@mono7057
はじめに
1 「夢小説の書き方を教えてください」
2 こういう雰囲気の夢小説を書きたい
2-1 書けばいいだろ
2-2 書きたい文章を模倣する
2-3 自身の欲望を理解する
2-4 欲望を貫く
おまけ 文章を書く上で多少心がけていること
3 夢書きを趣味にしたい
3-1 夢小説を書き始める
3-2 夢小説を書き続ける
3-2-1 夢小説を他者に読んでもらう
3-2-2 夢小説を他人に褒めてもらう
3-2-3 夢書きのコミュニティに飛び込む
3-2-4 過去作を加筆修正しない
3-3 夢小説を書く趣味に復帰する
おわりに
はじめに
「夢小説の書き方を教えてください」というコメントを頂くことがたまにある。そのたびに「書き方……?」と思うので「なんか適当にいいなーと思うことをワーって書いてますよ」と答えている。それに決して嘘はないのだが、重ねて問われるということはその返答では不十分であるということなのだろう。
そもそも「夢小説の書き方を教えてください」という問いに対して私は思い違いをしていたのだと思う。「書き方と言われても、PCに向かってタイピングしているだけだし、他の人と比べて特別なことをしているわけでもないんだけどなあ」と考えていた。とにかくこれは恥ずかしい勘違いでもある。ミリオンセラーの著者でもない海賊版文字書きヒューマンに「小説を書く技術」を請う人間はそういない。いたらごめん。
ついでにはなるが、私のマジの夢小説の書き方は以下の通りになる。謙遜でも照れ隠しでもキャラづくりでもイキりでもなく本当のことを書く。
原作を読んでワーとなった内容について友人にクソ迷惑な長文メッセージを一方的に送り付けた挙句「こんな夢書きたぁい」と大騒ぎする。友人が「書きなよ」と言うので「じゃあ書くわ」と書き始める。日常生活を送りながら何をどういうように書くかなあと考えて、空き時間にいっきに書く。スタバで紙ストローをふやけさせながら書いているときもあれば、自室のベッドで寝転がりながら書いているときもある。出張の移動中にスマホでチマチマやることもある。自分で音楽をかけることはほとんどない。執筆環境などという高尚な概念は持ち合わせていない。
あらかじめ話の大枠は決めているが、プロットとして書き留めたりはしていない。たまに「プロットの作り方を教えてください」と言われることもあるが「作ってないです……」とお答えするしかないのが心苦しい。格好つけているわけでも出し惜しんでいるわけでもなく、本当に作っていない。ノリと勢いだけで書いている。
多分これは私が創作論的なものに特段触れることなく、赤子が言葉を習得するがごとく力技で夢小説を書いてきたからだ。赤ん坊は「文法が」「発音が」「サ行変格活用が」と考えながら言葉を習得しない。毎日言葉を浴びせられ続け、褒められたり、喜ばれたり、必要に迫られたりしながら何年もかけて言葉を習得していく。野生の夢小説書きの私も赤ん坊と同じである。私が今のサイトを開設したのが2008年12月1日らしい。もう十五年も書いたり書かなかったりしている。気が遠くなる。十五年もあればもっと実になることが出来ただろ。何をやってるんだおまえは。真面目に生きろ。
十五年も同じことをしていれば、なんとなく自分のやり方というものが身についてくる。これを以て私は「いや別に普通に書くだけだよ!みんなも気軽に書こうね!」と言ってしまうのだが、多分要求されていることはそういうことではない。
つまり「夢小説の書き方を教えてください」というコメントの真意は「おまえが何年もかけて構築した「自分のやり方」を教えてくれ」ということだ。さらに突き詰めると「何年もかけて夢小説を書けるようになるのは効率が悪いから、要点だけまとめて今すぐそれらしいものを書ける方法を教えてくれ」ということになる。すげえこと言うなあ。
言いたいことは分かる。そしておそらくその要求は圧倒的に正しい。人間は技術や知見を書き残し共有し蓄積し代を重ねることで発展してきた。共有や移転が難しい技術は衰退するだけなので、現在あらゆる産業で勘と経験に頼った技術を定量化し可視化する試みがなされている。
何が言いたいかと言うと、わざとらしく露悪的な書き方をしたが別に私はこの問いに対して不愉快に感じたりはしていないということだ。むしろ私は勘だけで夢小説を書いてきたので、自身を顧みるいい機会かもしれない。いや別に顧みたからってどうということもなく、私は今後も書きたいように書くだけなんだけどね。
幸か不幸か私自身は文章を書くことにさほど抵抗がなかった。なので「文章の書き方」については多くの先達が残したノウハウを参照してもらったほうがいい。今回は「夢小説の書き方」に絞って考えていきたい。
1 「夢小説の書き方を教えてください」
「夢小説の書き方を教えてください」と発信した人物の真意を考えていく。個人的に想定した発信者の思惑はおおまかに次の二つだ。
(1) 私(のろ)みたいな雰囲気の夢小説を書きたい
(2) 私(のろ)みたいに夢書きを趣味にしたい
同じく「夢小説の書き方を教えてください」という要求に込められた二つの欲望は、始点は同じくともベクトルが違う。
2 こういう雰囲気の夢小説を書きたい
2-1 書けばいいだろ
身も蓋もないが、書けばいい。
「こういうものが書きたい」という気持ちがあれば、それはもう半分は書きあがったも同然である。私自身、夢小説を書き始めたのは、人が書いたど真ん中にぶっ刺さる夢小説を読んで「私もこういう話が書きたい!」と思ったからである。(いえーい、灰子さん見てるぅ?)
しかし前述のとおり、私自身は野生の夢書きであるので、そこでとった手段が「こういう夢小説を書きたい!」と思った書き手の夢小説を模倣することであった。こう書くと聞こえはいいが、有り体に言えば明確にパクリだった。今それをやったら間違いなく「パクリ夢書きのろ」で専スレが立ち、ジャンル移動のたびに注意喚起がリツイートされる。
さらに私はどこから見てもパクリ丸出しの稚拙極まる夢小説をひっさげ、憧れの書き手に「夢サイト作りました! 憧れサイトとしてリンク繋げていいですか!」とやった。殺してくれ。
何かを作り、公開するには相応のナルシシズムと厚顔無恥さは必要だ。多分。
だがここまで強大なナルシシズムと防弾ガラスのごとき面の皮を万人に持ち合わせろというのは酷だ。みんなこういうことをしたくないから「書き方を教えてくれ」と言っている。やられるほうも迷惑極まりない。
界隈の治安のためにも「書き方」は可視化すべきかもしれない。
2-2 書きたい文章を模倣する
だが「模倣」自体は、何かを習得するうえで避けて通れぬ道である。
好きな小説家がよく使う文章表現や、たまたま見かけた洒落た言い回しを使いたいと思ったら、使えばいい。面白い人物設定やあらすじを「自分なりにこういう書き方をしたい」と思ったら、書けばいい。それが市場流通している文筆家の文章ならば「この人、あの小説家に影響受けてるな」とニヤリとなるだけだ。
だがインターネット二次創作因習村ではそうもいかない。「あいつ新参のくせに村の有力者の作風を真似てやがる、気に食わねえな」と迫害を受ける可能性がある。そのあたりは上手いこと隠しながらやるか、そもそも触れないかは各人にお任せする。
ただし、文章の丸写し、コピペは法律に抵触することだけは肝に銘じておいてほしい。
もし「私(のろ)みたいな雰囲気の夢小説を書きたい」と考えている人がいるならば、書いてみてほしい。さすがに文章を丸々コピペされて「私の創作物です」と公開されたら「それはちょっと」となるが、同じような夢主の設定を使いたいとか、似たようなストーリーラインで書きたいとか、この言い回しを真似たいと思ったら、ぜひ模倣してみてほしい。いいと思ったものを真似て自分なりのものを作るのは、実はかなり手軽で楽しい。
それが先達を模倣し多数の無礼を重ねてきた私にできる唯一の贖罪である。
2-3 自身の欲望を理解する
しかし、インターネットの普及による相互監視社会では、軽々しい模倣は無辜の正義の民によって容易に槍玉にあげられかねない。
私は以前「人の書いたものをいいなと思ってそのまま出したらパクリだけど、人の書いたもののいいなと思った部分を自分なりに咀嚼消化して一回体を通して排泄されたものは自分の作品になる」というような旨のことを発言した。この「咀嚼消化」の部分はそのときふんわりとしたイメージで発言したが、おそらくそれは「自分の欲望を理解する」ということになる。
私は他の書き手の文章を読んで「いい!」と思って模倣を開始したが、今はその書き手とはテイストの違う文章を書いている。私も書くぞ! とパクリ始めた私は「この夢小説いい! めっちゃ萌える!(当時はこう表現した)」と安易に好きな夢小説の表層をなぞった。今、冷静になって考えてみると、私はその書き手の「やや硬質な文章」「原作では露出の多くないキャラクターのあったかもしれない一面を書いているところ」「非日常ばかり切り取られ物語にされている原作キャラクターの、生活感が垣間見られるところ」に強烈な魅力を感じていた。それらは憧れの書き手が書いた夢小説を構築する無数の要素の一つでしかない。その人の書く夢小説は他にも特筆すべき点はいくらでもあったし、書き手はそこを特段に強調したつもりはなかったかもしれない。だが私にとっては、そこが自分の欲望ポイントだった。私は模倣を繰り返す中で、自身がそういう部分を書きたいと思っていることをなんとなく理解しはじめた。
私は憧れの書き手が書いた最高夢小説の要素を入れ替え構成成分を弄り回しまくり、自分の欲望にオーダーメイドの夢小説を書き始めた。はじめは丸パクリであった私の夢小説であったが、今その人の夢小説と私の夢小説を一度に読んで「パクリだ」と感じる人は少ないだろう(そうであってくれ)。
もし、私の夢小説を読んで「いい!」と思ってくださった方がいれば「めっちゃよかった!」とコメントを下されば私はひたすら笑顔になる。だが「こういう雰囲気の夢小説を書きたい」と思ってくださった方が「めっちゃよかった!」だけで書き始めると泥臭い模倣の茨道を地図なしで歩く羽目になる。
自分が何を特に「良い」と感じ、夢小説に対して何を欲望しているのかを整理することが必要だ。書き始めをスムーズにし、黒歴史を作らず、余計なトラブルも避けられる。
2-4 欲望を貫く
私は上記の文章を書くにあたって一貫して「欲望」という言葉を使っている。おそらく小説のノウハウ本を読めばより適切な言葉を使って解説をしているのだと思う。テーマとか、メッセージとか、そう呼ぶのかもしれない。
だがこれは所詮「夢小説の書き方」だ。多少文章表現がこなれていようが、ストーリー運びが巧みだろうが、強い欲望に勝るものは何もない。
他者の創作物(原作)を好き勝手二次創作する褒められない行為を恥じるなとは言わないが、そういうものだと開き直る気持ちはあってもいいかもしれない。いくら愛だリスペクトだとお題目を唱えたところで、我々はインターネット海賊版文字書きヒューマンだ。夢小説を書くのに高尚な志は必要ない。夢小説を書くときは、書きたいと強く欲望するものが、書くべきものである。
夢小説を書くにあたり、強い欲望は、むき出しでみっともなかろうと、多少粗削りだろうと、誰かしらを惹き付ける力がある。
私は十年以上前に彩雲国物語の紅邵可で夢小説を書いた。ちょうど、他人の完全なる模倣から少しずつ脱却しはじめた時期だ。紅邵可というキャラクターの詳細についてはウィキペディアなどを参照してほしい。私は原作を読んで「主人公とその仲間たちの理想的な保護者、理解者、指導者である紅邵可のメンタルをズタズタにしてやりたい」と強く思った。なぜそんなことを、を語ると古酒夢女のキモいところが全部出るので割愛する。
なので、私はそのとき自分の持てる全ての文章力と想像力で邵可のメンタルをズタズタにして情緒をめちゃくちゃにする夢小説を書いた。
そのときに書いた夢小説を今の私が読めば、文章は読みにくく、表現は稚拙で、ストーリーがあるとすら言い難い。自分で書いたと思うと喉を掻きむしりたくなる出来だ。だが、どうしようもなく刺さるのも事実である。夢小説で書かれている欲望が、私の欲望と完全に合致しているからだ。自分で書いたものなのだから当然である。
これが私の書いたものでなかったら、私は「これが読みたかった書いてくれてありがとう」と泣いて地面を転げまわり、作者に対して長文コメントを連投していただろう。夢小説において書き手の欲望を明確にすることは、それくらい暴力性がある。
もし、試しに書いてみた夢小説が「自分で書いたのにつまらないな」と思うときは、自分の欲望に沿っていない可能性がある。「文才がない」と筆を置く前に、本当は自分が何を書きたいのか考え直した方がいいかもしれない。夢小説を書くとき、多少の文章力など滾る欲望の前には取るに足らない瑣末事だからだ。
「恋愛でめしゃめしゃになってる推しが見たい」「推しに美味しいものを食べてほしい」「複数人の推しに溺愛されたい」「推しに辛酸を舐めさせたい」「とにかくエロい目にあっている推しが見たい」「推しに圧倒的な力で蹂躙されたい」「推しの存在する世界観を補強したい」「推しの原作に出ていない一面を捏造したい」。
我々の欲望はみんな違ってみんなカスだ。全員著作権の上でタップダンスをしている。世に蔓延る意識高い創作論に目を眩まされる必要はない。我々が書こうとしているのはインターネット海賊版インチキポルノテキストだ。
自分の書きたいものが定まらずに書き始めて「文才がない」と嫌になってしまうくらいなら、恥を忍んで自分の欲望に向き合ったほうが多少は得るものがある。夢小説を書くときに必要なのは「プロットの作り方」や「執筆環境」といった技術的なものよりも「おまえは何を書きたいの?」に尽きる。
断っておくが、技術は意味がない、プロットなんか書くな、と言いたいわけではない。自分が強く書きたいと思うものが定まれば、自分に必要な技術も手順も自ずと明らかになる。技術に囚われて、何も書かないまま右往左往するより、自分にぶっ刺さるものを書いたほうがいい。順序と優先順位の話だ。
一応、「私(のろ)みたいな雰囲気の文章を書きたい」という要望に応えようと努力はした。だが結局、私が言えるのはあなたの要求する「私(のろ)みたいな雰囲気」は何か、自分で掴むしかないということだけだ。
おまけ 文章を書く上で多少心がけていること
文章を書く上で心がけていることは、野生の夢書きでも多少はある。だがここを真似たからといって、個々人が満足のいく夢小説が書けるものでもないだろう。少し足したらちょっと味が変わる調味料くらいの気持ちで流し読みしてほしい。
(1)はじめに結末は決めておく
ゴールを決めずに経路は決められない。「こういう話を書きたいなあ」というぼんやりとしたイメージが湧いたら、それをどう着地させるかをあらかじめ決めてしまう。そのうえで、どう話を運ぶかを決める。
ゴールが決まっていないと「あれも書いておきたい」「これにも触れておきたい」で話の流れがとっ散らかって書くべき文量が激増し、読み手より先に書き手が飽きる。完成しない傑作より、完成させた凡作のほうが価値がある。
(2)足し算より引き算が重要
夢小説を書く上で欲望は大切だが、あまりに欲望の赴くまま書くと設定や要素が盛られすぎて収拾がつかなくなる。小説を読みやすくするには、何を書くかより何を書かないかのほうが重要だ。
これは設定に限らず、文章もそうだ。特に二次創作の夢小説は、読み手は原作を読みバックグラウンドの知識を共有している。すでに共有されているはずの知識を長々と書き連ねる必要はない。
私も今この文章を書きながら、不要な自分語りをどんどん削っている。
(3)物語は滞りなく進める
物語が進まなくなると小説はいっきにダレる。書いていても読んでいても楽しくない。特に主張したいのは「新たな設定を開陳する」ことと「物語を進める」ことは全く違うということだ。「この展開、続きが気になる」と「この展開、作者はいったい何がしたいんだ」の境界線はここにある。
新たなキャラクターを登場させる。隠された過去を明らかにする。乗り越えるべき問題が発生する。これらは新しい設定の開陳であり、物語の進行ではない、と私は思う。(1)で設定したゴールに向けて、登場人物や状況に変化が起きることが物語の進行だと考え、滞りなく進めることを意識すると読み手も書き手もストレスが少ない。
(4)においの描写が好き
突然ふわっとした好みの話になってしまって申し訳ないのだが、私はにおいの描写が好きだ。あらゆる描写の中で最も読み手の感情を揺さぶると信じている。特に読み手の不快感を掻き立てるのに有効だ。
グロテスクな描写のある文章をいくつか読んだことはあるが、文章を読んだだけで吐き気を催したことは一度しかない。S・キングの小説「ミザリー」の冒頭、交通事故に遭い意識が朦朧としている主人公に女が人工呼吸を施すシーンだ。以下、その部分を引用する。
「男が嫌がる女にむりやり自分の一物を押し込むように、彼の内部に押し入ってきた女の息は、ヴァニラ・クッキーとチョコレート・アイスクリームとチキン・グレイヴィーとピーナツバター・ケーキとの混淆した恐るべき匂いをはなっていたのだ。(S・キング「ミザリー」矢野浩三郎訳)」
引用するだけで気分が悪くなる。
私が書いた文章ににおいに言及する部分が多いのはそういう理由である。これを明かすと「あ、こいつまたにおいの描写で誤魔化そうとしている」と思われそうで嫌だ。
こんなことをいちいち文章にするのは死ぬほど恥ずかしい。だがこのあたりを押さえずに書き始めると「よくわからないままあっという間に冗長な文章と展開になり、文字数だけが多くなるが終わりは見えないし何を言いたいかさっぱり分からない」という状況に陥る。
これに陥ると、書き手は時間と苦労ばかりかかり、出来上がりも自分の思うようなものにならないので、全く楽しくない。どうせ書くなら、少なくとも自分自身は楽しめるものを書いたほうがいい。
3 夢書きを趣味にしたい
夢小説は私のいくつかある趣味の一つだが、割と悪くない趣味だ。金はかからないし、一人でできるし、どこでも暇つぶしが出来る。創作を通じて人との出会いもあるし、イベントに参加してお祭り気分を味わうこともできる。
夢書きを趣味にしたい、ひいては夢書きを趣味にし同好の士と交流したり、あわよくば褒められたりしてみたいという「なんかこんな感じの楽しい趣味を持ちたい」と思っている人はどうすべきかを考えていきたい。
3-1 夢小説を書き始める
夢小説を書き始めるのはイラストに比べてかなりハードルが低い。特別なハードもソフトも不要である。PCとワードソフトがあれば上等で、スマホとメモアプリでも十分に書き始めることが出来る。
発表の方法も多岐に渡る。かつては自分でサーバーを借りて作成したウェブサイトで公開するほかなかったが、今はSNSで気軽に公開が出来る。PIXIVはタグ検索ができるので、マイナーキャラでも(だからこそ、とも言える)タグ検索で読み手に探してもらいやすい。最近yumedropという夢小説特化のSNSができた。使い勝手は未知数であるが、基本的な機能は揃っている。また、運営がユーザーの意見を取り入れながら試行錯誤している様子が見て取れ、なんとなく好感が持てる。
個人的には文庫ページメーカーを使うと自分の書いた文章がすぐに「作品」っぽくなるのでテンションが上がる。メーカーで作った画像をツイッターでプラスタグなどを使ってTLに流せば、結構多くの人に見てもらえる。
3-2 夢小説を書き続ける
「なんとなく夢小説を書いてみた人」から「夢小説を書くのが趣味の人」になるには、書き続ける必要がある。継続は力なりという言葉こそ陳腐だが、実際継続ほど難しいこともそうそうない。私のように飽き性ならなおさらだ。
私はいくつかの幸運と偶然によって書く時期と書かない時期を繰り返しながら夢書きを趣味にしている。私は激バズり大人気夢小説は書けないが、ぼちぼち書き続けることは出来ている。
激バズり大人気夢小説を書きたい人は私には夢小説の書き方を尋ねないだろうから、ぼちぼちのペースで書き続ける方法を紐解いていきたい。挙げていく内容は私自身がこれは私の継続に寄与していると感じたものと、周囲を見て思い至ったものがある。私自身がこれらを全て達成しているわけではないので、これを読んだ人は各々が手を出しやすいものから取り組んでみるといいのかもしれない。
3−2−1 夢小説を他者に読んでもらう
夢小説を書くからには公開し、人に読んでもらいたいだろう。「人に読まれなくてもいい。オフラインで書いて自分で読んで楽しむ」という人がいれば、それはそれで構わない。
人に読まれることがモチベーションになるならば、人に読まれる工夫をすることで書き続けることができるだろう。私は基本的には夢小説を書くときは「技術」よりも「欲望」が重要だと考えているが、多少気を遣うだけで読み進めてくれる人が増える技術は知っておいて損はない。
(1)タイトルを分かりやすくする
夢小説の趣味人口が増えたことで、供給は年々増え続けている。タイトルで同じ嗜好の人間に訴求するのは有効だ。
実際に、PIXIV小説ランキングの上位は「○○が××して△△する」という説明的な散文のタイトルが多い。タイトルから内容がある程度分かると手に取られやすいだろう。
私はやらない。趣味じゃない。
(2)読みやすい文章を書く
これは創作論ではない。
夢小説を書くとき、文章表現や語彙力で悩む前に気にするべきことがある。
それは、「てにをは」は正しいか。「5W1H」は過不足なく記しているか。主語述語にねじれはないか。単語の意味を勘違いして奇妙な文章になっていないか。一文が長すぎないか。といった、そもそも「相手に通じる日本語を書いているか」の部分だ。
小難しい表現をこねくり回すより、読みやすく正しい日本語を粛々と書いたほうが多くの人に読んでもらえる。
(3)原作キャラは早めに出す
完全自己満足ではなく、人に読まれることも考えるとすれば、つらくとも一つ肝に銘じておかなければならないことがある。
読み手の多くは夢主を読みにきていない。原作キャラを読みにきている。
夢主の設定に凝る書き手ほど、複数話、複数ページを使って夢主の背景、生い立ち、設定を長々と説明しがちで、キャプションに「なかなか相手キャラが出せずすみません。あと数話で夢主過去変編は終わると思います。」などと書く。どうしても夢主の背景を事細かに説明したいなら、作中で回想を挟んだり過去編を挿入するなどしたほうがいい。
読み手を脱落させたくないなら、何か明確な意図がない限り原作キャラが出ない冒頭を長々と書き続けるのは避けたほうが無難だ。
(4)夢主の設定はポピュラーなものにする
夢主の設定は奇を衒うよりポピュラーなほうが多くの人に読んでもらえる。これは前述した「読み手は夢主を読みにきていない、キャラクターを読みにきている」にも通ずる。
男主よりは女主、女主でも10代の学生だと読まれやすい。おそらくそのあたりに読み手の人口が偏っているのだろう。夢小説の内容を考えるとき「女主にしようかな、男主にしようかな」と迷い、特にこだわりがなく、より多くの人に読まれたいなら女主にしておいたほうが無難である。
キャラクターとの関係性は恋愛関係かそれを匂わせるほうがよく読まれるようだ。
私は奇を衒った夢主をよく書く。私が楽しいからだ。バカ舌なので夢主は味が濃ければ濃いほどいいと思っている。
(5)人気原作の人気キャラの夢小説を書く
二次創作である以上、これに触れないわけにはいかない。やはり人気のある原作の人気のあるキャラの二次創作をすれば、それだけ多くの原作ファンに読んでもらえる。多くの人に読まれることがモチベーションになるならば、原作の人気にあやかるのも一つの手段になり得る。ただしこれは「他にも多くの作品があるのにわざわざ私が書かなくても……」という状況と紙一重でもある。
案外、供給の少ないキャラクターで書いたほうが「やっとこのキャラの夢小説読めました!」と読み手と密な関係が結べることもある。
私は自分の書きたいキャラばかり書いている。
他にも色々あるだろうが、趣味として細々続けるならこれくらいを心に留めておけば十分だろう。「読まれる方法」は、おそらく先達がいくらでもノウハウを残しているのでそっちを参考にしたほうがいい。
3−2−2 夢小説を他人に褒めてもらう
夢小説を書き、公開し、読まれれば、感想や賞賛を得たいと欲が出るのは人の常だ。「感想もらえないから二次創作楽しくないVS二次創作で承認欲求を満たそうとするな」の論争は流行病のように散発する。ほとんど無意味な論争だ。
「自分が満足するものを作りたい」「他者からの承認が欲しい」の二つは二者択一ではないので「自分が満足するもので人にも喜んでもらいたい」「人に褒められることで自分も満足する」というような状況は十分にあり得る。正解はないので自分の中で上手くバランスをとるしかない。
しかし論争が散発するということは、感想がほしいと強く求める人間はいつでも一定数いるということだ。その良し悪しはともかく、感想をもらえることでまた書こうと思えるならば、感想をもらえる行動を考えるくらい許されるだろう。趣味は心地よくやるべきだ。ストイックにやるのが心地いい人はそうすればいいし、褒められたいなら褒められるように小細工をすればいい。
以下、自力で感想をもらえる確率を上げる方法を二つ挙げる。
(1)他人を褒める
人から褒められるのは難しい。「いいな」と思う作品であっても、わざわざコメントを送る手間をとる人は多くない。コメントをくれる人、いつも本当にありがとうございます。おかげさまで生きております。
「感想がほしい」と思ったら、少しでもいいと思った夢小説はSNSなど公の場でどんどん褒めよう。褒められた人は「次はこの人の作品を読んで感想を送ろう」と思うであろうし、その褒め合うコミュニティを見た読み専も「あ、この人なら気軽にコメント残せそうだな」と思ってもらえるかもしれない。
馴れ合いと笑わば笑え。趣味なんてそんなものだろう。
(2)褒められたいと明言する
これは本当にやったほうがいい。「感想ももらえないし……」「読んでもらえないし……」と湿っぽいアピールをするより「感想ください! 元気が出ます!」と明るく明確に要求すると、案外今まで尻込みしていた人がスッとコメントを送ってくださったりする。
3−2−3 夢書きのコミュニティに飛び込む
私が夢小説を趣味とする人間と交流を持つようになったのはここ数年のことだが、同じ趣味の人間のコミュニティに参加しすると、趣味に幅と奥行きが出る。互いに刺激をうけあい、書きたいものも多く思いつくようになる。お互い感想を送り合い褒め合うことでモチベーションも上がる。
物怖じしそうなコミュニティでも、思い切って飛び込んでみるといいかもしれない。失敗したら消えればいい。それができるのがウェブ上の関係のいいところだ。
3−2−4 過去作を加筆修正しない
なぜかは分からないが「過去作を加筆修正します」と宣言する夢書きの95%は作業途中で失踪している。過去作を加筆修正するくらいなら、新しく何かを書き始めたほうがいい。
3−3 夢小説を書く趣味に復帰する
それでも、なんらかの事情で夢小説を書くことから離れる時期もできるだろう。そのとき復帰しやすくするために、個人的に以下を絶対におすすめする。
(1)サイト、アカウントを消去しない
戻ってきたときに気軽に投稿を再開できる場所はあったほうがいい。さらに更新を心待ちにしていた過去の読者を卒倒させることもできる。
(2)過去作を消去しない
自分で書いた夢小説はどうせまた自分に刺さるので一時の気の迷いや深夜の憂鬱で消去しないほうがいい。サイトやSNSで公開しているならば、案外過去の作品に突然コメントが来ることもある。すかすかのサイトでは再開してもいまいち気分が上がらないので、古くて稚拙な作品でも数があるとサイトは華やぐ。
おわりに
なんとなく雑多に書き出してみた。
私が夢小説サイトを作成した当時は、二次創作界隈で夢小説はカーストの最下層であった。夢小説は小中学生か、妄想癖のイタい奴の恥ずべき趣味と侮蔑を受け、BLよりさらに強く隠れることを要求されていた。自分のサイトから一歩でも出れば、夢小説の話題などおくびにも出せなかった。
私は「あなたは文章が上手いので夢小説なんかではなくBLとか書いたほうがいいと思います」とコメントを受け取ったことがある。
最近はそのような風潮が薄れ、ライトな夢女からガンギマリ夢女までSNSなどで楽しそうに活動している。成人の夢書きも全く珍しくなくなった。私はそれが少し嬉しい。
だがもとはカースト最下層の下賤な趣味だ。格好つけずに気楽にやろう、と私は思っている。
書きたいなら書けばいいし、書けないなら書きたいものができるまで待てばいい。書くなら人目を気にせず欲望丸出しの夢小説を書いたほうが絶対に楽しい。色々やって「夢小説、読むのは好きだけど書くのは向いてないな」と思ったら、好みの書き手にガンガン応援コメントを送って代わりに書いてもらえばいい。他者をその気にさせるのが異様に上手い人がたまにいるが、それは夢小説を書くより余程得難く有用な才能だ。
上に書いたようなことが、駅前ユメショ留学として、効率よく楽しく上手いこと夢小説を書くことに寄与できたら幸いである。