カルみと 『逆鱗』シリーズ番外編
リクエストより
@popo_trpg_ss
暗闇の中を必死に走る。
息が切れて、目の前が霞んで、それでも足を止めることは出来なくて。
辿り着いた行き止まりで、壁を叩いて叫ぶのだ。手のひらが傷つくことも気にせず、ひたすらに助けを求めて。
誰か。誰か誰か誰か。
助けて、ここから出して。
声が枯れて、喉が切れて、血の味が滲んで、それでも叫ぶことをやめないでいた自分の腕が、唐突に背後から掴まれる。
床に引きずり倒されて、見上げた先には無表情のまま自分を見下ろすアンドロイドたちの姿があった。
いやだ。
いやだ、だれか。
「ーーーい!みとい!!!」
唐突に鼓膜を揺らした声に、神無ははっと目を開いた。
額から汗が滑り落ち、荒い呼吸を繰り返す体は震えが止まらない。
自分の肩を掴む手のひらを辿って、恐る恐る顔を上げれば、そこには不安げに神無の顔を覗き込む縞斑の姿があった。
「…か、る……ま……?」
「…うなされてたから、起こしたよ。」
汗を指で払いながら肩を撫でる縞斑の顔を確かめて、神無は両手を彼へと伸ばす。すぐにその意図に気付いた縞斑が、神無の体を抱き寄せた。
ばくばくと鳴り止まない神無の鼓動に、縞斑の落ち着いた心音が重なる。詰まった息を吐き出せば、ようやく安堵を覚えた視界が涙で滲んだ。
「…ぅ、ぁ……っ、う」
「…大丈夫。ここには、君を傷つけるものも、怖いものも、何もない。」
零れ落ちる涙に唇を寄せた縞斑は、そのまま頬や額や鼻先に触れるだけの口付けを落とす。
大丈夫、そう繰り返して背中をあやすように叩くそのゆったりとしたリズムに、神無の心音もようやく落ち着きを取り戻した。
鼻を啜りながら、神無は申し訳なさそうに眉を寄せる。まだ窓の外は暗い、自分がうなされる声で縞斑を起こしてしまったのだろう。
「ごめ…ん…」
「俺がやりたいだけだよ。」
縞斑は気にした様子もなく、神無を支えて一度ベッドの上に座らせた。そうしてサイドテーブルに置かれたペットボトルを手に取ると、蓋を緩めて神無に渡す。
受け取った神無は小さく礼を言うと中身を傾けた。乾いた喉に染み入る温い水の感覚にほうと息を吐くと、ようやくひと心地が着く。
「取り乱してごめん。」
「いいよ、すぐに治るものじゃないでしょ。」
同じようにベッドの上に座る縞斑の肩に身を預け、神無は深呼吸をした。
ここは自分の家で、隣に居るのは大切な人だ。何も怖いことなんてない。そう言い聞かせて、目を閉じる。
何度目か分からないそんな神無の様子を、縞斑は何も言わずに寄り添って見守っていた。
神無は今も、あの日の悪夢に苛まれる。
それは縞斑が居るから大丈夫だなんて、都合の良い話ではなかった。
毎晩のようにシーツを蹴って悲鳴を上げ、飛び起きる度に縞斑はそんな自分にここが安全であることを教えてくれる。
そんな彼の優しさに甘えることは少しだけ申し訳なかったが、再び想いを通じ合わせた日に彼は、一緒に頑張ろう、と言ったのだ。
「…薬とか、そういうのに頼るのも考えなきゃかな。」
「それは最終手段だよ。簡単にやめられなくなるから。」
「そういうもん?」
「経験者の話は聞いておいたほうがいい。」
ひそひそと話し合いながら身を寄せて同じ心音を確かめる。それだけで、心が救われるような気がした。
やがて神無は、うとうとと微睡の淵を彷徨いながら目を閉じる。
「横になる?」
「…もうすこし、このまま」
もう少し縞斑の鼓動を聞いていたくて、神無はそう呟いて身を預けた。そんな彼の背を、縞斑は優しく撫でる。
薄れる意識の中、自分を支える縞斑の腕にふと、彼は朧げな記憶の断片を思い出した。
「狩魔がさ、別れようって言った前の日の夜も……いや、その前もずっとか、こうしてくれてたよな。」
恐怖と罪悪感に侵されて朦朧とする意識の中で、謝り続ける自分を縞斑は何も言わずに抱き締めていた。
その腕に数えきれない夜を抱かれていたことを思い出した神無は、笑みを浮かべて縞斑の肩に擦り寄る。
「あの時も、今も、ありがとう。」
「……君ねぇ、懐が広すぎるでしょ。」
繰り返したあの夜のことを責められこそすれ、感謝されるとは思っていなかった縞斑は思わずそうため息を漏らした。
縞斑がその後に神無に行った所業を比べれば、数夜寄り添っただけの記憶ではとても相殺できるものではないはずだ。
あの時は自分もどうかしていた、そう呟く縞斑の様子を小さく笑った神無は、縞斑の手をとって指を絡める。すぐに握り返された手のひらは温かく、ふわふわと神無の心を素直に解いた。
「でも、ずっと助けようとしてくれたんだろ。」
辛い現実に耐え切れずに逃げ出したくなるときがあることは、神無が一番良く知っている。
それでも縞斑は、神無にもう一度向き合って共に前を向いてくれた。一緒に頑張ろうと、その手をもう一度強く握ってくれた。
それが神無にとってどれほど心の支えとなったかを、縞斑はきっとまだ知らない。
言いたいことを言えたのか、満足げに目を閉じて眠りに身を任せようとする神無の姿を見下ろしていた縞斑は、そんな彼の頭に頭を預けて口を開く。
「ねぇ、神無ちゃん。」
「んー…?」
「…次の公休は朝まで一緒に居たいって言ったら、応えてくれる?」
曖昧に返事をしていた神無は、縞斑の言葉をどうにか眠気と戦いながら噛み砕く。
公休に限らず、最近は非番や出勤日でも縞斑が夜にやってきて朝まで同じベッドで眠ることが多い。今更そんなことに許可など要らないのにと頷きかけた神無はふと、その言葉が指し示す本当の意味に辿り着いた。
思わずその場から飛び退った神無は、急激に熱が集まって火照る頬を押さえて縞斑をじっと見つめる。
「…今の流れで、なんでそうなった?」
「あ、目覚めちゃったか。残念。」
「寝ぼけた恋人から言質取ろうとすんな!!」
思わず吠える神無をまぁまぁと宥めながら、眠れなくなるよと縞斑は彼をベッドに連れ戻した。
誰のせいだと思っているんだと赤い顔のまま言い返そうと口を開く神無だが、背中から抱き締めた縞斑の手が寝かしつけるように神無を撫でる。
「まぁ、俺も男だから。あんまり可愛いこと言われたら大人しくしていられなくて。」
「だからってあんたなぁ…」
「嫌われたくないし、全面的に俺が悪いから、君から誘われるまで待つつもりだったんだけど。」
あの騒動からは、かれこれ一ヶ月が経過している。
上書きをしてほしいと頼んだ神無だったが、縞斑の怪我の治療や、事件の処理に追われているうちに、ここまで曖昧に引き伸ばしてしまった。
神無が良いと言うまで待つつもりだった縞斑から誘うことはなかったため、神無はどうこの話を切り出すべきか今までずっと悩んでいたのだ。
「だめ?」
「それ、は……ええと…」
願ってもいない縞斑からの提案だが、羞恥が邪魔をして素直に頷くことができない神無は思わず口籠る。
縞斑が強請るように神無の首筋に顔を埋めた。過剰に敏感になっているらしい体が、触れる吐息に小さく震える。
「ん…っ、ちょ」
「三十一が欲しい。」
するりと腰を撫でる手のひらは、決して確信には触れようとしない。
待てと命じられた飼い犬のように、神無が首を縦に振るまで歯を立てるつもりはないのだろう。
しかし戯れのような触れ合いだけでも、久しぶりに素肌に触れた縞斑の体温に神無は緊張で爆発してしまいそうだった。
「だめ、じゃ…ない…っから、」
「本当?」
神無が必死でこくこくと首を縦に振れば、縞斑は神無の身に滑らせていた手をぴたりと止める。
名残惜しさを感じた神無は、そんな欲に正直な自分に動揺しながら、平静を装って縞斑の頭を撫でた。
「…約束。次の公休、三日後だから。」
「わかった。約束ね。」
抱き枕のようにきつく神無を抱き寄せて、縞斑は彼に断られなかったことに心の底から安堵する。
冗談を交えて提案したのは、彼なりの保険のつもりだった。もしも神無がまだ恐怖が勝って躊躇う時は、すぐにでも冗談だと誤魔化せるように。
そんな縞斑の弱気な心境などつゆも知らず、眠気が振り返った神無は再びうとうとと微睡に身を彷徨い始める。
背中から伝わる穏やかな温度と心音に身を委ね、沈む意識に神無は身を預けた。
「…おやすみ、三十一。」
柔らかい声が鼓膜を撫でる。
繋いだ手のひらと抱き寄せる腕に縋るように、神無は曖昧な記憶のまま小さく頷いた。
今夜はきっともう、悪夢なんか見ない。
終