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歌声

全体公開 創作話 3012文字
2023-03-25 10:11:24

湊のお話

Posted by @lianmiso

 湊がいない。
 部屋どころか事務所内の何処にもいない。
「湊くん見なかったかい?」
 昨日の雨を浴びて一際瑞々しい濃い緑の中から明るい黄緑がひょこりと上がる。壱樹の顔には土汚れがついていた。緑の蕾の下にうっすら見える黄色はもうすぐ花を咲かせるだろう。
「事務所にいねーの?」
 壱樹の手伝いをしているだろうと予測したが、それも外れた。
「それがどこにもいないんだよ。ちょーっとだけデパートに付き合ってもらおうと思ったんだ。今日休みだよね?」

 パラソルの下で本から目を離した霧凍がぱたりと本を閉じる。
「どうせ今度の展覧会のことですよね。休みの日くらい休む仕事をしたらどうなんです。」
「いや、普通に出かけようとしたんだけど。」
「休みの日なのにぃ?」
「オメーは部屋に篭りすぎ。腐るぞ。」
 なんでこんなところで読書しているのだろうと疑問だったが壱樹が外に連れ出したのか。人はたまに陽を浴びないといけないが、太陽が似合わない男だ。
「じゃあ、あそこか。そろそろ迎えに行くかなぁ。よっと。」
 壱樹が立ち上がる。腕の中には緑の束。奈の花の独特な匂いを楽しむ前にほろ苦さを味わうのかもしれない。
「海岸通りで歌が微かに聞こえる。だけど、姿はどこにも見えない。東響で夢を諦めたミュージシャンの亡霊が観客を誘うよう歌っているのだと言われていたんですよぉ。」
 車で30分の海岸通りの外れは平日の真昼間であるため人がいない。
………聞こえるね。」
 多喜の手に力が入る。生憎杖は持ってきていないが、そのままにしておくわけにもいかない。休日出勤に身構える。
「落ち着けって。よく聞け。」
耳を傾けるとおどろおどろしい噂とは裏腹に歌はこの世の春の訪れを歌い、聞いているこちらまで春が待ち遠しくなる。澄んだ歌声だ。
「悪霊ってわけじゃなさそうだね。」
「まだ気づかないんですかぁ。感まで休んでないでしょうねぇ。湊くんですよ、湊くん。」
「え。」
 湊くん?いつも小さい声で途切れ途切れに話すおどおどした少年がここまで胸のすくような歌を?
「意外だろ?つーても、俺、故郷にいる時、何回か聞いてんだよな。山ん中でよく歌ってた。そん時は誰が歌ってたか知らなかった。別人みたいだよな。」
「彼の最大の欠点は恥ずかしがり屋なんですよね。戦い方も喋ることで注目されて人に嫌われるのが怖い。」
「その分、聞き上手で人を気遣える。優しい奴だよ。」
「すべての人に好かれるなんて無理なことでしょうに。馬鹿ですねぇ。」
「うっ、これは………こんな歌も歌うんだね。」
 次の曲目は別れを告げる春を恨む歌。結ばれないのならばいっそのことという内容は先程との温度差が酷い。普段の彼からは考えられない夕闇のような仄暗い歌。すべてを引き入れる優しさを持つが、吞み込んでしまう激しさを持つ歌声は漣、大波のように打ち寄せる。引き摺り込まれてしまいそうだ。本来の事務所に相応しいものだろう。
「戦闘能力よりこっちの方が評価されてスカウトしろって言われていたんですよぉ。舞台の上の適正はなかったですけど、自由な人間を押さえる人員としては最低限使えましたねぇ。」
「普段助けてもらってんのにそんな言い方はないだろ。他にも柳の行動を予測できんのはあいつだけなんだから。」
「問題児達にノックアウトされてすぐ逃げられる防御力貧弱なアタッカーより使い物になりますねぇ。」
「そのアタッカーより貧弱な魔法使いさんをぶん殴ろうか?」
「あぁ、あなたの貧弱さ、蔓に似たんですねぇ!ほら、すぐキレる!千切れる!引きちぎられる!」
 貧弱な魔法使いの中に僕も入ってるよね。なんて多喜が遠い目をしていたら、霧凍に飛び掛かる壱樹を止めるのが一拍ずれた。
◇ 
 音楽なら、歌なら普段言えないことを堂々と表現できる。楽しい!すごく楽しい!
 今日も湊は歌う。トランペットの時もあるけど今日は歌だ。自由に歌う。
 誰もいない橋の下のトンネルは音響効果もよく、抜け道もあるので誰か来てもすぐに逃げられる。マンホールを打つ足は打楽器で波は合いの手か拍手か。飛び交う鴎や鳶は遠目から見ている観客だ。
 ライブハウスのアーティストのようにくるりと一回転もしてみたり、なんて。
 解き放たれた湊の声は突如ドボンと何か大きいものが沈む音に遮られた。水の幕が瞬く間に降りて、すぐ上がる。コンクリートで固められた淵にびたんと手が打ちつけられ、すぐさま海中から男が姿を現す。水を含み垂れ下がる海藻のような髪は乾けば、草束をまとめたような髪になるだろう。陸に上がれば壱樹はゲホゲホと咳き込んだ。
 続けて海面から手が突き出る。やたら白い腕と手のひらは彼岸であれば幽霊と信じてしまいそうだった。いつもよりもなお不機嫌そうな顔が海面から湊を覗いていて、慌てて手を取る。きっちり整えられた髪は濡れて崩れていた。
「離れようとしたのに最後の最後まで服を離さないから私まで落ちたでしょう。クリーニング代掛かりますねぇ。」
「あの、2人とも?」
 陸に上がっても1人はまだ怒りに燃え、1人は冷ややかに睨み合う中、湊が割って入った。
「きいていたんですか?」
 霧凍と壱樹の目が合う。
「なんのことですかぁ?」
「霧凍との喧嘩に夢中でな。なーんも聞いてねぇぜ。」
 壱樹は心配である。歌で感情を露わにするならば、この先気にして塞ぎ込んでいくのではないか?
 霧凍は面倒だった。あまり怒らない湊が仮に怒るならば予測がつかない。が、周りがうるさい。詰め寄る師匠と姉2人に話題ができてこれ幸いと霧凍に話しかける兄ならば簡単に予測できる。アイコンタクトは0.5秒。利害の一致。意思が通じ、ホッとしていたら、多喜が降りてきた。まずいと思う間もなく多喜が口開く。
「湊くん、すごいじゃないか!この感動をどう表したらいいかあ、2人とも無事かい?」
 見る見るうちに湊の肌が赤くなり、目が涙で潤む。真っ赤に充血した目で壱樹と霧凍を睨んだ。
「う、うぅう、嘘だったじゃないですか!」
「気にしてるようだったから思わず。」
「壱樹さんが隠せって言ったんですよぉ。たかが歌、そんな気にする事でもないですか。」
「霧凍!お前!しれっと俺に罪を着せるな!お前も隠そうって言ったんじゃねぇか!」
「実家に帰らせていただきますぅ!」
 その場に居られなくなり、湊は海へと飛び込んだ。口に入るは海水か涙か。しょっぱい。このまま泡になって消えてしまいたい。
 襟首が引かれた。引き上げたのは湊の倍ある手。壱樹の手だ。湊を岸辺に上げる。
「実家ってなんだよ。実家って。」
「母なる海じゃないですかねぇ。なんにせよ春先の海の水は冷たいでしょう。風邪引く前に帰りますよぉ。こんなところで風邪引くなんてなんとも間抜けじゃないですかぁ。」
 先程のお返しと言わんばかりに手を貸して、霧凍は先にスタスタと歩いて行った。海水の染み込んだ革靴がガポガポと音を立てる。
 湊の頭にふんわりとタオルが被せられた。柔らかい。
「銭湯に寄って美味しい物でも食べて帰ろう。君の歌が聞けて良かったよ。」
「そうだ!あんな風に歌えるのなら、カラオケ行こうぜ!」
 耳を澄ましてみる。タオル越しに聞こえる声に嘘はない。頬は緩み、戻らない。タオルを取りたくない。被りながら2人の後をついていった。


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