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屋根を探すパン屋(サンプル)

全体公開 5945文字
2022-11-18 21:16:43

元教師と元生徒がパンを売る話です。BLやブロマンスといった特殊嗜好はありません。

Posted by @humito727

パン屋の朝は早く、季節問わずに太陽が昇る前には起きる必要があった。だがそれは両親らの仕事であり、百瀬は起きてぼんやりと工房を眺めるだけだった。
 教師を辞めてそれからは実家で仕事を手伝おうと決めた、最初からこの店を継げばいいとも考えたがどうにもそうする気にはなれなかった。
 結局、小麦が焼ける匂いに包まれた空間の中、朝からじっと座り込んでしまっている。
「おうもってけ、犬山さんとこ」
「へい」
「なんだその返事は」
 足の悪い父がげっそりとした顔をする。決して嫌そうな顔をしないのは、いつものやりとりであることを分かっているからだ。
 父もこちらの表情を悟ったのか、呆れつつもどこか割り切ったような顔を浮かべて言った。
「お得意さんなんだから、丁寧に相手しろ」
「はいはい」
 平型のフードコンテナは「百瀬パン」と書かれたわかりやすいロゴが描かれ、その中には数日分のパンが綺麗に並んでいる。それらはロールパンや食パンだ。
 受け取るとワゴン車の後ろに置いておく、犬山さんだけでコンテナ一つ分が車の中を占領する。この人の為だけだ。
 その他のコンテナもせっせと運ぶ、綺麗な梱包は母が行っている。一つずつ丁寧に行うが、最近は機械を買ったらしく自動で作業することが増えた。
「いい加減、作ってもらってほしいんだけどねえ」
 と、部屋の隅で白い作業服に身を纏った母が言ったような気がした。その時百瀬は既に車に乗ろうとドアを開けていた。
空気の澄んだ朝の所為か、両親の話はくっきりと聞こえた。実家に帰って来てからもう何度も聞いた台詞にはうんざりしてしまう、百瀬はパンを作ろうなんて微塵も思わなかった。作ろうと思っても作らないし、何より作れないのだ。
父曰く、
「あいつが作るパンは不味い」
「そんなこと言って、とても美味しかったわよ」
「どうにもあいつはバランスが悪い。余計な事ばかり気が向いている」
「なあにその言い方、あの子だって少しは出来るのよ、少し」
 好き勝手言ってるな、と思いながら百瀬航は車を発進させようと、ハンドルを握ったら母親が慌てて駆け寄ってきて、もう、と呆れかえっていた。
「またネクタイ忘れてる!」
「今つけようと思ったんだよ」
 うんざりした口調で言った。朝から本当に複雑な気持ちが芽生えてしまう。
 母親はじっとこちらを見る、あのネクタイを首に巻くまでここは動かないという事だろうか。百瀬は眉間を指でさすった。朝から叩き起こされて、ようやく慣れてきたのに母親の明るい声がまるでサイレンのように脳に響く。
……あれ本当につけなきゃダメなのか?」
「そうよ、あれ大事。あんた地味なんだからワンポイントあると印象ががらっと変わるのよ」
「いらんだろ、あれ」
「いいから、つける。はいはい、ほらほら。小さい頃から地味なんだから洒落ぐらいあってもいいでしょ!」
 相変わらず、遠慮のない両親たちだ。


 山に囲まれた小さくも大きくもない町。
 海は車を出さないと行くことは難しい、そもそもこの町は車が無いと移動するのが大変で、一家に何かしらの移動手段を持っている。真上から見ると大きな道が上から下へとくねるようにして町の真ん中を通っており、ほとんどの人間はその先にある観光地へと向かう裏道として使っている。そのためわざわざこの町に立ち寄ろうという人間はそうはいない。
 ここは富裕層が少し多い。だから住宅街も多いし、どこも静かだ。だが穏やかで波風の無い日々に飽きてしまうのかしょうもないことを考え始める者も多い。
 例えば、不味いパンをわざわざ買いに行くと言う事もある。
 金持ちは金がある癖に変な倹約家よりも非常に慎重で、けちな根性持ちばかりだった。それはどこか浅ましくも見えるし、皮肉にも感じる。
 だが今からパンを配達しに向かう犬山さんの家は富裕層が住む住宅街から離れた平屋の家に一人で住んでいる。高齢で本当ならば誰かが傍にいてあげないといけないのだろうが、他の身内を百瀬は見たことがなかった。
 家の前に車を停めると、杖をついた老人が待ち構えていたのかすぐに姿を現した。
「パン屋! 待っていたぞ!」
「どうも、犬山さん」
「早く持ってきてくれ」
 言われなくても百瀬は犬山さん用のコンテナを手に、玄関まで運んでいた。地獄耳、おそらく車の音とこの時間になればパンが届くことを身体で覚えている、そういえば猫も温度が低くなると夕ご飯の時間だとわかるのか飼い主にすり寄って来ることを思い出した。しかし、百瀬の実家では猫は飼っていない、一体誰に教えてもらったのか、ぼんやりとした記憶がそこにはあった。
 玄関に置いておくと、縁側の方へと向かった。
「配達以上です」
「なあ聞いてくれ、パン屋」
「はいはい」
 これが週に一度起きる、苦行だった。
 それは老人のどうでもいい話を聞くというもの。それもほとんどが身内の、聞くのも疲れるいざこざばかりだった。本来ならばこれは父の仕事だった。しかし、父は階段で転んでしまい足を悪くしてしまったせいで、都合の良い事に車を運転するのが億劫になったと言い出し、丁度よく暇をもてあました息子にお鉢が回ってきた。
 最初の方はよかったが、もう数えるのも面倒になったくらいには犬山さんの相手をしている。話題は嫁の話、息子のていたらく、孫に会えないなどの話ばかりだ。適当に相槌をして「犬山さんはよくやっている」と言えば大抵は満足に頷いてくれる。
 同時に話を聞いてくれる人すらいないのかと思うと、なんだか空しく見えてしまった。老後はこんな風に無味無臭で、誰にも目に留められることなく時間が過ぎていくのかと思うと胃の底が少し震えた。
 人生の結末を生々しく映し出されているかのようだ。
「俺はよ、みんなのために働いてよ、でもあいつらはなあんもしてくれないんだ」
「悲しいですね」
「俺は一体……何をしていたんだろうな」
 そりゃあ、生きていたのさ。汗水流して、木を切っていたんでしょ、人の為に頑張ったと言うつもりなのだろいうか、それは違う。結局は自己満足じゃないか。
 結局は取りとめもなく、身にもならない世間話の相手を週に一度聞かなきゃならない。しかも相手をおだてて、褒めて、同意しないといけないのが面倒だ、どう転んでも人それぞれですとしか答えられない。それで犬山さんも納得はしている、頷いてはいるが恐らく何とも思ってはいないのだろう。
「そろそろ次の所行かないと、犬山さん。また来週」
「おう、また来な」
 来なかったら文句言うだろうに、と思いながら百瀬は再びワゴン車に乗った。溜息を吐いて、助手席に転がしたネクタイをじっと見た。一体母親はこんなものをどこで見つけたのだろう。これを本当に首に巻いているだけで、売り上げが良くなるのか?
……文句ばっかだな、俺」
 ワゴン車を発進させて、のんびり走っていると太陽が少しずつ真上へと向かっていた。
 住宅地は閑静で、似たような色合いをした白やベージュといった壁に赤や緑の屋根で建てられた家が規則正しく並んでいる。明らかに高いとわかるほどに綺麗で、道路にゴミ一つすら残せないような明らかに他の場所と雰囲気が違って見えた。
 そんな泥や鳥の糞を踏みつけたワゴン車が平然と通り抜けていく。車を停められて、駐車禁止と書かれていない人の目につきやすい場所は大体決まっていて、百瀬はいつもの薄緑色のマンションが見える場所に停めた。
 一番後ろの扉を開けて折り畳みのテーブルを広げて、パンを並べていく。総菜パンから菓子パン、食パンまでだ。数は限られているから、平日の昼間に暇をしている主婦たちがわざわざ小綺麗な恰好をしてやってくる。
 彼女たちは面白おかしく百瀬を見ては、気前よくパンをいくつか買ってくれた。母は売り上げが上がったのはこのネクタイのお陰だと言うが――絶対違うと思う。
 百瀬は薄緑色のマンションの方を見上げた、ベランダから顔を覗き込んでいる女性を目が合い、背筋が伸びる思いになる。あの女性はいつもここに車を停めると見てくれて、客が少なくなった頃合いを見てここにやってきてくれた。
「こんにちは」
「こんにちは」
 長い黒髪を持つ女性がほほ笑んだ、それは雨後に起きた木漏れ日のような美しさがあり、ついつい視線を逸らしがちなのは視界に入れるのも恐れ多いと思ったからだ。
「何かありますか」
「ロールパン、とかどうでしょう」
「いただけますか?」
 名前は鳥居さんだ。何度かパンを買ってくれていることはよく知っていたので、ある日思い切って名前を聞いてみたことがあった。このマンションに住んでいる事、自分は鳥居という苗字であることを教えてくれた。それ以外の事は知らない、しかしそれだけで十分だった。
「いつもここに来るんですね」
「ええ、停めやすいし。人も来てくれるので」
「助かります、百瀬パンさんのパンは美味しいです、パンの味がして」
 喉が渇いていくのが分かる、そして目線は胸に下げられたネクタイだった。くすっと笑われたのが分かるとすぐにでもこのネクタイをほどきたい気持ちに狩られる。好きでこんなものをつけているわけでもないのに。
 鳥居さんの言葉にありがたみを感じつつも極めて丁寧にパンを袋に入れて、お金を受け取ると鳥居さんはパンの袋を持った。なんだか不釣り合いに見える。
 もっと話がしたいと思うのは、どうしてなのだろう。一目惚れと言えればそれでいいが、適切な言葉が思いつかない。
「あのう」
 聞きたいことがあるはずなのに、つい聞けずに押し黙った。数秒の間見つめ合い、百瀬は口を開こうとしたが出来なかった。
 割って入ってきたのは別の女だった。
「あの、すみません」
 せっかく穏やかな空気を楽しんでいたというのに、見知らぬ主婦が息を切らして近寄ってきた。どこかを走り回っていたのだろうか、にしては運動するような服装にも見えない。
「息子見ませんでしたか?」
「はい?」
「ここにお使いを頼んだのですが、帰って来なくて……
 百瀬は子供がいたことを思い出す、確かに何人かの主婦の中に混ざって小さな子供がいたような気がした。ここら辺に住んでいる子供だろうということくらいは容易に想像がついたので、特に気に留める事なく……そもそも金さえ払ってもらえればどんな相手でも気にすることはないのだが、目の前の女はどうやらその子供の母親らしい。
「買ってくれた子供はいたと思いますが、そのあとは見かけてないですね」
「そうですか……
「あの、良かったら一緒に探します」
 と、鳥居さんが言うのでつい顔を見てしまう。本当に心配しているようだった。しかしここで言わずに黙るのはなんだか複雑な気がした。男が廃る、そんな気がしてつい声を上げてしまった。
「俺が探しますよ。鳥居さんは家に戻ってください」
「でも、人が多い方が見つかるかと」
「すぐ見つけますので」
 そう言うと、百瀬の動きは早く店じまいを始め、残ったパンやテーブルを車に押し込むと鍵をかけてから主婦に子供の特徴を教えてもらい、それから辺りを探すことになった。
どうして他人の、しかもよくも知らない子供なんかを探さなきゃならないんだと思いつつも、美女を前に見栄を張ったような気がしてしまい、自分の愚かさと情けなさを感じた。
遊歩道、人が歩くから道は綺麗に整えられているが車の通りは多い。しかし子供の影すら見当たらなかった。
 治安が決して良いかと言われたら分からない、少し前までは気にすることも無かったが、今はどう転んでもおかしくないような少し歪んだ世界になっているのだ。
 探すといった手前、面倒な事に巻き込まれなければいいなと思いながら自分が停めた車から少し離れた公園にたどり着いて見てみればブランコの所に子供がいた。ビニール袋を手に持っているところを見れば先ほど買ってくれた子供だろうとは想像がついた、特徴もあっている。 
 一体母親はどこを探していたのか、だが遠くまで行っていなくてよかったとすぐに近づこうとしたが、子供はこちらのことを知らないので怪しまれるのではと思い、足を止めた。
よく見れば子供は一人ではなかった。ブランコに誰かが座っているので足早に近づいてみるが百瀬はその男に対して目を見開き、何も言えなかった。
 百瀬はその男の事を良く知っていたからだ。
「あ!」
 子供がこちらを向いて明るい声を上げた。男から何かを受け取ってからこちらに駆け寄って来たかと思ったら、百瀬の横を通り過ぎ後ろにいた母親のもとへと向かっていった。
 母親は走って来る子供を受け止めるようにして、目線を合わせるようにしてしゃがみこむと安堵に包まれた表情を浮かべる。
「もう、どこに行ってたの?」
「おかあさん、あの人にお団子もらったの」
 そう言った子供はパックに入った団子を母親に見せていた。母親は百瀬にお礼を言ってそそくさと歩き出してしまった。見知らぬ変な男に子供が絡まれて今すぐにでもここを立ち去りたいのだろう。
「ねえ、帰ったら食べてもいい?」
「駄目、捨てなさい」
 そう言っているように聞こえたが強い風の所為で最後まで聞き取りづらかった。おそらく残念がる子供としかりつけている母親、そんなやり取りだったのだろう。
 百瀬もこのまま背を向けて立ち去ろうとした、しかしすぐに行動に移せず、縫い付けられたように足が動かない、なんだか妙に背中に汗が噴き出ていて風を浴びると一気に冷える。
何かが空虚になる、塞ぐのに必死だったのに、違う所から穴が開いてしまったような無気力感が襲い掛かる。出来る事があるとしたら、その場で視線を逸らすことだけ。
 男は団子を食べていた。パックの中にあったものを一つ食べ、残りを子供にあげたのだろう。一瞬目が合うと、ブランコに揺れながらその男は軽く手を挙げる。
「や、センセ。久しぶり。覚えてる?」
「鬼村だろ」
「よくわかったね。そうそう、鬼村、鬼の村で生まれた鬼村」
 鬼村舞人。これできむら、まいとと読む。苗字にしても下の名前にしてもどちらにせよ妙な名前であることには違いない。
 苗字も名前もそう聞かないので教師を辞めた今でもよく覚えていた、それだけではない、自分が教師だった最後の年、彼を担当していたのだ。
 忘れているはずだったのに、こうして色鮮やかに現実は容赦なく象ってくる。
 水面ぎりぎりまで保っていた水の入ったグラスが、少しだけ揺れて零れていく水。
 そんなような汗が流れていることに気づいた。


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