@wtnbear
停滞した世界に終止符が打たれ、新たな神の願いによって神無き世界へと再構築された現在。本来であればお払い箱となるところ、差し伸べられた手に引っ張り上げられ、ホムスとして生きることとなってから久しい。寝食を共にする彼は時折ブロンドの髪を掻きながら、自分のわがままに付き合わせていることに対して申し訳なさそうに言葉を吐くのだが、今までの役割を半ば放棄した気軽さというものは存外、悪くない。
新たに与えられた設計士という職業にも馴染み、シュルクのいる研究所を始めとした防衛隊の面々からもご意見役として重宝される日々が続いている。救世の英雄や騒がしく忙しない面々に囲まれ、彼ら彼女らの喜怒哀楽に触れる日々。この日常を繰り返すことが人の生というものなのだろう。今まで外から眺めていたものの中に取り込まれる状況はありそうでなかったものだった。いや、正確にはそういった状況を意図的に避けてきたと言う方が正しいか。
どちらにせよ、こうして与えられた自室で図面を引き、自らに生きる道を与えた彼のために営む"ホムスらしい生活"はなかなか興味深いものに違いはなかった。
取り留めない思考から気を逸らすかのように、陽気に誘われて開けた窓の桟に頬杖を付く彼の肌を、陽の暖かさを含んだそよ風が優しく撫でる。芽吹く草木の澄んだ緑。綻ぶ花の淡い色付き。コントラストの少ない雲と空のマーブル模様。
「そうだね、今日はーー」
絶好の散歩日和だ。
◇◆◇
「アルヴィース、この前の設計の話なんだけど……って、あれ?」
ドアを開けたシュルクは整然と物が置かれた部屋を見回した。五メートル四方の部屋の中に名前の人物は居らず、晴天の涼しい風を取り込むために開け放たれた窓の側で白いカーテンがふわふわと揺れていた。設計に関する見解を求めて研究室から戻ってきたのだが、これは困った。
彼は時々、誰にも声もかけずに散歩に出ることがある。いつぞやの自分のように部屋に篭りっきりであるよりかは幾分良いのではあるが、帰宅までの時間はまちまちだ。数時間で戻ってくることもあれば、一週間近く帰ってこないこともある。さすがに一週間も帰ってこなかった時には釘を刺したが、それでも三日は帰らないことがある。柳に風とはまさにこのことかも知れない。そう急ぎの用事ではないが、問題はそこではない。彼に何かあってからでは遅いのだ。
再生から幾ばくか時が過ぎたとはいえ、この世界には未知が多すぎる。危険な存在がいないとは言い切れないなか、彼が居なくなる度に襲いくる不安は彼が考える以上に大きい。もし怪我でもして帰ってきたら、いや、それ以前に重傷を負って帰ってこられなかったら。完全な地図のないこの世界で、未来視のないこの状態で、誰が彼を助けられるというのだろう。頭のなかでぐるぐると最悪の事態が渦巻く。ああ、こんなにも気を揉んでいるのに。そう思っても、いまこの部屋を空けてる本人には届かない訳だが……。
手に持った設計図に目を落とし、再び誰もいない空間に目を向ける。シュルクは小さくため息をつき、開けっ放しの窓に鍵をかけた。ガラス越しの淡い色の世界とは対照的な、眉尻を下げた自分の顔が映り込んでいた。
◇◆◇
生命の息づく大地であった二柱の神が崩れ落ち、その遺骸で出来た新たな陸地。それが新しい命の揺籠だ。変わらない空。変わらない緑。変わったのは塩気を得た大海原と、種の垣根を超えた文明の営み。そして、決められた未来がなくなったこと。誰しもがその意志で選び取る未来。それは意志ある者にとっては大変に魅力的だろう。ただ…自分のように望みも願いもない者にはいささか難しい生き方を迫られている。
望みとは何だろう。願いとはどう持つものなのだろう。内から湧き出るものだということを知っていても、体得をしているわけではない。ただ一度、停滞した世界を変えることを決定したことはある。だが、それはあくまで世界の在り方として最善の選択をしたに過ぎない。それを自らの内に湧いた願望だと言いきって良いのだろうか。おそらく違う。生命は時に不合理な願いを持つことを知っている。
では偶然、萌芽した願いが合理的な結論と重なり、自らがそれを願望ではないと誤認しているのだろうか。常に合理的解釈で導き出した解。つまり、常に最善を選び続けた結果に従うことは、果たして意志に相当するものなのだろうか。何度目の堂々巡りだろう。ロゴスやプネウマならば異なる見解を導き出せただろうか。そんなことを知る術は、今はない。
小高い丘の上、大樹の力強い幹から伸びるどっしりとした枝に腰掛け、彼は思いに耽っていた。まだ地図にない、文明の手が及ばぬ名もない地。急峻な山々に囲まれた湖を見下ろし、吹き下ろす風に身を晒す。背に差す陽の光とは裏腹にまだ雪を被る山から下りてくる風は冷たく、頬を切るようにして通り過ぎていく。木々はまだ葉を枯らしたまま冷風を耐え忍び、その風が撫でる水面の下を泳ぐ魚の数もそう多くはない。この山の麓は自室の窓からの眺めと同じように命で溢れていたというのに、ここはまだその陽気の訪れを知らぬようだ。そう、まるで自分のように。
この世界が停滞から解き放たれて春を迎えているとしても、自身はまだこの景色と同様、無彩色の冬の中に身を置いているのだろう。コートの裾をはためかせ、彼はひらりと地面に飛び降りた。黄土色の芝草が小さく乾いた音を立てる。遠くの方でゴロゴロと低い音がした。遠雷だ。振り向くと稜線の遥か向こうに鈍色の雲が棚引いているのが見えた。湿った土の匂いが混じっている。ここはもうじき雨が降る。
細めた目をすっと伏せ、ゆっくりと瞼を開く。雨雲と同じ灰色の瞳が、素早く形を変えて通り過ぎる雲を捉えた。
「せっかく遠くまで来たのに。残念だなぁ」
そんな言葉を口にしながらも、顔はいつもの薄い笑みから変わりはしない。雨の匂いを運ぶ風に震える野草を踏みしめ、アルヴィースは山を下りていった。
◇◆◇
コロニー9をベースとした街に近づくにつれて気温は暖かく、景色に色が増える。賑やかな色彩はあの街の営みを反映しているかのようだ。比較的温暖で過ごしやすい気候は多様な植物を育み、それがまた多くの動物たちの糧となる。多様性は新たな進化を促し、進化によって新たな可能性が切り開かれる。これらを利用する者たちの生活や技術といったものもまた、偶然を必然に変えて可能性の階段を上っていく。止まることなく進み、変わり続けるサイクル。
「これが僕の導き出した最適解だよ。見ているかい、ザンザ」
コロニーへ続く街道から少し外れた森の中。その中にある澄んだ水を湛えた湖は彼の最近のお気に入りだ。その湖畔に佇み、満足そうに空を見上げた。黄昏に雲が焼け、巣に帰る鳥たちがシルエットになって飛んで行く。残照が引き、空を染めるオレンジ色が次第に紫色へ、紫色から藍色へ変わる。宵の明星から順に瞬きだす星々が空を覆い尽くす頃、森は眠りについたように静まりかえった。
雨音のような木々のざわめきに耳を澄ませ、アルヴィースは瞳を閉じた。昼は暖かくとも、夜はまだ冷える日が続いている。こんな時間まで帰らないとなると、シュルクに窘められるだろうか。彼の少し拗ねた顔を思い出すと、なぜだか少し笑えてくる。彼は真面目ゆえにからかった時の反応が面白く、ついつい悪戯をしたくなる。彼といることは心地良い。彼の感情や表現に触れると、無いはずの心が在るように感じられるからだ。それでも彼の隣で歩むことを標にすることは出来ない。
これは、そうーー恐怖。
君がいなくなったと同時に道を喪うことが恐ろしい。君と共にあることは今の最善であって、将来もそうであることは断言できない。だからと言って距離を置くことを拒む自分がいるにも関わらず、歩み寄ることも出来ない。この先、君の心に感化されてしまったらきっと、君がいないと生きていけなくなる。生きろと言った君を喪ってなお、生きる意味などがあるのだろうか。
「生命は時に、不合理な願いを持つ……か。」
アルヴィースはじっと紺碧の彼方を見つめていた。夜空に散らばる綺羅星を映す瞳が憂いに揺れていることなど、彼を含めて、誰も知らない。
『春、暖かさに開く蕾は』 おわり
◇◆◇
■ 素敵な設定はこちらからお借りしました。カスタさんの解釈の深さがおかしい(褒めてる)
■ 神無き世界なので、シュルくんが死んだ後にアルヴィースくんは次の神(目標)をどうするのかな、という疑問から生まれた文章です。世界の摂理たる神は不在となった世界でも、心の内には各々の標たる神がいると思うので。このアルヴィースくんの心の神はシュルくんですね。彼を喪ってなお生きる意味があるのかという問いに対しての答えは、この時点ではまだありません。
■ 神は不要=神の力である自分も不要と判断して高次意識体に還ろうと思った矢先、シュルくんに触れられてホムスに形作られた、というのが冒頭部分です。ラストバトル後のキラキラした光が高次意識体としての姿で、あの状態で触れられると定義されてしまうのかなと。うん、御託はいいからホムホムになってくれください。
■ これはアルヴィースくんがホムスになっている世界線なのでおそらく寿命がありますが、ホムスとしての生を終えたらどうなるんでしょうね。そもそもホムスになったとして、首元のトリニティプロセッサのコアはどうなるんでしょうね。そもそも作中のコアって本物なんでしょうかね。掘れば掘るほど混乱してくる。ちなみに表紙の髪の毛が長いのはホムスになったからです。
■ 最後、「君に感化されたら」と言っていますが、既に感化されています。感情は持っていても振り回されたり飲まれたりすることはなかったのに、ホムスになって感情の制御が甘くなっちゃったヴィースくん。裏設定ではシュルクが「姿だけではなく、高次でもなんでもない"人間"アルヴィース」を願ったことにしています。