X以外のSNSでの投稿にはPrivatter+がおすすめです
Xフォロワー限定公開・リスト限定公開の停止について

異世界であなたとお茶を

全体公開 小説(pixiv公開済) 28041文字
2022-12-07 20:19:51

公式オフラインイベントにて。
オフで会うことに惑い悩むプレイヤーと、その相方と。世界の選択と、お茶を淹れるということ。

オンラインゲーム「ダンスマカブル」のプレイヤー(オリジナルキャラ・名前無し)視点での仮想メタなエピソードです。
ネットゲーム用語・スラング、ネットミームなどを特に解説なく使用しています。ご注意ください。
シリーズ化していますが、各話は独立しておりますので、単品でも問題なくお読みいただけます。

FOCUS:エーテルネーア、ミゼリコルド、ロイエ
※ミゼリコルドが作中で「いじられキャラ」認定されています。気になる方は閲覧をご遠慮ください。
※一番くじブックレットの掲載内容・SSのネタバレを含みます。

ダンマカWEBオンリーから四ヶ月……どんだけって感じですが、書きたいものを書けるだけ、だらだらと詰め込みました。シリーズで一番の捏造妄想っぷりとなっておりますが、おつきあいいただける方はどうぞよろしくです。

 私は今日、初めて、自分の相方と会う。
 名前も、年齢も、性別も、住んでいる場所も。互い、何も知らない相方と。

 ×   ×   ×

 青い空の下、輝く展示場の尾根を見上げる。
 まわりには、同じイベントを目当てとするであろう人々が、友人とさんざめきながら、あるいはひとり急ぎ足に、会場へと向かっている。
 海辺に建つ日本最大級の展示場のホールを一棟借り切って、本日行われるのは、オンラインゲーム「ダンスマカブル」のオフラインミーティング――運営の公式呼称は「ダンスマカブル・ファンミーティング feat. D-version」。
 いわゆる、ファン感謝イベントだ。


 イベント名に付与された「D-version」は、ドラマ・バージョンを指している。
 日本でのサービスインを記念して制作されたドラマ版「ダンスマカブル」は、当初、国内のみで配信された。そもそもが日本独自のアプローチによるプロモーションであったためだが、映像作品としてのクオリティの高さと、配信ドラマという媒体を生かしての、とある『仕掛け』によって、海外のプレイヤーの間でも大きな話題となり、視聴制限の解除が熱望されていた。
 それに応えるかたちで、先日、各国の主要動画プラットフォームでの配信決定が告知された。加えて、次回の大型アップデートでドラマ版の設定を踏襲した新規ストーリーと追加スキルが実装されることと、これらを記念して、ドラマ版をフィーチャーしての大規模オフラインイベントが開催されることも発表された。東京会場を皮切りに、全国五会場での順次開催が予定されており、来場者数は延べ五万人以上を見込む。
 東京会場の来場者数予測は、約一万五千人。その全員が「ダンスマカブル」のきわめて熱心なプレイヤーだ。
 きわめて熱心。というのは誇張でも何でもない。
 ファンへの感謝を謳うイベントのため入場は無料だが、非常な混雑が予想されるため、来場者は事前登録からの抽選となり、応募資格が設けられた。
 オンラインゲーム「ダンスマカブル」において稼働中のアカウントを所持し、一定レベル以上のキャラクターを一体以上有していること。会場での本人確認とアトラクション参加のため、スマートフォンに連動アプリをインストールしていること。
 そして、ゲームの各種要素をやり込み、実績を解除することで得られる称号を、一定数以上所持していること。
 三番目の条件が曲者で、栽培やクラフトなどの生産要素だけ、あるいはダンジョン攻略やタワーディフェンスなどの戦闘要素だけに偏ることなく、ゲーム内のありとあらゆるコンテンツを満遍なくやり込んでいないと届かないであろう数が設定され、イベントにわか勢のみならず、ライトから中堅までの現役プレイヤー層からも悲鳴が上がった。
 かく言う私も条件にあと少し足りなくて、応募資格が発表されてから申し込み締切までの二週間、すでに条件を満たしていたガチプレイヤーな相方とギルドメンバー有志の全面協力を得て、睡眠時間を大幅に削ってプレイに励み、ぎりぎりで滑り込んだ。それで届いたのだからまだいい方で、ギルメンやフレンドの三割くらいは、まるきり歯が立たなかったようだ。

 応募条件が異様なほどに厳しくなったことには、理由がある。
 ドラマ「ダンスマカブル」の出演者である人気アイドルたちが、スペシャルゲストとして各会場にやってくるのだ。
 しかも、発売後即完売、限られた人の手にしか渡らず怨嗟の声が巷に溢れたという「ダンスマカブルくじ」の賞品、各陣営ごとのブックレットに掲載されていたショートストーリー。それをベースとした寸劇を、特殊な演出つきで演じるのだという。

 東京会場のゲストは、ミゼリコルド、エーテルネーア、ロイエ。
 IDOLiSH7の六弥ナギ、Re:valeの百と千だ。

 ×   ×   ×

 エントランスから、会場である展示ホールへと続くコンコースを抜ける。
 同じ目的地へ向かって歩く人々の九割が男性だ。もしも応募条件がなかったら、大量のアイドルファンが詰めかけて、男女比は逆転とは行かずとも、かなり拮抗していたのだろうな……などと思う。
 個人的には、アイドルとしての彼らにそれなりに好感は持っているけれど、このオフイベ――というか「ダンスマカブル」というコンテンツにおいては、ナギはナギであるよりもミゼリコルドであって欲しいし、百はエーテルネーア、千はロイエである姿が見たい。なので、彼らを生で鑑賞できることが、本当に嬉しい。
 ことに、エーテルネーア。物語のなかばまでずっと、謎めきつつ威容を湛えた人物であったのに、終盤になって優しくも脆い心が明らかになった――途端のあっけない退場が、やりきれなくて。その下に秘められていたものを、もっと知りたくて。ドラマの完結後もずっと、気にかかっていた。
 エーテルネーアが生きて、動いて、喋る姿を、再度見ることができる。しかも生で。それだけで、寝る間も惜しんで頑張った甲斐があったというものだ。


 他の会場でもそれぞれにドラマ「ダンマカ」の出演者がゲストとして招かれているが、東京会場はことに人気が集中するだろうというのがおおかたの見方だった。
 ひとつは、Re:valeが揃うこと。ドラマに出演したアイドルたちの中でも、ことRe:valeについては、冠番組の「NEXT Re:vale」の視聴者層と男性プレイヤー層の親和性が高い(番組内企画でたびたびゲームとしての「ダンマカ」をガチめに取り上げてくれたことが大きい)ために、あのふたりを生で見られる機会があるなら見てみたい、と思う者が潜在的に多い。

 ふたつめにして最大の理由は、ミゼリコルドが顕現することだ。

 ミゼリコルドは、ダンマカプレイヤーに、いくぶん歪んだかたちで愛されている。
 美しく荘厳なたたずまいをしていながら、ねっとりとした口調で嫌味とあてこすりを振りまき、権謀術数を巡らせる。その時点で、ネット擦れした層には、負が転じて面白キャラ扱いをされることは不可避だったのだが、決定打となったのは、終盤での高笑いからの激高と顔芸、さらには最終ボスかと思いきやあっさりと逃げ出してしまい、なのにエピローグでは狂信的な支持を得た存在となっていたことだ。
 作内で最大級の憎まれ役でありつつ「イジる」余地が存分にあることが、愛憎の捌け口として、ネット民にクリーンヒットしてしまった。ミゼリコルドを模した再現キャラクターを作成し、エモートを駆使して愉快なダンスを躍らせたり、コントをさせたりするMAD動画が、ダンマカ界隈のSNSで大流行した。
 さらに拍車をかけたのが演者である六弥ナギで、見ようによっては失礼極まりない「イジられ」動画を、おおらかに、好意的に受け止めていることをSNSで折に触れ匂わせ、時には拡散まで行った。
 これにより「殿下巡回済」という言葉が流行り、同時に、悪ふざけの度が過ぎたものは自浄作用的に消えて、楽しくイジりイジられるものだけが残り、人気の定着へと繋がったのだった。
 ――ちなみに、流行初期の再現キャラクターのひとりは、六弥ナギ本人の所有キャラクターだ、というまことしやかな噂もあったりする。もとからアニメやゲームへの造詣が深い彼であれば、さもありなん。


 入場ゲート前の列につき、スマートフォンの連動アプリを起動する。プレイヤーIDの表示されたプロフィール画面を提示し、確認の処理が完了したら手にブラックライトインクのスタンプを押してもらって入場するシステムだ。
「ダンスマカブル」の連動アプリには、露店の売買履歴の確認、栽培の進捗管理、フレンドのオンライン状況通知などのほか、ギルド専用のメッセージ機能があり、うちのギルドでは固定メンバー集めやギルド主催イベントの出欠に使われている。
 ギルドマスターから、全員へのメッセが来ていた。

『今日のファンミ参加者でギルドオフ会に来られる人は、ステージイベント終了後、東ホール外のトラックヤードのキッチンカーコーナーに集合でお願いします』
『その場で参加者の人数を確認して予約している店に連絡します。飲み有りなので未成年者は自己申告すること』
『集合場所に来られないけれどオフ会参加希望って人はここに書いてってください。あとで店の名前と場所を伝えます』

 並んだメッセージを眺めて、知らず息が漏れた。
 私が所属しているギルドは、いわゆるガチ勢が多いけれど、全体の雰囲気はゆるやかで、とても居心地がいい。そのガチ勢も親切かつ他者へのアドバイス好きが揃っていて、社会人になってからはゲームに費やす時間が減ってしまった私が、今回の応募条件をなんとか満たせたのも、新コンテンツが配信されるたびに嬉々としてやり込んでは称号を勝ち取っていくギルドメンバーに引っ張られていたことが大きい。その点とても感謝しているし、常にゲームを全力で楽しむ方針が大好きなギルドだ。
 けれど、リアルでの対面、それもアルコール有りと言われると、どうしても躊躇いが先に立つ。
 オンラインゲームにおいては、未だに男性プレイヤーの比率が圧倒的に高い。それで「ダンスマカブル」の日本でのサービスイン時には、女性プレイヤーの獲得をもくろんで男性アイドルが多く出演するプロモーションドラマが制作されたりしたわけだけれど、焼け石に水だ。
 ここ数日のギルドチャットのやりとりを見る限り、今回のオフ会参加者に、おそらく女性はいない。

 ひとつの記憶がある。
 数年前、当時遊んでいたオンラインゲームのオフ会に参加したところ、男性参加者六人に女性が私ひとり、という紅一点状態となった。現地に到着して初めてそれを知り、いささか怯んだけれど、みんなごく自然に迎え入れてくれたし、過ぎるくらい気遣ってくれた。
 立ちやすいようにと、ボックス席の端を勧められた。サラダや大皿料理はみなで回し合い、追加オーダーはオフ会主催者が取ってくれて、職場の飲み会のように給仕係をさせられることはなかった。純粋にゲームについて語り合う、共通の趣味の会話に没頭する時間は、とても楽しかった。
 けれど。誰かの言った冗談で、私が初めて声をあげて笑ったとき。
 会話が止まり、全員の視線が私に集まった。ぐるん、と音がするようだった。不躾なまなざしではなかったけれど、押し隠して、なにか熱っぽいものがあった。
 ふと頭をよぎった。これはもしかして、いわゆる。
「姫」状態というやつなのではないか。
 冷えた指先、手の中のドリンクが、うねって揺れた。

 今は、ギルドでも、フレンドにも、――相方にも、性別を明かしていない。
 会う約束をした、今でもだ。

 ×   ×   ×

 入場ゲートに四列縦隊で並ばされ、待つこと数十分。ようやっと手続きを終え、来場記念のネームプレート――所属サーバと使用キャラクター名が書き込めて、二つ折りの内側にプレゼントコードが封入されている――を受け取って、展示ホールへと足を踏み入れる。

「おわぁ……
 思わず声が漏れた。

 目の前に、大きな柱のオブジェが立っていた。ナーヴ神殿の女神像を模したものだ。流れるような姿態の顔無き女神が、青紫色にライトアップされ、神々しくも禍々しく煌めいている。
 女神が手を差し伸べた先には大きなモニタがあり、ドラマの主題歌であるTRIGGERの『My Precious World』に乗せて、次期アップデートのPVが流れていた。ポールパーテーションで区切られた足元には投光器とカメラが置かれている。ステージイベントはライブストリーミングされるので、その際にこの女神像や、入り口から会場の全景を映したりするのかもしれない。
 右手に顔を向けると、ロングデスクにモニタとPCがずらりと並び、ひとだかりが出来ている。直近のアップデートで実装される新要素の試遊体験コーナーだ。高倍率の事前申し込み制のため、見学者が群がっているのだろう。
 ……ちなみに、あとで知ったのだけれど、この時ちょうどIDOLiSH7の六弥ナギが試遊に訪れていたのだという。ちゃんと事前申し込みをして、いちプレイヤーとして。ゲーマーの鑑、偉すぎる。
 ぐるり左を向けば、壁際に沿って建てられたパーテーションに、イメージカットや背景CGなどの設定画がびっしりと貼られていた。撮影可らしく、一枚ずつ丹念にスマホで撮影している人が何人もいる。
 会場の中ほどには当日イベントのスタンプラリー受付所や、縁日風のミニゲームコーナー、ジオラマ撮影コーナーなどが配置されていた。その向こう側には物販コーナーがあり、すでに長蛇の列となっている。
 四方八方、どっちを向いても、「ダンマカ」のなにかと、「ダンマカ」の熱心なプレイヤー――彼らもまた「ダンマカのなにか」だ――で視界が埋まるこの状態。どうしたってテンションが上がる。
 ホールのいちばん奥には、巨大なプロジェクタスクリーンの吊り下げられた特設ステージが見えた。壇上には、ゲームのオフイベにありがちな実況席風のしつらえではなく、クラシカルな白いラウンドテーブルとチェアのセットが置かれていた。ブックレットのショートストーリーに合わせてお茶会らしい舞台装置を作った、ということだろうか。
 噂の「ダンスマカブルくじ」のブックレットについて、私はあまり詳しくは知らない。くじは近所の店では即完売で引くことすらできなかったし、あの狂騒の中でくじを引けたような熱心な層はだいたいリテラシーが高く、SNSや匿名掲示板に画像データが流れてくることもほぼなかった。
 相方は、なんとダンマカくじの箱買いに成功したとのことで、当然ブックレットも全種持っており、おおまかな内容だけ教えてもらった。ナーヴ教会のショートストーリーは二編収録されていて、今回の題材となるのは、ミゼリコルド、ロイエ、エーテルネーアが成り行きでお茶会をする話だろうと言っていた。今日はそのブックレットの現物を持ってきて、会えたら見せてくれることになっている。
 ――相方と会う。リアルで。
 まだ実感がない。


 ゲーム内では、自他ともに「相方」と認める私たちだが、ゲーム外で接触するのは、公式コミュニティサイトでのやりとりくらい。それも、ゲームのスクリーンショットを見せあったり、ログイン時間のすり合わせをする程度だ。
 チャットで雑談をしていて、たとえばレトロゲーム語りでなんとなく世代が窺えてしまったり、時事ネタの話題でほんのりと業種の察しがついてしまったり、といったことはあったけれど、個人情報を示唆する事柄については、注意深く避けてきた。私は意識してそうしてきたし、相方も決して触れなかった。察してくれた、というよりは、オンラインでのスタンスというか、思うところが似ているのだと思う。
 他のプレイヤーとの交流の中で年齢や性別の話題が出たときは、ふたりでさりげなく会話をキャラクターのロールプレイに寄せて、自キャラの設定話にずらしてしまう。ネトゲプレイヤーの多くは、自キャラについて語ることを大いに好むので、そのままチャットは楽しく、際限なく盛り上がっていくことが多い。
 異なる世界で、自分も他プレイヤーも、キャラクターという薄衣を纏って生きる。リアルの属性から、しがらみから、自由になれる場所。異なる価値観で、生きられる場所。
 それが私がオンラインゲームにいちばん求めているもので、相方もたぶん、近しい気持ちを抱いてプレイしている。
 だから、相方なのだ。

 ×   ×   ×

 相方とは、ドラマ版「ダンスマカブル」の、最終回の配信日に知り合った。
 ダンスマカブルというコンテンツの歴史に刻まれた日だ。

 当時、ドラマ版「ダンスマカブル」は、ゲーム内でリアルタイムに視聴することができた。定刻になると、メインフィールドにモニタが現れ、映像が投影されるのだ。
 配信中は周辺エリアでのエネミーや採取物のPOPが停止するため、付近で戦闘や採取をしていたプレイヤーが手持ち無沙汰になり、なんとなくモニタ前に集まって、見知らぬ者同士がオープンチャットで雑談しながら視聴する様子がしばしば見受けられた。サービスイン間もない黎明期のオンラインゲームならではの、長閑で友好的な光景だった。
 その頃の私は、いくつか並行してプレイしていたオンラインゲームに少々疲れて、一本に絞れるタイトルを探していた。大型タイトルの「ダンスマカブル」は最有力候補ではあったけれど、海外サーバの先行による情報格差や、世界観の重苦しさが気になって、二の足を踏んでいた。
 このゲームに決めてしまおうか。昨日インストールした方にしようか。それともいっそ、しばらくオンラインゲームは休止してしまおうか。手なぐさみに採取をしながらぐるぐると思い悩んでいたところに、システムインフォメーションでドラマ配信十五分前のテロップ告知が流れたので、頭も作業も小休止することに決めて、手近なモニタの前へと移動した。
 ぽつぽつと他のプレイヤーも集まり始める。フィールド現況の確認をすると、エリア内にいるAFK(離席)ステータス以外のプレイヤーの全員がモニタ前に集合していた。棒立ちの者、エモートで待機姿勢を取る者、地形に座る者。オープンチャットで発言する者は居ないけれど、同じ目的で集まってなんとなくくつろいでいる、いい雰囲気だ。
 物語はクライマックスを迎えていた。呪いに蝕まれたリーベルを抱え、エーテルネーアの部屋に踏み込んだクヴァルとアルム。しかし、エーテルネーアはすでにこと切れており、彼の死とともに解呪方法が失われてしまったことを知らされた絶望の上に、ミゼリコルドの哄笑が響き――というところで、前回は終わっていた。
 そのラストシーンの直後から、映像は始まった。ミゼリコルドの長広舌。瀕死のリーベルと封じられたクヴァル。夢を、友を身に負ったアルムの抵抗。カバネが登場し、形勢不利を悟ったミゼリコルドが喧しく退場する。
 生命の灯が消えかけたリーベルを囲んで――アルムは、決断を迫られる。

 固唾を呑んで見ていると、突然、ゲーム画面の中央にふたつのフローティングボタンが現れた。

【ともに永遠を生きる】
【死を受け入れる】

 ボタンの下にシンプルな7セグメント風のタイマーが表示され、カウントダウンを開始する。残り三百秒。
「え、なにこれ?」
 思わず声が出た。チャットではない、リアルの方で。
「え、なにこれ?」
 隣からも声が出た。こちらはゲーム内、テキストチャットで。
 続いて、そこかしこからチャットの声が上がる。
「は?」「なんだこれ」「ちょっ待っ」「企画?」「なんか告知あったっけ?」
 その言葉に応えるかのように、無機質なSEとともにインフォメーションのテロップが流れ始めた。

『ドラマ「ダンスマカブル」をご視聴中のプレイヤーの皆様へお知らせします。本日この後に連続配信の最終回につきましては、リアルタイムでの投票・集計を行い、より多く得票した方の結果を配信いたします。表示中の選択肢のいずれかを制限時間内にお選びください。ご協力をお願いいたします』

 PCモニタから目を離し、手もとのスマホでSNSの反応をざっと確認する。ゲーム内と同じく、驚きと混乱の声が大量に流れていた。同時に配信されている専用チャンネルで視聴していた人たちにも、制限時間こそないものの、同じように選択肢が提示されたらしい。ただし、もうひとつのエンディングについては、時間をおいて解禁するという、ゲームには無い補足説明つきで。
「もしかして、世界を二分のダブルミーニングだったりして。あるいは、世界は二分じゃなかったりして」
 隣のプレイヤーが発言する。さっき、リアルとゲームでハモった人だ。なんて、この人は知る由もないだろうけれども。
 世界は二分されている。ドラマ「ダンスマカブル」本編で、PVで、繰り返されたフレーズだ。
 世界は二分されている――世界は二分される。では、ゲーム内でもう一方の結末を視聴できないのは。
「これを選ぶと、ゲームでの正史フラグになるとか……?」
 テキストチャットにそう打ち込むと、隣のプレイヤーがこちらを向いた。正確には、キャラクターの身体の正面を向けた。
「おー。正史と偽史。それいい、すごくいい! 萌える&燃える。褒めてつかわす!」
 なんとなく呟いただけなのに、やたら元気な返事が返ってきた。あと、褒められた。何故?
「すごくいいから、解釈一致! お前の解釈は俺のもの! ってことにしていいっすか?」
 残り時間は百秒を切っていた。
 面白いテンションの人だなぁと思いつつ、タイマーに気を取られて、短くkとだけ発言する。と、相手はしばし静止してから(後で聞いたら、エモートのキーボード入力コマンドを検索していたんだそうだ)、ぎこちないダンスを踊り、一礼した。
「じゃあご一緒に、ぽちっと。世界の選択フラグ、立てましょっか」


 あの日あの時に立ち会ったことで、この世界に、強い愛着が湧いてしまった。歴史的転換点の目撃者になれた、という高揚感がとにかく大きかった。
 私は移住先のゲームを「ダンスマカブル」に定めた。選択の瞬間をともにした隣のプレイヤーとはフレンドになり、それからまもなく、ほぼ毎日一緒にゲームをするようになった。
 生活時間が似ているらしく、プレイのコアタイムが合ったこと。最初に会った時もそうだったけれど、異口同音に喋り始めることが多くて、思考回路が似てるな、と思ったこと。北米版でのプレイ経験があって、プレイングの役に立つレクチャーをたくさんしてくれたこと。
 何よりも、一緒に遊んでいて楽しかった。その理由はきっと、この「ダンスマカブル」の世界を、ドラマを、ゲームそのものを、全力で楽しみ味わい尽くそうとしていることが、真っ直ぐに伝わってくるからだろう。
 ゲームを楽しむためにゲームをする。当たり前のようでいて、オンラインゲームでは時に置き去られがちなことだ。現実から逃げる。承認欲求を満たす。誰かと出会う。そういったことを目的とするプレイヤーも、少なからずいるから。
 私たちは愚直に、単純に、ただ「ダンスマカブル」を楽しんだ。そして、ふたりで一緒にプレイすると、楽しさはさらに増すことを知り。
 気がつけば、相方と呼び呼ばれる間柄になっていた。

 ×   ×   ×

 十三時になり、ステージイベントが始まった。同時に公式チャンネルでのライブストリーミングがスタートする。
 ステージ横のサインボードに掲示されたプログラムはごくシンプルで、グッズ情報、アップデート情報、開発者一問一答コーナー、最後にゲストによる生ミニドラマ、となっている。
 司会進行は、ゲーム運営会社の広報担当者と、開発部のサブディレクターが務めていた。アイドルたちをあくまでもゲストとし、基本的にはゲーム情報をストイックに発信する方向性が、しっかりと打ち出されている。
 ゲスト登壇のトークショーのたぐいも無い。公式サイトによれば、世界観を大切にするため、スペシャルゲストは役に徹し、寸劇のみの参加になります、とのこと。
 聞こえはいいけれど、スケジュールとギャラの問題が大きいのだろう、とは多くの人が推察するところだ。まあ、アイドルがトークをしても新情報の深堀りにはならないし、ゲームに興味が無さすぎたり、的外れな発言をすると、現役プレイヤーの反感を買って叩かれてしまう可能性がある。登場人物に徹してもらうのが無難だろう。今回のゲストに限るなら、ナギと百はゲームの話もしっかり出来そうだけれど、他会場は出演者によりだいぶ左右されてしまうことだろうし。
 正しい方針とは思いつつも、私としては、演じた役についての所感などがあれば聞いてみたかった。ことにナーヴ教会のふたりについては、エーテルネーアの悔恨やミゼリコルドの理念について、もっと掘り下げて欲しかったと願う声は、当時から多く上がっていた。
 なので、大型アップデートでドラマの設定をゲームシナリオに取り込むことによって、そのあたりが補完されるかどうか、だいぶ気になっている。気になりすぎて、開発者一問一答コーナーに質問を送ってしまった。ストーリーのネタバレに繋がりそうだし、採用される可能性は低いだろうけれど。


 ぶらぶらと会場内を歩いて、展示物のコーナーへと向かう。ライブストリーミングが始まると同時に、入場者の多くがステージ前に集まったため、混雑していた各種コーナーからは人の姿が消えていた。この隙に設定画をゆっくりと鑑賞しよう、と思いついたのだ。
 ずらりと並ぶパーテーションに、複製原画がほぼ隙間なく貼られて、まるでモザイクのようだった。とにかく量が多い。ラフスケッチやイメージボードからほぼ完成形のCG素材まで、多種多様だ。背景画のほか、衣装やアクセサリ、武器防具の設定資料もある。細かな注釈の書き込みなどもあって興味深く、いつまでも見飽きない。
 ゲームの設定画のみならず、ドラマ「ダンスマカブル」の資料も多い。展示コーナーの中央には、ナーヴ教会の衣装設定案とイメージカットが大きく引き伸ばして飾られていた。ゲストに合わせてか、東京会場は入り口の女神像をはじめ、そこかしこでナーヴ教会をフィーチャーしている。その一環だろう。
 あれ、と思ったのはイメージカットだ。ナーヴ教会の三人――エーテルネーアとミゼリコルド、それとアルム――のほかに、ロイエをはじめとするユニティオーダーの面々が描かれたカットも貼られている。出典はダンスマカブルくじブックレット・ナーヴ教会編となっているのに。掲載時の紙幅の都合だったのだろうか。
 イメージカットの一枚目は、エーテルネーア、ミゼリコルド、ロイエで、奇しくも本日のゲストのスリーショットになっていた。
 中のひと的には、ロイエ役の千とエーテルネーア役の百がRe:valeで相方だけれど、ダンマカのドラマ内では、ミゼリコルドとエーテルネーアが、いびつなかたちながらも相方っぽかった。このイラスト、ちょっとした三角関係になってるな。とか、ぼんやりと思う。


 相方との待ちあわせは、ステージイベントの終了後を予定している。
 ゲーム内チャットで話し合い、目印となるアイテムと、落ちあう場所を決めてあった。相方は、黒のキャップにダンスマカブルくじの缶バッジをつけて、ショルダーバッグに同じくダンスマカブルくじのラバーチャームを複数個ぶらさげて来ると言っていた。私は、ダンスマカブルのロゴが入ったトートバッグに、ナーヴ教会モチーフの黒と金のスカーフを結ぶことになっている。トートバッグは恒常販売の公式グッズで、今日も持っている人をたくさん見かける。スカーフのほうは数量限定のコラボグッズで、わりとレアなものだ。今はまだ、不織布のショッパーの中にトートバッグごと収納し、見えないようにしているけれど。
 相方のギルドもオフ会を開催しているとのことで、この時間はそっちに参加しているはずだ。オフ会といっても、うちのギルドみたいに飲みに行くとかではなく、会場内でゆるっと集まって、みんなでステージイベントを観覧しながら駄弁るだけだという。気軽に参加できそうだし、時間的にも金銭的にも優しいし、何よりもイベント発表の新情報についてその場で熱く語り合えるだろうことが、ちょっと――いや、かなり、うらやましい。
 互い認めあった「相方」の私たちだけれど、所属ギルドは別々だ。理由は単純、出逢った時点で、相方はサーバで一番大きいギルドに所属していたが、そこはすでに定員に達していたのだ。それで私は、相方とは別に、自分で探して目星をつけた中堅どころのギルドに所属することにした。
 後になって思えば、違うギルドに所属したことで適度な距離と視野のひろがりが生まれ、相方として長く続けること、これからも続けていくことに、大きく寄与した気がする。ふたりともそれぞれのギルドの水が合ったのも良かったのだろうと思う。

 ステージの方でわぁっと歓声が上がった。アップデート情報のコーナーが始まったらしい。現役プレイヤーはやっぱりこれがいちばん盛り上がる。
 耳にイヤホンを差し込んで、スマホで公式サイトからライブストリーミングを開いた。会場内は新情報に興奮したプレイヤーの声でざわついていて、ステージの前に行くよりもこっちのほうが聞こえやすいし見やすい。
 次回アップデートについてのフリップボードが出ていた。近々に実装予定の新しい武器防具の詳細、プレイヤーアンケートの要望に応えてのUI改修、フィールドを彩るシーズナルイベントの紹介。ひとつひとつスクリーンに映し出されるたびに歓声が上がる。ゲームがもっともっと楽しくなる、もっともっと楽しませてもらえることへの、歓びと期待の声。
 ここには、「ダンスマカブル」というゲームを愛し、楽しんでいる人がたくさんいるのだ、と実感する。それはもちろん私も、相方も、そして私や相方のギルドのメンバーたちも。
 ――ギルドのオフ会への参加を回避してしまったことに、今さらながら後ろめたい気持ちが湧いてきた。

 ×   ×   ×

 公式イベントでギルドメンバーのオフ会をしよう、という話が出た時、反射的に「行きたくない」と思った。
 以前の別ゲームでのオフ会が、トラウマというほどではないにしろ、良い思い出にはならなかったことがまずあって。大人数での飲み会があまり好きではない、というのもあって。
 何よりも、いまオンラインでこうして楽しく遊んでいる人たちの、リアルでの性別や年齢や姿を知りたいとは思わない……むしろ、知りたくない、という感情があった。ダンスマカブルの世界で出逢った人とは、ダンスマカブルの世界での関係性を大事にしたい。リアルという雑音を入れず、キャラクターとキャラクターの関係のままでいたかった。
 しかし、滑り込みで資格を満たして応募し当選したことは、ギルドチャットで話してしまっている。ギルド内での私はけっこうな古参で、オンラインでは和気藹々と遊んでいるのに、オフ会に参加しないのはあまりにも不自然というか、ギルドの雰囲気を壊してしまうかもしれない。けれど、以前のオフ会のことを口にするのは気が進まないし、リアルよりもゲームの関係性を優先したいという私の考え方は、伝えてもなかなか理解を得るのは難しいだろうと思う。
 いっそ適当な理由をつけて、イベントへの参加自体を取りやめてしまおうか。でも、あんなに頑張って手にした切符を諦めたくない。かなりの高倍率だったと聞くし、落選した人たちにも申し訳ない。
 ぐるぐると思い悩んだ挙句、意を決して相方に相談してみた。理由については多くは語らず、ただ、ギルドのオフ会に顔を出したくなくて迷ってる、とだけ。
 あえて言わずにいることは、決して追及しないでくれる。そういう人だと、知っている。
 ウィスパーチャットでの相談を聞き終えた相方は、しばらく待機状態で止まっていた。それから、腕組みのポーズを取って、言った。
「ふむん。あのさ。相方とのオフ会とバッティングしちゃった、ってのは、欠席の理由になるんじゃない?」
「相方とのオフ会?」
「相方!」
 うんうん、と自分を指差す。
「うちのギルドはステージ観覧の集いをするからさ、その後に待ち合わせてるってことにすれば、アフター開催のオフ会ならちょうど時間が被るし」
「ええと、それって……
「あ、別に、実際に会おうって言ってるわけじゃないよ。言い訳として便利に使っていいよってこと。あ、でも、別に、会いたくないって言ってるわけでもないよ」
 世界は二分される。君は実際に会ってもいいし、すっぽかしてもいい。
 なんて、ダンマカに引き寄せつつ、懐かしいゲームふうの台詞を言う。
「オフミ、行きたいんでしょ。生エーテルネーア様、見たいんでしょ? あんなに頑張ったんじゃん?」
 気恥ずかしくて、言えなかった言葉を。行きたくない私ではなく、行きたい私を、読み取ってくれるから。
 いつもあっけらかんとして、隠し事や嘘をつくことは苦手なくせに、アリバイ工作に協力してくれるって言うから。

「じゃあ、既成事実にするために、ほんとに会っちゃおうか」
 とか、言ってしまった。


 相方と会うことになったので、オフ会には参加できないです。ごめんなさい。と告げると、ギルドマスターはじめメンバーみな、驚くほどすんなりと納得してくれた。
『おお。良いねぇ』
『行ってこい行ってこい』
『いままで会ったことがなかったってのが不思議なくらいだよな』
『何年越しのリアル対面だよっていう』
『ほんとにねえ』
『ゲームでこんだけ気が合ってたら、俺ならすぐに飲みとか誘っちゃうわ』
『いやそれもどうなのさ』
 なんだか妙な、祝福ムードとでも呼ぶべき空気になって、それはそれで戸惑った。どれだけ公認扱いされているのか。
 というか……どんな仲だと思われているんだろう。
 相方、なのに。
 相方、って何だろ。

 ×   ×   ×

 展示コーナーを抜けたところに、パーテーションを差し渡して暗幕が張り巡らされた一角があった。機材置き場か、あるいはスタッフの控え室だろうか。立ち入り禁止と印字された白い紙がピンで留められている。
 その近くに身を寄せて、スマホのストリーミング配信で音声を聞きつつ、ステージを遠目に眺める。
 ステージイベントは、開発者一問一答コーナーが始まっていた。公式サイトのフォームから寄せられた質問や要望に、開発者が回答していくコーナーだ。回答者は、さきほどまで広報担当者とともに進行を務めていたサブディレクターのほか、質問内容に応じて開発部の担当者が入れ替わり立ち替わりに登壇している。
 UI改修やバランス調整への意見、アバターのテクスチャ追加希望、エモート追加の要望、といった定番のお題をいくつかこなしたあと、今回の主題であるドラマ版をフィーチャーした大規模アップデートについての質問が出始めた。
 新規ストーリーはドラマ版「ダンスマカブル」の設定を踏襲するとのことだが、ドラマ版とは違った展開になる可能性はあるのか。ゲームオリジナルキャラクターの登場などはあるのか。プレイヤーキャラクターはドラマ版の登場人物とどのように絡んでいくのか。
 かなり踏み込んだ質問が多く、その回答もまた思ったより具体的で、出し惜しみがない。ゲームならではの演出や展開はあると思ってください。既存の登場人物の掘り下げを重視するため、追加のネームドキャラクターはいまのところ予定していません。プレイヤーキャラクターはいずれかの陣営への所属が可能で、それにより個別エピソードで各陣営の人物と密接に関わることになります。どの回答も絶妙に期待感をあおるもので、ひとつひとつ、答えられるたびに拍手の音が響く。
 そして、次が最後の質問です、との言葉とともに表示された文章。
……あ」
 私が送ったもの、かどうかは分からない。けれど、内容的にはほぼ同じ質問だ。

《ドラマ版で不幸な末路を辿った人物の、運命が変わることはありますか。》

 サブディレクターがマイクを握る。
『これはですね。ある、とも、ない、とも言えます。その答えは、この後に』
 それだけ言ってマイクを降ろし、MCの広報担当者に目を向ける。彼は頷いて、握ったマイクを口もとへ寄せた。
『では、ここからは、みなさま待望のダンスマカブル・ファンミーティング特別ミニドラマ、ナーヴ教会編を上演いたします。お手もとの携帯電話につきまして、マナーモードへの切り替えにご協力ください。なお、上演中の撮影・録画・録音などは、すべて禁止となります』
 それだけ言って、サブディレクターとともに壇上から降りる。
「えっ?」
 本当に突然、どころか唐突だ。前コーナーのクローズも告げていない。ステージイベントを観覧していた来場者たちの、戸惑いをはらんだざわめきがあたりに満ちる。
 というか、一問一答コーナーが終わったところで、寸劇にそなえてステージ前に移動するつもりだったのに。少しでも近づこうと、慌てて歩き出そうとしたけれど、頭上の照明がふいに消え、足を止めざるを得なかった。
 ホール内の照明が、端から順に消灯していく。振り返ってみると、入り口でPVを流していたモニタの画面もいつのまにか消えていた。その先、試遊体験コーナーのPCはすべてスタンバイ状態となり、小さなアクセスランプだけが静かに瞬いている。
 闇の中にぽつぽつと、来場者の持つスマートフォンの明かりが揺れている。それもしだいに数が減っていった。
 暗闇に近いほどに会場の光量が落ちて、数十秒の後。
 ごく低く、音楽が流れはじめる。オルゴール風の、爪弾くような音。たよりない旋律が絡み合い、響き合う、どこか物悲しいメロディ。聞き覚えがある。ドラマ「ダンスマカブル」で幾度となく流れた曲だ。
 壇上に光が射す。
 ステージ背面のプロジェクタスクリーンに、石造りの街を俯瞰した景色が映し出された。アークの街並みだ。
 ――はじまる。


**********************************

 灰色の街並みが、朝の光を享けて、ゆるやかに目を覚ます。
 小さな路地にまであまねく届く陽射しは、アークの繁栄の象徴であり、天子のもたらす恩寵の最たるものでもあった。
 聖堂のテラスから街の目覚めを見晴るかし、ミゼリコルドは嘆息した。ゆっくりと振り返って、そこに立つユニティオーダーの隊長を睨めつける。
 尊ぶべきは秩序であり、秩序からもたらされる美である。その真理について説いてやったというのに、ユニティオーダーの隊長ことロイエは、ときおり胃をさすりながら要領を得ない生返事をするのみだった。無骨な軍人には、なかなか理解の及ばないところなのだろう。詮無いことだが、彼はアークを造る神経節のひとつだ。脳が命ずるところを忠実に果たすよう、きっちりと躾てやるべき頃合いかもしれない。
 ミゼリコルドの思案するところなど知らぬまま、定例の報告を終えたロイエは長靴の踵を返し、そそくさと立ち去ろうとする。そこへ折良く――見かたによっては折悪しく、かもしれない――茶器を手にしたエーテルネーアが通りかかった。
 ロイエの名を呼ぶ。それから、誘いの言葉をかけた。
 ひとすじの邪気もなく、ただ、ひと時をともにし親交を深めたいという気持ちだけがあふれた、実直な声音で語りかける。
 あなたとお茶を、と。
 細い指で茶器を掲げ持つ。手の甲に施された聖印が、僅かに引き攣れた。
 固辞はゆるされない。ゆるされるはずもない。

 そうして、ふわふわと気の抜けた、と同時に張りつめて緊張感の漂う、奇妙なお茶会が始まった。
 危うい雰囲気をはらみつつ、表立ったところは和やかに、他愛のない会話が、朝の爽やかな空気に茶の湯気を溶け込ませながら、どこまでも続く。
 貼り付けた笑みを崩さぬようにぎりぎり保っているものの、ロイエの顔色はすこぶる悪い。一方のミゼリコルドは、すべらかにかろやかに舌を動かしており、如何にも絶好調だ。笑顔の裏側でもつれ絡んだ糸のようなふたりのやりとりを、エーテルネーアが、茫洋とした笑みを浮かべて見守っている。透きとおって穏やかな瞳からは、内心はうかがい知れない。
 忌憚なく話すようにと所望され、むしろ追い詰められた顔をするロイエに、気づいているのかいないのか。
 エーテルネーアの言葉に追随し、愉しげにロイエを追い詰めるミゼリコルドを、察せているのかいないのか。
 ナーヴ教会のトップの思うところは、何もはかれない。何者もはかり知れない。

 破れそうな紙一重のところ、エーテルネーアの善意の圧とミゼリコルドの邪念の欲、そしてロイエの忍耐により保たれるやりとりは、果てなく続くかと思われたが。
 ミゼリコルドがついと立ち上がり、所用につきと断りを入れ、その場を離れようとした。

 場は暗転する。

**********************************



 ステージを照らしていたライトがふっつりと消え、会場がふたたび闇に包まれる。
 完全に引き込まれて観ていた。イベント会場の急ごしらえの舞台上で、何ということもない淡々とした会話が続くだけなのに、所作が、声音が、表情が、異なる世界をつくり出す。彼らは確かにアークに息づくものたちであり、そこはナーヴ教会だった。
 でも、なんだか……尻切れとんぼというか、本当に意味がありそうでなさそうな会話をするだけで、ぷつりと終わってしまった。ブックレットでは一ページのショートショートだったという話なので、これでもかなり膨らませているのだろうけれど。
 ミゼリコルドが退場して、お茶会がおひらきになるところまで、ステージ上でちゃんと〆て欲しかった気がする。幕が下りるわけでもないから、拍手をするタイミングも掴めなかった。まわりの来場者も同様らしく、まばらに手を叩く音が聞こえては、寄る辺なさそうに消えていく。
 と、不意に耳慣れたSEが鳴り、びくりと身体が震えた。ゲーム内で、インフォメーションのテロップが表示されるときに鳴るアナウンス音だ。
 続いて、場内アナウンスが流れる。MCを務めている広報スタッフの声だった。

『特別ミニドラマをご観覧のみなさまへお知らせします。前編の上演が終了しました。この後すぐ上演予定の後編につきましては、リアルタイムでの投票・集計を行い、より多く得票した方の結果を上演いたします。お持ちの端末より連動アプリを起動し、表示中の選択肢のいずれかを制限時間内にお選びください。ぜひ、ご参加をお願いいたします』

 ……なんて?
 会場内がざわめきに包まれる。まだ暗いままのホールに、ちかちかとスマートフォンの明かりが点いていく。
 連動アプリ。そういえば、ギルドメッセを見る気になれなくて、入場時に起動した後は落としたままだった。ライブストリーミング画面のままショルダーに入れていたスマホを慌てて取り出す。
 アプリを起動すると、ギルド「ダンスマカブル・ファンミーティング feat. D-version」を名乗るメッセージが届いていた。アンケートボタン付きだ。終了時刻まであと八分。
 肝心の選択肢は、というと。

【ミゼリコルドを引き留める】
【ロイエのカップに茶を注ぐ】

…………はぁ?」
 お茶を注ぐ? お茶会に引き留める?
 牧歌的な選択肢に気が抜けた。けれど、まわりの喧騒っぷりは牧歌的どころじゃない。
「なんこれ」
「マジ?」
「いやいやいや」
「シークレット企画?」
「どゆこと?」
 騒然となった。参加者たちが一斉に喋り出し、声がぐわんぐわんと響く。どよめきが大きなうねりとなって、ホール全体を揺るがしていた。
 ライブストリーミング画面に切り替えてみると、視聴者コメントもまた滝のように流れている。会場内外で連動アプリを起動して確認した人が居て、検証報告のコメントをしてくれていた。入場手続きを終わらせて会場内にいる者にだけ、ギルドメッセージの機能を用いて、アンケートが送られているらしい。この企画もあっての、連動アプリインストール必須だったのか、と今さら思い当たる。入場時の念入りな端末チェックも。
 それにしても、この演出。選択肢の深刻さには、天と地ほどの隔たりがあるけれども。
「懐かし……
 思わず声が出た。リアルで。
「うわ、こーれ懐かしすぎ」
 隣からも声が出た。リアルで。
 いつのまにか――ステージに見入っているあいだだろうか――すぐ近くに立っている人がいた。
 異口同音の独り言。こんなところまで、あの時のようだ。リアルとゲームが、リアルとリアルになっても、感覚は同じで、それがなんだか不思議だった。
 隣に立つ人を、そっと見る。
 と、相手もちょうどスマートフォンから顔を上げ、首だけを曲げるようにしてこちらを見た。真ん丸に近いくらい丸っこい目。肩から髪がこぼれる。
 じゃらり、と音が鳴る。黒いキャップに、ダンスマカブルくじの景品の缶バッジが鈴なりに付けられていた。ななめに掛けたショルダーバッグのカラビナには、こちらもダンスマカブルくじのラバーチャームが大量にぶら下げられている。
 もしかして。
 もしかして、じゃない。確実に、そうだ。
 急いで目を走らせる。胸に付けられた来場記念のネームプレートには、何度も何度もチャットで呼んだ、タイピングの指が覚え込んだキャラクター名が書かれていた。
「あ、あの」
 とっさに声が出ず、何度も唾を飲みこむ。
「これ……
 手持ちにしていた不織布のショッパーから、急いでトートバッグを取り出す。いや、取り出そうとしたけれど、角が引っかかってなかなか出てこない。必死になって引っ張っていたら、またじゃらり、と音がした。
「いいよいいよ、だいじょうぶ、焦んなくても。わかったから。それ、見えてるし」
 言われて手もとを見ると、ショッパーから、ナーヴ教会のスカーフが覗いていた。力が抜ける。ゆっくりとスカーフを引き抜いて、胸元にあてた。動悸が激しい。
 顔を上げる。相手は、にこにことにやにやの間に少しの照れを混ぜ込んだような笑顔で、軽く頭を下げてアカウントネームを告げ、はじめまして、と言った。
「いや、はじめてじゃないか。でもはじめましてか」
 似通った言葉を並べて肯定と否定に使う言いまわし。口癖というよりチャット癖。リアルでの喋り方も同じとか、笑ってしまう。
 でも、そういうものなのかもしれない。きっと目印なんてなくても、言葉を交わしたらすぐに気づけた。
 私の相方が、そこに立っていた。


 見たところ、同年代か少し上くらいの女性だった。飾り気のない雰囲気に、懐っこい笑顔。頬っぺたが少しだけ赤くて、丸い。二の腕らへんまである髪は、ざっくりとハーフアップにしていて、脱いだキャップの下が少しだけほつれていた。
 顔の前でひらひらと手を振られて、無言のままひたすら見つめてしまっていたことに気づいた。慌てて頭を下げ、こちらもアカウントネームを告げる。
「はじめまして、すみません、あと、ありがとうございます、今日は――今日も、いつも、本当に」
 会ってどうしよう、会ってどうする、と思っていた。
 けれど、実際に顔を合わせてみたら、言いたいこと、伝えたいことがたくさんある。ありすぎて、気が急いて、口がまわらない。だって、同じひとだ。相方と同じひとが、いまここに立っている。
 相方は、うんうんと頷いてから、手に持ったキャップを振って、私の手の中のスマートフォンを指し示した。
「積もる話はございますが、とりあえず時間! 制限時間! 先に決めちゃおう」
「あ」
 そうだ。スマホに目を落とすと、アンケートの残り時間は三分を切っていた。確かにこちらを優先すべき状況だ。
 選択肢を見ながら、さきほどの一問一答コーナーを思い出す。

《ドラマ版で不幸な末路を辿った人物の、運命が変わることはありますか。》
『ある、とも、ない、とも言えます。その答えは、この後に』

 最後の質問から、シームレスに劇へと繋げられた。つまり、劇そのものが、質問への回答になるということだ。
 そしてこの演出。意味するところは、今日の劇のみならずゲームにおいても、ドラマ版「ダンスマカブル」の最終回のように、提示された選択肢によって物語が分岐するということだろう。
 ――ひょっとしたら、この選択が、ゲーム本編のストーリーに連動して反映されたり、影響を与える……なんてこともあるかもしれない。だとしたら。

 彼の運命を変えたい。
 贖いきれない罪を負って生きる彼の、その先にある物語が見たい。

 それには、どちらを選べば良いのだろう。
 配信当時からの考察で度々言われているのは、もしも最終回以外にもルート分岐が存在するとしたら、ロイエの動向が鍵となっていただろう、ということだ。
 ドラマ本編を見る限り、ナーヴ教会に相対するロイエには隔意しか感じられなかったので、正直ピンと来ていなかったのだけれど、ブックレットのショートストーリーに書かれた――そしてさきほど演じられた――奇妙なお茶会で、彼らの関係性のなんらかの進展が示唆されていることの意味を問えば、そういう推論に辿り着くのは理解できる。
 であれば、歴史を変えるにはきっと、ロイエとの親交を深めるであろう二番目の選択肢を選ぶべき、と思えた。
 しかし、ミゼリコルドとエーテルネーアが、ロイエというイレギュラーを介在させつつ理解を深める機会もまた、このお茶会にあったのだとしたら。引き留めて、会話を続けさせるべきなのかもしれない。
 ……それとはレイヤーの違う話になるけれど、この二択では、おそらく上段の選択肢を選ぶ者が圧倒的に多いだろう。
 なにしろミゼリコルドは(歪んだかたちながら)ダンマカきっての人気を誇っている。他方のロイエも、飄々とした性格と、爪を隠し持つ鷹であったこと、またシャオとの関わりにより明かされた人間味の深さで、男女ともに人気が有りはする。が、こういったお祭り騒ぎであれば、きっとミゼリコルドを選ぶ者の方が多い。
 可能性があるとすれば、ゲーマーのゲーマーたる探求心、攻略精神、そういったものだろうか。前述のとおり、ロイエはキーパーソンとして立つことをずっと期待されていた。存在感を増すところを見たい、と思う者も、それなりに多数ではあるかもしれない。
 ミゼリコルドの人気か。ifへの探求心か。
 いずれにせよ時間はもう無い。私が選ぶのはひとつに決まっていた。

 ロイエのカップに茶を注ぐ。

 指先で触れると、選択したボタンが淡く発光し、画面上に「集計中」と書かれたポップアップが表示された。
 横に立つ相方も、選択を終えたらしい。ちらと見えたスマホの画面には、同じく集計中と表示されている。
 ふたり顔を見合わせて、どちらからともなくため息をつき、そして笑った。緊張がほぐれたことと、ため息まで揃ってしまうことに。
……これも、正史と偽史の分かれ目になったりするのかな」
「どうだろ? っていうか実は、トラップっぽいなーって思ったりしてる」
「トラップ?」
 世界は二分されるかもしれないし、されないかもしれない。
 相方はそう言って、ショルダーバッグを足もとに降ろし、中からファイルケースを取り出した。納められていたのは、大判のパンフレットのような冊子。重厚で美しいイラストに LA DANSE MACABRE のロゴが載っている。うわさのダンスマカブルくじのブックレットだ。
「選択肢の、ミゼリコルドを引き留めるってやつ。ブックレットではここ、ふつうに立ち去っているんだよね。そんで、その後でロイエはお茶を飲み干してるけど、注ぎ足す描写はない」
 言われた意味をかみ砕くのに、数秒かかった。
「ええと。じゃあ、もとからのストーリー……正史に繋がる選択肢はなかったってこと?」
「そうそう。だから正史と偽史じゃなくて偽史と偽史」
 つまり、どちらの結果もif展開で、配信されたドラマとは違うストーリーになるのは確定なのか。いずれもプレイヤーの知らない未来だとしたら、自分の選択した結果と、選択しなかった結果の違いは、どうやって判別すれば良いのだろう。なんとなく理不尽なような気がする。
「まあ、わからんものはわからんし! おとなしく結果を待ちますかぁ」
 会場内は、いっときのうねるようなざわめきは収まっていたけれど、かわりに熱っぽく小声で喋る声がたくさん集まって、低く立ちこめていた。誰も彼もが、ギルメンやフレンド同士、あるいは見知らぬ隣の人と、興奮しつつ語らっている。「ダンスマカブル」のドラマが配信されていた頃の、オープンチャットの飛び交うメインフィールドみたいだった。
「そういえば、ギルドのステージ観覧オフ会は終わったの?」
「ああ、うん。劇が終わったら移動が始まって混雑するかと思ってさー。トイレにも行きたかったから、ひとあし先に抜けてきちゃった」
 ステージ前に移動する? と問われた、ちょうどそのタイミングを狙ったかのように、ステージ近くは密集していて危険なので、上演が終了するまでは出来るだけその場を動かないように、というアナウンスが流れた。会場内の照明はまだ落とされたままだ。安全上の問題があるのだろう。
「しゃーない。おとなしくしてよっか」
「それさっきも言った。おとなしくってほど、おとなしくしてなくない?」
「それはそう。それもそう」
 雑で適当な会話。気後れも躊躇いも、気がつけばどこかに飛んでいた。なにしろ、会話のテンポが完全に日々慣れ親しんだチャットと同じなのだ。数年来の友人のように、ごく自然に会話ができてしまう。いや、ゲーム内で出逢ってからは数年経っているのだから、正しく数年来の友人……なのだろうか。友人ではなく、相方だけど。
 数年来の相方だ。一緒に居るだけで当たり前に楽しく、頼っても頼られても心は強くなる。
 世界の分岐をともに見守っていく。


 ゲームの話、ドラマの話、ギルドの話、この後の展開の予想。尽きせぬ雑談をしながら、待つことしばし。
 馴染んだSEとともに、アナウンスが流れた。
『アンケートの集計が終了いたしました。参加者のみなさまは、お持ちの端末にて、結果をご確認ください。ライブストリーミングをご視聴中のみなさまには、これより配信画面上に表示されます』
 急いで連動アプリを開く。集計結果が出ていた。
 選ばれたのは――
「えっ、そっち?」
 相方と、いつもの異口同音。

 僅差だった。僅差で、ロイエに二杯目の茶が淹れられた。

「ぜったいミゼリコルドだと思ってた」
「同じく! でも、そうか、同じだけど違うかも。違うけど同じかも」
 独り言のように呟く相方に、続きを促す。
「何が同じって?」
「ミゼリコルド。ミゼリコルドってさ……引き留めてもさ、留められなさそうじゃない。そうするとブックレットと同じ展開になっちゃうかもなーって。ぶっちゃけ、選びがいが無いっつうか」
「それだと選択肢がトラップっていうより詐欺にならない?」
「だってミゼリコルドだよもん。ミゼリコルドはすべての常識と良識を越えてしまう。かもしれない」
「いいこと言ってる風で、実はすごい適当に喋ってるでしょ」
「身も蓋も中身もないこと言わないの!」
「せめて中身は在って?」
 なんて、テンションだけで話をしていたら、再度アナウンスが入る。
『お待たせいたしました! 舞台の準備が整いました。これより、選択肢の結果として、特別ミニドラマの後編を上演いたします』
 ざわざわと語らっていた来場者たちが、一斉にステージを向く。けれど、そこは暗闇に閉ざされていた。端のほうでマイクを手に立つ、MCの広報スタッフの姿がうっすらと浮かび上がっているのみ。期待のざわめきが、次第に戸惑いへと変わっていく。
 ――不意に、投光器の光が会場を揺らめかせた。
 毒の潜む夜のような、青紫色の光。その先端が照らしたのは、入場口の女神像のオブジェだった。光に揺らめく女神の、伸ばした指先が導いたかのように入り口のモニタが灯り、映像が映し出される。
 ずっと流していたPVではない。さきほどの、アークの街並みでもない。冷たい石の壁を、重たいカーテンが囲んでいる映像だった。
 と、暗かったメインステージのスクリーンに光が入り、中継らしき映像が投影された。青紫の光で煙るように照らされた、女神像のオブジェだった。
 スクリーンの女神像の背景には、石の壁――入り口のモニタの映像――が映し出されている。女神像とモニタをひとつのフレームに入れることで、多重構造の映像の層となり、スクリーン上に存在感のある舞台装置がつくりだされていた。

 そして、組み合わされた映像を見て初めて分かった。
 これは、ナーヴ教会の深奥の一室――エーテルネーアの部屋。
 ミゼリコルドがエーテルネーアを弑した、あの部屋だ。


**********************************

 鈍色に沈む室内で、ふたりだけの会話が長く、長く続いていく。アークを想い、ナーヴを憂い、世の有り様はより佳くあれと望むふたりの対話。
 どこまでも交わることはなかった。

 組織ではなく人間として、主従ではなく友人として、理解ではなく共感を得たいと願った言葉は、薄暗がりの部屋にそのまま溶け落ちていく。
 彼は知らない。彼らの罪が似て非なるものだと。
 彼は気づかない。零れた茶はもとには戻らない。

 何も知らぬまま、彼は、手を差し出した。伸ばされた指先は、握りかえされることはなく――かわり、薄刃がひらめく。迷うことなく、ひと突きで命を奪える場所へ。
 刹那、金の光が走った。鋭い金属音が響く。
 潜んでいた女神像の背後から飛び出し、ふたりのあいだに身を滑り込ませたロイエの左腕、冴えて硬い金属の義手が、ミゼリコルドの手から刃を無造作に叩き落とす。床に落ちて鈍く光る刃をそのまま長靴で踏みつけ、流れるような動作で銃を抜き、ミゼリコルドの眉間へと押し当てた。ユニティオーダーの隊長にのみ、聖堂内でも携行の許される、小さな儀礼拳銃だ。
 背に庇ったエーテルネーアの名を呼び、身の無事を確かめる。低めた吐息のような、けれどはっきりとしたいらえを聞いて、ロイエは小さく息をついた。そのまま、対峙するミゼリコルドを強く見据える。
 乱れた前髪の下、青い瞳は憎悪に滾っていた。だが、憎しみよりも濃く満ちるのは、苦いものを舐めたような、強すぎる陽に灼かれたような、そんな理不尽への憤りの色だった。
 まるで、手酷く傷つけられた幼い少年のように。
 しかし情に引かれてはならない。銃口を額に突きつけ、片時も目は離さぬまま、背後に声をかけて処遇を尋ねる。
 エーテルネーアが、一歩、前へと出た。
 押しとどめようとするロイエの腕にそっと触れた手は、幽かに震えていた。装身具の細い鎖が、ロイエの義手に落ちかかり、あえかな音を立てる。
 小さくかぶりを振り、おとがいを上げる。さきよりはしっかりとした足取りで、踵を床に打ちつけ、さらにもう一歩進んだ。
 憎しみで射る瞳を受け止め、目を逸らさず、彼は言った。

 零れた茶はもとには戻らない。
 それでも、また淹れて、また注ぐ。
 何度零れても、何度でももう一度、やりなおす。

 あの日のお茶会のように、穏やかな時間も、きっと。いつかは。

**********************************



 会場内が、拍手と喝采に包まれている。私も、相方も、ちぎれそうなほどに手を叩いていた。
 アークと天子についての会話。張りつめて通ぜぬ応酬に、やるせなさと緊張感の頂点が達したところでの、ドラマでは割愛された急襲シーン。ミゼリコルドの振るう刃の迷いのなさに、悲しくも固唾を呑んだ。それを間一髪で防いだロイエの身のこなしが、流麗でありながら強者感があり、格好良すぎて、文字通りに目を奪われてしまった。
「いやぁ、よかったねぇ。見応えあったねぇ……
 相方のしみじみとした呟きに、強くうなずく。
 会話劇もアクションも、本当にすごく見応えがあった。無料参加イベントでこんなの見せてもらっていいんだろうか、などと思ってしまう。
「配信のアーカイブはあるだろうけれど、これ、映像ソフトで欲しいな。今後の他の会場のもあわせて、ソフト化してくれたりしないかな」
「アイテムコードの特典つきで、オフイベの円盤が出る予定らしいから、それに収録されるんじゃない?」
「ほんと! 買う、ぜったい買う」
 相方とふたり、ひたすら拍手を続けながら話す。まわりもみな、手を叩き続けていた。カーテンコールはあるのかな。いや、この舞台にカーテンはないけれど。カーテンコールは「役に徹する」のなかに含まれるのか、否か。
 と、メインステージが再度、明るくなる。演者……ではなくて、開発スタッフのサブディレクターが登壇した。
 一礼してしばし佇み、ざわめきと拍手が小さくなるのを待って、口が開かれる。ご観覧ありがとうございました、と言ったのち。
「今回のミニドラマはオフラインミーティング仕様の特別編で、これがそのままストーリーに反映されるかどうかは、現時点では申し上げられません。けれど、あたらしい物語は、あたらしい場所に辿り着く可能性を持っているということを、この場で公式に発表します。『ダンスマカブル』というカップに、あたらしいお茶が注がれます。喉を潤し、存分に味わってください」
 再び、割れんばかりの拍手が巻き起こる。
 痛いほどに手を叩きながら、示された可能性の行く先に、想いを馳せた。
 贖いきれない罪を手離せぬまま去った彼の、生きた先にある物語が見たかった。
 世界への絶望を抱えて墜ちていった彼らの、生きた先にある世界が見たかった。
 ドラマの配信終了から、長い年月を経て、叶う日が来るなんて。
 じわりと目もとが熱くなり、胸に抱いたままだったナーヴのスカーフを強く握りしめる。
「よかったねぇ。ほんとによかった」
 ほわほわとした相方の声が耳に届く。今度の「よかった」は、ダンマカに対してじゃない。私に向けての言葉だ。ずっと、強く強く思い入れていたことを、知ってくれているから。
 よかった。ほんとによかった。ここに来ることができて。生きて動くエーテルネーアを、あの寸劇を見ることができて。
 相方に、会うことができて。
 ステージでは、サブディレクターと並んでMCの広報スタッフが立ち、スペシャルゲストや一問一答コーナーに登壇した開発部担当者、会場スタッフ、来場者、そしてすべてのプレイヤーへの謝辞を述べていた。イベントはフィナーレに向かっている。
 相方の顔が見たくて、傍らを振り返る。と、視界の端で動くものがあり、なんとなくそちらに目が行った。
 背後の暗幕が揺れている。立ち入り禁止の白い紙がわずかに浮き、暗幕が持ち上げられた。布の隙間に、人影が姿を現す。
 黒い髪の毛先に、白みの縁取り。漆黒に金をあしらった長衣裳の裾を手で絡げ、闇色の幕から身を滑らせるように外へと歩み出た。他方の手には、指で支えるようにして仮面を持っている。
…………っ」
 悲鳴のような呻きが喉から迸りかけて、咄嗟に手に持っていたスカーフで強く口を押さえた。布越しに荒い息だけが漏れる。
 視線が、合った。
 彼は目もとだけで笑み、ふわりと指を立てて唇に押しあて、しぃ、と息で告げた。耳飾りが襟にかかり撓む。やわらかい仕草なのにどこか凛としていて、優美な愛嬌がありながら、幽玄を漂わせる。
 エーテルネーアだ。

 続いて、ロイエとミゼリコルドが暗幕から顔を出す。ロイエは、エーテルネーアに付き従って歩きながら、こちらを一瞥して小さく会釈をした。ミゼリコルドは目を合わせると、わずかに首を傾げて微笑し、足を速めてエーテルネーアと並んだ。
 三者ともに、静かでありつつも確かな足取りで、悠然と目の前を通り過ぎていく。
 暗幕が揺れて閉じる。衣擦れの音だけが残った。
…………
…………
 相方と顔を見合わせる。
 沈黙までハモらせちゃって、どうしたら。と思ったけれど、本気で声が出ない。ただぱくぱくと口を開けては閉じる。
 ふうっと深い息をついて、なんとかかんとか、言葉を出す。
「エーテルネーア様だった……
「エーテルネーア様だったね……そしてミゼ様と」
「ロイエ隊長……
 それだけ言って、ほかに何も言えなくて、また顔を見合わせて、ひたすら、てれてれと笑いあう。
 と、そのとき。まわりの来場者たちから、どよめくような歓声が上がった。
 メインステージを見ると、スクリーンにまた、何らか映像が浮かんでいた。目を凝らすうちに色は濃くなっていき、やがて映し出されたのは、石造りの街並みを見とおす景色。あのお茶会が催された、聖堂のテラスからの景色だ。
 そこに、演者たち三人が立っている。
「あれ、これって……
 知らず呟く。ステージの上ではない。彼らは、映像のなかに立っている。肩越しに振り返り、目を細くして、入り口近くの女神像が設置されていたあたりを眺める。小さく三つの人影があった。
 女神像の足もと、並んで立った彼らが、三人三様にお辞儀をした。

 ミゼリコルドは、首を斜めに曲げて頷くように浅く。
 ロイエは、軍人風に胸に手を当てたまま腰を直角に曲げた。
 エーテルネーアは、マントをふわりとひろげて摘み、軽く膝を折って頭を垂れた。
 虚像を背景に映し出される、カーテンコールならぬスクリーンコール。
 そして、彼らは身を翻し、影へと去った。
 最後にひときわ盛大な拍手のなか、画面はゆっくりと暗くなり、消えていく。それと同時に、会場の照明が、少しずつ点灯していき。
 灰に閉ざされていたアークの街は、真っ白なスクリーンとなった。

 ×   ×   ×

 閉会を告げ、退場を促すアナウンスが、繰り返し流れている。
 会場スタッフが、さっきの暗幕をばさりと上げた。椅子が何脚かと、長机の置かれた、思ったより広い空間が隠されていた。メインステージから女神像への移動の際の目隠しと、登場までの控え場所として使われていたのだろう。

 ステージは終わり、舞台は消えて、種も仕掛けも片付けられ。
 あとに残されたのは、不確定な世界。

 サブディレクターの言葉を思い出す。
 今回の寸劇は、あまりにもプレイヤーの『見たかった世界』すぎた。ドラマにおいて、無常と無念を塗り込めるように描かれたあの世界が、こんなにわかりやすく明るい未来へ、簡単に繋がるとは思えない。
 けれど、ひとつの可能性が、道筋が、示された。だったら、プレイヤーがやることはひとつだ。
 ゲームをする。
 きっと、このルートに導いてみせる。
 大丈夫。攻略なら任せとけ、の相方が傍にいる。
 コンテンツをやり込みまくるギルドメンバーがいる。
 二杯目のお茶を注ぐことを選んだプレイヤーたちがいる。

 ×   ×   ×

「そういえば、これ、確認した?」
 名残りを惜しみつつ、会場を出る。入場口のスタッフに感謝を伝え、ゆるゆるとエントランスへ足を向けたところで、相方がふっと立ち止まって言った。
 これ、と指し示したのは、胸に付けたままだった入場特典のネームプレートだ。留めていたピンを抜き、ひっくり返して、二つ折りの糊づけ部分をぺりぺりと剥がす。
 そこに書かれているのは、数字とアルファベットの羅列。入場記念のプレゼントコードだ。
「すごいよ、太っ腹。新規エモートだって。それがね、ほら」
 うながされて、覗き込む。
 エモートの使用イメージとして、オフィシャルのモデルキャラクターがポーズを取っていた。白い椅子に腰かけて、ティーカップを手にしている。その横に太く印字されたエモートの名称は、”drink tea:お茶を飲む”となっていた。
「どんだけお茶推しなの……
「いやー、推しまくりだよね。でも、ナーヴ教会はまだいいとして、他の会場はどうなっちゃうんだろ。ブックレットのSSにちなんだエモートをくれるとしたら、だいたい物騒なやつになってまうんやが」
「えー。どんなの?」
「墓を掘るとか、粘土を叩きつけて割るとか? マイクを持って放送する、ノートに書きつける……あたりは、まあ平和かも」
 さすがダンマカの世界。どんなSSが載っているのやら。
 そうだ。会ったら、ブックレットを見せてもらう約束だったっけ。歩きながら横を見ると、相方もちょうどこちらに顔を向けたところだった。また、ふたりで笑う。照れ隠し。今日、何度目だろう。
「とりあえず、ここから撤退してですね。ブックレットをさかなに、お茶でも飲みまひょか」
「それはリアルとゲーム、どっちで?」
 疑問形で投げたけれど。
 顔を合わせて、声を揃えて、一緒に言った。

「両方で」

 ×   ×   ×

 そう。ふたりでお茶を飲もう。
 相方と一緒に、この世界で。帰ったら、ダンスマカブルの世界で。

 どちらの世界でも、あなたとお茶を。



 〈Fin〉


投稿にいいねする


© 2026 Privatter All Rights Reserved.