カルみと 別作品『逆鱗』の中編(エロ無し)
シナリオネタバレあり
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微睡の淵で、啜り泣く小さな声を聞いた。
意識を覚醒させた縞斑は、ソファから身を起こすと側のベッドに足を向ける。その上では、家主が苦しげな吐息を漏らしながら両手を彷徨わせていた。
「や、だ……いやだ…っ、だれか…だれか、」
閉じられた瞳の端から、幾つもの涙が零れ落ちてシーツを濡らしていく。
赤く腫れた目元は薄暗い室内でも分かるほどで、縞斑はサイドテーブルに備え付けられたランプを灯すと身を屈めて彼の肩を揺すった。
「…神無ちゃん。神無ちゃん、起きて。」
「やだ、やだッ…ぅ、ぁ……?」
縞斑の声と手によって、涙の膜を張った瞳が薄く開かれる。恐る恐る顔を上げた神無は、縞斑の顔を見た途端両手で必死に手を伸ばした。
その手を引き寄せて抱き締めれば、腕の中で神無は苦しげな泣き声を上げる。
「だら、だらせん、ぱ…い」
「うん。」
「…せん、ぱ……かる、ま…かるま…」
「うん。」
「…っごめん……、ごめんなさい…」
「…うん。」
悲痛な声で謝り続けるその姿に、縞斑は眉を寄せて頷くことしか出来なかった。
あの一件の後、神無は急遽1ヶ月の休暇が与えられ、自宅で療養を行うことになったのだ。
事情聴取でアンドロイドに性的暴力を受けたことを打ち明けた神無を気遣って、ディーノはその間ドロ課の別のバディと活動を行っている。
黒田が入院中の誰もいない自宅で療養することになった神無の元に、恋人である縞斑はほぼ毎日訪れていた。
昼間は気丈に振る舞う神無は、夜になると決まって悪夢に魘される。そうして目を覚まして、朧げな意識のまま何度も縞斑に謝るのだ。
縞斑以外の、更には以前は恐怖の対象であったアンドロイドに犯されたことは、彼の中で耐え難い精神的苦痛だった。
「ごめん、なさ……ッ、ごめ…ん…」
「……君は、謝ることなんて何一つないだろ。」
呟く縞斑の声は、怯えた彼には届かない。
しばらく縋って何度も謝っていた神無は、やがて泣き疲れた様子でぐったりと意識を失った。
目の下に濃く刻まれた隈と、赤く腫れた目尻を指で撫でて、縞斑は噛み締めた唇を解く。
「……そろそろ、潮時かなぁ。」
呟く彼の声音は弱々しく覇気がない。
それを聞き届ける人間が誰もいないことは、彼にとっての幸運であり、神無にとっての不運だったのだ。
※
「俺たち、別れよっか。」
朝食を終えていつものように彼が特製ココアを作ろうと席を立った時に、縞斑はなんてことのない声色でそう言った。
二人分のマグカップを持ったまま、縞斑を振り返って立ち尽くす神無の手が震える。
瞬きをひとつ、ふたつ。繰り返すうちに彼の心にその言葉は届いたらしく、青白い顔で口を開いた。
「なん…で」
「このままじゃ、君の状態が絶対に回復しないから。」
神無が抱える罪悪感は、縞斑と共にいる限り消えることがない。夜の記憶は無い神無だったが、縞斑へ依存していることにはとっくに気が付いていた。
縞斑の意見は最もだ。このまま関係を解消して他人になれば、縞斑への罪悪感を抱く必要がなくなる。
縞斑は神無の返事を待っている。沈黙の中で、神無の思考はぐるぐると沈んだ。
彼にこんなことを言わせたのは、自分があの日失敗を犯したから。ここで自分が傷つくのは間違っている。彼が指し示したのは、神無が人として立ち直るための道なのだから。
「……そう、だな。」
言い聞かせる神無は、顔を上げて縞斑の瞳を見ることすら恐ろしくなり、俯いたままで呟いた。
小さく笑って、カップをテーブルに置く。ことん、広いリビングにその音がやけに大きく響いた。
「そう…だよな。」
俯く彼の頬を伝う雫に手を伸ばそうとして、縞斑はその手を片手で押さえた。
席を立つとさっさと荷物をまとめて、立ち尽くす彼を振り返る。こちらを頑なに見ようとしない彼の様子に、縞斑は罪悪感を抱きながらも口を開いた。
「それじゃあね、お大事に。」
「あ……あぁ、ありがと。」
「こちらこそ、今までありがとう。楽しかったよ。」
誰に話しても最低な別れ方だったと思う。最低だと神無に殴られても、全く文句が言えない。
けれど、それでも神無は何も言わなかった。呆然と縞斑の背を見つめる彼に、振り返ることなく扉を閉める。
朝日に照らされる町を八つ当たりのように睨みつけて、彼はわずかな温もりの残るコートに袖を通し帰路を辿るのだった。
残された神無がひとり、どれだけ泣いても、自分を呪っても、そんな彼の苦痛に縞斑が気づくことはなかった。
否、気づかないふりをしたのだ。
「…それで、帰ってきたんですね。」
棚掃除をしていたアサギリが、わずかに驚いた声音でそう声を上げる。
帰り着いた縞斑の自宅では、彼がせっせと家事を行なっていた。ソファに身を預けた縞斑は、のろのろと口を開く。
「だって、それが一番お互いのためにも現実的でしょ。」
神無が心を病んだり、縞斑に依存しないように、そう声を上げる縞斑は、面倒臭そうに棚の上を拭きながら言葉を投げた。
「…マスター、つかぬことをお聞きしますが」
「なにー?」
「あれ以降、神無さんが起きてる間に彼に触りましたか?」
「…本当につかぬこと、だな」
恨めしげに呟く縞斑を無視したアサギリは、どうなんですか、と言いたげに彼をじっと見つめる。
縞斑は自分の右手を持ち上げて、じっと見つめた。神無よりも一回り大きい手のひらは、あの日捕獲したアンドロイドたちの手のひらに重なる。
「……触れるわけないだろ。」
あの日以降、縞斑が神無に触れるのは、彼に意識がないときだけだった。夜の曖昧な記憶の中で抱き締めることはあったが、幸いそのことも神無はしらない。
ある時縞斑が手を伸ばしたら、神無はわかりやすく肩を震わせた。浅く息を吐いて、血の気の失せた顔で笑みを無理やり作ろうとしたのだ。
「理由は、言わないのですか?」
「嫌なこと思い出すだろうから触らないって?それこそ彼を追い詰めるだけだよ。」
触らないのは神無のせいだ、そう言っているようなものだ。それがどうしようもないことであることは、縞斑が一番良く知っている。
神無が罪悪感に押し潰されてしまう前に、自分が自ら離れるべきだ。それが神無のためなのだ。そう呟く縞斑を眺め、アサギリはため息を漏らす。
「思ったことを言えないなんて、恋愛というものは難儀ですね。」
「まぁね。好きって気持ちだけじゃ、どうにもならないこともあるのさ。」
軽蔑した?そう問いながら縞斑は顔を上げた。そんな彼の笑顔を貼り付ける疲弊した表情を見下ろして、アサギリはもう一度ため息を吐く。
「いいえ。ただ、マスターは特に、言葉が足りないと思います。」
「あはは、よく言われる。」
言葉には表の意味と裏の意味があることを、あの一件でアサギリは知った。その全てを汲み取ることは、アンドロイドはもちろん、感情を巧みに操る人間すら難しい。
「人は思っている以上に鈍感な生き物です。言葉にしなければ、マスターの思いは神無さんに全く伝わっていないかもしれませんよ。」
「それでいいよ。」
きっぱりと、そう言い切った声にアサギリは顔を上げた。
苦しげな顔でソファに沈む彼は、額に手を当てて自分に言い聞かせるように呟く。
「……それで、いいんだよ。」
彼のそばにいるのは、自分だけではない。
自分に取られてしまったと頬を膨らませる相棒や、心優しい新たな班長とその補佐、彼の世界には仲間たちがたくさんいるはずだった。
このまま縞斑に囚われて崩れていく神無を見たくない、彼には自由であってほしいと願うのは、縞斑の身勝手であることなど百も承知だった。
「…ちょっと寝るよ。時間になったら起こして。」
縞斑はそう呟くと、片腕で目元を覆ってソファに脱力する。
感情と言葉がちぐはぐな主人を見つめていたアサギリは、それが人間というものなのだとひとり納得すると、部屋の隅に畳んでおいた毛布を彼に掛けた。
そうして、ソファの掃除を諦めて寝室の掃除をすべく足を進める。間も無く聞こえた浅い寝息を背に、アサギリはぽつりと呟くのだった。
「…何事もなく、丸く収まるといいですけど。」
しかしそれから二ヶ月後、彼の平和を願う呟きを嘲笑うかの如く、激動の一件が彼らを攫うことになるとは、今のアサギリには知る由もないことだったのだ。
神無に別れを告げた縞斑は、その後一切彼の家を訪れようとしなかった。
アサギリに見舞いにでも行けばいいと助言されたが、仕事が忙しいなどと適当な理由を付けて逃げてきたのだ。
そうして一ヶ月が経過した頃、風の噂で神無がドロ課に復帰したことを知った。いつもの慢心と無茶が見受けられるが、順調に仕事をこなしているらしいという話を、なぜかアサギリから聞かされたのだ。
元気ならばなにより、そう考えて相変わらず関わりを絶っていた縞斑の元に、最も恐れていた連絡が届いたのは、神無復帰から更に一ヶ月が経過した頃だった。
「帰りたいなー」
「諦めてください。」
呟く縞斑と嗜めるアサギリの前には、元職場である警視庁が建っている。
スパロウに届いたのは、ドロ課からの協力要請だった。あの一件で制圧した組織の残党が確認され、その確保と残ったアンドロイドの保護のためだ。
ドロ課との協力捜査となれば、当然神無と顔を合わせることになる。そう躊躇った縞斑だったが、あの一件の残党となれば野放しにしておけなかった。仲間を傷つけた組織を根絶やしにしたいという意志は、ドロ課の面々と同じだ。
そうして協力を承諾した縞斑たちは、突入前の作戦会議のために警視庁まで足を運んだのである。
「最近はこの視線にも慣れてきちゃったねぇ」
「彼らも、飽きませんね。」
認証を受けて庁内に入れば、刑事たちの冷たい視線が突き刺さった。
協力体制を敷いているとはいえ、テロ組織として誤報道されたスパロウのことや、問題児であった縞斑を良く思わない人間は多い。
警視庁に通ううちに慣れてしまったそんな視線をやり過ごして、彼は気を紛らわせようとアサギリに話しかける。
アサギリは相変わらずの無表情を浮かべたままひとつ頷くと、ドロ課へと足を向けた。
そんな彼と並んで廊下を歩けば、その先に立っていた人影に足を止める。気配に気がついたらしい彼…神無三十一は、相棒のディーノとの会話を止めてこちらへと視線を向けた。
「……あー…神無ちゃん、ディーノちゃんも、おつかれ…」
「お疲れ様です。」
猛烈に気まずい縞斑が珍しく言葉を濁す。そんな彼を小脇で突いて、アサギリは彼にだけ聞こえる声で囁いた。
「公私混同ですよ、マスター。」
「いや絶対あっちも気まずいって、お互い様だよ。」
「元はと言えば貴方が蒔いた種でしょう?」
「ぐうの音も出ないとはこのことか……」
ひそひそと話し合う二人の元へ、神無がディーノと共に歩み寄る。縞斑を見上げた彼は、いつかと同じように明るい笑みを浮かべた。
「だらだら先輩、アサギリ、おつかれ!久しぶりだな!」
「え…あ、あぁ、うん、そうだねぇ。」
「今日からまたよろしく!まぁ今回の事件も、大天才の俺に任せてくれよ!!」
そう得意げに胸を張った神無は、会議室の方から同僚に呼ばれた様子で顔を上げる。
「あ、じゃあまたあとで!」
「…うん、またね。」
「失礼します。」
二人に笑顔で手を振った神無は、ぱたぱたとそちらに小走りで向かった。
その背を見送ったまま無言の縞斑に対して、アサギリはぽつりと呟く。
「公私混同しているのは、貴方だけですよ。マスター。」
「…やめてアサギリちゃん。今結構というか、かなりショック受けてるから。」
「だから貴方が蒔いた種でしょうと。」
縞斑の複雑な心境の一方、神無は全く気にしていない様子だった。
普段の神無を知る縞斑は、彼に怒鳴られるか無視される覚悟を勝手に固めていた。顔を合わせた瞬間蹴られるかもしれないと身構えてすらいたのだ。
二ヶ月もあれば、過去の男としてとっくに割り切ることだろう。それを寂しいと思うのは、縞斑の勝手だ。
「全く気にして無い様子でしたね。」
「アサギリちゃん?追い討ちやめてくれない?俺のこと嫌い?」
「今回の一件においては全面的に……おや。」
相棒を切り捨てようと口を開いたアサギリはふと、廊下の先に立ったままのディーノに視線を向ける。
神無が部屋に向かってからも後を追う気配の無い彼は、じっと縞斑のことを睨みつけていた。
「…ディーノちゃん?」
「………。」
声を掛けた縞斑に冷たい目を向けて、ディーノはふいと踵を返す。
遅れたディーノを心配する神無には、いつも通りの笑みを浮かべる彼は、間違いなく。
「…怒ってるね。」
「怒ってますね。」
二人は思わず声を合わせて呟いた。
縞斑に軽蔑の視線を向けたディーノは、さっさと会議室に入っていく。その背を見つめて、縞斑は額に手を当てた。
「まぁ…そりゃ神無ちゃんから話聞くよね……」
「事情を知っても率直にクソな振り方ですから、知らなければ尚更最低男になりますよね。」
「たしかにディーノちゃんから見ても……ってアサギリちゃんそんなこと思ってたの。」
「今回は全面的に、貴方が悪いと思っていますので。」
相棒の唐突な裏切りにショックを受ける縞斑を置いて、アサギリも部屋へと歩き出す。
そんな彼の背中を見送った縞斑は、何も言い返せない自分がいることに歯痒さを覚えた。
全面的に縞斑が悪い。それは紛れもない事実だった。恋人として長い時間を掛けてでも寄り添うべき所を、早期治療を優先して手放したのだから。
けれど、あれ以上にどうすればよかったのだろうか。神無が毎晩謝りながら泣く姿を見て、平気な顔をしていられるほど、縞斑の精神は太くなかった。
考えながら縞斑も部屋へと足を向ける。
元気な声で出迎える神無や、何も知らないらしい笑顔の青木とレミ、未だ不貞腐れた様子のディーノにそれぞれ挨拶をして、縞斑はひとまず目の前の問題に集中した。
彼が公私混同をしていないのに、自分が引き摺るわけにはいかない。いつも通りを貫こうとする縞斑の隣で、アサギリは波乱の予感を察してため息を吐くのだった。
※
作戦通り制圧を終えた組織は、残党とは言えないほどに戦力が充実していた。
「思った以上にきつかった…」
呟いた神無が、刀に付着したブルーブラッドを拭う。疲れ果てた様子の彼に、息を整えながら縞斑も頷いた。
戦闘用アンドロイドの数が多く、戦いは苛烈を極めた。主戦力である神無とディーノ、縞斑とアサギリは4人で施設内を突き進み、ようやく大元となる人間を捕らえたところだ。
手錠を嵌めた男たちをディーノが連行し、動かないアンドロイドたちにアサギリがハッキングを施していく。感情を手に入れた彼らは、自らの行いに怯え、スパロウへ向かうことを決めている様子だった。
「でもこれで、全部解決だな!」
明るく彼は笑う。二ヶ月前のあの一件は、事件としてはこれで全て解決したのかもしれない。
けれど、神無の中ではきっとまだ終わっていないのだ。それまで相槌を打つだけだった口を、彼はゆっくりと笑みを浮かべて開いた。
「…そうだね、お疲れ様。」
あの一件に巻き込まれた神無にとって、この場所の制圧は苦しいものだったに違いない。
けれど、嫌な顔ひとつせずにここまで立ち回った彼は間違いなく大人だった。
そんな彼を労おうと、縞斑は無意識に神無の頭へと手を伸ばす。しかしその手が彼に触れるより早く、我に帰った縞斑は慌てて手を下ろした。
彼を驚かせてはいけない。そもそも、もう自分は彼にそんなことをしていい立場にないのだ。そう言い聞かせて、縞斑は笑う。
そんな彼を見た神無は、小さく俯いた。
唇を噛んだ彼が浅く息を吸う。そうして彼が口を開こうとした、その時だった。
『……嫌だ。』
「え…?」
神無の足元で、ぽつりと声が届く。
視線を向ける彼らより早く、そこに横たわり動かなくなっていたアンドロイドの一体が身を起こした。
ブルーブラッドの涙を流しながら、大きく体を震わせたそのアンドロイドは悲鳴を上げる。
『廃棄は嫌だ…!!仕事をするから、全員殺すから、だから廃棄だけは!!死にたくない…!!』
「変異体か…!!」
彼はまだ、アサギリのハッキングを受けていない。この施設で暮らす中で、恐怖から変異してしまった個体なのだろう。
仕事のできないアンドロイドは、ここでは皆処分されていた。目標を殺すことができなかった彼は、自身が廃棄される未来に怯えるあまり、変異体へと進化してしまったのだ。
声を漏らした縞斑は、すぐに暴走するアンドロイドと距離を取ろうと身構える。同じように立ち上がろうとした神無だったが、そんな彼の足首をアンドロイドが掴んだ。
「っ、」
「神無ちゃん!!」
「神無!!!」
異変に気付いたディーノが声を上げて、その獣脚に威力を込める。すぐさま駆け寄った彼が縞斑よりも早く神無に手を伸ばしたが、神無はその手を取ろうとしなかった。
「は……っ、は…ぅ」
アンドロイドを見つめたままの彼の肩が小さく震える。浅い呼吸を繰り返し、涙が滲む視界で、それでも刀を振り下ろすことすらできない彼の姿は、恐怖に捕らえられていた。
彼はまだ、あの日のトラウマを克服していない。アンドロイドに掴まれただけで足が竦み、同じアンドロイドのディーノに助けを求めることができないほどに、彼の中に根強い恐怖が残っているのだ。
アンドロイドが神無に向けてサブマシンガンを構える。考えるより早く、縞斑はその場から駆け出していた。
神無の腕を引いて胸の中に抱え込む。触れた腕や肩は、縞斑の記憶の中よりもずっと痩せてしまっていた。
そんな彼に胸を痛めながらも、彼に銃弾が決して当たらないように背を向けて庇う。響いた発砲音と同時に、腕や足を銃弾が掠めた。
「ッ…く」
「あ…」
「アサギリちゃん!!ディーノちゃん!!」
痛みを歯を食いしばって耐える縞斑に、腕の中で見上げた神無が息を呑む。鋭い声で相棒たちを呼べば、すぐに駆けつけた彼らが二人を庇うように立ち塞がった。
放たれた弾丸をその身に受けた相棒たちは、拳銃を発砲して暴走するアンドロイドの手から武器を弾く。次いで放ったショットガンは、寸分違わずアンドロイドの額に命中した。
びくりと体を揺らして今度こそ動かなくなった機体を前に、警戒を怠らないアサギリが相手の得物を回収する。
ディーノはすぐさま武器を下げると、庇われた自身の相棒の元へ駆け寄った。
「神無!!!」
「でぃーの……だらだらせんぱい、が」
「俺は平気だよ、ちょっと掠っただけ。」
狼狽える神無に安心するよう声を掛ける縞斑だが、服に滲む血を見た神無は苦しげに表情を歪める。
縞斑の腕を解いて、やんわりとその胸を押して立ち上がった彼は、俯いたままで口を開いた。
「レミ呼んでくるから、ここにいて。」
「…神無ちゃん、待っ……」
歩いていく神無を咄嗟に縞斑は追いかけようとする。しかし、それを止めるように立ち塞がったのは、彼の相棒のディーノだった。
「ディーノちゃん、どうしたの?」
「……先程、神無を助けてくれたことにはお礼を言います。僕ではおそらく、手をとってくれなかったので。」
ディーノも、神無がアンドロイドに対して恐怖を抱いていることに気付いていた。強引に手を引けば更に神無を傷つける可能性があったため、ディーノでは神無を助けに踏み込めなかった。
もし縞斑の救助が遅れていたら、神無は大怪我を負っていたかもしれない。それについての感謝は尽きなかった。
しかし、と呟いたディーノは、険しい表情で縞斑を見つめる。
「神無に酷いことをしたことについては、許すつもりはありません。…なぜ、彼から手を離したのですか。」
瞳に揺れる確かな怒りに、縞斑は一瞬口籠る。しかし、浅く息を吐くと痛みによっていくらか冷静になった頭で、言葉を並べ始めた。
「それが神無ちゃんのためだと思ったからだよ」
「貴方が逃げるため、の間違いではないですか?」
縞斑の声に、鋭い言葉が刺さる。人の痛みに人一倍敏感に育った感情豊かな彼は、悔しげな表情を浮かべ口を開いた。
「あれほど、神無に前を向くように教えていた貴方は…苦しみから目を背けて、神無を置いて逃げたんだ。」
「………。」
ディーノの言葉に、俯いた縞斑は何も答えない。隣のアサギリは二人の顔をちらりと伺うと、黙ったまま成り行きを見守った。
何も答えない縞斑に焦れた様子で、ディーノは噛み締めていた唇を解く。
「……僕は時々、貴方の代わりに彼を慰めています。この意味が分かりますよね。」
その言葉に、ぴくりと縞斑の肩が震えた。
「マスター!」
アサギリの制止の声を背に、縞斑はディーノへと拳を振りかぶる。しかし、その拳が振り下ろされるより先に、彼の長い尾がそれを阻んだ。
「今の貴方に、僕を殴る資格はありますか?」
「…なにを、」
「どんな気持ちで、神無が貴方を呼んでいたのかも知らないで。あまつさえ貴方は、彼のせいにして逃げるつもりですか。」
ディーノの尾が縞斑の腕を絡めとる。力は篭っていないが、決して振り解けない加減で掴まれた腕をそのままに、縞斑は見開いた瞳で怒りに燃える彼を見下ろした。
絶対に逃さない。そんな言葉が聞こえる拘束に、縞斑の言葉が詰まる。
彼の言葉は、全て事実だった。
都合の良い言葉を並べて、神無に向き合うことから逃げ出したのだ。縞斑への罪悪感に溺れて泣く彼のことを、これ以上見ていられなかった。
「…離してくれる?」
「条件を呑んでくれるのなら。」
「呑まなかったらどうする?」
「貴方の腕をこのままへし折って、簀巻きにして外に蹴り出します。二度と神無には会わせません。」
「ははは…怖いな。」
彼なら本気でやりかねない、乾いた笑いを零す縞斑に向けて、ディーノはきっぱりと口を開いた。
「神無をこれ以上傷付けないと、約束してください。」
「……。」
「次に神無を泣かせたら、絶対に許しません。」
その瞳を見つめ、縞斑は思う。
彼もまた、神無のことを特別に大切に思う者だったのだ、と。神無の気持ちを優先して、自分に道を譲った彼だが、機会さえあればいつでも奪うつもりだろう。
そんな彼の心の内まで察した縞斑は、小さく頷くと笑って見せた。その笑みは、いつもの貼り付けた偽物の笑顔ではない。
「約束するよ。もう、泣かせない。」
「………。」
「だからお願い。行かせてくれる?」
縞斑の言葉を聞いて、ディーノはしばらく黙って彼を睨みつけていたが、やがて尾を緩めて彼を解放した。
痣の残らない絶妙な加減の施されていた手首を確かめると、縞斑は救護テントに向かった神無の背を追って駆け出す。
そんな彼らを見送ったディーノが深く息を吐けば、隣に立ったアサギリがぽつりと呟いた。
「…貴方のユーモアも、腕を上げましたね。」
「……彼にバレていませんでしたか?」
「普段のマスターなら見破るでしょうが、今の彼には余裕がないので。おそらくまんまと信じ込んでますよ。」
アサギリの目から見て、神無への慰めの話はディーノの嘘だった。
神無が寂しさからそれを望んだとしても、それが神無のためにならないと判断したディーノならば応じないだろう。少し考えれば分かることだった。
けれど、縞斑はその考えに至れないほど取り乱していたようだ。手放しておいて、別の誰かに奪われたことに対して怒りを覚える彼の姿は、身勝手で実に人間らしかった。
「…いいのですか?神無さんを手に入れるチャンスだったのでしょう?」
アサギリはそうディーノに尋ねる。
縞斑に別れを告げられた神無は、気の毒なほどに疲弊していた。精神的に追い詰められた彼ならば、ディーノの言葉に応えたかもしれない。
そんな意味を込めて問うアサギリに、ディーノは首を横に振る。
「いいんです。僕は、神無が笑ってくれるなら、それで。」
「貴方の隣では、なくてもですか?」
「はい。僕の隣以上に笑うことができる場所があるなら、そこにいてほしい。」
語るディーノの表情は穏やかだった。
その表情と言葉を聞いたアサギリは、やはり恋愛とはよくわからないものだと一人首を傾げる。
いくつもの恋愛のデータをかき集めても、こんなにも非合理的で予測不可能なものは初めてだった。
「貴方は、良い人ですね。」
「…そうでしょうか。」
「マスターが約束を破った時は、お手伝い致しますよ。」
「それは…ありがとうございます。」
意外そうに目を丸くしたディーノは、アサギリなりの気遣いに笑みを浮かべる。
そうして二人は、お互いの主人が想いを伝え合うことを願って、現場の整備へと戻ることにしたのだった。
「神無ちゃん!待って!!」
先を走る彼の背に声を掛けると、分かりやすくその肩がびくりと跳ねた。驚いて振り返る彼は目を丸くして、怪我をそのままに歩いてきた縞斑へと駆け寄る。
「ちょ、待ってろって言っただろ!!」
「あー…その、ちょっとどうしても、話したいことがあって」
「手当てが先!!レミいないらしいから、テント入って!!俺が診るから!!」
同僚たち曰く、レミは別の地点で治療に追われておりテントに戻るまでには時間が掛かるとのことだった。
他のドロ課の刑事たちでも手当ができるように、救急箱は常にテントの中に常備されていることを神無は知っている。
詳しい治療は彼女に任せる旨を伝えてから、神無は縞斑の腕を引いてテントの中に引き入れた。薄暗い室内で、椅子に座らされた縞斑の前に彼は仁王立ちになる。
「服脱いで」
「これくらい…」
「ぬ、い、で」
神無の圧に押された縞斑は、のろのろとジャケットを脱いで腕を捲る。
いくつかの掠めた銃槍を目にした神無は、苦しげに表情を歪ませた。血の滲むそれらを、神無は救急箱の中から取り出したガーゼを使って消毒から始める。
「…手際良いねぇ」
「褒めても痛みは引かないよ。ちょっと染みるかも。」
言いながら彼の手が、ガーゼ越しに傷口に押し付けられた。じわりと血の滲むガーゼの中で、傷口に染みてひりつく痛みが走る。
浅く息を吐いて咄嗟に目を閉じれば、その反応に小さく謝った神無が治療を再開した。
「取り敢えず俺ができるのは応急処置だから、レミがついたら傷口縫ってもらって。」
「あぁ、ありがとう。神無ちゃん。」
痛みの合間に礼を言う縞斑だが、神無の表情は暗い。俯いたままの彼の顔をじっと見つめていると、噛み締めた唇を解いて彼がぽつりと呟いた。
「もう、あんなことすんなよ。」
神無は、誰かに庇われることを極端に嫌う。
それはディーノに限った話ではなく、彼の過去に影を落とす悲しい記憶がそうさせるのだ。
俯いたその顔を上げさせるために手を伸ばそうとして、その直前で彼は指先を止めた。固く握り締めてその手を下ろす縞斑の姿に、神無が悲しげに表情を歪めたことに、彼は気付かない。
「……約束はできないよ。」
「なん…足手まといになるだけだって、」
「好きな人に、傷ついてほしくないから。」
縞斑の言葉に、神無は弾かれたように顔を上げる。至近距離で臨んだサングラス越しの瞳の下には隈があり、頬は化粧では取り繕えないほど白かった。
「…俺のこと、嫌いになったんじゃないの。」
汚れたから。裏切ったから。
呟く彼の姿に、縞斑は自分が許せなくなった。
どうして、彼ならば大丈夫だなんて思ったのだろうか。そう思いたかっただけで、目の前の彼も自分と同じように、苦しみながら生きているちっぽけな人間であると知っていたはずなのに。
「まぁ…そうなる、よね。それを訂正もせずに逃げたことを……許してほしいなんて言えないけど、ちゃんと言わせて。」
触れられなくても、視線は絡む。
神無に、縞斑が向き合っているから。
涙で滲む彼の瞳を真っ直ぐに見つめて、縞斑は緊張するように息を吐いた。
「汚れたなんて、裏切られたなんて思ってもいない。」
ぽたり、頬を伝った彼の雫が、握りしめた縞斑の指先に落ちる。
「辛い中で、よく耐えた。君の勇気のおかげで、この組織は制圧できた。…君を言い訳にして、逃げてごめん。」
神無は目を丸くしたまま、黙って縞斑の言葉を聞いていた。
汚されたあの日、軽蔑されたと思っていた。彼以外に身体を暴かれ、そこに快感を見つけた浅ましい自分に、嫌悪を抱いたに違いないと、そう思っていたのだ。
しかし、神無を見つめる縞斑の目は真剣で、自分に伝えたい言葉や想いがあるのだと理解できた。
茶化して逃げることもできたけれど、神無はそうしなかった。ここを逃せばもう二度と、彼と本気で向き合えないような気がしたのだ。
「三十一、」
「…なに?」
「もう一度だけ、俺にチャンスをください。」
「………。」
「いつも通り君がまた笑えるようになるまで、そばに居させてほしい。」
懇願するような、弱々しい縞斑の声。
自分という強い芯を持った彼が、こんなにも心細い声で言葉を紡ぐ様子を、神無は初めて見た。
ぽたぽたと溢れて止まない涙を拭えないまま、神無は小さく頷く。
「……いいよ。」
「…。」
「いい、から…お願い。もう……置いてかないで。」
縞斑を失ってから、毎晩夢にみた光景を神無は振り返る。
男たちの嘲笑う声。自分を組み敷くアンドロイドたち。どれだけ逃げても、誰もその手を取ってくれない。縞斑の歩く背中には、どれだけ手を伸ばしても届かない。
絶望のまま飛び起きて、隣にいない縞斑を思い知り泣く日々だった。
あの事件以来、縞斑は神無と同じベッドで寝なくなった。縞斑なりの気遣いだったが、それすら神無にとっては距離を置かれているようで寂しくて堪らなかったのだ。
「…ほら、泣かないで。俺がディーノちゃんに怒られちゃう。」
俯く神無の頬を伝って、いくつもの涙が零れ落ちる。美しいそれを拭おうと手を伸ばした縞斑の指先が躊躇いがちに揺れた時、神無はその手を両手で捕まえた。
「やめないで…!」
「みと…、」
「やめないで。おれは、狩魔に触られたいよ。」
頬に押し当てた縞斑の手のひらが、彼の溢れる涙で濡れていく。
「ずっと、俺がこんなこと言ったらダメだって、思って…言えなかった。」
「………」
「上書きして。あいつらに触られたところ、全部、全部、狩魔で満たして。」
祈るように、神無がずっと抱えていた想いを言葉にして落とす。
縞斑は何も言わない。ここまでして縞斑を求める自分の浅ましさに呆れただろうか。そう怯えて手を解こうとした神無だったが、そんな手を握り返して縞斑は彼を引き寄せる。
「わ、っ?」
抱き寄せられた腕の中で驚いた声を上げる神無を、縞斑は赤い顔を悟られぬよう引き寄せたままで呟いた。
「……それはちょっと、殺し文句過ぎやしないか。」
不思議そうに首を傾げる神無はおそらく、自分が如何に縞斑を煽ったかを理解していない。
それは縞斑にとって願ってもないことだ。臆病な彼もまた、神無にずっと伝えることができなかった気持ちである。
テントの外から人の声が近づく。おそらくレミが戻ってきたのだろう。そろそろ時間切れだと縞斑は体を離す直前に、彼の形の良い耳元で囁く。
「元気になったら、覚悟しておいて」
「っ、」
耳を押さえた真っ赤な顔を神無が上げる頃には、縞斑はいつもの笑みに表情を戻していた。
何かを言い返そうと口をぱくぱくと開いては閉じてを繰り返していた彼は、やがて唇をぐっと噛むと握ったままだった消毒液のボトルを投げる。プラスチックの軽いボトルは、狙い通り縞斑の額に当たった。
「いたっ」
「〜〜っ先戻る!!ちゃんと治療してもらえよ!!!!」
照れ隠しに大声を上げてテントを飛び出した神無と入れ違いに、レミが顔を出す。
彼女は、額を押さえたまま嬉しそうに笑う縞斑の様子に、心配していた彼らの問題がようやく丸く収まったことを察して、ひとり安堵のため息を漏らすのだった。
終