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Venom

全体公開 1 8049文字
2023-03-10 22:24:28

再録本書き下ろし・イアコス編。おしみなく見せる残り。ガバッと。

「仲間を守ること。それが一番大切なことだ」
「守りきれなかったらどうするの?」
「逃げるんだよ」

「ガンスリンガーとリベリオンの違いって何かわかる?」
 そう言うハネスはリベリオンだ。言い終えたあと、もう一度と気合を入れて、途中だった鉄格子をねじ切った。
「強さ?」
 答えるイアコスはガンスリンガー。まだ少年の域を出ず、新品の大型カッターを渡されてもまず手に余り、ハネスほど早くは切断できない。鉄を切るには純粋に力が必要なのだ。ハネスはもう充分に大人でもある。
「そんな見ればわかるような安直な話じゃないんだよタコくんめ。リベリオンはガンスリンガーと違ってアーミーってこった。一人じゃない。数は力だ。俺たちの任務はどんなものでも、仲間を守ることが前提なんだよ」
「勝つこと、とかではなく」
「ストッピングパワーが強ければ結果的に防御にもなるだろ。攻撃は最大の防御。仲間を守り、数を保持しておくのが良い。そのための力だ。自軍が無事なら、いずれ勝てる」
「けど、負けた記録はあるんスよね?」
 バチン、とまた一本、音を立てて鉄棒が切れた。生意気盛りのイアコスも口を噤む。
「そういう時ゃ逃げるんだよ。仲間を逃がして再起を図る。自分も頭数だってのも忘れるな」
 続いてついでのようにサラリと「昨日ここで状況が起こり、仲間は撤退した」という重要な情報を吐いた。思わずイアコスの手が止まる。
……その現場をまた破ろうとしてるって事ですねこれ?」
「そういうことになるな。……んな顔するな。今から説明はしてやるから」

 ユウコ知ってる? いや何で知らないんだよ。いい女なのに。ライフルタイプの凄腕でさ、キツくて強くて最高なの。アマツ女が大人しいってのはウソだな。とても信じられない。俺のカノジョなんだけど。俺と二人で最強コンビなのよこれが。
 そのユウコと昨日、ここに来た。他には三人のチムメンと、あと面倒みてる新人一人。全部で六人だな。
 駆り出されたのは、この炭鉱がどうも様子がおかしいから見てきてくれってことだった。ここは生産量が落ちたってんで少し前に放棄された穴だったんだが、別段閉じたりはしていなかったんだ。だからあまり実害は出てなかったんだが、最近、野暮用でここに潜った炭鉱夫がいた。三人。そしたらだ。何があったのかは知らないがそいつら、三人とも血まみれのツルハシ握って死んでたそうだ。体も血まみれ。理由は知らんが、ケンカでもしたのかと思われた。
 三人の遺族は嘆いて花を手向けにやってきた。そしたら今度はその三人の細君と五人の子供が死んだ。全員、頭をかち割られていた。血まみれの岩を握りこんで。ミステリーだな。やりあったんだろうか。遺族感情? しかし、最初に死んだ三人も、普段は別段、仲たがいをしていたわけではないらしい。仮に親は激高したとしても、子供までが向かってきたヤツを殺すまで殴ろうだなんてなかなか思わないだろうから。
 現場検証しにいった公安二人組までもが死体になって出てきたあたりで、こっちに話が回ってきた。何か、強い魔物がいるのか、それとも本当に仲間割れか、調べてくれないかってこと。
 魔物なら問題ない、俺たちで風穴開けてやりゃいいだけのことだ。仲間割れだと、どうだろう。証拠が出ればいいけどな。例えば、取り合うほどのよっぽどなお宝が発掘されたとか。噂に聞く、ユミルのナンタラだとか。
 ところがまあ、何もない。お宝もモンスターも。なぁんにもない。まあ石炭も出ないから閉じたんだしな。しょぼい穴ってだけだった。どうする、一旦帰って報告するか? そんな話をしていた頃、「あっ!」て声を上げた。ユウコが。
 あまりに何もないもんだし、掘りつくした炭鉱は無意味に広いもんだから、手分けしての作業中だった。俺とユウコは二人っきりだった。だから、この時のユウコを見ていたのは俺だけだった。
「おい、どうした」
 って聞いたんだ、俺は。怪我でもしたのかなって。だって、腕上げて叫んだっきり動かなくなったからな。ユウコが見てた辺りは、機材の配線があった。古いやつだしな、断線しているところもあったかもしれない。感電してなくても、ヘタに触ったらヤバそうな金属片もあったし。
「手でも切った?」
「切った。どうしよう、これ……
 ユウコは驚いたような顔をこっちに向けて、すぐまた向こうを向いた。なんか様子がヘンだった。肩で息してアイツは言ったんだ、「わかった」って。
「わかったって、何がだ。ミステリーのタネか?」
「そう」
 あくまで大真面目にユウコは言った。からかい半分で聞いた俺の笑いは宙に浮いて、置き場がなくなった。
「で、なんだった? やっぱユミルの……
「うるさい!」
 振り向きざま、ユウコは脇にあったペール缶を蹴飛ばした。サビてたからか、元から開いてたのか、缶は中身の液剤を巻き散らして転がった。水とは違う刺激臭がした。
 驚いたのは液体の入ったクソ重いペール缶を転がした力の入れようだ。犬くらい蹴り殺せそう。ユウコは明らかに怒りの頂点にいた。普段から着火剤な彼女だけど、これは最高に理由がわからない。
……おい、大丈夫か?」
 むしろ心配になって声をかけると、ユウコは問答無用で銃を弾いた。地面に向かって。
 べろりと地面を走った炎が立ち上がる。カーサでも生まれたのかと思うくらい舞い上がった炎は、余計な黒煙も多く巻き上げていた。見るからに危険なやつだ。ケミカルな匂いが、燃焼して消えていく。
『撤退! 撤退よ! 急いで逃げて!』
 聞こえてきたのはパーティ会話だ。ユウコの叫ぶ声。炎の向こうにいるはずの姿は全く見えない。
「ぅおっ、なんだこれヤバ」
「みんな口元押さえてろ、煙は吸うな!」
「ハネスしっかりして、行くよ!」
 声に寄せられて集った仲間たちが炎を見てビビり、俺の腕を引いている。情けないが、仲間が来るまで炎の奥を眺めて固まっていたらしい。動かされてやっと我に返った。……お陰で火傷せずに済んだな。呆然としてた時間がなかったら、即座に炎に突っ込んでたろうから。
「ユウコ! ユウコ!」
「何してんだよハネさん危ないよ!」
「この先にユウコが……!」
「道は奥でも繋がってる、無事だよ! 回ってくるだけだから、いいからハネスこっちに来い!」
 仲間に引きずられるようにして俺は炎から遠ざけられた。ユウコが追いかけてくる気配はまだ来ない。
 出口への通路が見えてくる。外の明かりと新鮮な空気は歓迎できるが、俺は手前のフロアでゴネた。
「ちょっと待てって! 仲間置いて逃げるわけにはいかねえだろ!」
「扉が!」
 一人が悲鳴のような声を上げた。入口通路とフロアを遮断する格子扉が閉まろうとしている。古いやつだから音もデカい。ぎりぎり……ぎりぎり……と、閉まろうかどうしようか迷うような音。
 みんなまた、慌てて走り出した。俺は扉を潜る一歩手前で、ふと思った。これ、手動のやつでは?
 振り返ってみたら、部屋の隅だ。煙が薄れて姿が見えた。ユウコだ。古びた、何やらわからんボタンや配線の垂れた鉄パネルの前で、全力を込めて手回しハンドルに抱き着き、力比べをしている。
 ふとユウコと目があった。怒りに燃える瞳をしていた。仲間が襟首掴んで引っ張ってくれなかったら、動けなかった俺はプレスされて薄切りハムになっていたかもしれない。すごい勢いで格子扉は閉まり、金属と岩のぶつかる衝撃音が鳴り響いた。
 続いてユウコの咆哮。あれは何の感情だろう。恨みにも口惜しさにも、苛立ちにも聞こえる割れた音。
 ヒステリーに支配されてユウコは暴れていた。頭を掻きむしって、地団駄を踏んで、地面に転がってまで。まず尋常じゃないのはわかる。みんな呆然とそれを見ているしかなかった。ユウコはひとしきり暴れた後に、ゆらり立ち上がり案外冷静な声を出した。
「早く行って。戻ってこないで。そして上には伝えて。私は死んだと」
「どういうことだ」
 俺も、思ったより冷静に聞けた。みんな黙ってるのは、まあ、ここは俺が喋るのが妥当だと思ってくれたんだろうな。そこはありがたいわ。
「わからない。ヴェノム……だと思ったけど違うかもしれない。それくらい痛かったの。何か別の毒かもしれないし、意思なのかもしれない。幽霊なのかも。わかっているのは、今、私は、アンタたちを、殺したい」
 息が荒くなってきた。
「誰でもいいから殺したい目の前にいる生き物が許せないみんなそうやって殺しあったんだ、全部わかった殺しあったんだ殺したい殺したい殺す」
 本気なのは飛んできた鉛玉でわかる。いつものユウコ相手だったらやられていたかもしれないが、感情に振り回されていたためにアクションが大仰で、俺たちは壁向こうに身を隠すことができた。絶命を願う直接的な言葉を喚きながらライフル乱射するなんて、おおよそらしくない。あるいは、手心かもしれなかったが。
 壁際ケズって、扉の縁もぼこぼこにして、外付けの開閉レバーも破壊したあと、猛攻はようやく止まった。
 しんとした空気の中で仲間たちと顔を見合わせていると、落ち着いたユウコの声で「ハネス」と呼ばれた……意外に近い距離から。
……おう」
 返事をすると、格子の間からぬっと腕が付き出された。手には帽子が握られている。共和国の。
「あげる」
……買ったばっかりて言ってたやつじゃん」
「そうよ。汚さないでね」
「ユウコのが似合うぞ?」
「そう思うわ」
 帽子を受け取ると、手は引っ込んだ。
「二人以上いるから争いになる。わかるでしょ。これで解決よ。こいつは私が引き受けた。ほら、帰って。二分後にまだそこにいるようなら、次は絶対殺すわ」
 言い捨てて、走り去る足音が聞こえ、それきり……

……で?」
 あえての確認はしておくべきだろう。イアコスは嫌々先を促してみた。
 事情はよくわかった。こんな陰気そうな廃鉱につれてこられて閉じた入口こじ開けようとしているのも、始めに帽子を被ったハネスに「あれ、買ったんですか」と声を掛けたときに「貰いもの」と答えたのも、それはもう理解できた。けれども。
「でー、今朝までは耳打ちが通じてたんだ。途切れ途切れだけどな。正気と狂気の狭間で。正解はどれだろう。毒腺、自然毒、ガス、そんなら解毒すればどうにかなるかもしれないよな? 解毒剤は一通りそろえてきたんだわ。で、あとは見えない何かだった時の場合」
 ほらイヤな単語が含まれた。イアコスは顔を顰め、横目でハネスを伺う。
「もしかして、それで俺を連れてきた……?」
 にやぁ、と笑うその顔が答えだ。
「イアコスくんさぁ、色々と『目がいい』らしいなあ? 先輩のお役に立てて嬉しいな? な? 頼むよ、俺が殊勝にもの頼むことあんま無いんだぜー? カワイイ女の子紹介してやるからさぁ」
 すっごく割に合わない気がする、と呟いてささやかな抵抗を示したイアコスだったが、当然聞き入れてもらえず、ほらよ、とズッシリとした荷包みを手渡された。
「いい女ってのは、命くらい懸けたいって思えるもんだぞ。未来の投資だと思えよ。じゃあそっちの設置頼むわ」
 力不足ではかばかしくない仕事のカッターを下に置き、イアコスは手の中のものを見た。混合爆薬と雷管だった。
「扉の上の方にぐるっとな。最悪の場合、出口を塞ぐように」
 それからハネスは天気の話題ほどの深刻さもなく、ごくごく軽く言った。
「起爆装置は、イアコスくん持っててな」

 二人は暗い鉱内を慎重に進んだ。ハンドサインで行先を決め、足音も殺して静かに、静かに。
 ただ掘り進めた道などはあまりに何もなく、狙撃手が潜むと分かっている場所の行軍としてはリスクが高すぎる。せめても盾になるような砂山や木箱のある部屋を選んで先を行く。
 それは唐突にやってきた。単発、弾けた発砲音と同時に、ハネスの太腿から血が飛沫いた。
「ぐぁ!」
 警戒して障害物近くにいたのを幸い、ハネスは倒れこむように、使い古したツルハシが無造作に入った樽の後ろに身を隠した。イアコスも反対側に飛び退き、砂山の後ろに隠れる。
「ハネスさん!」
「問題ない!」
 ハネスは血の溢れる傷に手を当て、引き抜いたベルトで腿を縛った。
 居た。だが視認はできなかった。奥の方は薄暗い。やる気でいるのは最初の挨拶で解るが。
「ユウコー! ちょっと出てきて顔見せてー! 久しぶりだから顔見たいわー!」
 答えはない。物音の一つも。
「イアコスくーん。どんな感じー?」
 少し息が荒くなってきたハネスが小声で聞いてきた。どんな感じ、というのは先刻の、イアコスを連れてきた理由というあたりだろう。イアコスは首を横に振った。
「よくわかんないっす。もとから空気悪いし、そんな気配がしなくもないけど原因かどうかは……遠いだけかもしれないけど」
「うーん、解毒剤が効くって前向きに考えようか。援護して」
 最後の一言はほぼ口パクで、銃を振って見せる。イアコスは頷き、可能な限り低い位置から銃を構え……
「ぅおっ!」
 手元がバチリと弾かれ、驚いて身を引いた。性能のいい狙撃だ。強い。
「よく見てますね……
「いい女だろー?」
 ハネスは辺りに目をやり、樽から溢れて地面に転がされていたツルハシを手にとった。それから帽子を脱いで柄の先にちょいと引っかける。イアコスは了承の証に頷いてみせた。
「よし、援護しろ」
「はい!」
 今度はあちらにも聞こえるように声に出す。銃撃戦がまた始まった。イアコスとしては必死なのだが、やはりハイレベルのセッションに交じるのはキツい。しばし撃ち合った後、ハネスはツルハシをそっと樽の後ろに立てかけ、身を低くして離脱した。もう腹を括るしかない。
 樽からチラリとはみ出る帽子を狙い、ライフル弾が飛んでくる。その隙を狙ってイアコスは狙撃手の居ると思しき方向に思い切り弾丸を叩きこんだ。少しでも引けばすぐに付け込まれるだろう。
 銃撃戦の中、帽子は二発目で吹き飛ばされた。早い。
 ほぼ直感的に、イアコスは身を引いた。音と熱を引いて、凶弾が顔の真横を突き抜ける。毫ほどの迷う時間があったなら、今頃はひっくり返って痙攣し、死に捕えられた者のダンスを踊っていただろう。
 砂山に背中をつけ、イアコスは助かった幸運と、主導権を手放した状況に喘いだ。そうして気づく、砂利を踏む靴音に。荒い呼吸が止まるほど、銃をきつく握りしめる。距離を詰められている。まだ手もないガンスリンガーだと侮られたか、随分と恐れげなく歩いてくる音だ。
 体勢を変えようと身じろぐと、物音に合わせて鋭い射撃が応えてきた。うかつに動けない。試しに撃鉄を立ててみると、威嚇の三倍ほどの威力で動きを止められる。止まらない攻撃にただ縮こまり、時を待つしかなかった。反撃のチャンス、あるいは……銃口がこめかみに押し当てられる「積み」の時を。
 と、迫りくる恐怖の足音が急に乱れ、人の争う音に取って代わった。イアコスはハッとして顔を上げる。
 そっと物陰から顔を出してみると、ハネスが揉みあいになっていた女性のリベリオンを引き倒すところだった。間に合った。先刻は通らなかったが、細い通路が横道としてこのルートに繋がっていることを知っていたのが転機だった。
「ハネスさん!」
 駆け寄ろうとしてふと気づき、イアコスは先に飛ばされた帽子を拾い上げた。ユウコは取り押さえた。もう、この場の安全は確保できただろう。そう思えた。
「なぁんだ……
 組み敷くユウコを眺め、ハネスはしんみりと笑った。
「ユウコお前、もうダメだったか」
 よく見れば彼女の肌は白く、また、青い血管が浮いていた。今の戦闘でか、その前に自分で暴れていたのか、体にいくつか傷を作り、そのどれもが緑青色に汚れている。一番酷い傷は頭だった。片目が潰れ、頭蓋の一部を欠いたむき出しの内面から、青い血肉が糸を引いていた。
「イメチェンのしすぎなんだよなあ」
「ハネスさん……
「あ、それ以上こっちに来るんじゃねぇぞ……もう解毒剤って段階じゃなさそうだしな」
 ……そうだろうな、とイアコスは思った。人ではなくなった何かが、こと切れていないだけだ。抵抗の意思をみせて野猿のように高く吼える様が物悲しい。キィヤアアアア、とまた鳴いた彼女に緩やかな微笑みを見せて、
「うん、愛してるぜ?」
 ハネスは引き金を引いた。ユウコの胸が弾け、青の血煙が立ち込めた。至近距離でそれを浴びるハネスは元より悪かった顔色をもっと青く染め、力なく地面に転がった彼女は、まさに憑き物が落ちたように白く、穏やかな顔をしていた。死者にはせめてもの慰めだろう。
……イアコス」
「はい……
「それ、やるよ」
 イアコスは一瞬遅れて、胸に抱いていた共和国の帽子に目を落とした。
「返そうと思ったのにさぁ。これじゃ被れないもんなぁ。だからまだピヨピヨくんなキミが大事なこと忘れないように、やるよ。それを見るたび思い出せよ。いいか。教えたろ、大事なこと」
「えっと……仲間を守ること……ですか」
「そう。あと負ける戦は逃げること。それから」
 ゆらりとハネスは立ち上がった。酒にでも酔っているように天井を見上げる頭は固定せず、薄ら笑いを浮かべながら言葉を続けている。
「大切な相手を守るためにはな。クレバーでなきゃならないんだ。分かるか? ヤバい時にどれだけ正気を保っていられるかが鍵になる。何があっても、感情に足を取られるな」
 向き合うハネスに何故か気圧され、イアコスは一歩下がった。銃を持ち直す微かな音が聞こえるほど、ここはもう静かだ。
 緊張を漲らせるイアコスにハネスはニヤリと笑ってみせ、犬に見せるように手を振った。
「もう行けよ。自分のやるべき事、ちゃんと解ってるだろ?」
……ハネス……さんは……
「ヤボ言うなお前、恋する男女が二人きりになったらそりゃ、ヤること一つだろが」
 答えのない時間は、一秒半だけ待てた。
「死にてぇか!」
 向けられる銃口、それから怒号に押されて、イアコスは身を翻した。
 逃げるイアコスの背中が、掲げて見るフロントサイトから外れていく。ハネスは歯噛みしながらも、死んだ女の事を考えてはうっすらと口の端を持ち上げた。
 ユウコはやっぱすげえよ、この誘惑に耐えるんだもんな。
 誰もいなくなり、ようやく震える腕を下ろす。
 死んだ女は赤い血溜りに浸り、穏やかな眠りについているようだった。傷だらけではあったけれど。あー、とハネスは唸り、色の悪い自分の頬を撫でる。
「ヴェノム……

 イアコスは走った。出口の明かりが見えてきたところで、一発の銃声が後ろに聞こえた。
 思わず立ち止まる。続いて何かの倒れる音。あとは静寂。
 振り返りそうになったが、その気持ちはなんとか押しとどめた。悪意に意思があるならば、追いかけてくるかもしれないと気づいたためでもある。
 フロアを抜け、こじ開けた格子扉を潜って、真っ直ぐな通路を駆けた。ポケットから起爆装置を取り出し、外の光を見つめたままに手の中のボタンを握りしめる。
 ドン、と重く響く爆発音。一瞬の閃光。埃っぽい追い風に背中を押されて、イアコスは外の世界へとダイブした。
 頭を抱えて身を伏せるイアコスの上に、砂と小石がパラパラ落ちてくる。断続的な地響きも終わった辺りで、イアコスはそっと今来た道に目をやった。
 ガラガラと、まだ拳ほどの岩が落ちている。奥の道は落盤を起こし、道を完全に塞いでいるようだった。
 ……あとはよそ吹く風と、晴れ渡った太陽の光。鳥の鳴く声。そして、薄く砂を被った、共和国の帽子があった。
 




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