@nainieymugen
昔々、あるところに、美しい自然に満ちた世界がありました。
そこには一切の住人がおらず、産まれたばかりで何も知らない魔王が1人いるだけでした。
緑の魔王と呼ばれるべきであった彼は自分が魔王であることも、別の世界があることも知らず、自分が1人であるということも理解しないまま体だけが大人になりました。
彼には1つだけ分かっていることがありました。それは自分に強大な魔法の力があると言うこと。それを自分は自在に使えると言うこと。誰かが教えたのか、それとも魔王としての本能だったのか、それだけは知識として理解していたのです。
緑の魔王は、世界で唯一の人工物である城に住んでいました。とはいえたった1人の彼に城はあまりに大きく、使う部屋といえば寝室と書庫くらいの物でした。彼は毎日昼は外を散歩し、夜は書庫の本を読みあさっては言葉や植物の事を覚えました。本は植物や自然に関するものばかりでしたが、一冊だけ「人間」に関する本がありました。残念なことに、その本に絵は描かれていませんでした。
ある日、緑の魔王は不思議なものを見つけました。それは自分に似た形をしていましたが、自分よりも幾分小さく、纏っている布やあちこちの色が違うようでした。しばらくそれを眺めて、緑の魔王はようやくそれが本にあった「人間」であることに気づきました。向こうも、緑の魔王に気がつきました。
「お兄さんが魔王?」
人間はそう言いました。緑の魔王はしばらくその言葉について考えてから、それが質問であることに気づきました。
「たぶん、そう」
人間…女の子は、それを聞いて微笑みました。それは実際奇妙なことなのですが、緑の魔王がそれを知るよしはありませんでした。
女の子は色々な事を緑の魔王に話しました。誰も信じていなかった「魔界に通じている」と言われる古びた祠に好奇心のままに飛び込んだら本当に繋がっていた事。聖界と女神の事。好物のクッキーの事。緑の魔王と友達になりたいと言う事。
緑の魔王も色々な事を話しました。美味しい木の実の事。綺麗な花の事。もっと色んな事を知りたいということ。自分の魔法の事を話し、実際に使ってみせたりもしました。
緑の魔王と女の子は良い友達になりました。女の子は毎日のように遊びに来ては、緑の魔王と果物を食べたり、魔法を見せてとせがんだり、自分が考案した遊びで夕方まで遊んだりしました。また女の子は緑の魔王のために聖界の本を持ってきました。頭の良い緑の魔王は、みるみるうちに聖界の学者よりもたくさんの事を覚えました。
ところある日、女の子は急にやってこなくなりました。緑の魔王はとても不安になり、女の子を心配しましたが、彼は聖界に行く方法を知りませんでした。彼は生まれて初めて「寂しい」という感情を覚えました。それは誰かと一緒にいる幸せを知ったからこその感情でした。
幸いなことに、しばらくして女の子はまたやって来ました。それからというもの、女の子はある程度の間毎日のように来てはしばらく来ないという事を繰り返すようになりました。緑の魔王は特に疑問に思うこともなく、そういうものなのだと思っていました。間があくたびに女の子の性格が変わっている事に、緑の魔王は気づいていませんでした。
またも女の子が来なくなり、緑の魔王が次に来たときどんなことをしようかと考えていたある時、緑の魔王を女の子とは別の人間が訪ねました。彼女は女の子にそっくりでしたが、大人で女性と呼ばれる容姿をしていました。
彼女は慌てきった様相で緑の魔王に言いました。
「どこか安全な場所に隠れて、勇者がここにやってくる」
緑の魔王は女の子そっくりのその女性の言うことを疑うこともせず、城の宝物庫に隠れました。宝物庫の鍵は外側からしかかけられないので、緑の魔王は女性に鍵を渡して閉めてもらいました。
「いつまで隠れていれば良い?」
緑の魔王は聞きました。
「私か女の子が絶対に迎えに来るから、それまではちゃんと隠れててね」
女性はそう答え、そのままどこかへ行ってしまいました。
緑の魔王が隠れていたのはほんのすこしの間でした。女性が去ってから程なくして、鍵の開く音がしたのです。迎えが来たのだと思った緑の魔王は、大喜びで扉の方へ行きました。けれど、それは女性でも女の子でもありませんでした。
鎧を纏ったその人物は、何も言わぬまま緑の魔王に斬りかかりました。その行動と斬られた痛みに驚いた緑の魔王は、反射的に魔法の力でその人物を吹き飛ばしました。その圧倒的な威力に、相手は一撃で倒されてしまいました。
しかし、今まで一度も人から攻撃されたことのなかった緑の魔王はパニックに陥ってしまいました。彼は攻撃される恐怖に、咄嗟に自分の魔力で自分を守る殻を作りました。誰かがまた自分を傷つけようと襲ってきても女性や女の子が迎えに来るまで殻の中で耐えれば良いと考えたのです。緑の魔王はただ、何をされても壊れないように、殻を固く厚くするためにありったけの魔力を注ぎ続けました。いくら強大な魔力を持っていたとはいえ、急激に魔力を使った負担にそのうち彼は意識を失ってしまいました。
目が覚めたときには、魔王は落ち着いていました。彼は自分を攻撃的したのがおそらく女性の言っていた勇者であること、女性に渡した筈の鍵を何故か勇者が持っていたこと、勇者に攻撃される心当たりなど無いこと等を考えました。彼は自分が気を失っている間に長い時間が経っている事を知りませんでした。
やがて彼は外の事が気になりました。しばらく待っても攻撃される様子がなく、もう勇者は来ないだろうと考えた魔王は殻の外に出ようとしました。しかし、固く硬い殻は魔王を外に出すことはありませんでした。そして魔法を使って殻を壊そうとした魔王は、そこでようやく自分の魔力がほとんど失われていることに気づいたのです。
魔王は絶望しました。助けを求めようにも、自分の世界に自分以外いないのは彼が一番よく知っている事です。それにこんなに殻が厚くては、彼女が迎えに来ても分からないのではないか。その考えは魔王を一層不安にさせました。
どうにかこうにか知恵を絞り出し、魔王は殻の外に自分の分身を作ろうと考えました。一度もやったことのない作業に四苦八苦しながら、時間をかけて作った分身を通して魔王が見たのは信じられない光景でした。
目の前に広がる真っ白な世界には、城はおろか元の美しい世界の面影の欠片すら残っていませんでした。ただ白い灰だけが、延々と死海を埋め尽くしているのです。もはや「灰の世界」と化した世界の魔王は、あまりのショックに動くことすらできませんでした。彼は、彼の魔力が世界の維持に使われていたことを知らなかったのです。
ふらふらと倒れそうになった彼の足元で、かさりと灰とは違う何かの音がしました。あわてて彼がそちらを見ると、自分の入っている殻の傍に寄り添うようにして数輪の白い花が咲いているのを見つけました。それは、この世界に残った彼以外の最後の生命でした。
灰の魔王は花の傍に跪き、長い間泣いていました。