湊と壱樹と霧凍と多喜と。怪談話?
@lianmiso
久しぶりに烏島に帰ってきた。
壱樹の提案で夕飯は湯豆腐になった。烏島の澄んだ水や上等な昆布で作る湯豆腐はシンプルながら、家庭の味の一つだ。近所からも野菜等よくお裾分けが回ってくるのも理由の一つである。
事務員によると柳も烏島にいるらしい。一緒に夕飯でもとスマホで連絡を取ろうにも既読すら付かない。
夕方になっても帰ってこない。忙しいのか電波の届かない場所にいるのかそれとも何かあったのか。
顔の広い壱樹が周りに声掛けてみると、最後は北区の湖に向かった目撃証言があった。
「全く世話が焼ける。こんな寒い中、湖なんてなんで行くんですかねぇ。」
「何かの調査とか?湖で異常が見つかったのかも知れねぇ。最近じゃこの辺りも危ねぇらしいしな。」
話し合う2人の後ろを湊は少し離れて歩いた。
湖のほとりまでたどり着くと、小さく縮こまった子がいた。小学校中学年くらいの坊主頭の少年だ。湊より少し下に見える。顔は見えないが、時折鼻を啜る音が聞こえる。
「ああ、リトルに入ってる坊主だな。どーした?泣くなよ。お兄さんに話してみろ。」
壱樹が視線を合わせ、優しく問い掛ける。猫を被った霧凍も言葉を掛けた。
「熊は冬眠しているといいましても、道が凍結しますから早く帰った方がよろしいでしょう。ご家族が心配します。そこのお兄さんが送って行きますよ。」
少年の大きな瞳からは泣き跡とまだ湧き上がる涙が潤んでいた。
「うるせぇ!誰も俺のことなんてわかりやしないんだ!帰るとこなんてねぇよ!」
目をゴシゴシと擦る。もう片方の手には千切れたリボンが握られていた。大方姉か妹と揉めたのであろう。
壱樹が口開く前に湊が先に声を掛けた。
「お兄さんたちの、いう通りだよ。早く、帰った方がいい。今は、逢魔時だからね。」
「おーまがどき?」
湊が発した聞き慣れない言葉に子どもはキョトンと湊の方を向く。湊はすとんと子どもの隣に座った。体を震わせると、湊はポケットに手を突っ込む。
「湖畔は、風が冷たいね。君は寒くない、かい?」
「全然平気だし!」
強がりだろう。鼻を啜ったのは泣いているだけでないはずだ。地元民でもコートを着なければ寒い。壱樹はそっと少年に上着を掛けてやった。
「さっき言った逢魔時。更にお日様が沈みかけて、月がゆっくりと上がる。昼と夜の合間の時間は境界が曖昧で隙間から何かがやってくるんだ。湖の話は知ってる?」
「氷津目湖(ひずめこ)だろ。何もないつまんない湖。」
小学生にはつまらなく見えるだろう。歌の題材になり、世間の目を集めた氷津目湖は沈女湖、鎮め湖等多彩な呼び名があり、プランクトンが確認されず魚が住まぬ謎が解明されぬ湖は研究者たちにとって興味深いものだ。
湊が気に入っている呼び名はその中でも―――
「歪目湖(ひずめこ)って呼ばれていたこともあるんだ。歪んでるってこと。壱樹さん、曲がってない枝、2本ください。合わせられる奴。」
「お、おう。」
壱樹が枝を2本渡す。湊が枝を2本合わせた。2本の間は少ない。
「枝がぴったりくっついてるでしょ?これが歪んでいない状態」
湊は手に力を入れた。2本の枝は反り曲がった形になり、隙間が大きくなる。
「これが歪んでいる状態。歪んでると隙間も大きくなる。この時間の湖の空間は歪むって言うんだ。」
言っているうちに夕陽は落ちていき、湖上を燃やしていく。薄青い空にはぽっかりとお月様が上がっていた。
湖が夕陽を反射し、湊の顔に影が掛かる。
「ごちゃごちゃとうるさいなぁ。知ってるよ。ゲームでやったもん。で、結局何?」
「わからない。僕も神社で聞いただけ。この鴉見山はさっきの枝みたいに空間が歪んで色んなものがいるんだって。巫女さんが言ってた。湖から出てくるのか、湖を目指してくるのか…幽霊や妖怪もさ。」
湊の思わせぶりな態度に、少年は思わず涙を止め、潤んだ目を瞬きさせた。
「う、嘘だ。」
「僕らもね、近くで何か飛び込むような変な音を、聞いて、お兄さんたちと、確かめに来たんだ。」
そんなわけない。先程着いたばかりだ。
何を言い出すのか。壱樹と霧凍は湊を見守る。少年は泣き止むと、湊の言葉を心底馬鹿にした。
「なんだ、歳上のくせに怖がりでやんの。ドジな動物か何かに決まってるよそんなん。」
「どうかな?落ちたらこんなに冷たいんだし、もっと暴れるんじゃない?でも、この音はさ…」
湊が湖に耳をすます。全員が習った。
聞こえる。
静かな湖畔に湖面をちゃぷちゃぷと水を掻く何か。
水だけでなく心をかき乱す。
じわじわと暗く染まりつつある湖の中、浮き沈みする藻の塊はこちらに進んで来る。
いや、藻の塊ではない。
水中で広がるのは―――やけに輝く金色の塊。ちょうど子どもくらいの頭の大きさで僅かな陽の灯りを反射して流れてくる。
絡まった金糸の隙間から一対の光がこちらを睨んでいた。
「人魚だ。」
飛沫が上がり、少年と湊の頬を濡らした。びたりと岸に掌が叩きつけられる。湖に引き込まれそうなその手に少年は文字通り飛び上がり、振り返りもせず一目散に逃げていった。
「湊…あいつすっかり怯えてたぞ。」
「貴方ねぇ、また烏島に変な噂がつくでしょう。喧しいのは嫌いなんですよねぇ。」
2者の呆れた視線が突き刺さる。
「やりすぎ」
「壱樹さんと意見が合うのは遺憾ですが、私もそう思います。」
あはは、と裏返った声で笑った湊は視線に耐えきれず半端やけっぱちに叫んだ。
「たきさーん!多喜さん!幻を見せてくれて、ありがとうございます!」
近くの木の影からひょっこり多喜が顔出した。
「突然合図があった時は何かと思ったけどね。」
「いつのまに連絡取ったんだ。」
「さっきポケットに手を突っ込んだ時ってこともわからないんですかぁ?そういった観察力がないからよく転んだりするんですよぉ。」
「えっ、マジかよ。全然気が付かなかった………」
「秋成さんの頼みでちょうど湖の方の神社に顔見せていたから、すぐに来れたよ。」
「貴方にしては珍しく遠回しな方法を取ったじゃないですか。どういうつもりで?」
「意地っ張りには、心当たりあります。ああなってしまえば帰らないでしょうから。」
「なんですか、その視線は。」
霧凍に視線が集まった。
「霧凍ちゃんは意地っ張りだからなぁ。」
肩に手を置いた壱樹の手を霧凍は勢いよく振り払う。
「壱樹くんもだけどね。」
「えぇ、俺も?」
多喜の言葉に壱樹は目を丸くして自分を指刺した。
「俺ほど素直な奴はいなくないか?」
「馬鹿ですねぇ。意地張って無駄に前に突っ込んで絶えず怪我をしているのに、鈍すぎじゃないですかぁ?回復料きちんと払ってくださいよぉ。」
「霧凍が盾役をしてくれたらこんなに苦労はしねぇんだけどな。お前こそどうせ兄貴庇いたくないから、盾やりたくないんだろ。いつも動きやすいように考えんのにそこだけ意地張ってさ。」
「兄は関係ないでしょう!兄は!あの人は放っておいても、怪我しませんからねぇ。そんなことも分からないんですかぁ?どこぞの姉離れできない弟とは違うんですよ。シスコン。」
「なんだと!!!!」
いつも通り目の前で起こる喧嘩。
湊は昔を思い出す。自分もだった。
兄や妹と喧嘩して、帰りづらくなった時は決まって海に行き、夕暮れの中打ち寄せる波際で泣きながら体育座りをしていた。帰らずにいるとどこからともなく兄がやってきて人を海に引き摺り込む怪物の話をしたのだ。怖くはなかったが、他の兄弟には効果抜群で恐怖に慄きながら、布団に直行した物だった。
同じような話をした自分がおかしい。
「何笑っているんですかぁ。何かおかしいことがあるなら是非とも私にも教えて欲しいですねぇ。」
「海を思いだして………」
そうですか、と霧凍が理解不能な顔をしていたが、湖にふいに視線を向けた。
「おい、多喜。幻覚消してくれよ。ずっとパシャパシャ鳴ってんの流石に不気味だぜ。」
「おやぁ?怖いんですかぁ?大の大人が情けない。とは言え耳障りなので、消してくださいよぉ。」
「え?もう消したけど。」
湖の中で影が動く。魚影にしては大きい。
まさか………ひょっとして…………
多喜の言葉に誰しも沈黙する中、湊の顔が青くなる。
ばしゃりと水音を立てて、藻を被った人間が湖面から現れた。思いっきり地面に藻を叩きつける。
探していた男が現れた。
「柳くん!風邪引くって!なんで湖の中に入ったの!?」
「嘘だろ、真冬だぜ?」
「寒中水泳をする馬鹿を師匠にするとは私も見る目がありませんでしたねぇ。」
「その馬鹿な師匠に一回もおめぇは勝ててねぇけどなァ?」
「この………っ!次こそは必ず………!」
「次なんてある保証なんてあるもんか。この世は一瞬瞬間刹那だ。弟子が師匠を越していかないとこちらとしても引退できねぇんだよ。早く楽にしてくれ。」
「まあまあ。柳くん、何をやっていたのかい。」
屈辱に震える霧凍を宥めながら、多喜が尋ねた。
「俺の本職はスタントだ。」
「最近スタント業、やってないでしょう。仕事入れてないのにそんなに堂々と話せる貴方はやはり馬鹿ではないでしょうかぁ?スケジュール把握もできないんですかぁ?体調管理も仕事のうちですよぉ?」
「ないからこそ今、体を慣らしてんだろうが。」
「凍死するぞ!氷漬けなんて洒落にならねぇ。ここからなら神社より俺ん家が近いから寄ってけよ。」
「結構だ。氷漬けの男が流れ着いたら、沈女湖に異名がついたり、名物になるな。我が故郷のために身を捧げられるとは光栄なこって。」
「柳ッ!」
壱樹が柳に拳でツッコミを入れるが、頭を襲う拳をさらりと躱し、スタスタと柳は歩き出す。
「お姉さんが心配するよ。」
多喜の言葉にびくりとしたが、答える気はないらしい。3つのため息が重なる。
無理に聞けばまた湖に飛び込みかねない。どうする?と視線だけの会話をする。距離が開いていく。1人、湊が駆け寄った。
「柳くん、泳げるようになったの?」
「道具の力を借りればなんとかなんだよ。」
「今日は湯豆腐だよ。」
「俺には関係ないね。姉んとこで食うんだ。」
「壱樹さんと商店街行ったんだけど、3丁目の豆腐屋の奥さんの指輪がなかった。」
柳が足を止め、片眉を上げる。
「よく見てんな。」
「お姉さんに似合ってる綺麗なサファイアだったから。」
いつも行く豆腐屋のお姉さん。
お会計の際、壱樹と談笑する時にキラキラと涼やかで美しい色が輝くのだ。薬指に嵌めた指輪を幸せそうに眺める姿もよく覚えている。新婚さんなのだ。
「君の家も今日、湯豆腐でしょう。大豆は畑のお肉だから健康にもいい。君のお姉さんの好きな料理は湯豆腐だし、儀式の前だから、肉はなるべく避けているんだろ。」
もうすぐ春の為の儀式が行われる。美烏神社には厳しい決まりは特にないが、神社の人間は神事の前くらいは気にしていると以前多喜から聞いていた。
美烏神社は目が回るように忙しいだろう。柳同様秋成もご飯を忘れるタイプで呼びかけないといけない。柳と姉は不仲ではないので、帰ってきたのならば柳が呼びに行く役目を頼まれることを湊でも予想できる。
「だとしたら?」
「君も豆腐屋さんに行っているはずだ。3丁目の豆腐屋さんが一番湯豆腐に向いている。」
しっかりとした固さで煮崩れず、かつ出汁も染みやすい濃厚な味わいの豆腐は3丁目の豆腐屋が一番だと買い物途中で壱樹が言っていた。大切な人に出す料理だ。柳がこだわらないはずがない。
「豆腐屋さんだ。ここの水は綺麗で湖には水汲み場がある。水を使う時は、指輪を外すでしょう。はずみで落としたのかも、しれない。僕らが豆腐屋さんにつく前に、君は豆腐屋さんの指輪がないことに気づいた。でも、探すのが難しい湖だ。」
夏の頃に霧凍がしてくれた話だ。
氷津目湖が聖地扱いされているのも一つの理由だが、夏でも遊覧船や遊泳が禁止、研究が進んでいないのも透明度が高くダイバーでも距離感が掴めないからで「探すのが難しいから決して落ちないでくださいね!面倒掛けないでください!」と壱樹に釘を刺していた。地元民なら常識なので、喧嘩になったのは当然のこと。実家が神社で長く住む柳が知らないはずはない。
「それでも、君だったら、探すよね。柳くん。君は柳だもの。」
柳が舌打ちをし、観念して握りしめていた手を開いた。
真っ赤になった掌の上に銀色に光り、中央には澄んだ水を固めたようなサファイアが嵌めてある指輪があった。柳が湊に指輪を投げた。
「壱樹に返してもらえ。あいつが適任だろう。」
地元の人からも評判がいい壱樹が返せば、角も立たず丸く収まるだろう。湊は苦笑した。
今は案外悪く思われてはいないんだけどなぁ。奇行が多いことを除けば。
「わかったけど………湖に潜る前にさ、相談してよ。足に藻が絡んだらどうするの。」
「そん時は」
柳の言葉に湊が言葉を被せた。
「そん時だって言ったら、流石に僕も怒るよ。頼って。僕もみんなも手伝うからさ。使えるもんは使うって君が言ったんじゃなかったっけ?」
「………次な。」
壱樹も多喜も霧凍も力を惜しまず協力する。もちろん湊もだ。
「どうせ野湯いくんでしょ。とりあえず替えの服かな。」
ひとまず3人に説明しなければ。
「ぶぇっっくしょい!」
背後で壱樹がくしゃみをした。