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ZENCAの夏休み

全体公開 14152文字
2023-02-16 19:25:32

Si-Nis-Kanto カルマキ 2014年8月26日投稿

Posted by @saeki_f

前日


「なあカルロ」
「何だ」
「欲しいものがあるんだけど、用意してくれないか?」
「あ?給料なら十分やってるし、カードで色んな奴らから散々巻き上げてんだろ」
「いや、カルロにしか用意できないんだ」

少しもったいぶるように話し始めたエシカは、いつもよりやや機嫌が良いように見えた。エシカの機嫌が良いのはマキが居る時、あるいは厄介な悪戯を実行する時だとZENCAの人間は知っている。
外から戻ってきて間もないというのに面倒事を持って来られ、カルロは溜息と共に紫煙を吐いた。
大体カルロにしか用意できないものとは何だ。予想がつかないわけではないが、許可を出せそうなものはそうそう無い。

そんな事を考えていると、エシカは抱えていた大量の書類を、派手な音を立てながらカルロの目の前に置いた。
全て処理済みか、後はカルロのチェックを通すだけになっていた。本来であればあと数日はかけて良いはずのものばかりだ。

「明日から三日間の休暇。マキ付きで。ちなみにその分の仕事はもう済んでる」
「前半は許可してやる。後半は却下だ。休暇なら一週間でも一ヶ月でもくれてやるから一人でバカンスしてきやがれ」

カルロが許可を出せない、その最たるものがマキだ。確かにエシカが休むのは痛手になるだろうが、カルロにとってはマキが他の男と……例えそれがマキの親友であっても、一緒に過ごすことの方がよっぽど重大な問題だ。
そんなことはエシカも重々承知なのだが、彼には彼なりの理由がある。引き下がるわけにはいかないのだ。本気でなければ、この量の仕事を終わらせたりはしなかっただろう。

無言で睨みあう二人の間に、明るい笑い声が飛んできた。

「あははは、思った通りの反応だねえ!」

口を挟んだのはヴァレンタインだ。事前にエシカから話を聞いていた彼は、カルロがあまりにも予想とずれないのでいっそ呆れているようにさえ見える。
それに気付いたカルロは視線だけで説明を求めたが、ヴァレンタインは一笑に付して爪の手入れに戻ってしまった。

エシカにしても、決して真正面から頼んで聞き入れられる要求ではないと分かっていた。今はまだ手の内を全て見せていないだけ。カルロもそれを警戒している。
なにせ二人にとってこの世で最も価値のある、今はここに居ない少年の三日間が懸かっているのだ。

「寂しいならジーゴを付けてやってもいいぜ?」
「結構だ」

カルロが全て言い終わるかどうかのタイミングでエシカはばっさりと切り捨てる。カルロの言葉はまだエシカの予想の範疇を超えない。
切られたジーゴはというと、反対側のソファで冷凍庫から取り出したばかりのカップアイスと格闘していた。

「なんだよハニー、つれねえな」
「ジーゴ、今あんたが出てくると話がややこしくなるからちょっと黙っててくれ」

ジーゴもエシカの事情を知っている。それでいてカルロの軽口に付き合うのだから意地の悪いことだ。エシカが軽く睨むと、分かってるよと笑ってやっと一掬いしたアイスを口に入れた。

どうやらこの中で秘密の計画を知らないのはカルロだけの様で、ジーゴもヴァレンタインも今回はエシカ側に付いているような雰囲気だ。

「まあまあボス。エシカからの無茶振りは日常茶飯事だけど、たまの我儘くらい聞いてあげたら?」
「お前がエシカの肩を持つとはな。この計画は一体何だ?」

ヴァレンタインがフォローを入れてみても、答えられない質問が返ってくるだけだった。即座に身を引き、エシカに「後は任せた」とウインクして今度こそ話から離脱してしまった。

カルロが考えるに、ヴァレンタインが肩入れするということは彼の利益に繋がるか、彼にとって面白い事かのどちらかだろう。あれかこれかと候補を挙げてみるが、結局それがマキとエシカの休暇という結論に繋がることは無かった。
というか、考えれば考えるほどカルロには分からないことばかりだ。

「大体、何だこんな突然に三日って。期間も中途半端だし怪しすぎだろ」
「今回はちょっと事情があるんだ。今は言えないんだけど」
「言えねえ様じゃ許可は出せねえな」
「言ったら何もかも台無しなんだよ。たまにはそういう事だってある」

普通の人ならこの辺りで何か気付くはずなのだが、カルロの半生と一般人のそれを比べる方が間違っている。だからこそこの計画は成立するのだ。
恐らく発案者はそんなつもりではなかったとは思うが、全く気付く気配のないカルロを見て確かに最も有効な手段だとエシカも感心した。

カルロを納得させるにはとても説明が足りないが、今の時点ではこれが精いっぱいだ。釈然としないといった様子のボスに対して出来ることは、せいぜい気休めくらいだろう。

「あんたが心配するようなことはしないさ。マキを困らせるだけだから。俺がマキと買い物に行く三時間が、三日になるだけだと思ってくれれば良い」
「そんな事言われて、ハイそうですかと頷く俺だと思うか」
「素直に頷くとは思ってないけど、最終的には許可してくれると思ってるよ。そうじゃなきゃわざわざ許可を取るなんて真似はしない」

確かにその通りだ。たまに思い切った行動をすることはあっても、エシカは勝算のない勝負をするほど愚かではない。そこがカルロの気になるところだった。
強引に話を進めたり、こそこそと隠れたりしない辺り、真面目に対応しようとはしているのだろう。もっともそんなことをしたところで良い結果が得られる訳でもないので、これが最良の方法ではあるのだが。

エシカは勝利を確信しているようだ。まるで何か、今のカルロの意志を一気に覆す切り札を取ってあると言わんばかりだ。
その切り札が何か予想できないカルロではないが、その予想はできれば外れてほしいと願ってやまない。だが可能性としては一番高いし、それ以外の選択肢が見当たらない。

そしてカルロの予想はやはり当たってしまうのだった。
そもそもこのエシカを本気にさせるものなんて、この世に二つとないのだ。

「この前マキに会った時に聞いたんだけど、施設の方に手伝いに来てる人がかなり要領を得てきたらしい。それで少しくらいならまとまった休みが取れそうだから、俺と一緒に出掛けたいって」
……何だって?」

聞き返したわけではないと分かっているのだろうが、普段マキにしか見せないような優しい笑顔でエシカは同じことを繰り返した。

「マキが、俺と、休みを過ごしたいんだって。可愛いマキが言うんなら仕方ないよね?」



一日目


「カルロ!ただいま!」
「おかえりマキ。話したいことがあるから今すぐここに座れ」

カルロは不機嫌に、しかし自分の隣を指し示した。
心当たりのないマキは、首を傾げながらも大人しく示された場所へ腰を下ろした。そこがいつもの定位置で、二人が一番落ち着く状態だ。

「もう、何だよ。急に呼び出してすぐ説教か?」
「説教といえばそうかもね。ボス、結構ご立腹だよ」
「俺、何かしたっけ……

その反応に、カルロは一層眉間の皺を深くした。昨日エシカに爆弾を落とされてからというもの、ショックのような苛立ちのようなものに苛まれて仕事もろくに手がつかなかったというのに。

「お前、まとまった休みが取れたらしいじゃねえか」

藪から棒な言葉に、マキはあからさまにぎくりとした。それもそうだろう。何か理由があるとはいえ、突然今日から友人と休みを過ごす相談をするのだから。

「あ、ああ、今日ちょうどその話をするつもりで」
「もう休みの予定は決まってるらしいな?というか、今日から出掛けるとか。随分と急な話じゃねえか」

カルロはマキの茶色い髪を優しく撫でながら問い詰めていく。これはもう癖のようなもので、どんなに怒っていてもカルロがマキを触る手は優しい。その手は時々白い頬を柔らかくつついたり抓ったりもする。

マキとしては土壇場で話を持ち掛けて勢いで解決するつもりだったのだが、エシカによって阻止されてしまった。それも一応、エシカがマキを思っての行動なのだが、結果としてマキはエシカに出し抜かれてしまう形になった。
怒るというよりは、計画が上手くいかなくて残念といった表情でエシカに視線を向けた。

「エシカ、カルロに話したのか!?」
「ごめんね。でもやっぱり一応先に言っておいた方が良いと思って」

エシカもマキの意志を尊重する気はあったが、いくらなんでもカルロ相手に真っ向から単刀直入の勝負を挑むのは無謀だと思ったのだ。そんなことをしてどうにかなると思っているのは、今や蛮区を去ったユーゴかマキくらいだろう。普通は周到な準備をしてから挑むものだ。

二人のやりとりはまるで恋人同士のようで、本当の恋人であるカルロが面白いと思う訳がない。

「聞くところによれば、エシカと休みを過ごしたいそうだな、マキ。俺に隠れてそんな事をしようとしてたのか」

カルロはマキの後頭部に腕を回し、その手でマキの顔を自分の方へ向かせる。マキは腕一本で簡単にホールドされてしまい、やり場のない視線だけが宙を彷徨う。
カルロの口元こそ笑っているが、サングラスの奥の瞳は笑っていない。しかし敵に向けるような冷ややかな怒りではなく、マキにしか向けない確かな温度がそこにはあった。人はそれを嫉妬の炎と言う。
マキも彼の感情をよく読み取れるだけに非常に気まずそうな顔をする。

「か、隠してたわけじゃない。ちゃんと話そうと思ったんだ」
「で?恋人が他の男と外泊するなんて事を俺が許すとでも?」
「エシカは友達だ!
 ……あんたが何に一番怒ってるかも分かるよ。あんまり連休が取れないのに、その機会に自分よりも友達を優先してるからだろ?」

カルロは言おうと思っていた事も全て通り抜けた本心を見通されて、少しだけたじろぐ。
マキの背後でエシカが切ない顔をしていたが、それに気付いたのはジーゴとヴァレンタインだけだった。

「俺もそれは悪いと思ってる。でも、今回だけはお願いだ。埋め合わせは、近い内に必ずするから」

マキはまっすぐカルロの目を見て言う。嘘偽りのない、意志の強い目だ。
何を計画しているのかは分からないが、やましい事など何もないと訴えてくる。カルロだって本当は分かっているのだ。ただ少し寂しいというか、複雑な気持ちになるだけで。

結局マキのこの視線には、一度だって勝てたことがない。
カルロはしばらく考えた後、深く溜息を吐いた。

……エシカに何かされそうになったら、すぐに呼べよ」

マキの頭を抱える手から、少しだけ力が抜けた。カルロの左手は髪をくしゃりと撫でて、右目の上の傷跡をなぞる。

エシカはというと、許可が出た事への安堵やら余計な心配をするカルロへの苛立ちやら、その他様々な思いを全て飲み込んで咳払いとして吐き出した。

「さっきも言ったけど、そんな事はしないって。そんな不毛な事をするくらいなら、その前にあんたとZENCAの資産や情報を全部黒蓮会に横流しするとかもっとえげつない事をするね」

否定するついでにさらりと恐ろしいことを言うエシカに一同は凍りついた。その隙をついてマキはカルロの腕からすり抜け、この場を支配している友人の後ろに隠れる。やはりもう少し捕まえておくんだったとカルロは内心舌打ちをした。

「という訳で、明後日の夜には戻るから!行こう、エシカ!」
「ああ……と、その前に。ジーゴ」

一刻も早く出掛けたいマキをなだめて、エシカはジーゴを呼び寄せた。胸ポケットから四つ折りの紙切れを取り出してジーゴに渡す。

「何だ?」
「例のメモ。絶対にしくじるなよ」
「おう、任せとけハニー」

ジーゴはほんの一瞬だけ中身を確認すると、素早くズボンのポケットに仕舞った。誰にも見せたくないという様子だ。
例の計画に不可欠なメモだということはカルロにも分かった。マキとエシカがホテルを出たのを確認してから、ジーゴに近付く。

「何を預かった?」
「エシカからのラブレターだ。たとえボスでも見せられねえな」

どう見てもラブレターではなかったのだが、まさか男のズボンのポケットに手を突っ込んで奪う訳にもいかない。ここは大人しく引き下がる他にない。
カルロは計画が何かは知らないが、マキが何かやろうとしているのならばあえて止めることもなかろうと思い始めていた。恐らくカルロが眉根を寄せて考えなければならないような事ではないだろうから。

ジーゴはとても上機嫌で、今にも鼻歌を歌いだしそうだった。やはりジーゴにとって、エシカやマキの存在は特別なのかもしれない。
一方でカルロはまた大きく溜息を吐く。溜息と一緒に幸せが逃げるというのならば、今のカルロは蛮区で一番不幸かもしれないくらいだ。

「全く……付き合いきれねえな……



二日目・午前


「ボスー、早速イライラしないでよ。眉間の皺が取れなくなるよ?」
「ああ?してねえよ」
「鏡見てきた方が良いんじゃない」

結局あの後、カルロは休暇の詳しい予定を聞き出せなかったことを思い出して苛立ちを募らせていた。
遠出するのか近場で過ごすのかも知らず、いつもの通りマキを見守らせている構成員からの報告を待つことしかできない。
ストレスからか、タバコの消費量も二割増しだ。

(くそ、エシカの奴……何を企んでる?)

そろそろ夏も去ろうかという頃だが、まだ蛮区の気温は下がらない。昼前ともなると、外を歩く人が減るほど暑くなる。
今日のカルロは幸いにも日中に出る予定が無く、空調の効いた部屋でエシカの置き土産と格闘していた。

休暇を取ると宣言しただけあって、エシカの仕事は完璧だった。これでは適当な理由をつけて呼び戻すことも不可能で、ストレスは増す一方だ。
ジーゴは今日一日外に出ている。ヴァレンタインは日焼けするからと言って夏には極力外に出ないようにしているが、午後には外出の予定がある。二人とも戻りは夜になるそうだ。

エシカが置いていった仕事は、実はあの場で積まれたものだけではなかった。カルロが仕事で使用している机には、その倍の量の書類が積んであったのだ。体感的には一週間分の仕事だとカルロは思っていたが、実際エシカは確かに余分な量までこなしていた。それもこれも全て、カルロに時間を与えて計画の横槍を入れさせないためだ。
どこまでも出来た子供だと、カルロは机に項垂れた。



少し休憩を挟もうとリビングに出たところで、入口の方から若い構成員がやって来た。カルロを見つけると、すぐに一礼して駆け寄ってくる。
ようやくカルロの口許に笑みが戻った。彼はずっと待ち侘びていた相手なのだ。

丁度良いとばかりにその構成員にコーヒーを淹れさせ、それを飲みながらソファに腰掛けた。

「で、どうなってる?」
「マキ姐さんは昨日ここを出てからすぐエシカさんと中央区の方に行きました。蛮区を出る予定はないようです。
 昨日は普段の休みのように買い物などをして、一度ホテルにチェックインしました。荷物を置いてまたすぐに街へ出て、エシカさんがマキ姐さんにまた色々と買ってあげてました」

彼はマキの動向を見張っている構成員の一人だ。昨日二人が出てからすぐに派遣され、一日おきに報告するよう命令が出ていた。彼もまたマキを慕う人間の一人ではあったが、あまり積極的に話しかける方ではない。代わりに観察力が優れているため尾行役に抜擢されたのだった。

遠出どころか蛮区すら出ていないとはカルロも思わなかった。確かに三日ほどでは大して遠くには行けないだろうが、一般的な休暇の使い方ではないような気がする。手の届く範囲にマキが居ると分かって安心はしたものの、いよいよ何を企んでいるのか分からなくなってきた。

「買った物のリストは」
「こちらです」

カルロが受け取ったメモには、食材や洋服、ちょっとした日用品など普段と変わらない品名が並んでいた。自炊できるタイプのホテルだろうという事は分かったが、マキは料理がからっきしなのでエシカが作ることになるのだろう。絶対に自分の方が料理は上手いのに、とカルロは心の中で呟いた。

観察役の男は、やや緊張してソファの向かい側に立ったまま黙っている。ボスと一対一なのだから無理もないだろう。

「他には」
「流石に部屋の内部は分かりませんでしたが、どうやらホテルの中で何か作業している様ですね。
 二度目の買い物から帰った後は全く外に出ていません。今日も俺の交代時間になるまで部屋から出てきませんでした」

観察して報告するとはいえ、ホテルの部屋の中まで見に行くことはできない。せいぜい近い建物に入って窓から覗くくらいだが、生憎マキ達の部屋の窓がある方面には高い建物が無く、しかもカーテンが半分引かれていて外からは殆ど何も見えないという報告だった。

他に知らされたことといえば、そこそこ高級なホテルでセキュリティもしっかりしているだろうし、見張りの構成員も居るので身の安全については心配いらないという事だ。今回の報告では核心に迫るヒントは得られなかった。また明日の担当者に期待するしかない。

「なるほど、確かに大した事をやろうとしてるって訳でもなさそうだな。だがそれなら何故理由を言わない……?」

この休暇はマキが言い出したのだから、十中八九マキの計画なのだろう。なのでそこにエシカが協力するというのも分かる。
だがカルロに隠す必要性については皆目見当がつかなかった。その上、ジーゴやヴァレンタインまで巻き込んでいるらしい。単なるバカンスではないと状況が物語っている。

この計画は、組織にとっては大したことではないと判断した。だから一応は好きにさせたが、カルロにとってはマキの一挙手一投足全てが大事な意味を持つ。
マキの考えていること、やろうとしていることが分からないというのがただただ歯がゆい。

カルロの独り言に、ヒラの構成員は曖昧に笑う事しかできなかった。



二日目・午後


「お邪魔しまーす」
「よう」
「ヴァレンタイン!ジーゴ!いらっしゃい」

中央区のとあるホテルの一室で、マキは二人の客人を出迎える。
迎えられた二人は、マキの顔を見るなり同時に吹き出した。

「あっははは!頑張ってるみたいだねえ、男前になっちゃって」
「鏡見る暇もねえんだな」
「ん?」

マキは顔からエプロンまで、白い粉や色々なもので汚れていた。きっと作業に夢中で顔のことなど気にならなかったのだろう。
ヴァレンタインに顔を拭かれ、ジーゴにわしわしと頭を撫でられながら、マキは部屋の奥のエシカに声を掛けた。奥から同じようにエプロン姿のエシカが現れ、奥に入るよう促す。

「ああ、来たな。一回休憩しようか」

休憩と聞いた途端、マキの顔がぱっと明るくなる。朝からずっと立ちっぱなしで作業していたので、そろそろ脚が棒になりそうだった。
少し元気になった子供に向け、ヴァレンタインは手に持っていた紙袋を持ち上げて示した。

「ほら、差し入れだよ」

マキが受け取って中を見ると、ハムやチーズとクラッカーが入っていた。ヴァレンタインとしてはここに酒があれば最高だったのだが、今回の目的は宴会ではない。

「今は甘いものなんて見たくもないだろ」
「ありがとう、助かる」

苦笑いを浮かべたエシカを見て、二人は昨日から今日にかけての苦労を思いやった。
ジーゴの言う通り、マキもエシカも朝からずっと甘いものしか口にできていない。しかし大事な時間を無駄に過ごすわけにもいかず、そろそろ胸やけを起こしそうな頃だった。恐らく二人とも体重の増加は避けられないだろう。

マキは紙袋を置いて一度顔を洗いに行き、先ほどのヴァレンタインの言葉を理解した。拭いてもらったとはいえ中々の汚れ具合だ。三角巾を着けていなければ髪まで大変なことになっていただろう。
エプロンを畳んで部屋に戻った時には、既に三人はテーブルを囲んでいた。マキはエシカの隣に座る。

「首尾はどうだ?」
「正直あまり良いとは言えないけど、まあ予想の範囲内だ。ジーゴもただ遊びに来たわけじゃないだろう?」
「まあな」

エシカが用意したコーヒーを啜りながら、四人は明日の計画についての相談を始める。どうやら、予定から大きく外れるような動きは無さそうだ。
カルロは今日一日アジトに缶詰めだし、明日は明日で予定の時間になるまで戻って来れない。他の構成員達も上手く動いてくれている様で、後はマキの腕次第というところだ。進捗は思わしくないが、まだ時間はある。特にジーゴにはこれからきっちり働いてもらわなければならない。

「カルロはどうしてる?」
「ああ、元気すぎてさっきも電話で怒鳴り散らしてたらしいぜ。ありゃ相当ストレス溜まってんな」
「早くマキが帰ってあげないと、眉間の皺が取れなくなっちゃいそう」

それを聞いたマキは仕方がないなと笑う。幸せそうで何よりだと、つられてエシカも顔が緩んだ。
今のカルロには悪いが、ここに居る四人から最高の贈り物が待っているのだから、少しくらい仕事が大変でも文句は言うなよとエシカは思う。逆にこの夏休みの宿題が終わっていなければ、いくらでも邪魔を入れてやろうかとも。

普通は休みの終わり頃に宿題を済ますのだろうが、大人の世界でそれは通用しない。エシカだって休み前にちゃんと終わらせたのだ。

「カルロの心配よりも、今は自分の心配をした方が良いね。それを飲み終わったら再開だよ」
「ええーもうちょっとだけ!」

厳しいエシカ先生に抗議の声を上げたのはマキだ。二十分ほど休憩したが、一度座ってしまうと中々立ち上がれない。正直エシカも疲れてい入るのだが、明日のことを考えると一分ですら惜しい。
何とか立ち上がらせようと思ったところで、援護射撃が飛んできた。

「昨日こっちに来てからずっとやってんだろ?もう少し休んだ方が良いんじゃねえか」
「そうそう、俺達もこのあっつい中の移動で疲れてるし」

全くこの二人はマキに甘い。というよりもZENCA全体がそうだし、エシカだってそうだ。本当はあまりだらだらと休憩すべきではないのだろうが、疲れているマキを見るのは心が痛んで仕方がない。

休んだ方が作業効率は上がるか、確かに胃袋的にはもう少し時間を空けた方が良いか、など完全にエシカの頭は休みを延長する言い訳に傾いていっている。惚れた弱味というか、昔からの癖というか。誰もマキには敵わない。

「あんたらは車で来ただろ……全く、あと十分だけだからね」



三日目

「悪い、ボス。少し行きたい所があるんだが、ちょっと出てきて良いか?」
「ああ。好きにしろ。今日は俺も夕方までは出てる」
「戻るのは6時頃だったか」
「そうだ。何かあるのか?」
「いや、俺もそれまでには戻る」

何もかも予定通り。流石エシカだなとジーゴは心の中で称賛した。



今日のカルロは一日中外を回らなければならなかった。これもエシカが出した夏休みの宿題の一つだ。いらない愛想まで振り撒いたせいで精神的にも疲労が溜まっていたが、今日はマキが帰ってくる予定の日だ。宿題を終えたご褒美くらいは貰っても良いだろうと、いつもより少しだけ軽い気分でホテルへの帰路に就いた。

しかしエレベーターを降りてすぐ、カルロは異変に気付いた。いつもと空気が違う。部屋が妙に静かだ。本能的に身構え、足取りも重く静かになる。
それに気付いた付き添いの構成員は、穏やかにカルロに話しかける。

「大丈夫ですよボス。これは敵の襲撃でも、嫌な来客でもありませんから」
「あ?なんでお前にそんな事が分かる」
「全て、姐さんの指示ですから」
「マキ?」

分かったような口を利く部下を一瞬だけ警戒したが、マキの名前が挙がると注意は別のところに注がれてしまう。ここまで恋人に甘いのも考え物だと、構成員は返事の代わりに苦笑した。
マキは夜になるまで帰って来ないはずだ。何のことかと考える暇も与えず、男はリビングへの扉を開いた。その先に待っていたのは、丸二日ぶりの笑顔。一瞬の静寂の後に、大きな歓声が飛んできた。


「カルロ、誕生日おめでとう!」
「「「おめでとうございます、ボス」」」

そして、ZENCAのほぼ全ての構成員がマキの後ろに並んでいた。

「おかえり。早く座れよ。皆待ってたんだからな」

唖然として動く気配がなかったカルロの腕を、マキが引いていく。拍手と歓声の中を歩き、いつものソファに座らされる。
体が落ち着いてようやく、今の状況に理解が追い付いてきた。

(そうか、今日は……俺の誕生日か)

そもそもそういった記念日を祝う気など無かったし、ここ最近は特に日付など気にせず働きづめの毎日が続いていてすっかり頭から抜けていた。普通なら数日前からそわそわとしていた幹部二人や、妙に何かを隠すエシカやマキの様子で気付いても良さそうなものだが。
自分が気付かないだろうと踏んだ上で計画されたものだったと、カルロはようやく理解した。こんな所で自分の盲点に気付かされるとは思わなかった。

「ちょっと待ってろよ」

カルロが何も言わず座る一方、マキは一度席を離れた。するとにわかに構成員達がそわそわし始める。既に感極まって涙目になっている者さえ居る。
一体何事かと様子を窺っていると、男達の壁が開き一本の道が出来た。キッチンの方から、大きめのケーキを抱えたマキがゆっくりと歩いてくる。

マキが皿を落としてしまわないかと全ての人が親のような気持ちで見守る中、無事にそっとケーキが机の上に乗せられた時には歓声が上がった。

「あんたはきっと、物が欲しいなんて言わないだろうと思ったから……その……ケーキを作ったんだ。
 手作りとか、食べたことないんじゃないかって」

マキは真っ赤になって、しかし嬉しそうにケーキを差し出した。店で売っているものと比べれば見た目は手作り感満載だが、きちんと形にはなっている。
ただカルロの頭をよぎるのは、過去に上等な肉の塊を丸焦げにし、堂々とゆで卵しか作れないと言い張ったマキの記憶だ。

(大丈夫だよボス。この二日でみっちり練習したし、ジーゴ監修の下で作ってるから)

冷や汗を流すカルロの背後で、こそりとヴァレンタインがフォローを入れた。

「甘さは控えめにした、と思うんだけど、食べてくれるか?」

カルロはほんの二日前にマキを疑った自分を力いっぱい殴りたくなった。
いじらしいとは正にこのことを言うのだろう。甘いものが好きではないカルロも、このケーキに関しては一人で完食できる気さえしていた。

「ああ。せっかくこれだけ用意してもらったからな」
「良かった!流石に全員分は難しいかもしれないけど、皆で食べような!」

そして、そんな独占欲も軽く打ち砕くのもまたマキなのだった。

ケーキはカルロとマキ、幹部二人とエシカにまず配られ、残りは非常に小さな欠片を多くの構成員達で奪い合うことになった。

「何ボケっと座ってんだ。食わせてくれるんだろ?」
「え!?え!!?」


まさかそんな事をカルロが要求するとは思っておらず、マキはまた赤面する。二人きりならまだしも、多くの部下に見守られながらケーキを食べさせてあげるなど、恥ずかしくてたまらない。
だが今日の主役に言われたとあっては断るわけにもいかないし、食べてくれるという事だけでマキはとても嬉しかった。その気持ちには応えたい。

「~~~分かったよ。フォーク貸して」

「はい、どうぞ」
「ん」

マキは何となく控えめな量のケーキを乗せたフォークをカルロの口元へと運んだ。
それを見つめる構成員の一部が歯噛みしていたのは言うまでもない。

甘さ控えめであっても、マキのケーキはカルロには十分甘い。しかしそれが不思議と嫌ではなかった。
言われた通り、カルロは手作りのケーキなど食べたことがない。そんな機会も無いし、そもそも他人を信用していなかったカルロが誰かの手料理を食べることなど有り得なかったからだ。
愛や情とは利用するものとばかり思っていたが、子供が作ったケーキにこれほど心動かされるとは、確かにこれは根深いものだと身をもって知る。

「ど、どう?」
……甘いな」
「えっ、まだ甘かったか!?」
「だが、まあ悪くない」

ぱっと顔を明るくしたマキの口に、カルロのフォークが運ばれる。反射的にそれ咥え、もぐもぐと咀嚼した。
カルロは口を閉じたマキの耳元に唇を寄せた。

(ありがとな)

それはマキにしか聞こえない囁きだったが、その一言だけでマキは満たされた。

「誕生日おめでとう、カルロ」
「ん」

マキが改めてお祝いの言葉を贈ると、カルロは少し照れくさそうに笑ってマキの頭を撫でた。

正直なところ、この数日間は実はかなり大変だったのだ。カルロにばれないように必要なものを密かに買い揃えたり、構成員達と連絡を取って計画を立てたり。
中でも一番の苦労はやはり料理だった。エシカに付きっきりで教えてもらったのは勿論、ジーゴにも頼んで猛特訓したのだ。
無類の甘党なだけあって、製菓に関してジーゴはナイフの特訓以上に厳しかった(マキがナイフ以上に調理のセンスが無いというのも原因の一つなのだが)

ジーゴは内心、マキが作ったものならカルロは炭でも食べるのではと思っていたのだが、流石に自分のボスにそんな事をさせるわけにはいかない。
カルロに怪しまれない程度に様子を見に行き、味見と指導の繰り返し。今日になってやっと何とか形になるものが出来た時には、思わずマキを抱き締めてエシカから蹴りを喰らった。

とても大変だったが、誰もが楽しんでいた。



酒が入った構成員の騒ぎが大きくなった頃、輪の中心から抜け出したカルロは、マキに見つからないように一人の構成員を捕まえた。

「おいてめえ、あの報告は嘘か」

マキ達の休暇中に、様子を報告させていた構成員の一人だ。
カルロは猫を被っている時の非常に良い笑顔で、力強く彼の肩を握る。爪を立てているため、傍から見てもかなり痛そうだと分かる。

「す、すみません!マキ姐さんが構成員全員に声をかけて、絶対に秘密にしてほしいと仰って……で、でも!報告は事実に基づいて行ってました!」
「リストはすり替えやがったな?」
「ああああれはエシカさんの指示で!ボスは絶対に尾行を付けるから、担当になったら直接部屋に来いと」

構成員達は全員、この計画を知っていた。いくら情の薄いカルロだからといっても、ホテルでケーキ作りの練習をしているなどとそのまま知らされては絶対に気付いたはずだ。誰が尾行係になっても良いように指示を出し、カルロへの情報だけ操作されていた。意外と大規模できちんと準備された計画だったようだ。

「まあ、今回はマキに免じて許してやる。だが次やったら……
「次、やったら……?」
「一ヶ月、靴磨きだ」

悪戯っぽくウインクをしてみせて、カルロはその場を去った。よほど機嫌が良いらしい。
緊張していた構成員も思わず頬を緩めた。



マキの死角で行われる会話はそれだけではなかった。

「お前、甘いものは好きじゃないって言ってなかったか」

一番の人だかりから少し離れた位置で、エシカはゆっくりとケーキをつついていた。そこへジーゴがやってきて、隣に座る。
エシカは食べかけのケーキを見つめ、目を伏せて笑う。

「マキが初めてゆで卵以外のまともな料理を作れたんだ。まあ、親心みたいなものかな」

寂しいような、慈しむような笑みは、エシカがマキに対してだけ見せる表情だった。
ジーゴ(というかマキ以外)はエシカの気持ちを知っているだけに、時折彼の様子を窺うような視線を投げていた。
他の誰もが近付こうとしない領域に、ジーゴはあえて足を踏み入れる。

「つくづく損な男だな、エシカ」
「そうだな。でも、俺はあんた達が思ってるよりも現状に満足してるよ」
「?」
「絶望的な場所から解放されて、俺の能力を活かせる場所があって、自由にヴァイオリンが弾けて、マキが近くに居る。
 学園に居た頃と比べれば、ここは天国だ」

マキの幸せはエシカの幸せだ。そのためなら、恋敵の誕生日を祝う準備なんて造作もない。
それに、エシカは多少なりともカルロ達に感謝していた。
自力ではどうしようもないと思われた将来へのレールを取っ払って、何もできない子供だったエシカに権力を与えてくれた。
マキを幸せにしてくれるのならば、その隣に居るのは自分でなくても構わない。エシカはそうして自分を律することができる人間だ。

……そうか。そうだったな。俺も、お前らがここに来てくれて良かったと思ってる」

ジーゴは感謝の念を込めて銀色の髪をぽんぽんと撫で、その手が叩き落される前に離した。



「あ、あのさ、カルロ」
「どうした?」

隣に戻ってきたカルロに対し、マキは袖を引いておずおずと話かける。

「俺さ、実はまだ休み残ってるんだ」
「?」

完全に初耳だ。カルロはてっきり、明日の朝には仕事に戻ってしまうものだと思っていた。

「だから、その……あと五日、ここに居られるんだけど……

これこそがマキのプレゼントであり、休みを取る時にカルロと約束した「埋め合わせ」だ。
カルロはエシカの宿題を終わらせたので、いつもよりは多少余裕がある。こちらはエシカからのプレゼントだ。
せっかく貰ったのだから、今回くらいは面倒な仕事を全て放り投げても良いだろう。カルロは空いた両腕で強くマキを抱き締め、明日からの予定に思いを馳せることにした。



「さてと、俺の休みは今日で終わりなんだけど、マキの休みは実はまだ五日ある」
「? ああ、それは知ってる」
「ということは、カルロがこの先五日は何もしないことになるだろうな」
「確かにな。マキがこの前言ってた埋め合わせってやつか。それで?」
「その間、どれだけの仕事が降ってくると思う?」

想像して、ジーゴはハッと青ざめた。有能なボスが居てさえ忙しい組織だ。そんなボスに何日も空けられれば、どんな状態になるかは火を見るよりも明らかだ。
椅子から腰を上げようとしたジーゴだったが、エシカに肩を押さえられ完全に捕まってしまった。

「逃がさないから。ヴァレンタインにもそう伝えて」

(まあ、マキとゆっくり過ごせたお礼って事にしてやるよ。ただ、戻ってきた後は容赦しないからな)


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