@saeki_f
第9回 体育祭
厳しい日差しが照り付け、大勢の生徒の歓声が響くグラウンドの角で、零は変わったものを見つけた。
「……何をしとるんじゃ、蓮巳くん」
「その声は朔間さんか?」
蓮巳敬人が、妙な場所に置かれたパイプ椅子に座っていた。ここは生徒会のテントではない。グラウンドから少し外れた場所にある、予備の備品のためのテントだ。仕事中ならこんな所に居てもおかしくはないが、敬人は何をするでもなくただ椅子に座っていた。副会長は今日も多忙だろうに。
思わず何をしているのか問うた零ではあったが、その理由は敬人の様子を見れば明らかだ。
「借り物競争のお題に眼鏡が含まれていたらしくてな……瀬名に持って行かれた。終わるまで動けん」
「どっちを向いて話しておる」
敬人はすっかり明後日の方向を向いて話をする。零もよく知っているが、眼鏡の無い敬人を一人で歩かせるのは危険極まりない。眼鏡を持って行った泉が椅子を用意してやったのは明らかで、彼の優しさが窺い知れた。
「あんたこそ何をしてるんだ?」
「うむ。宇宙一可愛い凛月が我輩の日傘を持ってゴールしたのを最前列で見届けたは良いんじゃけど、流石に日差しが厳しくてのう。それにあの喧騒はちと堪えるから、少し休める場所を探しに来たのじゃ」
前半は聞き流したが、後半は敬人の耳にちゃんと届いた。
「救護テントへ行けば良いだろう」
「あそこは忙しそうにしておったからのう。休むだけなら外の影の方が都合が良かろ」
敬人から零の顔は全く確認できない。しかし声色から普段より弱々しいことが伝わってきた。日の長い時期、こんな明るい時間に零が外を歩いているのは非常に珍しい。年に一度の大イベントとはいえ、彼ら兄弟にとっては気合やテンションだけで乗り切れるものではないだろう。
「まあ、無理はするなよ。ここで倒れられても俺は人すら呼べん」
「お互いさまじゃて。今でこそ座って何もしておらんけど、本来忙しい身じゃろう?」
「体育祭はまだ始まったばかりだ。それに、ドリフェスが無い分かなり楽をさせてもらっている」
ユニットも派閥もなく、今日ばかりはただの一生徒同士。友人らしい穏やかな会話……ではあるのだが。
「あの……そんなに睨まないでほしいんじゃけど」
「仕方ないだろう。これだけ目を細めてやっとそこに誰かいるのが分かる程度なんだ」
せめて零が居る方を向いて喋ろうとした結果、敬人はよくよく目を凝らしてその影を捉えた。本人にそのつもりがなくても、敬人が思いっ切り零を睨みつけているようにしか見えない。
やれやれと零は敬人の正面に立ち、その顎を片手で掴む。
「ほれ、これだけ近付けば見えるじゃろ」
「や、やめんか!」
影に居ることで少しは元気になったのか、敬人をからかうのが楽しいのか。とにかく零はその手を離そうとしない。
敬人は敬人で必死に抵抗して、零の両腕(らしきもの)を掴んで引き剥がそうとするがびくともしない。そんなに元気ならグラウンドに戻ればいいのにと思うほどだ。それだけ近付いて、敬人はやっと零の表情がぼんやりと分かった。完全に悪戯っ子のそれだ。それが更に敬人の苛立ちを加速させる。
そんな現場へ、眼鏡を返しに来た泉が現れた。彼が見たものを要約しよう。人気のない場所で、敬人の顎に手を添えて顔を近付ける零と、零の両腕をしっかり掴む敬人。どこからどう見てもそれは。
(蓮巳が、朔間さんとキスしてる……!)
泉は思わず立ち止まったが、敬人に眼鏡を返さなければならない。のっぴきならない状態で固まっていると、零が泉に気付いた。
「おお瀬名くん、借り物競争が終わったんじゃな。こやつに眼鏡を返してやっておくれ」
「え、ああ、うん、そのために来たんだけどねえ……?」
零は何事もなかったかのように(実際何もなかったのだが)その場を去っていった。競技が終わったということは、委員会のスタッフが次の競技の備品をここへ取りに来るからだ。
瀬名はもはや呆然としながら敬人に眼鏡を返す。何をしていたかなどとても聞けない。誰かに話を聞いてほしくても、そんなことができるわけない。
それから誤解が解けるまでの間、瀬名は一人で悩み続けるのだった。
第10回 デッドマンズ
春とはいえまだ日は短い。放課後ともなれば、油断しているとすぐに日が沈んでしまう。廊下の窓から西日が差し込む美しい景色の中で、俺は今最も会いたくない顔を見た。
朔間零がこちらに向かって歩いてくる。最悪だ。なぜ今こんな所で。向こうも俺に気が付いたようだが、顔などとても見れたものじゃないから定かではない。意識せずとも足は早歩きになった。何も言わずに通り過ぎてしまおうとして、結局それは失敗に終わる。
「無視することねーだろ。冷たいな」
声だけであれば無視して逃げ切れただろう。腕を強く掴まれてはどうしようもない。
冷たい? どっちが? 反射的にそんな言葉が浮かぶ。
「帰国しているとは思わなかったから、亡霊かと思った」
「坊主にしちゃ悪くねえ言い訳だ」
最後に会った時と同じような態度で、同じような距離感で。なぜそんな風にしていられるんだ。
「悪いが、あんたを失ったからには別の筋書きを考えねばならん。構っている暇はないんだ」
近く英智が退院する。それまでに払える露は一掃したかったが、それは叶わなかった。これからのことを考えるために、今日は早く帰宅するつもりだったのに。
朔間さんの力が思いのほか強く、振りほどくことはできない。こうなってしまってはこの人と話をする以外の選択肢は無いようだ。
「失った、ねえ……なるほど。お前はそう思ってんのか」
「どういう意味だ」
相も変わらず意味深な言い回しに尊大な態度。言いたいことが今一つ分からないのも相まって、つい燻ったような物言いになる。
「どっちかっつーと、先に手を離したのはお前の方じゃねーのか? ……いや、元々手なんて繋がれてなかったのかもな」
「何を言っている? 縋る俺を拒絶したのはあんたじゃないか」
だから俺達は道を違ったんじゃないか。ほんの一、二週間ほど前のことなのにもう忘れたのか。この人と話していて苛立つことは多々あったが、今ほどそれが沸騰したことはない。
朔間零が居れば変わる世界があった。俺がこの人と顔を合わせたくないのは、何も嫌な別れ方をしてしまったからという理由だけではない。この人に頼ることしかできない自分の未熟さを思い知るからだ。
「俺と歌ってる時に他の男のことを考えるような奴に従えって言うのか?」
「!!」
殴られたような衝撃だった。本当にどこまでも見透かされている。
あの時、俺は最高の気分だった。実力のある二人と肩を並べて、最高のパフォーマンスをして、全能感すら覚えて。そんなアイドルを愛しているからこそ、学院を正しい方向に導いていくと決めたのだ。英智と共に。それは俺がアイドルをやる意味でもあるのだ。
「この朔間零様と同じステージに立ってそんなこと考えるのはお前くらいだよ」
なんで、あんたがそんな顔をするんだ。そんな……泣きそうな顔。
「俺の好きなお前と、俺を好きなあいつと、最高にロックなライブでさ……あの瞬間だけは【デッドマンズ】なんてダサい名前のユニットも悪くねえと思ったんだけどな」
やめてくれ、そんな顔でそんなことを言わないでくれ。俺だって本当に楽しかったんだ。あんたに言うことを聞いてもらうためだったとしても、あんな舞台は他にない。それだけは悲しい思い出なんかにしないでくれ。
つられて泣きそうになって朔間さんを睨むと、真剣な表情に紅い目が光って見えた。
「お前が俺のものにならないなら、俺もお前のものにならない」
そうか、この人はずっと「俺個人」を好いていてくれたのか。気付いたって今更だが。俺があんたの力だけじゃなくて全てを求めていたら、俺と共に居てくれたのかもしれないな。
だって仕方がない。俺達の目的は学院の浄化であって、朔間さんの力を手に入れるのはその手段に過ぎなかった。俺はまだ何も成していない。この学院に来た以上、やらなければならないことがある。俺は、あんたのものにはなれない。
朔間さんは遂に俺の腕を解放して、突然明るい調子になる。掴まれていた所からじわじわと血液が広がったような気がした。
「ま、従わないだけで何も全部の関係を解消ってわけじゃない。お前が崖から落ちそうになってたら、手を差し伸べるくらいのことはしてやる」
その言葉は矢となって、真っ直ぐ俺の心臓に刺さった。朔間さんはいつもの堂々とした笑みに戻っている。
決別したものと思っていた。俺の目的など全部お見通しで、友人を利用しようとした奴のことなど完全に見放してしまったものだと。なのに、まだ俺に手を差し伸べるつもりでいるのか。今後俺と英智がどんな筋書きを立てようと、友達でいたことだけは壊さずにいるつもりか。何者も見捨てはしないというのか、朔間零!
「じゃ、次はいつ会えるか分かんねーけど。またな、坊主」
何か言い返さねばと思ったが、朔間さんは俺の頭を小突いてするりと闇に消えていった。俺が顔を上げた時には既に影も形もない。結局、一方的に言いたいことを言われただけだ。途中からはもう声も出なかった。
いっそ徹底的に潰された方が楽かもしれない。残酷なまでの優しさが、何もかもあんたに背負わせようとした俺への罰か。
外はすっかり暗くなっていた。
第11回 デート
敬人が帰宅すると、本堂の広い畳の間に朔間零が座っていた。
「遅かったではないか」
昼を過ぎすっかり日も高い。そしてどちらかといえば祓われる側の吸血鬼が寺の中央に座しているのを見て、敬人は自分の目を疑った。眼鏡を外して目を擦ってみるが、やはり景色は変わらない。
「なんじゃ、珍しいことでもなかろ?」
零はさも当然のように言う。
確かに珍しくはなかった。一年前までは。あのライブの後に零が再び海外へ行ったことも相まって、敬人の家に現れることはぱったりなくなっていたのだ。それが突然、昔と変わらず他人の家で寛いでいるのを見れば、目の錯覚かと思っても不思議ではないだろう。
「久々で驚いただけだ。で、何の用だ?」
「ちょっと我輩とデートしておくれ」
「は?」
敬人の眉間に深い皺が刻まれた。何の前触れもなく家に来て、挙句の果てに男同士でデート。何が楽しくてそんなことを、と言おうとした敬人を遮り、零が続ける。
「眠い目擦って起きてきたんじゃ。今日一日くらい付き合ってくれても良いじゃろ」
「いや、なら家で寝ていれば良いだろう」
「男心が分からん奴じゃのう」
正直分かりたくもないと思ったが、敬人は立ち上がった零に腕を引かれて外に連れ出される。
されるがままについて行くと、本堂の横にバイクが横付けされていた。一年前から変わらず、零は同じものに乗り続けている。敬人にとっては懐かしくもあり、少し苦い記憶だ。
「貴様、ここまで乗り入れたのか」
「つべこべ言うでない。ほれ乗った乗った」
零は今にも説教を始めそうな敬人にヘルメットを投げて寄越し、自分の分を被った。もはや選択の余地はないらしく、敬人も諦めてそれを被る。理解不能な行動ではあったが別に断る理由もなく、久々に振り回されてやっても良いかと思ったのだ。
気持ちよく晴れた秋の休日。バイクで風を切るのも悪くない気分だった。
どこに行くと知らされていなかったことに気付いたのはバイクが走り出してからだった。その時には既に遅く、エンジン音と外の音で会話などできたものではない。
無言の二人が到着したのは、敬人も見覚えのある水族館だった。
「奏汰くんともよく来るんじゃよ」
デートと言っておきながら他の男の話をするのか、という突っ込みは敬人の心に仕舞われた。口から出たら面倒なことになりそうな予感がしたのだ。
券を買って中に入ると、薄暗い空間に明るい水槽が並び、それだけで目が癒される。日曜日なだけあってそこそこの人入りで、家族連れが多いようだった。
「そういえば神崎もこの前ここで仕事をしていたな」
奏汰のことを聞いて、海洋生物部のことを思い出す。零と敬人にとっては馴染みの深いメンバーだけに、色々と話を聞く機会が多い。
「今日は仕事のことなど忘れてゆっくりするが良い」
敬人の少し前を歩く零は、後輩に見せるような優しい笑みを向けた。日の当たらない場所に入ったからか顔色も良い。そんな顔をされるとは思っておらず、敬人は動揺を悟られないよう零との距離を少し空けた。
大水槽をしばらく眺めた後、二人は更に暗い部屋の展示に移った。触れ合いコーナーの横も通ったのだが、男二人で子供たちの中に混ざるのは流石に憚られ、遠目に眺めるだけだった。そもそも零は水が得意ではないから、空いていたとしても触っていなかっただろうが。
深海魚コーナーを抜けると、クラゲだけが入った水槽が展示されていた。椅子が設置してあったので二人は並んで腰かける。
「そういえば、蓮巳くんが神崎くんからクラゲセラピーを受けたと聞いたぞい」
クラゲが揺蕩う静かな部屋で、零は小さな声で話す。ここだけは騒いではいけないような雰囲気があり、子供があまり居なかった。
「ああ、部室からクラゲの水槽を持ってきてくれてな」
「良い後輩を持ったではないか」
「頻繁に刀で物事を解決しようとするのは問題だが……まあ、そうだな」
暗い部屋、音のない水槽、ぷかぷかと流されるだけのクラゲ、そして椅子。この上なくリラックスできる場所だ。館内を歩き回ったこともあり、ちょうど良い疲労感がじわじわと体を巡る。
「……クラゲを見ていると動きたくなくなるな。ここに椅子を置いたスタッフは有能だ」
「うむ。このまま寝てしまいそうじゃわい」
「やめんか。寝たら置いて行くぞ」
と言いつつ、二人とも唇以外は指一本動かす気配が無い。
そのまま十分ほどそうしていただろうか。遂に敬人が舟を漕ぎだした。それに気付いた零は、そろそろここを出るかと敬人を起こそうとしたのだが。
たまたま周りには誰も居らず、薄暗い部屋。ちょっとした悪戯心が顔を覗かせた。
何かが触れる感触で敬人は意識を浮上させる。
「蓮巳くん、そろそろ行くかの」
「? あんた、さっき俺に何かしたか?」
「何もしとらんよ」
しかしそう言う零は随分と上機嫌で、「何かしました」と顔に書いて隠そうともしていない。
「バレバレの嘘をつくな!」
「その内分かる。さて、もうすぐ出口かのう」
結局何を言ってもはぐらかされ、敬人がその場で答えを得ることはなかった。
水族館を出て、零が敬人を家まで送った時には日が沈みかけていた。
脱いだヘルメットを零に返しながら、敬人は問う。
「で、あんたは結局何がしたかったんだ?」
「デートじゃよ。最初からそう言うておろう」
「この晴れた日にバイクまで持ち出して、よりによって俺とか?」
奇想天外な行動をする五奇人の頭目とはいえ、今日敬人を連れ出したのには理由があると思ったのだ。だがやはり満足のいく答えは無く、首を捻るばかり。
「は~もう~、分かっておらんのう、この朴念仁」
「なんだと!」
敬人が言い返そうと思った矢先、零がその顔をぐっと近付ける。
「わざわざそれだけのことをするくらいには、おぬしを気にかけておる。休みの日くらい頭を空にして、学生らしく過ごすものじゃよ」
そこまで言われれば、朴念仁と馬鹿にされた敬人にも少しは分かる。零は颯馬のクラゲセラピーの話を聞いて、敬人に癒しの時間をもたらしてくれたようだ。
ただ、零の本心はその後に続く。
「それに、今日一日は我輩のことしか考えなかったじゃろ?」
「!?」
零は近付けていた顔をぱっと離し、自分の帰る準備を始めた。バイクのエンジンをかけ、サドルに座って再び口を開く。
「また誘いに来るぞい。次は寝込みなど襲わんから覚悟しておくことじゃ」
エンジン音はうるさかったはずなのに、敬人には一言一句はっきりと聞こえた。零はそのまま走り去り、すぐに見えなくなる。
そして敬人は、あの部屋で何をされたかをやっと理解するのだった。
第12回 食欲の秋
心地よく涼しい秋の放課後、敬人の携帯に着信があった。画面に表示されたあまりにも珍しい名前に驚いたが、状況からおおよその用件は想像できる。一秒の間をおいて通話ボタンを押した。
『もしもし』
『掃除が終わったから、蓮巳君もおいで』
『?』
それだけ言って電話は切れた。画面には「朔間零 通話:5秒」の文字。おいでと言われずとも、敬人はもう少ししたら零の居る場所へ向かうつもりだった。場所も分かっている。心に何か引っかかるものを感じながら敬人は生徒会室を後にした。
一階に降りて廊下を通り外へ。そろそろ肌寒さを感じる気候になってきた。体の弱い生徒会長のためにも、生徒会室の暖房を入れるべきか。そんなことを考え歩いていたが、次の瞬間に何もかもが吹き飛んだ。
(煙!?)
敬人の向かう方向からうっすらと灰色の煙が立ち上っている。何かが燃える匂いもしてきた。最大限の嫌な予感がして、敬人は煙の足元へと走り出す。
「何をしとるんだ貴様ら!!」
目的地である噴水前、三人の生徒が小さな火を囲んでいた。日々樹渉、深海奏汰、そして敬人に電話を寄越した朔間零。学院にその名を轟かせる三奇人の集合だ。
「見れば分かるじゃろ、たき火」
「おいもをやいてるんですよ~」
奏汰の言う通り、火の中から銀色のものが覗いている。かなり数があるようだ。学校で焼き芋。椚が見たら怒りを通り越して卒倒しそうな風景だが、椚は外部の仕事の引率で終日不在である。
「貴様らには常識というものが無いのか!」
「ちゃんと水場の近くを選びましたよ」
「校内で火を起こすこと自体おかしいと思え!」
けろりとした様子の三人を前に、敬人でさえも目眩がしてきた。三奇人を前に常識を語ること自体が無謀なのだが、それでも彼らの奇行を目にすれば口を出さずにはいられないのが副会長だ。
「ああもう、貴様らとはまともな会話ができん」
しかしこの現状を生んだ原因は、実は敬人にある。
ここで話は三時間ほど前に遡る。
授業時間中にこの三名が「軽くひと暴れ」していることを知った敬人は、その現場を押さえて説教した上で校庭の罰掃除を命じた。緑豊かな校内、この季節は落葉が多く、業者が毎日掃除をしても次の日には同じ量の枯葉が地面を埋め尽くすほどだ。たまには真面目に奉仕活動をしろと言われ、三人は放課後にせっせと落ち葉を集めていたのだった。
その葉を一か所に集めてできた大きな秋色の山を見て、奏汰が思い出したように呟いた。
「そういえばきょう、みどりからさつまいもをたくさんもらったんですよね~」
ビニール袋にゴミを入れようとしていた渉と零の手がぴたりと止まる。
「奏汰くん、もしや」
「このはっぱで『やきいも』しましょう」
真面目な奉仕活動はどこへやら。先ほどまでゴミだと思っていた落ち葉の山が、もはや三人には宝物にさえ見えてきた。怪物と呼ばれてもやはり男子高校生、楽しい事が大好きなのである。
「Amazing! なんたる偶然! では私のマッチで火を起こしましょう。その間に奏汰は芋を持ってきてください。零は調理室からアルミホイルを」
「「は~い」」
そして準備が完了した頃に零が敬人へ電話をかけ、今に至る。
「宗と夏目くんも誘ったんですけどねえ。宗には煙が嫌だと振られちゃいましたし、夏目くんは外で仕事があったようで」
渉が火ばさみで芋を転がしながら話す。零も火の傍にしゃがんで暖をとっている。ちなみに、奏汰は最初からずっと噴水の中に居る。火に近付くと乾燥してしまうからだ。
「しゅうにはあとでとどけてあげましょうね」
(こいつら三人だけでまだ良かった……)
渉と奏汰の言葉を聞いて、敬人は奇人が更に増えなかったことを仏様に深く感謝した。と同時に、妙な電話をかけてきた男を睨みつける。
「朔間さん、なぜ俺を呼んだ」
「掃除が終わったら報告しろと言ったのはおぬしじゃろ」
確かにそうだ。しかしそれならば、敬人が確認して戻った後に火を起こせば良かったのではないか。煙を見つけた時と同じくらいの嫌な予感が敬人の脳裏を過った。
「まあ、要するに監督役じゃ。蓮巳くんが居れば先生に見つかっても言い訳できるからの」
「謀ったな、朔間!」
いつぞやと同じ台詞を吐かずにはいられない。監督と言えば聞こえは良いが、要は共犯者に仕立て上げられてしまったのだから。
気付いても既に遅く、敬人は脱力して恨めし気な目で零を見た。
「昔から、あんたには共犯者にされてばかりだ」
「そう言うおぬしだって、いつも結局は乗ってくるじゃろ」
「まあそうカリカリしないでください。奏汰の芋をあるだけ焼いたので、量が多くて困っていたんですよ」
至って楽しそうにしている三奇人に全てを諦め、敬人は教師がこれに気付かないよう祈ることにした。
葉の大半が黒くなり、煙の匂いに交じった甘い香りが四人の鼻をくすぐる。
「そろそろ食べ頃ですねえ」
渉の声はうきうきとしている。いつも楽しそうな彼だが、今日は一段と声の調子が高い。
アルミホイルに包まれた芋が続々と火の外に出される。甘い香りがはっきりとして、敬人でさえ期待に唾を飲んだ。
「意外と小さいんだな」
「みどりのやおやさんが、のうかさんからもらったんです。ちいさくて『しょうひん』にはならないけど、おいしいからたべてくれって」
奏汰一人にあげた量がこれなら、そもそも高峯家で貰った量は大変なことになっているだろう。奏汰以外の三人には、憂鬱な顔で芋を配り歩く翠の顔がありありと浮かんだ。
言われた通り芋は甘く、小さいのも相まってあっという間に一つ食べきってしまう。
「おいしいですね。あついものはにがてですけど、『やきいも』はかくべつです」
「食欲の秋と言いますが、本当につい食べ過ぎてしまいそうです。奏汰、火傷しないように気を付けてくださいね」
それぞれが秋の味覚に舌鼓を打つ。火は大分小さくなり、奏汰も黒い山の傍へ寄って四人で頭を寄せ合っていた。
「懐かしいのう。子供の頃に住職さんが焼いてくれたのを思い出すわい」
「そんなこともあったな」
零は何の気なしに言ったつもりであったし、敬人も自然と答えていた。だが、他の二人はその言葉に耳を疑った。
「おおっ!? 零の昔話ですか!? これは珍しい」
「口が滑ってしもうた。あまり深く突っ込まんでおくれ」
「え~、むかしからなかよしだったんですか?」
「今も仲が良いような言い方はやめてくれ。偶然が生んだ腐れ縁だ」
そうは言うものの、隣り合った零と敬人は互いにしっくりきているようだ。この二人が存外仲良しだということはあまり知られていないが、こうして並ぶとその見た目だけでそれと分かるほど。
零は突っ込まないでほしいと言ったが、自分でも回想を止められない。
初めて敬人と出会った年の秋、寺の住職、つまり敬人の父親が檀家さんから貰った芋を焼いてくれた。
零は昔から達観した子供だったが、敬人は年相応な子だった。芋が焼けるのを待ちきれず火の周りをうろうろして、住職から拳骨をもらっていたのが懐かしい。子供には大きすぎた芋を半分に分けて食べたことを、敬人はまだ覚えているだろうか。
このほのぼのとした空気の中で掘り起こしたい過去でもないので、零はそれ以上何も言わなかったが。
宗に差し入れる分を残して、芋は四人で全て食べてしまった。火の始末をし、全員で燃えかすを片付ける。
幸いにも教師には見つからなかった。おそらくばれる可能性も低いだろう。敬人にとっては不本意ながら巻き込まれたイベントだったが、決して悪い思い出にはならないだろう。
珍しい組み合わせの四人が一緒に校門を出て行ったことについては、次の日の学院でちょっとした噂になった。
第13回 幸せだった日
零は畳の上に転がり、一枚の写真を眺めながらにこにこと頬を緩ませていた。夜闇の魔王らしさなど欠片も無いような腑抜けた笑顔だ。
「気味が悪いぞ」
そこへ敬人が現れる……というよりも、ここは敬人の家である。呼んだのは敬人の方だが、約束の時間の直前に仕事の電話が入ったために零を待たせていたのだった。
敬人が横に腰を下ろすと零は顔を上げ、先刻と変わらず嬉しさを隠し切れない様子で挨拶する。
「あんたがそこまで喜ぶなんて珍しいな。その写真は何だ?」
「ふふふ、聞きたい? 聞きたい?」
どうせ聞きたくないと言っても勝手に喋り始めるだろうことは十分に予想できたが、敬人は控えめに肯定する。写真が気になったのは事実であるし、こんなに楽しそうな零は滅多に見られるものではない。
零が差し出した写真には、大きなケーキの横に朔間凛月が渋々といった様子で立っている。どこか見覚えのあるものだ。
「嬢ちゃんが開いてくれた我輩の誕生日パーティーでケーキが出たじゃろ? あれ、可愛い凛月が嬢ちゃんと一緒に作ってくれとったんじゃ~」
それで敬人は思い出す。転校生が運んできたケーキは敬人の記憶にも新しく、言われてみれば零は転校生から何かを聞いて大いに驚いていた気がする。
写っている人物から考えて、おそらくこの写真は転校生が零のために撮ったのだろう。
「ああ、あれか。それは良かっ……いや、あんたいつまで余韻を引きずっているんだ!? パーティーはもう一週間以上前だぞ」
「別に良いじゃろ。幸せは長く噛み締めるものじゃよ」
「省エネだな」
零の弟にかける愛情は多大であるし、凛月だから特別なのかもしれない。しかし零が思い出に浸る姿は敬人の目に珍しく映った。敬人から見た零はいつも先のことを考えていて、過去に縋るような人物ではないからだ。
半ば呆れたような敬人の物言いに、零は人差し指を立てる。
「なかなか馬鹿にしたものでもないぞ。良い思い出は足を引っ張ると思われがちじゃが、仕舞い方を間違えなければ自分の活力になる」
「仕舞い方?」
緩み切っていた零の空気が急に張りを取り戻した。不本意ながらオウム返しに聞いてしまった敬人の胸に、零の人差し指が軽く触れる。
「あの日に戻りたい、と思ってはならん。ただそれだけ気を付けておれば、幸せだった日々は自分を支えてくれるのじゃ」
服越しの指先から魔法がかかったように、敬人の心臓が一度だけ大きく動いた。過去、特にここ一年ほど様々なことが起こった。壊して作ってを繰り返し、敬人もまた壊されて作り直すことを経験した。その中には当然、零と過ごした時間も含まれている。
幸せだった日々と零が言うのを聞いて、敬人の中にあった疑問が口から零れ出ていた。
「俺と居た時間も、あんたは幸せだったか?」
言い終わった直後に敬人は自分でも馬鹿なことを聞いたと後悔した。だがずっと腹に抱えていたのだ。好意を持ってくれているからと振り回そうとして、振り回されて、それがこの怪物を不幸にしてはいなかったかと。
敬人が聞かなかったことにしてくれと言う前に、零が答える。心臓を指差していた手を敬人の頭に乗せて。
「我輩は幸せじゃったよ。おぬしが新しい問答を持ち掛けてきた日も、キラキラした眼差しで三味線のレッスンをせがまれた日も、あのライブの日も」
「なぜ忘れてほしいことばかり覚えている……」
やはり言うのではなかったという思いは溜息となって吐き出された。幼少期の記憶は敬人にとって大方が黒歴史で、それを握っている数少ない同級生にそんなことを言われては。
「おぬしは退屈していた我輩に色んなものを持ってきてくれたからのう。ああそうじゃ、告白された日なんか最高に刺激的な一日じゃった」
「忘れろ!!」
特にこの男は急に爆弾を落とす。本人が覚えていてほしくないことに限って、他人は忘れないどころか後生大事に抱えていたりするものだ。敬人はあまりの恥ずかしさに片手で顔を覆った。横から覗きこまれているのは気配で分かっていたが、今の顔は絶対に見られたくはない。甘酸っぱい思い出を語られるなど、男子高校生にはなかなか耐え難い所業だ。
零は髪を撫で続けていた手を離し、顔を隠す手を力ずくでどかせる。全く他人は思い通りに動かない。
「忘れて良いのか?」
紅い視線は意地悪く、この関係がなかったことになっても良いのかと敬人に問う。冗談と分かっていても、ここは流してはいけない場面なのだろう。敬人が零相手に意地を張って良い結果になったことなど無かった。
「……やっぱり駄目だ。忘れるな」
「くくく。素直でよろしい」
零は写真を見ていた時と変わらないほどの上機嫌で、敬人の肩を抱き寄せた。