無印P5 津田会心させるもコープ10未満のED後
岩井とぺごくんの間には若干の距離があります。
年間連載になってますが、お誕生日おめでとうございます。
一昨年の https://privatter.net/p/6910637
去年の https://privatter.net/p/8367170
@Yuko_Blue
コンビニから帰ると、今日はもう予約客が来ていた。
「よぅ」
まるで自分の店かのようにソファ席で寛いでいる客に片手で挨拶され、暁は驚きながらも軽く肩を竦めた。
「随分早くないか?」
「こないだから閉店時間、早めたからな。もう夜に来る客もそうそういねえし」
含みのある言い方だ。夜の客筆頭だった自覚はある。「売上減っても知らないよ」と負け惜しみを投げつけたが、軽く笑って躱された。
「鍵あけっぱで店空けていいのか」
「警備員がいるから」
「猫に警備できんのか? そう有能そうには見えねえけどなァ……いって!」
「バカにすんなよ!」とモルガナの爪が岩井の脛に突き刺さった。ジーンズの布目を貫通したらしい。その気になれば何でもできる猫だ。現実世界でもまぁまぁ攻撃力はある。
「うちの優秀な警備員になんてこと言うんだ」
一撃を加えた猛者からの「そうだそうだ! 詫びに大トロもってこい!」というどさくさ紛れの要求は相手には伝わらない。海外の要人よろしく通訳すれば、脛をさする男は露骨に胡乱な顔になった。
「ホントに言ってんのかァ? お前が食いてえだけじゃねえよな?」
「ほんとに言ってる。あと、俺はどっちかと言うと赤味派」
「猫が大トロねえ……」
疑惑の残る顔をしながらもカウンターの椅子の上でふんぞり返る白黒毛玉に、「まあ気が向いたらな」とちゃんと返事をする岩井は結構律義だ。気が向いたらってなんだ、詫びは即持ってくるもんだろ、という抗議は当人には「にゃー」としか聞こえていないため、「うるせえ」の一言で一刀両断されていた。
「持ってくるときはサビ抜きで頼む。あと赤味も追加で」
「しれっと追加要求してくんな」
言いつつ、岩井はソファ席から動かない。今日はそちらの気分らしい。
時間はまだ二十一時だ。いつもより一時間も早い。まだ少し時間があるからと暁がサラダの追加具材を買いに行った十分間の間に来た。優秀な警備員はそう言い置いて、さっさと二階へ上がっていった。
動揺は、少しした。少しだけ。
でも今日は日曜日で、そのつもりでいたから、少しだけで済んだ。何でもない顔を作れるくらいには平静だ。
「……食事は?」
いつものように問いかければ、岩井はこちらを見ていつもとは違う言葉を口にした。
「二人分、あるか?」
「二人分?」
「お前の分もあるかって訊いてんだ」
「……え」
瞬間的に、言葉を失った。何を言われたのか、うまく理解できない。瞬きして、ソファ席で寛ぐ男をカウンターの内側から見つめた。完全に常連客化した岩井は特段何かを含ませるでもなく、さらりと当たり前のように言葉を連ねる。
「二人分あるなら、一緒に食おうぜ」
ここで、とテーブル席の上を、武骨だが器用な指が叩く。
「悪かねえだろ?」
「わ、るくは、ないけど……。二人分のだと、カレーになるけど、いい?」
「なんでもいい」
「……わかった。ちょっと待ってて」
動揺した。盛大に。
くるりと客席に背を向けて、口を押えた。叫ぶかと思った。
(嘘だろ……)
どうして今日、岩井が早く来たのか。その答えが多分これだと直感的に理解した。
だから早くに来たのだ。暁と食事をするために。
どうしてそんな気になったのかわからない。わからないけれど、絶対に逃せない機会だ。カレーが残っていてくれて本当によかった。
騒ぎ出す心臓を宥めながら、できるだけいつも通りに振る舞えるよう努めた。カレーを温め、サラダを用意し、二人分の器に盛った。何の変哲もない食事の皿が、特別なもののように見えてくる。大事に抱えて、ソファ席に運んだ。
「お待たせしました」
「やっぱり今日も野菜か」
「ノルマは達成するためにある。ツナサラダにしたんだから、文句言うな」
「ツナは魚だろ。どうせなら肉を乗せろ肉を」
岩井の軽口に、状況に緊張していた心が萎んだ。いつも通りだ。口調も変わらない。
きっと、この男にとっては、気まぐれの一つに過ぎない。
そう思えば、無駄に緊張し……仄かな期待をした自分が愚かに見えた。もしかしたら、自分を特別に思ってくれたのかもしれない、などという期待を。
こんなところで「愚者」を実感するとは、皮肉に過ぎる。
「……今度、覚えてたら乗せる」
「その言い方、わざと忘れる気だろ」
「ソンナコトナイデスヨ」
「棒読みじゃねえか」
他愛のない会話と、いつも通りの旨いカレー。食後のコーヒーの匂い。いつもと違う位置にある岩井の顔と声。
消沈はあったけれど、これはこれで新鮮だ。二人きり、このテーブルだけ、世界から四角く切り離された食卓のようだ。今この瞬間に、目には見えない「幸せ」というものがぎっしり詰まっている気がした。
ただし、詰まってはいても、掴み取れはしない。時の流れと共に、過ぎ去っていく幸せだ。あまりにも儚い。
それならせめて、覚えていたい。
カップから立ち上る湯気と香りごしに、記憶に焼き付けるように暁は岩井を見た。いつも、カウンター越しで応対するときには、岩井とはあまり目は合わない。高さも違うし、だいたい視線は店のどこか、暁以外の何かに向いていることが多かった。
でも、今は違う。
両手でカップを包みながら、暁は少しも動けなくなった。
境界線のないテーブルの向こう側で、岩井も暁を見ていた。視線が合い、驚くほど絡み合った。瞬きしてもほどけない。
オレンジ色の電灯の下、岩井の鈍色の瞳はうっすらと金色がかって見える。虹彩の陰りは、ほんのりと青い。きれいだな、と思えば、益々視線を逸らせなくなった。
「……なあ、お前さ」
「……、なに」
喉の奥が干上がりそうだ。なのに下の根元は唾液が溜まる。こくん、と飲み込む音が、やけに響いた。
岩井は暁から目を離すこともなく、そのままじっと見つめ、珍しく難しそうに眉間にしわを寄せ、でも結局何も言わずカップの中身を飲み干して立ち上がった。視線が断ち切られ、残念なようなホッとしたような、不可思議な安堵感に暁は息を吐いた。
「もう帰るのか?」
「ああ、まあな」
「じゃあ、」
気を付けて、と言おうとした。テーブル席の傍らに立つ男を見上げ、自分も腰を上げようとした。
でも、できなかった。
言葉は、途切れた。代わりに、さっきよりももっと口の中が溢れた。
「……またな」
店のドアベルがちりんと鳴るのを、暁はどこか遠くに聴いた。
「………………うそ」
自分の口を押えようとして、ハッとして慌てて手を握る。触ってしまったら、上書きされてしまう。
感触が、なくなってしまう。
(うそ、なんで、どうして、今、)
急に、キスをしてくるのか。
奪われた唇は触れるだけ。それこそ猫の挨拶程度の。けれど、自分の唇に岩井の唇が触れたのは、事実だ。
見た目に反して、柔らかかった。柔らかく、温かかった。表皮は乾いており、ほんの少しだけ硬質な皮膚の感触がした。それから、顎先をざらりと撫でた髭の感触も。
席に座ったまま、上から被さるように、された。ほんの一瞬、口が、触れた。
「……いまのなに」
問いかけたところで、応えはない。そうだ、張本人は今しがた店を出ていった。そうだ、店を閉めなければ。鍵をかけて、テーブルを片付けて、調理器具も片付けなければ。
「~~~~!」
声にならない悲鳴になった。
悶絶、と言った方が正しいかもしれない。訳のわからない衝動に駆られ、まだ中身が入ったままのカップをひっくり返しそうになった。
意味が分からない。
直前まで、普通だった。普通に、いつも通りだった。視線が合うまでは。
いくらでもどうでもいい話ができたし、時折笑いもした、そこになにがしかの感情が絡んでいる雰囲気はなかった。そう、感情だ。いったいぜんたい、岩井がどういうつもりでこんなことをしたのか、全然わからない。前兆や予感めいたものも一切なかった。
それなのに。
急激に頭に血が上る。変な汗まで出てくる。
嬉しいと思う前に、戸惑いが大きい。今すぐ岩井を捕まえて、なんでだよ、と問い詰めたい。
そして、答えを訊きたい。
(……なんとなく、だったらどうしよう)
その可能性も、なくはない。何しろ相手は岩井だ。ただの元怪盗をからかいたかっただけかもしれない。そんな大人げないことをやりそうな男ではある。
ああ、でも、本当にからかうためだけに、自分相手にやるだろうか。
わからない。
混乱しつつぬるくなったコーヒーを飲み干す。コクがあるコーヒーの味と香りに、キスが紛れて消えていく。
本能的に「いやだ」と思った。
いやだ。覚えていたい。これきりかもしれない。もう来ないかもしれない。来ないから、したのかもしれない。
思考回路がぐちゃぐちゃだ。
暁は、テーブルに取り残されたカップを手に取った。
先ほど、岩井が飲み干したカップだ。取っ手に指を絡め、持ち上げる。
ひんやりとした陶器の感触が、熱くなった唇の上に、触れた。