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DX3rd PC 龍巳クリフ・久方菜乃花SS「喪失と龍と少女」 ―― 第三節「赤色の龍と亜麻色の少女」 + エピローグ

全体公開 1 18442文字
2022-12-04 17:59:35

TRPG DX3rdにおける自PCの龍巳クリフと、もにゃさんのPCの久方菜乃花さんのお話です。全3節構成。
第一節:https://privatter.net/p/9550130
第二節:https://privatter.net/p/9553259
第三節:ここ


―――――――――――――――――
 第三節 赤色の龍と亜麻色の少女
―――――――――――――――――



 立ち並ぶビル群の上を飛び移りながら、一目散に駆け抜ける。眼下に照らされる明かりの中街を走る車を、自分の後ろへ置き去りにしていく。
 できることなら、他の誰よりも早く見つけられるようにと祈りながら足を動かす。

 作戦本部からの通達を目にした菜乃花は、すぐさま病室を飛び出して赤龍が飛び去って行った方向へ走り出していた。頭で考えるよりも、身体が先に動いた。
 病室を出た時、外で待機していてくれた両親に見られてしまったが、今はそんな事を気にしている場合ではなかった。

 近くに隣り合わせたビルとビルの間で、壁を蹴って屋上に登った頃には、もう既に夜空に赤龍の姿は見えなくなっていた。
 それでも、迷っている暇はない。去って行った方向を頼りに、ビルを伝い後を追いかけた。
 信号待ちや、道路に移動が制限される車よりも、菜乃花自身で走った方が速い。
 それから、どれくらい走っただろう。夜空の先に、燃える龍の姿は一向に見えてこない。

(クリフくんが、ジャームに……

 胸の中で考えただけで、ズグリと心が黒い沼に浸されたかのように重く苦しくなる。
 楽天的で能天気だと評される自分の心臓も、今ばかりは軽はずみに動いてはくれない。

 ジャーム。人の心を失い衝動のままに行動する化け物となった、オーヴァードの成れの果て。
 衝動は"殺戮"、"破壊"、"妄想"、"吸血"など、人によって傾向は異なる。
 そして一度ジャームになれば、元の人の心を取り戻すことは、無い。
 それは、龍巳クリフも例外ではない。

 一瞬だけ最悪の結末を想像して、菜乃花はブンブンと首を横に振って否定した。

「クリフくんが、ジャームになんてなるわけない!」

 自分の前に立って、あらゆる敵に立ち向かっていたクリフの背中が菜乃花の脳裏に浮かぶ。
 クリフはその姿を以って、今までずっと自らの意志の強さを証明してきた。
 菜乃花も、その強靭さを知っている。信じている。
 だから、大丈夫だと思える。いくらジャームになった可能性が高くても、彼ならその直前で踏ん張ってくれているのだろうと。
 簡単にジャームになってしまうなんて、到底思えない。

「クリフくん、どこ……?」

 それでも、不安と焦燥は胸の中で少しずつその領域を広げていく。ジャームにならないと思えていても、少しずつ平静を侵食していくこの負の感情を払拭できない。
 クリフの意志の強さを信じている。だが同時に、この世にはいくら頑張っても、いくら信じてもどうにもならない"理不尽"が存在していることも菜乃花は知っていた。
 まさに、今日再発した病もまた、菜乃花が知っている"理不尽"の一つだ。
 絶対に大丈夫だと心の底から菜乃花は言い切る事ができない。"絶対"がないという事を、その身が一番よく知っていた。

 だから、一刻も早く追いつきたい。探し出して、自分のできる限りのことをしたいのに、いつまで経ってもその星空の景色に変化はない。
 もう、遥か遠くへ行ってしまったのだろうか。それとも、もう全く見当違いの方向に来てしまっているのだろうか。
 闇夜の海の中、羅針盤を失ったかのような心境で、あの変わり果ててしまった赤い龍の姿を探す。

 どうして、自分の命を助けようとしてくれただけで、あんな姿にならなければいけないのか。
 神様は交換条件だとでも言うつもりなのだろうか。

(私とクリフくん、そんなに悪い事したのかな……?)

 ずっと、ずっと"善い子"でいたはずだ。
 どうにもならない心臓の病を生まれ持っても、めげずに日々の中から喜びと幸せを探し出して、周囲に笑顔を振りまいた。
 人知を超えた力を手にして、先のないはずだった未来を手に入れても、好き放題なんかせずに世の中の人を助けるために力を使って頑張った。
 今日また突然"理不尽"が襲い掛かってきても、嘆くことも喚くこともなく、自分の幸せな過去とみんなの幸せな未来のために命さえも厭わなかった。

 機嫌を損ねるような事なんて、何一つやってこなかったはずなのだ。
 だから、だからどうか今だけは……

「神様……せめて今くらいは、大目に見てよ……!」

 ビルの上で立ち止まり、荒くなった息を整える。
 それでも、いつまでも立ち止まってはいられない。
 また走り出そうとした時、菜乃花が持っていた端末が振動した。
 画面には、"赤壁"が見つかったという内容と位置情報が送られてきた事が示されていた。
 それを見た菜乃花は弾かれるように画面を操作し、詳しい内容を食い入るように見つめる。

「えっ!?」

 その場所は、菜乃花がもう随分前に通り過ぎてしまっていた場所だった。
 相手はずっと飛んでいると思って空ばかり見ながら追いかけていたが、どうやら途中で降りてしまっていたらしい。
 それを確認すると、菜乃花は急いで来た道を戻り始めた。



――――――――――――――――――



 端末の位置情報を頼りに、郊外の森の中を一直線に進んでいく。
 そろそろ目的地だと思って菜乃花が前方に目を凝らすと、木々の先に明らかな人工物が見え始め、どんどんと視界の中で大きくなっていく。
 それはどうやら塀のようで、その上から漏れ出す形で炎が揺らめくようなオレンジ色の光が見えた。
 同時に、銃声や打撃音を始めとした大きな音も耳に入ってくる。

(いる!)

 もう戦闘が始まってどれくらい経っているのだろうと、菜乃花の焦燥が強まる。
 クリフの無事を祈りながら、菜乃花は塀に足をかけると目についた監視塔のような一際高い建物へ跳躍した。
 着地して眼下を見下ろすと、そこらじゅうがボロボロになった敷地が広がっていた。
 体育館が十個は入りそうな敷地が塀に囲まれているが、その中の建物はほとんどが崩れている。
 一瞬、この戦闘でここまで周囲が破壊されてしまったのかと考えたが、倒壊した建造物の内部や割れ目も含めて一面がコケやツタで満たされていたので、こうなってからかなりの時間が経っている事は菜乃花にも分かった。
 そして、その一角が火の海に包まれているのもすぐに目に入る。
 その奥に、完全に崩れ落ちた建物の瓦礫の山の前に陣取り、UGNエージェント達からの攻撃を受ける赤龍の姿があった。

「クリフくんっ!」

 傍目に見ても赤龍に近づくほど炎が激しくなっており、周囲のエージェントも安易に距離を詰められない状態のようだ。
 身体から炎を噴き出す龍は灼熱の中腰を降ろし、遠距離から来る攻撃を避ける素振りも見せず弾き返している。
 どうしようかと頭が考える前に菜乃花の脚に力が入る。今いる場所を飛び出そうとした時に、突然横から腕を掴まれた。

「待って久方さん!」
「わっ、つ、椿教官!?」

 横を振り向くと、椿がすぐそばまで来ていた。どうやらこの現場に駆け付けていたらしい。
 全く気付いていなかったところに不意をつかれ驚く菜乃花に対して、椿は安堵の溜息をつく。

「まったくもう、いきなり病室を飛び出していったかと思えばまた突っ込もうとして……。でも、本当にもう元気なのね。そこだけは安心したわ」
「椿教官、クリフくんを何とかしないと! 私行かないと!」

 なおも姿勢を変えない菜乃花に対して、椿の後ろからもう一つ落ち着きのある声がかけられた。

「久方さん、落ち着いてください。今は膠着している状況です。今すぐに龍巳君がどうこうなりはしません」
「き、霧谷支部長!? なんでここに!?」

 椿の後ろから顔を出したのは、普段よりも深刻な表情を浮かべる霧谷雄吾だった。
 菜乃花も流石に姿勢を正して向き直る。

「暴走した龍巳君の力はとても強大です。それに、私は幼い頃からUGNに居たあの子の事を知っていますから……指揮を執る上でも、個人的な感情の上でも、駆け付けなければと思いました」

 ここは周囲で最も高い場所だ。確かに、全体を見渡しながら指揮を執るには最適だと言えた。
 霧谷は菜乃花から赤龍へ視線を移して言葉を続ける。

「龍巳君はここで発見されてからずっと、あの場所を動こうとしていません。彼の攻撃が届く範囲に入らない限りは危害を加えてこない。我々の攻撃も全てあの鱗に弾かれており、有効打になっていません。装甲が硬ければ精神面などからダメージを与える手もありますが……私の一存で、まだ止めてもらっています」

 菜乃花は、瓦礫の山の前を陣取り獣のような咆哮をあげて威嚇する赤龍を遠くから見下ろす。
 両手剣と龍爪を振るい、近づこうとして来る者を退け、銃弾や炎や雷撃……その他様々な異能の力を一身に受けている光景が目に映る。
 まるで、その後ろにある瓦礫の山を守っているような印象を受けた。

「クリフくん、なんであそこから動かないんだろう……
「それは、私も気になってるわ。いつまでも彼が大人しくしてくれるとは限らない。理由が分かればそれに越したことはないから」

 疑問を口にする菜乃花と椿に、霧谷の表情が一層重くなる。その変化を、椿は見逃さなかった。

「霧谷支部長、何かご存じなんですか?」
……この施設は、以前FHの拠点の一つだった場所です。四年前、ここでUGNとFHで戦闘が起こり、勝利したのは我々で、それ以来今日まで放棄されたままでした」
「FHの拠点だったところに、どうしてクリフくんが……
……当時の戦闘に参加したメンバーには、龍巳君と、それ以外にも、彼と特別親しかった幼馴染が居たんです」
「幼馴染……?」

 虚を突かれたような声でその単語を繰り返す。
 菜乃花はクリフから幼馴染がいるなどという話は一度も聞いたことがなかった。
 よく一緒にいるが、そんな人物がクリフの周りに現れたところも見たことがない。
 首を傾げる菜乃花をよそに、霧谷が言葉を続ける。

「その幼馴染の方は、その戦闘で暴走し、ジャーム化したと判断した作戦本部によって攻撃され、亡くなってしまいました……龍巳君の目の前で」
「え……

 言葉を失う菜乃花の前で、霧谷は眼下で佇む赤龍を、そしてその後ろの、瓦礫の山を見やる。

「そして……龍巳君の後ろにある、あの瓦礫の場所がまさに、その幼馴染の亡くなった場所なんです」

 その話を聞いた菜乃花は弾かれるようにその赤龍へ振り向いた。
 龍は今も攻撃を一切避けようとせず、それどころか身体を大きく広げて後ろへ攻撃を通さないようにしていることが今の菜乃花には分かった。
 その様子に、胸が詰まるような思いをする。数刻前まで味わっていたものとはまた別種の苦しさが心臓に押し寄せてきた。

「もしかしたらですが……龍巳君にとって今は四年前のあの日であり、殺されようとしている幼馴染をその身で救い出そうとしている……そんな"妄想"に、囚われているのかもしれません」
「そんな……そんな悲しい事って……!」

 胸の苦しさを搾り出すように、菜乃花が声をあげる。
 あんな姿になって、暴走して理性も削られてしまっても、ここで何かを守り続けようとしている。
 その事実だけで、クリフにとってそれが疑いようもなく大切なものであったことは、菜乃花にもよく伝わってきた。
 その幼馴染はもうとっくの昔に喪われているのに、影も形もない瓦礫の山を今も必死に傷付けられまいとしている。
 そして、その幼馴染のことを、自分はこれまで全く知りもしなかった。

 様々な事が、あらゆる面で菜乃花の胸を締め付ける。

「報告の時、霧谷支部長が言っていた現場がここだったんですね……知りませんでした」
「玉野さんが教官として就任する前のことですから、仕方ありません」
「クリフくん……!」

 居ても立ってもいられず、また菜乃花の身体が無意識に動く。
 足に力が入るのと同時に、再び椿がその肩に手を置いた。

「久方さん! 危険だわ、どうするつもりなの?」
「でも……でも、あんなの見てられないです……!」
「久方さん、気持ちは分かるわ。でも、その……

 椿が視線を斜めに落とし、言葉を濁す。
 何か言いにくい事を言おうか迷っている事はすぐに察することができた。

「ジャームになんてなってません!」
「え……?」
「クリフくんは、まだジャームになんてなってません! だって、クリフくんは世界一強いんです! かっこいいんです! ずっと、ずっと私やみんなを助けてくれて、今もまだああやって誰かを助けようとしてるクリフくんが……そんな優しいクリフくんが、ジャームな訳がないですっ!」
「久方さん……

 菜乃花の必死の叫びに、椿はますます表情を暗くする。
 ジャームが一見して他者に利益を与える行動をすることは珍しいことではない。ジャームが満たそうとする衝動の内容が、必ずしも人に害を為すものであるとは限らないからだ。
 だから、菜乃花の主張は菜乃花個人の感情によるものでしかないと、椿にはそう思えてしまう。
 どうしたものかと、椿は助けを求めるように霧谷を見る。

……久方さんは、そう思うのですね」
「はいっ! 私は信じてます!」

 はっきりとした、強い意志のこもった言葉だった。
 それを聞いた霧谷は、目を閉じて顎に手を当て、少し考えるそぶりをしてから、ゆっくりと菜乃花を見据える。

……今の龍巳君が放っているレネゲイド物質量は、凄まじいものです。それこそ、通常であれば問答無用でジャームであると判定されるほどの」
「で、でも……!」

 食い下がろうとした菜乃花を、霧谷は手で制する。

「ですが……あのように自分から危害を加えず、ただただ守り通そうとしているその姿を見て、彼がジャームであるとは……私にはどうにも思えない。いえ、思いたくないのかもしれません」

 予想外の言葉に菜乃花と椿が目を見張る中、霧谷は言葉を続ける。

「龍巳君はもう何年もUGNで前線に出て、その意志の強さや在るべき姿勢、そして良心を証明し続けてくれました。そんな彼を、私はもう一度だけ信じてみたい。ですが、UGNとしてあれほどのレネゲイド物質を振りまく存在をいつまでも放置するわけにも行きません。彼一人をずっと特別扱いするわけにはいかない。もうじき、装甲対策や精神攻撃に特化したエージェントによる生死を問わない鎮圧を、行わなくてはならなくなる」

 組織の上に立つ者として、自らの望みに反する指示も下さなければならなくなる時がある。霧谷の表情が、そう物語っていた。
 霧谷は菜乃花の前まで歩み寄ると、その肩に手を置いて再び口を開く。

「久方さん、オーヴァードを人たらしめるものは、誰かとの絆です。この場で彼を救い出すことができる人物がいるとしたら、今まで彼と共に過ごしてきたあなたしかいないでしょう。あなたが呼びかけ、彼の心を呼び覚ましてもらうしかありません」
「霧谷支部長……
「時間は残されていません。何かできるとしたら、これが最後のチャンスになります。その最後のチャンスを、あなたに賭けたいと、私は思っています」

 最後のチャンス。そう聞いて菜乃花の身体が震える。失敗してしまえば彼はどうなってしまうか分からない。

「あなたに、龍巳君を救ってほしい。お願いしてもいいでしょうか、久方さん」
「は、はい! 私、やります! やらせてください!」

 それでも、今更答えなど変わらない。
 もうずっと前から、菜乃花はクリフを助け出そうとできる限りの事をするつもりだったのだ。
 霧谷の了承を得ることができた菜乃花は、大きく頷く。
 その様子に霧谷も安心させるように、満足そうな笑みを浮かべた。

「皆さんに、一旦攻撃を止めてもらうよう指示を出します。あなたはできるだけ彼に近付いて、声をかけてあげてください」
「はいっ!」

 霧谷支部長にも背中を押されれば、もう迷う必要などどこにもない。
 決意を胸に、菜乃花は監視塔を飛び出す。地面に降り立って風のように駆け抜ける。
 赤龍が放つ火の海の前に到着する時には、もう攻撃の手は収まり、一時撤退していくエージェント達の姿が見えた。
 今も龍は周囲を拒絶するかのように身体から炎を噴き出し、それがうねり辺り一面を覆いつくしている。
 まだ、距離が遠い。声が届くか分からない。それでも、炎の赤い壁の前で、菜乃花は声を張り上げる。

「クリフくん! クリフくんっ! 戻ってきて!」

 炎の中で佇む赤龍は何の反応も返さない。まるで門番か何かであるかのように瓦礫の前でじっとしている。
 そこには何もないにも関わらず、明確な意志を感じるその姿に、また菜乃花の胸が痛んだ。
 自分を助けて、あんな姿になってもなお、誰かを守ろうとしている。
 そのことを考えるたび、絶対に戻って来て欲しいという思いが積み重なっていく。心が前のめりになって、苦しさが増していく。
 思いが強くなるたび、もしもダメだったらという不安も大きくなる。
 クリフを探している間、ずっと菜乃花の中にあった感情がまた胸に湧き出してきた。

(あぁ、そっか……

 それはこの夜、初めて知る感覚だ。

(置いて行かれる側も、こんなに苦しいんだ)

 彼は、幼馴染を喪って、ずっとこんな気持ちを抱え続けてきたのだろうか。
 誰にもその思いを打ち明けないまま、心の中に仕舞い込んできたのだろうか。

 目頭が熱くなる。じっとしてなど居られなくなる。

(もっと、近付かないと)

 立ち上る炎の前で、菜乃花は目に強い意志を宿して膝を曲げた。

(こんな壁がなんだ! こんなので躊躇ってる場合じゃない!)

 クリフが張る壁など、菜乃花は気にしない、気にならない。今までも、これからも。
 だから、今だってこれに阻まれる道理なんて、ある訳がない。
 身体が焼けても死にはしない。それこそ、目の前の彼がその力を取り戻してくれたのだから。
 意を決して、菜乃花は炎の中に飛び込んだ。

「え……?」

 しかし、その炎が菜乃花の身を焼くことは無かった。
 飛び込んだ瞬間、菜乃花に道を譲るように、炎が左右に割れる。
 いや、割れたのではなく、菜乃花がいるところにだけ、龍が炎の噴出を避けたと考えられるような状況だった。

「ク"オ"オ"オ"オ"ォ"ォ"ォ"ォ"……ア"ア"ア"ア"ァ"ァ"ァ"ァ"ッ!」

 灼熱の海に入り込んだ菜乃花に対して、その赤龍は咆哮を飛ばして威嚇をしてくる。
 それでも、菜乃花が一歩前へ踏み出すたびに、その壁はクリフのもとへ開けていく。
 相反するその行為に、戦っているのだと菜乃花は感じた。
 こんな姿になっても、自分を傷付けないようにしてくれるのだと、胸が一杯になる。

「クリフくん……!」

 こちらを拒絶するように吠え猛る龍へ、一歩一歩近づいていく。
 同時に、距離が近付くにつれて、肌に突き刺さるレネゲイドの濃度が高くなっていく。
 呼応するように、菜乃花の中のレネゲイドが活性化し、ざわつく。強大な敵を前にした時、いつも体感する感覚だ。
 それでも、迷わず足を動かす。自分が感じているよりも遥かに強いレネゲイドの浸食が、目の前の彼を蝕んでいるはずなのだから。

 拒絶の声をあげ続ける龍まで、あと少しのところまで到達する。
 もう、相手が腕を振るえば届いてしまうほどの近さだ。
 今までにない強い衝動が菜乃花の全身を襲う。少しだけ、足元がおぼつかなくなり、身体がふら付いてしまった。

「オ"ア"ア"ア"ア"ッア"ァ"ァ"!」
「あっ……

 その時、赤龍の左腕が振り上げられた。
 身体が動かない最悪のタイミングで、菜乃花へとその攻撃が振り下ろされる。
 炎と赤い鱗に満たされた視界の中で、その龍爪が迫ってくるのを見ている事しかできない。

 その時、爪とは反対側から物凄い勢いで何かが飛び出してきて、その左腕と衝突した。
 ガァン! という耳をつんざく音と共に、それは菜乃花に襲い掛かろうとしていた爪を携えた腕を地面に押さえつける。
 見ればそれは、龍が右手に持つ両手剣だった。彼が右手に持つ剣で、菜乃花に迫る自分自身の左腕を叩き落としたのだと分かった。
 胸に収まらない感情が、菜乃花の目と喉から溢れ出す。

 こんなになっても、まだ自分を助けようとしてくれている。
 自分が、助けられる側になってしまっている。
 いつだってそうだ。彼はどんな時でも、自分の前に立ち守ってくれた。助けてくれた。

(今、私が守らなくてどうするんだ!)

 自分を奮い立たせ、今度は自分が守る側に立つのだと強く意志を固める。
 それが、菜乃花の内側で暴れるレネゲイドを鎮めていく。
 もう、なにも疑うようなところなどない。
 クリフの心は、まだ完全に失われていない。

「クリフくん!」

 もう一度名前を呼んで、一気に駆け寄った。
 精一杯背伸びをして、今も左腕を押さえている龍の首に手を伸ばす。
 菜乃花が触れようとするところからはやはり、炎は避けるようにして出てこなくなる。
 もう、ここまで来たら、自分のできる限りの事を全力でやるまでだ。
 炎に包まれた廃墟の中、赤龍の首にぶら下がるようにしがみ付く。

「クリフくん、戻ってきて!」

 伝えたいことはたくさんある。それでも、最初に口をついて出たのは今一番の願いだった。

「大変だったよね。辛かったよね」

 次に出たのは、クリフの気持ちに寄り添おうという気持ちだ。

「もう、守ろうとしなくていいんだよ。休んで、いいんだよ」

 これ以上、こんな悲しい事を続けて欲しくない。その願いが届くよう祈る。

「助けてくれて、ありがとう、クリフくん」

 もっと目一杯言いたいお礼を、一回でちゃんと伝わるように心を込める。

「私、ちゃんとここにいるよ。クリフくんが、私の明日を守ってくれたんだよ」

 もう来ないと思っていた明日に、目の前の男の子を連れてこれるように呼び掛ける。

「今度は私が、クリフくんの明日を守る!」

 だめならまた明日頑張ろうと、もう一度そう言えるように言葉を尽くす。

「だから、戻ってきて、クリフくん!」

 いつも彼を羅針盤にしていた自分が、今だけは彼が帰る道標になれるように願いを込める。

「クリフくんが戻ってくるまで、何があっても離さないから!」

 ギュッと目を瞑って、両足が地面から離れるほどに、その首を抱きしめる腕に力を込めた。



――――――――――――――――――



 腕を振るい、炎を噴き出し、襲い掛かってくる敵を退ける。
 身体を広げ、鱗を使って、降り注ぐ攻撃を弾き飛ばす。
 絶対に救い出し、絶対に帰るという確固とした意志だけが最後に残り、かろうじて意識を繋ぎ続ける。

『クリフ、まだ諦めちゃだめ。もう少し頑張って』

 後ろから穏やかな懐かしい声がする。そこに居ると分かる。
 自分に残された唯一の意志が、それに反応して身体を動かす。
 深く深くに落ちた理性の谷底で、その声を頼りに自分自身を消し去られまいと踏ん張り続ける。
 今のままで、この深淵から抜け出して陽の当たるところまで戻れ得る事はなくても、この声が聞こえる限りは諦めるわけにはいかない。

 前からは、奈落花を殺そうとする敵が押し寄せてきている。
 霞む理性の中、それらは全て同じ赤い炎のような揺らめきにしか見えず、一人一人を識別することすらできない。
 来るな。寄るな。絶対に殺させはしない。
 救い、帰る。認知も朧げな中、ただそれだけを根源として踏みとどまる。

 自分の内側と外側両方へ必死に抵抗している内に、赤い揺らめき達はどこかへ散って行ってしまう。
 どうしたのだろうとぼんやりと思っていると、別の揺らめきが一つ視界に現れた。
 だが、それは他とはなんだか違う。陽の光のような、黄色やオレンジが混ざり合った温かい色をしている。

『クリフ、あとちょっとだよ』

 響く穏やかな声を糧にして、炎の壁に意識を向ける。他と違っても、自分のやることは変わらない。近付けさせない。
 そのつもりだったのにも関わらず、揺らめきが炎の海に入ろうとすると、壁が左右に道を譲るように開き始めた。
 どうして? 自分がやったのだろうか? 力が言う事を聞いていないんだろうか?

 来るな! 来るな! とその存在に叫ぶ。近付かれたら、奈落花が殺されてしまうかもしれない。
 それなのに、こちらへ歩いてくるごとに自分が張った拒絶の壁は相手を受け入れるかのように無くなっていく。
 ついに、目の前まで来てしまう。焦燥に急かされるように、左腕を振り上げて叩きつけようとした。

 ――だめだ、絶対に傷付けてはいけない

 振り下ろす瞬間、そんな声が意識の中で響き渡る。理由も分からないのに、その声が正しいと本能が告げている。
 もう、身体も思うように止まってくれない。咄嗟に右手に持った剣を使って、左腕を押さえつけた。

『奈落花! 逃げろ! 早く!』

 このままでは殺されてしまう。後ろにいる幼馴染へ、無我夢中で声を張り上げる。
 姿は見えていないはずなのに、なぜか後ろで彼女がゆっくりと首を横に振ったのが分かった。

『ううん、もう、大丈夫』
『大丈夫じゃない! このままじゃお前を守れない! だから!』
『そうじゃないよ』

 視界に映っていなくても、記憶の通りの穏やかで力強い笑顔がそこにあると分かった。

『クリフが今日、本当に守りたかったのは、私じゃないでしょう?』
『え?』

 クリフが後ろを振り返ろうとした瞬間、目の前の揺らめきが自分の首めがけて突っ込んできた。
 それはしがみ付くように、手をこちらに回してくる。

「クリフくん、戻ってきて!」
『な、のか……?』

 間近まで迫ったそれが、実像を帯びていく。暖かな色の中から、よく知る顔が現れる。

「大変だったよね。辛かったよね」

 声を聴くたび、千々に乱れた心に染み渡り、満たされていく。

「もう、守ろうとしなくていいんだよ。休んで、いいんだよ」

 少しずつ、意識が鮮明になっていく。

「助けてくれて、ありがとう、クリフくん」

 その言葉に、置き換わっていたピースがそこにある事をしっかりと認識した。

(そうだ、菜乃花だ)

 自分が、本当に助けたかったのは、目の前で泣いているこの少女だということを思い出す。

『これで、私の役目は終わり』

 奈落花が、ゆっくりと満足そうに目を閉じる。

 今なら分かる。
 後ろの幼馴染は、過去の記憶が作った幻影だ。
 崩れそうな自我の中、"守る"、"帰る"という意志を繋ぎとめるために、自ら作り出した虚像。
 既に吹っ切れていた未練を衝動に流されるまま掘り起こし、ギリギリのところで持ちこたえるために張り巡らせた防波堤そのものだ。

「私、ちゃんとここにいるよ。クリフくんが、私の明日を守ってくれたんだよ」

 菜乃花は一生懸命に、言葉を尽くして呼びかけてくれる。絆の暖かさが、少しずつ胸に広がっていく。
 過去の記憶だけでは、どうやっても埋まらない隙間が満たされ、身体中を暴れまわるレネゲイドの暴風が僅かに収束し出したのを感じる。

「今度は私が、クリフくんの明日を守る!」

 触れられた所が、温かくなる。
 そんなはずはないのに、もう随分と久しぶりに感じる温もりだと思えた。
 自分の意識が現に戻り始めるにつれて、後ろの幼馴染の存在感は次第に薄くなっていく。

『その子のこと、ちゃんと守ってあげるんだよ、クリフ』
『あぁ、守るよ……お前を守れなかった分も』

 ただ、どうやら今は、自分は救ってもらう側のようだ。
 嵐のような奴だと思うこともあったが、今その嵐が自分の中の狂気の暴風さえも吹き飛ばしてしまおうとしている。

「だから、戻ってきて、クリフくん!」

 衝動のまま動くのは、もう終わりのようだ。

『奈落花』

 名前を呼んで、後ろを振り返る。
 そこには、自分が覚えている通りの穏やかな笑顔を浮かべるダークブラウンの髪をした少女が微笑んでいた。
 その存在が、例え自分の"記憶メモリー"が作り出した過去の産物であったとしても、例え自分の"妄想"という名の衝動が作り出した幻であったとしても、自分が谷底で消え去る直前で繋ぎ留め続けてくれたのは紛れもない事実だ。

『ありがとう』

 だから、感謝の言葉を口にする。
 その幼馴染は、想像通りに微笑んだままコクリと頷いた。

「クリフくんが戻ってくるまで、何があっても離さないから!」

 確固とした絆と共に、力強く菜乃花に引っ張られる。
 陽だまりのような温かさに包まれて、意識が浮かび上がっていく。
 消え入りそうな所で持ちこたえるしかなかった理性が、あっさりとその存在感を取り戻していく。
 無くなっていくレネゲイドの衝動に呼応するように、奈落花の姿も記憶の奥底に溶けていった。



――――――――――――――――――



 ピシッ、という何かにヒビが入るような音が、菜乃花の耳に飛び込んでくる。
 一つ目のその音を皮切りに、同じような音が連続していくつも、数え切れないほどたくさん聞こえ始める。
 菜乃花がハッとして赤龍の身体を見ると、その至る所から鱗が割れ、剥がれ落ち始めているのが確認できた。
 弾かれるように、また目の前へと呼びかける。

「クリフくん! クリフくん! そうだよ! そのまま、帰ってきて!」

 その間もボロボロとレネゲイドが形成した殻は砕け、段々とその中の人間の部分――龍巳クリフの部分が露わになっていく。
 必死に名前を呼び続ける中、遂にクリフの身体が龍の中から零れ落ち、菜乃花の方へ倒れ込んできた。
 目に一杯の涙を溜めて、菜乃花はそれを正面から受け止める。
 力は入っていなくても、その身体は暖かく、ちゃんと心臓の鼓動が伝わってくるのが分かって、頬を一筋暖かい雫が伝わった。

「おかえり……クリフくん……!」
「あぁ……ただいま」

 空は白んでおり、丁度朝日が顔を覗かせようとしている時だった。
 明日が来たことを知らせるように、それは炎の無くなった廃墟を明るく照らし出した。



―――――――――――――――――
 エピローグ
―――――――――――――――――



 夕暮れの一瞬、黄金色に染まる病室の中で、その手を握る。
 目の前には、見慣れてはいるけれど、覚えのない人物。
 そんな少女が自分を見て、自分越しに、単純な距離では収まらないほど遠くにいる相手へとその想いを口にする。

 "ねえ、お兄さん……わたしね……幸せだったよ"

 心から幸せだったと思っていることが分かるその顔を見て、覚えがなくても同じ存在なのだと、そう実感する。

 "だから……あなたも幸せになってね。私と同じくらい……ううん……わたしより時間がいっぱいあるんだから、わたしより、だね……"

 自らの時間が残りわずかでも、誰かの幸福を祈れる強さを持っている。

 "わたしが生きたかった未来を、見てきて"

 その少女は、世界を越えて、自分が知るもう一人へと未来を託す。

 "本当の高校生になって、いっぱい楽しいことして、それで、素敵な人に出会って……今度は……好きになってもらえたらいいなあ"

 やりたかったこと。叶えられなかったこと。それらの想いを言葉に乗せて、自分を伝って届けようとする。

 "あなたのこと──あなたの人生ごと、愛してるよ"

 その言葉に、思い描いていた通りの言葉に、安堵する。
 この少女は例え世界が変わろうと、未来を手に入れた自分自身を妬むような事はしない。それを、確認できた。

 "……そう伝えて、お兄さん。わたしは……先に往くから"

 今にも眠ってしまいそうな少女に、いつか必ず伝えておくと、そう約束する。
 奇跡みたいな、冗談のような出来事であっても、今ここでの言葉を本当のことだと信じる。
 そう心に決めた。



――――――――――――――――――



「はい、クリフくん! お口開けて!」
「いや、わざわざそんな事しなくても自分で食えるから……
「だめだよっ! 絶対安静だって言われてるんだから! できるだけ身体を動かしちゃダメ!」
「逆に休まらねぇよ! ちょっとは自分のペースでやらせろ!」

 白く清潔な病室の中では、ベッドの上で横たわる赤髪の青年と、椅子に座る亜麻色の髪の少女がリンゴを取り合う光景が繰り広げられていた。
 リンゴの行く末は同じ場所であるにも関わらず、お互いにその手段が相当お気に召さないらしい。
 やがて看病される側が観念したのか、押し切った少女が差し出すリンゴを目を逸らしながら咥え込んだ。

「もう一個いる?」
「いや、いい……
……なんだか、疲れてる……!? ちゃんと横になって休んでないと!」
「お前……誰のせいだと……

 大騒ぎする菜乃花に、大人しく横たわるクリフはただただジトっとした目を向けるしかない。
 さすがに自分のせいだと言われている事を察して、菜乃花は「うぅっ」と俯いた。

「だって、すっごく心配なんだもん……私を助けるためにあんなになるまで無理したんだから……

 しょんぼりしている菜乃花を見れば、純粋な心配から来る行動だということはよく分かる。
 悪気がないことくらいは、クリフだってよく知っている。
 そんな菜乃花の様子を見て、クリフは仕方ないとでも言うように息を吐いた。

「もう大丈夫だって診断出てるんだから、そんな心配すんな。なんか手伝いが必要な時は頼むから、ひとまずは俺のペースでゆっくりさせてくれ」
「あ、うん! 分かった!」

 菜乃花が一瞬でいつもの調子を取り戻す。
 今にも何かに巻き込んできそうな勢いだ。本当に分かったのだろうか。

「そうだ! 飲み物も一緒に買ってきたよ! はい、いちごミルク!」
「だから何でいつもいちごミルクなんだ!?」
「疲れた時は甘くて美味しいものだよ! 私はこれを飲めば元気いっぱい!」
「ちょっとは個人差を考えろ……

 呆れたような声を出すが、もう随分とこんなやり取りも板に付いてきてしまったとクリフは感じる。
 むしろ、これが菜乃花だと安心感さえ覚えてしまう始末だ。
 そんな感傷を覚えるクリフに、菜乃花はずいっと身を乗り出してくる。

「他にも何か用があったら言ってね!」
「今は特にないな」
「えー!? 欲しいものとか、手伝ってほしい事とかないの? なんなら言いたい事でもいいんだよ!」
……言いたい事か……

 そう一言呟くと、クリフはベッドから起き上がった。

「それならあるな」
「あっ、クリフくん起き上がっちゃ――あぅっ!」

 クリフを咎めようとした菜乃花の額に、軽いデコピンが放たれる。
 ちょっとした衝撃だけで痛みはないものの、それを受けた菜乃花は額を両手で抑えて何事かとクリフを見た。

「なにが"もう一生分の幸せ貰えました"だよ」
「え……?」

 予想外の内容に、菜乃花は目を丸くする。

「病院を出てきてから、まだ二年も経ってないんだぞ。そんなんで一生分の幸せなんか手に入る訳がないんだよ。人生の長さ舐めんな」
「えっ? え?」
「お前が今まで感じた幸せなんて、まだほんの一部でしかないんだよ。だからずるいだとか、報いを受けるべきだとか、そんなつまらない考えで自分を縛るな」
「クリフくん……

 ぶっきらぼうだが、どうやら幸せになれと言ってくれているようだ。
 それが分かって、胸が暖かくなる。

「そもそも、別の世界に助からなかった菜乃花がいたとして、お前にそんなこと思う訳がないだろ」
「え……?」

 いきなり予想してなかった話題が飛び出してきて、菜乃花は面食らってしまう。

「別世界の菜乃花も、お前の幸せを願ってる。時間がある分、自分よりもっと幸せになって欲しいと思ってる。お前のこと、お前の人生ごと愛してるってさ」
「ちょ、ちょっと待ってクリフくん!」
「見れなかった世界を見てきて欲しいとも言ってたな。高校生になって楽しい事たくさんやって、それで……

 クリフはそこで少し口ごもると、なんとも言えない顔をしながら視線を逸らして再び口を開いた。

……素敵な人に出会って、今度は好きになってもらいたいな、だってさ」
「ど、どういうことクリフくん!? なんでまるで本当に会ってきたみたいに言うの!? いつどこで会ったの!?」
「さっき寝てた時に夢の中で」
「えぇっ!?」

 クリフの口からこんな荒唐無稽な話が飛び出してくるとは思っていなかった菜乃花は理解が追い付かない。
 そんな菜乃花をクリフは正面から真っすぐ見ながら、いつもの真面目な顔で問いかけてくる。

「信じられないか?」
「あ……

 呆けたような声を出した菜乃花は、少し間を置いた後に俯いた。
 今までクリフの言葉を疑ったことなど一度もない。
 それでも、ずっと悩んできた事への答えが、自分に都合の良すぎる形で返ってきたことに戸惑ってしまう。
 本当に、受け入れてしまっていいのだろうかと躊躇してしまう。

「本当に、そうなのかな……
「そりゃそうだろ。第一、お前が実際に死にそうになった時、お前は自分の命よりも色んなものを優先した。だったら、別の菜乃花もそうなんだろう」

 下を向く菜乃花の頭に、クリフは手を置く。

「久方菜乃花は、他人の命を妬んだりしない」

 どこまでも温かい言葉に、胸がいっぱいになって目元から溢れそうになる。
 何に遠慮することもなく幸せになっていい。そんな言葉を、信じてみたくなる。

「うん……クリフくんがそう言うなら、私信じる」
「あぁ、信じろ。お前が上を向いて、自分で世界を歩いて行ける奴だって、俺は知ってる」
「ふふっ、クリフくんは私の事、私が知らないようなとこまで知ってるんだね」

 その言葉に背中を押されるように、道が開けるような気がしてきて、涙が膝に落ちていくのが見えた。

「ありがとう、クリフくん」
「おう、だからもうあんま悩………………

 クリフの言葉が途切れたことに気付いて、菜乃花は顔を上げる。
 見れば自分の後ろ、病室の入り口へ目を向けているようだ。
 振り返ってみると、開けられたままだった病室の扉の前に、玉野椿が腕を組んでこちらを眺めているのが見えた。

「お邪魔だったかしら」
「椿教官!? あっ、いえ! 大丈夫です! それより忙しかったんじゃ!?」
「えぇ、もう大忙しよ。今回の作戦の後処理と状況確認と報告だけでも大変なのに、夜空を飛んでた燃える龍の隠蔽や、少し前まで心臓が止まってた娘が勢いよく外に飛び出していったのを目撃してしまったご両親の記憶処理とか、ほかにも色々仕事も増えちゃったし」
「うっ……

 菜乃花は呻き、クリフはバツが悪そうに視線を逸らす。

「でも、そのお陰で今二人は揃ってここに居るわけだから、個人的にはそこまで咎める気はないわ。ここにはちょっとした息抜きに様子を見に来たのと、龍巳君に少し用事があってね」
「いろいろ迷惑かけたみたいっすね」
「そのことなんだけど、龍巳君には命令違反したことについて反省文を書いてもらわないといけないわ。結果さえ良ければ命令を違反して良いなんて慣習を残すわけにはいかないから」
「えっ!?」

 椿の言葉に、菜乃花が驚きの声をあげてクリフの方へと振り向いた。

「クリフくん命令違反したの!? ダメだよちゃんと言う事聞かないと!」
「あのなお前! 一体誰のため……

 思わず反論を口にしようとしたクリフは、言いかけたところで口を手で覆ってそっぽを向いた。

「クリフくん?」
「いや……いい」

 意図が分からず首を傾げる菜乃花の様子を見て、椿が楽しそうに声をかける。

「本当に仲が良いわよね、あなたたち」
「あ、はい! 仲良しです!」

 元気の良い返事を聞いた椿は、何か思いついたかのように悪戯っぽい笑みを浮かべると、頬に指を当てて考えるような仕草をした。

「あぁ、そう言えば、久方さんから龍巳君への伝言を預かってたんだったわ」
「え……? っ! あっ! ちょっと、待って椿教官!」

 弾かれたように菜乃花が立ち上がり、椿を止めようとするが、手が届くよりも口が動く方が早かった。

「"クリフくんに出会えて幸せだった。ありがとう"ですって」
「もう、椿教官! それ伝言じゃなくて遺言のつもりで……!」

 確かに菜乃花は今わの際にそう伝えて欲しいとはお願いしたが、そんなセリフを全て丸く収まった今持ち出されては恥ずかしくてかなわない。
 顔が熱くなるのを自覚しながら、菜乃花は椿の胸をポカポカと叩く。

「あら、そうだったの? でも龍巳君は聞いてなかったみたいよ」
「えっ……?」

 恐る恐る後ろを向くと、クリフはわざとらしく顔を反対側へ向けて窓の外を見るような格好を取っている。
 しかし、それでもかすかに耳が赤くなっているのが見えた。
 明らかに、聞こえている。
 どうしていいのか分からず、菜乃花は走り出した。

「えと、わ、私……その、飲み物買ってくるっ!」
「あ、おい、飲み物ならもうここに……

 クリフの呼び止めに耳を貸さず、菜乃花は走り去ってしまう。
 椿はその後ろ姿を眺めながら「初々しくて良いわね」と呟いた。
 一瞬で場を引っ掻き回した教官に対して、クリフは何とも言えない視線を向ける。

……用事ってのはもう終わりですか?」
「いえ、あと二つあるわ。龍巳君が払う予定だった"電審律スパーテクル"への情報料は、UGNの経費から払っておいたから」
「え、あれって結構な額……
「だからこそあなた一人に払わせる訳にはいかないわ。そもそも作戦に関わる情報だったんだから、個人が支払う必要なんてないわよ」
「それは……どうも、ありがとうございます」
「それともう一つの要件は、あなたに謝罪しようと思って」
「謝罪……?」

 全く心当たりのないクリフに、椿は向き直る。

「私、あなたの事をほとんど諦めてたわ。まずジャーム化しているものだろうと思って、可能性を信じられていなかった。あなたが必死に戦っていた事も分からずに、対処されて然るべきだと考えてしまっていた。だから、ごめんなさい」

 頭を下げる椿に、何でもないことのようにクリフは手を上げて答える。

「あぁ……実際戻ってこれたのが奇跡って言われてるし、そう考えるのが普通だと俺も思うんで……だから、気にしないでいいです」
「そう言ってもらえるとありがたいわね。どちらにせよ、これは私なりのけじめみたいなものよ」
「なるほど。真面目っすね」
「教官として当然のことよ。それじゃ、用は終わったし、私は戻らないと」
「そうですか、お疲れ様です」

 要件はもう終わりのようだ。
 クリフは傍らに置いてあったいちごミルクを手に取り飲み始める。
 やけに甘ったるく、喉に少し引っかかる。
 そうしていると、もう帰っていくものだと思っていた椿がじっとこちらを見つめていることに気が付いた。

「いちごミルク、ね……
……なんすか」
「あぁ、いえ、大したことじゃないわ。龍巳君と久方さんの色を混ぜたら、丁度そのいちごミルクみたいな色になりそうだなと思っただけ」
「ぶっ! ぐっ! ごほっごほっ!」
「それだけよ。それじゃ、お大事にね」

 むせ返るクリフを残して、椿は手を振って去っていった。
 何とか喉を落ち着けて唖然と扉を見るころには、当然ながらその姿は影も形もない。

……あークッソ! なんなんだよそれ!」

 クリフは半ばヤケクソに、持っていたいちごミルクを一気に煽る。
 その飲み物は今までより甘ったるさが増したように思えたが、なぜかさっきよりもすんなりと喉を通り過ぎて行った。



終わり



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