カルみと ポケモンパロ
二人の擬似子育ての話
@popo_trpg_ss
「だらだら先輩!!ウルガモス出して!!」
呼び鈴も無しに扉を開いた神無は、肩で息をしながらそう声を上げた。共に転がり込んできた相棒のパルスワンが、楽しげに彼の周りを駆け回る。
何事かと玄関に顔を出した縞斑は、彼の手に大切そうに抱えられた存在に目を瞬いた。
「それ、たまごじゃない。」
彼が手にしていたのは、ポケモンのたまごだった。黄色の殻に緑の模様が鮮やかなそれを、神無は嬉しそうに抱き抱えて直す。
「そうなんだよ、俺たまご孵すの初めてでさ。色々調べたらほのおのからだが特性のポケモンと一緒にいるといいって聞いて。」
神無の言葉を聞いた縞斑は、納得した様子で頷いた。ポケモンのたまごの孵化を早めるには、ほのおのからだという特性を持つポケモンと共に行動する必要があるのだ。
この地方のチャンピオンとして君臨している神無の手持ちポケモンには、炎タイプのポケモンはいたが、その特性を持つものはいなかったはずである。
縞斑は腰から下げたボールホルダーのうちの一つを、こつりと指で軽く叩く。その呼びかけに応じるように、ボールの中から彼の手持ちであるウルガモスが飛び出した。
「おはようマダム、手伝ってくれる?」
ひらひらと羽を動かして主人の周りを飛ぶウルガモスに声を掛ければ、心得たといった様子で彼女は神無に擦り寄った。
じわりと広がる熱に包まれて、神無は笑みを浮かべるとそんなウルガモスの体を撫でる。
「そういうことなら手伝うけど、さすがに貸してはあげられないよ。」
「うん。だからさ、その……たまごが孵るまでしばらく通ってもいい?」
ウルガモスと戯れたまま、おずおずと見上げるその目に縞斑が弱いことを神無は知らない。
幸い、先日行われたチャンピオントーナメントは神無の防戦で収められたばかりであるため、最後のジムでリーダーを務める縞斑の門を叩くチャレンジャーは少ない。
チャンピオンも一通りのインタビューを終えて、今は時間に余裕があるはずだ。であれば、恋人である神無からの毎日通いたいという誘いを断る理由もなかった。
「いいよ。それじゃあ俺と、子育てしよっか。」
にこりと笑って縞斑はそう口にする。
相変わらず鈍感な神無は、そのままの意味として受け取った様子で元気いっぱいに首を縦に振るのだった。
※
「…なるほど、それで神無さんがここにいるのですね。」
簡単な事情を聞いたアサギリは、ジムの訓練所の隅でウルガモスに抱かれる神無を納得した様子で眺める。彼の両腕には、件の小さなたまごが大切そうに抱えられていた。
そんな彼の周りには、神無の手持ちであるパルスワンが伏せており、アサギリの手持ちであるヌメルゴンが興味深げに覗き込んでいた。
弟子であるトレーナーたちの訓練を眺めながら、縞斑は再び口を開く。
「そういうこと。幸い早朝にここにきたから、マスコミにも漏れてないみたい。」
「まぁ確かに、漏れたら間違いなくチャレンジャーが顔を出しますよね。」
「申し込まれたら彼、断れないからねぇ。」
チャンピオンへの挑戦権を賭けた戦いの最後の砦を担う縞斑が言えることではないが、神無は戦闘において決して手を抜かない人間だった。
手合わせを頼まれれば、おそらくどれだけ疲れていてもその挑戦者に全力で応えるに違いない。
トーナメントを開けたばかりの神無にできる限り負担を掛けたくないという意志は、二人も同じだった。そこまで話していたアサギリは、ふと思い立った様子で顔を上げる。
「そういえば、ディーノさんは?」
「あぁ、彼はジムチャレンジの修理が長引いて数日動けないんだってさ。」
神無のパートナーロボットであるディーノは、電気タイプのジムリーダーとして同じく砦を任されていた。
数日前の停電の影響で、彼のジムチャレンジ用の装置が故障してしまったらしく、復旧に時間を要しているらしい。
そうでなければ、神無を家族のように大切にしており、恋人の縞斑に度々嫉妬の目を向ける彼が、毎日この場所に通うことなど許可しなかっただろう。
「荒れてるでしょうね、彼。」
「だろうねぇ、連絡はしてるだろうから。後が怖いね。」
全く恐れていないような声音でそう笑った縞斑は、一度指導をアサギリに任せるとウルガモスのブラッシングを行っている神無の元へ向かった。
「調子はどう?」
「んー、まだ全然。でもウルガモスのおかげであったかいよ。」
ありがとうな、と呟いて神無が優しく体を撫でれば、ウルガモスは嬉しそうに羽を震わせて目を閉じる。
ポケモンを大切に扱う神無のことが、縞斑のポケモンたちも大好きなのだ。時々取り合いに参加されるほどに。
神無の隣に腰を下ろせば、彼は当たり前のように膝にかけていた毛布の端を寄越した。そんな彼に礼を言ってさりげなく肩を寄せると、温い体温が縞斑にも伝わる。
「なるほどね、これは暖かい。」
「だろ?寝そうになる。」
「寝てもいいよ?というより、無理してここにいなくても、家にいてよかったのに。」
今朝いつものように訓練所に向かおうとした縞斑に、ついていくと言い出したのは神無だった。ウルガモスを置いていくことになると心配したのかもしれない。
訪ねられた神無は、少しだけ言葉に悩む様子で視線を彷徨わせる。首を傾げて彼の肩に頭を乗せながら言葉を待てば、彼はやがてぽそりと呟いた。
「……恋人の…仕事してるところ見てみたかったから。」
「え。」
「真剣なところ、みたいだろ。」
驚いて肩から顔を離した縞斑の視線の先で、神無は耳まで赤く染めて俯く。もごもごと口を動かす彼は、邪魔になりたくないけど、ウルガモスを残すわけにも、という今更の言い訳を連ねていた。
「はぁー………君ねぇ」
「…ご、ごめん」
「ここが家だったら問答無用で押し倒してたからね。」
「………え、なんで?」
呆れられたと考えたらしい神無は、目を点にして首を傾げる。一方縞斑は、可愛い恋人のわがままに身悶えしそうになる体を抑えることに必死だった。
このままでは訓練所にも関わらず、抱擁して唇を奪いかねない。自らの煩悩を抑えることに自信のない縞斑は、そう考えると別の話題を探して口を開いた。
「それにしても、たまごを初めて育てるなんて意外だったよ。」
ポケモンのたまごというものは、本来あまり珍しいものではない。
ポケモントレーナーになって二年、チャンピオンの座に就いて一年。そんな神無が一度もたまごを孵したことがないという話は、縞斑にとって少しだけ意外だった。
神無もその意外性を把握しているのか、あぁと呟いて目の前のたまごを撫でながら返事をする。
「俺のパーティはオスが多いからさ、仲間内で産むこともないし。」
「え?じゃあこのたまごは?」
てっきり縞斑は、神無のポケモンたちの誰かが産んだたまごなのだと思い込んでいた。縞斑の問いに対して、そういえばたまごを手に入れた経緯を話していなかったと、神無は頷いて言葉を続ける。
「この子は、ファンに貰ったんだよ。ぜひ俺に育ててほしいって。」
神無のその言葉に、それまで穏やかに会話を交わしていた縞斑は僅かに眉を寄せた。
ポケモンのたまごを人に贈るという行為には、特別な意味がある。遠い何処かの国でプロポーズに幸せの青い鳥の羽を使うように、愛の告白や好意を寄せる相手へのアピールを意味するのだ。
いくらたまごに触れる機会がなかった神無でも、有名なその意味を知らないはずがない。
「…………念のため聞くけど、人にたまごを贈る意味分かってて受け取ったの?」
「流石に知ってるよ。」
「じゃあなんで、」
「告白は断った。けど、この子に罪はないだろ。そのままもし…捨てられたりしたら嫌だし。」
手渡されたたまごと共に贈られた想いを、神無は丁重に断った。それでも相手が食い下がったため、神無はたまごだけは受け取ることにしたのだ。
想い破れて自暴自棄になった持ち主が、たまごに危害を加えたら。そう考えた神無は放っておけなくなったのである。
縞斑は神無の言い分に納得しながらも、不服を隠せなかった。恋人に言い寄った人間がいて、その人間から手渡されたものを神無が大事にしていると聞けば当然である。
しかし同時に、このたまごに罪はないことも縞斑は理解していた。捨てられるかもしれない命を見過ごすことは、縞斑だってできない。
複雑な心境のまま、彼はたまごへと手を伸ばす。ウルガモスと神無の温もりに包まれて温かなそれを撫でていれば、ちらりと周囲を見回した神無は周囲に視線がないことを確かめるとそんな縞斑の頬に唇を寄せた。
「………。」
「…ちゃんと、好きなのは狩魔だけだから。」
呆ける縞斑に向かって、少しだけ申し訳なさそうに神無はそう呟く。怒っていないかと伺うような上目遣いに、頬に手を当てていた縞斑は思わず彼へと手を伸ばした。
腰を引き寄せて、驚いたように半開きのままの唇を奪おうとした、その時。
「…むぐ、」
そんな縞斑の口を、柔らかく湿った手が塞いだ。顔を上げればそこには、あわあわと慌てた様子で縞斑の口を塞ぐヌメルゴンの姿がある。
咄嗟に主人であるアサギリへと視線を向けると、そこにはヌメルゴンに指示を出したらしい彼が手をかざしたまま呆れた様子で立っていた。
「マスター。弟子に示しがつかないので、それ以上いちゃつくなら叩き出しますよ。」
「ぷは……ごめんごめん。続きは帰ってからにするよ。」
解放された縞斑は素直にそう謝ると、赤い顔のまま固まる神無の頭を撫でて立ち上がる。
「じゃあ、お仕事してきます。」
「あ…あぁ、いって、らっしゃい……」
指導を待つ弟子たちの元へと歩いていくその背を見送って、神無はたまごを抱えたままウルガモスの腹に埋まる。
「………帰ってから、って…」
真っ赤に頬を染めた彼を冷やそうと、ヌメルゴンがわたわた手で撫でる。心配そうに鼻を寄せるパルスワンを撫でながら、神無はこの後のことを想像して柔らかいウルガモスの腹に顔を隠すのだった。
それから数日、神無は朝になると縞斑の元を訪れて訓練所で働く彼をウルガモスに抱かれながら見守り、夜になるとディーノの待つ自宅に帰るという日が続いた。
そうして、時折たまごが動くようになったのだと神無が喜んで縞斑に報告をした翌日のこと。縞斑の元に、ジムチャレンジに挑む人間が現れたのだ。
沢山の観客が集まるスタジアムをぐるりと見回して、歓声を受け止めた縞斑はひらりを手を振る。
チャンピオントーナメントが終わってから、初のジムチャレンジに挑んだ相手は、縞斑にとって見慣れた相手だった。
「そろそろ降参してもいいんだよ?」
挑戦相手に対して、縞斑は挑発的にそう声を掛ける。そんな彼の挑発に応じることなく、目の前の長身の男は穏やかな笑みを浮かべていた。
「どうしても、チャンピオンと手合わせをしたいので。」
「何度挑んでも無駄なのにねぇ。」
男が指示したカイリューの攻撃を、縞斑のユキメノコがひらりと躱す。相手の手持ちはあと二体、対する縞斑はあと四体。油断はできないが、戦況は圧倒的に有利だ。
「…どうして、そこまで彼に執着するわけ?」
ただのクソガキだよ。そう言って縞斑は冗談のように笑って見せる。
その男は、神無に対してやけに執心しているように縞斑は感じていた。彼がチャンピオンになって間も無く、力をつけて縞斑のジムに戦いを挑むようになったのだ。
その問いに顔を上げた男は、相変わらず色の読めない笑みを浮かべている。
「それを、貴方が聞くんですか?」
彼の言葉に縞斑は一瞬身構えた。
神無と縞斑が恋人であることは、世間には公表されていない。知っているのは、数人の身内だけだ。
一体どこでその情報を手に入れたのか、警戒を顕にする縞斑に向かって、男はくすくすと喉で笑った。
「確かに生意気な子ですが、だからこそ良いじゃないですか。」
「………。」
「無理矢理組み敷いたときの顔を想像しただけで、そそられると思いませんか?」
貴方だけが独り占めしているなんて、羨ましい限りですよ。そう呟く男は確実に、二人の関係を知っている。
例え他人の脳内だろうと、勝手に組み敷かれる恋人を想像されるなど冗談じゃない。反吐が出る思いで縞斑は呟いた。
「本当に、気持ち悪いな。」
そうして縞斑が戦況に視線を巡らせた時、スタジアムにどよめきの声が上がった。
咄嗟に中継のモニターへと顔を上げれば、スタジアムの中央に設けられた特別席の様子が映し出されている。
そこには、たまごを抱えたまま真剣な表情で試合を見守る神無の姿があった。待っているよう言った縞斑だったが、縞斑の試合がどうしても見たいと言って聞かなかったのだ。
相手がこの男であると分かっていたならば、決してこの場所に連れてなど来なかったのに。
同じようにモニターに視線を向けた男が笑う。目を細めた彼は、嬉しそうに口を開いた。
「…あぁ。僕の渡したもの、大事に育ててくれてるんですね。」
「ーーーーユキメノコ、吹雪。」
縞斑の心がざわりと逆立つ。
放たれた指示を聞き届けた彼女は、その身を揺らすと灰色の雲を呼んで周囲に雪を降らせた。
叩きつける大粒の雪によって、視界がけぶり観客席が見えなくなった。中継のロトムだけが周囲を飛び回る様子を見回して、男は口を開く。
「男の嫉妬は醜いですよ。」
「…やっぱりお前か。」
神無を狙う人間の心当たりの筆頭であり、できればそうであってほしくないと縞斑が強く願っていたのがこの男だった。
男は見えなくなった観客席を眺め、残念そうに肩を落とすと縞斑に向き合う。
「そうですよ。受け取ってもらいました。」
「ちょっとちょっと、大事なところ忘れちゃ困るなぁ。振られたんだろう?」
縞斑の言葉に、男は素直に頷いた。
「えぇ、残念です。でも彼の判断は正しかった。」
笑顔の男の姿に、縞斑は怪訝な表情を浮かべる。この男は潔く諦めるような人間ではない。ならば一体、何を正しかったと言うつもりなのだろうか。
縞斑の視線の先で、男の笑みが深まった。その形は醜く、狂気すら孕んでいる。
「彼が受け取らなければ、あのたまごは叩き割っていましたからね。」
縞斑は僅かに目を見開いた。彼の怒りに呼応するように、右腕につけていたダイマックスバンドへと紫色の光が集まっていく。
吹雪越しにも、中継を見守る観客たちから歓声が上がった。
縞斑はもともと、ダイマックスをあまり好まない。ダイマックスによるポケモンたちの負担は、センターで簡単に治るものではなかった。
そのため彼は、よほどの劣勢に陥らない限り、陥っても尚ダイマックスを行わないトレーナーだ。
そんな彼が優勢にも関わらずダイマックスを行おうとしている、そんな特殊な試合展開に観客席は大いに湧いていた。
その期待の色とは全く違う感情を抱き、拳を握った彼はボールホルダーに手を伸ばした。取り出したユキメノコのボールを、彼女の前にかざす。
「おいで、レディ。」
主人の声を聞いた彼女がボールに収まると同時に、ダイマックスバンドから放たれた光がボールを包んだ。
投げられたボールの中から現れた巨大なユキメノコを前に、縞斑は鋭い視線を男に向ける。
「絶対に、この先には行かせない。」
その気迫に押された男は、縞斑の殺意を前に冷や汗を垂らした。
これは試合ではない。確実に彼は、ポケモン越しに男の全てを叩き折るつもりでいる。
「…まるで、化け物ですね。」
「そうだね、ご名答。そんな君にひとつ、良いことを教えてあげようか。」
無理を強いてしまった彼女を軽く撫でながら、縞斑は笑みを貼り付けて口を開く。
「俺がどうして、何のタイプにも属さないジムリーダーをやってると思う?」
縞斑は、他のジムリーダーたちと違って専門のタイプを持っていないトレーナーだった。
そのため彼との勝負に勝つには、勝負のたびに変わる様々な彼のポケモンたちに臨機応変に対応して勝利を掴む必要がある。
縞斑がそんなスタイルにジムを変えたのは、神無がチャンピオンに選ばれてからのことだった。
「…塔の上に閉じ込めたお姫様を守る化け物に、弱点なんてあったら格好悪いだろ?」
最も、そんなお姫様は俺より強いけどね。
そう笑うと、縞斑は手のひらを男に向けて翳す。彼の指示に応えるように、背後のユキメノコが攻撃を繰り出した。
※
「ふぇっきし!!」
「おっと、大丈夫?」
盛大なくしゃみと共に身を震わせる神無に羽織っていたコートを掛けながら、隣を歩く縞斑は彼の冷えた手に触れた。
試合を無事に終えた縞斑は、神無と共にアーマーガアのタクシー乗り場へと向かう途中だ。腕の中に大切そうにたまごを抱えたまま、神無はこくりと頷く。
「だらだら先輩が雪なんか降らすから。」
「やぁ、ついつい熱くなっちゃってねー。」
試合は当然ながら、縞斑の圧勝だった。
彼が半ば暴走に近い形で繰り出したユキメノコのダイマックスは、その効果を遺憾なく発揮して町中に雪を積もらせている。
この数日間たまごと神無にずっと寄り添っていたウルガモスは、試合中に負傷したため今はボールで休んでいた。突然の大雪は、人の体温だけで防げるものではない厳しい寒さだ。
「でも、すごかったよ。試合。」
「そう?それなら良かった。」
神無が試合を見たがったのは、恋人の戦う姿を見たいなどというものではない。
チャンピオンとして、その戦いを学習して自分の戦いに取り入れるために試合を望んだのだ。そんな彼の勝利に貪欲な姿勢が、縞斑は好きだった。
道を歩きながら、神無は思い出したように口を開く。
「…だらだら先輩はさ、なんでジムリーダーしてるの?」
「え?」
「その実力なら、他の地方に行けばチャンピオンにだってなれるってみんなが言ってたから。」
縞斑の実力は、ジムリーダーたちの中でも頭ひとつ抜けている。他の地方でジムに挑めば、簡単にチャンピオンの座を奪い取れるだろうと言われるほどだ。
けれど、彼がそれをしないのは。縞斑は言葉に悩みながら頭を掻く。神無に負けて、彼に魅入って、そんな彼を守るために技を磨いたのだと、本人に伝えるのは少し気恥ずかしかった。
「いいじゃない、そんなこと。」
「あ、誤魔化した。」
「そんなことよりさ。今日の対戦相手、覚えてる?」
強引に話題を変えれば、多少不服の表情は見せたものの神無はたまごに顎を乗せて考え込む。
「いや……遠かったし、途中から吹雪でほとんど見えなかったし…俺の知ってる人だったの?」
「…そ。ならいいや。」
「なんだよほんと……まぁでも、あの人も凄かったよな。今回はタイプの相性が悪かったけど。」
試合に熱中していた神無は、縞斑の動きはもちろん、相手のトレーナーの動きも観察していた。
今回は縞斑の選んだポケモンたちとのタイプ相性が悪く負けてしまったが、立ち回りは決して悪くなかった。相性有利の機会を掴めば、彼の勝利もあり得るかもしれない。
そう嬉々として話す神無は、ポケモンやポケモンバトルのことを心底愛していて、だからこそ縞斑は、そんな彼に少しだけ苛立った。
「それにあの人、試合中に……ん、」
身を屈めた縞斑が、唐突に神無の唇を掬うように塞ぐ。ぴしりと固まった彼に構わず口内を犯せば、鼻から抜ける彼の甘い声が漏れた。
「ん、ッん……ぁ、」
神無の手が緩み、たまごを落ちる前に支えると、縞斑は空いた手で彼の腰を抱いて更に口付けを深いものに変えた。
冷えた神無の唇に、まだ試合で火照った自らの体温が移るように。歯列をなぞり、上顎を舐めて、舌を絡めとる。
人通りはないとはいえ、外でキスをされていることに今更至った神無は、真っ赤な顔で縞斑の胸を叩いた。
「ぅ、ん…んーっ!」
「っは…はいはい、ごめんごめん。」
唇を離して謝れば、神無の膝からかくりと力が抜ける。そんな彼の腰を支えて顔を覗き込むと、真っ赤な顔で戸惑った神無が息切れしていた。
「……なんで今…キスしたんだよ…」
「んー、やきもち?」
「な」
「俺だけ見てればいいのになーってね。」
はい、と言って縞斑は神無の腕の中にたまごを返す。両手で温もりを抱え直した神無は、はっと頬を染めると縞斑の胸を押した。
大人しく手を離して神無を解放した縞斑に向かって、彼はぱくぱくと口を動かすとやがて回れ右をしてタクシー乗り場へと駆け出す。
「また!!!明日な!!!!」
「あっはは、こけないようにね。」
余裕のまま手を振る縞斑の声を聞きながら、神無はいつまでも恋人の距離感に慣れずにいる自分が嫌になる。十年という年齢と経験の差は、いつまで経っても埋められない。
顔見知りになった運転手に赤い顔を心配されながら、神無はよろよろとタクシーに乗り込んだ。心配そうに嘴を伸ばすアーマーガアの首元を撫でて、椅子に体を埋める。
「あ……コート借りたままだった…」
ずるりと肩から滑り落ちそうになったコートを捕まえて、神無はそれでたまごを包んで抱き締めた。嗅ぎ慣れた縞斑の匂いに鼻を埋めて、明日返そうと思い直す。
動き出したタクシーの中、神無は腕の中の温もりにそっと声をかけた。
「元気に生まれてこいよ。」
その声に応えるように、ゆるりと温もりが揺れる。その様子に目を丸くした神無だったが、次の瞬間彼は再び大きなくしゃみを上げた。
「ふぇくし!!」
翌朝も、試合のもたらした雪模様は続いていた。
ザクザクと凍結した地面を歩きながら、縞斑ははぁと白い息を吐いて隣を歩くアサギリに声を掛ける。
「いやぁ、寒いねぇ」
「…自業自得では?」
「アサギリちゃんまで冷たぁい」
「嫉妬の挙句レディに無理を強いた貴方に、同情の余地などないでしょう。」
ぐうの音も出ない正論に、縞斑は項垂れながらボールホルダーで眠るユキメノコにそっと触れた。慰めるように小さく揺れる彼女を撫でながら、縞斑は雪空を仰ぐ。
「はぁー…神無ちゃんも風邪で今日はいないし……働く気起きなーい…」
「ここのところ張り切ってたじゃないですか。」
「そりゃ可愛い恋人に頑張ってるところ見せたい男の意地でしょー」
「普段もあれくらいやってください。」
昨日の冷えが災いして、神無は風邪をひいてしまったらしい。試合で体を冷やしたせいだから、今日は縞斑の元には行かせない、という鋭い口調のディーノから連絡が届いたのは、数刻前のことだった。
「それにしても、あいつ出禁にできないのかねー。」
「あいつ、とは…昨日のチャレンジャーですか?」
アサギリはあの後、帰宅した縞斑から吹雪の中での男との会話を聞いた。
ポケモンへの残酷な仕打ちにはアサギリも腹が立ったが、神無の機転によって事件は未然に防がれている。未遂事件に対して、ジムから行動は起こせない。
「無理でしょうね。それに、8割私怨でしょう?」
「そんなことない、とも言い切れないかな。」
苦笑いを浮かべる縞斑は、出会った時よりずっと人間らしくなったとアサギリは思う。
彼の過去に深く触れたことはないが、大切な人を失ったのだと、一言だけ教わったことがあった。
一度人を失う恐怖を覚えた人間は、人を愛することに臆病になる。縞斑も例に漏れずそうだった。
そんな彼が今は、再び神無に執着して、誰かに侵されそうになる不安と嫉妬に頭を悩ませているのだから、人間の限られた時間というものが持つ可能性は計り知れない。
「マスターが負けなければ、あのチャレンジャーが神無さんに触れることはありませんよ。」
「…そう、だね。もっと強くならなきゃね。」
「そのためにも、真面目に仕事してください。」
「あー…そこに着地するのかぁ……」
ちゃっかり仕事に誘導を仕掛けるアサギリに感心しながら、縞斑は買い出しの袋を手に自宅へと足を向けた。
この後は訓練所に向かって、いつも通り弟子たちの訓練や自身の訓練を行うことになっている。
あの得体の知れない男のことは気がかりだが、今の縞斑に出来ることは彼をこの場所で防いで神無に触れさせないことだけだ。
そう思えば、仕事にも身が入るかもしれない。そう気合を入れる縞斑の様子を、僅かに口元に笑みを浮かべて見守っていたアサギリはふと、通信を受信して足を止めた。
「ん?アサギリちゃんどうし…うわっ」
一方縞斑も、自分を目掛けて走ってきた小さな影に気が付いて足を止める。
「君は…神無ちゃんところの子じゃないか。」
縞斑に飛びついてきたのは、神無の相棒であるパルスワンだった。くるくるとその場を回った彼は、不安げに鼻を鳴らすと縞斑の服の裾を噛んで引っ張る。
「こらこら、どうしたの。」
神無に躾けられている彼は、縞斑にもよく懐いている。そんな彼が縞斑のいうことを聞かずに強引に動くことなどあり得ないことだ。
混乱しているらしい彼を宥めている縞斑の背後で、通信を聞いていたアサギリが口を開いた。
「マスター。」
「なに?」
「……神無さんが、部屋に居ないと、ディーノさんから連絡が。」
その言葉を聞いた瞬間、縞斑は表情が引き攣った。
自宅で療養中であるはずの神無は、ディーノが少し目を離した隙に窓から家を抜け出したらしい。周辺を探したが見当たらない、彼がずっと抱えていたたまごもなかった。というディーノからの通信内容だ。
自宅から消えた神無、焦った様子の彼の相棒、そんな相棒が必死に縞斑を連れて行こうとしている場所は、自宅の方角だった。
「まさか……!」
縞斑は一気にその場を駆け出す。一歩先を走るパルスワンの後を追って自宅へと急げば、玄関先に探し求めていた存在は蹲っていた。
「三十一ッ!!!!」
外であることも忘れて、彼の名前を呼んだ縞斑が駆け寄る。
自分のコートも縞斑のコートも巻き付けて、必死に腕の中のたまごを温めていたらしい彼が、熱に浮かされた真っ赤な顔を上げた。
「かる、ま…」
「馬鹿!!そんな状態でなんで来た!!!」
縞斑が家を空けていた数刻の間に、おそらく神無は自宅を抜け出してタクシーに乗り、ここまでやって来たのだろう。
留守であったのは彼にとって想定外で、外気温に晒されて冷えていくたまごに焦った彼は、自分の体が冷えることも厭わずに防寒具の全てをたまごに巻き付けていたのだ。
「マダム!出てきてくれ!!」
ぐったりと項垂れて、それでも決してたまごを手放そうとしない彼の様子に、縞斑はひとまず彼を支えたまま声を上げる。
主人の呼ぶ声に応えたウルガモスは、すぐにその願いを汲み取った様子で熱を持つ体を神無へと押し付けた。じわりとそこから広がる僅かな熱に、神無が小さく息を吐く。
「マスター!」
「アサギリちゃん!!ありったけの熱源つけて!!!」
少し遅れて駆け付けたアサギリに指示を飛ばすと、縞斑はウルガモスの支えを借りて彼の体を背負って自宅へと入った。
通信を終えたらしいアサギリは後を追うと、家中の暖房をつけて周り、リビングの暖炉に火を灯す。ひとまずその前に連れて行くと、毛布を掛けてやりながら縞斑は神無の様子を確かめた。
「…はぁ……っ、はぁ…」
「酷い熱だな……」
汗で張り付く前髪を掻き分けて触れた額は、溶けてしまいそうなほどに熱い。
おそらく、玄関先で蹲っている間に熱が上がり切ってしまったのだろう。高熱によって意識を朦朧とさせる神無の腕から、縞斑はたまごを抜き取ろうと試みる。
「っ…や……だめ、」
「…でも、君の体力が限界だろう。」
熱によって滲んでしまった涙を散らして、神無は必死で首を横に振った。
これほど熱に包まれても、神無の体は震えが止まらない。たまごも大事だが、縞斑にとってなにより優先すべき存在は神無だ。
例え後で神無に恨まれようとも、どうにかたまごを引き離して彼を病院に運ばなければならない。
そう考えて再びたまごに伸ばした縞斑の手を、弱々しく神無が捕まえた。
「ま、って…」
「…三十一、怒るよ。」
自分の体を大事にしないでここまで来た神無に、縞斑は腹を立てている。その上でまだ自分を優先しないのであれば、本気で彼を叱らなければならない。
縞斑の気迫に押された神無は、びくりと肩を揺らすと涙をぽたりと零す。それでも耐えるように唇を強く噛んだ彼は、ふるふるともう一度首を横に振った。
「っ…だって、こえが…するんだ。うまれたいって、いってるんだよ。」
「…………。」
「だから…おねがい、つれてかないで。……さいごまで、いっしょにいさせて。」
たまごに愛情を注ぐトレーナーは、時折生まれる前のポケモンの声を聞くことがあるという。今日まで片時も離れずにたまごを温め続けた神無は、確かに昨晩その声を聴いたのだ。
神無にとって、それは初めて育てた大切な命だった。貰った経緯については縞斑は納得いかないが、それでも産み落とされた命に罪はない。
神無の顔とたまごを交互に眺めていた縞斑は、大きなため息を吐く。通信中らしく黙っているアサギリを振り返り、彼は声を上げた。
「アサギリちゃん、ディーノちゃんに伝えて。」
「や、やだ、かるま」
「…神無ちゃんを保護してる。落ち着いたらタクシーで送り届けるから、それまでは任せろってね。」
「…承知しました。」
頷いてすぐに通信を開始したアサギリと、自分を見下ろす縞斑の顔を見上げて、神無は目を丸くする。
てっきり、たまごを取り上げられて強制送還させられると思っていたらしい神無を抱えると、縞斑は自身の寝室に向かった。
マスターの行動を先読みしていたらしいアサギリによって、室内は暖められている。有能な彼に内心感謝して、縞斑は彼をベッドの上に寝かせると自らも横になってシーツを被った。
たまごを挟んで二人抱き合うように、神無のことを抱き寄せたまま縞斑は口を開く。
「言ったでしょ。一緒に子育てしようって。」
「…………でも、」
「ちゃんと付き合うよ。お説教は、元気になってからにしよう。」
「っ、….ありがとう……」
熱に浮かされて感情のコントロールが上手くできないらしい神無が、大粒の涙を流す。
そんな彼の目元を拭ってやりながら、縞斑は神無ごとたまごを抱き締める。
「ほら、はやく生まれておいで。ママがこんなに頑張ったんだから。」
「…がん、ばれ……がんばれ…っ」
触れたたまごはいつかの日に抱えた時よりずっと重く、ゆらゆらと揺れていた。
中から聞こえる物音に、縞斑は孵化は間も無くだろうと考える。そうして腕の中の神無を見下ろせば、彼は温もりに安堵した様子でとろとろと瞼を閉じていた。
弱った彼をベッドに置いて行くなど考えられず、縞斑はひとまず彼に代わってたまごを温めるように抱き締める。そうして縞斑もやがて、微睡の淵へと沈んでいくのだった。
※
あたたかいね。
やさしいね。
やさしいきもちで、だっこしてくれてる。
ひそひそ、くすくすと笑う幼い子供のような声が聞こえた。心地良い温もりに包まれた縞斑は、目を閉じたままその声を聞く。
どんなふうになればいいかな。
どんなふうにうまれたらいいかな。
縞斑に問い掛けるようなその声に、沈んだ意識の底で彼は応えた。
優しい彼に寄り添ってあげてほしい。
彼のことを守ってあげてほしい。
彼がもう、泣いてしまわないように。
神無は強いが、まだ若い。チャンピオンという座に就いた彼のことを取り巻く周囲の悪意や好奇は、縞斑だけで振り払えるものではなかった。
ポケモンや神無に配慮のないインタビューの後に、一人で悔し泣きをしていることを知っている。試合に勝っても、喜ぶ暇もなく傷ついたポケモンを謝りながら治療に運び込む姿は数えきれない。
そんな優しい彼が、これ以上泣いて、傷ついてしまわないように。強く、優しい、彼を守る存在を、縞斑は強く願った。
耳元でくるくると子供が笑う。
あたたかいね。
やさしいね。
きっと、かれをまもってあげる。
きっと、かれをなかせないように。
ーーーーうまれるよ。
「……ん…」
縞斑はゆっくりと意識を浮上させた。
夢を見ていたのだろうか、まだぼんやりとする頭で曖昧な記憶を振り返っていれば、腕の中の温もりがふるりと震えた。
向かいで同じようにたまごを抱き締めている神無も、その揺れに気が付いて意識を取り戻す。
「…ぅ、……」
「神無ちゃん、生まれるよ。」
温まったことで熱や震えが僅かに収まったらしい彼は、縞斑のその言葉に目を丸くすると腕の中へと顔を落とした。
二人の視線の先で、揺れた小さなたまごにヒビが入る。ぴしぴしと音を立てて割れていくたまごの隙間から、紫色の肌がちらりと見えた。
「…がんばれ……がんばれ…っ」
「頑張れ。あと少しだよ。」
祈るように呟く彼らの腕の中で、たまごの殻を突き破って小さな両手が姿を現す。
その拍子に砕けたたまごの先。そこに座っていたのは、大きな瞳で二人を見上げる小さな毒袋を膨らませたポケモンだった。
「……えれずん…?」
「エレズンのたまごだったのか…」
きょろきょろと辺りを見回した生まれたばかりのエレズンは、神無と縞斑のことを親だと認識したらしく、きゃっきゃと声を上げて二人に抱きつく。
「よかった……うまれて、よかった…」
そんなエレズンを抱き締めて、神無はぽたぽたと涙を流した。泣き出してしまった母親の姿を不安に思ったのか、エレズンも一緒になって泣き始めてしまう。
そんな彼らを抱き締めて、縞斑は神無の頭をそっと撫でた。
「頑張ったね、三十一。」
「…ありがとう。さいごまで、やらせてくれて。」
「どういたしまして。君も、大丈夫だから泣き止みなさい。」
ふたりの涙を拭ってやりながら、縞斑は泣き止まないエレズンのことをあやす。二人の腕に抱かれたままの彼は、ぎゅっとその腕を掴んだまま眠りについた。
愛らしい生まれたばかりの小さな命を抱き締めて、神無は涙に濡れた顔を上げ嬉しそうに笑う。
そんな彼を労うように、縞斑は彼の唇に触れるだけの口付けを落とすのだった。
…数日後には、風邪が治った神無を膝詰めで説教する縞斑とディーノの姿と、そんな彼を眺めながらエレズンをあやすアサギリの姿があった。
やがて進化を遂げたストリンダーがチャンピオントーナメントで大活躍を収め、勝利インタビューでストリンダーに腰を抱かれて困惑する神無を抱き寄せて、全力で威嚇する大人気ない縞斑の姿が目撃されることになるのだが、それはまだ少し先の話だ。
終