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船員さんとカラスの話。

全体公開 貿易船 1 4003文字
2015-08-20 01:57:18

貿の魔王様のところの船員さん、痴女カラスと接触(物理)するの巻。

Posted by @san_ph7

 星が夜の暗幕を滑り、ほっそりした白い月が舞台へ昇った。
 船底を波が打つ音が微かに聞こえる他には、音はない。その海に浮かんだ商船のマストのてっぺんにひとつ、男がいた。春はこの船を停める国に訪れてはいなかったようだ。皮膚を刺す冷気から身を守るため、男は毛布に巻かれていた。自分の吐いた息が毛布に阻まれ、内側の表面を湿らせ始める。不快感に眉根を寄せ、仕方なく口元だけを毛布から出した。途端に肺の中が冷たい空気で満ちる。見張りを交代してまだ少し。でも男はもう、眠ってしまいたかった。どうせ誰も来やしない
 どれくらい経ったろう。睡魔と冷気が交互に男を襲っていた。耐えるように閉じられたまぶたが開かれたのは、妙な物音を聞いてのことだった。足音のようだが、どうもおかしい。甲板で舞踏でもしているのかのような、大胆な音だった。この船の主人は国賓の招待を受けて宮殿にでも泊まっているはずであったので、甲板でいくら星と月と踊ろうがこれを怒る者はいない。けれども、男は寝入りそうなところを邪魔されたという腹立たしさでいっぱいだった。静かな夜の闖入者を裁くべく、毛布を纏ったまま、男はするするとマストを降りていった。
 
 男が甲板に降りて、それを見たときにはすでに舞踏は幕引きとなっていた。男は息を飲んだ。床には防寒服を着込んだ男が転がっており、そばにはひとつ影が立っている。その全身のほとんどは黒い羽で覆われていて、手足は鉤爪の鋭い猛禽のそれと似ていた。夜を背負っているようだ。影が男の方を見る。顔にかかった羽の隙間から微かに黄緑色の光が漏れた。獣の瞳が炯々として男を射る。一瞬怯んだが、男は背を丸め腰を落とし、影にいつでも飛びかからんと姿勢をとった。
 影はそんな男に一瞥をくれた後、足元に転がるもう一人の男の襟首を掴み、それを持ち上げた。何をする気だと、当然男は警戒した。
 次の瞬間、暴風のような勢いで影が回った。獲物を掴んだまま、その手は海の方へ。

「!?まっ

 しかし男が止める間もなく、回転の勢いを受けた男の体は宙に放られ、そしてあっけなく落下した。水音が舞台の降板を惜しむかのようにしぶとく残った。船の上には、男がひとつと影がひとつ。
「あの人の船を汚してしまったわ」
 影が独りごちた。聞き覚えのある声だった。男はそれを見る。潮が引くように黒い羽が髪へと集束していく。月明かりに照らされ、一糸まとわぬ白い肌が露わになる。見る間に影は女になった。

「今晩は、船員さん」

何だ、アンタか、と言い終わる前に女が男に飛びついてきた。低い姿勢のままだってので、そのまま後ろに倒れこみ、木の床に背を強か打った。何するんだよ、という抗議は、しかし阻まれる。

「さむーい!」
「そりゃそんな格好してればそうだよっておい!」

 女は白い肌を男の体と毛布の間にするりと滑り込ませた。男の視界は白で遮られた。豊かな乳房が目の前に迫り、男はどきりとする。その様子を見た女が、からかうように笑った。

「船長にどやされるからどいてくれ!」
「あの人今いないでしょう?それに、」

 こんなことで、怒るわけがないわと、女は言った。毛布に引っ張られる形で、男は体を起こされた。自分を不甲斐なく感じたのか、顎を掻く。女はくるりと向きを変え、背を男に預けて丁度男の股の間に納まるように座った。

「船員さん、隙間を空けないで」

 促されて、その細い肩を引き寄せようとしたが、逡巡し、結局毛布で自分の体と女の体を包むように毛布を巻き直した。女は肩を震わせた。笑われたのかそれとも寒かったのか、男は判じかねてため息をついた。辺りはすっかり静寂を取り戻し、月と星は素知らぬ顔で輝いている。凪いだ漆黒の海の遠い潮騒も、届かない。

「何してたんだ、こんな時間に。船長に会いにきたわけじゃなさそうだな」
「変なお客様がうろうろしていたから、おどかしてあげようと思って。騒がしくして、ごめんなさい」

 でも、あなたに見られるなんて、と女は小さく続けた。それに気づかずに、単にしおらしく謝られたと思って男はどぎまぎした。侵入者を見逃したのは自分だ。何だか急に悪いような気がしてくる。

「まぁ、なんだ、俺も気づかなかったのが悪い、よなウン」
「そうよ。しっかりお留守番しなくちゃね。夜は長いんだから」
「なんだって?」
「わたしも見張っててあげる。あなたが眠ってしまっても、大丈夫」
そりゃ助かるよ」

 女はまた肩を震わせた。

「なぁ、アンタ」

 男は女に問うた。

「そのアンタ、船長の女だろう?」
「どうなのかな?」
 
 女は首を傾いだ。誤魔化されたのか、それとも本当に分からないという風なのか。男の方からでは女の表情までは伺えなかったし、この女が船長の時間をよく「買い」に来ることまでは、男は知らなかった。男は構わず続ける。

「こう言っちゃなんだが、うちの船長は」
「舌引っこ抜かれちゃう」
……
「冗談よ」
「からかわないでくれよ」
「あなたを最初から全面的にからかっているつもり」

 掴みどころのない女の話し方に、男はじれったくなった。
「だからよ、その俺から見ても、いい男には見えないぞ」
「美形よ?」
「顔じゃなくてだなー
「悪い男の方が素敵だったりするものよ」
「そういうもんか」
「そういうものよ」

 忠告は退けられた。女は承知の上だという。男は顎を掻いた。余計なお世話だったな、と心の中で呟く。
「さっきのこと、秘密にしてね。あの人には言わないで」
「なんでだ」
「褒められたくてやってるわけじゃないの」
 そういうのじゃないのよ、と女は言った。
 理解しがたい、と男は思った。

「あなたはあの人のこと、よく思ってない?」
「よくというか、自分のボスだしな。俺は仕事ができりゃそれでいい」
「そう」
「あんたは船長のどこがいいんだ」
「悪いところよ」

 まだからかわれているらしい。男は黙った。女はその男の様子を感じて、ますます面白くなったのか嬌笑を上げる。

「あんた、うちの船長のこともそんな風にからかうのかい」
「しないわ。面白くないもの」
「俺は面白いのかよ
「こんなに面白いのは久しぶりと感じるくらいよ」
「そうかい。そりゃ光栄」
あなたはいい人ね」
 
 体の向きを変え、女が振り返る。黄緑色の瞳がある。白い肌が、血色のいい頬が、唇が。

「いい男だと思うわ」
「うちの船長より?」
「それはそうね。あの人は悪い人だから」

 男が白い肌に手を伸ばす。手のひらで体温を感じる。細い首へ。そこから下へ移動させる前に、女に手を制され、男は不貞腐れたような顔をした。女は笑いながら、その手を自分の頬に添えた。無骨な手の親指が慎重そうにそろりと皮膚を撫ぜたものだから、女はくすぐったがった。

「ほら、あの人指が細いでしょう?変な感じね」

 男の頬に白い指が触れる。頬を撫ぜる。顔が近づく。吐息がかかる唇、の横に。暖かさと柔らかさを感じて、男はちょっと面食らった。

「ね」

 ――何がね、だ。
 
 白い腕が首の後ろにまわったものだから、男はその腰を抱き寄せた。冷たい。さっき女が無理やり体の向きを変えたものだから、ふたりを巻いてあった毛布はゆるくなって、温かい空気はどこかへ逃げてしまったようだった。男は急いで毛布をかけ直した。

「寒いわ」
「そうかい」
「このまま眠っても?」
「頼むから船長が戻ってくる前に帰ってくれ」
「そうするわ」

 あたたかい。男はまた、うとうとし始めた。呼吸の音が聞こえる。自分と、それから女の。顔にさらさらと黒くて長い髪がかかる。くすぐったい
 遠くから、うたが聴こえる。男はこの商船に乗って、魔界も聖界も随分色んな所を訪れたが、その記憶のどこでも聞いたことのない言葉だった。心地が良い、不思議な言葉のうたを聴きながら、男はついに意識を手放した。

                 *

 暗幕がはずされ、星も月も太陽の光に霞み見えなくなった頃。

「大丈夫ですか」

 男は船の主に声をかけられ目を覚ました。気を失っていたようだった。何事かを船長に話しかけられてはいるが、覚醒したばかりの頭では判然としない。何故か相棒ふたりは半泣きで、時折船長に叱責されている。
「何が起こったんですか」

 やっとの思いで絞り出した声に、船長は答える。男の服を指した。
 体の正面、腹部から喉にかけて血塗れである。男は勢いよく立ち上がった。眩暈を感じたが、構わない。辺りを見る。血痕は男の周囲の床と、右舷の手すりまでを派手に汚していた。

「私が聞きたいくらいです。まぁ、見れば分かりますけど」
「どういうことですか」

 覚えてないんですかと。呆れたように船長は言った。
 見張り交代の時間を寝過ごした相棒のひとりが、今朝方血塗れのこの男を発見し、そのまま帰ってきた船長に――貿の魔王に伝えたと、この場で起こって判明したことといえばそれだけだった。
 それから、場所はここじゃないですが、と貿の魔王は続ける。

「死体がひとつあがりました」
「俺がやったってことですか」
「そうなんじゃないですか。ご丁寧にナイフまで甲板に放置されていましたし。しかしただのこそ泥相手に傷を負って気絶、その上なにも覚えてないとは」

 不思議ですねぇと、ぶつくさ言いながら貿の魔王は踵を返した。そして、半泣きのふたりに甲板掃除を命じて、さっさと船室へ入ってしまった。男は首を傾げた。自分はどこにも傷を負っていない。でも、晩に何があったか全く分からない――
 なんだかひとり取り残されたような気分で、男は空を見上げた。





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