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ファントム・ペイン【試し読み】

全体公開 1259文字
2023-01-13 00:28:09

両性愛者の青年と、その友人がどっかでのぼる朝日に思いを馳せる話。敷島のルームメイト、ミッシェルは今日も帰らない。つかず離れずの距離を保っていたふたりが、遠ざかったり近づいたりする夜の最中を描く。2023.1.15文学フリマ京都にて販売する『君は夜に似てわずか』収録作品の冒頭部分試し読みです。

Posted by @IHATOV1933

 一夜


 誰かの腕を抱いて眠るのが好きだ。今夜だけの相手でもいい。女でも、男でもかまわない。ミッシェルにとって、夜は知らない誰かの横でふけるものだ。
 初めて訪れた寝室。だが、もう鼻が慣れて何の匂いも感じない。きっと、最初していた香水の匂いは、自分からもするようになっている。この部屋では余所者だった青年、ミッシェルは抱きこまれるようにして空間に馴染んだ。素肌に触れているシーツは湿度を帯び、すぐ隣に他人の体が存在する。ミッシェルは、そういった事実に足場を崩される気がしながらも、どこか安心して天井を眺めていた。
 ミッシェルはからっぽだ。誰に愛されたいのかも、誰を愛したいのかも分からなかった。彼女だろうか。それとも彼か。いつも、そうして街を行き交う人間をあさる。とっつきやすそうな女の子から、お近づきなるのが難しそうなサラリーマンまで。年下、年上、同じ年頃。女、男、どちらでもない人。ミッシェルにかかれば、どこもかしこも商品が乱雑に陳列されたデパートに過ぎない。手に入れる労力をかんがみて、お買い得か。待てば安くなりそうか。自分に似合うか。長く使えそうか。
 この人こそが、そうかもしれない。思っても期待は潰える。似合わない服を延々と着替え続けている。そうした日々が終わらない。
 足下が不安定なことには慣れているし、むしろ、飛び降りてどこまでも落ちていきたいとすら思っていた。安心したいのだ。もうこれ以上、悪いことはないと思えるところまでいきたい。まだ、もっと足りない。底までいきたいのだ。どん底まで。どんなものにも終わりがある。今は見えないけれど、必ず。
 不規則に外を通る車の音が、室内を掻き混ぜては遠くなるのを繰り返している。目が慣れた闇のなかは、薄明かりのなかと変わりない。視界は青みがかり、カーテンが遮り切れなかった白っぽい光が天井に貼りつく。息絶えるように力なく首を横に倒せば、ベッドサイドに置かれた眼鏡が目に入る。華奢な銀フレームが、今日会ったばかりの持ち主によく似合っていた。
 眼鏡。ミッシェルはルームメイトである留学生、敷島秋のことを考える。かたわらにある洒落たものとは違い、見慣れた野暮ったい黒縁。思い描いた厚いレンズの向こう側で読みとれない感情をたたえた瞳は、こちらを見ない。
 今、彼は何をしているのだろう。今頃は寮にいる時間だ。ふたり用の空間にひとりでいる敷島を想像する。
 ミッシェルがいてもいなくても同じで、いつも通り面白いのか分からない本を読んでいる。大学のレポートをしている。それとも、今夜は遅くまでどこかに出歩いている? 誰かに会っている? それは友人。ひょっとすると女性かもしれない。無害そうな顔をして、彼も僕みたいなことをするのだろうか。思い出せる敷島の姿をなぞって、その輪郭に問いかける。
 ミッシェルは自分の体が存在する場所を避けるように瞼を閉じた。触れたままの他人の腕が、わずかに彼をつなぎ止めていた。

(to be continued


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