出会った頃の多喜と湊 慣れるまで。
@lianmiso
背広をハンガーに掛けると、多喜は背伸びをする。バスに揺られて1時間、大荷物を運び、30分。合計1時間30分の移動距離は今までの勤務に合わせて多喜の体には少々きついものがある。荷物や背広から解放され、やっと体を伸ばせた。心地の良い波の打ちつける音が耳を打つ。
旅館潮騒。その名の通りの宿だ。
机の上に先程置いたキーのナンバーは424。透き通った水色の細長いプラスチックに表の海を思わす濃い青で宿名と刻まれている。この宿に相応しい色だ。窓の下に打ち寄せる波は砕けていくたび白い飛沫を上げた。磯の匂いが鼻を擽る。聞いた話だと磯の香りはプランクトンの多さによるものと同僚から聞いた。海産物の美味さを予測させる。夕飯が楽しみだ。
しょっぱそうな濃い青色の海は遊ぶのに向いてなさそうと思ったが、遠くではサーファーたちで賑っている。今は春先だ。冷たくないのだろうか?
「多喜さん、お茶が、入りました。」
静かな声が耳を打つ。おっかなびっくり湊が多喜にお茶を差し出す。茶托と茶碗がカタカタ音を立てた。手が震えている。
「ああ、ありがとう。」
親子で旅行というのは建前。
多喜と湊は歳が離れど同じ会社に所属しており同僚。
旅館の湯が以前と湯質が違いすぎるので調べて欲しいという依頼でやってきた。
2人だけではない。
旅館で自分のチームと合流する予定であり、一番最初に旅館に到着したのは雨辻湊であった。若旦那のご厚意により、先に部屋に入っていた。顔合わせからしばらくすれど会うたびすぐに硬直していた。今、お茶を入れるようになったのは年功序列か慣れか人の良さか。
「うん、美味しい。」
多喜が茶を啜ると、嬉しそうに湊が笑った。多喜は机に肘付き、湊は壁に背を預けている。
………まだまだ多喜と湊の距離は遠い。
今まで多喜は内勤。湊含む残りのメンバーはは現場で接点が薄かった。友好を深めるにはちょうどいい機会だ。湊は窓から顔を出して遠くの風景を眺め、太陽の光を浴びている。
「烏島の海とはだいぶ違うね。」
多喜が湊の隣に立つ。もう少しすれば陽は海に沈む。見慣れた東響や烏島の風景とは異なる風景が見れるであろう。潮の香りも違う。
「烏島の海はこんなに岩場がありませんし、遠浅ですよね。」
「釣れる魚も違うのかな?」
「多喜さんは釣りを、やられるのですか?」
「やったことはないかな。どちらかと言うと荊木山の方。湊くんは烏島か。」
「いや、僕、生まれは………沖名和、です。」
「沖名和か。海に縁深いんだね。」
「どの海も違いがあって、おもしろいですね。山も気になります。」
「今度連れて行ってあげるよ。津久葉山の周りにはおいしいかりんとう饅頭を出す店があって揚げたてが美味しいんだ。」
「それは是非とも、食べてみたいです。」
結局、チームの面々は夜に間に合わなかった。部屋に届けられた食事は旅館潮騒の名の通り、新鮮な魚介類が卓上に並ぶ。新鮮なマイワシの刺身やよく煮られたアナゴはふんわりとして程よく甘辛い。意外なのは山の幸も充実していたことだ。こりこりとした山クラゲの中華風胡麻和えやフキノトウの天ぷら、新鮮なタケノコの刺身も楽しめる。県としては醤油が有名なだけあって、強い塩味にふくよかな旨味と香りが広がる。酒が進むラインナップで喉元まで地酒の名前が出掛けたが、咳払いと共に飲み込んだ。
「もしかしてお酒?」
「ああ、うん。お酒飲むとすぐ眠くなっちゃうから。」
「ここ、お部屋ですからだいじょぶ、ですよ?」
「…………いや、やめておこう。行かないといけない。」
多喜がメニューを置いた。名残惜しく多喜が銘柄の名をなぞる。
「こういうのは事件が解決してからの方が美味いだろうからね。」
なるべく茶目っ気たっぷりにウインクをすると、湊がぽかんとする。少し間があいた後、湊は激しく頷いた。
「その時は一緒に乾杯だ。湊くんも好きなもの食べるといいよ。考えておいてね。」
深夜。
不定形な形の黒っぽい石が集められているタイルを2人で歩く。ぺたぺたとスリッパの底がタイルを叩いた。
「嘘だといいんだけどね。」
「………ハイ。」
ガラガラと温泉の入り口を開けると、従業員がいた。
目が合う。
「若旦那」と湊は口の中で呟いた。
手には袋。市販の入浴剤。何処でも気軽に温泉を楽しめる粉末だ。温泉にはそぐわない。
2人の姿を見ると、すかさず若旦那は湊に駆け寄り、手を伸ばす。攻撃的な意味合いが籠る手が湊に当たる前に多喜が鋭く手を払った。湊の髪を風圧が揺らす。
「やめないか!いい大人が子どもにみっともないぞ!」
「くっそ!!!見られたからには!」
「話を聞いてください。僕らは誰にも言いません。約束します。僕の秘蔵の芋焼酎、椿天狗の新酒を賭けましょう。」
堂々とした酒呑みの言葉に虚を突かれ、若旦那が止まった。その間に湊が若旦那の手にある箱を没収する。
「だ、だって仕方がなかったんです。原因はわかんねぇけど、湯枯れしちまって………」
「うん、わかります。でも、入浴剤はダメです。入浴剤は成分が違うから見る人が見ればわかってしまう。」
「じゃあ、どうしたら………」
崩れ落ち、震える若旦那の背を多喜は優しく撫でる。
「宿泊者が少ない日がありますか?周りの旅館と協力できることもあるでしょう。1日、1日だけください。なんとかします。東風八百万事務所の名に賭けて。」
入浴剤は同僚に調べてもらうことになった。微かに魔力を感じる。厳重にしまい、これで依頼もお終いだ。
トランクを閉める。
浴衣に着替えて夜風を浴びている多喜を見上げた。不思議そうに湊は多喜を見つめている。
「ん?どうしたんだい?」
「なんとか、できるんですか?」
「できる。これだけは確実に言える。稲見温泉の由来を知っているかい?うちの事務所に温泉があることに関係しているんだ。」
湊が首をふるふると横に振る。
「これは秋成さんから話を聞いたんだけどね………ってまずは約束の乾杯をしていてからにしようか。」
湊の前にはコーラの入ったグラス、多喜の目の前にはお猪口。
カチンとグラスとお猪口を合わせ、お互いに煽りーーー気づけば、多喜は布団の中だった。
「多喜さん、お酒、弱いんですね。」
多喜が起きたことに気づいた湊は多喜にグラスを渡す。酔い覚ましにちょうどいい。ぐいと喉に通す。
「面目ない。油断していたよ。」
「今度はきちんと話、聞かせてくださいね?」
湊から固さは抜け、自然な笑みを多喜に向けていた。