カルみと シナリオネタバレあり
カルマさんが禁煙を決める話
@popo_trpg_ss
神無を抱き締めた時、その体が時々強張ることがある。
そのタイミングは不定期で、彼から抱擁を求めた時にも起こることがあった。
びくりと肩を震わせて小さく息を呑んだ彼の表情は青く、それ以上抱き締めることを躊躇うほどで。かといって腕を緩めようとすると、両手で必死に縋られるのだ。
めでたく思いが通じ合い、お付き合いを始めてかれこれ一ヶ月。縞斑はそんな悩みを抱えていた。
「せんぱい?」
ふと、口元に手を当てて思い悩んでいた縞斑の服の裾を神無がくいと引いた。我に返った縞斑は、慌てて手を離すとそんな彼に笑みを向ける。
「どうしたの、神無ちゃん?」
二人きりで部屋にいるにも関わらず、考え事をして彼を放り出してしまった。
最も、その考え事の中心にいるのも神無だが、家にやってきて自分を見ない恋人は面白くないだろう。
そう考えて縞斑が神無と向き合うと、僅かに不服げに首を傾げた彼は気を取り直したように小さく口を開く。
「……抱き締めてほしいんだけど。」
その言葉に縞斑は、思わず一瞬言葉を詰まらせる。神無は、時々縞斑ですら驚くほどに甘え上手だった。
愛されることを素直に受け入れるのは、謙遜の多い日本人社会において簡単なことではない。おそらく、黒田や赤星が惜しみなく注いだ愛情の賜物だろう。
黙ってしまった縞斑の顔を、神無が不思議そうに見上げる。身長差によって図らずとも上目遣いとなるその姿に、縞斑は顔を覗かせようとする邪な気持ちを脳内で蜂の巣にした。
「いいよ、おいで。」
頷いて両手を広げて招けば、嬉しそうに顔を綻ばせた神無がそっと体を寄せる。
自分よりも少しだけ小さな体を腕の中に閉じ込めれば、一瞬ぎしりと彼の体が固まった。
あぁ、まただ。そう心の内で呟きながら、抱き締めた腕をそのままに俯く神無の顔を盗み見る。
縞斑の胸に震える両手を当てて、神無は自身を落ち着かせようと細く長い息を吐いた。先ほどまでの明るい表情が一転して、青白い顔には悲しげな表情が浮かんでいる。
きっと、本人は上手く隠し通しているつもりなのだろう。相手が観察眼に長けた縞斑でなければ、それもできたかもしれない。
気付いた以上は見過ごせない。小さく息を吐いた縞斑はそっと神無の体を離した。
「神無ちゃん。」
「っ、まだ」
まだ離れたくないと言うように、神無の両手が縞斑のシャツに縋る。その指先が白く冷たいことに、神無はきっと気がついていない。
縞斑はそんな彼が少しでも安心するように髪を撫でると、伏せられた青い顔を覗き込んだ。
「…ねぇ、神無ちゃん。」
「な…なんだよ、恥ずかしいからあんま見ないで、」
照れているのは本当だろうが、本音はまだ血の気が失せた顔を見られたくないのだろう。
神無も、縞斑が人を見る目に優れていることを良く知って警戒している。彼のガードは決して緩くない。その上をいく実力が縞斑にあっただけだ。
「神無ちゃん。」
嫌がる神無と、それでも視線を交わらせる。こくりと小さく唾を飲んだ彼は、気まずそうに縞斑の言葉を待った。
「…何か隠してる?」
「な、にって……」
「今も、辛い顔してるから。」
至近距離で指摘をすれば、神無は慌てたように顔を背けて両手で隠してしまう。その腕を掴んで引き止めると、彼は逃げ場を失った小動物のようにおろおろと視線を彷徨わせ始めた。
「えっと………その、」
「別に、今更君からの愛を疑うつもりはないよ。俺は君に間違いなく愛されてるからね。」
縞斑自身が苦手なのだとしたら、神無が自分から誘うことはないだろう。仮に誤魔化しのために行っているのだとしたら、あまりにも反応が表に出過ぎている。
神無三十一という男は、愛を伝える形も真っ直ぐだ。それもひとえに、黒田と赤星の愛情の賜物だろう。
そんな彼が、愛のない相手にそういった振る舞いをとることはない。それを不誠実だと思う誠実さを持っているのだから。
神無は困ったように、泣きそうに表情を歪める。より一層悲しませることは本意ではない、その背を撫でて落ち着くように促すと縞斑は言葉を続けた。
「…言いたくないならそれでいい。けれど、君が思う以上に俺は君に甘いし、君のことを愛してるから。それだけは忘れないでほしい。」
その悩みを聞いても、神無を軽蔑したり、嫌悪することなど誓って無い。そう言い聞かせるように呟くと、縞斑は今度こそ神無から体を離した。
神無の感情は、どこまでも真っ直ぐで穢れがない。潜入捜査や苛烈な戦闘などで心を殺さざるを得ないあの場所にいる神無のことが、縞斑は時々心配になる。
「…そろそろ寝ようか。」
神無は明日も休みだから、と遠回しに誘ってくれていたが、この顔色ではゆっくり眠った方が良いだろう。
頭を撫でて、ベッドに彼を連れて行こうとソファから縞斑が腰をあげようとした時だった。
「ま、まって、」
そんな縞斑の手を、神無が咄嗟に掴む。
冷え切った指先でぎゅうと縞斑を引き止める神無は、怖いものを見た子供のように怯えていた。
「神無ちゃん…?」
「…いかないで、くれ」
絞り出されたその声は、部屋を出て行く縞斑の背に怯えているようだが、おそらくそれだけではない。ソファに戻って隣に腰を下ろしても尚、不安定な彼の心は安堵を求めて縞斑の手のひらを握りしめる。
「神無ちゃん、大丈夫。」
「……今のあんたに、居なくなられることが、一番こわい…っ」
神無にはきっと、違う景色を今に重ねているのだ。首を横に振ってそう懇願する彼の手を握り返すと、縞斑は神無の頭を撫でる。
「居なくならない。ちゃんとここに居る。」
「…っでも、だって、」
「約束しただろう?半分持って消えたりしないよ。」
「だって…ッ!パパも!!透也も…!!!」
神無が咄嗟に口走ったものは、今も尚植物状態で眠り続ける父と慕う男と、神無のために全てを投げ出すことを選んだ兄と慕ったアンドロイドの名前だった。
すぐに我に返った神無は、慌てて口を噤むと俯く。言うつもりのなかった感情が、不安のあまり溢れてしまったらしい。
「ご…ごめ、ん…あの、今のは…」
どうにか取り繕おうと視線を泳がせる神無だが、天才を自負するその頭脳は、それらしい言い訳のひとつも思いつこうとしなかった。
「…俺と、彼らが重なる?」
神無はあの事件で、大切な家族を失った。
二人のことを大切に思っている彼が、大切な人となった縞斑まで消えるのではないかという恐怖を抱えているのだろうか。そう考える縞斑だが、覗き込む紫の瞳は複雑に揺れていた。
「っ…そうだけど、そうじゃない、」
呟いた神無は、小さく首を横に振る。
理由の一つに含まれているのかもしれないが、最大の原因はそれではないのだろう。
神無が言いたくないのであれば、無理強いをするつもりはなかった。彼なりのペースで消化していくつもりのものを、強引に開け広げることの方が逆効果になるだろうと縞斑は思ったのだ。
「さっきも言ったけど、無理には聞かない。だから…今離れて欲しいか、抱き締めて欲しいかだけ教えてくれる?」
身を強張らせてでも縞斑に触れたいのか、それとも落ち着くまでは離れていたいのか。知らないまま触れ合うことで、彼を傷つけることだけは避けなければならない。
そんな想いが伝わるように神無に尋ねれば、彼はぐ、と喉を鳴らしておそるおそる両手を伸ばした。両手を縞斑の胸に預けるその行動を、後者と受け取った縞斑は包み込む。
再び強張る体を撫でて、心臓の鼓動が重なるように密着すれば、神無は小さく安心したように息を吐いた。
「…あのさ。」
「うん。」
「これを聞いて……あんたに、何かしてほしいとか、そういうわけじゃないんだけど、」
ぽつり、胸に顔を埋めたまま神無はそう口火を切る。言い辛そうに、縞斑の様子を伺うように、言葉を選んで躊躇う様子は、いつもの自信満々な姿からは程遠いが年相応の青年に見えた。
「俺のために変わらなくていいし、だらだら先輩が嫌だとか、そういうんじゃなくて、」
「いいよ。怒らないから聞かせて。」
ゆっくりと縞斑は言葉を促す。そんな彼の穏やかな様子に背を押され、神無は唾を飲んでおずおずと口を開いた。
「……あんたから時々、パパや透也に似た、煙の匂いがする、から……思い出して、不安になる。」
消え入りそうな声でそう呟いて、神無は再び縞斑の胸に顔を押し付けた。
咄嗟に硝煙の匂いを疑った縞斑だが、それならば神無も現場でとっくに嗅ぎ慣れているはずだ。それ以外に考えられる煙の存在に思い当たった縞斑が口を開く。
「煙草か。」
「…多分。銘柄は…二人と違うと思うけど、」
長く刑事をやっていると、ストレスの発散方法のひとつとして喫煙を行うようになる人間が多い。
縞斑もその例外でなく、黒田も自宅では吸っていなかったが警視庁では時々嗜んでいた。赤星はおそらく、人間社会に溶け込むためや、黒田と共通の行動を身につけるために始めたことだろう。
人間の記憶において、最後まで残るものは匂いだという。黒田や赤星の存在が薄れつつある神無の記憶の中で、今も彼らの匂いだけは鮮明に残っているのだ。
縞斑から時々香る、煙草の匂いに不安を覚える。二人の傷ついた姿を嫌でも思い出して、縞斑までその姿に重ねようとする自分が、神無は恐ろしかった。
「煙草なんて、この先刑事やってたら吸ってる人にいくらでも会うだろうし……こんな、いつまでも弱いままじゃダメだって思って」
縞斑に気づかれないように、どうにかこの不安は自分の中だけで解決するつもりだったのだろう。
気まずそうに俯く神無を抱き締めて、縞斑は思わず息を吐く。
「…煙草やめてほしい、くらい言ってもよかったのに。」
確かに縞斑は今でも時々煙草を吸う。
当時は吸っていなければやってやれない、そんな自暴自棄と緩やかな自傷行為を兼ねていたが、現在はその惰性のようなものだ。
そんな縞斑の事情までは知らない神無は、だって、と腕の中で首を横に振る。
「だってそれじゃ……いつまでも逃げてばかりだろ。」
「克服しようとする姿勢は尊敬するけど…なんというか、君は本当に愚かだねぇ。」
「…また愚かって言ったな……?」
愚かという二文字が回る神無は、多少の自覚はあるらしく悔しげに唇を噛んだ。
そんな彼と、今度こそ視線を合わせた。いくらか回復したらしい赤みの差した顔を覗き込んで、言い聞かせるようにゆっくりと縞斑は言葉を選ぶ。
「変えられるものは、変えていいんだよ。」
「……俺のわがままで、これ以上あんたの好きなものを取り上げたくない。」
相変わらず、そうだと決めたら神無は頑固だ。
今度は逸らすつもりはないらしく、真っ直ぐな紫の瞳に縞斑の姿が映る。
そこに映る、思いの外蕩けた恋人らしい顔の自分を見て、縞斑は少しだけ照れ笑いを溢した。
「そういうわがままは言っていい。俺と君は恋人なんでしょ?」
「…でも、」
「昔の名残で吸ってるようなものだし、特別愛煙家ってわけじゃない。」
あと数年もしたら神無にも、縞斑や黒田が煙草を吸っていた理由が分かるようになるのかもしれない。できることならば分からないままでいてほしいが、彼の挑む世界は甘くないのだ。
納得がいくような、いかないような、複雑な表情で縞斑を見上げる彼に縞斑は、それに、と言葉を続ける。
「子供たちの発育に悪いからやめようって話をアサギリちゃんとしたばかりだから、丁度いいよ。」
「……ほんと?」
「アサギリちゃんに聞いてみる?彼は絶対に嘘をつかないから。」
縞斑の話は事実だった。地下で吸うと煙が篭ってしまうため、アンドロイドたちはともかく、共に暮らしているニトやリトの体に悪いという話をアサギリと縞斑は交わしたのだ。
彼らも聡い子なので、気付かれないように徐々に煙を遠ざけていくことにしようと方針を固めたばかりだった。
縞斑の話をじっと顔を見上げて聞いていた神無は、やがて首を横に振る。
「…そこまでしなくていいよ。嘘つかないって約束したし。」
呟いた神無は再び縞斑の胸に顔を埋めた。
ふわりと香るのは、黒田や赤星とは少しだけ違う甘い煙の匂いだ。種類は違えど、神無の脳内でそれらは全て煙草という一括りに纏められてしまっているらしく、無意識に体が強張る。
縞斑は全部分かっている様子で、必要以上に気を遣わずに神無を抱き締めたまま会話を続けた。
「匂いがなくなるまでは少し時間が掛かるかもしれないけど…香水でもつけてみようか。」
「……先輩からフローラルな香りすんの、なんかちょっとやだしむかつく。」
「失敬な奴だな君は。」
冗談と本気半分の提案をあげれば、ぼそぼそと神無が返事をする。思わずその言葉につっこむと、腕の中の彼はおかしそうにくすくすと笑った。
ようやく笑みを浮かべた恋人の姿に、縞斑は内心ほっと息を吐く。
見上げた神無がそっと目を閉じた。どこで覚えてきたのか、可愛らしい強請り方をしてみせるその唇にそっと唇を重ねる。
触れるだけの口付けを受け入れた神無は、満足そうに笑って明るく口を開いた。
「煙草やめるなら、先輩のにっがいキスも食べ納めかな。」
「え、そんなに苦い?ごめん。」
喫煙者とのキスは苦いと聞いたことがあるが、自分自身では分からないものだ。今まで黙っていたらしい神無に思わず謝ると、彼は慌てて首を横に振る。
「最初はびっくりしたけど、痺れる感じが癖になってきてさ。だから全然気にしてない。」
笑顔で話す彼はおそらく、その言葉が縞斑にもたらした破壊力に微塵も気が付いていない。
ぐ、と言葉に詰まりため息を吐く縞斑を不思議そうに見上げる無防備に開かれた唇に、縞斑はもう一度吸いついた。
「ん、」
「前から思ってたけど、神無ちゃんの舌は甘いよね。」
「…そう?自分じゃわかんないな。」
初めてキスをしたときから、神無の舌は驚くほど甘かった。彼が甘い物をこよなく愛する故だろうと勝手に納得していたが、もしかすると自身の舌が苦かったからなのかもしれない。
煙草をやめたら神無の舌を甘いと感じることもなくなるのだろうか。禁煙をやめるつもりはないが、それだけは少し惜しい気がする。
首を傾げて呟く神無の様子に、縞斑は思わず魔が差した。
「さっきので食い納めて大丈夫?」
言葉の真意を汲み取った聡い彼が、目を丸くして顔を上げる。驚いて半開きの唇を撫でながら、縞斑は妖艶な笑みを浮かべた。
「最後なら、もっと堪能してもいいんじゃない?」
ちぅ、と唇の端に誘うように口付ければ、神無は頬を赤らめて咄嗟に視線を逸らす。
「…なんでこんな誘うの上手いかなぁ」
「そりゃあ…君より長生きしてますから?」
「あんたと同い年になっても、こんな上手に誘える自信ないや………」
悔しそうに唸っていた神無は腕から抜け出して立ち上がると、座ったままの縞斑と視線を合わせて頬を包んだ。
お返しのように先ほどの縞斑を真似て唇の端に口付けた神無が、はにかんだように笑う。
「代わりに、とびっきり甘いのやるよ。」
そう言った彼は、縞斑の手を引いて寝室へと誘った。上手に誘える自信がないとは、思わず問い正しそうになった縞斑は、どうにか年上の意地で余裕を繕って立ち上がる。
「それは……遠慮は要らない、っていう挑発として受け取ってもいいの?」
「明後日まで立てなかったら怒るからな。」
「やだなぁ、流石に仕事に支障が出るまではしないよ。」
寝室の扉がゆっくりと閉まった。
夜は、穏やかに更けていく。
終
このあとめちゃくちゃ禁煙した。