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古沢良太に書かせるべきは大河ではなく○○○○

全体公開 761 5398文字
2023-02-24 02:25:29

始まって早々賛否両論雨あられのどうする家康、1話だけネットで見て後は録画して時間ある時に見てました。
で、とりあえず7話冒頭まで見て思ったんですが、これキャラの心情やエピソードがきちんと繋がってないですね。いや繋げようとしてるのは分かるしストーリーは繋がってるんだけど、いわゆる連ドラ、連続性のあるヒューマンドラマになってない。
それで気付いたけど、この脚本家さんが今までヒットさせてきた名作、相棒やコンフィデンスマンやリーガルハイって主に「単発」のストーリーで続いてきたやつなんですよね。「初めから個性的なキャラ」を1話ないし2~3話に納まるコンパクトなお話の中で活躍させる単発エピソードの名手。マンガで言うならこち亀とかドラえもんとか、そういう系統の話。これが大河と異常なまでに相性が悪い。
ハッキリ気付いたのは4話でしたかね、お市の方が出てきた回。

冒頭で溺れる水中の演出(伏線)

紫禁城で信長にお市を娶れと言われるが家康は断りたい

空気読んだお市が自分の方から断る

実はお市の初恋は家康だったと判明(伏線回収)

この流れが1話内で綺麗に「完結」してしまっている。冒頭で伏線を張り、ラストシーンで伏線回収する、これはどちらかといえば、大河というより単発エピソードの作り方なんですね。
せっかく「お市の初恋が家康」というオリジナル設定を作ったのに、史実でお市の方に横恋慕していた説がある秀吉がなんかモブだったというか、サイコ気味にこそ見えたものの家康とあまり絡まなくて非常にもったいなかった。
これがもし連ドラを書き慣れた脚本家だったら、冒頭でお市の初恋が家康だったと提示して、信長がお市と家康を娶せようとしたことで家康と秀吉の間になんらかの確執を生み、何話か後の(←ここ重要)小牧・長久手の戦い後の和議で

「あの時、家康殿がお市様を娶っておられれば今頃は家康殿が天下人におなりでしょうに……お市さまも死なずに済んだでしょうに!!」

と血走った目で叫ぶ秀吉……みたいな描写をしたかもしれない。大河の醍醐味ってそういう感じですよね。伏線は1話の中で回収しなくていいし、何なら投げっぱなしで何話か後に回収してもいい。そこに生まれるエモさやノスタルジーがドラマになる。秀吉が桶狭間の解説をして家康が愕然とするシーンは良い感じでした。

青天を衝けや鎌倉殿を見た人なら分かると思いますが、大河の中に単発エピソードってそうそう無いんですよ。何故なら人生は続いていくものだから。創作キャラは作品の中にしか生きてないけど、大河のキャラは実際に生きていた人。生まれてから死ぬまで続いていく彼らの人生は、本来、単発エピソードにはできないんです。
でも古沢さんはそれをやっている。恐らく今までの成功体験から、家康の人生を一つ一つの出来事ごとに「ここからここまで」と切り取ってストーリーにしている。そのこと自体は別に構わないんです、長生き家康の生涯を全部ドラマ化するには時間が足りない。ある程度の省略は当然。
問題は、家康の人生エピソードを切り取ると同時に、キャラの感情をも区切ってしまっていること。そのため、話数が増えるごとに家康の性格が掴みにくくなっているんですね。

例えば1話では三河の人々にうんざり顔だった家康が、2話ではいきなり覚醒して「儂が守るんじゃ!」と言い出す。しかしそこに至るまでに起きた出来事はといえば、それまで大して仲良くもなかった本田忠勝との対話と、初対面の坊主から仏教用語を教えてもらった程度。切腹を思いとどまって覚醒する動機としてはちょっと弱い。
あれがもし「初めから自分に好意的な三河の人々が好きだった(だから守りたい)」とか、「この時点で既に本田忠勝と強い絆で結ばれた主従だった(だから彼の涙が刺さった)」とか、「幼い頃から仏教に傾倒して木彫りの兎と同じくらい数珠を大事にしてた(だから仏教用語に感動した)」とか、あのシーンに繋がるようなエピソードを踏まえていれば自然に見えたでしょう。
しかしそれが無い。まだ2話目ということもあり、本来は生きるか死ぬかの瀬戸際の話のはずが、シリアスとコミカルを掛け合わせたフラットな話になっていた。一度は死のうとまで思い詰めていた家康が奮起した理由がフワッとしていて、説得力に欠けるのです。

今川を裏切って信長につく時の決め手も、収穫に精を出す農民の姿を見せながら家臣二人が土下座するだけ。あれをやるなら、その前に民が今川からの独立をどれほど喜んでいるかをもっと分かりやすく描き、加えて家康と家臣の絆も強固なものにしておかなければなりません。
農作業中の領民を遠くから見せて「民が活気づいているでしょう」とか言われても、そもそも今川支配下の民がどれだけ疲弊していたのかが1話の粗末な食事くらいにしか描写されていないのでピンとこないし、何の絆も無い家臣の説得が家康の心を動かすこともできません(特に後々離反する家臣は今のうちに家康と仲が良さそうな描写をしておいた方が良いでしょう。主従の絆を構築しておかなくては、いざ裏切り展開を描いた時に視聴者からさもありなんと思われ、意外性が無くなってしまいます。)
「儂は今川の家臣じゃ!!」「妻子の元に帰るんじゃ!!」と頑なに叫ぶ家康を翻意させるなら、今川や妻子と同等か、それ以上に家康への影響力を持ったキャラの説得でないと無理です。いっそ信長の軍を見た直後に「信長様に勝つのは無理だ!!儂は今川を切る!!」と言わせていた方がまだ説得力ありましたよね。信長様の影響力はトラウマレベルのようですし。

どうする家康、というタイトル通り決断を迫られた家康が歩むべき道を選ぶには、彼に強い影響力を及ぼす何かが必要なはずです。今川への忠義と妻子への愛を振り切り、家康の心を変えたのは何か。そこを描けなければ、家康が何故翻意したのか、何故そんな決断を下したのか説得力が出ない。そして、そのような話が積み重なっていくほどに、視聴者は家康がどんな人間か分からなくなっていくのです。彼が何を考え、何を信じ、何を尊び、何を愛しているのか。分からないから魅力を感じず、徳川家康という人間ではなく、ストーリーのために動くマリオネットを見ている気分になる。

これは完全に「大河ドラマ」という形式と脚本家の相性の悪さが原因です。

大河のドラマ性は、様々な出来事を経て「変わっていく」キャラの立場や「変わっていく」キャラの性格、史実……つまり「既存のエピソード」をどう解釈し、どう見せるかにあります。
でも古沢さんのヒット作のキャラは「変わらない」ことこそが魅力。「変わらない」「いつもの」個性的なメンバーが繰り広げる「斬新なエピソード」で魅せてきた人。「回を重ねるごとに変わっていくキャラ」「人生のように連続性のあるストーリー」を彼は書き慣れていないんです。
だから家康と瀬名も6話までの時点で結構な波乱万丈やってる割に、7話冒頭では何事も無かったかのようにおしどり夫婦をやっている。特に瀬名に至っては、夫の「今川から離反する」という判断のために(少なくとも処刑シーンで泣き叫ぶ程度には)親しかった家臣の妻子や、挙句には実の両親まで喪ったというのに、夫に恨み言ひとついわずニコニコしながら「可愛い愛妻」をやっている。(関口夫妻生存の可能性もなくは無いけど、そうするとあの涙の別れがとんだ茶番だったことになるんですよね……
これは、2話から6話までの「今川からの独立と妻子奪還」というストーリーが単発エピソードとして描かれたためです。「相棒」の右京さんがどんなに悲しい事件と遭遇しても、次の話ではそれを引きずることなく新たな事件に当たっているのと同じ。
本来、連続したドラマ性を楽しむはずの大河で、エピソードとともにキャラの感情までも区切ってしまっている。だから瀬名も我が身に起きた悲劇を引きずっていない。どころか、重い話が続いたからこの辺りでちょっと明るく行こう!とばかりにコミカルな演技になっている。
そしてそれは、大河ドラマを見るつもりでいた視聴者に「あれ、前回瀬名の両親が殺されたの夢だったんかな?」と思わせるような違和感として映る。

これは古沢さんのせいじゃない、彼に脚本を書かせると決めた人(プロデューサーとかですか?)のミスです。脚本家の得意不得意、向き不向きを全く理解せず、今までヒット作を生み出してきた脚本家なら大丈夫だろう……と安易に考えたのでしょうか。古沢さんは慣れない長編ストーリー作りで超がんばってるけど、残念ながら彼に書かせるべきは大河じゃなくて水戸黄門なんですわ。暴れん坊将軍なんですわ。大岡越前なんですわ。
そういう単発エピソードなら多分めちゃめちゃ面白い話を書いてくれたと思う。才能ある人には、より相応しい場所を与えていただきたいものです。



……とまあここまで言っといてなんですが、「なら今期の大河はハズレかー」と諦めるのはまだ早いと申し上げておきましょう。
というのもこの「どうする家康」。実は今までの大河には無かった古沢さんならではの特色があるんですよね。
それは、

1話から追いかけて「いない」新規の視聴者ほど楽しめる

という極めて珍しい作りになっていること。例えば、

1話でみすぼらしい領民に眉をひそめていた家康を知らなければ、2話でいきなり「儂が守る!」と言い出す家康にも違和感を覚えません。むしろ家康が領民を大事に思っているように見えるでしょう。
2話で岡崎に帰りたがる家臣に向かって「儂の妻子は駿府におる!!」と何の配慮もなく怒鳴り返す家康を見ていなければ、3話で数正たちの説得に応じて今川から離反する家康もすんなり納得できる。
3話までの今川と駿府の妻子にこだわり、信長に激しい拒絶反応を示す家康を見ていなければ、4話で今川を滅ぼす、妻子は自力で取り戻すと信長に啖呵を切る家康を見て、その豹変ぶりに驚くこともありません。
4話の啖呵や2話で松平昌久に騙されたシーンを見ていなければ、5話でぽっと出の怪しい本多ケンイチに妻子救出の望みを賭ける家康に「おいおい大丈夫かよ、また騙されるんじゃないの?ていうかあんな啖呵切っといて自分は無策なんかい」と内心突っ込むこともない。
5話の第一回救出作戦を見ていなければ、6話を見ても、いや初めからこの作戦で行けよ前回の忍者完全な無駄死にだったじゃねーか!!とも思わない。
そして、6話で両親と涙ながらに今生の別れをする瀬名を見ていなければ、7話冒頭で何事も無かったかのようにラブラブおしどり夫婦をやっている家康夫妻に違和感を感じずに済む……という、

律儀に全話追いかけている視聴者ほど家康の変化についていけなくなり、「今回から見てみようかな」と軽い気持ちで入ってきた新規の視聴者ほど面白く感じる

という、単発エピソードの名手ならではの非常に特異な作品になっているんですね……
それが大河ドラマとして吉と出るか凶と出るかは今のところ未知数。ただ今期の大河、この「どうする家康」を楽しむためのヒントはここにあります。
それはズバリ、

今週の話を見たら来週までに内容を大体全部忘れておく

これです。
これができればこの「どうする家康」は面白い。ストーリーも忘れて大丈夫です、冒頭で前回のあらすじ教えてくれるから。家康をはじめ各キャラの心情変化の唐突さは気にせず、純粋に話の展開のみに焦点を絞るのです。
麒麟・青天・鎌倉殿と連ドラ形式の大河に慣れた視聴者にとってはついて行くのがちょっと大変かもしれませんが、せっかくの大河、払った受信料分は楽しんだ方がお得でしょう。重い大河があるなら軽い大河があっても良いではないですか。
情勢の変化激しく、昨日の敵が今日の友、その逆もしかりな戦国時代は、一つ一つの戦やエピソードをじっくり書くと時間がいくらあっても足りず、結果的に「この戦には何話も使ったのにこの戦は省略」とか「この人についてはじっくり書いたのにこの人はナレ死だった」など、どうしてもアンバランスになりがちです。
ならばいっそのこと、全てのキャラの心境変化や情緒的な部分は最低限にとどめ、次から次に起こる戦や事件をシリアスとコミカル織り交ぜて落語のように描くのも一つの手。
更に言えば、前回の悲劇が無かったことのように振舞うキャラが出てくると言うことは、逆に前回まで幸せそうだったおしどり夫婦が、突然すれ違ったり、愛を憎悪に翻す展開もあり得るわけで(それもまた戦国大河……。)
それに、前回の話を見ていない方が楽しめるという作りは、忙しくてウッカリ見逃した、録画予約しそびれたーという視聴者にとっては大変助かる親切仕様。これまで「1話から続けて見てないと面白くないから」「毎週追いかけるの大変だから」と大河を敬遠していた視聴者層の新規開拓も狙えるでしょう。〇話で脱落した、もういいやと思って切った、という人も、気が向いた時に見て見ると意外に面白く感じるかもしれません。
これもまた令和という新しい時代の大河。鎌倉殿では毎回見るたびに胃壁に穴が開きそうでしたが、今回は肩の力を抜いて楽しめそうですね。


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