@dika_bal
※本話は暴力的・非倫理的表現を含みますのでご注意ください。全てフィクションとしてお楽しみください。
■1/憧憬
「懐かしいわね」
綺羅びやかなネオンの背後、薄暗い路地裏に響くヒールの足音。
堂々とした背中、揺れる長い髪、何もかもがカッコよかった。
「また始まった」
「昔は、どっかの非行少年と毎日のように鬼ごっこしたものだわ」
「俺もガキの頃、怖いおばさんに追いかけられてましたよ」
「あ?」
「あぁ綺麗なお姉さんだったかも?」
「でしょうとも」
目を細めて微笑みかけてくる彼女の屈託の無さは初めて出会った頃と変わらない。
博く愛を持って人と関わる彼女は憧れで、いつしか俺も誰かの心に寄り添えるような人間になりたいと、そう思っていたんだ。
⚖第8話 命のバリュー

■2/食えないお話
「どうするんですか」
態とらしく重苦しいため息とともに吐き出される苦言を風守は無言で受け止める。
目の前には3名の上司。厳しい目を向けている者、下らなさそうに書類をつまみ上げている者、机に肘を付きながら半身のみでこちらを見ている者。三者三様だ。
風守はいつも通りの柔和な笑みを携えたまま姿勢よく立たされている。
かつては同じ現場に居た者もいるが関係ない。今では上下関係をもってこの場に立たされている。
「申し訳ございません。しかし、お言葉ではございますが解決には至っております」
「解決すりゃ人死にが出ても問題ないと?」
「いいえ、それは許されないことだと重々承知しております」
「ならば、今回の件どう責任を取られるおつもりですか?」
「私が何かを言ったところで決定は覆らないかと存じますが…もしや何も決定しないままお呼び出しされましたか?」
「相変わらず口が減らないようで安心したよ」
お陰様で、と風守が柔らかに言えば、隠す様子もない舌打ちが飛ぶ。
「GRIMOIREに関して、処分は保留となっている。…全く理解しがたい」
「寛大な処置、痛み入ります。よろしくお伝えください」
「自分で言え。もしくは…いや、いい。何でもない」
「……はぁ。それで、私はどうして呼ばれたのでしょうか? 無為に時間を使えば給料泥棒と罵られてしまうのですが。いやはや、どうしたものでしょう」
風守の様子に男たちは苛立つ。この男は昔からこうだ。
イライラした様子の男が風守へとデータチップを投げて寄越す。それを最小限の動きだけでキャッチして確認もせずに「それで?」と続きを促す風守へ男は更に苛立ちを募らせ、眉間の皺を深くした。
「ここ最近の自殺者のリストだ。年齢・出身・性別・生活圏もバラバラだが1つだけ共通点がある」
「『雲外手光 』ですか?」
「お前、何故それを」
『雲外手光 』とはここ数年で規模を大きくした、いわゆる新興宗教団体の名前である。
二課が分所の捜査に入ったが空振ったなどの結果も耳には入っていた。
こいつらが押し付けてきそうな厄介事と言えば、次はその辺であろうと予想をつけることは容易かった。
「…勘、でしょうか」
「ハッ、未だ鵜の目鷹の目か。お前のそういうところが気持ち悪いんだよ」
「ありがとうございます」
柔和なお礼は場違いが過ぎる。もはや隠す気もない敵意のような眼差しを一身に受けながら風守は穏やかに微笑む。
「次はないぞ」とお決まりの台詞を賜り、頭の隅で現状を思い浮かべてどうしたもんかと腹の底で息をついた。今、GRIMOIREの人員はほぼ半壊しているのだから。
■3/約束の温度
ハッと目覚めれば白い天井。……いつか覚えのある光景。
美杜は寝ぼけた頭の中で己の記憶を手繰り、ここ数日の出来事を思い出す。
離島、戦闘……仲間の負傷……。
思い出されるごとに頭が起きてくる。あの日からもう3日ほど経っているというのに、未だ病院に押し込められているのを少々不満に感じていた。自分の傷や体調はそこまで大げさなものでもない。むしろあの馬鹿男が異常なのだ。
ため息交じりに寝返りをうつと、ベッドサイドに1人の男が座っていたことに今更ながら気付いた。
「っ?!」
声にならない悲鳴を上げて、美杜はシーツを掴み上げて口元まで隠す。
「あぁ、すまない。起きたのか」
「い、いるなら居るって言いなさいよ…!」
「居る」
「遅いわよ!」
これだけ喋れるのなら体調はもうほぼ問題ないのだろうと荒船は内心で安心しつつ、湯を入れたカップを渡してやる。
美杜はそれを受け取って、両手でカップを包むように持った。じんわりと指先から手のひらへと熱が伝わってくる。あたたかい。
やんわりと湯気の立つそれに視線を落としている美杜を荒船は見つめていた。そのうちに、数日前に抱きとめた細い肩と以前射撃訓練場で見た苦々しい表情が自然と頭の中に浮かんだ。
「どうして無茶をする」
口をついて出たのはあの時と同じ質問。
美杜がすいっと小さく顔を動かして、荒船の方を見た。いつものように真っ直ぐこちらを見ている瞳と目が合った。
「……きっと貴方と一緒よ」
唇から言葉がまろび出た。それは小さな小さな呟き。だが、静かな室内でそれは荒船まできちんと届いた。
荒船は黙ったまま美杜の言葉をじっと待つ。
その様子を見て、美杜は目を伏せてぽつぽつと言葉を零していった。
「焼き付いて、忘れられない光景がある。一課に所属して、間もない頃……被疑者との攻防戦になって…仲間が、危険な状態になって……」
「…………。」
美杜の視界には入っていないかもしれないが、荒船は小さく頷くように相槌を打つ。
「咄嗟に、異能力の出力が上がって……それで…私、死にかけて……」
無意識に手に力が入り、手元のシーツを握りしめる。
「病院で目が覚めて、私が倒れた後…仲間は死んだ、のを聞いた。……それから、何かがあった時の為に異能力はセーブするようにしているんだけど…でも結局こうやって……私、未だに何の役にも立たないし、誰も助けられていない……」
そうだ。人の役に立てる仕事に就けと言われ続け、刑事になったのに……それなのに、私は何も成せていない。
何かになれると思っていた。人の役に立ち、1人でも立っていられれば、大丈夫になるのだと思っていた。
気が付けば、いつだってひとりぼっちだった。
一族の中で自分だけが異能力を持ち、特別扱いされた代償に全てを失ってきた。私が悪いのだ。異能力なんか持って生まれてきてしまったのだから。
だからせめて、何かになりたかった。
「私の手の届く範囲の人は守れるくらい、強く、なりたかった……」
心からの言葉だった。いつも心の底にはあったけど、言葉にしたことはないそれは、口からこぼれると同時に胸を締め付けた。
苦しげな美杜の手に荒船の手が重なる。大きな手は美杜の手よりも温かく、シーツを掴んで固くなった手をほのかに温めて緩めさせた。
「お前は十分に強い」
荒船の低い声が静かに響く。
「命を賭してでも他者を救おうと思えることは中々にない。お前は強く、立派な刑事だ」
「でも…」
顔を上げると優しい眼差しがこちらを向いていた。
「お前の努力も想いも、やめろとは言わない。無茶をするのも仕方ないのだろう。誰かを守りたいと強く願う行動を止めることはできないと、俺は思う。それがきっとお前の、美杜の信念なのだろうから」
守りたい、その思いは本当だ。美杜は小さく頷く。
荒船は重ねた小さな手の小指に自身の小指を絡めた。いわゆる指切りのポーズ。

「ならば、お前はお前の信じることを、やりたいことを全力でやっていい。どんなことになっても、俺が美杜を支える」
ぎゅっと結ばれた小指が熱を帯びる。
「約束する。お前を死なせたりもしない。美杜が誰かを守るのならば、美杜は俺が守ろう」

……誰かに認められて、向き合われるというのは、こんなにも嬉しいことなのだと初めて知った。
嘘偽りない、まっさらで真っ直ぐな言葉達はじわりと胸に染み込んでいく。
「ありがとう…」
素直に出た感謝の言葉と同時に、美杜は静かに思った。
私もこの人を守りたいと。この人の隣に居たい、と。
■4/大丈夫の魔法
自然光のみが入る個室。開けられた窓からふわりと風が入って、白いカーテンを揺らす。
まだ目覚めない燃々焼は病室のベッドに横たわったまま、静かに呼吸を繰り返している。
まるで瞑想の時のように静かなその様子を、及川はベッドのそばに立って見下ろしていた。
「……燃々焼さん」
当然ながら返事はない。
包帯まみれの燃々焼の顔を見ながら、無意識に自分の左頬を指で触れる。
「私……どうすればいいんでしょう……」
皆さんの役に立ちたいと思うのに、足を引っ張ってばかり。
あの日以来、異能力を使うのが怖くて何も出来ないでいる。もしもまた電気が出なかったら…そう考えるだけで恐ろしいのだ。
今まで良くは思っていなかった己の異能力が出なかった途端にこんなことを思うのもどうかと思うのだが……自分にはこの力しかなく、異能力のない自分なんてまるでただの役立たずである。価値もない。
自分の異能力に価値を見出だせていることはいいことなのかもしれないが、肝心のそれに自信が持てなくなってしまった。
あんな不調は生まれて初めてだった。もしもまた同じように、自分が何も出来ないことを実感してしまったら……もう、折れてしまいそうで。
及川は答えることもない先輩の顔を眺めている。この人のように強く在れたら……淡く憧れては思い知らされる。自分の弱さを。
「私、役立たずだ……」
はらはらと瞳から涙が溢れてきた。自分で自分が嫌になる。
「甘いものでもどうですか?」
急に話しかけられて、及川は驚いて振り返る。そこには車椅子の丹所がいた。
病室の入り口で車椅子に座って頬杖ついている丹所がこちらを見ている。
及川は慌てたように涙を拭う。
どうしてこの人にはこんなみっともない姿ばかり見せてしまっているのだろうか。申し訳がなさすぎる。
初対面の時からそうだ。いつもいつも情けなくて不甲斐なくてダメな姿を見せている。
「さっきチョコを貰いまして。及川さん、チョコ好きですか?」
当の丹所は及川の様子を気にしてないようで、いつもどおりふわふわと話しかけてくる。
ただ、入り口からこちらへ近寄ってこようとはしてこなかった。車椅子のせいかとも思ったが、この人は車椅子くらいすぐに慣れて自在に動かすだろう。それなのに、頬杖をついたままじっとこちらを伺っている。
「いえ、大丈夫、です。チョコは丹所さんが召し上がってください…」
「あは、いや俺って実は甘いもの苦手で。だから貰ってくれた方が助かるんですが」
「……それならば…いただきます……」
そう答えたのはいいものの、2人の距離は離れている。
丹所は小首を傾げてにこりと微笑んだ。それからチョコの包みを手のひらに乗せて差し出してくる。
及川はしぶしぶそれを取りに近付いていった。
いつもと違った角度からの視線。下から伺うように丹所はじっと及川を見ている。
「ありがとうございます…」
チョコを受け取ってお礼を言うと、丹所はまたにこりと微笑む。
「役立たずじゃないですよ。俺がチョコ食べれないって聞いたらこうやって助けてくれますし」
やはり先程の独り言を聞かれていたようだ。ぐっと及川が言葉を詰まらせる。
「"大丈夫大丈夫"」
その優しい声音はあの時と一緒だ。
あの時は電気が制御できずに泣いて、今回は電気が出ずに泣いて…まるであべこべだけど、彼は変わらずに大丈夫だと言う。
「……な、にが、大丈夫なんですか」
思わず感情的に返してしまう。こんなこと言うつもりもなかったのに、つい口をついて出た。
丹所は「ん?」と小さく首を傾げる。
「大丈夫なんかじゃ、ない、です……異能力しか能がないのに、それすらもままならなくて、皆さんの役に立ちたいのに、全然ダメだし……私、何もなくて、なにも、できな…い、私ばっかり、っ、大丈夫なんかじゃない」

感情が、涙が、ボロボロとこぼれだしてしまう。余計にみっともなくて惨めで、恥ずかしくなる。
ぐずぐずと泣く及川を見つめて、丹所は反射的に手を伸ばすけど車椅子故に彼女の頭には手が届かない。その距離に思わず笑ってしまい、伸ばした手で及川の左手を掴んだ。
「大丈夫ですよ。及川さんのこと、異能力しか能がないなんて誰も思ってませんし。少なくとも俺は思っていませんよ」
あまり前のめるとバランスを崩して車椅子から落ちかねないが、丹所は気にする様子もなくただ微笑んでいる。
「そうやって向上心を持って涙が出ちゃうのも、役に立ちたいって本気で思うのも、凄いです。大丈夫、君は凄いですよ。もしも異能力がなくたって、及川さんは真面目で優しくて頑張り屋な刑事ですから」
だから大丈夫、と丹所は念を押す。
にこっと笑いかけると丹所は及川から手を放し、車椅子を片方の車輪に重心をかけて最小限の動きで細かく反転させて振り返る。
「散歩でもどうですか。優しい及川さん、よければ車椅子押してください。手で扱うの、結構疲れるんですよコレ」
及川はぐずぐずの顔をたくさん拭ってから、少し躊躇いがちに おずおずと丹所の車椅子の手押しハンドルのグリップを握った。
■5/三人の形
「というわけで、しばらく不寝喰くんを借りるよ?」
要は新たに発覚した不寝喰の異能力がどのようなものでどんな影響があるのか、制御方法など様々調査や検査が必要になるということだ。
あの事件以来、結構不寝喰にべったり気味だった鈴丸が「え」と反射的に声を上げる。
「しばらくってどのくらいですか?」
「そうだなぁ……正直何とも言えないかな。どんな異能力なのかも少々未知数だし、そもそも制御が可能なのかもわからないから」
ね?と薬師寺は治りが遅すぎて傷まみれの鈴丸の頬を長い指でつつく。この傷の治りが遅いのもきっと不寝喰の影響であろうことは想像に容易い。
「ではしばらく誓さんと2人きりですね」
「は? 最悪」
「そんなに喜ばれると何だか恥ずかしいです」
「この人耳ついてんの? それとも脳がイカレてんの? 薬師寺さん、未環子じゃなくてこの人検査した方がいいです」
鈴丸の悪態に薬師寺は一瞬呆気にとられるのだが、あはっと声を上げて笑って、からかうように「仲良しだね?」と言った。
今生の別れでもないのに、どうしてそんな顔をしているのだろうか。
不寝喰を見送る鈴丸も鳳条も端から見てわかるほど寂しげだった。
「未環子…」
「未環子さん」
不寝喰は思わず笑ってしまう。何だか、胸がいっぱいなんだ。
初対面の頃からどこか一線を引いて均等な三角形みたいにいたのに、いつの間にこんなに近くにいたのだろう。
どう考えても厄介な異能力持ちなのに、それでも2人は自分のそばに居てくれていた。
帰りの船の中、少し怖くなってしまい茶化して「長生きしてほしいな」と言ったら「生命線、誰が長いか比べてみましょうか」なんて鳳条さんが言い出した。
3人で頭を突き合わせて互いの手のひらを覗き込んで……結局鳳条さんが一番長くて、結構短めだった鈴丸さんの手のひらにペンででたらめに生命線を書き足した。それがおかしくって思い切り笑ってしまった。あんなにバカみたいに笑ったのはいつぶりだったのだろうか。
何の根拠もないけれど、自分はきっと死ぬまでこの人達と関わり合うのだと思った。
そして、もしも自分のせいでこの人達が死ぬのだとしたら、絶対に最後の瞬間まで看取りたいと強く思ったのだった。
「なんて顔してるんですか」
不寝喰が目を細めて笑うと、行かないでほしいという風に鈴丸が不寝喰の手を掴んだ。
鳳条はその様子を見て、下から掬うように不寝喰の手に自身の手を添える。

「待ってるから」
「待ってます」
「はい、なるべく早く戻るので2人はちゃんと仲良くしててくださいね。じゃないと、不寝喰チャン、悲しくなっちゃいますから」
鈴丸は隠す様子もなく嫌そうな顔をしたが、鳳条はころころと笑いながら「お任せください」と返事した。
「では、行ってきます……」
一心サン、誓サンと名前を口にしようとしたが、少しだけ気恥ずかしさを感じてそのまま口を閉じた。
……戻ったら、そう呼んでみよう。彼らはどんな顔をするのだろうか。
不寝喰は内心でそう思いながら微笑んだ。
■6/雲外手光
雲外手光 。
ここ数年で規模を大きくした新興宗教団体。
教祖は二代目で、初代の教祖の娘が務めている。教祖、神代宮 さずけは異能力者であると言われているが、本人の登録は無能力者 。
資金の流れが不自然だと一時、二課の捜査対象となっていたが、その時も決定的なものは何も出てこず。
今回この団体に関して問題になっているのは、関わっている人間の不審な自殺だ。
それは現在の教祖である神代宮 さずけの両親を皮切りに、現在まで続いている。
大鷹・桐野・木端・荒船の4人はそれら資料に目を通していた。
現状満足に動けるメンバーを中心に、残りの鳳条・及川・鈴丸・美杜はサポートメンバーに回ることとなった。
鳳条は問題なく動けるのだが、元二課で雲外手光 の捜査に関わっていた経験もあるため、今回はサポートが適任だと判断されてそちらへと回された。
また、柚葉は薬師寺の指名で薬師寺の手伝いへと回ることとなった。主に不寝喰に関する検査や調査の件である。
鈴丸が暗にそちらがいいとネチネチ言葉を並べていたが、鳳条が首根っこ掴んで引っ張り戻していた。
資料に目を通している最中、唐突に大鷹が立ち上がった。
「雲外手光 の本部に、行きます。行かせてください」
焦っているようにも聞こえる言葉に木端が「どうした」と声をかける。
「直接話を聞いた方がいいと判断しました。行かせてください」
「…大鷹?」
何だか少々様子がおかしい気がして桐野も首を傾げる。
大鷹のタブレットをちらりと見てから、彼が開いていたであろう同じ資料を開き、目を通していく。どうやら信者名簿のようだ。寄附金額や奉仕年数によってランク分けされている。
亡くなっている人間は主にBクラス以上…かなり上位の信者たちのようで……その辺りの名前をざっとさらっていく。
その中に、桐野には見覚えがあまりないのだが何となく聞き覚えだけある名前を見つけた。
『立浪 紫 』
大鷹の方へと視線を戻す。彼のどこか焦った様子にも納得がいった。
「本件に関しては慎重に動くようにと他の課からも苦言をもらっている。以前二課で捜査して何も出ていないからな。今回も何も出ませんでしたじゃ済まない。それに捜査に入るための口実も現状何もない」
「じゃあ、別件の聞き込みって形でやらせてください」
引き下がる様子のない大鷹に、木端も困ったように眉を下げる。
だが、ここでの年長者は自分である。先輩としてしっかり率いらねばならない。
「……落ち着いてくれ。緊急性を要してはいない。我々のやるべきことはまず情報の取捨選択で、糸口を掴むことだ。点と点を結んで、確証を持って捜査に挑むべきなんだ。実直に向かうことは確かに誠実ではあるかもしれないが、それが正しいかは別だ」

「それは……!」
大鷹の語気が強くなったところで桐野が大鷹を制して口を開いた。
「木端さん、僕も大鷹に付きますので行かせてやってくれませんか?」
「君まで何を……」
木端は桐野の目線が大鷹を心配そうに見ていることに気が付き、一旦口を閉じる。
何やら訳ありだということだけはわかったが、あの大鷹がここまで食い下がってくるのだ、相当なのだろう。
……うちの課はどうしてこうも何かを抱えた人間が多いのか。
小さく小さく、息をつくようなため息をはいた。
木端は少し怪訝そうにしていたが、言っても聞かないだろうなと渋々了承した。
「ただし、緊急時は連絡必須。定期連絡も行うように。単独で判断しての行動はするな。以上は必ず守ってくれ」
大鷹と桐野は頷くと、上着を掴んですぐに部屋を出て行ってしまった。
その後姿を見届けて、木端は再度ため息をつく。
「何故理由を聞かなかったんですか?」
荒船が資料から顔を上げて木端を見つめる。木端は目を伏せ、手慰みにタブレットの資料をスワイプしながら「言いたくないこともあるだろう」と答えた。
「…それに、きっと話すべきことはあちらから話してくれると、私は思っているよ」
「そうですか。……それでも、こちらから踏み込まなければ話しにくいこともあると、思います」
「……君からそんな言葉が出るとは。意外と言ったら失礼かもだが、少し驚いたよ」
木端の意外そうな表情に荒船は首を傾げるのだった。
■7/盲目の瞳に映るもの
雲外手光 への見学というていの潜入は案外すんなりと通った。
「ようこそおいでくださいました」
片手に白杖を持って、側近に介助されながら出迎える少女は穏やかに微笑む。

150cmないくらいの小柄な少女は真白い着物に赤い帯を締め、いかにも神聖な存在であるといった雰囲気を漂わせている。
教祖自ら出迎えとはいやに手厚い対応だ。桐野は警戒心を包み隠しつつ「お目にかかれて光栄です」とにこやかに挨拶を返した。
「ごめんなさい、わたし、見えていなくて…」
あわあわと小動物のように小さく焦る神代宮。お目にかかれての部分を真正面から捉えたのだろう。察してはいたのだが、やはり目が見えていないようだ。
「…配慮が足らず申し訳ございません。お会いすることが出来て大変光栄です」
「あ、そういう意味じゃなかったんですね! わたしの方こそ物知らずでお恥ずかしい…」
教祖、というよりも普通の女子中高生を相手にしているような感覚。資料では17歳とあったが、見た目も態度もずっと幼い。
「よければ握手をしてもよいでしょうか? わたし、人に触れなければわからなくて」
「えぇ勿論、喜んで」
桐野が手を差し出すとふわふわと探るように神代宮の手が伸びてくる。桐野の手に当たると、神代宮は両手でそれをぎゅっと握って、握りながら桐野の手を親指で緩やかに撫でた。
光のない目は焦点が合っておらず、桐野を通して遠くを見ているようだ。黒目がちな瞳がやんわりと細められる。
「真面目で…がんばりやさんですね。大切な方を亡くされていますか?…とても深い悲しみを感じます。……ご両親、でしょうか。烏滸がましいかもしれませんが、わたしも両親を亡くしているので、あなたの悲しみはきっとほんの一部だけでもわかる気がします」
穏やかに独特なリズムで語りだす神代宮。急に何を言っているのだろうかと、桐野は理解できなかったが、その内容に気味の悪さを感じる。
「学生時代は何かスポーツに打ち込んでらっしゃったのかしら? きっと体力に自信がおありなのでしょうが…最近無理をなさっていませんか? 寝不足気味。何か大変なお仕事をなさっているんですね。…………ああ、なるほど。それは大変ですね」
勝手に何を納得しているのか、神代宮は楽しそうににこにこ笑っている。
「……あの」
「あ、申し訳ございません。わたし1人でたくさんお話してしまって。視えてしまうと、口数が多くなりすぎるとよく叱られてしまうのです」
「視えてしまう…?」
「…異能力と認められていないのですが、わたし視えるのです。人の成り立ち、そしてその人の未来が」
「未来視……」
「国から認定されていないのですけれどね」
神代宮が自虐のように笑ってそう言えば、側近が「さずけ様の異能力は本物です。そのように仰っしゃらないでください」と悲しげに主張してくる。
「ふふ、ごめんなさい。あの、もうひとかたともご挨拶をしてよろしいでしょうか?」
穏やかに笑う神代宮は桐野から手を放して、手を差し出す。
桐野が大鷹の背を軽く叩いて応えるようにと促して、大鷹はようやくその手を軽く握った。
神代宮は桐野の時と同じように両手で大鷹の手をぎゅっと握って、同じように親指で緩やかに大鷹の手を撫でる。
「…あら、あなたも大事な方をなくしたのですね。でもその方は死んでいない。生きてる。けれども悲しい別れでしたね」
悲しげに眉を下げる神代宮を見下ろしながら、大鷹は無意識に半歩足を引いた。
「……わたしのこと、気味が悪いと思われました? ふふ、ごめんなさい。でも気味悪いついでにもうひとつ言わせてください」
光のない目がゆっくりと大鷹を見上げる。目が合うはずもないのに、しっかりと目が合っているように思う。
「あなた、またつらいめにあいますよ。心をしっかりお持ちください」
1つ低い、妙に響く音でそう言われて、大鷹は思わず握手している手を振り払った。
反動で神代宮は尻餅をつく。「さずけ様!」と大げさに側近が駆け寄った。
「…大鷹」
桐野に肩を叩かれ、大鷹はハッとする。
何か言うべきかと口を開くが、大鷹の口からは何の言葉も出て来ない。
自分が焦燥感で一杯になっていることを今更になって自覚した。
「いえ、良いのです。わたしが急に余計なことを言ってしまって……ごめんなさい」
何か言おうとする大鷹より先に、神代宮が言葉を遮って謝罪した。
側近に支えられながら白杖の少女は立ち上がる。
「ゆっくり見学なさっていってください。もちろん、わたしに答えられることがあれば何でもお話しますので、その際は案内役に言いつけてください。すぐに参りますので」
「…すみません、お心遣い感謝いたします」
桐野が取り繕うように丁寧に礼を述べると、神代宮は先ほどとは打って変わって、また子供っぽく微笑んだ。
■8/再会
案内役に付き添われながら2人は教団本部内を歩き回る。
といっても常時信者がいるわけでもなく、大きな建物の割にがらんとした印象だ。
たまに人が居ては談笑している様子を見る程度で、宗教団体かと言われたら首を傾げるくらいには、世間一般の宗教団体とは違った趣きである。
桐野が案内役にあれやこれや聞いている中、大鷹が緊張しながら周囲を確認していた。
誰が見ても、誰かを探しているだろう様子は一目瞭然だった。そんな大鷹の様子を隠すかのように、桐野は案内役に対して終始話を振っている。
「ここは展示室になります。教団の資料や歴史書、さずけ様の書かれた本などがあります。他には絵画や骨董品なども置かれていて…」
展示室内には1人窓際でぽつんと佇む女性が居た。長い髪は腰ほどまでで、あまり手入れされていないのか、無造作に1つにまとめている。教団内の人間が着ている揃いの白いワンピースから覗く手足は細くて、頼りない印象だ。
その後ろ姿を見て、大鷹は雷に打たれたかのような衝撃を感じた。
「……先輩」
小さくこぼれた言葉は彼女にも届いたらしく、目の前の人物は大鷹の方へと振り返る。
何年ぶりだろうか。あれから何年経ったのだろう。まだ昨日のようにも思い出せる。
少し痩せたように思う。相変わらず無茶して食事をとり忘れていることがあるかもしれない。ただ達者に生きててほしかった。こんなところで会いたくは…なかった。
相手も少し驚いたように目を開き、大鷹を見つめている。
あの頃よりも化粧っ気のなくなった口元からは、あの頃と同じ音がこぼれ落ちた。
「……荘次郎」
■9/先輩後輩
大鷹から言葉が失われる。
言いたいことも聞きたいこともたくさんあったし、自分がどんなに心配していたのかも伝えたいと思っていたが、いざとなれば何も言葉は出て来ない。
しばし見つめ合っていると、案内役の信者が「お知り合いですか?」と尋ねてくる。
「えぇ、そうです」と代わりに桐野が答えれば、「まぁ、それは運命的なご縁ですね」と何も知らない案内役はにこにこと微笑ましそうにしていた。
桐野は気を遣って、「あちらの資料なのですが…」と話を振って案内役を誘導するように2人から遠ざかる。
何を話すのか話さないかも彼次第だ。友人のために仕事中であることには目を瞑った。
「…なんで、ここに」
言葉を発したのは彼女の方だった。でもそれを聞きたいのは大鷹の方だった。
「…捜査、で」
「あぁ、そうか。そうだよね。荘次郎は…ちゃんと刑事を続けてくれているんだ」
彼女は息を吐くようにそう言ってから、視線を彷徨わせた後に片手で口元を覆い、下を向いた。
何かを耐えるように眉を顰めて目を閉じている。
その様子に「大丈夫か」と声をかけたいのだが、口から言葉が出てくれない。
「……すまない、仕事の邪魔をしてはいけないね。大丈夫、貴方達のことは言わない……といっても、さずけ様ならわかってそうだけど…」
彼女はそう呟くと足早に部屋から出ていこうとする。
すれ違う彼女の腕を、大鷹は反射的に掴んだ。……細い。あの頃よりもずっと細い腕に言い様のない気持ちがこみ上げてきた。
「先輩、俺……」
「…荘次郎、ありがとう。私の勝手な願いを…叶えてくれて」
ぶわっと、当時の記憶がリフレインする。
『私のなれなかった正しい刑事になってね…』
彼女の泣きそうな憔悴しきった声音。いつも堂々としていた背中が小さく震えていた様子。
──違う。違う違う違う。
こんなに経っているのに未だに"正しい刑事"になれていない。それどころかそれがわからない。何が正しいのか、何を恨むべきなのか、怒りを覚えるべきなのか、何一つわかっていない。
あんたを恨みたかった、恨めなかった。あんたの言葉通り、あんたのしたことを許せないけど、あんたが間違っていたとは思えなかった。周囲も俺自身もあんたを止められなかったし、あんたをあんなにも追い詰めていたのは味方だと思っていた周りだ。
ただ、正しい刑事の正解を探すために刑事を続けているだけで、1個もこの人の願いを叶えられていない。何も出来ていないんだ……。
大鷹の手が緩むと、彼女はするりと手を離れて、部屋から出て行ってしまった。
大鷹はその背を目で追いながら、かき乱された感情の置き場に困惑していた。行き場のない怒りや焦燥、心配や悲しみ、執着めいた憧れと敬愛。全部が全部、腹の底で泥になっていたような不毛なそれらが膨らんで大きくなってしまっている。吐き気と目眩に視界が眩む。
体は妙な寒気に包まれているのに頭だけは熱を持っているようでズキズキ痛んだ。真っ暗なステージに捨て置かれたような気持ち。
早く、なにかしなくちゃ。なにかって。何を?
正しいことだ。正しい刑事にならなければいけないのだから。だから、早くこの事件の捜査を進めて、進めて、悪い人間を捕まえなければいけない。
「大鷹」
ふいに肩を叩かれ、大鷹はびくりと大きく跳ねる。友人の瞳が心配の色でこちらを見ていた。
「少し座って休んでるといいよ。連絡してくるから」
「……あ、あぁ…うん…うん……」
桐野の声に大鷹は数度頷き、促されるまま椅子へと座った。
案内役へ「少々席を外します」と手洗いのていでその場を離れる桐野。早く連れ帰った方がいいだろうなと思いながら、どうすべきだったのかと考えを巡らせていた。
「……こんな時、燃々焼さんだったら何と言ってただろう」
芯の通り過ぎた紅蓮を思い浮かべながら、桐野は木端の連絡先を開いていた。
■10/正解は?
桐野が部屋を出てすぐだった。
大鷹はおもむろに立ち上がると、案内役へ「屋上はありますか?」と尋ねた。
「屋上、ですか? ありますよ。喫煙所をかねておりますので、休憩所のような場所になっているんですが」
「……そう、なんですね。……一服したいので案内してもらってもいいですか?」
「え? あ…お連れ様は?」
「彼は煙草をやりませんので。それに案内だけしてもらえれば大丈夫ですから」
大鷹の言葉に「そうですか」と案内役は納得して、大鷹を屋上まで先導してく。
歩いている最中、大鷹の中では焦りの感情が大きく膨らんでいた。
早く捜査を進めるべきだが、『捜査に入るための口実も現状何もない』のだ。
ならば、手っ取り早く"捜査に入れるようにすればいい"。
チラチラと先程会った先輩と、バディとして一緒に行動していた先輩の姿が脳裏にちらついている。
感情の波が行ったり来たりして落ち着かず、意味もなく手の甲を何度も掻いた。
『あなた、またつらいめにあいますよ。心をしっかりお持ちください』
真っ黒な瞳がこちらを見ている気がする。それと同時に先輩の言葉が何度もリフレインする。
気持ち悪い。
床でのたうち回って暴れられたらどんなに楽なのか。
そんな衝動を抑え込みながら、階段をのぼった。
屋上は開けており、夕日で赤く染まっていた。
誰もいない。結構な高さのビルなため、周囲がよく見える。
「それじゃあ、私はお連れ様の方に戻り…」
大鷹が案内役の襟首を掴む。何が起きたのかわからず、案内役は体を固くして固まってしまった。
「教祖は信者を自殺に追い込んでいる?」
「な、にを…何を仰っているんですか?」
「聞いているのはこちらだ」
「……………。」
大鷹の表情に案内役は恐怖で口を閉じた。
「ここ数年、教団内で自殺者が多数出ているだろう。それらは教祖の」
「さずけ様はそのようなことは行っておりません…!」
「なら、不正な金銭の収受は」
「そのようなものもあり得ません! 貴方様は何を仰っているんですか…」
素直に聞いて吐くんなら事件にもならない。大鷹は諦めたようにポケットのボイスレコーダー止めようとも思ったが、もうそれもどうでもいい。
「失礼を承知で言わせていただくのですが…大丈夫ですか? 先程から…お加減を悪くされたり……」
このような扱いをしてもまだ案内役は言葉を選んで丁寧に対応しようとしている。
そんな態度が逆に大鷹の神経を逆撫でしていた。
"正しい"ってなんだ。
世のルールを犯しているのはそちらで、人を死に追いやっているのもそちらなのだろう。
上手く隠して、白く塗りつぶして、見えないように偽装しているのだ。
誰も彼もが偽り、何かを欺いている。どうしてルールを守らない。どうして正しさで満たされない。
でもそれは、自分にも言えることだった。
"正しい刑事"という言葉に縛られて、全てを定規で測っては矛盾に苛まれて苦しんでいる。
苦しいんだ。全てが。叶えたいのに叶えられなくて、許したいのに許せない。
今自分がやろうとしていることが正しくないことだってわかるけど、正しくするためにはそうすればいいんだ。
ぐちゃぐちゃなんだ。
自分の中身がめちゃくちゃで、気持ちが悪いんだ。
大鷹は擦るように後退りしていく。
案内役はそれを見ていた。どう言葉をかけていいのかがわからない。
後退る大鷹がフェンスに背を預けた辺りで、案内役が声を上げる。
「危ないです…!」
ろくにメンテナンスもしていない吹きさらしの古いフェンスは、大鷹の体重がかかるとギシギシと嫌な音を立てて軋んだ。
正しくないことは分かっているが、この先きっと正しくなる。
大鷹はお構いなしに更に背へ体重をのせていく。
捜査に入れないのならば、事件を起こせばいいんだ。
バキッと嫌な音がして、フェンスが後方へと倒れていく。
それと同時に大鷹自身も宙へと体を預ける。重力に逆らうことなくその身を晒した。
矛盾も願いも、想いも、全部が重すぎる。
『これから叶えたいこと、やりたいことはありますか?』
いつかに聞かれた質問。
『特にありません。ただ私なりの役目を全う出来ればいいと思っています』
己の役目とは何だったのだろうか。
何もかもを取り繕って、潔癖に生きて、ルールを遵守して、矛盾に苦しめられた。
あ、俺
誰かに助けてほしかったのかもしれない。

答えのない雁字搦めの牢獄の中、助けてと声を上げることも封じられて、全てをもう投げ出してしまうって時に、1個だけ見えてしまった。
■11/のろい
「馬鹿野郎っ!!」
怒声と共に腕に衝撃が走る。
落ちるはずの体が繋ぎ止められていた。
宙ぶらりんの足元。腕は……肩を痛めたかもしれない、激しい痛みを感じる。
顔を上げれば……藍がこちらを睨んでいた。
「何してんだ馬鹿っ!!」

聞いたこともない怒声、必死の形相。
桐野藍は必死に大鷹荘次郎の腕を掴んでいる。
絶対に離さない。死なせてたまるか。
全力でその体を引き上げ、半壊したフェンスごと、屋上側へと倒れ込む。
下に落ちただろうフェンスが地面に叩きつけられる音が遠くに聞こえる。
半身を起こせば肩で息する互いの目が合って、ただ見つめ合った。
「おま、えの…」
そこまで口にして、言葉を詰まらせた桐野の平手が大鷹に飛んだ。
左頬をそれなりの強さで叩かれるのだが、大鷹が抵抗することもない。粛々とそれを受け止めた。
痛みだけが今、体を支配していた。
ハァハァと、上がった息の音と自分の心臓の音だけが聞こえる。
「…………逃げるな」
桐野がようやくその言葉だけ吐き出す。
その言葉に何故だか胸が苦しくなった。
全て、体の中の全てを吐き出して楽になってしまいたいくらい苦しくて、大鷹は己の腹を抱くようにして蹲る。
意味もなく叫びだしたくて、暴れたくて、でも何もしたくなくて……自分で自分がわからない。
「荘次郎」
いつの間にいたのか、立浪が屋上の入り口に立ち尽くしていた。
大鷹は身を起こすことなく その声にびくりと反応し、桐野はゆっくりとそちらへ振り返る。
「……ずっと、罪滅ぼしをしなければって思ってた。私、全部を押し付けていったから」
蹲る大鷹のそばにしゃがみ込み、立浪は静かに囁くように言葉をもらす。
「きっと荘次郎を傷つけているだろうってこともわかってた。いいえ、あの時はわかってなかったけど……でもしばらくして気付いたの。私が残していったものって最低だったんだなって」
そこまで喋ると、立浪はすっと立ち上がった。
大鷹は未だ蹲ったままで、桐野は何もせずただその光景を見ていた。
「あんたが憧れてくれた私は、あの時にはもう死んでたんだ。私はもう、私じゃなくて……人殺しと一緒」
「そんなこと、」
そんなことないと、言いたかった。大鷹が顔を上げるとそばに先輩は居なくて──
「だから私の言葉なんか忘れていい」
後方からその"嘘"が聞こえた。
振り返れば、屋上の縁から宙へと飛び出す背中があった。長い髪が風に吹かれて舞い上がる。
「私、ずっと荘次郎のこと」
「先輩──ッ!!」
伸ばしたって、また手は届かない。
大鷹と桐野の前から、立浪の姿は消えていった。屋上から空へ。宙へと堕ちていった。
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「愛なんて、厄介な呪いだわ」
神代宮が窓から見下ろした先には、呪いのような愛の成れの果てが落ちていた。
⚖第8話 命のバリュー 了