならなくなった。

選ばれるのは弟で、選ばれないのが俺。
もしもGRIMOIREに弟がいたのならば、弟もいたのならば……
メンバーと上手く付き合っていたのかもしれない。
頼られたのは弟だったのかもしれない。
この棒付きキャンディーを貰ったのは弟だったのかもしれない。
かもしれない、ばかり増えていった。
弟のように円滑な人間関係を築くために取り入ることもした。顔色も窺った。
いつだって口角を上げて、いい人で在った。
でも胸の中にあるものは、幼少期から抱き続けるものは消えることもなく、目をそらすこともできない。
もう、どうしようもなかった。

もう、どうしようもなかった。
弟はずっと病院で、GRIMOIREに異動させられたのは自分で、自分の信じているものは変えられない。
もう、どうしようもなかった。

もう、どうしようもないのだ。進む他ないのだった。



■10/バカ

「どうせ知っているんでしょう、何をしたのか、何をしてきたのか。それで? 貴方も俺を否定するんですか? GRIMOIREから出て行けと、警察を辞めろと、そう言いたいのでしょう?」
諦めたように嘲笑う鈴丸。
だが、鳳条は表情を崩すことなくにこやかなままでバッサリと切り捨てた。
「いいえ」
「あぁ、じゃあ裁判ですか? 正式に裁かれてこいと? お前のやったことは悪であると大衆に知らせてこいと?」
「いいえ」
「じゃあ何なんですか」
「貴方はそれらをどうして行ったのですか? 上に言われたから?」
「必要だと思ったからですよ。正規の手法なんてとっていたら捕まえられなかった人間だっています。俺だって警察の人間です、正しいと思うことをやった、ただそれだけです」
「なるほど」
鳳条は1つ頷いて、熟考するよう目を閉じてから「ふむ」と息をついて、ゆっくりと目を開き、また微笑んだ。
「貴方、馬鹿ですね」

鳳条が何を言ったのか鈴丸どころか不寝喰も理解できなくて呆気にとられた。
「なるほど、ただのお馬鹿さんでしたか。それなら別にいいです」
呆気にとられた2人を置いてきぼりに鳳条はころころと笑う。
「私は別に貴方を否定するつもりはありませんよ、鈴丸さん。正義というものは1つだけとは限りませんし」
ねぇ?と鳳条は不寝喰に問いかけるが、はぁと歯切れの悪い返事だけが返ってきた。
「ほら、七つの大罪ってあるじゃないですか。悪とか罪って複数あるのですから、それに対抗する正義が一種類なんて心もとなさすぎるでしょう?」
「うーん? 数の話ならばそうなのでしょうけど」
困ったような不寝喰が苦笑いする。
「何が悪なのか正義なのかを決めるのも思うのも結局は人間の主観です。なので、私は貴方の話が聞けて大変参考になりましたよ、鈴丸さん」
鈴丸は呆然としたまま鳳条を見ていた。
「不寝喰さんはいかがですか?」
「え? 急に振ってきたなァ……そうですね……
不寝喰はしばし言葉を選んでから呟くように口を開いた。
「アタシは、人が傷つくことは良いことだとは思わないです。だからきっと、鈴丸サンがやってきたことや考えを丸っと肯定することはできないと思うのですよ」
「けど」と言葉を区切ってから不寝喰は鳳条を見る。
「鈴丸サンを丸っと否定することもしたくはないです。なので、もう少し3人で考えましょう。一緒に」
「それはいいですね。もっと鈴丸さんのこと ひん剥いていくのは面白そうですし」
「言い方が物騒ですにゃ~」
空気を軽くするように不寝喰が茶化してツッコむ。
「でも、これまでをどうするか、これからをどうするか、たくさん考えましょう。帰って一緒に。チームなんだから、嫌でも一緒にいる時間は長いのです。鈴丸サンだって思うところがあるのだから喋れないことも多かったと思いますし」
「いやそれは多分箝口令のせいが7割だと思いますよ?」
「じゃあ残り3割は?」
「そうですねぇ……
和気藹々と話し出した鳳条や不寝喰。
鈴丸には意味不明だった。2人が何を言っているのかわからない。
もうどうしようもないことを話そうなどと、考えようだなどと、何を言っているのだろうか。
胸が痛んで、苦しくなって、頭がガンガンとハンマーで殴られているみたいに気持ち悪く、手足末端の血の気が引いた。
何をどう形容していいのかもわからず、鈴丸は唇を噛み締め、脱兎の如く部屋から逃げ出した。

「逃げられちゃいましたネ」
「そのようですね」
……え、追いかけなくていいんですか?」
「じゃあ追いますか。木端さんに怒られたらどうしましょう」
「不寝喰チャンが一緒に謝るのでお任せを」
また苦笑いしながら不寝喰は部屋を出ていく。
鳳条はフッと息をはくように微笑みながら「このままじゃ三馬鹿ですね」と楽しそうに呟いた。



■11/もう、いい

がむしゃらに走っていた。
酸欠になって頭で物が考えられなくなるほど走った。
ポツポツ存在する街灯すら嫌って暗い方へと走った鈴丸は比較的緑の多い地区にまで出ていた。
土地勘はないが、地図だけは確認していたため何となくこの辺りにいるんじゃないかと無意識に当たりをつける。
拠点からじゅうぶんに離れた。息を整えるように深く吸って、鈴丸は天を仰ぐ。厚い雲が空を覆い、月も隠れている。空気中の湿気も多い。深夜には一雨来るかもしれない。

……らしくない行動だった。

鈴丸は腰を曲げて前屈してるかのように頭を下げて目を閉じる。
切り替えて帰ろう。急に変なこと言うからと茶化してひとまずおさめてしまおう。
どうにも、あの2人に対して上手く対応できない。
思い切り息を吐きだして、また深く吸う。その時、ザリザリと土を踏む足音が耳に入った。
追ってこられたのかもしれない、と鈴丸は目を開けて上体を元に戻す。
しかし、想像と違う人間がそこには立っていた。

白いロングスカートをはためかせた小柄なシスターがいた。
月明かりもなく、街灯もない暗闇の中、2人は互いに無言のまま見つめ合う。
何か言うべきなのかと鈴丸は考えたが、周囲からは足音や何かを引きずるような音が聞こえてきて、思考をすぐさま切り替えた。──囲まれている。複数人に。
目を動かしてみるが、姿を確認できない。真っ白い服のシスターだけが暗闇に浮かび上がるように見えている。
そのシスターが一歩一歩、ゆっくりと近づいてくる。
併せて周囲の気配も色濃くなっていく。足音、何かを引きずる音、荒い呼吸音……
それら全てが近づき、鈴丸の視界に奇妙なものが映り始める。
それらは人の形をしていない。
それらはどこか歪で生物らしさもない。
形容するのならば"化け物"だった。
鈴丸は半歩後退る。目視で確認する限り、シスターを入れて6。
正面のシスターと目が合う。彼女の眼光は憎しみで鈍く光っており、視線だけで鈴丸を射抜く勢いだ。
……殺せ」

彼女が小さくそう言うと一斉に化け物共が飛びかかる。
鈴丸は異能力で空気中の水分を集め……たが、途中で放棄した。
中途半端な水がバシャンと地面に散る。
無抵抗な鈴丸は化け物共の拳とも脚とも判別つかない黒い塊でぶん殴られ、地面に倒れ込む。
地面に倒れた鈴丸目掛けて塊が飛び交う。こういう時、ホラー映画なんかだったら体を引き千切られたり貫かれたりしてさっさと終わるものなのにな、と鈴丸はぼんやりそんなことを思った。
痛みで意識が飛びかけていた時、新たに新鮮な痛みを受けて逆に目が覚める。それは少女の小さな手による平手だった。
倒れた鈴丸に馬乗りになって、襟首を掴み上げて無理矢理に上体を持ち上げ、もう片方の手でまた平手を打った。往復でも一度、二度、三度……少女の平手が鈴丸の頬を打つのだが、鈴丸は少し笑ってしまった。
先程までの化け物共に比べたら、少女の平手など可愛いものだったからだ。
切れた唇を動かして「そんなんじゃ、殺せないよ」と小さくこぼすと、少女は拳で思い切り鈴丸を殴った。
「人殺し!」
初対面の時と同じセリフを言われた。
鈴丸を殴って赤くなった手で少女はナイフを取り出して、両手でしっかり握ると思い切り振り上げる。
襟首を離されて倒れゆく視界の中、そのナイフのキラメキが見えて、鈴丸は何故か安心してしまった。
人の役に立って、この子の復讐を遂げられて死ねるのだと。『鈴丸 誓を殺す』と"選んだ"少女に殺されるのだと。
また、思わず笑ってしまった。


「馬鹿なの?」
冷めた声音は目の前の少女のものではない。
聞き覚えのある声に、鈴丸が再び目を開ければ美杜が腹の上の少女を蹴り飛ばしているシーンだった。



■12/炎と氷

小柄な少女を更に小柄な美杜が蹴り飛ばす。
そこまで勢いはないものの、少女──ツキナは小さく悲鳴を上げて地面へと倒れ込む。
厚い雲の切れ目から月明かりがさして、美杜を照らす。逆光の美杜が鈴丸を睨むように目を細めて一瞥した。
「馬鹿」
吐き捨てるようにそう言うと、プイッと顔をそらし、後方からくる化け物の足元を凍らせる。
「っしゃあああああああ!!!」
更に後方から男の咆哮がし、振り返れば真っ赤な炎が闇夜を照らしていた。
大きな炎は化け物の正面を焼き、燃え盛る。化け物は奇妙な音の悲鳴を発し、燃々焼へと向かっていくが、横っ面を十手で殴られ更に炎の追い打ちをかけられる。
膨れ上がる炎で正面から殴られ、巨体が吹っ飛んだ。
「野蛮人」
「あ゛? なんやクソ女」
鈴丸をカバーするかのように立っていた美杜が燃々焼を睨みつける。
「いちいち煩いのよ。脳が足りてなくて黙ってられないの? ギャンギャン喚いてるんじゃないわよ」
「じゃかあしいんじゃボケ。てめぇこそ悪態吐いちょらんと息できんのか?」
美杜は鈴丸の三方を厚めの氷で覆って盾を作ってから、ダンっと足を踏みしめ、燃々焼の方に氷の飛礫を打つ。
燃々焼がひょいっとそれを避けると、後方にいた化け物に直撃した。
「そん血の気の多さならまだ大丈夫やなクソ女」
「偉そうに避けてんじゃないわよ、バカ男」
罵詈雑言を浴びせ合いながらも、美杜は地面に転がるツキナに手錠をかける。その間、燃々焼は考えなしに向かってくる化け物たちを燃やし尽くしていた。
「貴方、無線は」
美杜は鈴丸に問いかけるが、答えを待つのが面倒になったらしく早々に自分の無線を投げて寄越す。
「忙しいから貴方が連絡しといて、現在地」
そう言いながら美杜は燃々焼の方へと向かう。
「おうおう、景気ええ顔色じゃ」
ムスッとした美杜が鉄分のサプリメントを雑に出して口に放り込み、噛み砕いた。
「まだ片付けてないの。その程度も?」
「あぁ? 子供蹴飛ばすくらいしか仕事しとらん無能はどこん誰かね」
向かってくる化け物に応戦しつつ、燃々焼は美杜の背後を取る。
「目ん前でガタガタ震ゆっな、鬱陶しか」
「口ばっかりじゃなくて体動かしなさいよ」
「クソアマ」
「バカ男」

背後の炎の熱で、美杜は体温が上がるのを感じた。背後に一瞥くれてやってから、フンと小さく鼻を鳴らす。
上手く背中を取り合いながら、2人は5体の化け物たちを固めて、燃やして、小規模の爆発を誘導し、と蹴散らしていく。
5体全てを地に伏した時、美杜が手錠をかけたシスター──ツキナがふらりと立ち上がった。
「絶対……殺してやるんだから──っ!!!」
カラカラと何か金属製の物が転がる音がしたと思うと、ツキナの両腕が膨れ上がり、その細身に似つかわしくないタコ足のような太い触手めいた腕が顕になる。
腕が変化した勢いのせいか、俊敏な動きで近くの木々をなぎ倒すツキナ。その様子を見て、燃々焼は口角を吊り上げた。



■?/悪性に至る

「あぁ、素晴らしい。聞いていたとおりだ」

暗闇の中、ゴエティアの代表・聖架輪 ひじりかわが嬉しそうに微笑む。
「まさかとは思っていたのですが、本当に貴方のような異能力が実在するのですね。面白い。実に面白い。貴方でどれほどのことができるのか考えただけで身震いしますよ」
子供の死体、バラバラの部位しかないようなもの、ひしゃげた腕や中身をくり出された頭、妙な生物、生きているかもわからない化け物、骨、血、薬品……雑多に散らかった床と、壁際に並んだ大きな檻と何に使うかも分からない機械類、そして簡素な手術台。
よくわからないものと一部をくっつけられた子供、投薬されているのか管で繋がれている子供、精神が崩壊しているのか焦点の合わない子供、がんじがらめに縛られている子供……酷い状態のそんな子供たちが苦しみながら床をのたうち回っている。
その中心に立つのは、不寝喰未環子だった。


「不寝喰さん?」
「一体何をして」
地獄めいた光景の中、45班は立ち尽くす。
ただ1人、聖架輪 ひじりかわだけは楽しげに嬉しげに微笑んでいるのだった。

子供たちの苦しみにあえぐ声の中、新たな地獄が生まれていた。



⚖第6話 最後のチャンス 了


【裏CS】嫉妬


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5963様 @5963_29

ご協力、心より感謝申し上げます。


※この物語はフィクションです。作中に登場する事象・思想・個人名・団体名などは全て架空のものであり、現実のものとは一切の関係がございません。フィクションとしてお楽しみください。


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