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しあわせなはなし

全体公開 神無三十一受け 19 61 6466文字
2023-04-01 11:56:18

カルみと ディノみと
死ネタ 胸糞注意
シナリオネタバレあり

 

 彼の最初の記憶はおそらく、部屋に寝かされていたところからだろう。

 目を覚ました彼の視界に最初に飛び込んできたのは、空いていたらしい窓から降り注いできた桜の花びらだった。
 その色がやけに色鮮やかに見え、それと対に自分が寝ていた部屋が何の色もない真っ白な場所だということに彼は気付いた。

 解離性健忘。
 主治医らしい男に診断を受けた彼は、そこで漸く自分が大きな交通事故に巻き込まれたこと。そしてその事故が原因で事故に関する情報や、自分と関わりを持っていた人間のことを全て忘れていることを教えられた。

 何度かカウンセリングを受けたが、医師たちは彼が無理に記憶を思い出すことを良しとしなかった。
 記憶を取り戻すということは、ベッドから起き上がることができないほどの重傷を負った事故の記憶を取り戻すことと同じである。
 もちろんこのまま彼が関わった人間を覚えていないことは痛ましいが、時間はあるのだ。これからゆっくり時間を掛けて、もう一度知り合うことだってできる。
 全てを思い出したいかと聞かれた彼は、分からない、と答えた。
 思い出せば今ここにいる自分はどうなるのだろうか、知ったところで他人の過去や人間関係を覗くだけのような気がした彼も、あまり記憶を取り戻すことに積極的ではなかった。


 「失礼します。」

 彼の記憶が戻ることもなく、悪戯に数日経過した頃。彼の病室に一人の人間と一人のアンドロイドが訪れた。
 どうやら彼らは記憶を失う前の自分の友人らしい。病状を聞いて、彼が落ち着くまでは面会に行くことを控えていたらしく、病室からそちらに視線を向けた彼に二人は一様に安堵の溜息を零した。

 「無事で良かったです。もう怪我は大丈夫ですか?」
 「はい。えっと、心配かけて、ごめんなさい……?」

 金色の瞳の白いアンドロイドの男が、そう話しながら彼の側に歩み寄る。事故に遭った自分を随分心配していたらしい、記憶を持っていない為何とも言えない彼であったが、それでも心配をかけたことを謝る事にした。
 アンドロイドは彼のその言葉に対して本当に記憶が無いことを察したらしく苦い顔ながらも、とにかく無事でよかったです、と彼の無事を喜んだ。

 彼はふと、そんなアンドロイドの後ろで黙って立っていたもう一人の男へと視線を向ける。金色の髪をもつ、隣のアンドロイドよりも少し小柄な男からは、何故か儚く危うい印象を受けた。
 男もまたこちらに視線を向けていたらしい。彼が向ける事で絡んだ視線に引き寄せられるように、その男はベッドの側へと歩み寄った。

 「……俺のことも、覚えてないの?」

 男の問いに彼は正直に頷いた。

 「自分のことも、覚えてないのか……?」

 もう一度頷く。
 じっと見つめた男の顔が、ふと緩んだ。柔らかい笑みを浮かべるその様子に彼が何も言えずにいれば、男は彼の手をそっと取って口を開く。

 「あんたは縞斑狩魔だよ。そう、俺神無三十一にも、後ろのアサギリにも、ここにはいないけどディーノにも、呼ばれてたんだ。一緒にずっと、事件を追ってたんだよ。」

 アサギリと紹介されたアンドロイドが、驚いた様子で口を開きかける。
 無理に思い出させないように言われていたのだろうか、そんなアサギリの静止も聞かず神無と名乗る男は話を続けた。
 そんな男の顔をじっと見上げて、彼は口を開く。

 「しまだら、かるま?」

 呟いてみれば、唇によく馴染む。何度も口にしたことがある不思議な感覚に、彼は思わず首を傾げた。頭は覚えていないが、体が覚えている、ということかもしれない。
 何度か納得したように教えられた名前を呟く彼の前に、神無が膝をついて視線を合わせた。窺い見た彼の表情に浮かぶのは、安堵と。

 「だらだら先輩、よければ俺が知る限りのあんたのことを話させてくれないかな。」
 「?…………うん。」

 不安と、哀しみ。
 神無の知る縞斑の話をすることで、少しでも彼の記憶が戻るきっかけになれば、と神無は申し出てくれた。
 よほど友人思いの人間なのだろう、拒絶する必要も無いと彼は首を縦に振る。
 彼の返事を聞き入れた時、漸く神無は安心したような笑みを浮かべてくれた。ありがとう、そう頭を下げる神無の姿に何も言えなくなった彼は口を噤む。
 その間も何か言いたそうにしていた後ろのアサギリだったが、あまり強引に神無が話すことを止めるのも自分を驚かせてしまうだろうと判断したらしい。アサギリは諦めた様にため息を零し、廊下へと出て行く。
 その背中をぼんやりと見つめた彼は、なぜかその背を引き止めたいと一瞬考えてしまった。どうしてそんなことを考えたのか、考えたとして果たして何と呼ぶつもりだったのか、分からないながらも彼は口をもごもごさせる。

 「先輩、どうしたの?」
 「いやなんでもない。」

 結局言葉にすることもなく、彼は心配そうな神無に向かって返事を返した。
 神無はその後しばらく世間話の様な会話をしたが、また来るね、というと微笑んで病室を出て行く。
 廊下で待っていたらしいアサギリと何かを話す声が聞こえたが、彼はその会話を聞き取ることはできなかった。


 それからというもの、神無はほぼ毎日のように彼の元を訪れるようになった。
 彼に神無は、自分自身や神無のことを沢山聞かせてくれた。縞斑と神無は同じ警視庁公安課に所属していたが、とある事件をきっかけに縞斑は現在、犯罪組織のリーダーとして活動しているらしい。
 神無ちゃん、と呼んで接してくれていたのだ、と話す神無の表情は明るく、彼はその笑顔につられるままに表情を和らげた。
 神無という男は、表情が豊かな優しい男であった。記憶を持たない自分など他人にしか見えないだろうに、それでも彼の記憶が戻る様に今までの思い出を聞かせてくれる。
 おかげで、彼は縞斑の人格を僅かに把握することができたのだ。

 「もうすぐ退院だな。」
 「うん、明日には荷物まとめて出れそう。」

 神無の言葉に彼は頷く。記憶が戻ることはなかったが肉体的負傷は完治した為、彼は一度退院することになったのだ。
 神無の話を聞くに、どうやら自分は一度ここに訪れたアンドロイド、アサギリと共に暮らししているらしい。
 縞斑の身の回りの世話を請け負っていたらしいが、彼がこの病室に訪れることはあの日以来一度もなかった。彼もまた犯罪組織の副リーダーであるため、縞斑が不在の今は指示に追われているのだろう。
 療養の間も、スパローのリーダー権はアサギリに移るため、自宅には彼が一人だけで残ることになる。

 「あの、先輩、あのね。」

 そんな彼の不安を汲み取ったのだろうか、神無が言いにくそうにしながら口を開いた。
 顔を上げた彼に、神無は言葉を選びながら話を続ける。
 
 「そのだらだら先輩、まだ覚えてないことも多いし、慣れるまで俺の家に住むのはどうかな?って思って。」

 神無曰く、日常生活に支障は無いにしても一人暮らしは何かと危険だろうということだった。神無のいうとおり、記憶が無いままの一人暮らしは確かに不安だ。
 数日世話になってから戻っても遅くはない。その頃には案外落ち着いて、記憶も取り戻せているかもしれない。彼は神無の提案に賛成して頷いた。

 「うん、じゃあ暫くお願いしようかな。」

 返事を聞いた途端、神無は嬉しそうな表情を浮かべる。変わるその表情に彼の心は何故だか陽だまりのような暖かさを覚えた。
 そんな彼の様子に神無は驚いた表情を浮かべる。その笑顔は、神無があれから初めて見た彼の笑顔だったのだ。





 彼が神無の家で暮らし始めて二週間程経った。彼の記憶が戻る気配はなかったが、それでも神無はそんな彼が少しでも記憶を取り戻せるように、記憶を失う以前の話をどんなに些細な事でも聞かせてくれた。
 その上で神無は、彼の家から必要な荷物を数日の間で持って来てくれたのだ。少しでも今まで過ごしてきたものに触れれば、という神無の気遣いだろう。

 「先輩、みてみて。」

 その日も神無は、家に帰るなり彼の元へ走っていった。買い出しを済ませてきたのだろう、ビニール袋の中から取り出したボトルに彼は首をかしげる。

 「シャンプー?まだあった筈じゃ……
 「これ、先輩が使ってたやつなんだよ。売ってたから買っちゃった。」

 嬉しそうにシャンプーボトルを手に笑う神無は、少しでも縞斑が何か思い出す手掛かりを探して今までの環境や物を整えてくれていた。
 それでも思い出せないことに罪悪感を抱きながら、彼は神無のその屈託の無い笑顔に頷く。


 けれどその日の夜、神無の買ってきたシャンプーの匂いを、彼は何故だか好きになれなかった。
 記憶を取り戻す前の自分と、今の自分は他人なのだろうか。好きになれない匂いの漂う髪を乾かしながら、彼は神無が淹れた珈琲を傾ける。
 この珈琲も、彼が家に来た時から神無がよく作っており、記憶を失う前の彼がよく飲んでいたのだと出してくれるものだった。
 ところが神無の淹れる珈琲は彼にとってとにかく苦いものであり、彼はそれを言い出せないまま無理やり飲み下しているのである。

 「同じものを使っても、同じ感性を抱くとは限らないのかな?」

 呟きながら彼は、ドライヤーを切って珈琲を啜った。
 少なくとも味覚や嗅覚は別人になっているらしく、神無が縞斑が好きだったといって振る舞う食事の中には、あまり美味しいと感じられないものもある。
 もちろんそんなことを嬉しそうな表情を浮かべる神無に言えるわけもなく、彼は笑顔でそれを食べて美味しいと言うしかなかった。
 今現在彼が使っているマグカップも、神無が縞斑の住んでいた家から持ってきてくれたものらしい。使い覚えはやはり無く、思い出すこともできなかった。

 「……そういえば、端末

 何か情報が無いかと咄嗟に端末を探る彼だが、取り出した黒の通信端末は退院したときに主治医らしい男が気を使って準備してくれた代機だった。当然中身は新品同様で、連絡先も友人の名前も残されていない。

 「家に帰れば、何か分かるかな。」

 自宅ならば何か記憶を取り戻す情報が置いてあるだろうか。
 そうと決まれば一度戻ってみよう、そう考えた彼は席を立った。髪が未だ僅かに湿り水滴を零すことも気にせず、彼は早速神無の元に相談へ向かった。
 神無ならばきっと自宅に向かうことに賛成してくれるはずだ。アサギリと暮らしていたらしい自宅は、神無の家からあまり離れていないといっていたから、明日の朝にでも向かえるだろう。
 彼は少しだけ怖かった。記憶を失う前と後で感性が違うということは、記憶が戻ったときに神無に対して抱いている感情は消えてしまうのではないか、と。
 それでも、いつまでも神無の好意に甘えてこの家にいるわけにもいかない。早く記憶を取り戻さなければ、みんなに迷惑がかかってしまうのだ。
 リビングを出て廊下を歩き、彼は神無の寝室へと向かう。先ほど風呂を済ませて、寝室に向かう神無の姿を彼は見たはずだった。


 ノックをしようと手を伸ばした彼はふと、その手を止める。

 「……!」

 光の漏れる寝室の扉の隙間、そこから神無の声が聞こえていたのだ。しかしその声は、普段のような明るい声ではなく、悲しげに濡れた悲痛なものである。
 扉の隙間から伺った中の様子は、いつもと変わらない整頓された寝室。そんな寝室のベッドの上で、神無は泣いていた。

 「うっ、ひ、……っ」

 どうして彼は泣いているのだろうか。ひょっとすると具合が悪いのかもしれない。居ても立っても居られなくなった彼は、慌てて扉を開こうと手を掛ける。

 「せん、ぱい……っせんぱ……っ」

 しかしその動きも、神無の唇から漏れた言葉に止まってしまった。どうして神無は縞斑の名前を呼んでいるのか、分からなかったのだ。
 両手で何かを掻き抱くようにして泣いていた神無は、今まで彼が見たことがない程哀しげで、とても声を掛けられなかったのである。

 「……か、」

 彼が口を開き掛けると同時に、神無の両手から抱かれていた何かが滑り落ちた。
 それはどうやら写真だったらしい、一枚の小さな紙切れは床を滑り、彼にも見える場所に落ちる。
 構わず顔を覆って泣いている神無を気にしながら、彼はその写真が気になって視線をそちらに向けた。

 「……え?」

 きん、と彼の頭が痛む。
 割れるようなそれを両手で覆い、彼はその場に膝をついて蹲った。
 神無は確かに縞斑の名前を呼んで泣いていた。けれど、それならばどうして。彼は蹲ったまま床に落ちた写真をもう一度睨みつける。

 床に落ちた写真には神無と、神無を抱き締めて笑う見覚えの無い男が写っていたのだ。


 ーーーそれは本当に、悲しい事故だった。

 一人の男性とアンドロイドが横断歩道を渡っているところに突っ込んできた、居眠り運転のトラック。それに気付いた男は、咄嗟にそのアンドロイドを庇おうと押し飛ばした。
 それは一瞬の出来事。結果として、庇った男性は即死、庇われたアンドロイドはその光景を目にしたショックによって、全ての記憶を失うことになった。

 そうだ、そうだった。彼は思い出した。
 思い出して、しまった。

 神無は、彼のことを見てなどいない。
 その証拠に、神無の涙は決して自分に向けられたものでは無いのだから。彼は唇を噛み、神無のことを思う。
 どれほど悲しかっただろうか、どれほど苦しかっただろうか。神無は恋人の死に目に会うことすら叶わなかったのだ。

 バチが当たったのかもしれない、彼は頭を抱えたままそう呆然と思う。
 出掛けたあの日、確かに彼は恋人の神無へのプレゼントを選ぶ為に付き添いを頼んだのだ。悩みに悩んで決めたシルバーのリング。喜んでくれるだろうかと照れたように笑う彼のことを、一瞬だけ妬ましいと思ってしまった。
 神無に想われることが、神無と幸せになれることが、そのまっすぐで純粋な思いが、全てが羨ましいと。
 そんな感情が、不幸を呼んでしまったのかもしれない。

 「せんぱっ、かるま……いかな、でいかないで……!」

 繰り返される嗚咽混じりの神無の言葉。
 ぽたり、床に落ちたのは恐らく彼の流した涙だ。顔を上げた彼は涙を拭えぬまま、扉の向こうの想い人を見つめる。

 「……ちがうよ。」

 彼はぽつりと呟いた。
 思えば、おかしいところは沢山あった。
 どうして初めて名前を呼ばれたあの日、アサギリが驚いた顔をしたのか。それは決して、強引に記憶を戻そうとする神無のことを止めようとした訳ではなかった。
 どうして一緒に住むと決まってから数日後、神無だけで荷物を整えて持ってきてくれたのか。それは決して、まだ混乱している彼を自宅に帰さないほうがいいという判断ではなかった。
 どうしてあのシャンプーの匂いや珈琲が、全く好きになれなかったのか。それは決して、記憶を失う前と後で感性が違うというわけではなかった。

 答えは単純明快ただ一つ。

 「……僕は、だらだら先輩じゃ、ないよ。」

 彼は、『彼』ではなかったからだ。


 全てが神無の創り出した、歪んでしまった結末だった。
 哀しみを紛らわせる為に、少しでも自分の心の平穏を保つ為に、外部の全てを拒絶してでも縞斑と過ごす空間を作り上げたのだ。

 未だ泣き叫ぶ神無の声を聞きながら、一人彼は涙を流す。

 「…………ねぇ、神無。」


 僕のこと、ディーノって呼んでよ。




きづかなければ よかったのにね。


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