湊過去話・災害の話
@lianmiso
写真立てを手に取る。
あの島から唯一持ち出せたもの。
兄のすべてだった。
馴染めなかったクラスだったけど、4人のクラスメイトに「終業式終わったらキャンプに行こう!」と誘われてその日は夜のことで頭がいっぱいだった。早く帰って夜に備えて昼寝をしていた。
一昨日までは週一の楽しみである深夜ラジオ放送を聴いていた。昨日はやめた。体力に自信があるとしても、自分1人だけ寝てしまったら格好悪い。
眠気と熱気でぼんやりしながら足を進めた。
だから、夏日刺すマンションの廊下ですれ違う顔色の悪い人間に気づかなかった。
揺れる体に地震かな?と湊は重い瞼を上げた。
顔を覗き込む兄の汗が湊の頬に何滴か垂れる。
部屋を快適にしていた冷房はいつのまにか止まって夏の熱を閉じ込め、布団を被っていた湊にとってサウナだった。びっしょりと汗を掻き、シャツが肌に張り付いている。
兄に何か聞こうにも、激しく窓を叩く音が耳の鼓膜まで叩く。
「街で何か起こってるんだ。」
「避難所に、行かないと。」
「いいや、島を出た方がいい。ここの島にはシェルターがない。」
「でも………」
馴染めないにしてもクラスメイトを置いていくわけにはいけない。挨拶をしてくれる近所の人たちは?それとそれと………
「ヒッ!」
一際大きい窓の叩く音で現実に引き戻された。窓の振動に合わせ、カーテンがふわりと揺れた。一瞬だけだったが、スローモーションに目に映る。
警察官と隣のおばさんが拳を振り上げ、窓ガラスを叩いている。顔色は霜が降りたように白い。
目を引いたのは頭に生えている横矢印のような銀のアンテナだ。身動きするたびにみょんみょんと揺れる。取れてもおかしくないようなしなりを見せるのに抜ける気配を見せない。頭を走るおぞましい考えを無理矢理思考の底に沈める。
「駄目なんだ!街のみんながおかしくなってる!」
『それでも』を飲み込み、湊は頷いた。反論をしたのならば、兄は烈火の如く怒るだろう。過呼吸を起こしてしまうかもしれない。
今日の夜がキャンプでよかった。リュック一つで出ていける。たとえ島から出れなくても数日もすれば助けは来るだろう。それまで持てばよかった。
「俺は正面から出る。湊、お前は非常口から出ろ。」
「正面は僕が行く。さっきまで寝てたし、体力あるよ。それに小さいから間を抜けられる。」
湊の提案にしばらく兄は唸り、渋々頷いた。
「………わかった。また港で会おう。」
2人でドアを閉める。互いに背を向け、反対側に走っていった。
街は異様に静かで人影一つない。蝉の声が降り、コンクリートの上に建物と自分だけの影が焼き付いている。図工の授業で習った絵の中のような世界だ。
絵の中に閉じ込められた。そんな歌があったことを思い出す。
歌ならば現実にまだ戻る方法があるのに。
重たい足を港へ進めた。
港には誰もいなかった。漁師の1人いてもいいのに、いつもいるおこぼれを狙う猫たちすらいない。
船の一艘もなくテトラポッドが波を砕く。
兄さんは先に逃げたのかな。
逃げていく最中に覚えている限りの友人の住むマンションの一室や友人宅を覗いたのでちょっと遅くなってしまった。体が弱いし、まだ到着していないかもしれない。一息つく間も無く、何人かの足音が聞こえた。
兄ではない。
リュックを投げ出すと、海に飛び込んだ。水の中から聞く音は遠い。
しばらくして浮遊感に襲われた。
後ろ襟を引かれ、ざばりと海面から上がった先に目を丸くしたクラスメイトたちと目があった。
釣られた湊がゆらゆらと揺れる。
髪先、指先、足先からポタポタと雫が落ち、船着場に波飛沫以外の染みを残す。
誰も口を開かない。
「………やあ。」
沈黙に耐えきれず、湊は片手を上げた。
こうしてクラスメイトと合流し、苦難を一緒に乗り越えた。引っ越してからの疎外感は消えて将来を語り合うまで仲を深めたけど、もう会うことは叶わない。会うつもりもない。
『全部終わったら、キャンプしよーな!』
その約束も果たされることはもうないだろう。
みんな元気にしているかな?
ぼんやりとした意識を引き上げたのは、いつのまにか部屋に入ってきていた壱樹と霧凍だった。
「おい!ずっと呼んでたんだぜ?返事もないから見に来ちまったよ。部屋の掃除、進んでるか?おぉ………だいぶ綺麗になったな。」
最近仕事続きで空けがちだった部屋は埃や脱ぎ散らかした服などが散乱していた。自分で気になり、掃除の決意をしたのは昨日だった。
「綺麗になったとはいえ、朝から今の時間までどれだけ掛かってるんですかぁ。」
時計の針は12時を刺している。片付けを始めた時間が9時。整理整頓が得意な霧凍からしたら信じられないものだろう。
埃などゴミは掃除できたものの、服どころかダンボールが部屋を埋める。まだまだ終わりそうにない。
「自分のペースってもんがあるって!こんな頑張ってんだから、腹減ってるだろ。」
壱樹がバンと湊の背を叩く。
「昼飯用意したからさ!今日は産地直送野菜炒めと特製味噌ラーメンだ。」
美味いぞ!と親指を突き出すが、すぐに壱樹は人差し指を写真に向ける。写真の中では自分と3番目の兄がこちらを見ていた。
「髪色と目の色、黒いな。今の色も海みたいで綺麗なんだけど、昔も良いな。しかし、どっかで見たことあるような………隣の奴は誰だ?」
「聞かなくてもわかるでしょう。顔立ちは湊くんに似ていますでしょう。お兄さんですよねぇ。」
鼻で笑う霧凍に壱樹は素直に頷いた。
「流石霧凍!うん、そうだな。鼻筋が湊によく似てる。いい男じゃねーか。」
壱樹が何度も頷いた。頬を赤らめて湊ははにかんだ。兄を褒められて嬉しかった。
写真立てに自分も目を向ける。
災害のあった日と写真が違う。
写真が変わったということはそういうことなのだろう。写真らしきものも兄と共に見つかっている。
以前は婚約者と兄が幸せそうに寄り添う写真だった。
生みの母に結婚の報告をする前に撮ったものだった。挨拶後、すぐに婚約者が行方不明になったそうだ。母が何かしたのではないかと湊は疑っているが、確かめる術は無くなってしまった。
婚約者がいなくなった後、兄は寝込みがちになり、外に出なくなった。湊が兄の元に行けば戻るのではないか?と言われたが、時間が足りなかった。
この写真は兄の住む高天島に着いた時、記念に一緒に撮ったもので恥ずかしがる湊を兄は手を引き、美しい海と共に撮った思い出の一枚だった。
「仲良かったんだな。」
「そう、なんでしょうか。」
部屋の隅でパソコンを叩く兄は自分のことをどう思っていたのか。
きちんと会話をしたのは、島に着いた日と災害の日くらいだった。後は日常最低限で、キャンプに行くと伝えても味噌汁の椀を持ち、微かに頷くくらいだった。
「端が折れてますねぇ。普通写真入れる時に気づかないものですかぁ?」
「あ、本当だ。」
あの災害の最中だ。そこまで気を遣えなかったのだろう。
写真立てをひっくり返し、裏の爪を外した。
裏を開くと、湊は息を呑む。
「あ………」
「湊?」
「早く昼を済ませたいんですよね。壱樹さん、先に行って用意しましょう?もう少し片付けて、お風呂に入りなさい。埃っぽいですよぉ。不潔な人と昼を食べるなんてごめんですからねぇ。」
「あっ!ちょっと!ま………」
昼を待ちきれなくなった霧凍が壱樹を連れて、部屋から出ていった。
写真の裏には『湊へ ありがとう。生きろ。』と書かれていた。走り書きで書かれた子どもっぽい文字は兄の筆跡だ。間違えようがない。
湊はただそれを見つめ続けることしかできなかった。