X以外のSNSでの投稿にはPrivatter+がおすすめです

ディカイオスの天秤 第9話

全体公開 12571文字
2023-02-08 11:14:43

第9話 正しさのチョイス

Posted by @dika_bal

※本話は暴力的・非倫理的表現を含みますのでご注意ください。全てフィクションとしてお楽しみください。



■1/嗾

──展示室で再会した立浪 たつなみが大鷹の前から立ち去った後。
立浪が廊下に出ると、そこには神代宮が立っていた。
ゆかり
神代宮 かみしろみやが立浪の名前を呼び、両手を広げる。
立浪はそこへ吸い込まれるように膝をつき、ごく自然に縋るように彼女を抱きしめた。彼女も彼女を抱きしめる。頭を抱えてやるように優しく抱きしめる。
神代宮の小さな体はあたたかく、抱きしめられているだけで存在を肯定されているような気さえした。
いつだってさずけ様は優しく尊い。
「あの方が以前にあなたが話していた方でしょう?」
神代宮の穏やかな声に立浪は頷いた。肯定を確認して、神代宮は立浪の頭を柔く撫でる。
「これはチャンスですよ」
……チャンス?」
「そう、これはあなたのための巡り合わせ」
相手から見えないが、神代宮はにこりと微笑む。
「あなたはあの方を深く傷つけているわ。言っていたじゃない、あの方に託してきたと。それはあなたの押しつけで全然正しくないわ。迷惑よ。あなたがあの人を縛っているの」
そうでしょう?と神代宮は優しく問いかけてくる。
いつもと同じ言葉に同じ問いかけ。もう何十回何百回と聞いた。そしていつしか自覚した。ようやくわかった。
その通りなのだ。自分は勝手に全てを押し付けてきたんだ。そう、さずけ様が仰る通り。いつもそう仰る通り、自分が悪いんだ。全て私が悪かったのだ。
私の願いを押し付けたことも、私が間違えてしまったことも、人殺しと何ら変わらない自分も、他人から責められていたのも、刑事になったのも…………生まれてきたことも、生きていることも。
私が存在していること自体が罪なのだ。

「大丈夫。あなたの罪はわたしが全部許すから。だから、あなたはきちんと罪滅ぼしをするの。あなたはあの方と向き合って、『どうすべきが正しい』かを考えるのです」
もうこの人しか私のことをわかってくれない。私を許してくれない。
立浪は更に強く神代宮へと縋り付く。その様子を愛おしげに見下ろしながら、神代宮は優しく優しく頭や肩を撫でる。
「賢い紫はわかっていますものね、どうすればいいのか。もう間違っちゃダメよ。『正しい』ことをするの。そうすれば大丈夫だから」
うんうんと、立浪は何度も何度も頷く。
そう、さずけ様が仰る通りにしていればいいのだ。そうすれば許してもらえる。『大丈夫』なのだ。
私は『大丈夫』になりたいんだ。



⚖第9話 正しさのチョイス



■2/暮

真っ赤な夕日が黄昏の色を連れてくる。
屋上は濃い茜色と瞑色が混じり合った暮相に染まっていた。
風が吹くと壊れたフェンスがギィギィと不協和音を奏で、都会の喧騒がどこか遠くから微かに届いてくる。静寂には成りきれない、世界を切り取ったようで繋がったままの四角い庭。

屋上のコンクリートの床に座り込んだ3人はしばし呆然としていたのだが、人間が落ちたということをようやく理解した案内役の信者の悲痛な悲鳴が遅れたテンポで響き渡った。
大鷹の伸ばした手はそのままコンクリートへとゆるやかに落ちていき、その手のひらにザラザラとした冷たさだけが広がる。接地した部分から熱が奪われているようで、体がどんどんと冷えていく。
駆け縋ってフチから下を見る……立浪がどうなってしまったかを確認する、という勇気は持ち合わせていなかった。
あの人は、今、まさに先程、何と言っていただろうか。
どんな顔で、表情で、どんな声で、どんな……
何も考えたくない、と思考が停止する。現実逃避。痛む頬を風が撫でる。その感覚しかわからない。
眠るように目を閉じる。このまま何もかもなくなってしまえばいいのに。そうすればもう、こんなにくるしいのも、ぜんぶ、ぜんぶなくなるのに。
でもどこかで冷静な自分が、そんなことあるはずもないと言っていた。
世界は、今ここで起こった出来事も関係なく進んでいくのだから。


■3/赦

「賑やかですね」
屋上の扉をくぐって、神代宮がにこやかに微笑む。
「さ、さずけ様! 立浪さんがっ!」
「えぇ、わかっていますよ」
神代宮はそう言うと両手を広げる。するとまるでそれが自然と言わんばかりに、案内役の信者がすぐに膝をついて神代宮へと縋るように抱きついた。
恐怖や不安に涙を流すその人を優しく撫でながら、神代宮は「大丈夫、大丈夫」と穏やかな声音でなだめている。
「怖い思いをしましたね。でも大丈夫。あなたはわたしが守りますから。罪を重ねなければ大丈夫」
何も知らずに見れば何とも慈悲深い光景だろうが、妙に異質さ……というより寒気を感じて桐野は眉をひそめた。

神代宮の落ち着き様が異様なのだ。まるでこうなることがわかっていたかのような振る舞い。一切の動揺を感じさせない。……未来視、なのだろうか。
神代宮は泣きじゃくる信者を懇切丁寧に慰めて、抱え込んだ頭に優しく頬ずりする。
「『大丈夫』。立浪さんは償いの時がきたの。ただそれだけよ。あなたも一緒。怖いことなんてない。『大丈夫』、わたしがちゃんと許すから。あなたの悪いところも、罪も、わたしがあなたを許すわ。償うことができれば『大丈夫』。ほら、怖くない。怖いこともなくなるから。『大丈夫』」
「でも……
「できないの? また悪いことをするの? 罪を重ねるの? あなたはダメなの?」
「そんな!」
顔を上げる信者に向かって、神代宮は慈愛に満ちた微笑みを向ける。
「あなたは"特別"よ。"特別な人"なの。だからわたしもあなたを許したい」
信者の頬に手を添えて、やんわりと撫でた。本当に大切な人を扱うように、彼女は信者に対して愛しさを滲ませながら触れている。
頬に添えられた手に手を重ねて、信者は全幅の信頼の目を神代宮へと向けていた。うっとりと、まるで恋人でも見ているかのような夢うつつな瞳。
「おうちに帰ったらちゃんと連絡してね」
優しくそう言う神代宮に対して、信者は何度も頷いた。
ふらふらと屋上から立ち去る彼女にひらひらと手を振り、信者の姿が屋上から消えると神代宮は続けて大鷹の方へと顔を向ける。

見えていないはずなのに、彼女は正確にそちらを向いた。未だ頭を垂れ、コンクリートに座り込んだままの大鷹の方。真っ黒で光のない瞳は確かに大鷹を見つめているようにも見えた。
そして、杖無しでそろそろとそちらに近づき、やっぱり見えていないのだろうか……パタパタと手を伸ばして近くを探りながら大鷹の体へと触れる。お化け屋敷やミラーハウスに入った人間のように両手を前に伸ばしてペタペタと大鷹の体や頭を触り、体勢などを把握すると、神代宮は先程信者を抱きしめた時のように躊躇なく大鷹を抱きしめた。
「怖かったね。でももう大丈夫よ」

優しく背中に手を回し、緩やかにその背を撫でる。母親が幼子をあやすように、慈しみながらゆったりと。
小さな体や手からあたたかみを感じる。人の優しさの温度がした。
「立浪 紫が死んだのはあなたのせいよ」
だが、急に優しい声音で言い切った。
「どうして止めてあげなかったの? やっぱり恨んでた? 許せなかった? あなたを苦しめるあの女のことを、あなたは憎んでいたの? 勝手な言葉を残して勝手にいなくなって、また勝手に」
「やめてください」
神代宮の言葉に耐えられず声を上げたのは桐野だった。
にこやかな表情のまま神代宮が桐野の方へと顔を向ける。真っ黒な瞳がまっすぐ見つめてくる。
顔はにこやかなのに、何の感情も感じさせない。作り物の人形みたいな顔。
「大鷹から離れてください」
……どうして?」
「心無い言葉を大鷹に向けないでください」
心無い?と神代宮が首を傾げる。
それからまたにっこりとゆったり微笑んで「心無いのはどちらかしら?」と問いかけてきた。
「どうしてこの方をここまで苦しめているの? 本当のことを明確にして、苦しみから解放してあげる方がとても親切よ」
「それは
「可哀想に。誰からも優しくしてもらえなかったのね、あなたも……そしてあなたも」
神代宮は大鷹を柔く抱き寄せながら桐野を見据える。
「あなたも誰かに優しくされたことがないから人に優しくできないのね。ふふ、ご両親を殺されてから他人を信じられなくなった。そんな感じかしら?」
「な……
「誰にも期待できないのでしょう。だって誰も助けてくれなかったから。あまりにも我慢強い子は損よね。周囲が勝手に『大丈夫』だって言うんだもの。そうして誰も助けてくれなくなる。あなたはしっかりしているから、偉いから……勝手な尺度で測られて、あなたを勝手に定義づける。何もしてくれないくせに」
桐野の頭の中で神代宮と会った時の台詞が思い出される。

『わたし視えるのです。人の成り立ち、そしてその人の未来が』

本当に何か見えているというのだろうか。無能力者 ボーダーだとされている人間なのに。
しかし不寝喰の件もあるため、一概にそうだとは言い切れないのを自分は知っている。
この人、神代宮 さずけ という人間は何をどこまで知っているのだろうか。
「『大丈夫』。わたしはあなたも許してあげる。助けてあげる。『大丈夫』にしてあげられる。だから……
真っ暗な瞳を細めて神代宮は微笑む。

「2人とも、わたしと共に歩みませんか?」
空の色は、屋上を染めている色はすっかりと宵闇色へと変わっていた。


■4/昏

「うわ……暗い……
壁をまさぐりながら電気のスイッチを探す。
指に固い物が当たり、それを押すとパチリと音がして天井の照明が光を灯す……のだが、明るさがだいぶ足りない。
「切れかけかな? ついでに報告しよう」
柚葉は、預かったメモと棚を交互に確認して、薬品や資料を探していく。
「えーっと……しー、じゅういちえいちじゅうごえぬ、おー……
たくさん並ぶ薬瓶はどれも同じように感じてしまい、目が滑る。柚葉はむーんと口をへの字に曲げて、真剣に棚の中身を目で追っていく。
しかし専門外過ぎて何がなにやらわからない。間違えないように気を付けなければ……

それにしても……科捜研の建物へ入ったのは初めてだった。それに加えて、本ビルの横にある分所のようになっている3階建ての小さな建物は、薬師寺専用になっているということを聞かされ、更に驚きだった。
もしかしてとは思っていたが、薬師寺さんってすごい人だったんだなと、柚葉は改めてしみじみと自分の課のメンバーの異質さを感じていた。
優秀な人材を集めたというのはあながち嘘でもなく、その中に自分がいることも何だかちょっぴり誇らしくもあり恥ずかしくもあり襟を正す思いだ。
しっかり手伝いをしなければ。勿論、不寝喰さんのためにも。
そう思って、再度棚の方へ目を向けると、ガラス戸の反射で自分の後ろにいる人間……ここに居るはずのない人間と目が合った。

驚きで息をつまらせて反応が遅れた柚葉が振り返ろうとしたその瞬間、思い切り後頭部を殴打された。
それと同時に全身が強く痺れる感覚。
ガフッと勝手に喉が鳴って、口から鮮血が溢れ出した辺りで、もう柚葉の意識はすっ飛んでいた。
そのまま柚葉の体は重力に従って無情にも床へと倒れ伏す。
倒れた瞬間にパッと床に鮮血が広がり、次いでダラダラと後頭部からの出血が床を汚していく。

柚葉の後頭部を殴打しただろう犯人は、それを見下ろしながら感情のない声で「汚い」と言葉をもらし、彼の襟首を乱暴に引っ掴むと、ズルズル引きずりながら部屋の奥にある扉へと向かっていった。

カツン、カツンとピンヒールが床を叩く音と無遠慮に人間を引きずる音だけがその空間に響いていた。


■5/瑣

その後姿を見かけたのは偶然で、その人に対して声をかけなかったのも偶然だった。
丹所はそっとその人の後を車椅子で追っていく。
別に理由はない。何をしているのだろうと気になっただけだった。タイミングを見て声をかけよう、その程度。
誰かの見舞いだろうか。それとも検査の結果でも聞きに来たのか……
そんなことを思いながら気付かれない程度距離を取りつつ、視界に入らないように注意を払う。まるで尾行だが、他愛もない職業病だ。

入院棟の方に来て、だいぶ周囲の人も減った。
やはり誰かの見舞いだろうか。しかしこちら側の棟にGRIMOIREのメンバーは入っていないはずだ。
それにここは……慢性期病棟だ。長期にわたり療養が必要な患者を入院させる病棟で、あまり縁があるとも思えない。
ならばプライベート? 家族や知り合いがそうなのかもしれない。
だが、その人が入っていった病室のネームプレートを見て、丹所は首を傾げた。
そこには『鈴丸 祈』と書かれていたのだから。

機械類や呼吸のわずかな音と花の匂いが充満した病室。
その人はベッドに横たわったままの鈴丸 祈……鈴丸の実の弟を見下ろしていた。
腕や胸元に繋がっている管がどの機械に繋がっているか、何を点滴されているのかそれらを目を動かすだけで確認し、手を伸ばす。

「何やってるんですか?」

丹所の声でその人の動きは止まるが、振り返りはしない。
丹所は病室の入り口からじっとその様子を観察していた。
「その人、鈴丸先輩のご家族ですよね? 何のご用が?」
その問いに答えは返ってこない。
……もしかして、俺ってとってもマズイところに立ち会っちゃってます?」
茶化したようなその発言で、目の前の人物がこちらへと振り返る。
その顔は、表情はいつも通りで、ただ単にお見舞いの現場で鉢合わせしたようだった。
だが、そんなもんじゃないのは感覚で伝わってくる。自分は今、居合わせるべきじゃない瞬間に居る。この人にとって不都合な人間なのだと感じる。

さてどうしたものか。自分は車椅子だし、足は正直まだ使い物にはならない。圧倒的に不利な状況だろう。
顔色一つ変えずに丹所は淡々と現状について考えていた。
ひとまずは病室の中の彼……鈴丸 祈を優先すべきで、今相対しているこの人をこの場から離れさせるか、誰か応援を呼ぶべきなのだが……
あまり良い案は浮かんでいない。
こういう、頭を使って策を練るのは自分の担当ではない。せめて木端さんや鳳条さんが居ればなぁ、なんて軽い現実逃避も織り交ぜつつ、目の前の人物を見つめていた。
そんな丹所に向かって、その人は言葉を投げかける。
「───────。」
……え?」
丹所はその言葉の意味を理解できなかった。何故急にそんなことを言ったのかがわからなかった。
首を傾げる丹所に対してその人は更に言葉を重ねる。
だが丹所は益々首を傾げるばかりだ。そんなことを言われても……無理だ。
相手は丹所の反応が予想外だったのか少し驚いた様子を見せる。
「何がしたいんですか?」
本当にわからなくて、丹所は心からそう聞いた。
しかし質問の答えは返ってこず、逆に質問をされた。
……え? いや特には? うーん?」
そんなことはないと思うんですが、と丹所は片手で己の胸元をこする。
別段心拍に異常は感じないと思う。
そんな丹所の様子を見て、その人は少し考えた後、悩むように首を傾けた。
丹所もそれに倣って無意味に同じ方向へと首を傾ける。
はてさて、本当にどうしたものだろうか。


■6/ さずけ

目が見えない、異能力があるなんて出鱈目だ。
勝手にそう思われているだけで訂正するのも面倒くさいのでそのままにしているだけである。
しっかりと見えているし、わたしに特別な能力はない。
でもそういう振る舞いをしていると、それっぽかった。

物心がついた頃から人を観察するのが好きだった。
人の話を、悩みを聞くのが好きで、人間の"感情"というものを愛していた。
驚く様が、喜ぶ様が、涙を流す様が……誰にも言えない話を吐露する姿が、恋愛感情を顕にする姿が、信頼を寄せる姿が……愛しかった。
人間の感情を左右することが生きがいだと言えるほど好きだった。
人間を理解して共感して優しく抱き込むことが楽しかった。人間の思考をいじくり回すのが楽しかった。
手を触れば、仕草を見れば、大抵の人間性はわかった。
何をしている人間なのか、何を考えているのかを推測し、データに基づいて分類し、後はきちんとした調査やお喋りの内容を覚えているだけでいい。占いや心理学と似たようなものだ。悪い言い方をするのならば、詐欺とも似ている。
如何に人間の感情を揺さぶるか、それを探ることが楽しくて仕方なかった。

様々な手法を試しては、上手く立ち回った。何かに学ぶとかでもなく、ただただ人間と対面してその時々でどう立ち振る舞うべきかに頭を使った。
単純なことだってたくさんやった。
人間は喋ったことのほとんどを忘れている。だからそれを覚えておいて、然るべきタイミングでさも自分だけは相手を理解しているかのように伝えれば、相手は決まってこう言うのだ「なんでわかったの?」と。

それがゲームみたいで面白かった。だからもっともっと何かしたくて、信者の人間をひとりひとり細かく調査して、わたしが知っていないだろうことまで全部調べて、何も知らないフリをして全てを理解しているように振る舞った。
人々はわたしのその振る舞いを異能力だと称した。馬鹿馬鹿しくてしょうもない。気を付ければ誰もができることなのに。
何が人の成り立ちが、未来が視えるだ。そんなものは見たこともない。
わたしはわたしの言葉で人間が感情を動かす さまを愛していただけだ。

いつしか祀り上げられて、わたしは凄い力を持った 選ばれた人間だと扱われていた。
立場に興味はなかったけど、そうであることでわたしの使う言葉には必要以上の力が宿った。
わたしが言葉を発すると、それを特別に扱う人間がとても増えた。わたしは、それでどこまでいけるんだろうって、純粋に気になって気になって……
気が付いたら両親が自死していた。

その死に顔は幸せそうで満足そうだった。だから、まぁいっかって……わたしは次を探した。
そうやって人間を愛して、壊して……お金を集めたり、命をもらったりだとかはただの副産物で……どこまで何ができるのかなってわたしの好奇心は刺激されていた。

大鷹 荘次郎、信者の話で知っていた。
それに少し前のテレビ番組。どんなことを喋っていたか、どんな仕草をしていたか、覚えている。
桐野 藍、彼もそうだ。スタッフにどんな対応をしていたか、どんな声音で喋るのか、覚えている。
幸運なことに調べればいくらでも情報は出てきた。異能力者による惨殺事件、数年前の連続殺人事件の誤認逮捕。
大鷹の方は、そもそも当事者である立浪が近くにいるのだから情報は引き出し放題だった。
知ることは楽しい。人間の行動、選択、顛末はどんな読み物よりも楽しいものだった。
丁寧に調べて、思考して、どんな人かなってわくわくして……
どうやって遊ぼうかな、そう思ってわたしは2人の前で微笑んだんだ。


■7/友

「2人とも、わたしと共に歩みませんか?」
神代宮のその言葉に、ふと思い出す顔があった。
『一緒に沢山の人を笑顔にしよう。ここから楽園を広げていこうよ』
輝くアンバー色の瞳。純粋な自覚なき悪意を滲ませていた男。
またこの台詞を言うことになるとは思わなかった。桐野はシニカルに微笑みながら口を開く。
……俺を、俺たちを助けたいって言うなら、傷を舐め合いながら泥啜ってでも足掻いて生きて、一生手を離さないだけの覚悟を持つんだな」
桐野の言葉に神代宮はキョトンとして何度か瞬きを繰り返す。
「君は誰に対しても"そう"なんだろうけど、俺たちにそれは必要ない。もう出会っているんだ、どうしようもない自分を掬い上げてくれた人間には」
「あら、じゃあお亡くなりになられたみたいですし、席は空きましたね」
神代宮は悪意なくサラリとそう言った。
とんでもねぇ倫理観だな、と桐野は内心で苦笑いする。
「そういう問題じゃない。もうその瞬間は変えようのないものだって話だ。消すことのできないトラウマや怒りや悲しみと同様に、消すことのできない人間がいる。ただそれだけだよ」
だから、と桐野は言葉を続ける。
「大鷹から離れてください。次はないよ」

大鷹 荘次郎は何にもなくなってしまった自分に寄り添ってくれた唯一の人間だった。
両親を亡くして、時間と共にどんどんと降り積もる気持ちや矛盾で動けなくなって、どうすべきかと立ち止まっていた際に背中を押してくれたのは彼だ。
返せないほどの借りができて、その後にあの事件が起こって、あんなにキラキラした顔で「憧れの人が居て、その人みたいな刑事になりたい」と語っていた友人の顔はずっと沈んだままで……
できるだけのことはしたいと純粋に思った。君が俺を助けてくれたように、何か手助けができればいいと思って、彼が寄り添ってくれたように自分も彼に寄り添っていた。
それから何かあるごとに「貸ししかねえから遠慮しねえでさ」なんて言う大鷹が、本当はまだ全然立ち直りきっていないことなんてわかりきってた。だって自分も痛みや傷を抱えたまま立って歩いているんだ。
きっと一緒なんだと思った。どこかで一生一緒に足掻いて生きていく友人だと思っていた。

でも、彼はふと命を投げ出せるようなところまできていたんだ。
当然だけどショックだった。馬鹿だと思った。一緒に足掻いていくもんだと思ってたのに、逃げられそうになったんだ。
駄目なんだ。やっぱり思っているだけでも見守っているだけでも、それじゃ何も伝わりはしない。
手を伸ばして、掴んで、面と向かって言わなきゃいけなかったんだ。
もしかしたらいつか言ってくれるのかと淡く思っていたけれど、そのくらいのことだったら遠の昔に言われていただろう。

「大鷹」
おまえは俺にとって気の置けない友人であり、正しく眩しい刑事であり、何かあればいちいち気にかけてくる心配性なヒーローだよ。
「俺は、おまえの手を一生離す気はないよ。だから、頼るし……頼ってくれよ。おまえは俺に、何でも言っていいんだよ」


■8/想

声がする。優秀で、面倒見がよくて、優しい友人の声。
こんな俺を理解して、命さえも救ってくれた、よっぽど俺なんかよりもすっかり刑事らしくなった親友。
そんな彼が『頼ってくれ』と言ってくれる。『何でも言っていい』と言ってくれる。
あの時、お互い励ましあった時、返しきれないほどの貸しができたのに。
『警官としてここに居るのはおまえのおかげだ』
藍のこの言葉で、唯一誇れた警察官としての自分。誰かを正したり救ったりする刑事にはもうなれないんだと思ったけれど、ただ一人だけ救えていたんだ。
……そうだ、その時にもうこれ以上にコイツが傷つかないように守ってやりたいと思ったんだ。

顔を上げればこちらを見ている藍と目が合った。
先程自分を掴み上げていた必死な顔、言葉を詰まらせて平手を飛ばしてきた顔、普段の微笑む顔、心配そうにしている顔、様々な表情が脳裏をよぎる。
いつから顔を見ていなかっただろう。冷静を欠いて一人で突っ走って、ここまできて……ろくな言葉も交わさずに置いていって置いて逝こうとして、置いて逝かれて……随分と好き勝手していたのに、コイツはまだ俺を心配しているんだ。

バディの過ちにも気付けず、冤罪事件を起こして人を死に追いやってもなお、まだ未練がましく警察を名乗る俺なんかを、馬鹿正直に信じて、手を伸ばしてくれている。
救われるべきではない人間なのに。それでも救いたいと言ってくれる人間がいる。
わからない。正解も正しさも何もかもわからないけど、身を投げかけた時にひとつだけわかったことがある。

……たすけて、藍」

わかったつもりで手を伸ばして何も掴めないのも、中途半端に守られるのも、もう嫌だ。
答えのない雁字搦めの牢獄の中、外から伸ばされる手に大鷹は恐る恐るだが手を伸ばし返した。


■9/答

その言葉をようやく聞けた。
もしかしたらあのちぐはぐな日々からやっと2人並べたような気がした。
気の置けない仲として共にあったはずなのに、言いたいことはつっかえていたのかもしれない。
それは事情だったり、環境だったり、色んな要因はあったのかもしれないけれど。
「勿論だよ」

何があったってもう手を離したりしたくない。親しい誰かを亡くしたくなんかない。
「これ以上失わせないでよ
桐野は小さく小さくつぶやいた。

──あぁ、こうなってしまえばもうつまらない展開だ。
神代宮は冷めた目で光景を見ていた。
これほどまでの繋がりというのは時間をかけて解いていくか、当事者同士が仲違いを行う他ないということを経験上で知っている。まったく、これだから人間の感情というのは面倒くさくて、面白い。そして愛しいのだ。
仕方ない、もう絡め取ることは二の次にして、ただつついて遊ぶか。

「呪われている身のくせに、よく助けてなんて言えたものね。もう刑事なんてやめてしまえば? あなただって正しい刑事になんかなれないのだろうし」
客観的正論だが、おおよそ今日会ったばかりの女子高生に言われるような言葉ではない。
「あぁそうだよ。正しい刑事なんてわからない。"正しい"の意味ですらわからねぇんだから」
人を信頼して生まれるのは甘えで、自己犠牲や他人奉仕は人を幸せにしない。そう思うのも本心だが、それでも信じたいと、手を伸ばしたいと思ってしまう人がいるんだ。
こんな俺を信じて、手を伸ばしてくれる人がいる。
今ある全部を肯定して、否定して、矛盾に苛まれながら、停滞した今から抜け出したい。答えがない問題を永遠考えていたくない。けれども考え続けなければいけない。それが責任であり、義務であり、やるべき命題でもある。
この手にあるものは全て矛盾まみれだ。

「正しさなんてものは一義的なものないし、変容するものだから」
「あー……はい。『自分にとっての正しさの定義も変わっていくだろうから、これから先のことは名言できない』的なお話ですね。わかります」
桐野の言葉を遮って神代宮がつまらなそうに喋りだす。以前インタビューで答えた内容をなぞっているようだ。
はぁ……と神代宮がため息をつくと、遠くからパトカーや救急車のサイレンの音が聞こえてきた。
そろそろお時間ですね、と神代宮が立ち上がる。
「本日はご見学ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
にっこりと最初会った時と同じような愛らしい笑顔を浮かべる神代宮。
立浪の件で調査は入るだろうが、彼女自身の罪の立件は難しいかもしれない。証拠も証言も何も出てこないだろう。
それでも、絶対にその罪を白日の下に晒してやる。
「"正しさ"を持って来てやるよ。首洗って待ってろ」


■10/紫

到着した救急隊員や警察官とやり取りし、調書を取られつつ現場を確認した。
……立浪は残念ながら助からなかった。落ちた瞬間死亡したそうだ。詳しくは解剖にまわされるらしい。
納体袋に入れられる立浪の姿を大鷹はぼんやりと見ていた。
これでもう、本当に、二度と会えなくなったのだ。

今はまだ感情の整理が追いつかず、わずかな虚しさしか感じていないのだが、きっとすぐにでも大きな波のような気持ちに押しつぶされるかもしれない。
どうして自分を置いていったのか、あの当時何があったのか、聞きたかったことも山ほどあった。恨みもした、許せないとも思った。

けれども、憧れた大事な人であることは一生変わることはない。
俺を変えた、たった一人の強くて真っ直ぐで正しい刑事。
それが、立浪 紫という人だった。


もう泣かないと思っていたのに、また勝手に目から涙が溢れてきた。
隣にいる桐野が静かに大鷹の背中を撫でる。
別れは茫漠とした寂寥の中にあった。


■11/闇

はてさて、本当にどうしたものだろうか。
目の前の人物と相対している丹所は割りかし普段より真剣に考える。
考えるのだが、そんな中で急に明かりが消えた。停電だ。
しかしここは病院、すぐに非常用電源に切り替わる。
薄暗い照明の中、院内アナウンスが流れてきた。
『ただいま、原因不明の停電に見舞われております。復旧までしばらくお待ち下さい。なお、非常用電源に切り替わっているため何かしらの装置にトラブルがないかスタッフが現在見回りを行っております。問題のある方、介助が必要な方はお近くのスタッフにお声がけください』
……この停電、もしかして」
尋ね終わる前に相手は口元を歪めて微笑んだ。
これ、結構やばいかもしれないな、と丹所は若干背中に冷たいものを感じるのだった。




⚖第9話 正しさのチョイス 了


【裏CS/HO内容】博愛


『Special thanks』

5963様 @5963_29
未来様 @mirai775
四洋なり様 @siyounari_sh
くろかわ様 @krkw_Create
炉ニ百梨様 @ruriyurironi

ご協力、心より感謝申し上げます。


※この物語はフィクションです。作中に登場する事象・思想・個人名・団体名などは全て架空のものであり、現実のものとは一切の関係がございません。フィクションとしてお楽しみください。


投稿にいいねする


© 2026 Privatter All Rights Reserved.